大司教動く
ブラッディ・クルセイダースの象徴である、魔なる者が抱えた十字架の前で、漆黒の法衣を纏った男が佇んでいた。
大司教ホーゼンである。
邪気に孕んだ瞳を僅かに曇らせると、ゆっくりとした動作で振り返った。
向けられた視線の先には、数十人の女性たちが死んだように倒れ伏している。祈り疲れ、いや、精気を吸い尽くされて廃人となった女性たちである。捕らえられた女生徒たちだった。
果たして呼吸をしているのであろうか、生ある気配を微塵にも感じさせない女生徒たちは、当然身動きひとつしなかった。
「この女たちも、もう使い者にならぬ………」
低い声で呟く。しかし、何の感情も籠もってはいなかった。大司教ホーゼンにとっては、さらってきた女性たちは使い捨ての消耗品にすぎない。
「いいではありませんか、女ならいくらでもおります。この者たちには、“ルガー・ルー”としての使い道が残っております。この者たちが、新たな女をさらってくるでしょう」
大司教の低い呟きが耳に入ったのか、いつの間にやら間近に寄ってきていたマザー・テレサが、優雅な口調で話し掛ける。
「何事か起こったのか?」
マザー・テレサが講堂に現れるときは、決まって理由があるときである。十三人衆である娘のファティマを従えていないということは、極秘の話をしたいからに他ならない。
「セレスのことです」
「あの娘が、どうしたというのだ?」
間髪を入れずに、大司教は質問を返す。
「いつまで、あの得体の知れない小娘を野放しにしておくおつもりですか?」
マザー・テレサの口調は厳しかった。もともと、マザー・テレサはセレスを十三人衆に加えることには異を唱えていた。それを宥( めたのがホーゼンだった。)
「そのことか………」
大司教ホーゼンは、微苦笑を浮かべる。
「あの娘は実に面白い。何の目的があって我らと行動を同じくしておるのか、皆目見当も付かぬわい」
表情を全く変化させずに、大司教ホーゼンは顎を撫でた。
「でしたら何故?」
「臭いだな………」
「臭いですか?」
マザー・テレサには、大司教の真意が分からなかった。当初、十三人衆として任命していたディールという男を解任してまで新たに取り立てたセレスなのだが、その素性は明らかではない。もっとも、他の十三人衆のメンバーだとて、素性が不明確な人物ばかりなのだが、セレスの場合、ブラッディ・クルセイダースの組織にいること自体が不可思議なのである。誰がメンバーに加えたのか、皆目見当も付かないのだ。他のメンバーは全て、誰かしらの紹介で組織の一員となっているのに対し、セレスは気が付いたときには組織内でかなりの勢力を持っていたのである。
「儂はあの娘の能力にも興味がある。あの能力は素晴らしい。セーラー戦士とやらにも匹敵するあの能力は、当分の間は利用できる。だからこそ、当初はセーラー戦士追撃の任も与えておった」
そう言うとホーゼンは小さく息を吐き、恐竜のような鈍重な動きで、マザー・テレサに背を向けた。
「しかし、何れは我らに仇なすとは考えられませんか?」
マザー・テレサの表情からは、僅かに不安の色が伺えた。真っ直ぐに、ホーゼンの背中を見つめる。
「そうなれば、始末すればよい」
ややあってから、大司教はさも当然のことのように答えると、喉の奥の方で、くぐもった笑いを発した。
まだ何事か質問をしたかったテレサだったが、人の気配を感じたので、その言葉は飲み込んでしまった。
「ここへは来るなと伝えただろうに………!」
マザー・テレサの鋭い声が、背後に現れた者に対して向けられた。
「申し訳ありません。急ぎの用がありました故」
マザー・テレサの背後の闇から現れたのは、マザーの娘であり、十三人衆のひとりであるファティマだった。物怖じせず、意志ある瞳で真っ直ぐにテレサの顔を見つめている。
ホーゼンが再び鈍重な動きで体を巡らした。
マザー・テレサは意を告げる。
「申してみよ」
「はっ!」
畏まった返事をすると、一瞬だけ大司教にも視線を向けた。マザー・テレサと大司教ホーゼンのふたりに報告があるという意味である。
「セレス管轄下のテリトリーで、スプリガンの部下が先走りをしたようです。セーラー戦士と交戦となり、スプリガン、セレスともそれぞれ二名の部下を失っております」
報告を受けた大司教が、僅かに眉をしかめた。
「セレス管轄下と言うと、例のミッシェルの“学院”の方ではないな?」
確かめるような大司教の言葉。
「はっ! “学院”はスプリガンの管轄下です。そちらでは、今のところ戦闘は行われていないようです」
ファティマは間を置かず答える。
「うむ………。部下の先走りについて、スプリガンは何と申しておる?」
「その件に付きましては、コメントを避けております。ただ………」
「ただ………?」
何事が言わんとしているファティマに、大司教は怪訝な視線を向けた。
「セーラー戦士をひとり、“学院”にて捕らえたとの報告があったようです」
「“学院”で!?」
その報告に、マザー・テレサはいささか驚いたような表情を見せた。だが、それも一瞬だった。すぐにまた、落ち着きを取り戻したように平静な顔で、大司教に視線を向けた。
「ふむ………」
マザー・テレサに意見を求められた大司教は、小さく鼻を鳴らした。
「セーラー戦士を捉えたというは、よい。しかし、“学院”でと言うのが気になるな………。ファティマよ、そなた今し方“学院”では戦闘は行われなかったと報告をしたな?」
「そのように、聞いてます故………」
ファティマは真っ直ぐに大司教の顔を見つめる。自分の報告に偽りはないという意志表示だった。スプリガンから伝えられたことを、そのまま報告しているだけだと言いたげだった。
「………“学院”の秘密に、セーラー戦士どもが感づいていたとて、何の不思議もないか………。やつらも、そう間抜けではないということだな………」
呟くような大司教の言葉に、マザー・テレサは無言で頷いて答える。
ファティマも無言のまま、ふたりの様子を伺っていた。
「そろそろ行動を起こさねばならぬかな?」
思い立ったように、大司教はマザー・テレサに顔を向ける。マザー・テレサは、僅かに口元に笑みを浮かべ、
「そうですね………。そろそろ頃合いではないでしょうか? 間もなく予言の刻を迎えます。“聖地”にも往かねばなりません。セーラー戦士を捕らえたと言うのなら、利用しない手はありますまい。仲間のセーラー戦士が、必ず救出に現れるはずです」
マザー・テレサは答えた。
「“学院”で一網打尽にすればよいか………。思わぬ収穫があるかもしれんな………」
大司教は頷くと、ファティマに視線を戻した。
「イズラエルにも伝えよ。我らは“聖地”を目指す。“学院”にて、最後の仕上げに掛かると、な………!」
漆黒の法衣を翻し、大司教はファティマに背を向けた。その大司教の眼前には、その不気味な十字架が佇んでいる。
十字架を抱えている悪魔の像が、心なしかニタリと笑ったように感じられた。
「こやつが暴走するのは、計算違いだった………」
死んだように眠っているセーラーサン―――陽子を前に、セレスは項垂れるしかなかった。
封印していた彼女の記憶が一瞬でも解けてしまったことが、彼女のパワーを暴走させてしまう原因となったのだ。失われていた記憶と偽りの記憶の葛藤が、彼女からパワーを制御する能力を奪ってしまったのだ。自己崩壊するために………。
あの時、セーラーカロンが陽子を強引に止めなければ、彼女の精神は完全に破壊されていただろう。そして、自分の身も危うかった。
ある意味で、カロンに感謝しなければならないと感じた。しかし、それ以上に、キロンとアイーダのふたりを失ったショックが大きかった。
「セレス様の責任ではございません。どうか、ご自分を責めないでください。キロンもアイーダも、きっと分かってくれます。それよりも、彼女が暴走したのは、記憶の操作が不完全であったためです。とすれば、プロキオン様の失態です」
陽子の記憶の操作は、プロキオンが担当した。セレスはただ、彼女を監視するのが役目だったのだ。
「キロンとアイーダのことは、お忘れください」
ヘルクリーナの慰めの言葉が、胸に痛かった。しかし、いつまでも悲しんでばかりはいられなかった。
「すまない、ヘルクリーナ………。あたしが悲しんでいても、ふたりは戻ってはこないものね………」
キロンとアイーダのことは、割り切って考えるしかない。
「我らもそろそろ行動を起こさぬばならない。時が迫ってきている。それまでに、こやつのパワーを制御する必要がある」
二度とあのような失敗を起こさないようにするためには、陽子のパワーをコントロールすることは必要不可欠だった。
「太陽の宝珠を、あたしがコントロールできれば………」
無駄だと分かってはいても、そう考えざるを得ないのが、今のセレスの心境だった。
「バイバルスとメイムが功を焦って先走ったか………」
ふたりを監視していたワルキューレから報告を受けていたスプリガンは、特に驚いた様子もなく、淡々とした口調で呟いた。
暗闇に紛れてはいるが、左右には女性の気配を感じることができる。当然、そこにいるであろうスプリガンの姿も、ワルキューレから見ることはできなかった。そして、今、スプリガンがどういう状態であるのかも知ることはできない。しかしながら、部屋に充満している甘美な臭いから、この男がふたりの女性を相手に何をしていたのかは、容易に想像が付く。
部屋の入り口に佇むワルキューレは、僅かに顔をしかめた。
「あのふたりには、当然の末路と言えるな………」
返事を求めるかのように、スプリガンはワルキューレを見やったが、彼女は何も答えようとはしなかった。ワルキューレからは、闇に包まれているスプリガンの様子など、知ることはできない。気配で自分に視線を向けているのだろうと感じるだけだ。
ワルキューレは無言で目を伏せるだけである。
「野心を持ちすぎる部下を持つと、気も休まぬなぁ………」
傍らの女性の喉でも撫でたのだろうか、「にゃ〜ん」と猫を真似た声が闇から聞こえてきた。
「ミッシェルは予定通り動いているのであろうな?」
「はい。ミッシェル殿は問題はありません。ノームも予定通り行動をしているようです」
ワルキューレは抑揚のない声で、事務的に答えた。特に質問されたわけではないが、仲間のノームのことも付け加えた。バイバルスとメイムを失った今、ブラッディ・カテドラルにいるスプリガンの部下は、ミッシェルとノーム、そして自分の三人だけになってしまっている。
「大司教のじじいは、“学院”に行ったのか?」
「間もなく向かうようです。捕らえていた娘たちが、もう殆ど使い物にならなくなっているようですから」
「加減なしに、エナジーを吸い続けるから、すぐに使い物にならなくなるんだ………」
スプリガンは吐き捨てるように言った。
「ミッシェルが捕らえたセーラー戦士はどうしている?」
「まだ“学院”内におります。どうやら、『餌』にするつもりのようです」
「なるほどな………。ならば、俺も動くとしよう」
スプリガンは腰を上げたようだった。甘えるような女性の声が、二種類耳に伝わってきた。
コツコツと足音を響かせて、スプリガンがこちらに近づいてくるのが分かる。
通路から差し込む光が、ようやくスプリガンの姿を捕らえた。
全裸である。
ワルキューレは視線を外さずにはいられなかった。
「セントルイスが俺のことを嗅ぎ回っている。やつも片付けねばならない。お前の力も必要になるだろう」
視線を外したワルキューレを一瞬だけ鼻で笑うと、スプリガンは彼女の眼前まで迫ってきた。
ワルキューレの頬を、ぞっとするほど冷たい手で撫でると、腰を抱いて引き寄せた。
「期待しているぞ」
彼女の耳元で、囁くようにそう告げた。
マザー・テレサとファティマのふたりが自室に戻った後も、大司教ホーゼンは講堂に居続けていた。
生気もなく、死んだように倒れ伏している女生徒たちに冷ややかな視線を向けると、僅かに口元を歪める。
「必要な『種』は既に植え付けてある。あとは復活を待つだけだ………」
低い声で独り言を呟く。声に出すつもりはなかったのだが、自然と言葉に出てしまったのだ。
「しかし、あのセーラー戦士とは何者なのだ………。恐るべきパワーを持っている。あのパワーを利用しない手はない。『種』を植え付ければ、大化けするかもしれん」
ホーゼンは卑猥な笑みを浮かべる。
「あれ程のパワー、他に類を見ない。儂が直々動くか………」
しばし考え込むように、視線を足下に落とした。十字架を抱えている悪魔の瞳が、僅かに光を放ったような気がした。
「うむ。そうさな………。あとは『聖地』に眠る強大なパワーを手中に収めれば、この世界は我らのものとなるわけだな………」
そう呟く大司教の表情は、非常に楽しげであった。
イズラエルはセントルイスとともに、麻布十番の上空で、十番高校とT・A女学院の戦闘の一部始終見ていた。
「展開としては、なかなか面白いことになりそうだ」
イズラエルは腕を組み、楽しげに鼻を鳴らした。
「スプリガン、セレスともふたりの部下を失うか………。セーラー戦士も、ひとり仲間を失うかもしれんな」
セントルイスはカロンの事を言っているのだ。陽子の暴走を止め、戦闘不能に陥ったカロンの状態を見れば、そう判断しても間違いではない。
「あのセーラー戦士は、死ぬと思うか?」
イズラエルは訊いた。
「さあな。セーラー戦士が俺たちと同じ人間だったら、死んでもおかしくはないだろうさ」
「………人間か」
そう呟いた後、イズラエルは愉快そうに笑った。セントルイスが不愉快そうな視線を向けてきた。
「いや、すまん。しかし、お前はまだ自分が『人間』だと思っているのか?」
「………」
イズラエルの揶揄するような問い掛けに、セントルイスは答えなかった。確かに、自分たちは“普通の人間”とは違う。しかし、“人間”であることには変わりはないのだ。セントルイスとしては、自分がまだ“人間”であると思いたかったのだ。
「大司教は“学院”に来るな………」
自分の質問に答えようとしないセントルイスに腹を立てるでもなく、イズラエルは話題を変えた。相手が乗ってこないのなら、いつまでもその話題を続けていても面白くないからだ。
「ミッシェルがセーラー戦士をひとり、捉えることに成功したようだからな。恐らく、仲間のセーラー戦士が救出に来ることを考えて、罠を仕掛けて待っているだろうさ」
今度はセントルイスは答えた。しかし、何やら不服そうだった。
「何が気にいらん?」
気になったから、イズラエルは訊いてみた。だが、今度もセントルイスは答えなかった。無言のままT・A女学院を見下ろしているだけだ。
「日本( にいるのもあと僅かだ。大司教は“学院”で仕上げをするつもりのようだな」)
諦めたように首を横に振ると、イズラエルはセントルイスと同じようにT・A女学院を見下ろす。
「セーラー戦士の正体、お前は気にならないか? やつらのあの能力( の源がなんであるか、知りたいとは思わないか?」)
「それを知ってどうする? イズラエル」
「可能ならば俺がその能力( を手に入れる」)
「あんな能力( を手に入れてどうする? 手に余るだけだぞ。今のままでも、お前は充分に強い。それ以上の能力) ( を手に入れて、お前は何と戦う気だ?」)
セントルイスは睨むようにイズラエルを見た。イズラエルはその視線を受けて、ニタリと笑う。
「時が来れば教えてやるよ」
そう言うと、イズラエルは愉快そうな笑いを発するのだった。