ファーザー・ミッシェル


 T・A女学院に残されたほたるのもとにフォボスとディモスが到着したのは、レイが 十番高校に向かってから五分後のことであった。
 カラスの姿で火川神社から飛行してきたふたりは、T・A女学院の中央昇降口付近でほたるの姿を認めると、人の姿へと変化してふわりと目の前に降り立った。
「カラスの姿では、学生たちに気持ち悪がられるでしょう」
 フォボスはそう言ったが、人の姿に戻っているとはいえ、ふたりはT・A女学院の制服を着用しているわけではない。ましてや、いわゆる普通の服装をしているわけでもなかった。羽根の付いたレオタードという表現が似合いそうな、奇抜な服装をしているのである。ボディラインのきっちりと浮き出るその姿は、男の目に止まれば注目の的になってしまう。かえって目立ってしまうような気がしてならなかった。いや、実際目立ってしまうと思えた。唯一の救いは、T・Aが女子校であるということだった。妙な気を回さないですむことが、救いといえば救いだった。どこぞのイベント会場でもあれば、双子のコスプレギャルとして、別の意味で注目されそうなふたりなのだが、生憎とここは、規律の厳しい天下のお嬢様学校T・A女学院の敷地内である。シスターにでも発見されたら、不法侵入者として警察に突き出されかねない。
「でも、カラスの姿のまま、ほたるさんと行動するわけにはいかないですし、それに人の格好でないと、校舎の中とかには入れないでしょう?」
 あっけらかんとディモスは言った。途端に驚いたのは、ほたるである。
「こ、校舎の中に入る気!?」
 その姿のまま、校舎の内部を彷徨(うろつ)かれたのでは、騒ぎになることに間違いはない。ほたるが驚くのは当然のことだった。
 しかし、そんなほたるの心配を気付くようなふたりではない。堂々と胸を張って、
「もちろんです!」
 ディモスが即座に答えた。
「あたしたちって、普段はカラスの姿でしょう? だから、この時代の建物の中って、窓の外からでしか眺めたことがないのよ。こういう機会でもないと、建物の中になんて入れないじゃないですか! これはチャンスなのよ!」
 そう力説したのは、フォボスだった。畳み掛けるように、やや興奮した面もちのディモスがそれに続く。
「そうそう! 本来なら人の姿で転生するはずだったのが、なにをどう間違えたのか、あんなカラスの姿で転生しちゃったでしょう? ほたるさんには分からないクロウがいっぱいあるのよ!」
「ほんと、カラスの姿だと、クロウが絶えないのよねぇ………」
 なにやら駄洒落を織り交ぜながら、ふたりは早口で一気に捲し立てた。
 ふたりがこれほどのおしゃべりだったとは、全くの新発見である。テレパシーで会話をしたことはあるが、そのときは必要なこと以外何ひとつ余計なことは話さなかった。
 ほたるが頭を抱えている横で、フォボスとディモスはくだらない駄洒落を織り込んでひとしきりしゃべりまくると、
「どうかしましたか? ほたるさん………」
 声を揃えてほたるに尋ねてきた。
「なんでもない………。今のあなたたちに、何を言っても無駄みたい………」
 溜息混じりにほたるは答えた。
 フォボスとディモスのふたりは、カラスの姿でいるときに相当の鬱憤(うっぷん)が貯まっていたのか、人の姿になった途端、まるで別人のようにおしゃべりになった。まるでピクニック気分でほたるのあとから、ちょこちょこと歩いてくる。
(レイさんだったら、こんなに煩いと怒りそうね………)
 レイの性格を知っているふたりが、彼女の前では必要以上に会話をしないのが、何となく想像できた。
(気を使ってるんだ、一応………)
 ほたるは心の中で苦笑した。

 さすがに校舎に入ることは気が咎めたほたるは、ふたりを連れて礼拝堂の方に向かった。
 礼拝堂なら学生も少なく、よしんばだれかに見つかったとしても、騒ぎになることはないと考えたからだった。もちろん、シスターに発見されないという大前提のもとではあるが。
「でも、今日はシスターの姿もあまり見かけないわねぇ………」
 学生が少ないことばかりに気を取られていたが、校内を歩いているときでも、シスターの姿を殆ど見かけなかった。時折、しずしずと歩いているシスターは見かけることがあっても、初めて見る顔のシスターばかりであった。
 顔見知りのシスターに、きょうは会っていない。
 礼拝堂に向かう途中でもそうだ。知らない顔のシスターとはすれ違ったが、その一度きりである。
 T・A女学院の学生ではない(明らかに違う)フォボスとディモスを見定めても、別に咎める様子もなく、無言で会釈をして通り過ぎていったのである。
「なんか、変なお姉さんね」
 フォボスとディモスは、見つめ合って怪訝な表情をしていた。双子であるフォボスとディモスは、細かい仕草もよく似ていた。並んでいられると、どっちがどっちだか分からなくなる。 声と服装で辛うじて区別ができるものの、顔を見ただけではなかなか区別をすることができない。さすが双子である。ほくろなどの身体的特徴を探そうと試みたが、残念ながら発見できなかった。同一人物のようにそっくりだった。
 ふたりとも、レオタードを基本とした戦士のコスチュームを身に纏っている。漆黒の艶やかなコスチュームを着ている方が、ディモス。グレーがかった落ち着いた色合いのコスチュームを着ているのがフォボスである。声質は、ディモスの方がややトーンが低かった。同時にしゃべられると非常に幻想的な響きがあり、以前美奈子の家で見せられた、「モスラ」なる怪獣映画に出てくる「小美人」という双子の妖精のような印象を受けた。
「ほら、あたしたちって、カラスの姿で転生しちゃったじゃないですか! だから、レイ様や他の皆様のように、この時代での普通の生活って言うのを送ったことがないんです。だから、いろいろと、珍しくって!」
 フォボスとディモスのふたりは、はしゃぎまくっていた。自分と同じくらいの年齢に見えるこの双子の姉妹は、見るもの全てが珍しいらしく、しきりにほたるに質問を投げかけてくる。
 確かに、レイであったなら、こんな矢継ぎ早な質問には面倒くさがっていちいち答えたりはしないだろう。双子の姉妹も、そんなレイの性格を充分に理解している上で、彼女の前では以前の通り、カラスの姿でいるのだろうとも想像できる。さすがに、人の姿のままで生活を送るには無理がある。
 ふたりはレイに対し、かなりの遠慮をしていると感じさせられた。
 ルナとアルテミスが、人の姿に戻れるようになってからも、ネコであり続けているにはそういった理由があるからなのだろう。人として新しい生活を送るよりも、ネコの姿でいる方が何かと都合がいいことを、彼らは分かっていたのだ。

 礼拝堂に到着した。中は静まり返っていて、人のいる気配は全くなかった。
「しばらく、ここにいましょう。ここなら、今の時間は学生が殆どこないから………」
 教職員やシスターが来ることも考えられたが、校舎の中よりは人目に付くことはない。
「目立ちすぎるのよねぇ………。ふたりのその格好………」
 レオタードを基本としているふたりのコスチュームは、かなり肌の露出度が高い。男なら大喜びするコスチュームなのだが、生憎とほたるは女の子である。そんなことは関係ない。目立ってもらっては困るのだ。学院は部外者立ち入り禁止である。以前、美奈子がとある理由で学院に潜入したことがあったらしいが、その時も大騒ぎになったらしい。警察沙汰寸前のところであったらしいことを、うさぎから聞いた覚えがある。
「レイさんが帰ってくるまで、何もなければいいけど………」
 そう切に願っているほたるの横で、
「退屈ねぇ………。なんか、事件でも起こんないかしら………」
 欠伸をしながら、双子の姉妹は言い合っている。
(人の気も知らないで………)
 ほたるは深い溜息を付いた。

 時間にして一‐二分経っただろうか。出し抜けに耳を(つんざ)く轟音が響いた。
「なに!?」
 ほたるは礼拝堂を出口に向かって走り出す。すぐあとを、フォボスとディモスが続いた。
 礼拝堂を出ると、ほたるは轟音の原因を探るべく周囲に視線を走らせた。
「ほたるさん!」
 ディモスが一点を指し示した。
 十番の商店街の方角に、巨大な火柱が天に向かって真っ直ぐに上がっているのが確認できた。
「レイ様が戦っています!」
 レイの“気”を探ったのだろう、フォボスが両方のこめかみにそれぞれ人差し指を軽く当てて、瞼を閉じている。
「強敵がいるようです」
 精神感応で戦況を知ったフォボスは、上擦った声でほたるに報告をした。その声から察して、言葉以上の強敵とレイが交戦中なのは、あの火柱を見たほたるには容易に想像ができた。“毛むくじゃら”程度の相手なら、あれ程巨大な火柱を発生させるような技は使わない。十三人衆クラスの相手と戦っているのなら、考えられることではある。
「あたしも行かないと!」
「駄目です!」
 変身をしようとするほたるを、フォボスとディモスは声を揃えて制した。
「ほたるさんとあたしたちは、学院に待機していなければなりません。学院内でも不審な点があることは、ほたるさんにも分かっているはずです。あたしたちはここを離れるわけにはいきません!」
 わざわざ言われなくても分かっているつもりだったが、仲間の危機とあっては、じっとしているわけにはいかなかった。しかし、
「そ、そうね。あたしたちには、あたしたちしかできないことを、しなければいけないわね………」
 ほたるは落ち着きを取り戻したように、小さく深呼吸した。ピクニック気分のようなフォボスとディモスだったが、そこはやはりプリンセス・マーズのロイヤル・ガードである。自分たちの主人からの指示は忘れてはいない。
「校舎内を調べましょう。いくらなんでも、学生の数が少なすぎるわ。シスターたちの姿が見えないのも気になる」
 騒ぎになるのを恐れて、いつまでも礼拝堂の中に留まっているわけにはいかない。
 だが、ほたるのその決意に水を差すかのように、不意にひとりの神父が視界に飛び込んできた。
 聖書を小脇に抱え、ゆっくりとした足取りでこちらに向かって歩み寄ってくる。と、言うより、神父は礼拝堂に向かって歩いてきていると言った方が正しいだろう。
「失礼。当学院の学生ではない方がいらっしゃるようですね。あなたのお友達ですか?」
 青い目をした神父は、柔らかい口調でほたるに質問してきた。始めて見る顔である。だいいち、T・A学院内に神父がいるという話は聞いていない。
「申し訳ありません。わたくしの従妹なのです。夏休みの間、わたくしの家に遊びに来ておりまして、どうしても言うものですから連れてきてしまいました」
 ほたるは警戒しながらも、丁寧に神父に答えた。努めて平静を装った。
「当学院の規律はご存じのはずですね」
「はい」
「では、あなたの取った行動が、規律に反していると言うこともご存じですね」
「はい。申し訳ありません………」
 ほたるは深々と頭を垂れた。釣られるようにして、双子の姉妹も頭を下げる。
「しかし、随分と珍しい服装でいらっしゃいますね。今、流行のファッションなのですか?」
「いえ、これは特別です」
 答えに困っているほたるの背後から、フォボスが答えた。
「ふむ」
 神父はほたるの後ろの姉妹に、改めて視線を移した。そして、柔らかな笑みを浮かべると、「その服装で学院内を歩かれては、目立ってしまいます。退屈でしょうが、礼拝堂で過ごされるのがよろしいでしょう」
「あ、ありがとうございます」
 許して貰えたのだと考えた双子の姉妹は、小躍りして喜んでみせた。そのふたりを見て、神父は再びにこやかに微笑んだ。
 だが、ほたるは素直に喜べなかった。神父の言葉が、あまりにも不自然だったのである。今し方あれほどの火柱が上がったというのに、そのことには一切触れていない。先程の神父の位置からなら、見えているはずである。学院の規律のことを持ち出したというのに、あっさりと黙認するような言葉を言ったのにも合点がいかない。
「どうかなされましたか?」
 厳しい表情をしているほたるに気付いた神父は、不思議そうな顔をしてみせた。
「ご心配には及びません。きょうのことは、わたくしの胸の中だけに留めておきます」
 微笑んでみせた神父は、ほたるの背中に軽く触れて、礼拝堂に入るように促した。
 既にフォボスとディモスのふたりは、相変わらず人気のない礼拝堂に入っていて、純白のマリア像の前で、ほたると神父を待っていた。
神父様(ファーザー)は、学院の方ではありませんね」
 礼拝堂に入るなり、ほたるはいきなり核心に触れてみた。神父がどういった反応を示すのか、見てみたかったからである。
 神父はいきなりの質問に戸惑った様子もなく、
「はい」
 と、短く答えた。
「ならばあなたも部外者ではありませんか? 学院の規律をご存じのようですから、わたくしに対して規律の話を持ち出されるのは、矛盾しているように思いますが………」
「はははははっ! 確かにそうです。ですから、わたくしはあなた方を見なかったことにしましょうと言ったのですよ。先に言われてしまうとは、参りましたね………」
 神父は声を出して笑ってみせた。
 神父の笑い声がやけに礼拝堂に響いたので、左の隅に置かれているオルガンの前にいた双子の姉妹が、驚いたように顔をあげた。
「交換条件と言うわけですか。神父様(ファーザー)らしからぬお言葉ですね………」
 双子の姉妹には目もくれず、ほたるは言葉を続けた。
「確かにそうですね」
 神父は白い歯を見せた。しかし、ほたるは何故か和む気分にはなれなかった。肌がピリピリと痛む。ほたるの鋭い神経が、何かを感じ取っている証拠だった。
「あなた、本当に神父様(ファーザー)ですか?」
 探りを入れるような視線で、ほたるは神父を見つめた。深い神秘的な瞳は、見る者全ての心を奪う力があった。ほたるの瞳には、魅了(チャーム)の効果があった。
 神父は一瞬だけ心を奪われたかのように、身じろぎもせずほための瞳を見つめていたが、直ぐに我を取り戻した。
「あなたは恐ろしい方ですね………。その瞳には、人の心を虜にする力があるようです。普通の人間であったなら、今の一瞬であなたの下僕と化していたでしょう。ですが、わたくしには効果はありませんよ………」
 神父はゆっくりと頭を振る。
「あなたは恐ろしい。普通の人間にはない能力(ちから)をお持ちのようだ。ですが、それ故に類い希なる素晴らしい聖体(オスティー)となり得ましょう」
 神父が不気味な妖気を放ったのと、ほたるが身構えたのは殆ど同時だった。
「ほたるさん!?」
 物珍しそうに礼拝堂を観察していたフォボスとディモスも、神父から発せられる凄まじい妖気にようやく気付いた。
 ほたるは素早く神父の元から離れようと、後方に飛び退いたが、神父の動きはそのほたるの上をいっていた。
 しかし、ほたるとてセーラー戦士である。神父の動きをしっかりと視界に納めながら、素早く後方に後ずさった。
「そこですか!」
 ほたるの動きを確認すると、神父は指をパチンと鳴らす。
「!」
 ほたるの目と鼻の先に、竜巻が発生する。
 ほたるは弾かれ、体勢を崩した。正に紙一重のところで竜巻を躱したのだが、その威力までは殺せなかったのだ。
「遅いですね!」
 神父は目にも留まらぬ早さで、ほたるの懐深くに飛び込むと、彼女の下腹部に当て身を入れた。
「うっ!」
 短く呻いて、ほたるは意識を失う。そのぐったりとした小さな体を、神父は壊れ物でも扱うように大事に抱き留めた。
「もろいものですね………」
 神父は呟くと、次いで双子の姉妹に視線を走らせた。
 あどけなくはしゃいでいた双子の姉妹も、さすがに状況を把握した。緊張に身を堅くして、油断ない構えをする。神父を敵と判断したのだ。
「まずは、ほたるさんの救出を………!」
「分かってるわ、ディモス」
 ふたりは小声で最優先行動を確認しあい、気を失っているほたるを抱きかかえている神父に鋭い視線を向けた。
「そんなに怖い目をして、わたくしを見ないでください………」
 神父は隙だらけである。双子の姉妹を普通の人間だと思っているのか、それともわざと隙を作っているのか、今の状況からは判断できない。隙だらけなだけに、逆に迂闊な行動を取れなくなってしまった。
 ふたりは間合いを計って、神父の出方を伺っている。
「!」
 背後に殺気を感じた。フォボスが目線だけで後方を確認する。
 いつ現れたのか、五人のシスターが異様に瞳だけギラギラと輝かせて、マリア像からオルガンにかけて、等間隔を置いて並んでいた。
 常人の目をしていない。明らかに妖気を感じる。
「………!」
「行くよ、ディモス!」
 何の前触れもなく、シスターたちが一斉に襲いかかってきた。
 フォボスは号令を発し、ふわりと宙に身を躍らせる。僅かに遅れて、ディモスがそれに続く。
「ぬ!?」
 常人とは思えぬふたりの跳躍力に、神父は顔を歪めた。
 まさか跳躍して逃げられるとは考えていなかったのか、それともただ無謀に突っ込んでしまった結果なのか、双子の姉妹に掴みかかろうとした五人のシスターの伸ばされた腕は宙を掴み、勢い余って転倒した。
 フォボスとディモスは、天井にほど近い位置のオペラグラスから差し込む光を体に受けながら身を翻し、目にも留まらぬ早さで、ふたり同時に神父の懐に突入する。
「しまった!」
 神父は慌てたが一瞬遅く、ふたりから同時に放たれた膝蹴りを、もろに両の脇腹に食らう結果となった。
 たまらず膝を付き、抱きかかえていたほたるも手放してしまう。床に倒れそうになるほたるを、ディモスが抱き起こした。
「ほたるさん! しっかりして!!」
 ディモスは声を掛けるが、ほたるからは反応がない。仕方なくほたるの左腕を自分の肩にまわすと、ぐったりした彼女を引きずるように出口に向かって移動し始めた。
 そのディモスを護衛するように、フォボスは神父とシスターたちを牽制する。
「おふたりとも、なかなかいい動きをしますね。あまりのことに、油断してしまいましたよ………」
 片膝を付いていた神父は、不気味な笑みを浮かべながら、ゆっくりとした動作で立ち上がった。その瞳からは、先程までの優しげな印象は微塵も感じられない。獲物を狙う野獣のような目で、フォボスとディモスのふたりを凝視していた。
「武術の心得でもあるのですか? 普通の人間にはできない芸当ですよ………」
「あなただって、普通の人間ではないでしょう?」
 フォボスの鋭い視線が、神父の瞳を捉えている。
「普通の人間ではないとは、どういう意味ですかな?」
「しらばっくれる気!? 意図的に竜巻を発生させる人間なんて、聞いたことがないわ。正体を現しなさい!!」
 フォボスは凄んで見せた。
 神父は僅かに口元を歪めると、
「おふたりとも、TVドラマの見すぎのようですね。中途半端に強がってみせると、怖い思いをしますよ………」
 恐ろしいほど低い声でそう言うと、野獣のような瞳でフォボスを睨み付けた。
 その神父の言葉からは、彼がまだ双子の姉妹のことを普通の人間だと思っている節が感じられた。
 フォボスとディモスもまだ変身はせずに、様子を伺っている。普通の人間だと思われて油断して貰ってくれていた方が、ほたるが気を失っているこの状況下では都合がいい。変身するのは最後の手段として取っておくのが妥当だと、ふたりはアイコンタクトで意志を伝え合う。
 幸い、出口に向かっては何の障害もない。神父と五人のシスターの追撃を振り払いさえすれば、変身することなく逃げられるように思われた。
「街の方では、何やら賑やかな催しをしているようです。煩わしいセーラー戦士のお嬢さんたちも、そちらで手一杯の様子。この学院の異変には気付きますまい………」
 神父は独り言のように呟いた。
(やはり、ブラッディ・クルセイダース!)
 レイの勘は当たっていた。学院の異変をいち早く感じ取り、ほたるを残すばかりか、自分たちまで向かわせるとは、さすがにいい判断をしていると、双子の姉妹は感心した。
「さあ、ダンシング・シスターズのみなさん! お嬢さんたちを捕らえなさい!」
 正に異様な光景だった。
 神父の号令を合図に、五人のシスターたちは一斉に動き出した。奇怪な踊りを踊りながら、滑るように移動してくる。
「な、なんか不気味………」
 音楽もなく、しかも無表情で踊り来るシスターたちは、フォボスとディモスの目から見ても、奇怪としか移らなかった。
「ディモス! ここはあたしが時間を稼ぐから、ほたるさんを連れて逃げて!」
「無茶よ! フォボス!!」
「いいから行って!!」
 ほたるを支えたままでは、ディモスは戦うことができない。このままの状態で戦っても、全員が安全に逃げられる見込みは薄い。ならば、気を失っているほたるを最優先で逃がさなくてはならない。
 フォボスは悲壮な決意をしなければならなかった。
「いいやぁぁ!!」
 気合いを込めて、フォボスはシスターの一団に突撃していった。
「フォボス・サテライト・パワー! メイク・アーップ!!」
 変身し、その際に発生するメタモルフォーゼ・パワーで、五人のシスターを一気に弾き飛ばす。状況を打開するには、変身する以外に方法はなかった。
「なんと、セーラー戦士だったんですか………。ならば、その強さも納得ができます」
 セーラー戦士にチェンジしたフォボスを、神父は目を細めて見つめた。
「しかも、この学院に残っていたとは以外ですね。学院の変化に気が付いていたというわけですか………」
 セーラーフォボスは無言で身構え、ディモスにほたるを連れて逃げるように目で合図を送った。
 ディモスは頷くと、礼拝堂を出口に向かって移動した。ほたるを抱えているので、さすがに走って移動するというわけにはいかない。
「セーラー戦士と分かった以上、黙って逃がすわけにはいきませんね………」
 神父の体をオーラが包み込んだ。瞳は怪しく輝きだし、穏やかだった顔も、醜悪の表情に変化する。
「わたしは、ブラッディ・クルセイダース十三人衆、スプリガン様配下のファーザー・ミッシェル。セーラー戦士は生け捕りにせよとの命を受けています。覚悟なさい」
「冗談じゃないわ! そう簡単に捕まったら、プリンセス・マーズに合わせる顔がない。ふたりだけでも絶対に逃がす!」
 フォボスが先に仕掛けた。逃げるディモスを援護するためには、攻撃をし続けるのが一番だと考えたのだ。
「ファイヤー・ソウル!」
 火の王国の戦士であるフォボスとディモスの得意技は、炎を使った攻撃である。初歩的な攻撃技であるファイヤー・ソウルを放つことができる。
「この人数を相手に、あなたひとりで戦えると思っているのですか?」
 フォイヤー・ソウルを難なく片手で弾き飛ばしたミッシェルは、ダンシング・シスターズに攻撃を命じた。
 今度は油断なく間合いを詰めてきた五人のシスターたちは、不規則な動きでフォボスを攪乱しつつ、代わる代わる攻撃を加えてきた。
 風のような動きの五人のシスターたちに、セーラーフォボスは反撃することもできない。一方的に攻撃を食らっている。
「フォボス!」
 ようやく出口に差し掛かったディモスは、双子の姉の悲惨な状況を見て、足を止めた。見捨てて逃げることへの戸惑いが、ありありとその表情から伺える。
「ごめん、フォボス!!」
 しかし、ディモスは気を失っているほたるを連れている。第一の使命として、彼女を安全に逃がさなければならない。ほたるを危険にさらしてまで救出に向かっても、フォボスは絶対に喜ばない。
 後ろ髪を引かれる思いを振り払って、ディモスは脱出を計る。
「逃がさないと言ったでしょう?」
 セーラーフォボスをシスターたちに攻撃させていたミッシェルが、ほたるを抱えて動きの鈍っているディモスに追いつくのには、それほど時間は必要なかった。
「くっ!」
 出入り口を塞ぐように、無防備に立ち尽くしているミッシェルに、ディモスは構えを取った。無防備な状態が、非常に腹立たしい。
「ディモス・サテライト・パワー! メイク・アップ!!」
 ディモスもセーラー戦士にチェンジする。変身しなくては、この場を切り抜けられそうにない。ほたるさえ、目を覚ましてくれれば、三人が脱出するのは容易なはずなのだが、未だ目覚める気配がなかった。
「わたしの当て身を受けて、そう簡単には目覚められませんよ………」
 セーラーディモスの考えを見透かしたように、ミッシェルは言った。口元に薄ら笑いを浮かべている。余裕綽々といった表情だ。
「あなた方は下級戦士のようですね。残念ですが、あの程度の攻撃能力では、わたしと互角には勝負はできませんよ」
 先程のセーラーフォボスのファイヤー・ソウルを片手で弾き飛ばしたミッシェルは、彼女たちの戦闘能力をその一撃だけで分析したのだろう。かなりの余裕が感じられた。確かに、フォボスとディモスはセーラー戦士にランク・アップした。しかし、それは通常の下級戦士から、ワン・ランク上のセーラー戦士にチェンジできたにすぎない。彼女たちはセーラー戦士としては、まだ低いレベルなのだ。パワー的には、プラネット・パワーを源としていたかつての太陽系セーラー戦士より、やや劣るといった程度なのだ。
「まともに勝負するつもりは毛頭ないわ!!」
 五人のシスターを振り払ったセーラーフォボスが、セーラーディモスの背後から飛び出してきた。シスターたちも、それを追うように飛び出してくる。
「なに!?」
 さしものミッシェルも、戸惑いの表情を見せた。一度に六人が飛び掛かってくる格好となったのである。そのうち五人が味方だとしても、目の前に迫られては慌てるのは当然であろう。
「ファイヤー・ソウル!」
 お留守になっているミッシェルの足下に、セーラーディモスは攻撃を放った。同時にセーラーフォボスも頭上から火炎を放つ。
「しまった!」
 下級戦士と判断して油断していたミッシェルは、ふたりの同時の攻撃をガードするのが精一杯であった。
 頭上からファイヤー・ソウルを放ったセーラーフォボスは、そのままミッシェルにボディ・アタックを掛ける。
 ふたりは(もつ)れながら礼拝堂の外へと転がってゆく。セーラーフォボスを追ってジャンプしていた五人のシスターたちも、勢い余って外へと飛び出した。
(チャンスよ、ディモス!)
 セーラーフォボスのテレパシーが伝わってきた。ほたるを支え直したセーラーディモスは、渾身の力で上空に舞い上がった。
「フォボス! 急いで!!」
 ミッシェルと縺れ合ったまま地面を転がっていたセーラーフォボスは、ミッシェルより先に立ち上がり、上空で待機しているセーラーディモスを追うべく身を踊らせる。
「逃がさないと言っている!!」
 地面に仰向けに倒れたままの状態で、ミッシェルは吠えた。飛び上がったセーラーフォボスを真下から見上げ、右腕を伸ばす。
「フォボス、危ない!!」
 上から見下ろしていたセーラーディモスには、ミッシェルの行動がまともに見える。セーラーフォボスに危機を知らせたが、一瞬遅かった。
 セーラーフォボスに向けられたミッシェルの腕はぐんぐんと伸びていき、植物の蔦のように変化すると、幾つも枝分かれしていく。
 セーラーフォボスの飛び上がる速度を上回る早さで伸びてきた無数の蔦は、無防備の彼女の右足に絡み付いた。
「きゃあ!」
 悲鳴の尾を引き、セーラーフォボスは蔦によって引き戻される。強引に引き戻される衝撃で、右足がみしりと音を立てる。
「あなたも逃がしません!」
 ミッシェルは余っている左腕を、セーラーディモスに向けて伸ばす。気を失っているほたるを抱えたセーラーディモスは、持ち前のスピードを発揮できない。急速に迫っている腕を躱せそうになかった。
「させない!!」
 しかし、セーラーフォボスが身を挺した。急速度でミッシェルの元に引き戻されていたセーラーフォボスだったが、渾身の力を込めて態勢を動かし、新たに伸びてきたもう一方の蔦を、自らの全身で受け止めた。
「フォボス!!」
「逃げて、ディモス!!」
 全身を蔦で絡め取られてしまったセーラーフォボスは、悲痛の叫びをあげる。
「あとで必ず助けるから!!」
 流れる涙を拭う間もなく、セーラーディモスは急速度で学園を離れていく。セーラーフォボスの悲鳴が遠く聞こえたが、彼女は振り返ることはできなかった。後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、セーラーディモスはT・A女学院を後にした。