ACT4 月の光に導かれ  (Part4)

「メタモルフォーゼ」
 兎和が試しに唱えると、ペンの三日月が銀色に光った。それを確認すると、エンは兎和の肩から藍の肩へ跳び移る。
 兎和は瞬間的に、その光に見入る。頭がズキズキ痛んだ。何かを思い出しそうな……。
 頭だけではない。身体中が悲鳴をあげ始めた。夢ではない。全身の血が逆流しているような軋みを兎和は感じた。夢なら、こんなに痛くない。
 短い呻き声を洩らし、兎和はその場にうずくまった。痛みに呼応するかのように、ペンの銀光はグングン強まっていく。
「闘える姿をイメージしろ!普通の身体のままでは、耐え切れないぞ」
 痛みの中で、怒鳴っているようなエンの声が聞こえた。そういえば、闘いやすい格好と先ほども言っていた。身体がはちきれそうな痛みに途切れつつあった思考を、兎和はフル回転させる。
「そう言ったって……っっ」
 格闘技の経験もない自分の闘う姿というのは想像し難いものがあった。ましてや今のような状況で。
(どうにでもなれっ!)
 自棄気味になった兎和は、先刻目にした、とある姿が思い出され、それをペンに念じた。
 輝きは一気に膨れ上がり、兎和の全身を包んだ。今までの激痛が嘘のように消えた。まるでウォーターベッドに横たわっているような感覚に浸る兎和は、自分の服が光の粒子に転じ、別の制服に再構成されていくのを、他人事のように見ていた。
 実際には、ペンが銀の輝きを放ってから、その光を収束させるまで、三十秒もかからなかった。
 銀光は、兎和の額にかかる三日月型の飾りに吸収されていった。吸収されていく光に比例するかのように、兎和の瞳、髪の色が銀色に染まっていく。
 変化が収まったとき、藍とエンの目の前には、セーラーVと同型のセーラー服を纏った銀髪、銀眼の兎和が立っていた。ただ、カラーに入るラインとスカートの色が普段の兎和の制服と同じ紺である。
「あたしと同じ……」
 藍は思わず呟いていた。セーラーVとも同じデザインということは、マーキュリーとも同じということである。それだけではない、彼女の銀色の髪と瞳に、藍は懐かしさがこみ上げてきて、それ以上言葉が出て来ない。
 その呟きを逃さなかったように、エンは藍の耳元で囁いた。
「懐かしいな、銀河の海を渡る使命を担っていた頃の君の装束だ……君とセーラーVに続く新たなセーラー戦士(ソルジャー)の誕生だ」
 藍はエンの言葉の意味をわかりかねて、自分の肩に乗る彼に目を向けたが、既に彼は兎和の足元へ歩み寄っていた。
 兎和は自分の変貌にすっかり混乱していた。藍とエンのそんなやりとりなど一切眼中になかった。お団子から垂れる銀髪をつまんでまじまじ見ているかと思えば、指を袖口、胸のリボン、スカートの裾へと移し、改めて現実であるかを確かめているようである。
「君は……セ、そう、コードネーム・セーラームーンだ。今回俺が君をサポートする、セーラーVを助けに行ってくれ」 
 エンが兎和――セーラームーンの肩に跳び乗って、混乱気味の彼女を急かした。
 エンはセーラームーンの顔すら見ずに、彼女たちがやってきた方向――セーラーVと妖魔が闘っている場所、ただ一点を見据えていた。
(本当に心配しているんだ)
 勝手に助太刀を頼んで、こっちのことはおかまいなしという態度は正直気に障った。しかし、それ以上に、セーラーVを心配している真摯なエンの眼差しが、セーラームーンとしての兎和の決意を促した。
「頼む」
 エンがその一言を発したときには、セーラームーンはセーラーVを助けるべく、駆け出していた。その場に残された藍の目には、セーラームーンが消えたようにしか見えないスピードで。
 セーラームーン自身、自分の人間離れした脚力に、再度混乱していた。
「な、なになに、何なのよ。これ(・・)っ」
 走っているというより、飛んでいるという感覚に近い。身体に漲るパワーを示すかのように、一歩一歩のステップが文字通り飛んでいるように大きい。このまま飛べるような錯覚にすら襲われる。いや、錯覚ではなく――
(――飛べるかも)
 いちいち地に足をつけることが無駄な作業に思えた。一刻も早く、セーラーVを助けに行かなければならないという使命感と、目の当たりにした自分のパワーによる昂揚感が、セーラームーンを混乱から発想の転換へと導く。
 今の自分は卯之花兎和ではなくセーラームーンだと割り切って、新たに力強い一歩で地を蹴る。
 セーラームーンはそのまま飛ぶことを意識した。重力の規制から解放されたように、彼女の身体は宙へと舞い上がった。
 そんな能力(ちから)は彼女にとって、ごく一部にしかすぎない。エンは、猛スピードで飛行する彼女の肩にしがみつきながら、冷静に物事を見極めていた。
 変身しなければ、身体がついていけないほどのエナジー。
 このエナジーを暴走させることなく、セーラーVの援護にあてがうことが自分の役目だ。
 エンは胸中で、セーラームーンを戦力として投入することのリスクを、改めて噛み締めていた。
 だが、それも、彼は納得した上での決断である。美菜子(・・・)がこれまで独りで闘ってきた理由を知る彼にとって、美菜子がどんな想いで闘ってきたかを知る彼にとって、苦渋の決断ではあったが。
 このまま美菜子を見殺しにするよりは、ずっとマシだ、と。

 妖魔たちは、衝動のまま人々を襲い始めた――かに見えた。しかし、黄金の鎖が彼らの足に絡みつき、動くことを制した。鎖は蛇のごとく、生き物のように妖魔の自由を絡め取っていく。
「これはっ」
 インフェルノは倒れているセーラーVに目を見張る。
 彼女は泥に汚れながらも凛々しい眼差しをインフェルノに返し、片膝をついたままとはいえ起き上がる。その手には数本の黄金の鎖が握られていた。
「チェーンヒドラバインド」
 セーラーVは静かに先刻から妖魔の動きを封じている技の名を呟き、口許に笑みを浮かべる。
「そうやすやすと、エナジーを奪わせるわけにはいかないのよ」
 セーラーVを見下ろしていたインフェルノは、勢いよく髪を振り上げ、顎をセ−ラーVに向けながら、右手にある鞭の柄の部分で自らの肩を叩く。
 そんなインフェルノの挙動にセーラーVは警戒心を強め、目を離すことなく体勢を立て直そうとした。そのとき、警戒していたにも関わらず、彼女の後方から鞭の先端が襲いかかって来た。
「そ、そんなっ」
 首を締めつける鞭を引き離そうともがきながらセーラーVは後ろに目をやる。インフェルノの鞭は地中を掘り進み、地面から突き立つようにして彼女の首を締めつけていたのである。しかも、地中を掘り進むという芸当を可能にしたのが――。
 シュウウウ
 セーラーVの手からはきな臭い音と煙が立った。同時に肉が焼ける臭い。
 インフェルノの鞭は高熱を発していた。セーラースーツの防御能力がなければ、発火しかねないほどである。その防御力があってこそ、セーラーVの首筋も今のところ焦げる程度で済んでいるが……。それでも、並の精神力では耐え切れない激痛であった。それでも、彼女はチェーンヒドラバインドを手放さない。
「君の鎖に妖魔の浄化作用があることはわかる。そうでなければ、君の細腕で五体もの妖魔を束縛などできない。それでも、本来なら、既に妖魔の浄化は済んでいるはず……」
 インフェルノはセーラーVに歩み寄り、彼女の苦悶の表情を観察するように顔を寄せて呟く。
 彼の言うとおりであった。チェーンヒドラバインドは本来の、妖魔化した人間をもとに戻す効果を発揮していない。妖魔を捕まえておくことで精一杯であった。
(アクアとの闘いで、本調子でないということか)
 彼は複雑な思いでセーラーVから顔を離す。
「このままでも、我が鞭の高熱は君の防御力の限界を越え、君を焼き殺すのも可能だろう。しかし、可憐だけではない気丈な美少女としての君に敬意を表し――」
 そう言ったインフェルノは、マントを翻して、鞭を持つ手をかざした。その手に力が入ったのがセーラーVにも見て取れた。
「ひとおもいに、君の首を締め折る」
 インフェルノが死の宣告を下し、鞭を持つ手を振り上げた。
 ひとつの鈍い音がした。セーラーVが両膝をつく。
 インフェルノも一瞬バランスを崩したような格好になる。鞭を引き締めようとした力が空回りしたのである。
 鞭が断たれていた。
 鞭を断ったものの正体をインフェルノは捉えていた。三日月型のブーメランである。上空を旋回し、持ち主のもとへと戻っていく。
 インフェルノはその先に視線を向けた。
 セーラーVも咳き込みながら、ついさっきまでの苦痛による涙がうっすらと残る瞳で、インフェルノの視線を追い、彼よりも先に、自分を助けた者の正体を認識した。
「どうして……どうして来たの……」
 独白する彼女の頬を涙が伝う。それが何を意味するのか彼女自身にもわからなかった。
 三日月型のブーメランは主人の元へ戻っていくと同時に、小さくなっていき、主人の額にかかる三日月型の飾りに重なる。
 そのまま、その乱入者は上空からふわりと着地すると、無言でつかつかとインフェルノに向かって歩いて行く。
 乱入者がセーラーVと同じような姿をしていると認めたインフェルノは、自慢するかのように束髪をなびかせ、肩をそびやかし、向き直す。
「仲間かっ!?」
「ホント信じらンないわ……」
 彼女は伏目がちのままインフェルノの前で立ち止まった。その肩に捕まっていた白猫のぬいぐるみ――エンがセーラーVに駆けつける。
「よってたかってひとりの女の子をいじめるなンて――」
 そう言葉を次いだセーラームーンが、インフェルノを睨み上げた瞬間、バンッという音が一面に響き、インフェルノが吹っ飛ばされていた。
 セーラームーンがインフェルノに平手打ちをくらわせた右手を握りしめ、仁王立ちになって言い放った。
「その根性、このコードネーム・セーラームーンがセーラーVちゃんに代わって、叩き直してあげるわっ!!」
 凛とした声が、セーラーVの胸中に懐かしく響いた。セーラーVは地についていた手で、そのままエンを指先で弾くようにしてこづいた。ばつの悪い顔をして、セーラームーンとセーラーVを交互に見やっていたエンは、きちんとセーラーVのほうに向き直った。
「セーラームーン……か。彼女、記憶は戻っていないのね」
 エンはうなずいた。
 セーラーVには、エンが自分に顔をあわせづらいことがわかっていた。わざわざ交互に自分と彼女に顔を向けるなんて仕草をとらずとも、エンならエナジーを察して状況を把握できる。
 エンとセーラーVは無言で視線を交わした。そして、セーラーVは手にする鎖を改めて握りしめると、空いている手の親指で妖魔たちを指す。
「あっちはあたしが抑えておく。エン……姉さん(・・・)をお願い」
 セーラーVの焦げついた手や、首筋に残る火傷の痕に、エンは顔をしかめながら首肯する。セーラーVの大事なもの、これまでの闘いで守ろうとしてきたものを、この戦場に呼んだ責任が彼にはあった。
 目に飛び込んできた光景に我を忘れて、怒りで思わずインフェルノをひっぱたいたまではよかったが、セーラームーンはインフェルノの攻撃をよけるのに精一杯であった。
 最初に鞭を切っておいたのが功を奏した。遠距離攻撃の手段を失ったインフェルノからできるだけ距離をとって攻め手を考える時間を稼ごうとするセーラームーンであったが、インフェルノはそんな暇を与えない。
 彼は、無駄のない動きに徹し、戦闘経験が皆無のセーラームーンを上回るスピードを最大限に活かし、瞬時に間合いを詰めて、オーラの漲る手刀を繰り出す。
「かよわい少女に、大の男がそんなにマジになって、何なのよお、あんた〜」
 背を向け、尻餅をつきながら、四つん這いになって、無様な格好をとろうともセーラームーンは、とにかくインフェルノの攻撃をかわす。
 彼女自身気づいていないが、本能が働くのか、よける一瞬だけ、スピードが極端に上がるのである。インフェルノはそれに気づいている故に、いまのセーラームーンの泣き言に舌を打つ。
(こちらの気も知らずに)
 馬鹿にされているかのように思えてくる。そのインフェルノの心の揺れが、攻撃を鈍らせたのを、ふたりの攻防に介入する隙を窺っていたエンは見逃さなかった。
「セーラームーン!クレッセントシューターだ!」
 セーラームーンは反射的に額の飾りに指を当てた。
「クレッセントシューター!!」
 セーラームーンの気合に似た叫びと共に、彼女の額の三日月から無数の光の三日月が発射される。要領は先ほどセーラーVを鞭から解放したときに掴んでいたので、発射は容易であった。
 インフェルノはマントで前面を覆い、直撃を避けようとしたが、三日月の光弾の威力は彼のマントを引き裂き、そのまま彼を弾き飛ばす。
「や、やった」
 三日月の光が弧を描き額の飾りに収まり、何事も起こらないことを確認して、セーラームーンはガッツポーズをとる。
「油断するな!」
 エンの声が飛んできたときは既に遅かった。インフェルノの鞭がセーラームーンの身体に巻きつき、宙に振り上げる。
 セーラームーンが目を離した一瞬に立ち上がったインフェルノは、ズタズタになったマントを投げ捨て、頭上でセーラームーンを振り回す。紅色のタキシードと形容できるような服装の各部に、血が滲んでいる。が、その膂力はダメージを感じさせない。
 インフェルノは冷笑する。
「我が鞭は伸縮自在。断たれたところで、影響はない。それで使用不能と判断するとは、やはり思慮の浅い子供だな」
「セーラームーン」
 エンとセーラーVが、振り回され悲鳴をあげるセーラームーンに声を荒げる。
 それと同時に、自分に飛びかかろうとするエンの機先を制し、インフェルノは、鞭の先端に縛りつけられているセーラームーンをハンマー代わりにして、彼女共々エンを地面に叩きつける。
「ぎゃっ」
 セーラームーンから短い苦痛の声が洩れた。
 見かねたセーラーVは、鎖を持たない空いている手にエナジーの光を集束させる。
 セーラーVの注意がセーラームーンに向いたことで、妖魔の拘束が弱まったことを見て取ったインフェルノは間髪を入れず指を鳴らし合図する。
 妖魔は揃って筋力を全開にし、逆にセーラーVを引き倒した。
 そこへ、続けてインフェルノの鞭から未だ解放されないセーラームーンの身体が振り下ろされた。
 その衝撃に、セーラーVは声も出せず、か細い息を口から押し出すのみであった。
 それでも、彼女は身体を反転させ、自分に重なるセーラームーンの状態を確認する。
 セーラーVがクッションの形となって、セーラームーンには打撃そのものから来るダメージはまだ浅い。しかし、振り回されたことで意識が混濁していることは、焦点の合わない視線から判断できた。
 インフェルノは、セーラームーンの束縛を解いた鞭を胸の前でビンッと伸ばした。オーラが漲り、鞭は一瞬にして硬質化し、棍となる。
 インフェルノは束髪をなびかせると、棍を携え、彼女たちへと歩を進めた。
 セーラーVはセーラームーンを庇うように、自らの上体をセーラームーンにかぶせるようにしながら、迫るインフェルノを睨みつける。
「大丈夫……貴女は死なせないから……」
 そんなセーラーVの掠れた声に、セーラームーンは無意識に反応し、手を目上にある彼女の首筋に伸ばしていた。

「な、なんで、あんなに頑張れるの……」
 先刻の戦場となった屋上から、この闘いの様子を窺っていた藍ことセーラーマーキュリーは、竦む足を我知らず叩きながら呟いていた。セーラーVの姿に、自分がもどかしくて、やるせなくてたまらなくなっていた。
 セーラームーンとなった兎和が心配で、来てみたものの――。
 むしろ兎和は自分より立派に闘った。闘いに圧倒され、戦場に踏み込めない自分と見比べると。
 そして、いま彼女たちを助けられるのは自分しかいない。それはわかっているのに。
 マーキュリーは目元を覆うゴーグルに手をやった。ゴーグルのフレームには機械が組み込まれているらしく、機械音を発しながら、レンズ部には何らかの表示が映っていた。
 そのとき、セーラームーンを必死になって守ろうとするセーラーVの姿を、マーキュリーは見たのである。
 セーラームーン――兎和がどこのどんな人間か知らなくても、必死に守ろうとしている。それに比べて、自分はどうだ。
「あたしは……誰……?」
 マーキュリーは自分に質してみた。一歩踏み出す理由を確かめようと。
(天下の水野藍)
 ハンバーガーショップでの波野少年の言葉が頭にリフレインした。それと同時に、波野マネージャーやスタッフが自分に寄せる期待、ファンの応援という重圧が思い起こされた。
 この場から逃げ出して、それに今後耐えられるものか!自分を認めてくれる、自分の居場所は、これまでも“DEAD or ALIVE”の世界にあったはずであろう。その世界で生き残る自信と矜持を取り戻さなくてならない。
「あたしは、天下の水野藍だ!」
 怪盗セーラーマーキュリーである以前に、水野藍として闘う理由を確かめた。
 ファンである兎和を見捨てて、『天下の水野藍』ではいられない。理由はそれで充分であった。

 突然、霧が発生した。
「な、何だと!?」
 かなりの濃霧である。突然発生するものとは考えられなかった。
 這うようにしてセーラーVとセーラームーンに向かっていたエンは汚れた顔をあげて瞠目する。この能力の持ち主を彼は知っていた。
 敵の姿が見失われることに気をとられ、咄嗟に棍を振り上げたインフェルノは、霧で視界が遮られていることもあって上空から自分めがけて襲いかかろうとしている者に気づかなかった。
 セーラーマーキュリーの手がインフェルノの額にかかった。
「あんたの頭にも、ほかの連中の手にある水晶と同じモノがある。それ、頂くわ!」
 インフェルノの額に収められているモノを狙いすました彼女の手は、彼女自身意識しないうちに、水に包まれ、清流のように流動していた。
 その水がほとばしった。ほとばしりながら、マーキュリーの手のひらにある「聖水」の浄化作用は、インフェルノの額から隠されていた「闇水晶」を表出させる。
「ぐわあああああっっ」
 インフェルノの悲鳴と同時に、闇水晶から黒い火花が弾ける。マーキュリーは聖水で火花を抑え込もうと試みたが、インフェルノは棍でマーキュリーを振り払う。
 インフェルノが空いた手で抑える額には、埋め込まれた形で、闇水晶があった。
 聖水でカバーした掌底で、棍の威力を受け流したマーキュリーは、身を翻しながら、妖魔の闇水晶の反応が弱まったことをキャッチする。同時に、霧の中で、セーラームーンたちの居場所も正確に把握していた。それは、彼女の目に装着されたゴーグル「センサーアイ」の働きによるところである。
 体勢を整え、マーキュリーはセーラームーンたちと互いを見止めることができる距離に着地する。セーラームーンとセーラーVの傍に寄り添うエンが申し訳なさそうに呟いた。
「マーキュリー、すまない。本当は君まで巻き込みたくはなかった」
 エンのぬいぐるみとしての身体に、打撃でいくつかのほころびができていることに気づき、マーキュリーは顔をしかめる。彼女はエンの謝罪の真意に気をかけることなく、エンを手のひらに持ち上げる。そして、ほかのふたりにも目を向け、気遣いの言葉をかける。
「貴方たちこそボロボロじゃないの」
「大丈夫よ、あたしは。それより、マーキュリー、あいつ――インフェルノは?」
 そう答えたのは、まだ意識混濁から脱け出せないセーラームーンを膝枕で休ませるセーラーVであった。口調の上では気丈を振舞っているが、彼女のほうが疲労の色が濃いのは、マーキュリーにも見て取れた。
「少しは時間を稼げるはず。こんな状況だし、逃げたほうが得策だと思うけど」
「駄目よ!」
 セーラーVは間を置かず、マーキュリーの提案を拒否する。
「こうしている間にも、ほかのところで妖魔化した人々が、エナジーを奪っているはず。マーキュリー、エン、貴女たちはセーラームーンをお願い」
「お、おい、美菜子、まさか」
 立ち上がろうとするセーラーVの横顔に悲壮な覚悟を見出したエンは不安にかられ、思わず本名で彼女を呼ぶ。
 そのとき、不意にセーラームーンがセーラーVの手を掴んで、彼女が立ちあがろうとするのを制した。
「……じゃない……んな……から……」
 セーラームーンの口許から細い呟きが洩れた。声が小さすぎて、よく聞き取れない。エンが彼女の口許に耳を寄せた。
「こんな痛い思いを……」
 先ほどから、セーラームーンは意識がはっきりしないというのに、セーラーVの首に残る火傷をいたわるように手をさしのべていた。そして、いまも、ぼんやりとした(まなこ)ながらも、セーラーVの焦げついた手のひらを見つめている。セーラーVの火傷を指しているのは容易にわかった。
「あたしが……助けてあげるからって言った(・・・)じゃない……貴女だけにこんな痛い思いを……させないから……」
 エンは瞠目した。続いて、セーラーV、マーキュリーも変化に気づき、目を見張る。
 セーラームーンの手の甲に、●を囲むような三日月のエンブレムが浮かび、三日月部が銀色の光を放ち始めたのである。その光はセーラーVを包み込む。傍にいるエン、マーキュリーもその光に温もりを覚えた。
「こ、これはっ!?」
 それだけではなかった。銀光に照らされたエンのほころんだ身体が治っていく。エンとマーキュリーは、セーラーVに目を向ける。痛々しい火傷の痕が徐々に消えていくではないか。
 セーラーVの火傷が完全に治癒したときには、エン、マーキュリーの身体にも疲労はなかった。
 が、同時にセーラーVの手をとっていたセーラームーンの力が緩み、手が地面に崩れ落ちた。瞼も力なく閉ざされる。
「セ――」
 セーラーVは言葉を失いながら、セーラームーンの身体を揺さぶった。
「うさぎちゃんっ」
 狼狽した様子で、セーラームーンの顔を食い入るように覗き込むマーキュリーの悲鳴にも似た声が、霧の中に響いた。