ACT5 夢の中で  (Part5)


 一帯は霧が立ち込めていた。
 そこに、兎和――セーラームーンは独りで立っていた。
 何故、ここにこうして立っているのか、前後の記憶はなかった。思い出そうと試みたとき、若い男性の声が、彼女の耳朶を打った。
「やっと見つけた」
 その声は、つい最近聞いた覚えがあった。
 セーラームーンは声に応じて、振り向き、その声のするほうへ手を伸ばした。
 ふたつの光が見えた。その光で目が眩んで、人影をはっきりと判別はできなかったが、互いの指先が触れると、お互いを確認する作業に勢いづいて、指を絡め、それぞれの手を確認するように握りしめる。
 相手の若い男性の顔は、その胸元にある万華鏡のようにめくるめく光で、はっきりとしない。
 その傍らに、自分とそっくりのセーラー服スタイルの少女がいた。その少女の胸にも光――銀色の光が宿っていた。そして、赤い仮面をつけていた。
「あたしが助けてあげるからって言ったじゃない」
 セーラームーンの口からは、彼女自身も知らぬ間に、そんな言葉がするりと出てきた。
 赤い仮面をつけている少女はセーラーVであった。
 それを意識すると、セーラームーンはこれまでの経緯を思い出してきた。自分はセーラーVの助けに入ったが、油断から敵に返り討ちにあったはずであった。
「あ……」
 そうだ。いま自分がその存在を確かめている男性の声――聞き覚えのあるはずである。
 そう思っているうちに、男性の顔が徐々にセーラームーンの瞳に見えるようになってきた。
 蒼い惑星(ほし)――地球を思わせる群青の瞳。宇宙(そら)と同じく漆黒のなかに煌きを放つ髪。豊穣な大地を連想させる艶やかでほどよく日に焼けた肌。
(カッコイイ――でも、この声……)
 判別できるまでになった相手の顔に、セーラームーンは思わず心の中で感嘆の声をあげてしまったが、声で連想された相手の姿が思い起こされて、首をひねる。
(エンと同じ声……)
 そういえば、今朝の夢の声も、やけに大人びたトーンで喋るあのぬいぐるみ――エンと同じ声であったことを、セーラームーンは思い出した。

「うさぎちゃん」
 聞き覚えのある少女の声が、セーラームーンを現実に引き戻した。
 身体中がだるく、目を開けるのも億劫であったが、声の主は自分の身体を揺さぶってくる。いやに懸命であるし、声からセーラームーンが連想した相手ならば、恐縮至極の事態であると、はっきりしてきた頭が彼女に告げる。
 セーラームーンは目を覚ますより早く、慌てて跳ね起きた。
 ガツン
 ガツン
 鈍い音が立続けに起こり、セーラームーンは頭に痛みを覚えて、起こした上体をそのまま前のめりにさせる。二連続で、何かに頭突きをくらわせたようであった。嫌な予感がして、おそるおそる顔を上げる。
「え……藍さんじゃない」
 セーラームーンは、目に飛びこんできた相手が予想していた人物と違ったことに、思わず呟く。
 だが、その言葉に、彼女の眼前にいて鼻柱を抑えていたセーラーマーキュリーが身を硬直させたことが、わかった。
「セーラーマーキュリー……どうして……」
 事態が掴めず、セーラームーンが周囲を見回すと、後ろでは、セーラーVが顔を背けて、顎を抑えている。呆れ顔のエンの顔も、目に映ってきた。
 それで、立続けに起きた鈍い音に伴う頭の痛みの原因は、セーラームーンにも理解できた。察するに、自分を覗き込むような姿勢をとっていたであろうマーキュリーとセーラーVに、跳ね起きた拍子に、頭突きをしてしまったらしい。
 それはともかく、何故セーラーマーキュリーがここにいる。
 首をかしげるセーラームーンに、セーラーマーキュリーはまだ赤いままの鼻柱から手を離し、着用していたゴーグルに手をかけ、額に上げた。
 間近で見た覚えのある深い湖に似た瞳の色。引き締まった顎をはじめとした凛々しい顔のつくり。髪の色こそ違うが、水野藍と同じとしか思えなかった。
 マーキュリーはひとつ溜息をついて、
「お察しのとおりよ、うさぎちゃん」
 マーキュリーの花弁のような形のよい唇から放たれた声は紛れもなく、水野藍のものであった。
「どうして、藍さんが……」
 疑問が先立つセーラームーンであったが、エンがそれを制した。
「いま、それを問答している暇はない」
「そう、貴女のおかげで、体力も回復した」
 セーラームーンの背後では、唇をきつく結んでセーラーVが立ち上がった。そして、セーラームーンとマーキュリーのふたりに視線を下ろすと、
「貴女たちは充分やってくれたわ。あとはあたしたちがカタをつける」
「美菜子っ」
 不意にエンが叫んだ。美菜子ことセーラーVはいちはやく、その意味を察し、利き手にエナジーを集中させると共に、エンの視線の先に、己の視線も転じる。
 霧の中から紅蓮の棍が振り下ろされてきたのと、セーラーVがエナジーで錬成した槍を構えたのは同時であった。
 セーラーVの槍が棍をかろうじて受け止める。
 棍を振り下ろしてきたのは、言わずと知れたインフェルノであった。が、闇水晶が表出した額を抑えながら、苦悶の表情を浮かべている。
 その苦悶の怒りか、棍は高熱を発する余り、火に包まれている。
「霧で、音も視界も断たれているはずなのに」
 マーキュリーが動揺して呟く。
 横にいるエンが鋭い視線でインフェルノの闇水晶を捉えながら言った。予想していたことを窺わせる平坦な口調で。
「セーラームーンのヒーリングで立ち上ったエナジーを察するなど、奴にはたやすい」
 マーキュリーは悔しそうに歯を噛み締めた。ゴーグル――センサーアイをかけ直す。
 アクアとの闘いで、最初に不意打ちを受けたときと同じミスを犯してしまった。一時的とはいえ、センサーアイを外したことで、周囲への注意が回らなくなっていた。エナジー反応にすら敏感に感知するセンサーアイが宝の持ち腐れである。
「なら、火には水!あたしもっ!」
 プライドにまたもや傷をつけられ、マーキュリーは血気に逸り、身を乗り出すが、エンはマーキュリーの頭上に飛び乗り、それを制する。
「能力だけではなく冷静さを失っている、君にはまだ無理だ」
 頭に飛び乗られたことに、いささか毒気を抜かれた面持ちで、マーキュリーは言葉をつぐむ。
「藍さん……」
 いつのまにか彼女の隣に来ていたセーラームーンが気遣うように声をかけ、手を握りしめた。伝わって来る温もりが不思議にマーキュリーを落ち着かせる。
 同時に霧が引いていくことを確認するやエンは、セーラーVとインフェルノの闘いの場に目を向けると同時に跳躍する。
「エン」
 セーラームーンとマーキュリーは同時に叫ぶ。
 そのふたりの視線の先で、エンはインフェルノの顔面に体当たりを敢行していた。
 インフェルノは思わず鼻っ柱を抑えてのけぞると、エンは間隙を入れず、彼の額に飛びかかり、ダイレクトに闇水晶にその小さな爪を立てる。
「があああああ」
 エンの小さな爪に対しては大袈裟な悲鳴をあげて、インフェルノはよろめきながら、エンを払いのけようとするが、エンは機敏にかわし、セーラーVの肩に着地する。セーラーVはその隙にインフェルノから距離をとって体勢を整え直す。
「やるじゃない、エン。さあてそれじゃあ、このまま一気にゴールドクィーンビーズスピアでカタつけてやるわ」
 意気込むセーラーVに、エンは意外な言葉を発した。
「いくら弱っても、あいつは正攻法で容易に勝てる相手じゃない。むしろ下手に追いこんだほうが危険だ。俺に任せてくれないか」
 そう囁いたエンは、地面に降り立つ。一瞬、呆気にとられたセーラーVが慌てて、エンを引き止めようとすると、エンはインフェルノに向かって悠然と歩いていきながら、彼女をはじめとしてセーラームーンたちにも告げる。
「インフェルノひとりに構って時間を潰すより、ここやほかの場所の妖魔の浄化に当たるんだ。マーキュリーのサーチと、セーラームーンのヒーリングがあれば可能だ」
「だ、だからって――」
 納得がいかず食い下がろうとするセーラーVを無視するかのように、エンは声をあげた。
「セーラームーン!」
「は、はいっ」
 ついさっき会ったばかりなのに、懐かしさすら覚える声にセーラームーンは思わず返事をして身を硬くする。久しぶり過ぎて、そして、待ち焦がれたあまり、身体が緊張しているようであった。何故、そう感じるのかセーラームーン自身わからなかったが……。
「セーラーVを頼む。人を大切に思いやる気持ちが、君の能力を発動させるはずだ」
 エンは背を向けたままであったが、その一瞬、セーラームーンには別の人間の姿がだぶって見えた気がした。不思議な説得力を与える面影であった。
「はい」
 自分の「ヒーリング」という能力はよく把握できていないが、それでもエンを信じてやってみるしかない。
 セーラームーンは隣のマーキュリーに目配せする。マーキュリーは唇を結びうなづきを返した。
「セーラーV」
「わかってる」
 位置関係上、セーラームーンたちに背を向けていたセーラーVはそのまま、セーラームーンの呼びかけに応じる。
 彼女の手にあったゴールドクィーンビーズスピアは瞬時に霧散し、代わりに黄金の鎖が握られ、
その一端が、闇水晶への攻撃に呻きながら、セーラー戦士たちの動きを見逃さず阻止せんと、棍を元の鞭状に戻して振り上げたインフェルノに襲いかかり、彼をひるませる。
「まずは、あたしが、この場の妖魔のカタをつける」
 数本に枝分かれした鎖――チェーンヒドラバインドが再度妖魔を拘束していく。
 前回とはうってかわって妖気を打ち消さんばかりにエナジーが充填された鎖である。
 それを察したインフェルノは、舌打ちをして、踏み出すが、それを足元まで接近していたエンが牽制した。
「ここまで接近を許すとは……隙だらけだぞ、インフェルノ」
「そんな姿で、なめた口を……」
 インフェルノは眉間に皺を寄せながら、怒りに声すら震わせる。
 直後、インフェルノはさらに激しい頭痛に襲われた。エンの声が脳裏をこだまする。
「な、何だ……こ、これは……」
 エンの声と共に、覚えていないはずの光景が切れ切れに浮かび上がる。誰かの顔が見えた。
 インフェルノは息を荒くしながら、エンを見据える。
 エンも真っ向から視線を向け、互いの視線が交錯した。
 エンの眼差しに、インフェルノは見覚えがあった。指導者たる牽引力を示すかのような蒼い星を宿した瞳。インフェルノは激しい頭痛に、低く唸りながら呟いた。
「エ……エンディ……ミオ……ン」

 チェーンヒドラバインドに捕縛された妖魔たちから、悪霊が退散するかのように、煙が吹きあがり、天に上りながら、風にかき消されていく。煙が晴れたあとには、倒れているはいるものの人間の姿に戻ったことが確認できた。
 しかし、人が倒れていることを見なれていないセーラームーンは不安顔で、倒れている人々に走り寄る。その背中に、マーキュリーが冷静な声をかける。
「大丈夫よ、生命反応そのものに異常はないわ」
 マーキュリーのセンサーアイを疑うと言ったら語弊があるが、それでも、セーラームーンは自分で確かめないと納得がいかなかった。
 気を失っている犠牲者のひとりの脈をとって、ようやく彼女は安堵の表情を浮かべる。
「あたしの言うこと信用ないのかなあ」
 マーキュリーはそんなセーラームーンの横に立って、わざとらしく拗ねた顔を彼女に寄せて言うと、セーラームーンは慌てる。
 予想どおりの反応に、マーキュリーは満足したりするが、セーラームーンが手をとった犠牲者の表情に精気が戻っていることに気づき、眉をひそめる。先ほどまで、妖魔化の影響で血の気が失われたような衰弱した肌の色をしていたのに。
 エンの言った「ヒーリング」という言葉を思い出し、マーキュリーは息を呑む。
(さっきといい、意識すらせず、これほどのことを……)
「これが“浄化”なのね」
 セーラームーンがセーラーVの能力に感心したように呟いても、彼女の能力に気をとられていたマーキュリーは間を外して、訊き返す。
「えっ」
「セーラーVちゃんの浄化能力、凄いってハナシ。疲れてないかな?」
 今度はセーラーVを不安そうに見て、セーラームーンは立ち上がる。
 既にセンサーアイで周囲の状況を把握していたマーキュリーは、セーラームーンの言葉に我に返り、セーラームーンを促す。
「彼女も疲れているわ、うさぎちゃん。貴女なら、その手を握ってあげるだけでも充分のはず」
 セーラームーンはピンと来ないようであったが、うなずいて、セーラーVに走り寄る。
 浄化を終えたセーラーVは背筋を伸ばし、気丈な構えを装いながら呼吸を整えながら、エンとインフェルノの小競り合いが別の局面を迎えたことを察し、気を取られていた。
 自分が近づいても気づかない様子のセーラーVに、彼女の視線の先を追い、セーラームーンもふたりの様子がおかしいことに気づく。

「インフェルノ、わかるのか、俺が?」
 エンは間合いを徐々に狭めながら、インフェルノに問う。それでも、一歩前進の度に、どの方向にでも跳躍できる体勢をとっている。
 インフェルノの手から鞭が落ち、彼は両膝をついて頭を抱えながらうずくまる。呻きも掠れて、声にならないようであった。唾液が口許から溢れる。
「インフェルノ……」
 エンは憐憫の眼差しをインフェルノに向けていたが、チラリと後方のセーラーVたちに強い意志を感じさせる一瞥を投げると、眼差しを前方に戻した。
「どうする、セーラーV」
 エンの意志はセーラー戦士たちに伝わっていた。
 セーラーVの手をとって、セーラームーンは彼女に問う。セーラーVの強気な態度とは裏腹に、エンを気にかけていることを察して。
 マーキュリーが自分の手のひらに“清流”を拵え、それをセンサーアイで分析しながら、セーラームーンの言葉を次ぐ。
「あたしにも、浄化は何とかなりそう。貴女はパートナーを手伝っても……」
 マーキュリーも、セーラームーンも、エンの言い分の有効性は認めても、いざと立ち去るとなるとぬいぐるみ姿のエンを不安視してしまう。自分たちより、パートナーとして彼を知るセーラーVに判断を仰ぐ形となった。
 セーラーVはぎゅっと目をつぶって俯く。彼女は手を握ってくれていたセーラームーンの手を思わず握りしめていた。
 痛みを覚えたセーラームーンであったが、これまで確証が持てなかったセーラーVの感情の高まりとして好ましく感じ、もう片方の手も上から重ねた。
 うっすらと銀色の光が、そこに点った。
「あたしは――」
 セーラーVが口を開いたとき、黒いスパーク状の光がインフェルノたちのほうから周囲に走った。一同は瞠目して目を向ける。
 インフェルノは絶叫していた。しかし、それは声にならない。
 額の闇水晶が脈打つように、黒くスパークし、その余波に周りが破壊される。瞳の色が目まぐるしく変わる。
 スパークをかわしながら、見かねたエンは叫んだ。
「思い出せ、インフェルノ!お前は――」
 エンの叫びに応えたインフェルノの眼差しには、これまでの彼の心情を物語るような頑なさはなく、救いを求める色を帯びているようにエンには見えた。そして、次の一言が、また彼の耳に届いた。
「エ……ディ……ミ、オ……」
 荒い息の中で、切れ切れながらも、インフェルノが自分(・・)を呼んでいることをエンは聞き取る。
 インフェルノの額にある闇水晶が彼を洗脳していることは明らかである。エンの呼びかけに反応を示すインフェルノに、闇水晶は支配力を強め、反発が起きているのである。その副産物が黒いスパーク状のエナジーなのであろう。
 エンは一転してスパークの間隙を縫って、闇水晶めがけ飛びかかった。インフェルノ独りで闇水晶の精神支配に抵抗し苦しんでいることを見かねてであったが……。
 そのエンの行動に反応したかのように、これまでのスパークの比ではない黒い雷が闇水晶から迸り、エンを吹き飛ばすと同時に、その光の残滓がインフェルノの身体を絡め取る。
 感電したかのように焦げた身体を反転させ、着地したエンであったが、顔を上げるなり、炎の鞭が再び彼を弾き飛ばす。
「エンっ」
 セーラーVたちが悲鳴に似た声をあげた。
 炎の鞭を再度手に取ったインフェルノの目は常軌を逸していた。獣のような雄叫びをあげて、エンに襲いかかる。
「や、やめてええ」 
 たまらずセーラーVがセーラームーンの手をふりほどいて、地を蹴った。彼女の手には錬金のエナジーが集中する。
 が、それよりも、硬質化させて棍をふりかざしたインフェルノの攻撃のほうが早かった。
 動作にキレを失ったエンめがけて、真っ赤に燃え上がった棍が投げつけられる。
(駄目、駄目ええっっ!あたしからこれ以上、大切な人を奪わないで)
 セーラーVの心の叫びをセーラームーンは聞いた気がした。その瞬間、彼女の目に飛び込んで来た光景は、逃げるにも防ぐにも間に合わないと判断したセーラーVが、エンを抱きかかえて彼を棍から庇う姿であった。
 このままでは串刺しになる。
「やめ――」
 マーキュリーが言いかけたことを、セーラームーンも頭で考えるより先に念じた。
 やめて、と。
 それは、セーラーVの先ほどからの想い。そして、自らの身代わりにならんとするセーラーVの行動に対するエンの想いとも一致した。
 間近に迫る棍に、セーラーVが目をつむったとき、彼女の胸で銀色の光が大きく膨れ上がった。
 ――棍に貫かれたと思ったが、何事も起こらない。いや、変化を起きていた。抱きかかえていたはずのエンの身体が……。
 目を開けたセーラーVの目に映ったものは、逆に彼女を抱きとめて、棍を片手で受け止める少年の姿であった。
 自分より年上のその少年の姿を、セーラーVは知っていた。
 そして、セーラームーンも。
「エ、エンが夢で見たカッコイイ人になった……」
 セーラームーンは唖然としながら、ひとりごちる。
 マーキュリーも呆気にとられた表情である。ただ、彼女はセンサーアイで、いまの一瞬にセーラーVの胸に、強大なエナジー反応があったことを確認していた。そのエナジーがエンの身体を人間体にしたに違いなかった。
「あたしが探すクリスタル……なの?あの力も……」

 エンが本来の姿に戻ったことを、セーラーVは彼の身体に触れながら実感する。それでも、動揺は隠せなかった。
 エンはそんな彼女をいたわるように、彼女を抱き寄せて、共に立ち上がる。
「セーラーV、お前の力だ。お前が銀水晶を発動させたおかげだ」
 セーラーVはエンの言葉が信じられなかった。体内にある銀水晶を確かめるように、胸に手を当てる。
(あたしの……力……?)
 他者の力が働いて、銀水晶の力を引き出したように思えた。実感が沸かないのも、自分の身体はそれに従って、力を開放しただけだからのような気がする。
 腕のなかで呆然としているセーラーVから手を離すと、エンは独白気味に言う。
「この姿でいられるのも、そう長くはないようだからな」
 エンのその姿に自失しているかのように立ちすくんでいるインフェルノを見据える。
「心配かけてすまなかった……今度こそ大丈夫だ」
 エンはそう言ってセーラーVに笑いかけると、インフェルノへと歩みを進める。
 その微笑がひどく悲しげに、セーラーVには見えた。彼の本来の名を口にしていた。その覚悟を感じ取って、その覚悟に見合う正統な彼の名を。
「エンディミオン」
 期せずして、インフェルノもその名を呟く。
 額の闇水晶はまたもスパークしたかと思うと、彼の頭中に収まる。血走った眼がエン――エンディミオンに向けられる。
「エンディミオン……貴方がいるだけで、私はおかしくなる。この場で処刑する」
 乱れた呼吸のなかで、インフェルノは押し出すように言うと、身を低くする。武器を失ったが、彼の手刀に、黒いオーラが纏われる。
 それを認め、エンディミオンはインフェルノから奪った鞭を投げ捨てる。
「そうだな……汚れ役になりたくないなど、虫が良すぎた……」
 そう吐き捨てるかのように言うと、エンディミオンは己の後ろ髪を手櫛で梳くようにして、一輪の薔薇を取り出す。すると、その薔薇の(いばら)が急激に伸びていき、一本の剣のように集束され、彼の手に固定される。
「……死刃薇(しにばら)
 エンディミオンがそうぽつりとこぼすと、瞬時にインフェルノの眼前に迫り、振り上げた死刃薇を、インフェルノの頭上から振り下ろした。
 セーラームーンは上ずった声をあげて、己の手で視界を遮る。
 セーラーVは唇をきつく結んで、その光景から逃げようとしない。
 マーキュリーも思わず目を背けようとしたが、センサーアイが異常を感知し、エンディミオンたちのほうに向き直ると同時に、叫んだ。
「空間に歪み!別の敵が――」
 エンディミオンとインフェルノの両者の間に生じた空間の歪みから現れた手が、エンディミオンの荊を束ねた剣――死刃薇を受け止めていた。
 その手に続いて、乱入者がその全貌を見せる。
 黒い髪と白いマントのモノトーンが印象的な男。一見高い鼻梁がすっと通る知的な顔立ちの一方で、猛禽類を思わせるぎらついた瞳をしている。
 また、その腕には思いのほか筋肉の張りがあり、マントでわかりづらいが、肩も広いしっかりした体格の持ち主のようであった。
「メタルス」
 エンディミオンは感情を抑えたような低い声で、インフェルノは苦々しげに、彼の名を呟いた。
「あれを手で受け止めた!?」
「違う。手に何本もの針みたいなものが並んでいる、それが死刃薇の切れ味を殺したんだわ」
 マーキュリーの驚きに、三者の対峙に目を離さずにいたセーラーVが答えた。
 メタルスと呼ばれた男の手のひらに、指先に平行して、むしろ針というより金属製の串のようなものが隙間なく並んでいた。この強固な密集結合で、エンディミオンの攻撃を受けきったのである。
「久しぶりだね、エンディミオン。君の魂が、あんな形で我々の手から逃れていたとは思わなかった」
「ならば、封じ直してみるか?お前がっ」
 エンディミオンはメタルスにそう叫んで、飛び退くと同時にマントを広げた。
 時期遅れの桜が舞った。――桜吹雪。
「綺麗……」
裂螺吹雪(さくらふぶき)かっ!?」
 見た目の感想を素直に口にしたセーラームーンに対し、メタルスは桜の花びらがカッターの刃と形容できる凶器と化していることを見破った。いや、知っていたと言うべきか。
 その桜の花びらが渦を成して、メタルスとインフェルノを襲った。
 その瞬間、メタルスたちの姿は空間に溶け込むように消えていった。
「インフェルノが相当の手傷を負っている様子……ここは退くよ」
 そんなメタルスの声が聞こえた。
 セーラームーンは当面の敵が撤退したことに、ホッと胸を撫で下ろす。
 マーキュリーはセンサーアイのフレーム横にちょこんと突き出ているつまみを回しながら、周囲を見回す。
「妖気の反応も、全て消えたわ。他所(ほか)で、妖魔化した人々も元に戻ったはずよ」
 センサーアイのサーチ範囲を拡大して確認したあたりが、目先のことで頭がいっぱいになりがちなセーラームーンと比べて、マーキュリーがしっかりしていることを窺わせる。
 ここで、セーラーVも安心する。
「エンディミオン……」
と声をかけたときであった。彼の身体から銀色の光が霧散した。エンディミオンの身体はしぼむように縮まり、ぬいぐるみのエンの姿に戻ってしまった。
 一同が駆け寄り、セーラーVがエンをそっと抱き上げる。
「もう元の姿に……」
「仕方がない。本来の身体は奴等に奪われたままだ」
 エンの顔が心なし安堵したようにセーラームーン、マーキュリーには見えた。故に、その疑問が口に出た。
「奴等って何者!?妖魔、闇水晶……あたしたちの敵って何なの!?」
 セーラーVはふたりに目を合わせようとしなかったが、エンが固い表情のまま顔を上げ、口を開いた。
「ミネルヴァ……それが、俺たちの倒さねばならない女性……妖魔の女王の名だ……」