敵の中の美奈子


 この城塞に連れてこられてから、いったい何日経過したのだろう。
 日々、変化のない時間を過ごしている美奈子は、とうに日にちの感覚が鈍ってしまっていた。 通信機と兼用のデジタル時計は取り上げられてしまったため、時間も全く分からない。ただ、定期的に食事に呼ばれるために、おおよその時間の推測はできる。三時頃(たぶん、だが)にもお茶も用意してくれる。日々の生活には何ら支障がない。むしろ、かなり贅沢(ぜいたく)な暮らしをしていると思えた。体を動かすことと言えば、広い城塞をドレスの裾を引きずってしずしずと歩くことだけなので、運動不足による体重増加の方が気になってしまうが、生憎とヘルスメーターなどというものは、ここには必要のない代物だった。
 変装して潜入しているであろうエロスとは、全く連絡を取っていない。賊が捕らえられたという話も聞いていないので、今もどこかで自分を見てくれているのだろうが、こう長い間連絡が取れないと、少々不安になってくる。もしかすると、エロスはこの城塞にいないのではないかとさえ思ってしまう。
 エロスにしてみれば、アルテミスたちが行動を起こしてくれるのを、どこかでひたすら待っているのであろうが、不自由がないとはいえ、敵に捕らわれている形の美奈子にとっては、仲間の消息が掴めないというのは非常に不安なことだった。
 城塞の中での美奈子は、行動の制限がない。城塞内であれば、殆どどの場所にでも行くことができる。この城塞の主であるジェラールが、いったい何を考えて美奈子に行動の自由を与えているのか分からないが、そのお陰でこの数日の間で、この城塞の規模はほぼ把握することができた。戦力もだいたい分かっていた。セーラーヴィーナスへ変身することさえできれば、この城塞を脱出することは容易いと判断できる程度の戦力が在駐しているが、美奈子は未だセーラーヴィーナスへは変身できない。この城塞に来てから、幾度かチャレンジをしてみたのだが、全く変身することができなかった。
「仲間はなかなか助けに来ないな」
 テラスから一望することができるエーゲ海の美しい光景を眺めていた美奈子に、おもむろに声を掛けてきたのはヴィクトールだった。十三人衆のジェラールの片腕であり、よき親友の凄腕の剣士だ。先日、城塞の中庭で行われたジュートと呼ばれる槍試合では、その圧倒的な強さを見せつけられた。剣術だけならば、ジェラールを凌ぐほどだった。
「あたしをいつまでここに置いておくつもり?」
 美奈子は振り向かなかった。エーゲ海に視線をおいたまま、背後のヴィクトールに柔らかい口調で尋ねた。
「もちろん、仲間が助けに来るまでだ」
「何故?」
「お嬢さんの仲間を、この城塞で一網打尽にするためだ」
 同然のことを聞くなと言った口振りだった。
 美奈子から返事が返ってこないことを確認すると、ヴィクトールはつかつかと歩み寄った。美奈子と並んで、エーゲ海を眺めるようにした。
 ヴィクトールがここまで自信満々に語るのには、それなりに訳があった。彼らの居城である騎士の城塞〈クラック・デ・シュバリエ〉は、別名幻影の城塞とも呼ばれている。中世の城塞そのものとも思えるこの巨大な城塞が、ロードス島にあって未だ世間的に知られていないのは、もちろん発見されていないからなのである。強力な結界と特殊な三次元投影機によって、本来あるべき姿を隠しているのだ。普通に目で見ただけでは発見することができないのである。そういった意味では、この城塞も日本のルナたちが必死に消息を探っている浮遊戦艦と同じであった。カモフラージュの装置も、同じ物を利用している。目で見て発見することは不可能に近い。それでいてレーダーに感知もされない。その場所に、それがあると知っていて探らなければ、全く知ることができないのである。誰が名付けたのかは計り知れないが、幻影の城塞とはよく言ったものである。正に、その名の通りの城塞だった。
 そしてもうひとつ、この騎士の城塞(クラック・デ・シュバリエ)にはブラッディ・クルセイダース最強と言われる騎士団が常駐している。ヴィクトールが指揮する、ジェラール自慢の騎士団である。ブラッディ・クルセイダースの教団員の中から選りすぐりの人材で構成されている騎士団は、スプリガンの妖術集団を凌ぐ戦闘集団であった。近代の兵器を有する軍隊以上の戦闘能力を誇る集団だった。
 美奈子がセーラーヴィーナスに変身しさえすれば脱出も容易いと考えたのは、逃げるだけならそれも可能だろうと判断できたからにすぎない。まともにやり合おうなら、とてもかなうはずのない戦力である。
「あたしの仲間を、甘く見ない方がいいわよ」
 ヴィクトールの「自信」を撃ち破るかのように、美奈子はわざと棘のある口調で言った。負けず嫌いの美奈子としては、言ってみたくなる台詞である。
「お嬢さんも我々の戦力を甘く見てもらいたくないものだな。この城塞の戦力は、もう分かっていると思うが………」
 成る程そう言うことか。
 美奈子は納得した。ジェラールが美奈子に自由に行動させているのは、自分たちの戦力を見せ付けるためだったのである。
「悪いけど、あたしたちは普通の人(・・・・)じゃないの。幾ら凄いと言っても、あなたたちが地球人であることに代わりはないわ。それでは、本気を出したあたしたちには勝てない」
 だが、美奈子の話術程度に臆するヴィクトールではない。美奈子の言葉を軽く受け流した。
「数的に言えば、我々の方が圧倒的に有利だ」
 確かに言われてみれば、救出に来るのがアルテミスとヒメロスのふたりだけでは、圧倒的に戦力に差がある。ふたりだけでこの軍団と戦うなど、無謀すぎると感じた。アルテミスが他の仲間に応援を求めたかどうかまでは、美奈子の知るところではないが、願わくば、救援を求めていて欲しいと思う。日本にいる仲間たちが来てくれさえすれば、この屈強の騎士団と互角の戦いができるはずである。だが、美奈子は日本のうさぎたちの状態を知らないし、逆に日本のうさぎたちも美奈子のが助けを必要としていることを知らないのだ。
「あたしを盾にするような、卑怯(ひきょう)な真似はしないと思うけど………」
 正々堂々とした戦いを好むヴィクトールとジェラールが、このような作戦を取るとは考えられなかったが、釘を差す意味も含めて、美奈子は言ってみた。
「それも時と場合による。ジェラールは決してそのようなことは望まないだろうが、俺としてはやつを守らねばならないのでな」
 ヴィクトールは美奈子の横を離れた。美奈子はそのヴィクトールを追うように、エーゲ海に背を向けた。
「しかし、あまり気長に待っているわけにはいかない。大司教がお嬢さんを寄こせと行って来ているのでな」
「あたしを? 何故?」
「知らんよ」
 ヴィクトールは(とぼ)けて見せたが、何かを隠しているようでもあった。恐らく、自分に知られてはまずいことなのだろうと、美奈子は推測した。
「ひとつ、訊いていいかしら?」
 美奈子はこの城塞に連れてこられてから今まで、ずっと疑問に思っていたことを、この場で聞いておきたいと考えた。
 テラスから立ち去ろうとしていたヴィクトールは、立ち止まっておもむろに振り向いた。
「あなたとジェラールが、あたちたちと戦わなければならない理由を知りたいわ。あなたたちのような人が、ブラッディ・クルセイダースという組織にいる理由が分からないのよ」
 ジェラールといい、ヴィクトールといい、人間的に素晴らしい人物であると美奈子は感じていた。そんな彼らが、ブラッディ・クルセイダースに属している理由を知りたかった。
「そんなことを知ってどうする?」
 案の定、ヴィクトールは訊き返してきた。美奈子としても、その理由を知ったからといってどうにもならないことは分かっていた。しかし、無駄な血を流す必要もないとも感じてもいた。だから、尋ねたのだ。
「確かに、あなたたちがフランスでしていたことは、決して許されることではないわ。だけど、本当にあなたたちがそんなことを望んでいたとは思えない。あなたたちは、もっと別のことをしようとしているんじゃないの?」
「買い被りすぎだな………」
 ヴィクトールは小さく笑った。その笑みの裏に隠されている真実を探るように、美奈子は上目遣いで彼の顔を見上げる。
 ヴィクトールはその美奈子の視線の意味に気付いたのか、彼女にクルリと背を向けた。
「確かに、俺もジェラールも女性を傷つけるのを好まない。だから、お嬢さんをこの城塞で自由に行動させている。そんなことぐらいで、俺たちを善人だと勘違いしていると、痛い目に遭うぞ」
 無愛想に言った。美奈子は小さく息を吐き、肩を竦めた。
「どうして、そんなに悪人ぶる必要があるの?」
「逆に、お嬢さんは、どうしてそんなに俺たちを善人にしたいんだ?」
 そこまで言われてしまうと、美奈子には返す言葉がなかった。このままでは、ただの押し問答で終わってしまう。
「もう、その話はよそう。ジェラールの前でもするなよ」
 そう言ってテラスを立ち去ろうとしたヴィクトールに、若い騎士が報告に現れた。
「旧市街に張っていた網に、例の奴らが引っ掛かりました」
 美奈子の耳がピクリと動く。彼の言う「例の奴ら」とは、アルテミスたちに違いないと思った。そして、それは正しかった。
「お仲間がようやく現れたようだ」
「戦うのね………。無意味だわ」
「………そうかもしれん。だが、我々は迎え撃たねばならん」
 美奈子の制止の言葉は、もはや意味がなかった。ヴィクトールはアルテミスたちと、あくまで戦うつもりだった。
「囮部隊に伝令。やつらを城塞に招き入れろとな」
「はっ!」
 素早く答え、報告に来た若い騎士は立ち去った。
 美奈子はテラスをあとにするヴィクトールの背中を、無言で見送るしかなかった。

 旧市街から転戦し、十キロ程離れた海岸線に、クンツァイトたちはいた。青く美しいエーゲ海を間近に見ることができるが、彼らに自然を愛でるような余裕など全くなかった。
 襲撃してきた騎士団は、非常に手強かった。さすがは敵の本部があると予想されるロードス島の守りを固めている騎士だけはあった。大聖堂にいた騎士たちとは、比べものにならないほどの手練れの騎士たちだった。実戦経験の浅いアンテロスとマクスウェルのいるクンツァイト一行にとって、決して楽な戦いではなかった。
 彼らがロードス島に到着してから、既に三日が経過していた。アルテミスたちの到着を、一日余計に待ったのだ。しかし、彼らは来なかった。連絡も当然ない。消息不明のままなのである。
「来ませんでしたね………」
 岩陰に身を潜めているヒメロスは、すぐ横のクンツァイトに呟くように言った。アンテロスとマクスウェルは、少し離れた岩陰にいるので、ふたりの会話は聞こえないはずだった。
「仕方がないさ。こうなった以上、あいつらを当てにすることはできない。俺たちだけで、美奈子を救い出すしかない」
 旧市街にて行動を開始した彼らは、直後に騎士団と遭遇した。敵の網に引っ掛かってしまったのだ。敵の罠にまんまと填ってしまったと気付いたときには、既に遅かった。
 市街地での戦闘を避けるため、直ちに彼らはその場から移動した。
「やつらの思う壺に(はま)っているという感じだな。かなりの策士がいるんだろう。闇雲に攻撃しているようだが、俺たちは確実に一定方向にしか待避できないようになっている」
 クンツァイトは冷静に分析していた。さすがに、かつてのプリンス・エンディミオンの親衛隊のリーダー格だった男だけのことはある。どんな状況下であっても、戦況を的確に分析している。
「どこかに誘い込まれているって言う訳ね」
 ここ数日の行動を共にしているだけだが、ヒメロスとクンツァイトの間にはかなり深い信頼関係が結ばれていた。お互いの力を認め合っているのである。ことに状況を一瞬のうちに把握してしまうクンツァイトの能力は、ヒメロスとしては感心するしかない。
「どこかではない。たぶん、敵の本拠地だ」
 かなり断定的に、クンツァイトは言った。
「本拠地にわざわざ誘い込んでくれるなんて、願ってもないチャンスなんだけど。それだけ自信があるってことよね」
「そういうことになるな」
「ふたりが足手まといになることを恐れているのね?」
 クンツァイトの歯切れの悪い口調の意味を敏感に感じ取ったヒメロスは、自分の憶測を口に出して訊いたが、クンツァイトは答えなかった。
 彼のその無言が、ヒメロスの考えを肯定していた。
「大丈夫。ふたりだって、戦士よ。それに、美奈が再覚醒すればあるいは………」
 ヒメロスには、ある「予感」があった。が、それを口に出そうとしたとき、新たに騎士団の攻撃が仕掛けられてきた。
 アンテロスとマクスウェルが応戦する。
(プリンセスか覚醒すれば、もしかすると彼女のレベルアップがあるかもしれない………)
 ヒメロスの「予感」は、「確信」へと変わりつつあった。彼女の視線の先には、アンテロスがいた。彼女はエロスの妹なのだ。
「彼女が気になるのか?」
 ヒメロスの視線の先に、アンテロスがいることに気付いたクンツァイトが訊いてきた。
「ええ………。でも、確信が持てないの………。はっきりしたら言うわ」
 今のままでは憶測でしかないために、ヒメロスは自分の考えを口にすることを避けた。
 クンツァイトも、それ以上は何も訊いてこなかった。関心がなかったのか、それとも自分の考えを読み取ってのことなのか、ヒメロスには計り知れないことだったが、確信が持てない彼女には、それでいてありがたかった。

「体が、熱い………」
 テラスからエーゲの青い海を見つめていた美奈子は、不意に体の異常を感じた。
 体が燃えるように熱い。
 外から受けている熱ではない。体の内面から発せられる強烈なエネルギーだった。
 異常は一瞬だった。
 呼吸が止まってしまうほどの熱を発した体は、だしぬけに元の平常な状態に戻っていた。
「な、何だったの、今のは………?」
 ほんの一瞬だけ発せられた強烈なエナジーに、美奈子は言い知れぬ不安感に襲われた。だが、
「変身できるようになる………?」
 そう言った予感もあった。
 いつだったか、アルテミスが変身できない自分に言った。
「今の美奈は(さなぎ)の状態なんだ」
 アルテミスはそう言っていた。
「もう一段階の大きなレベルアップの為に、今はきっとエナジーを貯め込んでいるに違いない」
 その時は、変身できない自分を慰めてくれているのだと思っていた美奈子だったが、今、一瞬体を駆け巡った強烈なエナジーは、「復活」の前兆ではないかと感じられた。
「でも、物凄いパワーだったような気がする………。今のあたしにコントロールできるの?」
 美奈子が戸惑うほどに強烈なパワーアップは、果たして自分にとってプラスになるのだろうかと疑問に思えた。強烈すぎるパワーが制御できなければ、それはイコール自滅に繋がる。
 しかし、この場にアルテミスがいたなら、きっとこう言って美奈子を勇気付けてくれただろう。
「そのパワーの制御が完全にできるようになったときこそ、変身できるようになるに違いない。今までの数段パワーアップした、NEWセーラーヴィーナスが誕生するに違いないよ」
 本当にアルテミスの声が聞こえたような気がして、美奈子は思考を中断した。辺りを見回して見るが、当然そこにアルテミスがいるはずもなかった。
「ほんっとに、何やってるんだか、あの唐変木は! 早く助けに来なさいよ!」
 美しいエーゲ海に向かって、美奈子はひとり、罵声を投げかけずにはいられなかった。