T・A女学院潜入
「レイちゃぁん。やっぱりこのスカート、短いよぉ………」
うさぎの素っ頓狂な嘆き声が、レイの部屋に響いた。
「よくこんな激ミニのスカートで恥ずかしくないわねぇ………。学校標準がこの短さってのが気に入らないわ………」
僅かに屈んだだけで、ラブリーな下着が見えてしまいそうなほどに短いT・A女学院標準のスカートの裾をヒラヒラさせながら、うさぎは口を尖らせている。当然のことながら、お尻を押さえなければ階段も上れないと思う。天下のお嬢様学校にしてこのスカートの異常な短さは、十番街七不思議のひとつとまで言われている。
「あんたはねぇ………」
これから敵地に乗り込むというのに、まるで緊張感のないうさぎの様子に、レイは呆れたように嘆息する。
「だいたい、なんであんたが制服に着替えてるのよぉ!! あんたは変身ペンを使うことになってるでしょう?」
限りある制服を有効に活用するため、変身ペンにてチェンジが可能なうさぎは、正規の制服には着替えないことになっていた。変身ペンがあれば、シスターにだって変装することも可能である。持ち主本人すら忘れていた変身ペンの存在を思い出させてくれたのは、他でもないルナである。
「うさぎちゃんは、変身ペンを使えばいいじゃない」
制服のサイズのことをごちゃごちゃと言っていたうさぎに、ルナがぼそりと言ったのだ。その一言で、変身ペンの存在を思い出し、慌てて家に取りに帰ったのだ。
うさぎ曰く、
「捨ててなくてよかった」
だ、そうだ。ルナが項垂れたのは、わざわざ言うまでもない。
と、いうわけで、うさぎが変身ペンでT・A女学院の学生に変装すれば、合計で七人が潜入できる計算になる。結構な戦力である。
「ねぇ、ねぇ、レイ。るーずソックスはないの? るーずソックスは………?」
まるで、ファッションショーでもしているかのようなうさぎにウンザリとしているレイの背後から、妙にウキウキとした声が聞こえてきた。
「ないわよ! T・A女学院( はルーズソックスは禁止なんだから………」)
てっきりうさぎが言ったのかと思っていたレイは、視線を向けた先にせつながいたので、目が点になってしまった。どうやらせつなが話し掛けてきたらしい。
「へ!? ちょっ、ちょっとせつなさんまで、何で着替えてるんですか!? せつなさんは司令室に残るんじゃなかったんですか!?」
ちゃっかりT・A女学院の制服を身につけているせつなを見て、レイは唖然としてしまった。最初の打ち合わせでは、せつなはルナやアポロンたちとともに司令室で待機する手筈になっていたのだ。潜入のメンバーは、レイ、うさぎ、まこと、なびき、ディモス、ほたる、もなかの七人のはずである。せつなが行くとなれば、制服の数が足りなくなってしまう。(今更ながら痛感しているが、非常にキャラクターが多い)
「ギャラクシアがいらないって言うから、チェンジしたのよ」
あっけらかんと、せつなは言う。どうやらまだ本名で呼ぶことに抵抗があるのか、せつなは彼女のことを「なびき」ではなく、「ギャラクシア」と言った。
「あたしは団体行動は苦手だからね。勝手にやらして貰うよ」
相変わらず冷めた表情で、なびき=セーラーギャラクシアは、レイを見て言った。言われてみれば、なびきに団体行動は似合わない。それに、一緒に組みたがる者もいないだろう。彼女と組んでもいいと言うとしたら、過去の経緯を知らないもなかか、すっかり彼女を信用してしまっているうさぎぐらいのものだろう。仮にも自分を殺した( 相手である。テレビドラマでもないかぎり、そう簡単にうち解けることはない。)
「勝手にやるって、普段着のまま潜り込むってこと!?」
勝手にやらせてもらうという、なびきの言葉を聞いたレイが、あからさまに不愉快な表情をしてみせた。
「夏休みの最中だからね。どうにでもなる。しかも、正規のシスターたちが見当たらないとしたら尚更だ。」
わざわざ制服に着替えて潜入するなど馬鹿げているとでも言いたげに、なびきは大きく肩を竦めて見せた。
「あたしひとりの方が、何かと都合がいいしね」
「あたしたちが足手まといだと言っているように聞こえるな?」
今度はまことが表情を険しくさせる。眉を吊り上げ、鋭い視線をなびきに向けた。
「よく分かったじゃないか………。そう言ったつもりだったから、そのように受け取ってくれなければ困る」
なびきは自分より背の高いまことを、上目遣いでジロリと見上げた。何やら険悪なムードが漂う。
「てめぇ!!」
「まあ、まあ、まこちゃん!」
今にも掴みかかろうとするまことを、うさぎが宥( めた。)
「なびきさんは、ひねくれてるから、そんなことを言ってるだけだよ。真に受けちゃ駄目だって!」
と、全くと言っていいほどフォローになっていないことを言う。
なびきは苦笑するしかない。
「ふん!」
鼻を鳴らして、部屋を出ていってしまった。
「なびきさぁん! どこ行くんですか?」
ドアを開け、なびきの背中にもなかが尋ねれば、
「さっきも言ったろう? あたしはひとりで行動するよ」
背中を向けたまま答えて、さっさと社務所を出ていってしまった。
まあ、もっとも一緒に行動すると言われても、レイやまことたちは素直に受け入れられるものではない。作戦に支障をきたさないようにするための、なびきのささやかな心遣いでもあった。
「ちっ! どうも気に食わない」
舌打ちするまことに、
「今は仲間でしょう? 上手にやっていこうよ」
宥( めるように夏恋が言った。)
「レイ、やっぱりあたしは潜入メンバーから外して貰えないかなぁ………。制服が小さすぎるよぉ………」
なびきが去ってしばらくしてから、今度はまことが嘆き出した。
「まこに合う制服を探すのは無理よ………」
レイは苦笑いする。
「胸は苦しいし、お尻も見えちゃいそうなんだけど………」
まことは情けなさそうな表情をしていた。
「う〜ん。まことちゃんには、ちょっと窮屈そうよね」
夏恋が同情している。
言われてみれば、確かにまことの体型には少しばかり小さいようである。一番サイズの大きいなびきの制服を着てはみたものの、やはり無理があるようだ。一番サイズが大きいと言っても、なびきはレイに比べて僅かに背が高い程度でしかない。まことより更に背の高いせつなにとっては、もっとサイズはきついはずなのだが、当の本人はまことほど気にしていないようであった。
もっとも、せつなの方がまことより幾分スリムなのだ。多少の無理はきくようだ。(決して、まことが太っていると言っているわけではない。念のため)
「今日一日だけなんだから、がまんしなさいよ」
たかが制服に着替えるだけなのに、既に一時間近くもわいわいがやがやと騒いでいるメンバーたちを、ルナが足下から呆れ顔で見上げている。こんなことをしていては、日が暮れてしまう。今日中に潜入しなければ意味がない。
「あたしが代わりましょうか?」
操が珍しく遠慮がちに言ったが、だれも聞いてはいなかった。都内でも五本の指に入ると評判の可愛い制服を、彼女も実は着てみたかったのだ。だれも答えてくれないので、操は不服そうに口を尖らせて、窓の外に目を移すしかなかった。やや性格に難のある操は、まだメンバーとして受け入れられていないような節がある。無視しているわけではないのだが、特に気にしているわけでもないといった風潮が、メンバー全員の中にあった。八方美人のうさぎでさえ、まだ多少のわだかまりがあるのか、積極的に話し掛けるようなことはなかった。
「じゃあ、あたしたちはそろそろ司令室に戻るわね。くれぐれも単独行動だけはしないように………。慎重に調査してね」
ルナは潜入メンバーに念を押すと、居残り組の夏恋と名残惜しそうな操を連れ、司令室へと戻っていった。既に待機している衛と兵藤、そしてアポロンと合流し、T・A女学院の外から、彼女たちの動きをサポートする予定だった。
「そろそろいいかしら?」
おおむね着替えを終えた感じの潜入組を、ルナたちを送り出した部屋のドアから見回すと、レイは言った。
「くれぐれも変に大騒ぎしないでね。はしゃぎすぎて、作戦を台無しにしないように………」
「大丈夫、大丈夫。心配性なんだから、レイちゃんは!」
まるでピクニックにでも出かけるようにウキウキとしているうさぎに、
「あんたが一番心配なのよ………」
レイは偏頭痛を覚えていた。
T・A女学院の正門を、二‐三人ずつのチームで潜った彼女たちは、中央昇降口へと向かう途中で愕然としてしまった。
「な、なんでこんなにも学生がいるの!?」
人気のない学院を想像していた彼女たちだったのだが、その予想はいとも容易く覆されてしまった。
「そんなはずは………」
ほたるも絶句している。授業のあった午前中には、これほどの学生はいなかった。いや、むしろ今いる学生たちは不自然すぎる。何事もなかったかのように、平然と日常の学生生活を営んでいるのである。夏休み中の登校日だというにも関わらず、平常の授業時のような雰囲気があるのだ。しかも、今の時間は放課後である。
「どういうことよ、これは………」
レイは驚きの眼差しで、周囲を見回している。午前中には見かけなかった、自分のクラスの生徒まで目に付く。
「あら、火野さん。どうしましたの? そんなに驚いた顔をなさって………」
クラスメイトだった。しかし、彼女は午前中は見かけなかったはずだ。
「あなた、午前中は来てなかったわよね?」
「なにをおっしゃるの? わたくしは、ちゃんといましたわよ。さあ、間もなくミサが始まります。講堂へ向かいましょう。あなた方も、急いだ方が宜しいですわよ」
レイから少し離れた位置に佇んでいたうさぎたちに、レイのクラスメイトは声を掛けてきた。
「ミサが始まる?」
もちろん、そんな話は聞いていない。レイは視線をほたるにも向けたが、彼女も首を横に振った。
訝( しむレイたちを尻目に、レイのクラスメイトはさっさと講堂へ向かって歩き出してしまった。)
「罠の臭いがするな………」
なびきから借りたT・A女学院の制服を、窮屈そうに着ているまことが、レイの後ろに歩み寄ってきた。少しでも余計な動きをすると、縫い目が裂けてしまいそうなので、歩き方がひどくぎこちない。こんな状況でなかったら、思わず吹き出してしまいそうなほど、気の毒な歩き方をしている。
「全員で行くのは得策じゃないわね」
どう見ても高校生には見えないせつなが、短いスカートを靡( かせながらスタスタと歩いてきた。どこかのAV女優がビデオ撮影のために、無理矢理セーラー服を着ているような違和感はあったが、せつなのスタイルのよさが、その変な違和感を吹き飛ばしてしまうほどの色っぽさを醸) ( し出していた。まことと同じく、なびきの制服を着ているのだが、窮屈そうには全く見えない。まことに比べ、ややスリムな分、多少余裕があるようだった。(注 何度も言うようだが、別にまことが太っていると言っているわけではない))
「どうせバレてるんだったら、みんなで行ってもいいんじゃない?」
うさぎがレイを見つめる。バラバラに行動しようが、団体で行動しようが、危険度は同じなような気がした。
「フォボスを救出するために、仲間のあたしたちが来るって事くらい、敵さんもすぐに気付くだろう。罠を張って待ちかまえているのが自然だな」
まことが神妙な面持ちで言う。だからこそ、彼女たちはわざわざ手間を掛けて、T・A女学院生を装っているのだ。
「いいえ、まだ正体が敵に知れたと決まった訳じゃないわ。確かに敵は、あたしたちがT・A女学院に乗り込んで来ることは予想しているだろうけど、あたしたちの正体が敵に知られてしまっているわけではないもの。慎重に行動はすべきだと思う」
どんな状況下においても、レイは冷静だった。
「それも、そうね。だけど、ディモスの顔は知られちゃってるはずよね」
うさぎは頷きながら、ディモスに目を向ける。先に一戦交えているディモスと、そしてほたるは敵に顔を知られてしまっているはずだ。
「ミサが始まるって言うのなら、そのミサに行ってみましょう。顔が知られているのなら、それを逆手に取る方法もあると思います。あたしたちが行動してみせることで、敵も動き出すと思うんです」
慎重派のほたるにしては、大胆な意見だった。ほたるは敵に顔が知られているのならば、自分が囮になろうと言っているのだ。
「危険だけど、やってみる価値はあるわね………」
せつなは思案を巡らせたが、すぐに結論を出さなければならないのも分かっていた。ミサが始まる前に、決断を下さなければならないのだ。最年長者として、ここは彼女が決断を下さなければならない場面だった。
「パーティを二手に分けましょう。ほたるともなか、そしてうさぎの三人はミサに出席して、残りは校内を探索しましょう」
「あたしも囮になります!」
囮部隊から外されてしまった形のディモスが、強い口調でせつなに詰め寄った。ディモスは自分もミサに出席するつもりなのだ。
「駄目よ」
努めて柔らかい口調で言いながら、せつなは首を横に振った。
「あなたにはフォボスを捜してもらわなければならないわ。フォボスの波動が発見できるのは、あなたしかいないと思うけど?」
ディモスとフォボスは双子である。双子であるが故に、より強い波動で結ばれているのである。フォボスを探し出すためには、ディモスにがんばってもらわなければならない。拉致されたフォボスが、まだ校内にいる可能性があるかぎり、先に発見し救出しなければならない。
「決まりだな。じゃあ、あたしたちは校内を探索するとしよう」
まことがレイに目配せをすると、
「あたしたちは、できるだけ挙動不審のお芝居をしなくちゃね。堂々としていたら、囮だってすぐにバレちゃうものね」
うさぎはほたるともなかに、自分たちの役割を確認した。
校内は不気味なまでに静かだった。おそらく、殆どの学生たちが間もなく行われるミサのために、講堂に集まっているためだろう。
校舎に学生の姿は見掛けない。もちろん、教職員やシスターの姿もだ。
「あたしたちの方が、かえって目立っちゃうかもね」
せつなは苦笑する。誰もいない校内を歩き回っていては、かえって敵の目に付きやすい。しかし、今更どうすることもできなかった。うさぎたちは既に講堂に入ってしまっているだろう。作戦を変更するわけにはいかない。
「二手に分かれましょう。敵の出方が分からないから、これ以上パーティの戦力を分散させたくはないけど、人数が多い方が目立ってしまうわ」
せつなのその意見に、反対する者はなかった。せつなとまこと、そしてレイとディモスという風に、二人ずつのチームに分かれることになった。校内を知り尽くしているレイは、ディモスと一緒にフォボスの探索に専念することとなった。
「職員室はこっちでいいのね?」
レイに職員室の方向を確認すると、せつなはまこととともに、廊下を左へと歩いていった。
「ディモス、行くわよ」
職員室に向かうせつなたちの背中を見つめたまま、いささか緊張しているディモスに声を掛けると、レイはせつなたちとは反対の右側へと歩き出した。
講堂へと足を踏み入れたうさぎたちは、まずその学生の多さに驚かされた。中でも、午前中の学生の異常なまでの少なさを知っているほたるの驚きは、計り知れないものがあった。
「あなた方も早く席にお付きなさい。間もなく、ミサが始まりますよ」
入り口に立つシスターが、呆然と講堂内を眺めていたうさぎたちに声を掛けた。うさぎたちはその声に促されるように、奥へと進んでいった。
念のため確認したが、やはりほたるの知らないシスターだった。
席はまだ、幾つか空席が残っていた。
もなかが三人揃って座れる席を見つけたので、そこに腰を下ろすことにした。ほぼ中央の位置である。そこだけが偶然にも、並んで三つの空席があった。
「偶然すぎるわね」
うさぎはほたるに小声で話しかけた。警戒するようにと言う意味も含まれている。ほたるは無言で頷く。
余計なおしゃべりをする学生は、ひとりもいなかった。皆が静粛にして、ミサが始まるのを待ち侘びている。
ほたるが講堂内を素早く観察する。目に見える変化は感じられないようだった。学生たちもいつもとなんら変わりがないと言う。変わりがないということが、かえって不自然だった。
「うさお姉、ほたるちゃん」
もなかが小声で話し掛ける。前方を指で指し示した。
いつの間にか、壇上に人が立っていた。天井にほど近いステンドグラスから射し込む光を背に受け、おもむろに佇んでいる人物がいた。
法衣を纏っていた。しかし、それは純白の清楚な法衣ではない。闇よりも深い、不気味なまでの黒さを持つ法衣であった。胸の中心に真紅の十字架の模様がされている。血の色に似た真っ赤な十字架であった。
「ほたるちゃん?」
うさぎはほたるに、前方の人物が何者であるのか尋ねた。しかし、ほたるは首を横に振る。
「知らない。この学院の関係者じゃないわ………」
これほど怪しげな人物が、T・A女学院の関係者であるとは考えられなかった。
「乙女たちよ………」
闇色の法衣を纏った人物が、口を開いた。齢( を重ねた高齢者独特の深い響きのある声だった。声は静まり返っている講堂内全体に、まるで生き物のように響きわたった。)
「時は満ちた。我が祭壇に生け贄を捧げよ。秘された扉を開けし、鍵を捧げよ。我らを聖地へと導く使者を、我が前に示せ」
法衣を纏った人物は、大きく両手を掲げた。それに呼応するかのように、椅子に座していた学生全員が、一斉に立ち上がった。
「!?」
学生全ての視線は、うさぎたちに向けられていた。百人はいると思われる学生全ての視線が、一斉にうさぎたちに向けられる。
「やっぱり、罠だったのね………」
うさぎは小さく呟いた。予期していたこととはいえ、やはり背筋がぞくりとする。緊張が走った。
三人は席を立ち、同時に身構えた。
先程まで普通と違わぬ様相を呈していた学生たちは、既に豹変していた。何かに取り憑かれたように、光のない瞳をうさぎたちに向けている。
「我に仇なす者よ。秘された扉を開けし、人柱となれ!」
法衣の男の声が、講堂全体に響きわたった。
職員室に教員の姿はなかった。いや、教員だけではない。他の誰一人として人影は確認できなかった。
昼間だというのに静かすぎる職員室は、ひどく不気味であった。
「そう簡単に情報が掴めるとは思ってなかったけど、全く手掛かりがないんじゃお手上げだわ」
せつなは肩を竦める。教職員のひとりでもいれば、捕らえて情報を得られる可能性はあったが、残念ながらそう上手くはいかなかった。
「………仕方ないわね。他を当たりましょう」
せつなは残念そうに呟いた。
職員室を探ったとしても、ブラッディ・クルセイダースに関する情報を得られるとは思えなかった。
「職員室に来たのは失敗だったかしら………」
教師のひとりでも捕らえられればと思い職員室に出向いたのだが、残念ながらせつなの予想とは裏腹に、職員室はもぬけの殻だった。
「みんな、講堂に行ってしまったんでしょうか?」
職員室の窓から確認することができる講堂を見ながら、まことは訊いてきた。だが、そうとは言い切れないだけに、せつなは小さく肩を竦めるしかない。
「レイの方は、何か分かったかな………」
「静かに!!」
話し出したまことの言葉を、せつなは遮った。まことに黙るように伝えると、耳に神経を集中させる。
「誰か来るわ」
せつなは言い、まことに適当な場所に身を隠すように告げた。耳を澄ますと、確かに足音が近づいてくる。
足音はひとつだ。したがってレイたちではない。ましてや、レイたちならば、足音を響かせるようなまぬけなことをするとは思えなかった。
足音は職員室の前で止まった。
ガラリとドアが開けられ、人が入ってきた気配が感じられる。
事務机の下に身を潜ませているまことからでは、入ってきた人物を確認することはできない。せつながどこにいるのかさえ分からない始末だ。せつなに言われて慌てて身を隠してしまったがために、せつなの次の行動を確認するのを怠ってしまった。これではせつなとの連携が取れない。
足音の主は、僅かに職員室に入ってきたところで立ち止まったままで、それ以上進む気配を見せなかった。用があって職員室に入ってきたにしては、行動が不可解だった。
教職員ではない。
まことの直感は、そう告げていた。
職員室に入ってきた人物は、立ち止まったまま、全く動こうとはしなかった。
どこかに身を潜ませているであろうせつなも、息を殺したまま、足音の主の次なる行動を予測しかねているだろう。動くに動けない状態にいると思えた。
ドアは閉められた音はしていない。要するに開け放しになっているはずだ。下手に行動を起こしても、相手にすぐに逃げられてしまう可能性がある。
足音が再び響いた。
音の響きからして、職員室に足を踏み入れたと思われる。
せつなはまだ動かない。
まことはゴクリと唾を飲み込んだ。
足音が近づいてくる。自分の方に。
事務机に身を潜ませていたまことは、緊張のために身を強張らせた。
ビリッ。
乾いた音が辺りに響いた。
窮屈だった制服が、緊張のため身を強張らせたがために、悲鳴を上げた音だった。肩の縫い目が裂けてしまったのだ。
「誰だ!」
男の声が短く響いた。緊張のために、幾分上擦っている声だった。
まことは覚悟を決めるしかなかった。その存在を知られてしまっては、発見されるのは時間の問題だった。
だが………。
「まこ、出てきていいわ。心配はいらなかったみたい………」
せつなの声だった。安堵とも、呆れ気味とも取れる溜息混じりの声だった。
「な、なんだぁ!?」
次いで男の素っ頓狂( な声が聞こえてきた。)
まことは事務机の陰から身を乗り出した。
すぐ近くに男がいた。見覚えのある顔だった。まことの記憶の中で、何かが弾けた。
「ジェダイト!?」
男の顔を見た途端、まことは叫んでしまった。その男が、あまりにもプリンス・エンディミオンの四親衛隊のひとり、ジェダイトに似ていたからだ。
「ジェダイト?」
怪訝な表情のせつなが歩み寄ってきた。今となっては、彼女がどこに身を潜ませていたのかは分からない。
「俺の名前らしいぜ」
まるで他人事のように男は言うと、せつなを見て戯けて見せた。
「どうでもいいけど、あんたってヒトはどこにでも沸いて出るヒトね、D・J………」
「ひとを、ゴキブリのように言うなよ………」
D・Jと呼ばれた男は、苦笑しながら後頭部を掻いた。
「せつなさんの知り合いですか?」
驚いてまことは尋ねた。とても、初対面の会話とは思えない。まことは以前、その男とせつなが一緒にいる場面に出くわしているのだが、そのことは忘れていた。
「このヒトは、大道寺潤人っていう、売れない私立探偵なのよ。表向きはね………」
「なんか引っかかる言い方だなぁ………」
大道寺は頬を膨らませる。そんな大道寺をよそに、せつなは苦笑して肩を竦めた。
「ようやく、思い出したわ。あんたのこと………」
大道寺の正体を、せつなはやっと理解したのだ。
「今頃気づくなんて、以外と鈍いのね、せつなちゃん………」
「全くだわ………。まこに言われなければ、まだしばらくは気付かなかったもしれないわ」
せつなは小首を傾げながら、右のこめかみの辺りをポリポリと掻いた。
「ちょっとぉ! あたしも会話に混ぜてくれよぉ!」
ふたりで納得し合っているせつなと大道寺の会話に、まことが割り込んできた。
「説明はあとにしよう。どうやら、“お客さん”が来たようだ」
にやけ面だった大道寺の表情が、急に真顔になった。
せつなも緊張に頬を張りつめた。
殺気を感じた。
レイとディモスのふたりは、教室を順に探っていた。
大方の予想通り、各教室には人の気配は感じられない。
まるで休日の教室のように、ひっそりと静まり返っていた。
「どお? 感じる?」
レイはディモスに訊いた。これで何度目だろうか。自分でも覚えていなかった。
ディモスは無言で首を振るだけだった。フォボスの波動は感じないようだった。
それはレイとて同じである。人の“気”を探る能力に長けているレイなら、単独でもフォボス探索に当たることはできたのだが、せつなが敢えてそうしなかったのには理由がある。ディモスの方が、より敏感にフォボスのことを感じられると判断したからだ。
しかし、今のところは、フォボスを感じることはできていない。もしかすると、もうフォボスは学院内にいないのかもしれなかった。
ディモスは泣き出したいのを必死で堪え、フォボスの波動を感じるべく、周囲に“気”のフィールドを張り巡らせていた。
その“気”のフィールドに、捉えられた別の“気”があった。
邪悪極まりないその“気”は、自分たちの背後に迫ってきていた。
「レイ様!」
振り向いたときには、レイは既に身構えていた。レイもその“気”を敏感に感じ取っていたのである。
教室の入り口に、その“気”を放つ者はいた。
「お前は!」
ディモスは叫んでいた。そこに立っていたのは、先に自分たちを襲った神父その人だったからである。
「何やらネズミが入り込んでいるようだと来てみれば、あなたは先程のセーラー戦士の片割れではありませんか………」
口元に僅かに笑みを浮かべ、ファーザー・ミッシェルは言った。
「わたくしが捉えたお嬢さんを、助けに来たのですね………。くくくくく………。計算通りですね………」
「フォボスはどこ!?」
鋭い視線でミッシェルの挙動を捉えながら、ディモスは勢い込む。
「教えるわけにはいきません。彼女はわたしたちの切り札ですからね」
言いながら、ファーザー・ミッシェルはレイに視線を向けた。
「火野レイさんですね。あなたがこの場にいるということは、あなたもセーラー戦士のひとりだったというわけですか………。」
「あたしを知っている!?」
「もちろんです。あなたは有名な方ですからね………。こちらとしても、マークはしていたのですよ。もちろん、セーラー戦士としてではなく、次の標的( としてですがね………」)
ファーザー・ミッシェルは、喉の奥の方で笑いを発した。
「さあ、大人しくしていただきましょうか………。抵抗をすると、あなた方のお仲間の身の安全は保障できませんよ」
「冗談じゃないわ!」
全面降伏を求めるミッシェルの言葉に、敢然と拒否の意志を伝えたのは、やはりレイだった。
「悪いけど、大人しく捕まるつもりはないわ! あなたを倒して、仲間も救い出してみせるわ!」
鋭い眼光で、ミッシェルを威圧するように見つめると、レイはセーラーマーズにメイクアップした。
そのレイに続いて、ディモスもセーラー戦士にチェンジする。
「くくくくく………。無駄な抵抗というのが、どれほど愚かな行動なのか、思い知らせてあげましょう………」
ふたりに変身する間を与えたのは、ミッシェルに余裕があったからだ。
変身するふたりを目を細めて見つめていたミッシェルの口元が、僅かに笑みを浮かべた。
「覚悟しなさい!!」
セーラー戦士にチェンジしたディモスが、鋭く叫んだ。
「覚悟するのは、あなたたちの方ですよ」
「!?」
ミッシェルが両手をゆっくりと振り上げると、突然の違和感がマーズたちを襲った。
「空間がシールドされた!?」
マーズの表情が険しくなる。
「わたしの結界は、そう簡単には破れませんよ………。さぁ、ショータイムです!」
パチリと指を鳴らすと、どこからともなくシスターたちが出現した。
マーズとディモスのぐるりを包囲する。
先の講堂での一戦で、ほたるたちを襲ったダンシングシスターズだ。
人数が増えている。ふたりを包囲しているのは、総勢で十人のシスターだ。それぞれが無表情のまま、ミュージックもないのに奇怪なダンスを踊っている。
不気味この上ない。
「プリンセス・マーズ。気を付けてください。こいつらの動きは予測不可能です」
「分かった………」
ディモスの助言を背中で聞いて、マーズは僅かに姿勢を低くした。
「行くよ、ディモス!」
マーズは号令を掛けると、一気に強行突破を試みた。