セーラーヴァルカン


 不時着の衝撃は凄まじかったが、幸いにも皆無傷だった。セーラーノアがかなり気を遣って着地してくれたようだ。
「妙だな。〈ヴィルジニテ〉が追撃して来ない」
 てっきり頭上から砲弾の雨が降り注ぐと考えていたヴィクトールは、訝しそうに眉根を寄せた。
「ノア。敵の様子は分かるか?」
 素早くネフライトが訊いた。まずは周囲の状況を確認することが先決だ。
「〈ヴィルジニテ〉は、山の向こう側の湖に着水しました。今のところ、機甲兵団が出撃した様子はありません。〈ヴィルジニテ〉の横に巨大な飛空艇があります。地球製です。守護戦士はいない船です」
「映像を出せるか?」
「はい。ご覧ください」
 ジェラールの問いにセーラーノアは即座に答え、メインスクリーンに湖の映像を映し出した。岸に程近い場所に〈ヴィルジニテ〉が、そこからやや湖の奥に向かった場所に見覚えのある巨大戦艦の姿があった。
「あの巨大戦艦は!?」
 セーラームーンの目は、驚きのために見開かれる。
「知っているのか?」
「日本で戦ったわ。ここに来ていたのね………」
 ジェラールが目を向けると、セーラームーンは納得したように、二回程肯いた。あれは何だ、と言う視線を、クンツァイトがジェラールに向けた。
「要塞艦カテドラルだ。ブラッディ・クルセイダースを象徴する飛空艇だ」
「ルナを呼び出してくれ。一応、データと照合させる」
 アルテミスはセーラーノアに指示をした。程なく、サブスクリーンにルナの顔が映る。ネコではなく、人間の姿をしていた。
「データは一致したわ。間違いないわね。ブラッディ・クルセイダースの本拠地から移動した巨大戦艦だわ」
「そっちの状況に、変化はないか?」
「なびきとD・Jがそっちに向かったわ。もう到着している頃だと思うけど、接触してない?」
「まだ会ってないわ」
 そのルナの問いには、セーラームーンが答えた。聞き慣れない名前にヴィーナスとアルテミスが首を捻ったが、今は確認することをやめた。後程、セーラームーンから説明を受ければいいことだ。
「それとセーラームーン(うさぎちゃん)。その“ラピュタ”ってトコに、十中八九もなかたちがいるわ」
「本当!? ルナ!」
「間違いないわ。だから、なびきたちが向かったのよ」
「でも、どこに………」
「お話中にすみません、プリンセス。“ラピュタ”のものとは別文明の建造物を発見致しました。こちらでは?」
 セーラーノアは既に、“ラピュタ”の全てを調査していた。ルナの顔が映っているサブスクリーンの横にもうひとつスクリーンが出現し、映像が映し出された。十番病院だった。
「見付けたわ。ルナ」
「通信機は使えないわね………」
 いち早く通信機を作動させたヴィーナスが、落胆したように言った。かなり強力な妨害電波が出ているようだ。
「え? じゃあ、何でルナと通信できてるの?」
「月のシルバー・ミレニアムを介して、レーザーで通信を送り合っているからよ」
「じゃあ、ヴィーナス(みなP)のクレッセント・ビームでみんなに通信を………送れるわけないよね………」
 途中で自分が馬鹿なことを言っていると気付いたらしく、セーラームーンの言葉は語尾が小さく掠れていった。ついでに、セーラームーン自身も小さくなる。
「中央の山の中腹に、複数の生命反応があります。移動の軌跡から、山を湖側に向かって越えようとしていると思えます」
 セーラーノアだった。僅かに沈黙があった。ややあって、
「その生命反応の数は分かるか?」
 ネフライトが問うた。
「全部で十六の生命反応を確認できます」
「多いな………。映像は拾えないんだな?」
 拾えたら既に投影しているのだろうが、念のためにネフライトは尋ねた。セーラーノアからの返事は、予想通り「ノー」だった。
「その移動している生命反応………。レイたちだと思うが………」
 アルテミスは顎を撫でた。根拠はない。勘である。
「確かに、ブラッディ・クルセイダースのメンバーなら、この山を越えようとは思わない。調査では、途中に深い渓谷がある。そこで攻撃を受けたら、一溜まりもない」
 ヴィクトールの表情は険しい。ジェラールも同じ意見だったらしく、厳しい表情をしている。
「決まったな。とにかく、そこに行ってみるか。味方なら合流すればよし、敵ならば状況に応じて対応すればいい」
 決断をしたのはクンツァイトだ。
「すまないが、ネフライト(さんじょういん)ゾイサイト(ゾノ)は、病院の方を見てきてくれ。守りのメンツも残しているはずだ。状況を確認してくれ」
「了解だが、クンツァイト(きよみや)。どこで合流をする?」
「そりゃあ、もちろん。敵さんの本拠地だろ?」
「了解だ」
 どうやら、話はまとまったようだ。
「なんか、顔の知らない相手がいっぱいいそうだから、あたしはここに残った方がいいかもね」
 プレアデスだった。確かに、プレアデスにとっては初対面の相手ばかりだろう。下手をすると、敵と味方の区別ができなくなってしまう恐れがある。
「その方が無難だな」
 アルテミスにも異論はない。セーラー戦士と言えど、今や味方だけだとは限らない。マーズやジュピターが敵だと勘違いしてしまう可能性もある。同士討ちだけは避けなければならないし、説明するのも時間が掛かる。
「俺も残ろう。全ての情報を、ここに送ってくれ。俺が集計する」
「うむ。そうしてくれ」
 クンツァイトはアルテミスの肩を叩いた。
「なに!? この感じ………」
 セーラームーンがハッと身じろぎをした。張り詰めた表情で、周囲を見回した。
「どうしたの?」
 そのセーラームーンの様子に気付いたヴィーナスが、彼女を気遣った。
「うん………。何か、とても大きな力を感じたの」
「敵?」
「ううん。分かんない。怖い感じはしなかった。深い悲しみと熱い力のような感じ? ごめん、なんかうまく説明できない」
「わたしたちの知らないところで、何かが起こっているのかもしれないわね」
 セーラームーンとヴィーナスの話を聞いていたプレアデスが、そっと歩み寄ってきた。
「うん。かもしれない。とにかく、早くもなかたちを捜そう」

 セーラームーンと全く同じ波動を、衛も感じ取っていた。
 移動する集団の中にあって、衛はそれを感じて足を止めた。
「どうした?」
 忍が声を掛けてきた。
「いや………。何でもない」
 衛は曖昧な微笑を浮かべた。
(今のは何だ? 何かが目覚めた感じがしたが………)
 衛はその“力”を感じた右斜め前方に、視線を向けた。

 聖櫃(アーク)が光を放ち、激しく震動する。
 クイーン・セレニティは無言のまま、その様子を見つめている。ドラクルは無表情のまま、チラリとクイーン・セレニティに目だけを向けた。
「時が来たようですな」
 そのドラクルの呻くような言葉にも、クイーン・セレニティは答えなかった。静かな表情のまま、聖櫃(アーク)を見つめている。
 長きに時に渡り、聖櫃(アーク)を封印していた「力」が効力を無くす。固く閉ざされていた「蓋」が、不可思議な力でゆっくりと上へ持ち上げられてゆく。
 浮遊。
 そう、「蓋」は重力に反し、滑らかな動きで浮かんでいったのだ。一メートル程浮かんだところで、「蓋」はだしぬけに粒子となって四散した。音はなかった。あれだけの質量を持つものが四散したとなると、凄まじい音が響いて(しか)るべきなのだが、まるでそこには初めから何も存在していなかったように、唐突に、無音で、その「蓋」は消滅してしまった。
 開け放たれた聖櫃(アーク)の中から、人の形をしたものが起き上がってきた。純白のドレスを(まと)っていた。シルバー・ミレニアムの正装だった。直立の姿勢のまま、浮かぶようにしてゆっくりと、クイーン・セレニティと向き合う形となった。
 クイーン・セレニティが、僅かに目を細めた。ドラクルは口を真一文字に結び、その人型の頭の部分を見つめている。
 瞼が開けられた。
 強い意志を感じるマゼンダ色の瞳が、キッと鋭くクイーン・セレニティに向けられる。
「一番初めに、あなたの顔を見るとはね………」
 皮肉を込めた声が発せられた。高い声質を持っていた。美しいソプラノだ。
「あなたにとっては、一番会いたくない相手でしょうね」
「いいえ、二番目よ」
 クイーン・セレニティの言葉を、即座に否定した。プラチナのような輝きを持つ透明感のある薄いエメラルドグリーンの美しい髪が、風もないのにサラサラと波打っている。胸の辺りまで伸びている両サイドの髪は、美しい装飾の施された髪留めで、三つずつに細く束ねられている。後ろ髪は腰のやや上の辺りまでの長さがあり、先端に近い部分を同じ髪留めで束ねていた。前髪は鬱陶(うっとう)しいのではないかと思える程長かった。僅かに幼さの残る顔立ちは、「美人」という表現よりも「美少女」という表現の方が適切だと思えた。
「久しぶりね、ドラグーン。老いたわね」
 その「美少女」は、ドラクルに顔を向けた。
「こうしてまた会うことになろうとはな。不思議な心境だよ、ヴァルカン。そなたは、相変わらずだな」
「だけど、分かっていたから、あなたはここにいるんでしょう? そりゃあ、ずっと封印の力で眠っていたからね。歳は取らないわよ」
 ヴァルカンは、優しげな春の陽射しのような笑みを浮かべた。再びクイーン・セレニティに視線を戻した。
「生きていれば、あなたを真っ先に処分してあげるところなんだけど、残念ながらそれは無理みたいね」
 ヴァルカンのその言葉は、まるで冗談に聞こえた。
「ええ、わたくしの肉体は既に滅んでいるわ。精神に残された力も、もう僅かしか残っていません」
「いろいろと状況が変わってしまったということね」
「詳しいのね」
「肉体は封印されていたけれど、精神は起きて(・・・)いたから………。見たくもない結末も見てしまった。この閉ざされた箱の中で、何もできず、ただ茫然と見ていることしかできなかったわ。あたしの言うとおりに、あの時に地球を封印してさえいれば、あんな悲劇は起こらなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)のに。馬鹿よ、あなたたちは………」
 ヴァルカンの瞳が、寂しげに揺らいだ。
「これからどうするつもりだ?」
 ドラクルは問い掛けながら、僅かに眉根を寄せた。
「愚問ね」
 溜め息混じりに、ヴァルカンは答える。答えが分かっているのに、敢えて質問をするなと言いたげだった。
 宙に浮かんだままだったヴァルカンの体が、水平に右に移動し、ドラクルの左脇で床に足を付けた。
 クイーン・セレニティは顔を巡らせてヴァルカンの動きを追い、ドラクルは自分の左脇に移動してきたヴァルカンと正面に向き合うように、体を動かした。
 ヴァルカンは俯いて目を閉じていた。ドラクルはただ黙って、ヴァルカンを見下ろす。ヴァルカンの身長はあまり高くない。百五十センチの半ばくらいだろう。ドラクルの胃袋の辺りに、ヴァルカンの頭がある。
「………発見されたようね、ここも」
 まるで台本でも読んでいるかのような口調で、ヴァルカンはそう呟いた。顔を上げ、目を開けた。
「早々に立ち去った方が良さそうね」
「お行きなさい。わたくしには、もうあなたを止める力は残っていないわ」
「止めれば、ここに留まってあげてもいいのよ?」
「事情を良く理解していないあなたの仲間が、暴走をしています。あなたには、それを抑制する義務があります」
「暴走とは、よく言ってくれるわね………。別に彼女たちが悪いわけじゃない」
 ヴァルカンは言いながら、クイーン・セレニティを鋭く見た。次いで、ドラクルに目を向ける。
「どうするの? ここであたしと戦う?」
「星の力を持つ戦士たちに、我々が敵うはずもない。ただ、お前がプリンセスと戦うことになるのならば、我々はお前たちと戦うこととなる」
「そんなに死にたいの? あなたは」
「良くも悪くも、我々は長き時を生きすぎた。長くを生きることが、幸福ではないということだ」
「悟りを開いたの?」
 ヴァルカンは楽しそうに笑った。
「まずは、その『暴走』している仲間たちに会いに行くわ。ドラグーン、今日のところは生かしておいてあげる」
「お目こぼしに感謝する」
 ドラクルは皮肉っぽく笑う。
「嫌味な人ね、相変わらず………」
 ヴァルカンは意味深に呟く。
「あたしが命を奪いに来るまで、勝手に死ぬことは許さないわよ」
「………約束は、できんな。連中は、手強い」
「すぐに戻ってくるから、それまで持ち堪えなさい」
 ヴァルカンは言うと、純白のドレスを翻して足早に部屋を後にした。
「ヴァルカン。どう動くでしょうか?」
 ヴァルカンが“気”が遠ざかってから、ドラクルはおもむろに口を開いた。
「彼女もシルバー・ミレニアムの戦士です。今がどういう時か、分かっているでしょう」
 そのクイーン・セレニティの言葉の裏に隠されている意味を知っているドラクルは、短く肯いた。
 激しい震動が、部屋を揺るがした。周囲がにわかに騒がしくなる。
「来たようです」
「わたくしたちの最後の戦いになるかもしれませんね」
「はい。やっと、死ねるやもしれません」
 死を前にして、しかし、ドラクルの表情は晴れやかだった。

 燃えるように、体の奥から力が湧いてくる。
 これが真の覚醒なのかと、セーラーサンは思った。セーラーサンの真の覚醒に呼応して、コスチュームのデザインにも変化が訪れた。スーパーセーラーサンと呼ぶに相応しい、デザインだった。
「これが、本当のセーラーサンか」
 眩しさに目を細め、ギャラクシアは言った。
「覚醒したか………」
 パンドラは呟く。
「予想外の展開だったけど、当初の目的は達成されたわね」
「そうね。これで、ヴァルカン様が目覚める」
 パンドラの左横に、フェイトンが並んだ。どこか悲しげな瞳を、陽子がいた場所に向けた。
「これで人数的には互角ね。相変わらずひとり姿が見えないけど………」
 マーズが挑むような視線を向ける。陽子が真のセーラーサンではなかったことで、相手は僅かに動揺している。これで一気に畳み掛けることができる。
「アポロンのカタキを討たせてもらうわ!!」
 まず始めに仕掛けたのはセーラーサンだった。既にパワーは臨界に達している。溢れんばかりのパワーが、全身から(ほとばし)っている。
「いっけぇ!! サン・ウルトラ・ノヴァ!!」
「!?」
 天を揺るがす程の爆音が密林の木々を吹き飛ばし、地面を大きく(えぐ)った。パンドラたちは、慌てて回避する。
 フェイトン、パンドラ、シリウス、プロキオンの四人は素早く上空へ回避したのだが、ヘルクリーナはその場で攻撃を耐えようとした。しかし、彼女が前方に張ったシールドは、全く効果を発揮することなく、一瞬にして光の奔流に飲み込まれて蒸発してしまった。
「馬鹿がっ」
 シリウスが罵倒する。愚かなやつと、プロキオンも鼻を鳴らした。敵の力量を見誤ったヘルクリーナに、弔いの言葉のひとつもない。
「凄い力だな………」
 まるで大型の爆弾でも落ちたかのような前方の様子を見て、ジュピターは舌を巻いた。力の使い方を間違えると、大変なことになりそうだった。
「へぇ………。今の攻撃に、耐えたやつがいるぜ」
 ジェダイトが前方を顎でしゃくって示した。大きく抉られた地面は、まだ(くすぶ)りを上げていた。地面から立ち上る煙の中に、ひとりだけ何事もなかったかのように涼しい顔をして、こちらをじっと見据えている女性の姿があった。彼女が先程から全く姿を見せていなかった、フェイトンたちの仲間なのだろう。
「星の力を感じる。どうやらやつが、残りひとりのセーラー戦士らしいな」
 ギャラクシアは、煙たそうな目を前方に向けた。身構えてはいなかったが、油断はしていなかった。今のセーラーサンの攻撃に耐えた相手である。並の相手ではない。
 女性はこちらを見据えながら、蠱惑的な笑みを浮かべた。
 どことなく鎧を思わせるコスチュームだった。だが、鎧ほど重厚に見えないのは、全て半透明の素材だからだだろうか。肩のアーマーも戦闘の障害になりそうなほど巨大だったが、決して重そうには見えなかった。
「こいつ、あたしと同等の力を持っている………?」
 ギャラクシアは、瞬時に相手の力量を推し量っていた。相手から感じる力は、自分と同レベルだと感じた。
「あなたはセーラーギャラクシアね? シルバー・ミレニアムのか弱きプリンセスに破れた、宇宙一の愚かなセーラー戦士」
「あたしを愚か者呼ばわりするとは、なかなかいい度胸だ」
「虚勢ね。直々に相手をして、あなたの愚かさを知らしめてあげたいところだけど、今日は生憎とそんな気分じゃないの。それに、そこの輪っか頭ちゃんのお陰で、ヴァルカンが目覚めたらしいから、会いに行かなくちゃいけないわ。よかったわね。あなたたち、とてもラッキーよ」
 流れるような調子で一気にそこまで言うと、すうっと上昇した。そこにはフェイトンたちが待っている。
「あ、そうそう。名乗らなくちゃね。あたしは、セーラーアンドロメダ。シルバー・ミレニアム一派の方々、また今度お会いしましょう」
「冗談じゃない! 逃がさないわよ!!」
 セーラーサンがふわりと跳躍する。全身が灼熱の炎に包まれる。ひとりで全員を相手にするつもりなのだ。
「死に急ぐものではなくってよ?」
 アンドロメダが右手を突き出すと、不可思議な力でセーラーサンは弾き飛ばされた。地面に激突するところを、背後に回ったジュピターが受け止めてくれた。
「それではご機嫌よう」
 セーラーアンドロメダは優雅にお辞儀をすると、四人を引き連れて彼方へと飛び去ってしまった。
「アンドロメダだと………」
 ギャラクシアの体は、わなわなと震えていた。
「なんてやつが、仲間にいるんだ」
「知っているのか? あいつを」
 セーラーサンを受け止めたままの体勢で、ジュピターは訊いた。
「ああ、やつもあたしと同じく、銀河そのものを守護に持つ特異なセーラー戦士だ」
「特異体質? 巨大化して怪獣になるとか………?」
「馬鹿もパワーアップしている………」
 真面目な話をしているのに、大ボケをかましたセーラーサンの口に、ギャラクシアはエクレアを突っ込んで黙らせた。
「アンドロメダ………。あの銀河のアンドロメダのこと?」
 もう一度何かを言おうとしたセーラーサンの口に二個のエクレアを突っ込んでから、マーズが尋ねた。
「ああ………。とっくに滅んだ銀河系なんだが、ひとりだけ生き残ったやつがいる。と言うより、あいつが自分の銀河系を滅ぼしたんだ。しかも、たったひとりでな」
「厳しい戦いになりそうだな」
 ジュピターの傍らには、エクレアを喉に詰まらせて七転八倒しているセーラーサンがいた。三人はそんな彼女を見つめると、大きな溜め息を付いた。

 険しい山の頂に、ヴァルカンは立っていた。純白のドレスが風に(なび)く。
 冷たい風が容赦なく吹き付けてくる。このまま風に身を任せて、宙を舞うのも楽しいかもしれないと、ヴァルカンは思う。別にこの場所に留まらなければならない理由はないのだ。ただ、ここから見上げた空が、とても美しく見えただけだ。この美しい空をもう少し見ていたかったから、この場で仲間たちの到来を待つことにした。
 四つの光の筋が、北東の方角からこちらに向かって伸びてくる。四つの光は、程なく自分の眼前に降り立つ。
「久しぶりね。フェイ、パンドラ、アンドロメダ、シリウス」
 懐かしさのあまり、表情が柔和になる。
「お目覚めの時を、心待ちにしておりました」
 代表して、パンドラが答えた。
「プロキオンはどこいった?」
 シリウスは眉間に皺を寄せ、青く澄んだ空を見上げた。しかし、そこにはプロキオンの姿は見えなかった。
「“ラピュタ”に残ったのかもしれない。プロメティスの娘が、気になるのよきっと」
「けっ! あの小娘に惚れたか?」
 横目で見てきたフェイトンに、シリウスはそう毒突いた。
「おっと! もうふたり、来たようだぜ」
 空を見上げていたシリウスは、こちらに接近してくるふたつの光条を発見していた。ふたつの光条は、自分たちに並ぶように降り立った。
「アイネイアス、アキレウス。参りました」
「そんなに畏まらなくてもいいわ」
 片膝を付いて畏まっている一同に、ヴァルカンはやんわりとした笑みを送った。それぞれその場で立ち上がり、楽な姿勢を取った。
「プロキオンめの処罰は、わたくしが………」
「いいわ、パンドラ。そう目くじらを立てることでもないじゃない。放っておきなさい」
「プロキオンがどうかしたのか?」
 アイネイアスは神経質そうに歪めた顔を、フェイトンに向けた。フェイトンは小さく肩を竦めてみせただけだった。
「プロメティスの娘の顔を見てみたいけれど、あたしは急いで戻らなければならない場所があるの」
 もうプロキオンの話題は出すなという風に、ヴァルカンはやや語気を強めた。
「お戻りになる………?」
 パンドラが怪訝そうな顔をする。
「説明している時間が惜しいわ」
 ヴァルカンは空を見上げた。すぐに出発をするつもりなのだ。
「お急ぎのところ申し訳ないが、ヴァルカン様」
 アイネイアスが、そのヴァルカンを呼び止める。ヴァルカンはアイネイアスに顔を向けた。
「我らも、まだし残したことが御座います。しばし、お側を離れさせて頂こうと存じますが」
「どうぞ。好きにしていいわ」
「ありがたきお言葉。では、また何れ」
 アイネイアス軽く一礼すると、アキレウスとともに彼方へと去っていった。
「いいの? 勝手な真似をさせて」
「あたしは、構わないわ」
 嫌悪感を露わにした顔を向けてきたアンドロメダに、ヴァルカンはさらりと答えた。
「さあ、行きましょう」

 そこは、文字通り破壊し尽くされていた。
「なんだ、ここは………?」
 一面焼け野原となっている地に降り立った直後に、シリウスは唖然として呻くように言った。
 辺り一面から、もうもうとした煙が立ち上っていた。一面、無惨に焼けただれ、焦げた匂いが鼻を突く。絨毯爆撃にでも遭ったかのような有様だった。
 仲間たちが茫然としている中、ヴァルカンは口を真一文字に結んだまま、何かを目指して歩を進めていた。地面に突き刺さっている一降りの剣の前で、ピタリと足を止めた。全てが破壊し尽くされている中で、その剣だけは原型を留めていた。
「この剣は………?」
 背後でフェイトンの気配がした。
「ドラグーンの剣ね」
 振り向かずに、ヴァルカンは答えた。
「ドラグーン!? あの王室親衛隊隊長の!?」
 フェイトンは息を飲む。何故こんなところに、シルバー・ミレニアムの王室親衛隊の隊長であるドラグーンの剣が残されているのか、彼女には分からなかったからだ。
 ヴァルカンの右手が、剣の柄に触れた。まるでそれがスイッチであったかのように、ヴァルカンの前方にクイーン・セレニティの姿が現れる。背後のフェイトンが驚きの声を上げる。パンドラとシリウスが身構える気配を感じ、ヴァルカンは左手でそのふたりの行動を制した。
「ホログラフィーだ」
 さすがアンドロメダは、落ち着いている。一瞬で、そのクイーン・セレニティの姿が映像であることを見抜いていた。
「何故、戻ってきたのです?」
 そのクイーン・セレニティは柔らかい笑みを称えたまま、優しげにそう問い掛けてきた。ヴァルカンに問い掛けているのだと分かった。
「戻ってくると言っておいたわ。どうして、持ち堪えることができなかったの?」
「………ごめんなさい」
 それは、素直な詫びの言葉だった。
「シルバー・ミレニアムが滅んだ時もそうよ。あたしさえいれば、どうにかすることができたのに、何故あなたは、いつもいつも、あたしが駆け付けるまで待つことができないの?」
「ごめんなさい」
 クイーン・セレニティは、もう一度詫びた。無駄な言葉を省いたその詫びの言葉は、ヴァルカンの心に重く響いた。
「プリンセスと戦いますか? 地球を手に入れるために」
「プリンセスが、あなたと同じく愚かな考えを持っていたら、戦うことになるわね」
「そう………。なら、その心配は必要ないですね」
「何の心配よ?」
「さあ………」
 クイーン・セレニティは、楽しそうに声を出して笑った。いつの間にか、ヴァルカンの背後に全員が集まってた。黙って、ヴァルカンとクイーン・セレニティのやり取りを見つめている。
「もう一度、プリンセスに会いたかったわ………。いえ、違うわね。今の彼女はプリンセスじゃないわね。地球人の女の子、月野うさぎだったわね」
「友だちとしては、最高でした」
 うさぎと僅かな期間だが、友人として接していたフェイトンは、たまらずに口を挟んだ。クイーン・セレニティの顔が、とても寂しそうに見えたからだ。余計な口出しをしてヴァルカンに咎められるかとも思ったが、そんな心配はいらなかった。
 クイーン・セレニティはフェイトンに顔を向けると、嬉しそうに微笑んだ。その微笑みが最後だった。クイーン・セレニティはその笑顔のまま、マッチの炎が消えるかのように、急激に力を失い、そして消えてしまった。
「いったい、ここには何があったんですか?」
 静寂を破ったのはパンドラだった。
「ここは、シルバー・ミレニアムの末裔たちが、ひっそりと暮らす村だったわ。あたしの封印されていた柩は、ここで彼女たちに守られていた」
 ヴァルカンは、一同に振り向いてから答えた。そう、クイーン・セレニティたちは、ここで自分を守ってくれていたのだと、ヴァルカンには分かっていた。
「ここで何があったの? ここを壊滅させたのは何者? あなたは、知っているんでしょ?」
 問い掛けるアンドロメダの表情は、まるで氷のようだった。
「ネフィルム・エンパイア」
 ヴァルカンは即座に答える。まるで、その質問を待っていたかのように。
「なに!?」
 一同の表情が凍り付いた。ここにいる者は全て、その名を片時も忘れたことがない。
「やつらが帰ってきたと………?」
 シリウスは掠れた声で訊いた。
「フェイ、あなたはあまり驚かなかったわね? その様子だと、知っていたのね?」
「はい、ヴァルカン様。ご報告のタイミングが掴めず、また情報もあまり正確ではありませんでしたので、今まで報告を避けておりましたが………」
「どの程度の情報を掴んでいるの?」
「申し訳ありません。あたしもあまり詳しいことまでは………」
「なるほど、分かってきた」
 シリウスが突然、出されたクイズの答えが閃いたような顔をした。
「連中は、ここにヴァルカン様がいると思って襲撃した」
「ええ、たぶんね」
 ヴァルカンは肯定した。
「バベルにギルガメシュという男がおります。やつが地球に残ったニビルの末裔だということが分かっております。その男から情報を得るのが宜しいかと思います」
「そんな男がいるの? それで、その男、どちらの側(・・・・・)なの?」
「ネフィルム・エンパイアにとっては、敵となる男でしょう。あたしたちの味方になるとは限りませんが………」
「いいわ、会ってみましょう。フェイ、案内してくれるわね?」
「そうは、いかん」
 唐突に、良く響く低い声が浴びせられた。ヴァルカンの右側からだった。
「ル・マニフィック!」
 フェイトンが舌を打った。
 恰幅の良い壮年の男性が、直立不動の姿勢でそこにいた。軍服のような服を着込んでいる。
「あたしの抹殺でも、指示されたのかしら?」
「ご明察。しかし、セレス殿がセーラー戦士だったとは驚いた」
 その男性は、大仰に驚いたような仕草をしてみせた。
「まさか、あなたひとりであたしたちと戦おうなんて、思っていないわよね?」
「良い勘をしていらっしゃる。さすがは、元十三人衆」
「お前、馬鹿じゃねぇのか?」
 シリウスが嘲笑した。
「お前がどれだけ強いか知らないが、ちょっとそれは無謀ってものだ」
「そうかな? やってみなければ分からない」
「なんて、自信過剰なやつなんだ」
「こういう男なのよ」
 フェイトンは肩を大きく(すく)めて見せた。
「わたしはセレス一味の抹殺指令を受けている。お前たち五人、ここで始末を………」
 言葉はそこで途切れた。今の今まで、ル・マニフィックだったものは、一瞬で肉片に変わり、周囲に飛び散った。
「ひゅう………」
 シリウスが、感心したように口を鳴らした。
「行くわよ、フェイ」
 まるで何事もなかったかのように、ヴァルカンはフェイトンを見た。
 ル・マニフィックを肉片と変えたのは、もちろんヴァルカンである。