もうひとつの悲劇
陽子の姿は、閃光とともにセーラー戦士へと変身する。その姿は改めて見ても、もなかのセーラーサンと酷似したものだった。もなかと同じく、襟とスカートは鮮やかなレモンイエロー、僅かに透明感があるものの、胸と腰のリボンも、新緑を思わせる美しいライトグリーンだった。ただ、胸のブローチのデザインだけが、微妙な違いがあった。
「太陽の独鈷杵はあたしのアイテムよ。返して………」
セーラーサン( は右手を差し出しながら、ゆっくりと前進をしてきた。)
「これはあたしのものよ! 渡すわけにはいかない!!」
太陽の独鈷杵を手にしているセーラーサン( は、険しい表情で自分と同じ恰好をした陽子を睨む。もう泣いている場合ではなかった。しかし、そのもなかを、更に絶望の淵に追いやるような出来事が起こった。)
シュ!!
どこからともなく飛来した小さな影が、もなかの手から太陽の独鈷杵を奪い取ってしまったのだ。その小さな影は宙を撥ねて、セレスの足下に着地する。
「ア、アポロン!? 何を!?」
訳が分からなかった。アポロンはもなかの手から奪った太陽の独鈷杵を、セレスへと渡した。
「ご苦労様、プロキオン」
セレスは口元に冷笑を浮かべた。
「………プロキオン?」
「すまないな、もなか。本物のアポロンは、とっくに俺たちが始末したよ。入れ替わったことに、全く気が付かなかったようだな」
「入れ替わった?」
「なかなかの名演技だったろ?」
アポロンの体は大きく膨れ上がり、人間の青年の姿へと変貌した。
「この姿で会うのは、実は二度目だ」
青年―――プロキオンは、口元だけを動かして笑った。
「あなたは、教会で戦った………!?」
もなかの頭の中に、サターンとともに十番街近くの廃教会で戦った時のことが思い出された。敵の罠に填( り、絶体絶命だったところをギャラクシアに救われたのだ。その時に戦った相手が、この男だった。)
「あの時に、既に………」
「そう。あン時には、もう入れ替わっていた。あン時は確か、あと一歩というところで、邪魔が入ったんだよな」
プロキオンは憎々しげに顔を歪めた。
「あたしたちを騙していたのね!?」
マーズが鋭く睨む。
「気付かないお前たちが悪い」
「何を!?」
ジュピターが色をなしたが、図星なだけに言い返すことができない。悔しげに口の隅を小刻みに震わせるだけだった。
「それもこれも、ヴァルカン様復活のためさ」
くくくっと、プロキオンは喉の奥を鳴らした。
「セーラー戦士は四人。だけど、うちふたりは戦力外。自衛隊の皆さんはお荷物。この状況で、どうやってあたしたちと戦うつもりなのかしらね………」
セレスの左手側、自分たちからは右手側から女性の声が響いた。小柄な人影が、密林の闇の中から姿を現した。パンドラだ。そしてその後ろからは、青白い顔をした背の高い青年も続いて姿を見せる。シリウスだった。
「ヴァルカン様配下の七魔将のうちの五人と、そしてヘルクリーナと陽子。この七人が相手じゃ、さすがの四守護神様も年貢の納め時だな」
シリウスは冷淡に笑う。姿が見えているのは、陽子、セレス、プロキオン、ヘルクリーナ、そして今し方姿を見せたパンドラ、シリウスの六人だった。ひとり、計算が合わない。シリウスの言葉から推測するに、ヘルクリーナと陽子は「七魔将」のメンバーではないようだ。そうすると、その「七魔将」のひとりが、姿の見えていない残りひとりだと言うことになる。
マーズとジュピターは、ゆっくりとした動作で身を構えた。マーズはカロンを守るために、彼女の前面に慎重に足を運ぶ。カロンは地面に腰を落とし、オペラ座仮面の体を抱き締めたままなので戦える状態ではない。パンドラが言った、「戦力外」のひとりと言うわけだ。もうひとりは、もなかのことを言っているのだろう。
「さて、陽子。偽物をとっととぶっ殺しちまいな。そして、さっさと覚醒しろ。お前が覚醒すれば、ヴァルカン様の封印も解ける」
言葉を放り投げるように、シリウスは言った。
「ヴァルカンの封印が解けなければ、セーラーサンは覚醒しないんじゃないのか!?」
ジュピターは間合いをジリジリと詰める。攻撃を仕掛けるタイミングを計っているのだ。数的不利を打開するためには、先手必勝しかない。相手よりも先に動き、何人かを瞬時に仕留める。そうしなければ、現在の戦力では勝てそうになかった。
「どっちが先でも構わないのさ。どっちかが覚醒すれば、どっちかも覚醒する。だから俺たちは、一番確実なセーラーサンを覚醒させる方法を選んだのさ」
「あたしたちはね。随分と前から陽子をマークしていたのよ。あたしたち………いえ、あたしが監視しやすいように、『美童陽子』としてT・A女学院に送ったのもそのためよ。だけど驚いちゃったわ。もうひとり、セーラーサンが現れたんだもの………」
セレスは芝居がかった仕草で、両手を広げて肩を竦めてみせた。
「アポロンの間抜けが、お前と陽子を間違えて覚醒させたんだ」
「そんな、あたしは………」
もなかは茫然としていた。アポロンがいつの間にかすり替わっていたこともショックだった。自分をセーラーサンとして覚醒させてくれたアポロンは、もうこの世にはいない。どうして気付いてやれなかったのか、それが無性に悔しかった。そしてそれ以上にショックだったのは、やはり自分が本当のセーラーサンではないということだった。
「馬鹿を言わないで!」
しかし、マーズが反論をする。
「もなかはセーラークリスタルを持っている。だからセーラーサンに覚醒できたのよ! これは、どう説明する気!?」
時間稼ぎだった。目の前にいる敵の数は、依然として六人だった。七人目が姿を現さない。シリウスは、陽子を含めて自分たちは七人と言った。ひとり多いと思わせる作戦なのか、それともひとりが姿を見せていないだけなのか、何れにしても油断は禁物だった。その残りのひとりがどこに潜んでいるのか分からないので、迂闊に攻撃を仕掛けるわけにもいかなかった。
「なんだ? そのセーラークリスタルって………?」
プロキオンは首を捻った。その視線の先にはセレスがいた。説明しろと、目が語っている。
「セーラークリスタルは、セーラー戦士のパワーの源よ。セーラークリスタルさえ健在ならば、例え肉体が滅んでもセーラー戦士は死ぬことはない」
「詳しいのね」
マーズが鋭い目をセレスに向けた。セレスは楽しそうに微笑した。
「セーラー戦士にとっては、肉体を失うなんてことは大した問題じゃないわ。セーラークリスタルが心臓部だものね。そして、そのセーラークリスタルさえ失われなければ、星の守護を受けたセーラー戦士は、その自らの星を守るためならば、何度でも転生を繰り返すことができる。………あたしのようにね」
セレスの体が閃光を放った。その体は、セーラーコスチュームに身を包まれる。シルバー・ミレニアムのセーラーコスチュームだった。襟とスカートは、やや赤みがかったダークブラウンで、胸と腰のリボンは青みがかった紫だった。襟には一本の銀色のラインが入っている。肩にパットはなく、ノースリーブだった。よく見ると、スカートは左側だけ大きくスリットが入っていた。
「セレス!? あなたもセーラー戦士だったの!?」
これにはマーズやジュピターばかりか、陽子さえも驚いた。状況は最悪だ。セレスの実力は分かっている。だが、それは変身前でのことだ。セーラー戦士に変身後は、更に能力が上がっているはずだ。
「気が付かなかったとは意外だったわ。いろいろ分かり易いように、行動したつもりなんだけどね」
「アポロンのやつが説明しなかったか? ヴァルカン様にはふたりのセーラー戦士が仕えていたってな」
プロキオンのその言葉から推測すると、少なくとも当初出会った頃のアポロンは、本物のアポロンということになる。
「そのひとりが、お前か」
「そう言うこと。失われた惑星フェイトンを守護に持つ、悲愁の戦士セーラーフェイトンよ。よろしくね」
セレス、いやセーラーフェイトンは柔らかい笑みを浮かべた。
「セーラークリスタルなんて、別にどうでもいいことだわ。陽子ともなか。生き残った方が本物。それでいいじゃない。ね、陽子」
「ええ。それでいいわ。本物でなければ、勝てないわけだからね」
「やめろ、陽子! 彼女たちと戦うと言うのなら、俺が容赦しない」
ゆっくりと噛み砕くように、日暮は陽子に言った。
「どうするつもり?」
挑発的な目を、陽子は向けてきた。日暮は無言で、肩に提げていたマシンガンを構えた。
「あなたに、あたしが撃てるの?」
日暮は無言。しかし、指はトリガーを絞っていた。陽子の足下に、数発が着弾する。
「甘いわよ、警告なんて………。どうしてあたしを直接撃たなかったの? 今なら、撃たれてあげたのに………」
陽子は皮肉った笑みを浮かべた。瞳には、悲しい色を浮かべて。虚勢を張っているのだ。しかしながら、陽子のその虚勢には、誰も気付いていない。
「いつまで遊んでいるつもりだ?」
シリウスが目にも留まらぬ早さで、日暮の目の前に移動してきた。
「ややこしいことになる前に、お前は退場しろ」
シリウスは右手を突き出した。
「マズイ!!」
一瞬の出来事だったので、ジュピターもマーズも動けなかった。もちろん、オペラ座仮面の亡骸を抱いているカロンにも、どうすることもできなかった。
シリウスの右手が、強烈な光を放つ。
両目を大きく見開いたまま、日暮の意識はトリップした。様々な思い出が、走馬燈のように甦る。そして最後に、「腹が減ったな」と思った。死を目の前にして、日暮は全く別のことを考えていたのだ。
長い長い意識の旅だった。しかし、実際の時間にしてみれば、僅か一秒足らずでしかない。
シリウスの右手から閃光が放たれる様を、日暮は夢うつつの状態で見ていた。身を捻れば避けられそうな程、迫り来る光は鈍いように感じた。そして、宙が一転した。
「!?」
その衝撃で、日暮はいきなり現実に引き戻された。日暮は宙に浮き、逆さまの状態で、シリウスの放った青白い閃光の直撃を受けて吹っ飛ばされる、もなかの小さな体を見ていた。
「まぁ、結果オーライか」
シリウスは満足げに、ニタリと笑った。
マーズがもなかに駆け寄った。ジュピターは日暮に駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「俺は、なんともない。もなかは!?」
ジュピターに抱き起こされた日暮は、もなかの方に顔を向けた。マーズが壊れ物でも触るように、抱き起こしているところだった。
「セーラーサン( 、しっかりして!!」)
「………日暮のおじさんは?」
今にも消え入りそうな声で、もなかは訊いてきた。
「大丈夫よ。今は、ジュピター( が付いてる」)
「よかった………。もう、仲間が死ぬのは、見たくないんです………」
「うん。よくやったわ、セーラーサン( 」)
マーズは力強く、肯いてやった。もなかは、嬉しそうに笑った。
「商店街のエクレア、もう一度食べたかったな………」
「もなかぁ!!」
「食うか?」
むぎゅっ。
もなかの口に、エクレアが無理矢理突っ込まれる。
「お前を死なせちまったら、セーラームーンに会わす顔がない」
淡い光が、もなかを包み込む。
「え? あ? ええっ!?」
その者の姿を見て、マーズは目を白黒させている。
「エクレア食って元気出たろ? もっとあるから、あとでたらふく食わせてやる。行くぞ、セーラーサン( !」)
「はい! ギャラクシア( !!」)
口の周りに付いたチョコレートをペロリと舐めて、もなかは立ち上がった。
「何でここが分かったの?」
「あたしを誰だと思ってるんだ?」
「嘘だ嘘! ルナのお手柄だよ」
「ジェダイト( まで………!?」)
驚いているマーズに、今は説明している暇はないと、ギャラクシアは手で示した。
「兵藤………」
ギャラクシアとジェダイトは、カロンの腕の中で、最早動かなくなってしまったオペラ座仮面………いや、兵藤に視線を向けると、黙祷を捧げた。
「来るのが遅かったなんて、悔やまないでね」
「分かっている。それは傲慢な考え方だ。ひとりの力だけでは、どうにもできないこともある………」
カロンの気遣いに、ギャラクシアは肯く。そしてギャラクシアは、拳を震えるほど強く握りしめ、険しい表情で振り向く。仲間の死に対し、ギャラクシアは初めて「怒り」を覚えていた。
激しい震動が、一同を襲った。かなり離れた場所ではあるが、大地を揺るがすような何事かが起こったらしい。進行方向の左前方だと、ジェダイトが推測した。頭上に生い茂る木々の葉の間から、噴煙が立ち上っているのが見える。
「ん? なんだ?」
「………船? サラディアの〈ヴィルジニテ〉ですって!?」
シリウスが噴煙を見上げて、眉を顰( めた。セーラーフェイトンとなったセレスの目は、上空を高速で飛行する物体を捉えていた。そのシルエットには見覚えがある。)
「サラディア? 十三人衆だったかしら?」
「ええ。ちょっと厄介な相手よ」
パンドラの問い掛けに答えながらも、フェイトンは上空の〈ヴィルジニテ〉の動きを目で追っていた。
「あの動き………。何かを追尾しているようだけど………」
「いや、様子が変だ。離脱していくぞ」
何かに対して攻撃を加えていたように見えた〈ヴィルジニテ〉だったが、何故か弾幕を張りつつ後退していく。プロキオンは、その動きを「変だ」と言っているのだ。
〈ヴィルジニテ〉の動きは、マーズやジュピターたちも見ていた。しかし彼女たちは、飛空艇そのものを見るのが初めてだから、動きの不可解さまでは気付かなかった。
「俺はもう、何を見ても驚かないぞ」
数々の信じられない光景を見てきた日暮と自衛隊の面々は、今更船が空中を飛行しているくらいでは、さして驚きもしない。だいいち、自分たちは空中に浮かんでいる島の上にいるのだ。
一同が戦いを忘れ、〈ヴィルジニテ〉の動きを色々と詮索できたのは、せいぜい一‐二分だった。
「キャハーーーッ!!」
突然の奇声が、静寂を破った。地面がボコリと盛り上がる。
「なに!?」
死んだと思われていたタンクレードだった。
「ばぁか! 俺サマはぁ、本体をどこにでも移動させられるんだよぉ」
どうやらタンクレードは、ジュピターの必殺のオーク・エボリューションを受ける瞬間、地中に這わしていた「根」の方に、自分の本体―――「核」を移動させていたらしい。しばらく地中で養分を吸収し、体が完全に再生できたので再び襲ってきたのだろう。
タンクレードにとっては、その場にいる者全てが敵だった。無差別に先端が槍のように尖った「蔦」が、全身から無数に伸ばされる。
「バケモノがっ!」
「蔦」を手刀で切断しながら、フェイトンとパンドラは後退する。
マーズは自分と日暮を狙ってきた「蔦」をファイヤー・ソウルで灰にすると、カロンの元に移動した。他の戦士たちも第一撃はそれぞれ躱している。自衛隊の面々を狙った「蔦」は、ギャラクシアとジェダイトで処分した。
「兵藤のカタキだぁ!!」
日暮はタンクレードに向かってマシンガンを放つ。全弾命中しているのだが、タンクレードには効果がない。樹液のようなものの共に肉片も飛び散っているのだが、瞬く間に再生してしまうのだ。
「なんなんだ、あの再生速度は!?」
千切って投げるように、ジュピターは言葉を吐いた。効果的な攻撃方法が思い付かない。
「あいつは人間なのか? 植物なのか?」
「知らん! 本人に訊いてくれ!」
呆れたように問い掛けてくるギャラクシアに早口で答えると、ジュピターは軽いフットワークでタンクレードに接近を試みる。兵藤が言っていたように、「核」を破壊しなければタンクレードは倒せないようだ。
「こっちならどうだぁ!」
日暮はマシンガンから、無反動バズーカに武器を持ち替えた。
「ウザイんだよぉ!」
地中から伸びてきた「根」が、日暮の両足に絡み付いた。身動きを取れなくしてから仕留めようという考えのようだ。
「させるか!」
ジュピターがシュープリーム・サンダーを放つ。
「こっちだよぉ〜」
またしても、タンクレードは「核」を地中へと移動させていた。シュープリーム・サンダーが直撃した「体」の方は、最早もぬけの殻となっていた。
「なに!?」
タンクレードは、日暮の背後に出現した。
「見え見えだぁ!!」
タンクレードの行動を、キャラクシアは読んでいた。ギャラクシアが肉迫して来たので、タンクレードは日暮を攻撃せずに、地中へと逃げ込む。
「アース( がいれば………」)
マーズは口惜しそうに舌を打つ。いざという時に、必要な仲間が別行動を取っていた。セーラームーンかサターンのどちらかがいれば、オペラ座仮面を助けることができたろうし、アースがいれば、地中のタンクレードを攻撃する術があったろう。また、マーキュリーがいれば、タンクレードの動きを計算で割り出したかもしれない。
「何なんだよ、こいつは! うざったいね!!」
「蔦」を躱( しながら、パンドラも舌打ちする。タンクレードは、マーズたちばかりではなく、フェイトンたちも攻撃をしていた。彼女たちは襲い来る無数の「蔦」を躱すのが精一杯で、マーズたちへの攻撃ができない状態だった。)
「タンクレードが、こんなに面倒な相手だったなんて………」
ヘルクリーナは防戦一方だった。もともと彼女は、それ程高い戦闘能力を持ち合わせていない。
「離れて! ヘルクリーナ!」
フェイトンもそれを分かっているから、ヘルクリーナを援護する。
「セレスぅ。随分と面白い服を着てんじゃねぇか。そりゃあ、せぇらぁ戦士とおんなじ服じゃねぇのかぁ?」
「だったら、どうだって言うの!?」
「べぇつにぃ。どっちにしたって、ぶっ殺すのはおんなじだぁ」
タンクレードにしてみれば、フェイトンは裏切り者であり、抹殺しなければならない相手だった。その仲間であるパンドラたちも、同様に始末をする必要がある。自衛隊の面々には攻撃は加えていなかった。さすがにそこまでは相手に仕切れないのだろう。自分に致命傷を与える効果的な攻撃を行ってくるとは思えないので、無視をしているといったところか。とは言うものの、セーラー戦士たちと合わせると十人あまりの敵を同時に相手にしていることになる。並大抵の相手ではない。そうやって複数を同時に相手にしながら、一気にトドメを刺す相手を探っているのだ。
「なにぃ!? しまった!!」
次のターゲットは陽子だった。地面から伸びてきた「根」に、両足を拘束されてしまった。
「もぉらい〜」
陽子の背後に、タンクレードの本体が地面から姿を現す。陽子の正面方向にいたフェイトンは、そのタンクレードの動きに気付いたが、彼女の位置からでは攻撃ができなかった。シリウスやプロキオン、パンドラからは距離があった。タンクレードはそれを分かっていて、陽子をターゲットとしたのだ。
「陽子ぉ!!」
反応したのは日暮だった。無反動バズーカをぶっ放し、右方向からしゃにむに突っ込んできた。
「駄目!! 近付いては!」
マーズとカロンが同時に叫んだが、聞き入れる日暮ではなかった。
「うおぉぉぉ!!」
鬼気迫る形相で、日暮はタンクレードに迫る。
「そぉんなに死にたいんならぁ、お前から先に殺してやるよぉ〜」
タンクレードがニタリと笑い、首を百八十度回転させて日暮に顔を向けた。
「隊長! 逃げろ!!」
ジュピターが大声で叫んだ。しかし、日暮の耳に届いてはいなかった。日暮の頭の中には、陽子を救うことだけしかない。自分の身がどうなるかなど、日暮は考えていない。
「あ〜ばよぉ〜」
タンクレードはケタケタと笑った。
「欲張っていると、ろくな目に遭わないわよ」
陽子だった。タンクレードの一瞬の隙を付き、「根」の呪縛から逃れて、タンクレードの胸に手刀を突き立てる。手刀は、左の胸にブスリと突き刺さった。
「け? けけけ………」
だがタンクレードは、首を更に百八十度回して正面に戻すと、奇怪な声で笑った。
「心臓を貫いているのよ!? 何故動けるの!?」
「違う陽子! こいつを倒すには、こうするんだ!!」
ジュピターは日暮を押し退けるようにしてタンクレードの背後に接近すると、そのまま羽交い締めにした。
「ばぁか!」
正に一瞬の勝負だった。タンクレードは背後のジュピターに気付き、背中から「蔦」を出そうとした。自分を羽交い締めにしているジュピターは、それを躱すことはできない。だが、ジュピターはそんなことは百も承知でその行動を取ったのだ。パワーを全開にしたジュピターは、「蔦」が放たれるよりも先に、タンクレードの体を力任せに地面から引き剥がし、頭上に放り投げた。ジュピターのパワーは半端ではない。文字通り、根こそぎタンクレードを地面から引き抜いてしまった。
「しまったぁ!!」
地面から離れてしまえば、地中に「核」を逃がすことができない。
「マーズ・フレイム・スナイパー!!」
トドメはマーズだった。放たれた炎の矢は、タンクレードの頭を貫いた。
「ぎぃやぁぁぁぁぁ!!」
断末魔の悲鳴を上げて、今度こそ本当に、タンクレードは消滅していった。
「やったぁ!」
セーラーサンがジャンプして喜びを表現した。ジュピターとマーズは、大きく息を吐いた。カロンは無言で、オペラ座仮面の亡骸を抱き締めた。
誰もが油断をしていた。当面の敵であるタンクレードが倒れたことで、一瞬気を抜いてしまったのだ。音もなく、セーラーサンに迫る青白い炎に気付いたのは、皮肉にも陽子ひとりだけだった。
何故だろう?
その時、陽子は考えた。
体が勝手に動いてしまった。この子を守らなければならない。何故かそう感じた。
何故だろう?
もう一度考える。
光が、陽子の体の中を駆け抜けた。いつかどこかで感じたことのある、暖かく優しい光。
陽子の中で、何かが弾ける。
ああ、そうか。
陽子は納得する。
この子はあたしなんだ。この子の一部が、あたしなんだ。
だから、守らなければならないんだ。
あたしは、この子の「力」なのだから………。
目を開けた時、そこには懐かしい無精髭があった。
「パパ………」
素直な気持ちで、陽子はそう口にしていた。
「陽子、お前………?」
陽子を抱き上げる日暮が、驚愕の表情をする。陽子はにっこりと笑って肯いた。それで、全てが通じた。
「陽子さん………」
セーラーサンがどうしたらいいのか分からないといった様子で、陽子の顔を見下ろしている。その肩越しに、青白い炎を放ったシリウスと、怒りの表情のギャラクシアが戦っている様子が見えた。
陽子は真っ直ぐにセーラーサンの顔を見つめた。
「あなたから預かっていた“力”を、あなたに返すね」
陽子は言った。セーラーサンは何のことなのか分からない。
「あたしはね。あなたの“力”の一部が実体化したものなの。あなたの“力”が解放されれば、セーラーヴァルカンの封印が解けてしまう。だから、あなたが自分の意志では“力”が解放できないように、あたしはあなたから切り離された。あたしたちは、もともとひとつだったのよ」
「それじゃ………」
「そう。あなたは正真正銘のセーラーサン。いえ、フレイアの肉体の生まれ変わりよ。あたしは、精神の生まれ変わり。お互いの力が不十分だったのは、本来あるべき“力”が、半分しかなかったから。だから本来、あなたが持つべき“力”を、あなたに返すわ。セーラーヴァルカンの封印は解けてしまうかもしれないけど、どちらにしても間もなく封印は解けてしまう。すぐに、あなたの本当の力が必要になる時がくる」
「陽子さんはどうなるの?」
「あたしは消えるわ。だけど、あたしはあなたの中で“力”となって生き続ける」
陽子は次ぎに、日暮の顔を見上げた。僅かの間、ふたりは見つめ合った。
「パパ。お髭剃らなきゃ、駄目だよ………」
右の掌で、陽子は日暮の頬を撫でる。陽子が幼い頃、何度となく日暮に言った言葉だった。
「あ、ああ………」
日暮は無理に笑おうとした。無理に笑うから、強張った笑いになる。
陽子は楽しそうに笑む。陽子の瞳には、日暮と暮らした安アパートの部屋が映っていたのかもしれない。
「ただいま。パパ」
もう一度、陽子は笑った。キラキラと光り輝く粒子へと、体が変化する。
「陽子!!」
日暮は今一度、強く陽子を抱き締めようとする。しかし、その最後の抱擁は叶わなかった。
陽子の体は光の粒子となって、儚げに四散してしまった。
「………やっと、俺のもとに帰って来たと思ったのに………」
日暮は声を殺し、肩を小刻みに震わせて噎( び泣いた。)
陽子の声が聞こえる。
「悲しまないで、パパ。あたしはずっと、パパを見守っているから。あたしをここまで育ててくれて、ありがとう。大好きよ、パパ。世界でたったひとりの、あたしの大切な家族………」
光の粒子は帯となって、名残惜しそうに日暮の回りを周回すると、セーラーサンの体に吸い込まれていく。
「さぁ、もなか。真の覚醒の時よ」
光が爆発した。まるで、光の洪水。
あまりの凄さに、誰もが目を開けることができないくらいに。
(溢れてくる………。これが、あたしの本当の力?)
不可思議な光の中で、もなかは感じる。自分の中に目覚める凄まじい力を。
失った太陽の宝珠が、目の前に現れる。小さな宝珠は輝きを増し、結晶へと変化していく。
「それがキミのクリスタル。プラチナ・クリスタルだ」
アポロンの声が頭の中に流れた。アポロンは、もなかをずっと見守ってくれていたのだ。
涙が溢れた。
「ごめんね、アポロン。あたし、気付いてあげられなかった………。あなたがやつらに殺されていたことに、気付いてあげられなかった………」
「いいんだ。気にすることはない。俺が未熟だったんだ。それよりも、側に付いていてあげられなくてごめんな」
「アポロン………」
「さあ、新しい『変身』だ」
アポロンの想い、そして陽子の想い。ふたつの想いをしっかりと受け止める。
「もう、誰も死なせない!」
光はその全てが、セーラーサンの体の中へと流れ込んだ。
「夢と希望のセーラー服美少女戦士セーラーサン! 太陽の子フレイアの名の下( に、今、あなたたちを成敗するわ!!」)
神々しい光を称え、セーラーサンが真に覚醒した瞬間だった。