Vol.1 スターズ結晶変
ACT1 日常 (Part1)
「何処にいる?君は今何処にいる?」
そんな声が少女の耳を打った。どこかで聞き覚えのある懐かしい声。
「あたしはここ!ここにいる!」
少女は声のするほうに手をのばした。ふたつの光が見えた。その光で目が眩んで、人影をはっきりと判別はできなかったが、互いの指先が触れた。
「やっと見つけた」
お互い、そう呟くなり、手をさらにのばし、指を絡め、それぞれの手を確認するように握りしめる。相手は若い男性のようであった。その胸元にある七色の光で、顔は判然としない。その傍らに、自分と同じような背格好――同年代と思われる、もうひとりの少女がいた。その少女の胸にも光――銀色の光が宿っていた。
「あたしが助けてあげるから」
男性に寄り添う少女の存在を認め、自分も意識しないうちに、そんな言葉が口から洩れた。
「うさぎぃ朝ごはんだぞ、早く食べないと遅刻するぞお」
そんな聞き覚えのありすぎる声が耳朶を打ってきた。自分の名を呼ばれたことを夢現ながらも認識し、彼女は自室の机に突っ伏しながら、脇の窓に掛かる花柄のカーテンをめくり上げる。
どんよりとした曇り空、今にも雨が降ってきそうなほどである。おかげで朝日の光も入ってこない。
いまの懐かしくもない父の声と、こうした状況を顧みて、自分が夢を見ていたことを理解する。
彼女の本名は卯之花( 兎和) ( という。幼馴染に、黄野) ( 輝鈴) ( という女の子がいて、彼女が生き物の名前だから自分も、と名前の“兎”の字から「うさぎ」を自らのあだ名に決めてしまった。以来、中学二年生になった現在でも、家庭) ( でも学校) ( でも「うさぎ」で呼ばれている。)
彼女は耳につけていたイヤホンを外し、そのイヤホンをつなげていたラジオの電源をOFFにすると、嘆息しながら机を立つ。
「今朝も挫折したんだろ、ねえちゃん」
いつのまにかドアから顔を出していた弟・駿が、決まり文句のように冷やかした。
「大体、小学校時代、遅刻しすぎて担任を泣かしたねえちゃんが、朝6時に英会話のラジオ聞くなんて無理無理〜♪」
言葉尻には節までつけられていたのが気に障ったが、小学校時代の苦い思い出を持ち出されると、言葉に詰まってしまう。それでも、負けじと言い返す。
「これでも、15分ぐらいまでは起きていられるようになったんだから」
本人としては、年度始めに、一念発起して英語のスキルを伸ばそうとN○Kの英会話ラジオを聞くようになって2ヶ月。15分ももたずに睡魔に襲われた当初に比べれば、格段の進歩のつもりなのだが。
駿はお手上げポーズをとって、やれやれと言わんばかりに首を横に振る。
「そーゆーの、五十歩百歩。もしくは、目くそ鼻くそを笑うって言うんだよ」
「それでも、朝食の時間に間に合うようになったのは、ラジオのおかげだな」
父・馬月( は食卓に朝食の品々を並べながら、髪を梳かしながら席につく兎和に目を細める。)
「おかげでママにも挨拶できる」
そう続けた父の視線に促され、兎和はダイニングルームの角に置かれたテレビ画面に目をやる。
――卯之花時子。某公共放送の朝のニュース番組で、母はアナウンサーとして、抑揚ある一方で流暢に、ニュースを読み上げていた。
「いただきまーす」
隣で、テレビ画面の母に向かって、駿が手を合わせて声をあげた。兎和も、馬月もつられるようにして「いただきます」と手を合わせる。
時子は某公共放送の人気アナウンサーである。もうすぐ40歳を迎えるはずなのだが、朝のニュースのリード役を任されている。女性ということを考えても、名実両方なければ任されることはない大役と、兎和は母を尊敬している。両親と面を向かって話したことはないが、自分が理想のアナウンサーとして目標にしているのは母・卯之花時子である。
それも、理解ある夫がいてのことなのであろうが。
兎和は向かいで、新聞を広げている父・馬月に視線を向けた。馬月は新聞を読みながら、レンジで温めた唐揚げを頬ばっている。
時子の時間が不規則なため、食事は、普通のサラリーマンをやっている馬月の担当になっている。
何気なく見た新聞の一面は、銀行強盗逮捕の記事が飾っていた。しかし、記事写真は見出しには似つかわしくないようなセーラー服の少女がメインを陣取っていた。
「すっごいわよねえ、セーラーV」
兎和は思わず感嘆の声を洩らしていた。耳ざとく駿が横から口を挟む。
「でも、うちのクラスじゃセーラーマーキュリーのほうが人気だぜ」
「おいおい、セーラーVならまだしも、泥棒に人気も何もあったものじゃないだろ」
と馬月は呆れたように駿をたしなめる。駿は肩をすくめた。
銀行強盗逮捕に協力したと記事にあるセーラーVは、兎和たちの暮らす東京で最近出没する、いわゆる“正義の味方”である。山吹色で彩られた四角襟のセーラー服、翼を広げた鳥を模したような赤いアイマスク、金髪という出立が報道映像・写真でもひときわ目立つ。彼女の名乗りである「コードネーム、セーラーV」は今年の流行語に選ばれそうな勢いである。
一方の、セーラーマーキュリーは宝石専門の怪盗である。しかも、一般に販売されているような宝石には目もくれず、秘宝扱いの展示品を専ら標的としている。いかに警備を厳重にしても、室内にでさえ霧を張って盗み出してしまう。セーラー服の少女という姿が度々目撃され、セーラーVよりも先に巷で話題となっていた。
怪盗セーラーマーキュリーがこれまで失敗したのは、セーラーVが駆けつけたとき一回のみである。このときの、ふたりのセーラー服の美少女揃い踏みが画的にもウケたのであろう。 現在、このふたりが、お互いにセーラー服の少女ということも手伝い、相乗効果で世間の注目の的となっている。
「セーラーVでも、マーキュリーは捕まえられないみたいだしさ」
駿は小声で兎和に嘯いた。駿もマーキュリー派のようである。マーキュリーが依然として盗みを続けているから、ふたりで話題性がもっているのは確かであろう。
が、兎和に、これ以上駿に付き合っている暇はなかった。
数学の宿題を、前述の幼馴染兼クラスメートの輝鈴に教えてもらわなくてはならなかったからである。数学が大の苦手の兎和は、もとから自分でやるつもりはなく、親友をあてにしていた。兎和は、数学に関しては「どーせわからないから」と開き直りに徹していたのである。これを兎和曰く「潔い」というらしい。
兎和はハムエッグを、ご飯に乗っけて一気に口に掻き込んだ。「年頃の娘のする食べ方じゃねえよなあ」と駿が呆れ顔で呟いても気に留めず、「ごちそうさまでした」と手を合わせると、兎和は急ぎ足で洗面所に向かう。
歯を磨くと、慣れた手つきでレモン色のパジャマから制服に着替え、自慢の長髪を頭の両脇で“お団子”にまとめる。ただ、全てまとめてしまうのではなく、一房ずつ髪を下ろしたままにしておくのがポイントである。
「いってきまーす」
駆け足で自宅のあるマンションを出た兎和の頭にポンッと何かが落ちてきた。そのまま、それは眼前を転がり落ちる。思わず出ていた両手でキャッチすると、それが手のひらサイズの白猫のぬいぐるみだったことがわかった。小さなガラス細工が額に埋まっている。
光の加減で、色が変化するガラス細工に、兎和は既視感があった。ちょっと考え込むと、不意に今朝見た夢に現れた男性の胸にあった光が思い起こされた。その瞬間、記憶がフィードバックしたかのように、妙な光景が兎和の脳裏に閃いた。
戦い――多くの死。そして、自らの死。
兎和は頭をブンブンと横に振って、気を取り直す。誰かが死ぬ夢なんて見たことあっただろうか、縁起でもない。
「ま、どーせ夢のことだしぃ」
兎和は独白して、階上のベランダを見上げた。マンションの住人が落としたと見るのが、ごく自然であるが、それらしき人影はない。
「しょうがないなあ」
兎和は駆け足でマンションに引き返すと、管理人にぬいぐるみを預け、再度急転回して、猛ダッシュで学校に向かった。
管理人に預けたぬいぐるみが、管理人が朝の清掃から管理人室に帰ってきたときには、室内から消えてしまったことなど、兎和は知る由もなかった。
「ほらほら、もうお昼よ、うさぎ。放送に遅れちゃうわよ」
兎和はそんな声と共に、身体をゆすられて目を覚ました。顔を上げると、ウェーブのかかった髪をリボンで束ねた、くりっとした大きな瞳が愛らしい同年代の少女の顔が目に入った。
「う〜ん、きりん、ありがとお」
寝ぼけ眼( をこすりながら机から身を起こして、兎和は幼馴染にお辞儀する。)
ここは、公立十番中学校2年2組の教室。どうやら、四時限目の数学は宿題を写させてもらったことに、すっかり安心して爆睡していたらしい。
宿題は写してくれるわ、昼の放送に間に合うように起こしてくれるわ、ホントに兎和は輝鈴に世話になりっぱなしである。兎和はそれなりに英語は好きであるから、代わりに英語の予習をしてこようと思っても、優等生の輝鈴は兎和よりも細部まで行き届いた予習をしてくるので、必要がない。無論、他の教科も同様である。
黄野輝鈴は、ホント自分に勿体無い友達である。と兎和はつくづく思わずにはいられない。
そう思う兎和は、自分が勉強・生活で心配かけどおしであったから、輝鈴がそれを補うように、ここまでしっかり者に育ったとは知る由もない。
「卯之花あ、水野藍の新曲頼むなあ」
廊下に出ようとする兎和にクラスの男子が声をかける。
「さあどうでしょうねえ、リクエストは公正に選ばれるから」
そう笑顔であしらった兎和は、放送室に向かった。兎和は放送部に在籍し、昼の校内放送のDJを務めていた。元来ノリがいいのも手伝って、意外と好評だったりする
「ま、波野が持って来ているよね」
足早に歩きながら、クラスメイトに言われた水野藍の新曲について兎和は独白した。
水野藍は昨年から一気にブレイクした人気アイドルである。15歳にして、作詞・作曲をこなし、欲求・疑問・感情を素直に表現するスタイルは、同年代の圧倒的支持を得てカリスマ化している。
兎和も、無論大好きである。
その水野藍のマネージャーの息子が、放送部に入ってきたことは、放送部内でも一部の者しか知らない。それが一年生の波野太一郎である。
波野は、父がマネージャーのパイプを活かして、水野藍の新曲を発売日前日には入手できる。が、発売日前から校内放送で新曲を流して、波野パイプラインの存在が他の生徒に知れてしまっては、収拾がつかなくなる。それほどの人気なのである、水野藍は。
クラスの男子と同様のリクエストは、ほかにも来ているであろう。
兎和が、ふと目をやった廊下の窓には、ぽつぽつと雨滴がつき始めていた。