ACT2 セーラー服の少女たち  (Part2)

 雨雲に陽の光は遮られている。予報どおり、昼過ぎから降り始めた雨は徐々に強くなっている。
 セーラー服のスカートが雨交じりの風になびいて、
「梅雨の季節だものね」
 水色ショートカットヘアの少女は、手のひらにある宝石を、事も無げに弄びながらひとりごちる。
 一見不釣合いのようだが、滴を蓄え煌きを増す水色の髪と、深い湖のような瞳が醸し出す気品は、むしろ彼女の手にある宝石のほうが役不足のように思えるほどである。
 少女は、つい先日、15歳のバースデーパーティを、事務所の社長、マネージャー、スタッフに祝ってもらったことを思い出していた。自分の誕生日は、6月1日。6月といえば、梅雨の季節。
 誕生日を祝ってくれたことが嬉しくないといえば、嘘になる。今、自分の手中にある宝石より、ずっと嬉しかった。
 マネージャーの、勤勉なだけに自分を信用しきっている丸メガネ顔が思い出されて、彼の目を盗んで脱け出してきたことに、ちょっぴり罪悪感をおぼえながら、彼女は一歩踏み出す。
「もう戻るからね、波野さん」
 マネージャーの名前を口にしたときには、既に彼女の身体は宙を舞っていた。
 少女が先ほどまで立っていた場所は、ビルの屋上だった。そこから、地上に向かって「英国秘宝展」云々と書かれた垂幕が下がっていた。どうやら、そこのテナントの催し物らしい。
「待ちなさい! セーラーマーキュリー!!」
 屋上から、そんな甲高い声が響いた。
 自分の通り名を呼ばれ、落下中ながら少女は、額に上げていたゴーグルを正位置の目元に戻し、自分が降りた後の屋上を見返す。
 セーラーマーキュリーが予想していたとおりの相手がそこにいた。
「セーラーV……」
 金網から身を乗り出し、勢い余って落ちかけているところを、警官たちに捕まえてもらっている相手の名を呟くと、セーラーマーキュリーはほくそ笑み、地上数メートルのところで、自分が飛び降りたばかりの建物の壁を蹴り、跳ねた。
 そして、落下スピードを殺し、身を空中に浮かべて、街灯の上に着地すると、自分に気づいた通行人のざわめきをよそに、建物の壁や街灯を飛び移って去って行く。
 セーラーVが出てきたとなると、余裕ぶってグズグズしているわけにはいかない。そのことを、セーラーマーキュリーはわかっていた。
 ただ、自分も、セーラーVも、セーラー服をコスチュームにしていることから、親近感があった。それに、格好が似ているだけではない。彼女の内から感じる輝きに、自分が追い求めているものに近いモノを感じてもいた。
「彼女が持っているのかしらね。あたしのクリスタル……」
 結局、今回も自分の探す石ではなかった。ふと頭に浮かんだ可能性を口にしながら、セーラーマーキュリーは、本業の仕事場へと移動していた。
 ――彼女は気づいていなかった。
 セーラーVが追ってこないことに油断があったのであろうか。セーラーVとは異なる敵意をもった眼差しが、自分を追っていることを、セーラーマーキュリーは気づいていなかった。

「邪魔しないでよ」
 後に残されたセーラーVは、頭の後ろの真っ赤なリボンでまとめた金髪を振り回しながら、自分を取り巻く警官たちに文句をこぼしていた。
「あんたの無茶を止めたまでだ。あんまりな挨拶だな」
 群がる警官を掻き分けて、くたびれた鳶色のコートを着た中年男性が前に出てきた。周囲の警官から「警部」という呟きが洩れた。
 地肌がうっすら透けて見えるくらいに髪を短く刈上げ、言葉遣いとは裏腹に髭も綺麗に剃った顔は、セーラーVもよく知っている。地鎮――それが、眼前にいる警部の名前だと記憶している。
 怪盗セーラーマーキュリーがらみの事件は、地鎮警部に一任されているようであった。
「あたしを、そこらの女の子と一緒にしないでくれる。マーキュリーができたのなら、あたしにもできる」
「そこらへんなんだよな」
 地鎮警部は鷲鼻をフンフンさせながら、鳥が翼を広げた姿を模したようなアイマスクからのぞくセーラーVの瞳を、ねめつけるようにして言った。
「あんたの服装といい、今の「マーキュリーができたのなら、あたしにも」というセリフといい、あんたと怪盗セーラーマーキュリーは仲間内で茶番劇を演じているように思えるんだが」
 その言葉に、取り巻きの警官たちがどよめいた。
 セーラーVが朝焼けを連想させるような山吹色のラインの入ったセーラーカラーとスカートによるセーラー服なのに対し、セーラーマーキュリーは鮮やかな青。色の違いが印象的ではあるが、確かにふたりのコスチュームはよく似ているのである。
 ただ、これまで警察に協力して事件を解決してきたセーラーVと、警察を虚仮にして巷を騒がす怪盗とを、同列視したくないという心理があったのであろう。警察内にも、セーラーVのファンは少なからず存在しているのであるから。
 セーラーVは黙って地鎮警部を見つめ返した。すると、不意に、煙幕が周囲に立ち込めた。
 地鎮警部は咳き込みながら、煙幕に目を凝らすが、セーラーVにも逃げられたことを悟らざるを得なかった。

「助かったわ、エン」
 屋上の煙幕が晴れた頃、セーラーマーキュリーにまんまと宝石を盗まれ、従業員、警察、野次馬でごったがえしている建物周辺を横目に、傘を持っていない片方の手のひらに乗る白猫のぬいぐるみに小声で語りかける少女がいた。
 彼女は、少し茶色がかったストレートの長髪を、セーラーVと同じ真っ赤なリボンでまとめていた。眼鏡もかけていたが、この少女に、特に人目を引くような特徴はなかった。
 ましてや、エンと呼ばれたぬいぐるみを気にかける人は皆無だった。ただでさえ、すぐそばのビルで噂の怪盗が出没したといって注目が集まっているのである。
 だから、気づかなかった。そのぬいぐるみがウィンクしたことを。
「あたしまで、国家権力ともめてるヒマはないものね」
 ぬいぐるみは、その言葉にうなづきまでみせる。
 そのぬいぐるみの額には、小さなガラス細工があった。今朝、兎和の頭上に落ちてきたぬいぐるみと同一であることを物語っている。しかも、このぬいぐるみが先刻の屋上で煙幕を張った張本人なのである。
 では、このぬいぐるみと話す少女の正体は――。
 少女は溜息混じりに、かけていた眼鏡のフレームを指先で突き上げる。そして、その瞳はレンズ越しにマーキュリーが去った先を見据えた。
「妖魔の気配はないよ、美菜子」
 少女の面前にあった手のひらから、その小さな肩に移動させられたぬいぐるみ――エンは少女の耳元でそう囁いて、彼女の名前を口にする。
 妖魔の気配を察知して、自分はここに辿り着き、またもやセーラーVとしてセーラーマーキュリーと会うことになった。美菜子は思考を巡らせる。
 これまでも、自分は、この手の事件でマーキュリーの追跡を試みている。しかし、今回は彼女が目的だったわけではない。――自分が追ってきた妖魔は、どこに消えた。
 眼鏡でカモフラージュされているというのか、つい見逃しがちな端正な顔立ちの口許を歪ませ、美菜子は唇を噛み締める。
「美菜子……」
 エンが美菜子の思考を察し、気遣うように名を囁いた。

 怪盗セーラーマーキュリーこと歌手・水野藍は、スタジオに戻り、作曲に専念するつもりだった。
 このトラブルが発生しなければ――。
 気功とでも呼べばいいのか。彼女の身体は得体の知れない圧力に吹き飛ばされていた。
 セーラー服の扮装を解いたところを狙われた。階下にスタジオがあるビルで、まさかこんなことになろうとは……。藍は予想していなかった。
 雨に濡れた屋上で倒れ伏しながら、藍は何とか頭を持ち上げ、自分を吹き飛ばしたであろう相手を見る。
 漆黒の逆立つ髪は、勢いを増して降りしきる雨すら寄せつけないように見えた。長身の身体を覆うマントから覗く屈強な右腕の手中には三叉の鉾がある。
 その男の姿を認めた瞬間、藍は己の心臓の鼓動が早まるのがわかった。
 既視感があった。このような状況に。そして、自分は、あの鉾に貫かれる。藍の心中には最悪な確信が生まれていた。
 男は倒れたままの藍の傍まで来ると、鉾を掲げた。
「助けて……死にたくないよ、あたし。こんなわけわかんないうちに……」
 眼前に迫った死を素直に受け入れられるほど、藍の心は強くなかった。首を上げる代わりに、震える声で懇願しながら、縋るように男の足に手をのばす。
 男の足に、藍の手が触れた瞬間、青白い閃光がふたりの間に走った。
 男は驚愕して飛び退く。
 藍自身、呆気に取られていた。青白い閃光は、自分の手に宿ったままかと思いきや、全身に巡っていく。心なしか、少し身体が軽くなった気がして、藍は立ち上がる。
 男に目をやると、男の胸元に、先ほどの青白い光が浮かび上がるようにして光っていた。目を凝らすと、その光が石をかたどっているように見える。

『奪われた貴女のスタークリスタルを取り戻しなさい。貴女たちの幸せを守るために』

 夢の中に現れる女神の告げた言葉が、藍の頭の中で繰り返された。この言葉に導かれ、自分は怪盗セーラーマーキュリーとしての姿と能力を得たのである。
「ひょっとして……貴方なわけ?あたしのクリスタル持ってるの?」
 男の目が驚いたかのように見開かれた。
 藍は、それが答えと判断した。
「そうよね、あたしのモノだから……あたしに力くれたのよね……」
 藍は、死の恐怖を振り切るように、自分に言い聞かせる。あのクリスタルを奪い返せば、起死回生の手段となり得る、と藍は己を鼓舞する。
「……メイクアップ!」
 それは、藍にとって一種の儀式であった。歌手・水野藍から怪盗・セーラーマーキュリーへと意識を別人に入れ替える自己暗示のための合図・かけ声と言えようか。
 藍の身体を青い光がほとばしり、その光で分解したかのように服が光の粒子となって、セーラー服と言って遜色のないコスチュームへと変化する。そして、全身を駆け巡った青い光が、彼女のショートの茶髪に宿り、水色に染め上げる。
 男は、胸の光を押さえ込むようにしてかき消すやいなや、変身を終えた藍ことマーキュリーに襲いかかって来た。突き出した鉾を、マーキュリーは足元の水溜りを壁のように反りかえして後方へ受け流す。
 水を操る能力――それがマーキュリーの能力。
 しかし、それでも水を固定するためかざしていた手に、衝撃が伝わって来る。先ほどの不意打ちでも、無意識ながら水で衝撃をやわらげていたのである。そうでなかったら、即死を改めて思わせる破壊力である。
 男は向き直って叫んだ。
「答えろ。お前は、俺の何を知っている!?」
 今度は鉾が中段に振り抜かれた。マーキュリーは身を翻して、それをかわすと、着地するなり地を蹴り、鉾の先が向こうを向いたままの男の懐に飛び込む。
「それはっ!こっちのセリフよッッ!!」
 身を翻していた時点から、彼女の手のひらに集約されていた雨が水の塊となって、高圧力で男の胸元で押し出された。
 バシュッ
 衝撃音と共に、男は後退したが、胸の前で鉾をかざしていた。間一髪、鉾でマーキュリーの手が直接胸元に入るのを遮っていたのである。
 マーキュリーは落胆していた。この相手は強い。体力が回復したところで、どうにかなる相手ではなかったことを、今更ながら思い知っていた。
「こっちは、貴方が何者かも知らないのよ。名乗るぐらいの礼儀はわきまえてほしいわね」
 気落ちしていることを悟られないように、マーキュリーは精一杯声を張り上げる。そして、逃げる隙を窺った。今の小競り合いで、スピード、身のこなしでは、さほど遅れをとっていないことがわかった。隙を突いて、逃げに徹すれば、逃げられなくはない。
 男は鼻で笑うようにして、鉾先をマーキュリーの首筋に向けて言う。
「……アクアだ……これから自分を葬る者の名も知らないというのも不憫。私の心が、お前の存在に共鳴していたものでな。気にかかっていたのだが……お前の息の根を止めれば、この胸騒ぎも止んで、任務に専念できるというもの!」
 言い終えた瞬間、アクアを名乗った男は鉾を投げつけていた。
「なっ!?」
 想定外であった。猛スピードで急襲してくる鉾を、何とかマーキュリーは横に倒れこむようにしてよける。
 が、背後にアクアが回りこんでいた。
 ドンッ
 マーキュリーはコンクリートの床に叩きつけられていた。その衝撃に、コンクリートすらヒビ割れている。
 マーキュリーがアクアに先ほどした水塊の攻撃を、そっくりそのままやり返されたのである。
 どういった素材かは判断しかねるが、自分の纏うセーラー服コスチュームの防御力に、マーキュリーは内心舌を巻いていた。普段着なら、今の攻撃で内臓破裂の即死ものである。素肌が露出しているように見える部分でも、変身途中に見える微細な光の粒子が肌を覆って守ってくれているようであった。
 けれど、同時に恨めしい。
「さっきまで(の普段着)なら、苦しまずに死ねたのに……」
 そんな物凄く後ろ向きな発想をしたとき、アクアの鉾の刃先がマーキュリーの首筋にあてられた。マーキュリーは思わず「ひっ」と上ずった声をあげる。
 ――その瞬間。
 突然横から金色の光が閃いた。マーキュリーがそう思った瞬間、アクアの鉾を持つ手が弾かれ、手を離れた鉾に、彼の手を弾いた鎖が巻きついた。
 マーキュリーの目に金色の光として映った黄金の鎖は、鉾を巻きつけたまま、持ち主の手元に戻っていく。
「あ、貴女は……」
 マーキュリーは鎖の戻った先を目で追いつつ、武器を失ったアクアから身を引きずるようにして離れる。
 アクアの関心は、既にマーキュリーにはなかった。
「話には聞いていた。我々の邪魔をする女がいると……仲間か?」
 アクアは、屋上の出入口小屋から飛び降りてきたセーラーVに言った。
 セーラーVはマスクの下から冷ややかにマーキュリーを一瞥すると、声高らかに言い放つ。
「そんな情けない人と一緒にしないでくれる。あたしが、貴方たち妖魔の仕置人、コードネーム・セーラーV!この地球に代わって成敗よっ!!」
 鉾を投げ捨てると、セーラーVの振り抜いた手元から、再び黄金の鎖がアクアめがけて襲いかかった。
 アクアはカッと目を大きく見開くと、足場を濡らす雨水に両手をつけ、眼前に鎖が迫ったところで、水でコーティングされた手をもって鎖を捕まえ、セーラーVを逆に引っ張り上げて、そのまま投げ飛ばす。
 身を翻して、マーキュリーの眼前に着地すると、セーラーVはアクアを睨み据えたまま、マーキュリーに言った。
「何をしているの。早く逃げるのよ。……これに懲りたら、もう泥棒なんてやめることね」
「ち、ちょっと待ってよ。いきなりそんなこと言われても――」
 そのとき、空中で雨が集まってできた巨大な水塊が、アクアが手を振り下ろすと同時に、マーキュリーとセーラーVの死角となった真上から彼女たちめがけて落下した。