神祖の元へ
起伏の激しい山道を、五人はダラダラと歩いていた。
陽はまだ高いのだが、生い茂る木々の葉が濃く、陽射しを遮ってしまっているので、周囲は薄暗かった。足下まで陽の光が差し込んでいる場所は、極めて希である。よって、非常に足下が見辛い。
人道ではないために、足下が不安定で歩きにくかった。登山用の靴を履いていないので、尚更だった。
雑草が好き放題に伸びている。完全な獣道である。
五人が急いで移動できないのは、以上のことが原因だった。急ぎたくても急げないのだ。
「方向は合ってるのか?」
先頭を歩いていたはるかが立ち止まり、後方を振り向きながら尋ねてきた。
「合ってます。子爵様の言っていることが、正しければですけどね」
ポケコンでデータを呼び出し確認する亜美は、静かな口調で答えながら、後方にチラリと首を傾けた。亜美のスカートは短い。登山など予定にはなかったから、最低限のお洒落をしていた。雑草に切り刻まれ、足は傷だらけだった。いざというときのための動きやすさを考慮してスニーカーを穿いていたのが、せめてもの救いである。とは言え、慣れない登山で足の筋肉はパンパンに張ってしまっている。
「疑り深いのぉ………」
亜美の言葉を受けて、不満そうな声がすぐさま返ってくる。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
はるかも疑わしげな視線を、亜美の後方に位置しているはずの子爵―――レイノールに送った。
はるかの服装は、ゆったりめのTシャツにデニム地のジーンズだ。底の頑丈な靴を履いているので、多少道が悪くても苦にはならない。
「嘘を付いても、なんの得にもならんて」
レイノールはちゃっかりと、地面に迫り出している大木の根っこに腰を下ろして休憩していた。使い込んだパイプを銜えて火を付ける。何とも芳ばしいいい香りが、周囲に漂う。
「火の始末は、きちんとしてくださいね」
どこか諦めたようなみちるの言葉に、子爵は、
「大丈夫、大丈夫。わしゃ、自然を愛する貴族だからの」
と、飄々( とした口調でそう答えた。)
セーラーヒアデスによって村落は壊滅し、そこに暮らしていた多くのヴァンパイアたちが尊い命を失ったが、幸運にも死を免れた者たちもいた。城主であるレイノールもそのひとりだった。もっとも、彼は果敢に敵と戦い負傷し、瓦礫の下敷きとなって虫の息だったところを、ウラヌスとアスタルテのふたりに救出されたのである。(と、言うことになっている。実際、虫の息などではなく、大した怪我もなくピンピンしていたのだが、美談にしたいと言うレイノールの意向を組み、そう言うことになったのである)その後、ウラヌスとアスタルテと行動を共にし、マーキュリーとネプチューンを救出したのが二日前のこと。そして、ヴァンパイアの長である神祖に彼女たちを会わせると言って、道なき道をこうして歩いてきたのである。
「しかし、昼間にヴァンパイアがのこのこと出歩いているのが、あたし的には信じらんないんだけどね」
はるかは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「ふん。ヴァンパイアが陽の光を嫌うなんてのは、人間が作った作り話じゃよ。別に、陽の光を浴びたからって、灰にはならん。そういう弱点を作っておかないと、ヴァンパイアが無敵すぎて『お話』にならなかったからじゃろう」
「確かに、あたしがウィーン空港で出会したヴァンパイアは、陽の光を浴びても平気だったよ」
「そうじゃろう?」
「なんでそう言う解釈になったのかしらね」
はるかとレイノールの会話に興味を示したみちるが、話に加わってきた。ロングスカートの裾を気にしながら、木の根に腰を下ろす。
「闇の眷属などと、どこぞの誰かが言い出したからじゃないかの?」
「でも、夜に活動するのは本当でしょう?」
「単に夜の方が人目に付きにくいからじゃ。他に理由はない」
「案外単純な理由なのね………」
何を期待していたのか、みちるはかなりがっかりしたように言った。
「ちなみに、ニンニクも苦手じゃないぞよ」
「ホントですか?」
今度は亜美が話に乗ってきた。
「わしらヴァンパイアは、鼻が利くからの。確かに、匂いのキツイものは困りものじゃ。女性の香水も匂いのキツイやつはいかん」
「まさか、十字架も平気だなんて言いませんよね?」
「平気じゃ。十字架なんぞ、何の意味もないぞ。十字架を持つ者の何者も恐れぬ信仰心がちと苦手じゃが、十字架自体は別にどうと言うことはない。銀の武器でないと傷つかんと言うのも、人間が勝手に作ったことじゃ」
「ミステリー作家が泣きますね」
「事実なんてものは、案外そんなもんじゃ」
レイノールは言うと、ふぅと声を出しながら煙を吐いた。
「そんな話はどうでもいい。先を急がなくていいのか?」
うんざりしたような顔で言ってきたのは新月だ。亜美もみちるも、はるかでさえも巨大な根に腰を下ろして休んでいるのに、彼女だけは突っ立ったままだった。会話にも参加してこなかった。
新月も亜美同様、短めのスカートを穿いていた。しかも足下はサンダルである。とても山道などまともに歩ける状態ではないはずなのだが、それ程疲労しているようには見受けられなかった。
「急がば回れと言うじゃろう?」
レイノールは取り合わない。流石に亜美は気まずくなったのか、すぐさま立ち上がった。
「仲間がたくさん殺されたわりには、随分と呑気ね」
「焦って動いて、やつらに気取られたらどうする? やつらの狙いは、恐らく神祖様じゃ。………と言うより、『神祖様がお守りしているもの』と言った方が正しいかの」
「なんかいろいろと隠しているようじゃないか。いい機会だ。話してくれ」
はるかが身を乗り出してきた。だが、
「わしの口からは言えんな」
レイノールは軽くあしらう。
「何故だ?」
「わしの言葉だけじゃ、お主らは信じんからじゃ。実際に神祖様にお会いになって、直に話を聞くのが一番じゃ」
レイノールは顔を逸らして、大きく煙を吐き出した。女性陣に吐き出した煙が行かないように、注意を払っているように伺えるところは、流石は紳士といったところか。
「罠の匂いがするんだけど、本当に大丈夫なの?」
みちるだった。わざわざレイノールに聞こえるように、大きな声ではるかに問う。
「さぁ………。どうなんだい? 子爵様。実際のところは? そのくらい教えてくれたっていいんじゃないのか?」
言葉尻に笑いを含めて、はるかはレイノールに首を巡らして訊いた。
「ノーコメントじゃ………」
レイノールは素知らぬふりで、パイプを銜え直した。
「なんとも掴み所のない吸血鬼のおじいさんね」
亜美は薄く笑った。
「おじいさんはひどいのぉ………。わしゃ、こう見えても三十代じゃ」
「うそっ!?」
「なにぃ!?」
「え!?」
「は?」
亜美、はるか、みちる、そして新月までもが、四人四様に驚きの声を上げた。レイノールはどう見たって、八十代の老人にしか見えない。
「ヴァンパイアって、見た目より若いって言うのが相場だけど?」
代表してみちるが質問した。
「どこぞの小説家が勝手に作った設定じゃ。確かにヴァンパイアは長命であるけれど、見た目は人―――いや、ヴァンパイアそれぞれじゃ」
「あんたの場合、見た目よりかなり年嵩( に感じるんだけど………」)
はるかが苦笑する
「しゃべり方や仕草にも問題があると感じます」
亜美が付け加えるように言った。
「ホント、ヴァンパイアモードの時とは大違いね」
みちるが大袈裟に肩を竦める。確かに、レイノールがヴァンパイアとして能力を振るっている時は、四−五十代の紳士に見える。とは言っても、やはり三十代には見えなかった。
「ヴァンパイアもメイク・アップするのじゃ」
レイノールは、かかかっと大口を開けて笑った。
「ったく、どこまで本当なんだか………」
自分の額に右手を当てて、はるかはかぶりを振った。レイノールの言葉は、どうも信憑性に欠ける。
「さてと、そろそろ行こうかの。早くせんと、日が暮れてしまうわい。それに、これ以上のんびりしていると、そっちのお嬢さんの頭に本当に角が生えてしまうしな」
よっこらしょと言って、レイノールは腰を上げた。その動作は、どう見ても老人そのものだ。
「そっちのお嬢さん」と言われた新月が、ジロリとレイノールを見やる。もちろん、見られた本人は意に介さない。
「休憩し始めたのはあんたじゃないか………。まぁ、動く気になったのなら、いいんだけどね。じゃ、道案内頼むよ」
はるかはそう言うと、腰を上げて歩き出した。そのはるかを、レイノールは呼び止める。
「ちょっと待て、その前に用を足す。………お前さんもどうじゃ? 連れしょん」
「するかぁ!!」
怒鳴るはるかの頭が、通常の五倍くらいに膨れ上がったように見えた。
更に一昼夜歩いた。既に足が棒のようになっている。
中でも亜美の疲労は激しいものだった。口にこそ出さないが、皆に付いてくるのがやっとのはずだ。口数も少ない。
「少し休むか?」
気を利かせて休憩を入れてやらなければ、弱音を絶対に吐かない亜美のことだ、倒れるまで歩き続けるだろう。
「助かるわ」
はるかの申し出に、みちるが薄く笑って答えた。彼女もかなり疲労しているようだった。それに、みちるくらいしか、はるかの申し出に素直に応じる者はいない。
「ふぅ〜〜〜。疲れたわい………」
大きな溜め息を付き、地べたにどっかと腰を下ろして胡座( をかきながら、レイノールは自分の腰を拳でコンコンと叩く。)
「あんたがあからさまに疲労感漂わせてどうすんだよ!」
殴ってやろうかと言う勢いで、はるかが突っ込みを入れる。
「漫才ね、まるで」
呆れたように新月が言い、小さく笑った。亜美もみちるも、つられるようにして笑う。
レイノールはチラリとはるかに目を向けると、小さくウインクした。愉快に笑えば疲労が和らぐ。どうやらレイノールは、その辺を計算してひょうきんな行動を取ってくれているようである。なかなかどうして、気の利く男のようだった。
「あと、どのくらいなの?」
少しばかり返事が怖い気がしたが、はるかは尋ねてみた。ここまではペースを考えないで歩いてきてしまった。まだまだ日数が掛かるようなら、ペース配分を考えなくてはならない。それに適度に食事を取らなければ、疲労は蓄積する一方だ。
レイノールの居城を旅立ってから、はるかは何も口にしていない。軟禁状態で亜美やみちる、そして新月はそれ以上に食事を取れていないはずだ。
これまでの道中、食べられそうな木の実や果実は見当たらなかった。キノコ類はけっこう見つかるのだが、生のまま食べる気にはならないし、知識がないので食用なのか害になるのかの区別が付かない。うっかり食べて、毒キノコだったら目も当てられない。
途中、渓流も通ったのだが、火を起こせないので魚を捕ることもできない。いや、実際には火を起こすくらいのことはできた。レイノールが、煙草の葉に火を付けるためのマッチを持っているからである。しかし、下手にこんな山奥で煙を上げてしまうと、敵に察知されてしまう恐れがある。それでは何のために気配を殺して、徒歩で移動しているのかが分からなくなってしまう。
「まぁ、あと半日も歩けば着くはずじゃ」
旨そうにパイプを銜えながら、レイノールは答えた。
「本当に半日で着くのか?」
「休憩を取りながら来てるからのぉ。もう少し掛かるかもしれんが………」
確かにレイノールの言うとおりだった。ここ二日程は、かなりの回数で休憩を取りながら移動している。レイノールは休憩さえしなかったら、もうとっくに到着している、と言いたげな顔をしている。
「アンタはちっとも疲れてなさそうだな。食事してないのに大丈夫なのか? あたしたちの血が欲しくって、ウズウズしてるんじゃないのか?」
ホレホレと、はるかは首筋を差し出してみせる。もちろん、本当に吸わせる気など、毛頭ない。
「いや………。なんか勘違いしているようじゃから言っておくが、ヴァンパイアは血など吸わんよ」
「なにぃ!?」
初耳だったので、はるか、みちる、亜美までもが声を上げて驚きを示した。新月は、胡散臭そうにレイノールに視線を向けただけだった。
「じゃあ、首筋にカプッて噛み付くアレは、何なんだよ!?」
「いや、噛み付かんよ。ありゃ、人間の作った話じゃ」
「だって首筋見るじゃん!!」
「我らが首筋に牙を立てようとすると、月の王国の血を引きし者は反応を示すのじゃ。それを確認するために行う儀式みたいなものじゃな。お前さんが月の者だと分かったときのことを、よぉく思い出してみい」
「ん………。確かに………」
言われてみれば、そんな気もする。
「そうなの?」
「うん。たぶん」
自信がないから、曖昧に答えるしかない。
「まぁ、美しい娘っ子の色っぽい首筋を長々と見とれば、ムラムラっと来るだろうから、思わず吸い付く輩も実際にはいたかもしれんがのぅ………」
ひひひっと、レイノールは卑猥な笑いを発した。
「ヴァンパイアが美女の首筋に噛み付くのは、性的欲求のせいだっての?」
「ロマンのカケラもないのね………」
みちるはひどく落胆したように言った。
「ああ! でも、何もしないと言ったら嘘になるな。生体エネルギーをもらうから」
「生体エネルギー?」
「別に噛み付いたりしてもらうわけじゃないがの。自然と吸収するようになっとるんじゃ。今のわしの回りには、若いピチピチギャルが四人もいるから、わしが元気なのは当然じゃ。分かったかな?」
「それって、アンタがあたしたちの生体エネルギーを奪ってるってことか?」
「その通り!」
「疲れるのは、テメーのせいだったのかいっ!」
今度こそ本当に、はるかはレイノールの後頭部を殴っていた。レイノールは潰れたカエルのように大地にへばり付く。
「さぁ、先を急ごう。早くしないと、この妖怪じじいに生体エネルギーを食い尽くされちまう」
「いざとなれば、退治しちゃえばいいしね」
みちるが真面目な顔をして肯いた。
「近寄んなよ! あたしたちに!!」
「じょ、冗談で言ったのに………」
レイノールは嘆いたが、どうやら今更取り消しはできないようだった。四人はレイノールから五メートルの距離を置き、スタスタと歩いていってしまう。
「お〜い。道はわししか知らんのだぞぉ………」
そう呼びかけても、最早誰も聞く耳を持ってはくれなかった。すっかり信用を無くしてしまったようである。
休息をかなり多めに取りながら移動していたので、目的地に到着するのでに、結局丸一日経過してしまった。
樹木が鬱蒼( と生い茂る密林を歩いていると、だしぬけに視界が開けた。眼前には小さな盆地がポツリと見える。)
「やっと着いたわい」
どうやら、その盆地が目的地らしい。
周囲を険しい山に囲まれているその盆地は、大自然の戯れで偶然できたような申し訳程度の広さしかなかった。盆地の中央に程近い平地に、神殿と思しき建造物があり、その周りに木造の民家らしき家屋が同心円上に点在している。容易く数えられるほどの家屋しか存在せず、注意してよく観察しなければ、一定の法則があるなどとは分からなかった。一見すると、雑然と立ち並んでいるようにしか見えない。亜美だからこそ、気付いたと言ったところだ。
昼間だと言うのに、妙に薄暗かった。上空が厚い雲に覆われているためだ。
「不自然ね」
上空の雲を見上げながら、みちるが呟いた。まるで、盆地に蓋をするかのように、その厚い雲は低空を広がっている。
「流石じゃな。人工の雲じゃ」
感心したような口調で、レイノールは言った。
「何故、そんなことをする必要がある?」
はるかが尋ねた。
「この地を守るためじゃよ。あの雲は一年中消えることはない。人工衛星からでは、雲の下に何があるのかは、分からないようになっておるというわけじゃ。低い雲ですじゃからの。航空機なども雲の上を飛ぶ。お前さん方身を持って体験なされたように、歩いて近付くのも至難の業じゃ」
「そうまでして、神祖を守らなければならないの?」
レイノールが一息付くタイミングを見計らって、みちるは質問した。
「正確に言うならば、この仕掛けは神祖様をお守りするものではないぞ。神祖様も、とあるものをお守りしておる。その神祖様がお守りしているものを、俗物から守るための仕掛けが、この人工の雲なのじゃ」
「訳ありってことですね」
「左様」
亜美の言葉に、レイノールは大きく肯いた。
「しかし、神殿のような建物があるとは意外だった。ヴァンパイアのイメージとは、懸け離れすぎている」
はるかは言いながら嘆息する。レイノールはそのはるかをチラリと見やると、意味ありげな笑みを浮かべる。
「お前さん方は、これからもっと意外なお方と巡り会うことになる」
「これ以上、誰が出てくるって言うわけ?」
「さぁ、もう一息じゃ。行くとしようかの」
レイノールははるかのその問い掛けには答えず、四人を促して眼下の盆地へと歩を進めた。
村は静寂に包まれていた。人の気配を感じない。
しかし、廃墟と言うわけではなかった。人の生活の痕跡を感じ取ることができるからだ。人がいないわけではないようだった。極度に少ないだけなのだろう。
「お出迎えはないのね………」
残念そうにみちるは言った。もちろん、本当に出迎えを期待していたわけではない。
「あの神殿に、『歓迎!! セーラー戦士御一行様!』なんて垂れ幕でもあると、気分が出るんだけどね」
はるかが軽口を叩く。目的地に着いたと言う安心感が、彼女に冗談を言わせる余裕を作ったのだろう。
「やはり、神殿か」
真っ直ぐに神殿を目指しているレイノールの背中に、新月は言葉を投じた。
「もちろんじゃ。あの神殿に、神祖様がいらっしゃる」
「ヴァンパイアが神聖な神殿の中なんかにいて、大丈夫なわけ?」
「何の問題もないわい」
そう言ってから、レイノールは最後尾でポケコンを操作している亜美に顔を向ける。
「心配はいらんよ。獣人の類( はここにはおらんからの」)
「念には念を入れないといけないので………。悪いけど、まだあたしはあなたを百パーセント信用しているわけではないわ」
「当然じゃわな。敵として戦った種族の者じゃからな」
別に怒る風でもなく亜美に言うと、レイノールは再び前を向いた。
程なく、五人は神殿の入り口へと到着した。
レイノールに招かれるまま、四人は神殿の内部へと足を踏み入れた。
「空気が違う」
足を踏み入れた瞬間、はるかが口にした言葉だった。
目の前には長い通路が延びていた。距離にすると百メートルはあるだろうか。通路の両側には、様々なポージングを取った天使の像が、均等に並べられている。通路の幅は、三メートル程ありそうだった。真っ直ぐに延びたその通路の先に、美しい彫刻の施された両開きの大扉があった。
天井は発光パネルのようだった。淡く柔らかい光が、頭上から降り注いでくる。
「この像、突然動き出さないでしょうね?」
天使の像のひとつに触れながら、みちるが警戒心を強めた表情で言ってきた。通路の中央付近まで移動した後に一斉に襲い掛かられでもしたら、逃げる方向はどこにもない。変身していればそれでも対抗することはできるだろうが、今は生身の状態だ。できることは限られている。
「疑り深いのぅ。ただの石像じゃよ」
レイノールはやんわりと言うと、先に立って歩き出した。
「警戒しすぎじゃないか?」
「いろいろと経験あるでしょ? 通路の仕掛けには」
「確かに………」
はるかは苦笑して見せるが、この通路に関してはそれ程警戒してはいない様子だった。そのままレイノールの後に付いて歩き出してしまう。みちるは亜美、新月のふたりと顔を見合わせて諦めたように笑うと、ふたりの後を追った。
「覚悟を決めましょう」
「………だな」
亜美と新月は、肩を竦め合った。
硬質の足音を響かせて、五人は大扉の前まで移動してきた。近付いてみると、その大きさに改めて驚かされる。通路の幅より高いのだ。
扉に施されている彫刻も見事だった。あまりの美しさに溜め息が零( れる。)
「この扉は、どうやったら開くんだ?」
ひとりだけ彫刻に見取れていなかった新月が、胡乱( げにレイノールに尋ねた。扉には、本来あるべき取っ手がなかった。例えあったとしても、これ程の大きな扉が人ひとりの力で容易く開けられるとも思えない。)
「扉の向こうに行くためには、こいつらと戦え! って言って、変な連中が出てくるんじゃないでしょうね?」
「ホント、疑り深くなったね、みちる」
何故かやる気満々のみちるに、はるかはジト目を向けた。
「残念じゃが、そんなやつらは出てこん」
レイノールはさらりと言うと、掌を扉に当てて、何やら呪文らしきものを唱える。
「魔法の施錠( !?」)
「その通り」
亜美の言葉をレイノールは肯定した。魔法の施錠( とは、その名が示すとおり「魔法で施錠される」ことである。魔法で施錠された扉は、魔法でしか開けることができない。そんなものが実際に存在するとは思っていなかったので、亜美は驚愕の眼差しで扉を見つめた。)
レイノールの呪文の詠唱が終わると、重厚な音を響かせて、大扉は自動的に内側に開いた。
「うっ!」
内側から溢れてくる光に、四人は一瞬目眩を感じた。しかし、邪悪な光ではなかった。
「癒しの光………」
亜美は呟いた。これと同じ光を、以前にどこかで感じたことがある。
光に目が慣れてきた。
「クリスタル・パレス!?」
みちるが驚いたのも無理はなかった。扉の向こう側は、水晶の輝きを放つ神秘的な空間だったのだ。そう、まるでクリスタル・パレスのように………。
「お連れ致しました」
室内を僅かに進むと、レイノールは立ち止まって慇懃に頭を下げた。
「ご苦労であった。レイノール」
渋みのある声だった。男性のものである。
「いよいよ、神祖のお出ましってわけか」
興奮のため、僅かに頬を紅潮させたはるかは、前方を見つめながら言った。
光の中から人影がひとつ、こちらに向かってゆっくりと歩み寄ってくる。がっしりとした体格をしていた。長いマントが足を踏み出すたびに、柔らかく揺らめいている。
「よくぞここまで来た。シルバー・ミレニアムのセーラー戦士よ」
男は、はるかたちの五メートル手前で立ち止まった。壮年の男性である。身長は百八十センチくらいはあるだろうか。がっしりとした体格で胸板も厚く、肩幅も広い。余分な脂肪は一切なく、全て筋肉なのではないかと思える肉付きをしている。整った顔立ちをしており、若い頃はさぞかし美青年であったろうと推測できる。髪はオールバックできちんと整えられ、黒々とした艶があった。切れ長の目は鋭い光を放ち、はるかたちを見つめていた。
(どこかで会ったことがある?)
亜美は心の中で考えた。この姿、この顔。どこかで見たことがあるような気がしてならなかった。
「あんたが神祖?」
亜美の心中など分かろうはずもないはるかは、壮年の男性に向かって尋ねた。亜美は思考を中断して、男性の答えを待った。
「そうだ」
はるかの問い掛けに、壮年の男性はゆっくりと顎を引いた。
「ドラクル伯爵様じゃ」
レイノールが口を挟んだ。
「レイノール、お前はもう下がれ」
一瞬だけ不快な表情を見せた壮年の男性―――ドラクル伯爵は、レイノールに退室するように言った。
「畏まりました。では、わたくしめは周辺の警護に当たりましょう」
「いや、よい。ノスフェラートにやらせている。お前には別のことを頼みたい」
「何なりとお申し付けくださいませ」
レイノールの返事に満足そうに肯くと、ドラクルは表情を硬くした。
「千年魔女とその一派を捜せ。きゃつらめ、掟を破り地球人に被害を加えている様子。粛正さねばなるまい」
「承知致しました」
言うが早いか、レイノールは音もなく退室していった。
「内輪のことで、失礼した」
ドラクルははるかたち四人に向かって、軽く腰を折った。
「神祖の名前が『ドラクル』って言うのは、出来過ぎじゃないのか? 胡散臭いね」
「わたしの名前が伝説になっただけのこと。危惧することではあるまい」
探るようなはるかの視線に対し、ドラクルは堂々と見返してきた。さすがは「神祖」と呼ばれるだけはある。小細工などはして来ないようだ。腹の探り合いもできそうにない。
「今のやり取り………。人を襲うヴァンパイアが、あなたの指示でないとあたしたちに思わせるための茶番のようにも見えたけど?」
挑戦的な視線を向けて、みちるは言った。だが、ドラクルは表情を変えることはない。
「想像は自由だ」
否定も肯定もしなかった。
「そろそろ本題に入りたい」
新月だった。確かに、今ここで議論をしていても答えが出るわけではない。ドラクルが敵なのか味方なのかは、今は関係がなかった。
「レイノールはあなたに会えば全てが分かると言った。納得のいく説明が聞きたい」
「分かった。こちらへ来て頂こう。会わせたい方がいる」
ドラクルは言うと、四人を部屋の奥へ招くような仕草をした。
「これ以上、誰が出てくるって言うの!?」
みちるは苛ついていた。知りたい真実を先延ばしにされ、痺れを切らしたのだ。
「いえ、みちるさん。行きましょう。たぶん、あたしたちが会わなければならない人がこの先で待っているはずです」
チラリとドラクルを見ながら、亜美は言った。ドラクルは小さな笑みを一瞬浮かべる。
「こちらへ」
踵を返すと、ドラクルは歩き始めた。亜美は無言のままそれに続いた。
「亜美のやつ、何か知っているのか? いや、何を気付いたんだ?」
亜美の背中を見つめながら、はるかは呟く。
「どちらにしても、行くしかないようよ?」
既に亜美の後を追って歩き出した新月を示しながら、みちるははるかにそう言った。
神殿の内部は、見れば見るほどクリスタル・パレスに似ていた。ヴァンパイアたちの作った神殿が、こうもクリスタル・パレスに似ているのはどうも解せなかった。偶然にしては、できすぎている。
ドラクルは無言だった。女性たちの歩幅に合わせて、ゆっくりと移動してくれている。とても紳士的な行動だった。
扉の前に来た。開き戸だった。
意外とシンプルな作りで、さして装飾もされていなかった。それ程大きくもない。ドラクルの身長と、ほぼ同じくらいの高さだった。
扉を開け、ドラクルは四人に中に入るように無言で促した。
亜美、はるか、みちる、新月の順に、四人は促されるまま扉を潜った。
部屋は狭かった。縦横三メートル程の真四角の部屋だった。天井もそれ程高くはなかった。ドラクルなら、手を伸ばせば天井に触れることができるだろう。
天井、壁とも発光パネルのようだった。床も僅かに発光している。部屋全面が発光しているので、かなり明るい印象を受けた。
部屋の奥に玉座のような椅子があlり、その玉座の手前には、台座に乗せられた柩のようなものがあった
「お連れ致しました」
ドラクルは慇懃に頭を下げた。
「ご苦労でした。ドラクル」
柔らかい女性の声だった。声を聞いた瞬間、全員が身を硬直させた。聞いたことのある声だった。いや、正確に言えば聞いたことがあるのは自分たちではない。自分たちの記憶の中にいる前世の戦士たちが知っている声だった。
「こうして会える日が来るとは、思ってもいませんでした。マーキュリー、ウラヌス、ネプチューン、そしてアスタルテ」
玉座に影が揺らめいた。
影はやがて、はっきりとした人の形を形成する。
美しい女性だった。気品漂う、高貴な顔立ちをしていた。
自分たちを見つめ、懐かしそうな笑みを浮かべた。
「あ、あなたは………」
はるかは声を震わせた。信じられない人物が、玉座に座していたからだ。
「いろいろと、説明しなければいけないことがありますね」
玉座に座している女性―――クイーン・セレニティは、柔らかい笑みを称えながら、そう言った。