女王再臨
玉座は派手さはなかったが、美しい装飾品が散りばめられていた。天井の発光パネルから降り注ぐ柔らかい光を受け、キラキラと輝きを発している。
派手さという面では、玉座の前の柩のようなものの装飾の方が派手であった。二メートル程の細長い箱のようなものなので、その形状から柩ではないかと感じられたが、それが本当に柩なのかは断定できない。
「そんな、まさか………」
優雅に玉座に座している女性を凝視し、はるかは吐息のような言葉を漏らす。目の前の現実が信じられない。それは、はるかひとりだけではなく、亜美もみちるも同じだった。ただひとり、新月だけは、その女性を見つめたまま、すうっと目を細めた。
柩らしきものの存在も気になったが、それよりもクイーン・セレニティの姿を目の当たりにしたことの衝撃の方が大きかった。
「このわたしは、実体ではありません。精神だけ、その世に留まっています」
玉座に座す女性―――クイーン・セレニティは、ゆっくりと右腕を掲げた。その右腕の後ろに、クイーン・セレニティの姿が透けて見えた。よく見ると、クイーン・セレニティの座している玉座も、体の後ろにうっすらと透けて見えている。目の前のクイーン・セレニティは、彼女の精神によって投影されている虚像なのだと分かった。
「地球に危機が迫っています」
クイーン・セレニティは、真っ直ぐに四人を見つめたまま単刀直入にそう言った。だが、四人は無言だった。目の前にクイーン・セレニティがいるというのに、夢でも見ているような感覚だった。
目の前の現実を、まだ受け入れることができない。
「申し訳ありません。頭がまだ混乱をしています」
はるかは右手を頭に当てながら、か細い声で言った。
「ごめんなさい。いきなりすぎましたね。順を追って、話して行きましょう」
クイーン・セレニティは、ドラクルに目で合図を送る。ドラクルは重々しく顎を引くと、四人に向き直って口を開いた。
「人間たちが『ヴァンパイア』と呼んでいるものは、シルバー・ミレニアム直系の者たちのことだ」
困惑している四人に、ドラクルが声を投じる。
「ヴァンパイアが長命なのは、シルバー・ミレニアムの民の血を引いているからなのだよ」
「………思い出しました。あなたがどなたなのか」
亜美はドラクルに視線を向ける。瞳に輝きが戻っていた。
「シルバー・ミレニアム王室親衛隊総大将ドラグーン様」
「懐かしい名前と肩書きだ。お久しぶりですな、水巫女殿」
ドラクルは父親のような眼差しで、亜美の顔を見つめ返した。
「なるほど、あたしたちが知らない顔なのも当然か………。しかし、あなたは『本人』なのか?」
はるかが問うているのは、ドラクル自身が「本人」なのか、それとも「転生」した姿なのかと言うことだ。
「残念ながら( 、本人だよ」)
ドラクルは苦渋に満ちた表情を見せながら、吐き捨てるように言う。シルバー・ミレニアムが滅ぶような事態が起こったにも拘わらず、王室親衛隊の彼が生きながらえているのだから、彼の心中を推し量ることなどできない。
「シルバー・ミレニアムは、我ら親衛隊の留守中に襲撃された。我らがミレニアムにいさえすれば、あのような結末にはならなかったと思うと………」
「もう悔やむのはおよしなさい。そもそも、地球へあなた方を派遣させたのはわたしです。全ての責任は、わたしにあります」
再び苦渋の表情を見せたドラクルの背中に、クイーン・セレニティは厳しく声を投じた。
「昔話は後にして欲しいな。あたしは、早く自分のことが知りたい」
場に静寂が戻ると、新月が苛立たしげな声を発した。睨むような視線を、クイーン・セレニティに向けた。
「………アスタルテ。“力”は覚醒したようですが、まだ完全に覚醒したわけではないようですね」
「いや、“記憶”も一部“再生”している。あたしが知りたいのは、何故あたしも転生しているのか( と言うことよ」)
新月は凄んでみせる。
「あたしはプリンセス・セレニティにとっては、災いの種ではなかったのか? そのあたしを、あなたは何故現世に転生させた? あたしは、プリンセスに敵対するかもしれないのだぞ?」
挑戦的な態度でクイーン・セレニティにそう告げる新月を、はるか、みちる、亜美は驚いた表情で見つめた。
「何故そうまでして、ひとりで生きようとする?」
その新月に声を掛けたのは、ドラクルだった。
「四守護神に入れなかったことを、まだ嫉んでいるのか? 四守護神入りできなかった戦士は、お前だけではないのだぞ?」
「あたしはそんなに小さい人間じゃない」
「ヴァルカンを監視する役目が、それ程気に入らなかったのか?」
「仕事自体は気に入らなかったと言うことはない。あたしが気に入らなかったのは、その仕事があなたから回ってきた仕事だったと言うことだ」
「………ヴァルカン。セーラーヴァルカンのことね。そう。監視役はあなただったの………」
ふたりの会話に、みちるが口を挟んだ。
「セーラーヴァルカン?」
「地球を欲するが為にシルバー・ミレニアムと戦い、地球に封印された超戦士よ。知らないの?」
「いや、初耳だ」
みちるの問い掛けに、はるかは首を横に振った。
「情報が、正確ではありませんね………」
クイーン・セレニティがポツリと呟いた。何に対してそう言ったのか、四人には分からなかった。尋ねようとしたのだが、それよりも先にクイーン・セレニティの方が口を開いた。
「セーラーヴァルカンの封印は、間もなく解かれるでしょう」
「封印が解ける!?」
セーラーヴァルカンの名を知っていたみちるが驚いたように目を見開き、クイーン・セレニティの顔を見た。
「ふん! それが『地球の危機』か? くだらない。ヴァルカンとて所詮はセーラー戦士。ここにいる四人が本気で挑めば、負ける相手ではないわ。その程度のことで、あたしたちをこんな山奥まで来させたって言うわけ?」
ウンザリした表情で、新月は言った。口調も冷ややかだった。
「いいえ」
だが、クイーン・セレニティは首を横に振る。
「『追放されし者』たちが帰ってきます」
「『追放されし者』? エロスとヒメロスが、そんなことを言っていたような気がしたが………」
はるかが怪訝そうな顔をした。パリで美奈子に会った際に、共にいたエロスとヒメロスから簡単にその話は聞いていた。エロスとヒメロスのふたりは、クイーン・セレニティのその言葉を伝えに、美奈子の元にやって来たという話だったように記憶している。
「彼女たちに会ったのですね。ええ、彼女たちにはいち早く、そのことを伝えていました。アフロディアを通じ、プリンセスに伝えようと思ったのですが、わたしの思うとおりには事は運ばなかったようです」
「わたしたちが彼女たちに会ったのは、もう一ヶ月以上も前のことになります。それなのに、まだうさぎに連絡が行っていないと言うことなのでしょうか?」
みちちるは表情を曇らせた。美奈子のところにはアルテミスがいる。アルテミスは、常にルナと連絡を取り合っているはずだから、一ヶ月もの間情報がルナに伝わっていないというのは、解せない話だった。
「一ヶ月以上前」というところで、はるかが「そうなのか?」と聞いてきたので、みちるは「そうよ」とだけ答えた。はるかは囚われの身となっていた間の時間の経過が、よく分かっていない。
「アフロディアの身に重大な危機が迫ったようです。アルテミスも彼女たちも、そちらの解決で手一杯だったようです」
「美奈に危機が………」
亜美の表情がすうっと青ざめる。ルナと連絡を取ることすらできなくなる程の危機と言うならば、尋常ではない。
「アフロディアの元に、多くの仲間たちが集っています。大丈夫ですよ、マーキュリー。彼女の危機は脱しました」
美奈子の身を案じて表情を変えた亜美に、クイーン・セレニティは優しく声を掛けた。亜美はホッとしたように、小さく息を吐いた。
「それでクイーン。『追放されし者』とは?」
はるかが話を急かした。新月も目だけで先を急かす。クイーン・セレニティは亜美にだけ向けていた視線を戻し、再び四人の顔を眺め見るようにした。
「太古の昔、地球の平和を脅かそうとした者たちがいました。ネフィルム・エンパイアの者たちです」
「ネフィルム・エンパイア?」
始めて耳にする名称に、みちるはオウム返しに尋ねる。
「あなた方が目覚める以前に、太陽系にやって来た者たちですから、知らないのも無理はありません。………いえ、正確に言うならば、彼らの住まう惑星も、太陽系の惑星の一員。地球の時間で、三千六百年という周期で太陽を回る第十三番目の惑星ニビルが、彼らの母星です」
「十三番目ですか!? 太陽系に十三個も惑星があるのですか!?」
驚いたのは亜美だ。彼女の頭の中には、アスタルテを含めても十個の惑星しかない。その中には、ヴァルカンは含まれていない。はるかは指を折って数えている。だが彼女も、どう考えても十個までしか思い付かない。
「ヴァルカンを加えていませんね」
母親が子供の間違いを諭す時のような笑みを浮かべ、クイーン・セレニティは優しく正した。
「ですが、それでも十一個です」
「いえ、みちるさん。もうひとつ忘れていました。ネメシスです」
亜美はネメシスの存在を思い出していた。かつて戦ったブラックムーンの一族が暮らしていた惑星が、冥王星の外側にある暗黒の星ネメシスだった。
「これでニビルを加えると十三か。なるほど」
はるかはどこか楽しそうだった。
「話が先に進みません。わたしが説明しても宜しいですか?」
額に僅かに皺を寄せながら、ドラクルがクイーン・セレニティに伺いを立てる。ここは学校の授業をしている場ではない。“生徒”たちに協議をさせて、答えを出させるだけの時間的余裕はない。クイーン・セレニティは肯いた。
「現在、火星と木星の間に小惑星帯があるだろう? それはかつてその軌道上に存在していた惑星と衛星たちの残骸だ。残骸は破壊された際の衝撃やその他の様々な要因により、太陽の周囲や金星、火星、土星、木星、天王星、海王星、ネメシスへと四散した。太陽系に点在する細かい衛星や小惑星郡は、その惑星の残骸なのだよ。名をフェイトンと言う。現在の火星と木星の間の小惑星帯がある軌道上に、惑星フェイトンは存在していた」
「待って下さい。計算が合いません。フェイトンを加えると、惑星は十四個になってしまいます」
亜美が、ドラクルの話の間に割って入った。
「失われた惑星は、数に入らないってこと?」
みちるだ。
ドラクルは大きくかぶりを振る。
「冥王星、即ちプルートは惑星には数えない。何故なら、冥王星は土星の衛星だったからだ。太古の昔、太陽系へと帰ってきたニビルの重力に牽引され、土星の輪の中からカロンとともに現在の位置に移動してきた」
「確かに『ボーデ・ティティウスの法則』によると、海王星の外側にあると言う惑星の位置が合わない」
亜美は顎を撫でた。
「な、なんだ!? そのボーデなんとかの法則って?」
はるかは目を真ん丸にしている。亜美の言葉の意味が、ちっとも理解できない。
「太陽系の惑星の公転半径は、一定の法則に則っているという説です。その法則に当てはめてみると、若干の誤差はありますが、海王星まではほぼその法則に則っているんです。ただ、冥王星だけは、極端に差があるので、その法則に則って考えると、冥王星の外側にもうひとつ惑星があるはずだと考えられています。恐らく、ネメシスの公転半径が、それに当てはまるはずです。法則自体の説明をすると長くなってしまうので、別の機会にしますね」
亜美は話を途中で切った。はるかは深く肯く。どうせ聞いても、理解できない。
「話をネフィルム・エンパイアに戻します。良いですね?」
クイーン・セレニティは四人に問い掛けてきた。考えてみれば話が横道にズレてしまっている。元に戻さなくてはいけない。四人は揃って肯いた。
「ネフィルム・エンパイアの者たちは、自分たちの住む惑星ニビルを、地球軌道上で公転させようと策略しました。地球そのものを排除し、そこに惑星ニビルを置こうと考えたのです。大きな戦いでしたが、セーラーヴァルカンを筆頭に、シルバー・ミレニアムの優秀な戦士たち、そして他の星系からの援軍もあり、どうにか彼らを撃退することができました。シルバー・ミレニアムが滅んだ際、サターンによって太陽系の災いは全て消去されていたのですが、予期せぬ事態により、全てが再生され、彼らもまた目覚めることとなりました」
「うさぎちゃん………。いえ、転生したプリンセス・セレニティの銀水晶の力により、全てが再生したあの時、ネフィルム・エンパイアも復活したと言うことなのですね?」
僅かに逡巡したのち、亜美は恐る恐るといった感じに、クイーン・セレニティに尋ねた。デス・バスターズとの戦いにおいて、覚醒したセーラーサターンは、全てを無に還す沈黙の鎌を再び振り下ろした。しかし、その後聖杯の神秘的な力を得てエターナルセーラームーンとなったうさぎの力と、セーラーサターンの中に残っていたほたるの力によって、世界は再生した。しかし、その代償として、幾つか消去したはずの駒まで同時に再生してしまったのだ。ネフィルム・エンパイアも、そうした“再生された災い”のひとつのようだった。
「プリンセスが全ての災いを引き寄せる………以前と少しも変わらない。消去すべきは、プリンセスの方なのかもしれない」
「新月!? なんてことを!!」
新月の呟きを聞いてしまったはるかが、眉を吊り上げた。
「セレニティが転生したその時代に、惑星ニビルが太陽系に戻ってくるとは、確かに皮肉ですね………」
険悪なムードになりかけたが、クイーン・セレニティの悲しげなその言葉に、はるかも新月も次の言葉を飲み込んでしまった。
「………ネフィルム・エンパイアは、再び地球軌道を狙うとお考えなのですね?」
「ええ、マーキュリー」
クイーン・セレニティには、真っ直ぐに亜美の瞳を見つめた。
「ヴァルカンはどうする? やつの封印も解けるのだろう? ネフィルム・エンパイアより先に、ヴァルカンを倒さなければならないのではないのか?」
僅かに斜に構えて、新月は言った。確かにネフィルム・エンパイアも脅威なのだが、その前に倒さなければならないセーラーヴァルカンがいるはずなのだ。
「いえ、あなた方にはネフィルム・エンパイアと戦うための準備をしてもらいます。敗北は許されないのです。幸いにも、この時代には、マーキュリーの知っている未来にはいなかったセーラー戦士たちが覚醒しています」
マーキュリー、即ち亜美の知っている三十世紀にいなかったセーラー戦士とは、イレギュラーによって覚醒したウラヌス、ネプチューン、そしてアスタルテのことである。再び転生したサターンもそうである。
「どういう意味ですか?」
何か含みのあるクイーン・セレニティの言葉に、みちるが敏感に反応した。
「あなた方の知っている三十世紀の未来は、ネフィルム・エンパイアに破れた未来です。十世紀も開きがあったことを、不思議に感じなかったのですか?」
「いえ………」
亜美は首を横に振る。当時は、そんなことを考える余裕すらなかった。そしてその時に疑問に感じなかったことに、その後も何の違和感も感じなかった。
「ネフィルム・エンパイアに破れたプリンセスは、銀水晶の中で自らと地球の傷が癒えるのを待ちました。そして傷が癒え、銀水晶の力を使って再生させたのが、あなた方の知っている三十世紀です。あなた方の知っている三十世紀の地球は、現在の軌道上にはありません。ニビルによって、軌道を弾かれてしまいましたので………。ネメシスが異常に近くに感じたのは錯覚ではなく、事実、近くに存在していたのですよ」
「そんなこと、ちびうさは一言も………」
亜美は体の震えが収まらなかった。両腕で、自らの体を抱き締めるようにして呟いた。
「恐らく、スモール・レディはその事実を知らないでしょう。ネオ・クイーン・セレニティもまた、未来の真実をあなた方に告げることは憚( られたのでしょう」)
「だが未来は、現在の幾つかの可能性が分岐したもの」
重々しく、ドラクルが口を開く。
「既に、今現在の時間軸は、君たちの知っている三十世紀の時間軸とは別の方向に向かっている。故に、同じ未来にはならない」
「だから、ネフィルム・エンパイアには勝てるとでも言うのか? 気休めだな」
「『勝てる』のではない。『勝つ』のだ」
「なに?」
新月は不快げに頬を歪めた。
「何のためにお前たちをここに呼んだと思っているのだ? 事前に敵を知り、対策を立てて、やつらに『勝つ』ためだ」
「あたしたちは、何をすればよいのでしょうか? 正直、頭が混乱してしまって………」
亜美はいやいやをするように、大きく頭を振った。落胆したような表情で、自分の足下に視線を落とした。
「バベルの塔にいるギルガメシュという人物に会え。協力者だ」
「協力者? シルバー・ミレニアムの生き残りではないの?」
ドラクルの言葉に何か引っ掛かるものを感じ、はるかは訊き返した。不透明な部分は、できだけなくしたい。
「ネフィルム・エンパイアの中にはふたつの勢力がある。ひとつは、地球軌道を奪取せんと考える強行派。そして………」
「反対派か………」
ドラクルの言葉を受け継ぐような形で、はるかは呟いた。
「クイーンが仰るのですから、完全に味方であると考えて宜しいのですね?」
みちるは慎重だ。味方だと思っていた相手に、騙し討ちに遭いたくはない。
「信用できる相手です。心配ありませんよ、ネプチューン」
クイーン・セレニティのその笑顔は、心に安らぎを与えてくれる。
「飛空艇がある。それを使うがよい」
「ひくうてい?」
ドラクルの申し出だったが、亜美もはるかもみちるも、「飛空艇」が何かのかが分からなかった。
「飛行船と言った方が分かり易いか。飛空艇があれば、移動には困らぬだろう」
「分かりました。あたしたちはご指示の通り、バベルの塔に向かい、ギルガメシュという人物に会います」
はるかが四人を代表してそう言った。
「もうひとつ、お尋ねしたいことがあります」
亜美は遠慮がちにではあるが、それでも鋭く、ドラクルに問い掛けた。部屋を出て行こうとしていたはるかとみちるは足を止め、亜美の方を振り返った。その場に留まったままだった新月は、目線だけを亜美に向けた。
ドラクルは「なんだ」という風に、鋭い眼光を亜美に向けてきた。
「何故、レイノール子爵の村が襲われたのです? その襲撃者が、ネフィルム・エンパイアの者なのでしょうか?」
「かなりムカツクやつが、ひとりいた」
はるかは、ドラクルの方に体の向きを戻した。
「その者がネフィルム・エンパイアの者だと判断を下すには、情報が充分ではないが、十中八九間違いないだろう」
ドラクルは重々しい口調で答えた。一呼吸置いてから、「襲撃を受けたのは、レイノールの村だけではない」と付け加えた。
「他にも、襲われたのですか!?」
亜美が沈痛な表情になった。レイノールの治めていた村の惨状を目の当たりにしているからだ。両手で胸を押さえるようにして、視線を落とした。
「シルバー・ミレニアムの直系の子孫たちが暮らしている村ばかりが、立て続けに襲われたようです」
クイーン・セレニティは、やりきれない表情をしていた。
「何故襲われたのだ? 危うく、あたしたちも巻き添えを食らうところだった」
対して、新月の表情は冷ややかだった。まるで、迷惑を被ったと言わんばかりの表情で、ドラクルの顔を睨むように見ている。
「断定するのには情報が不十分だと言っておきながら、十中八九間違いないと言い切るからには、それなりに根拠があるはずだ。襲われたのには理由があるな? 話せ。あたしたちには知る権利がある」
「急かすな。順を追って説明する」
「亜美が尋ねなければ、この話題に触れなかった。はぐらかすつもりでいた証拠だ。あんたはいつだってそうだ。最も肝心な情報を、伝えようとしない」
新月は怒りを露わにしていた。ドラクルは渋面を作る。クイーン・セレニティは、「あなたの負けよ」と言わんばかりに、僅かに口元を緩めた。
「やつらの狙いが分かっているからだ」
ドラクルは説明を始める。
「我らは、やつらの狙っている“あるもの”を保管している。恐らく、それを狙って襲撃を繰り返しているのだろう」
「“あるもの”とは、何です?」
今度は、みちるが尋ね返す。
「連中が、躍起になって探すようなものなんですか?」
「やつらにとっては、脅威のひとつだからだ。その昔、やつらを退けた戦士のひとり、セーラーヴァルカンだ」
「セーラーヴァルカン!? ヴァルカンがいるのですか!?」
受け答えは、代表してみちるが行っていた。他の三人は、無言でみちるとドラクルのやりとりに耳を傾けている。
「正確にはヴァルカンではない。ヴァルカンが眠っている聖櫃( だ。ブラッディ・クルセイダースとかいう組織の手から、我らの仲間が奪還した」)
「ヴァルカンが眠っている聖櫃( ………。それは今、どこにあるのです?」)
「ここにある。お前たちの目の前。そこに横たわっている柩が、セーラーヴァルカンが封印されている聖櫃( だ」)
ドラクルは、みちるたちの前方を顎で示した。この部屋に入った時から気になっていた、豪華な装飾を施された柩の中に、セーラーヴァルカンが眠っているのだ。
神殿の裏手には庭園が広がっていた。色とりどりの美しい花が咲き乱れ、噴水が水の芸術を作り出している。
はるかとみちるは、木製の白いベンチに並んで腰掛け、見るとはなしにその噴水を見つめていた。無言のまま、既に小一時間はこうしている。
「信じる?」
吹き上げられていた水が休息し辺りが静まると、みちるがぽつりと尋ねてきた。
「あたしの脳ミソは出来が悪いんでね。処理速度がとっても遅い」
答えにはなっていなかったが、みちるはそれだけで納得したようだった。
「バベルの塔って、一度行ってみたかったのよねぇ」
「あたしもだ」
まるで観光旅行にでも行くようなみちるの言葉に、はるかも同じように答える。ふたりは肩を揺すって笑い合った。わざわざ確認するまでもなく、お互いの意志は決まっていた。
「案内はあんたがやってくれるのかい?」
はるかはベンチの背にもたれるようにしながら、首を後方に巡らせた。
「気付いとったのか………」
ニタニタと笑いを浮かべながら、レイノールが歩み寄ってくる。
「いや、わしは別にやることがある。ノスフェラートという男がいる。そやつに案内をさせる。いろいろと問題のある男なのだが、頼りにはなるはずじゃ」
「なんだ、そうなのか………。あんたと漫才ができないと思うと、少し寂しいな」
「本心なら嬉しいのだが」
「建て前だ」
「そうじゃろうと思ったわい」
だがレイノールは嬉しそうに笑った。はるかの口にした「建て前」というのが、照れ隠しの嘘だと分かっていたからだ。
「千年魔女を捜しに行くんだ?」
「捜し出して、罰せねばならんからのう。何を目的に地球人を襲っているのか、本人に会って尋ねる必要がある。………が、あやつが暴走したお陰で、お前さんたちにも会えたことだし、悪いことばかりではないのだがのう」
カカカッとレイノールは笑った。はるかは呆れたように、嘆息するしかなかった。
「あたしたちを捕らえた敵が、ネフィルム・エンパイアの連中だとは思うんだけど、でもやつら、千年魔女の部下たちも襲っていた。千年魔女がネフィルム・エンパイアに情報を提供していた可能性は、薄いわね」
みちるは噴水を見つめながら、呟くように言った。誰かに答えてもらいたいわけではない。ただ、自分の考えを口に出しておきたかったのだ。
「本人に尋ねてみるまでは、何も分からんよ」
「マチュア………だったかしら。敵であるはずのあたしたちのところに、救援を求めに来なければならないような状況だったと言うことなのよね。子爵様の村の惨状を見れば、分からないでもないけれど………」
「ん? マチュアに会ったのか?」
「ええ。彼女を知ってるの?」
「わしの馬鹿娘じゃ」
「え!?」
みちるの顔は、僅かに青ざめた。あのマチュアが、レイノールの娘だったとは………。
「その様子だと、マチュアはもう死んでおるな?」
「ええ………。あたしと亜美の目の前で、息を引き取ったわ」
「この神殿で、ドラクル様に仕えていれば良いものを………」
レイノールは首を左右に振りながら、視線を下に落とした。みちるもはるかも、そんなレイノールに何ひとつ、言葉を掛けることができなかった。
亜美は神殿の書庫にいた。旅立つ前に、できるだけ知識を蓄えなければならない。
書庫には豊富な資料があった。かつて、シルバー・ミレニアムにあった書物も幾つか見受けられる。亜美はその中で、ネフィルム・エンパイアに関する記述をピックアップし、重点的に学んでいた。
旅立つのは明朝と決まっていた。様々な知識を学ぶには時間が足りない。だから、当面必要になって来るであろうネフィルム・エンパイアに関することを先に学ぶことにしたのだ。一通り知識を得、時間があればその他のことを学べばよい。欲張りは、時間と労力を無駄にするだけだということを、亜美はよく分かっていた。
気配がした。
亜美は小さく息を吐き、顔を上げた。書庫の入り口に顔を向ける。始めて見る顔がそこにあった。
歳は二十歳後半くらいだろうか。ひょろりとした痩せぎすの男だった。闇よりも深い髪の色を持ち、金色の不気味な輝きを発する瞳を持っていた。髪は短く刈られてはいるが、前髪は何かで固められたようにピンと突っ立っていた。狡賢そうなその表情は、とても善人には見えなかった。
「なにか?」
だから、亜美の口調は氷のように冷たくなった。
「ご挨拶ですな、水巫女殿」
薄ら笑いを浮かべながら、その男は大股で歩み寄ってきた。亜美の背後に立つと、右側から無遠慮に顔を覗き込んできた。亜美は僅かに、身を左に傾けた。
「ノスフェラートと申します。バベルの塔までの案内役を任されました」
「あなたが? レイノール子爵は?」
亜美はノスフェラートの顔は見ずに問うた。
「美しいレディのエスコートは、あの老いぼれには不向きだ」
耳と首筋に、ノスフェラートの生暖かい息が掛かる。亜美は不快に感じ、眉根を寄せる。
「そうかしら? あなたよりは紳士だと感じたけど?」
「ふん」
ノスフェラート鼻を鳴らすと、覗き込んでいた顔を離した。亜美はホッとしたように小さく息を吐いたが、
「その物憂げな表情、いいねぇ。あんた、俺の好みだよ」
「!?」
ノスフェラートはいつの間にか、左側から覗き込んでいた。
「あなたは!!」
亜美がキッと鋭い瞳で睨むと、
「おおっとぉ」
ノスフェラートは戯けた素振りで、後方へと飛び退いてみせた。
「これ以上水巫女殿を怒らせると、神祖から大目玉を食らっちまうな。それでは水巫女殿、お邪魔致しました」
右手を左胸に当てて軽く一礼すると、ノスフェラートは足早に書庫を後にした。
「あんな人と一緒に行動するの?」
亜美は明日からの行動に、とても憂鬱になっていく自分を感じていた。
「何の用?」
与えられた部屋で休息を取っていた新月だったが、ドラクルの呼び出しを受けて神殿の最深部―――女王の間に来ていた。
新月の目の前には、自分を呼び出したドラクルと、玉座に座したクイーン・セレニティの姿があった。
「知りたいことがあったのではないのか?」
ぶっきらぼうとまではいかなかったが、それに近い口調で、ドラクルは言ってきた。クイーン・セレニティは、ジッと自分の顔を見つめている。
「別に、もうどうでもよくなった」
新月は無愛想に答えた。セーラーヴァルカンの眠る聖櫃をチラリと見やる。
「本心ではあるまい」
「何故そう思う?」
「お前の顔に、そう書いてある」
「………」
新月は無言のまま、右の頬を不快そうにピクリと波打たせる。
「なら、訊こう。何故あたしはここにいる?」
「自分の意志で来たのであろう?」
「はぐらかすな。そう言うことを訊いているんじゃない。何故あたしが、地球人として転生しているのかと訊いている。あたしは、災いの戦士のはずだ。存在してはならない、地球の影の星を守護に持つ災厄の戦士。シルバー・ミレニアムが滅ぶ際、最も近くで滅亡する様を黙って見つめていた戦士だ。プリンセスを救おうと思えばできた。だが、あたしはしなかった。救えるはずのプリンセスを見殺しにし、救えるはずのシルバー・ミレニアムを見捨てたあたしを、何故転生させる必要があったのだ?」
新月は感情を押し殺したまま一気にそこまで話すと、そこで間を置いた。その目は、クイーン・セレニティに向けられていた。睨むような視線だった。
クイーン・セレニティは、すぐには答えなかった。優しげな表情を称えて、新月の射るような視線をしっかりと受け止めていた。
「あなたが、シルバー・ミレニアムの戦士だからです」
「!?」
クイーン・セレニティの言葉を受けた瞬間、新月はクルリと踵を返していた。
「答えになっていない」
抑揚のない声でそう言うと、新月はそのままスタスタと女王の間を出て行こうとする。
その新月をドラクルが呼び止めた。
「まだ何か用があるのか?」
苛立ちを通り越して、怒りの視線を、新月はドラクルに向けた。
「これを持って行け」
だがドラクルは、そんな新月の視線は意に介さなかった。無造作に突き出されたその右腕には、鞘に収まった一降りの剣が握られていた。柄に見事な装飾が施された、それは宝剣のようでもあった。
「それは、セマエルの剣!?」
新月は驚きの表情で、ドラクルの手に握られた剣を見つめる。
「どうした? お前の剣だ」
言葉を無くしてその場に立ち尽くしている新月に、ドラクルは早く受け取れという具合に、剣を持つ右腕を、僅かに振るった。
「あたしがそれを手にすることがどういうことか、分かっているのか?」
「もちろんだ」
「なら何故それをあたしに託そうとする? それを手にしたあたしは、魔性の戦士となる。プリンセスを襲うぞ?」
「それはお前の心次第だ」
低く、重々しい声で、ドラクルは告げる。
「魔性の剣に支配されるかどうかは、お前の心次第。お前が強き意志でこの剣を使えば、剣の魔力を抑えることができる」
「勝手なことを………」
新月は言葉を吐き捨てた。ドラクルは剣を持つ手を突き出したまま、無言で新月の顔を見つめている。クイーン・セレニティは一切の表情を変えずに、ふたりの様子をただ見つめている。
新月は諦めたように大きくかぶりを振ると、ドラクルの手からセマエルの剣を受け取った。
「どんな結果が待っているようと、それはあたしの責任じゃない」
新月の言葉は、地の底から響いてくるような不気味さがあった。
「用は済んだ。去るがいい」
自分の手からセマエルの剣がなくなると、ドラクルは新月に背を向けた。
「………ヴァルカン。どうするつもりだ? あいつが目覚めれば、間違いなくあんたたちは消滅させられるぞ?」
新月は聖櫃( を見つめていた。まるで、その聖櫃) ( から答えが返ってくるのを期待しているかのように。)
「聖櫃( の中から、強い“気”を感じる。やつは目覚めている。間もなく、封印は解けるぞ」)
「お前が心配することではない」
「ふん。確かにそうだ。あんたがどうなろうと、あたしの知ったことじゃない」
「そう言うことだ」
新月はそんなドラクルの背中を一瞥すると、クイーン・セレニティには視線すら向けずに、女王の間を出て行った。
「頑固な娘だ………」
「あなたによく似ていますよ」
「だから困るのです」
ドラクルはクイーン・セレニティに背を向けたまま、僅かに両肩を上下させた。久しぶりの父娘の対面だったが、父の想いが娘に伝わったのどうかは、まだ分からなかった。
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