謎の敵
「これは、どういうことだ!?」
その惨劇を目の当たりにして、ヨハネスは言葉を失ってしまった。
峠から見下ろす村落は、見るも無惨な状態となっている。既に戦火は、小高い丘の上に聳えるこぢんまりした古城に移っているようだ。
レイノール子爵の居城である。
「あの様子では生存者は………」
そこに村落が存在していたと知っていなければ、とても村落があったとは思えない状態の眼下の光景を見つめながら、新月はゆっくりとかぶりを振った。
「!?」
新月は何かを感じた。そして、感じた方向に視線を移動させる。
紅蓮の炎に焼かれている古城が見える。ぶ厚い雲に覆われ、星の光もない闇の空を、古城を焼く炎が赤々と照らしている。
「あそこに、誰がいる!?」
そう感じた。自分に近しい者の輝きを、あの古城の中から感じ取ることができる。
「あの城に、あたしの仲間が捕らえられてるって言っていたな?」
新月は、唖然としているヨハネスの耳元に怒鳴った。
「あ、ああ! ベラ、どうなのだ!?」
我に返ったヨハネスは、傍らの大男に尋ねた。
「は、はい。ひとり捕らえていると聞いております」
「ひとり………?」
新月は怪訝顔になる。亜美とみちるならふたりで行動していたはずだ。捕らわれているのがひとりと言うのは解せない。それとも、どちらかが捕らえられてしまったのだろうか。
何れにしても、行ってみなければ何とも言えない。
「あそこまで行くには、あの中を突っ切らなければならないのか………」
炎に包まれている眼下の村落を見下ろしながら、新月は覚悟を決めた様子で呟いた。五体満足で城まで辿り着くのは、不可能だと感じた。それ程までに、下の様子は悲惨だった。
「ベラ、この方をお守りしろ。レイノールの城まで、あの中を一気に駆け抜ける」
「畏まりました」
ベラは慇懃に頭を下げた。ベラが新月の背後に回ろうと、大きな足を踏み出した時、
「………へぇ。増援が来たのか。だけど、少しばかり遅かったようだね」
皮肉った声が頭上から振ってきた。驚いて見上げると、子供のような小柄な人影が、ふわふわと宙に漂っている。月の光もない闇夜では、そのシルエットらしきものを確認するのがやっとだった。いや、見えていないのは新月だけかもしれないが。
「何やつ!?」
ヨハネスが鋭く叫び訊いた。
「ボクかい? いいのかなぁ、名乗っちゃって………。でも、みんなここで死んじゃうから名乗ってもいいか。ボクは、イギギ」
人影は名乗ると、無邪気な笑顔を見せた―――ような気がした。
次の瞬間には目映い光が視界を覆っていた。と、思っていたら、何かに押し倒されるようにして、新月は地面に転がった。次いで、何かが覆い被さってくる。何が起こったのか理解できなかった。
「ご無事ですか?」
間近で声がした。覆い被さっていたのは、どうやらヨハネスだったようである。
「何が起こった?」
「あやつめが、攻撃して参りました………」
答えるヨハネスは、息が荒かった。負傷をしているのかもしれない。
「封印されている“力”をお使いなさい。でなければ、この場から無事逃げることはできませぬ。お仲間を救うのです」
「封印されている“力”だと!? あたしに、どんな“力”があるって言うの!?」
「ほ、星の守護を受けし“力”です」
「星の守護………。亜美やみちると同じ力を、あたしも持っていると言うの?」
「あなた様は、何者かの手によって“力”を封印されています。その“力”を解放することが、良き方向に結びつくことなのか、悪しき方向に結びつくことなのかは、わたしには分かりません。しかし、このままではあなた様まで殺されてしまう」
ヨハネスの声が、次第に弱々しくなってくる。命の灯火が消えようとしているのだ。
「なる程………。こうして間近でお顔を拝見致しまして、ようやく悟りました。あなた様が、どなたであるのか」
「あたしが誰だか、知っているのか!?」
「奥方殿によく似ておられる………。神祖様の元へ行き、真実を知ってください。最期に、あなた様にお会いできたのは、運命なのでしょうな。遥かなる時間( を過ごして来たのは、無駄ではなかったようです」)
それがヨハネスの最後の言葉だった。
新月はのそりとヨハネスの懐から抜け出すと、油断なく起き上がった。
ベラらしき大男の下半身だけが、すぐ近くに転がっていた。上半身は、どこにも見当たらなかった。
物凄い熱量だったのか、地面がドロドロに溶けている。ヨハネスが庇ってくれなかったら、自分も一瞬で溶けていたことだろう。
「おやおや、五体満足なのがひとりいたよ………」
その声に、新月は顔を上げた。子供のように小柄なイギギと名乗った男が、先程より少しばかり古城よりの空中に、ふわふわと漂っているのが見えた。
「せっかく生き残ったのに悪いんだけど、死んでもらうね」
「いや、死ぬわけにはいかない」
低く、地の底から響くような声で、新月は言った。イギギがビクリと体を震わせた。鋭い眼光は、全てのものを凍てつかせる光があった。
「守ってもらったこの命。そう容易く、お前のような下郎にやるわけにはいかない」
新月の封印されていた“記憶”が、解き放たれる時が来た。
「どうするってのさ? 命乞いしたって無駄だよ」
「命乞い? お前がするんだろ?」
ブワッ!!
光が膨れ上がった。新月の体を強烈な光が包み込む。
「な、なんだぁ!? お前、何モンだ!?」
イギギが狼狽えた。額には脂汗を浮かべ、唇がわなわなと震えている。それが恐怖によるものだと言うことに、イギギ本人はまだ気付いていない。
「………あたしは“影”。この星の影星。新月の闇に隠れし破壊の星アスタルテを守護に持つ、森羅万象の戦士セーラーアスタルテ」
光が収束すると、そこにはひとりのセーラ戦士が佇んでいた。シルバー・ミレニアムの戦士と寸分違わぬセーラースーツを着込んでいた。襟とスカートはエンジ色をしていて、胸と腰のリボンは上部が濃紺、下部が金色の二色に分けられている。デザイン自体は、セーラームーンたちの初期の頃のデザインに近い。
「星の輝きだって!? お前、その輝きを今までどこに隠していた!?」
「死んでいくお前が知る必要はない!」
新月―――いや、セーラーアスタルテは鋭い視線をイギギに向けた。
「カイン・ザ・ソロモン!!」
アスタルテは右手を頭上に翳す。
「なにぃ!?」
天から降り注いだ三本の光の矢がイギギの体を貫いた。そして、瞬く間に爆発四散した。
「セマエルの剣がなければ、この程度か………」
僅かに悔しげに、宙空を眺める。だが、すぐに視線を古城に移した。
「神祖に会えば、全てが分かると言うのなら会いに行く」
一瞬だけヨハネスの亡骸に視線を落とすと、次の瞬間には、アスタルテは闇の空高く宙を舞っていた。
移動は容易だった。
戦闘が終息状態にあったからだ。ヴァンパイア側の一方的な敗北と言う形で………。
気配を殺し、アスタルテは古城に近付いた。凄まじい炎の海の中も、セーラー戦士に変身をしていればそれ程苦労することなく移動することができる。セーラースーツは、耐火性にも優れているのだ。肌が露出されている部分も、実際は透明のポリマー素材で覆われている。素肌ではないのだ。
アスタルテが到着した頃には、古城は殆ど原型を留めていなかった。立派であったろう塔も崩れ、今は見る影もない。
燻っている炎も避けずに城内に侵入すると、床を破壊して地下へと降りた。地上の様相とは裏腹に、地下は殆ど無傷だった。
「こっちか………」
気配を感じた方向の壁を破壊する。通路を悠長に進んでいくつもりはなかった。最短距離を進む。
三つめの壁を破壊したときに、強い気配を感じた。自分に近しい“力”を感じる。
「あの壁の向こう………」
前方にも壁があった。これを破壊すれば、その“気”の持ち主に会うことができる。
アスタルテが足を踏み出すと、前方に二体のウェアバットが出現した。血走った瞳で、自分のことを見据えている。その一体と目が合った瞬間に、二体は同時に襲いかかってきた。
「寄るな!」
アスタルテは右手を左から右に凪いだ。襲いかかってきた二体のウェアバットがもんどり打って吹っ飛び、壁を破壊してその向こうへ消えた。そのままスタスタと、破壊した壁を潜った。
気配がした。殺気だった気配だった。ウェアバットのものではない。既にウェアバットの気配は消え失せている。
「何者だい?」
噴煙の向こうから声が聞こえてきた。トーンはやや低いが、女性の声だと感じた。知っている声ではなかった。
(やはり、亜美さんとみちるさんではないか………)
可能性が低いと思っていたから、さしてショックはなかった。
「敵ならば戦うまでだが?」
再び声が聞こえた。アスタルテはゆっくりと前進する。声の主の姿が見えてきた。その出で立ちには見覚えがある。亜美やみちるが変身したときと同じタイプのコスチュームだった。
「なに!?」
前方のセーラー戦士らしき人物が、自分の姿を見て驚きの声を上げた。
「お前はセーラー戦士!?」
「どうやら、そうらしい」
アスタルテは答える。嘘は付いていない。自覚をしているわけではないので、そう答えるしかない。
「しかし、シルバー・ミレニアムの戦士の姿をしているが、あたしはあなたを知らない」
「説明してくれそうな人が死んでしまったので、あたしは何とも答えようがないわ。覚えているのはアスタルテと言う名だけ」
「アスタルテ? セーラーアスタルテ………」
前方のセーラー戦士は、自分の姿を怪訝そうに見つめている。
「あなたは、亜美とみちるを知ってる?」
「何でその名を知ってる!?」
前方のセーラー戦士が再び驚きの声を上げた。
「どうやら、あなたがふたりが捜していた人だったみたいね」
「どうも話が飲み込めない。詳しく説明してくれる?」
「そうしたいけど、その前にしなくちゃいけないことがある」
アスタルテは上を見上げた。天井の向こうに凄まじい“気”を感じる。
「そのようね」
前方のセーラー戦士も“気”を感じ取ったようだ。
「ひとまずは、あなたを味方と信じよう。あたしはウラヌスだ。セーラーウラヌス」
「よろしく」
アスタルテは小さく笑みを浮かべた。
そいつは「歌」を歌っていた。
高音の澄んだ美しい歌声だった。
しかし、美しいのは歌声だけであった。それが、「凶器」の歌だったからだ。
歌い手は美しい女性だった。やや褐色の肌に美しいラベンダーの長髪、純白の清楚なコスチュームを身に纏っている。コスチュームはセーラー服を模したようにも、ドレスを模したようにも見える。ベールに覆われた顔から覗く瞼は、何故か閉じられたまま開こうとはしなかった。
彼女の口から美しい歌声が流れるたびに、凄まじいまでに時空が震動し、それにともなって家屋が崩壊していく。いや、家屋だけではなかった。美しい旋律の洗礼を受けた逃げ惑う人々も、同様にその身を崩壊させていった。
さながら、地獄絵図のような光景だった。
「随分と派手にやらかしたわね」
宙に静止して村落を見下ろして「歌」を歌っていた女性の前に、ウラヌスは現れた。右隣りにアスタルテが並んだ。
「そこな方々、セーラー戦士とお見受け致しますが………」
女性は瞼を閉じたままだった。しかしながら、ウラヌスたちのことは正確に認識していた。気配を読んだのか、それとも別の方法を使ったのか。
「あたしたちがセーラー戦士だと分かると言うことは、あんたも徒者( じゃないわね。最も、こんなことが普通の人間にできるとも思えないけど………」)
ウラヌスは油断なく言葉を放った。目の前の相手から、星の輝きを感じたからだ。答えを聞くまでもなく、相手が「徒者」でないことは分かっていた。
「我が名はセーラーヒアデス。大人しく帰られるのであれば、そなたたちには危害は加えぬ。我が命( を受けしは、この地一帯の破壊とこの地に住む者たちの抹殺のみ。そなたたちの抹殺は我が命にあらず………」)
「なんか、その言い方、腹が立つわね」
「気分を害するのは、そなたの勝手。我が意向ではない」
「益々ムカツク………」
ウラヌスは眉根を寄せた。その横のアスタルテは表情を変えていない。
「ここを立ち去りなさい。我々は、まだ( そなたらの敵ではない」)
「ここまでやっておいて、敵じゃないだって!? 呆れてものも言えないわ!」
「この地は破壊したが、そなたたちには危害を加えてはおらぬ」
「あたしは危害を加えられた」
今まで無言だったアスタルテが口を開いた。
「イギギとか言うやつは、お前の仲間ではないのか?」
「イギギ………。何故その名を知っているのです? あの者が名乗りましたか?」
「堂々とね」
「あの者はまだ名乗ることを禁じられていたはず………。後程罰せねばなりませんね」
「その必要はない。あたしが罰した」
ヒーラーヒアデスと名乗った女性の表情に、僅かな変化が訪れた。ピクリと右の眉を動かしたのだ。だが、一向に瞼は閉じられたままだった。
「先程イギギの気配が一瞬だけ見え隠れしましたが、その為でしたか………。イギギの気配は永久に消えたと言うことのようですね」
「そう言うこと。あたしたちは、充分敵同士なのよ」
「いいえ………」
セーラーヒアデスは首を横に振った。
「イギギは命を無視したようです。我が命に反します。そなたらは偶然この場に居合わせただけなのです。早々に立ち去りなさい。我々はそなたたちは追いませぬ」
「はいはい。確かにここにいたあたしたちが悪うごさんした。だけど、黙って聞いてれば二体一でも負けることはないと言っているように聞こえるが?」
「我は負けませぬ」
「へえ………」
ウラヌスの頬がピクリと波打った。両方の拳を握り、指の関節をボキボキ鳴らした。
「立ち去りなさい。それが、そなたたちの為でもあります。無駄に命を落とすことはありますまい」
「上等じゃないか!」
ウラヌスは完全に頭に血が上っていた。パワーを全開にする。
「ヒアデス、もう良い。この地での我々の仕事は終わった」
唐突に声だけが響いた。迫力のある力強い男性の声だった。威圧感がある。ヒアデスに挑み掛かろうとしたウラヌスだったが、気を削がれてしまい、振り上げた拳が振り下ろせない。
「承知致しましたハスター様」
セーラーヒアデスは虚空に向かってコクリと肯く、次いで、ウラヌスとアスタルテに顔を向けた。相変わらず目は閉じたままだった。
「我らを追おうなどとは考えぬことだ。望まずとも何れは敵となる。それから………」
セーラーヒアデスは言葉を一端切ると、瞼の奥の瞳を僅かに動かした。
「この地より僅かに東にゆくと、廃墟と化した建物がある。ハスター様が気まぐれに捕らえた―――恐らくはそなたたちの仲間がいる。返して良いと仰っていたので、迎えにゆくがよい」
そう言い残すと、ヒアデスは蜃気楼のように揺らめき、その場から姿を消してしまった。
「仲間がいた!? 分からなかったぞ!?」
ウラヌスは苛立たしげに、右腕を振り下ろした。
「戦わなくて正解だったかもしれないわね」
「舐められたんだぞ! 悔しくはないのか!?」
低く呟くように言ったアスタルテに、ウラヌスは気色ばんだ。しかし、アスタルテは意に介さない。
「状況を考えてから言ってほしいわね。仲間がいたのに気付かなかったのよ。他にもいたのかもしれない。感情論だけで片付けられる問題ではない。あいつらは北に移動した。死にたいのなら追えばいい」
「くそぉ!」
アスタルテは冷静に言い放つ。ウラヌスはやり場のない怒りを、廃墟と化した大地に向けるしかない。
「やつらが敵じゃないと言っているうちは、好きにさせるしかない。わざわざ敵の数を増やす必要はない」
「分かったよ」
不満そうに言い捨てる。自分より年下そうなアスタルテにそこまで冷静に言われては、ウラヌスは立つ瀬がない。深呼吸して気持ちの高ぶりを抑えた。
ふたりは地上に降り立った。上空にいた時は気にならなかったが、地上に降りてみるとかなりの高温であることが分かった。熱気のために、視界が僅かにぼやける程だった。
地面に転がっている直径五センチ程の石を爪先で突くと、ジクソーパズルが崩れるかのように、バラバラと音もなく砕けた。
「これからどうする?」
ウラヌスは顔を上げた。アスタルテはまるで、その問い掛けを待っていたかのように、即座に答えてくる。
「いるか分からないけど、生存者を捜しましょう。そして………」
「東の廃墟か………」
ウラヌスは恐らく東であろう方角に目を向けた。セーラーヒアデスは、ここより東の廃墟に自分たちの仲間を捕らえていると言っていた。
「みちると亜美の可能性が高いか………」
はるかは呟いた。
「ふたりを救出したあとは、あたしは神祖とかいうやつを捜す」
「神祖?」
ウラヌスは怪訝そうに眉を顰める。
「ヴァンパイアの神祖のことか?」
「よく分からないが、たぶんそうだろう。あたし自身のことを知るためには、神祖とかいうやつに会う必要があるらしい」
「なら、わしも連れて行っておくれ」
「あ、あんた生きてたのか!?」
瓦礫の下からひょっこりと顔を出してきたのは、レイノール子爵だった。泥や煤で体中汚れてしまっているが、怪我はしていないようだった。
「わしゃ、悪運が強いんじゃ」
カカカッと、レイノールは乾いた笑いを放った。
「味方か?」
「さぁ、どっちかな」
短く訊いてきたアスタルテに、ウラヌスは曖昧に答えると、どこか惚けたようなレイノールの顔に目を向けた。
レイノールは無言のまま、ニカッと笑った。
「明るくなってきたな」
アスタルテは、上空を仰ぎ見た。
陽が昇ろうとしているのか、夜の闇が僅かに薄らいでいた。
「………で、こういうこと」
話を終えたウラヌスは、右手で周りを示すようにしながら、少し投げやりな口調でそう言った。
「助けに来てくれたのは、ありがたいんだけど………」
まだ納得できていないネプチューンは、形のいい口をグイっと曲げた。彼女らしからぬ下品な仕草なのだが、それだけ、納得できていないということなのだろう。
「会わせたい方がおりますので、一緒に来て頂けますかな?」
レイノールが会話に割り込んできた。
「『神祖』とかいうやつに、会わせてくれるって言うわけ?」
「そうしなければ、あなた方は納得できますまい」
ウラヌスの問い掛けを肯定するかのように、レイノールは言ってきた。アスタルテが何か言いたげにレイノールに視線を向けたが、彼女が言葉を発することはなかった。