新たなる戦士
「光が………!」
司令室に用意された簡易ベッドに横たわっている夏恋を指差し、もなかは小さく声をあげた。
仮死状態のまま身動きひとつできない夏恋の体が、眩いばかりの光に包まれている。暖かい光だった。全てを包み込む、まるで母親のような優しさのある光だった。
「マーズ!?」
ルナは即座にセーラーマーズに視線を向けた。冥界に旅立っていったプルートたちと連絡が取れるのは、今の状態ではマーズだけなのだ。
夏恋の体に異変が起こったと言うことは、冥界で何事か行われたと言うことに他ならない。 マーズは瞳を閉じ精神を集中させると、冥界のせつなに意識を飛ばす。霊界通信と世間では呼ばれている通信方法で、せつなとの交信を試みた。
程なくせつなから返事が返ってきたのか、マーズは大きく深呼吸をすると、ゆっくりと瞼を開けた。霊界通信ではかなりのパワーを消耗するらしく、マーズの額には汗が浮かんでいた。
「上手くいったみたい………。ふたりとも、間もなく帰ってくるわ」
マーズは言うと、シートに腰を下ろしたままトランス状態に陥っているプルートとセーラームーンのふたりに、おもむろに目を向けた。
ふたりは魂だけを肉体から離脱させ、冥界に向かっていたのだ。俗に言う幽体離脱である。
「う………」
トランス状態だったセーラームーンが、短く呻いた。次いで、プルートがゆっくりと目を開ける。
「なんだか、疲れちゃった………」
心なしか顔色の悪いセーラームーンが、ひどく嗄( れた声で言った。自分の心臓に右手を当て、鼓動を確かめるかのように瞳を閉じた。三回ほど大きく息を吸って、乱れている呼吸を整えている。)
「大丈夫かい?」
まことがセーラームーンの体を気遣った。端から見ても、かなりの体力を消耗している様に感じられた。
「しばらく横になって休んでいた方がいいわ。生身の肉体から魂だけを離脱させるのは、非常に体力と精神力を消耗するのよ」
しっかりした口調でセーラームーンに説明するプルートだったが、彼女とて体調は万全ではないようだった。やはり顔色が冴えない。
「どうだったんだ!? 夏恋は助かるのか!?」
兵藤は勢い込んで訊いてきた。その勢いに、プルートは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑を浮かべて頷いた。
眩いばかりの光を放っていた夏恋だったが、徐々に落ち着いた光へと変化していた。やがて光は、鼓動のように収縮を繰り返し始めた。
プルートは、ややふらつく足で夏恋の簡易ベッドに歩み寄ると、
「夏恋………」
囁くように声を掛けた。しかし、反応はなかった。
「夏恋」
もう一度名を呼んだ。そして、今度は反応があった。瞼がぴくりと動く。
夏恋に心臓の鼓動が戻ってきた。呼吸が再開される。光は夏恋の体に吸い込まれるようにして、消滅していった。
夏恋はゆっくりと瞼を開けた。瞳はまだ焦点が合わず、真っ直ぐに天井を見つめていた。蘇生したばかりで、意識がまだはっきりとしていないのだ。
司令室にいる全ての者から、安堵の吐息が漏れてくる。
まことは涙を浮かべて、夏恋を見つめていた。
「夏恋………」
今度は兵藤が声を掛けた。優しい声だった。仮死状態の夏恋を見、困惑し喚いていた兵藤からは想像も付かないような優しい声だった。
きっと、これが本来の彼の姿なのだろうと、まことは思った。唐変木( だ、甲斐性なしだと悪態を付いていた夏恋だったが、兵藤の話をする時は楽しそうだったのだ。口ではなんだかんだ言ってはいても、夏恋は兵藤のことをを愛しているのだと、まことは今更ながらに気付いた。)
「気分はどうだ?」
「………あんたにそんな優しい言葉を掛けられると、なんだか気色悪いよ」
悪態を付きながらも、夏恋は幸せそうに微笑んだ。兵藤は安心したように、ニカッと笑って見せた。ふたりには、これで充分なのだろう。
「みんなには、説明がいるよね」
夏恋はプルートに目を向ける。プルートは頷いた。
夏恋は今までの経緯を語った。セーラーカロンのことを含め、全てを………。
「………てことは、何かぁ。お前ん中に、セーラーカロンがいるってことか?」
話を聞き終えた兵藤は、複雑な表情で夏恋を見た。
「あたしも自覚はしていない。確かにセーラーカロンとひとつになったような気はするが、意識を集中させてもセーラーカロンを全く感じない。本来あるはずの、セーラーカロンも記憶も持っていない気がする」
「少しずつ、思い出すわよ」
悩む夏恋に、変身を解いたせつなは声を掛けた。
「カロンはあなたが、夏恋でいられるように、最善を尽くしたのよ。カロンの能力だけは間違いなく受け継がれているはずだけど、記憶まで一度に受け継いでしまうと、あなたはあなたではなくなってしまう。カロンの記憶の量は、膨大だもの………」
「カロンの記憶は、封印されているということ?」
「ええ………。おそらく、経験を積めば、カロンとしての記憶は徐々に回復していくと思うわ。あたしたちのようにね………」
せつなは言いながら、うさぎ、まこと、レイ、そして衛を順に見回した。
彼女たちはかつてのシルバー・ミレニアムに存在したセーラー戦士の生まれ変わりではあるが、もちろん、転生前の戦士たちとは別の人格を持っている。はっきり言ってしまえば、別人である。ただ、戦士としての記憶の一部を共有しているにすぎない。本来の戦士たちは、メタリアによって滅ぼされているのである。ただ、クイーン・セレニティの神秘の力によって、現代に転生してきたにすぎないのだ。彼女たちは、本来のスター・シードの成長とは別の過程を経ているのである。半ば強制的に転生させられてしまった彼女たちは、その反動で戦士である記憶を、一時的にしろ失ってしまったのである。そのために、ルナとアルテミスがコールド・スリープの状態で地球に遣わされたのだ。戦士としての記憶を失っている彼女たちを助ける力として。
「セーラーカロンと同じ波長を持つ彼女だから、融合が可能だったのだろう。あたしや、お前たちと同じことだよ」
銀河なびき=セーラーギャラクシアは言う。彼女もまた、ギャラクシアの能力と記憶を合わせ持つ全く別の人格の地球人である。同じスター・シードを共有しているにすぎないのだ。
「あたしとあなたが違うところは、あたしはギャラクシアの記憶を完全に持ったまま融合できたと言うことだけさ。死んでいく銀河なびきと融合できたのは、偶然なのだろうけどね。本来なら、あたしはこんなにも成長しているはずがないんだ。あたしのスター・シードは、まだ完全じゃない」
名前こそ出さないが、なびきはこの場にいないほたるのことを言っているのだと思えた。三度目の転生であるほたるも、初めのうちはスター・シードが完全ではなかった。成長も不安定で、赤ん坊だった彼女が急成長し、一時は元のほたるの姿にまで成長したが、再び幼い頃に戻ってしまうというようなありさまだった。その後再び急成長したほたるは、現在の姿(ほたるの二度目の転生時の姿)にまで成長したのだ。戦闘能力も不安定であったが、ようやく、本来の能力に戻ったところだった。
「で、お前はどうする? あたしはセーラームーンに大きな借りがあるから、それを返さなければ気が済まないので、不本意ながら協力しているんだが………」
何か言いたげなレイとまことを無視して、なびきは夏恋に目をやる。
「もちろん、あたしもセーラームーンの力になるために、カロンの能力を受け継いだのよ。あのブラッディ・クルセイダースという組織を叩きつぶすために、協力しようと思う。いいわよね?」
夏恋は兵藤に視線を送る。
「俺は別に構わないよ。カワイ子ちゃんたちと一緒なら、大歓迎だし………」
兵藤は戯けて見せた。まことに意味深なウインクをする。
「妙な考えを起こしたら、ただじゃおかないよ」
背後霊のようにぴったりと兵藤の後ろに付いた夏恋が、低い声で耳打ちするように言った。もちろん、囁き声ではないために、その場にいる全員に、夏恋の言葉は聞こえていた。
「や、やだなぁ、夏恋ちゃん。変な心配してると、皺が増えるよ」
「余計なお世話だよ!」
にこっと微笑みながら、夏恋は兵藤のお尻を思い切り抓っていた。
「あちゃあ、痛そう………」
司令室の隅から、悲鳴を上げている兵藤を見ていたもなかと操は、視線を同じくしながら小さく笑っていた。
だが、しばしの和やかな雰囲気は、突然破られることになった。
“クラウン”から、血相を変えて元基が降りてきたのだ。
「大変だ! ほたるちゃんが………!!」
叫ぶ元基の背後から、ほたるを抱えるようにして、セーラー戦士の姿のディモスが姿を現した。
「ディモス!? どうしたの!?」
「レ、レイ様!? ご無事でしたか! ずっと“交信”を試みていたのですが、応答がなかったものですから、心配しておりました」
ディモスの言う“交信”とは、フォボスやディモスのふたりとレイの間で行われているテレパシー通信のことを指している。
「魂の門」に向かっていたセーラームーンとプルートをサポートしていたレイは、トランス状態となっていたがために、ディモスのテレパシーが届かなかったのだろう。
先程まで夏恋が横たわっていた簡易ベッドに、今度はほたるが寝かされた。
「申し訳ありません。フォボスが敵の手に堕ちました………」
夏恋の看護を受けているほたるを見やりながら、ディモスは悔しげな表情でレイに報告をする。
「何があったのか、説明なさい」
レイの表情は硬い。ディモスがセーラー戦士にチェンジしているのに対し、依然として気を失ったままのほたるが変身していないというのも解せない。フォボスが拉致されたというのなら、その経緯も知る必要があった。
ディモスが説明を開始しようとするその直前に、ようやくほたるが意識を取り戻した。自分の置かれている状況が理解できないのだろう。しばしキョトンとした表情で、心配そうに覗き込んでいる仲間たちの顔を順に見回すと、突然全てを理解したようにハッとなって、変身した状態のディモスに顔を向けた。
「………そうですか、フォボスが………。すみません、あたしが迂闊( だったんです」)
今にも泣き出しそうな表情で、ほたるはレイに詫びた。だが、もちろん、レイはほたるやディモスを責めるつもりは毛頭ない。仲間が敵に拉致されてしまったのだとしたら、素早く状況を把握し、迅速に次の行動に移らなければならない。
ディモスはT・A女学院で起こった一連の出来事を、謎の神父ミッシェルのことを含めて、全てを簡潔に説明した。
「その神父なら、あたしも見かけたことがあるわ。そう………、ブラッディ・クルセイダースだったの………」
レイは唇を噛み締めた。迂闊( だった自分を責めているのだと分かった。)
「ごめん、みんな………。どうしても学院が気になっていたから、ほたるやディモスたちを監視のために残していたのよ。まさかこんなことになってしまうなんて………。あたしの責任だわ………」
レイは項垂項垂( れる。)
「いいえ、レイさんの判断は正しかったわ。あたしのミスで、フォボスが………」
そのレイを庇うように、ほたるは言葉を被せた。
「今は、責任がどうのと話しているときじゃない!」
お互いに庇い合うレイとほたるに、アポロンの鋭い声が覆い被さるように飛んできた。少々影の薄かったアポロンが、この時とばかりに皆の前に飛び出してきた。
「T・A女学院に敵が潜んでいると分かった以上、次の手を打たなければ被害が増える一方だ。聞けば、学生の殆どの姿が見えないと言うじゃないか。それなら尚更だ!」
「そうね。T・A女学院を調べる必要があるわね。しかも、早急に………」
アポロンの意見に、ルナが頷く。
「でも、どうやってT・A女学院を調べるの? あそこは部外者が入れないのよ。レイちゃんと、ほたるちゃんのふたりだけじゃ、また危険だわ」
うさぎはルナの意見を求めるように、彼女を見つめた。ミッシェルのような人物が平気で学院内を徘徊( しているということは、他にもブラッディ・クルセイダースのメンバーがいる可能性にも繋がる。現にほたるたちは、シスターの姿をしたミッシェルの部下に襲われている。)
最近目にしている見知らぬ顔のシスターたち全員が、ミッシェルの配下である可能性はかなり高い。
「そのことなら心配しないでいいわ。T・A女学院の制服なら、何着かなら揃えられると思う。あたしも一着余分に持っているし………」
「あたしも一着ならあります」
レイが目配せすると、ほたるがすぐさま答えた。
「司令室に残っているメンバーも必要だけど、最低でも五人くらいはT・A女学院に潜り込みたいわね。敵の巣窟に乗り込むわけだから、こちらもそれなりの戦力で望まなければならないわ」
せつなは言う。潜入するだけなら、彼女たちなら簡単なことなのだが、学院内部で行動するとなれば話は別である。学生の姿をしていなければならない。T・A女学院の制服を着ていれば、少なくとも怪しまれずに行動ができる。まずは、ブラッディ・クルセイダースの目を誤魔化さなくてはならない。更に今回は戦闘になる可能性がある。その為には、こちらも万全の体勢を整えなくてはならないと思えた。
「なら、あたしも制服を持っているから、それも使うといい」
「へ!?」
突然会話に割り込んできたなびきに、一同は驚きの視線を向けた。
「え!? 今、なんて言ったの?」
レイが聞き返す。
「だから、あたしの制服も使えばいいと言ったんだ」
「あ、あんたT・A女学院の学生なの!?」
「そうよ」
疑わしげな視線を向けるレイに、なびきはさらりと答えた。
「正確には『だった』だけどね。今年卒業したのよ。もちろん、銀河なびきがね」
「し、知らなかった………」
がっくりと肩を落とすレイに冷ややかな視線を向けながら、
「二着あるから、これで六人が入れることになる」
なびきはせつなに言った。
「じゃあ、友達から借りてくる必要はないですね」
未だ納得のいかない様子のレイに、ほたるは視線を流した。
「細かいことは気にしない方がいいわよ、レイちゃん」
うさぎが慰めるようにレイの肩を叩いた。確かに、今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。なびきがT・A女学院生だったなどということは、作者の強引なこじつけだと納得してもらうしかない。
「俺たちは、当然居残り組なんだろ?」
兵藤が確認するように訊いてきた。
「もちろんよ」
当然のことを訊くなと言わんばかりに顔をしかめ、せつなが答えた。どうやらせつなは、兵藤のことを快く思っていないようだった。突っ慳貪( な言い方をされた兵藤は、苦笑するしかなかった。)
「まあ、T・A女学院の制服が着れれば、連れていってあげてもいいわよ」
せつなとしては、嫌みのひとつも言ってみたくなる。
「よ、よしてくれ! 俺はセーラー服は大好きだが、着る方の趣味はない!」
兵藤は大袈裟に肩を竦めると、シートに腰を下ろした。
「お前はどうする?」
兵藤は衛に視線を向ける。衛は小さく首を横に振った。
もちろん、衛は初めから行くつもりはない。見てみたい気もするが、当然の如く、セーラー服を着る趣味は彼にはない。既にルナと何事か打ち合わせをしている。衛はこういうことは、実に手際がよかった。
「メンバーは決まりだな」
既に居残りを決めたアポロンが言った。彼も司令室に残って、メンバーをサポートする側に回ることになる。彼としてはもなかのことが心配なのだが、これだけのメンツが揃った今なら、他のメンバーに任せておけばいい。それに、もなかはアポロンが考えている以上にレベルアップしている。
「………と、言うことで、ひとまず、男性陣は司令室に止まって貰うことにして、女性陣は、そうね………、火川神社がいいかしらね」
レイに了解を求めるような視線を向ける。制服に着替える場所が必要なのだ。彼女が頷くのを確認すると、せつなは、
「三十分後に、火川神社に集合しましょう」
そう言って、その場を取りまとめた。