カロンの秘密
「あれだけ派手に戦っていれば、いくら離れていたって気づくわよ」
東京湾天文台にいるはずのせつなが、十番街に戻ってきていたことに驚いていたうさぎに、小さく肩を竦めながら、せつなは言った。
十番高校の異変。そして、十番商店街での攻防戦は、臨時ニュースとして扱われた。天文台で休息中であったせつなは、そのニュースを見て驚いて戻ってきたのだ。そして、状況を把握するために、真っ先に司令室に来たというわけだ。
「外のことは、日暮隊長が上手くやってくれています。任せておけばいいでしょう」
十番街の様子をモニターで確認していたルナの背中にレイは言うと、手近なシートに腰を下ろした。精神的な疲れがあるのか、腰を下ろすとすぐに項垂れてしまった。
「強い人だよ。日暮隊長は………」
十番高校を写していたモニターに、ちらりと日暮隊長の姿が現れると、まことは小さく言った。
陽子のことで気を落としていた日暮隊長だったが、やはりそこは自衛隊の一部隊を任されているだけはある。いつまでも個人的な感傷に浸ってはいなかった。今現在やらなければならないことを心得ているのだ。
「隊長がいてくれて、助かるわね」
ルナは言った。結果的に正体を明かしておいて正解だったわけである。彼が事後処理を一手に引き受けてくれるお陰で、彼女たちは司令室で会議を行うことができるのだ。
「早く本題に入ってくれ。こいつのことで、何か知っているのだろう?」
変身を解いたオペラ座仮面―――兵藤瞬は、簡易ベッドに寝かされている夏恋をちらりと見たあと、苛立たしげにせつなに目を向けた。
兵藤が何度か蘇生を試みたのだが、一向に夏恋は呼吸を再会する気配を見せない。脈も止まったままだ。もちろん、心臓も動いてはいない。
死んでいる状態に等しい。
しかしながら、頬には僅かな赤みがあり、肌もまだ暖かい。筋肉の硬直も見られない。なによりも、瞳孔が開いていないのだ。
「彼女は生きているよ」
医学の心得がある衛が出した結論だった。
「仮死状態とでも言っておこうか………。だが、通常の仮死状態とも少し違うようだ」
衛は皆に説明するように言った。衛の言葉なら、例えそれが気休めでしかなくとも、皆は納得する。だから、不確かな診断ではあるのだが、衛は口にしたのだ。
「彼女をもとに戻す方法は?」
まことが訊いてきた。
衛は首を横に振る。
「ただ、原因さえ分かれば、彼女を元に戻すことはできるだろう」
「彼女は………」
せつなが話を切り出そうとした時、
「生きてはいるが呼吸をしていない。心臓も止まっている。この状態をどうしろと言うんだ、お前は! これでも生きていると言えるのか!? 原因さえ分かれば元に戻るだと!? その原因とやらは何なんだ!?」
兵藤が衛に食ってかかった。突然、兵藤に詰め寄られた衛だったが、それでも冷静だった。彼の気持ちが分かるだけに、その怒りを甘んじて受けようと思った。自分が同じ立場だったら、きっと同じように狼狽えたかもしれない。だから、言い知れぬ怒りの矛先を自分にぶつけてくる兵藤を、衛は咎めはしなかった。
「今、せつなさんが説明するから、あんたは黙っててくれ!!」
まことが一喝した。恋人が死んだも同じ状態で動揺するのも分かるが、今のままではせつなが話を切り出せない。
「す、すまん………。お前に当たってしまった。悪かった………」
力無く衛に詫びると、兵藤は崩れるようにシートに腰を下ろした。大きく息を吐いた。
「彼女はセーラーカロンとしての能力( を持ってはいるけど、一番肝心なものが欠けているのよ。だからパワーが不安定で、あの程度のダメージで致命傷を負ってしまうの。普通のセーラー戦士なら、あの状態であっても衝撃波をシールドすることができるわ。だけど、彼女にはできなかった」)
せつなはいきなり本題に入った。回りくどい説明は、いっさい省いてしまったがために、一部の者(うさぎともなか)には、せつなが何のことを言っているのかが分からなかった。ふたりの横で、ルナとアポロンが小声で補足説明をしている。
「………それで、美人のお姉ちゃん。そのことと、夏恋がこんなことになっているのと、いったいどんな関係があるって言うんだ?」
兵藤はチンピラのような口の効き方をする。せつなは一瞬、不快そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直して再び話出した。
「彼女が、セーラーカロンとしての記憶を持たないままでいることとも関係があるわ。彼女は覚醒する順序が逆なのよ。記憶が封じられたまま、戦士として覚醒することはありえない。それでは能力( を制御しきれないのよ」)
「夏恋は能力( を制御していたように思うがな………」)
兵藤は揚げ足を取るような口調で言った。
再び不快な表情をしてみせたせつなだったが、すぐに気を取り直して説明してやる。
「多少は能力( を使うことはできたかもしれないけど、全ての能力) ( を扱えていたわけではないと思うわ。彼女がその能力) ( を暴走させることがなかったのは、それほどの相手と戦うことがなかったからよ」)
「全力で戦わなければならない相手と当たっていたら、夏恋はもっと早くこんな状態になったというのか………? 確かに、俺たちは雑魚としか戦ったことはないが………」
兵藤はせつなの言葉を肯定するように言うと、胸のポケットから赤い箱を取り出す。司令室は禁煙だというまことの言葉で、仕方なく再びポケットに納めた。
「もったいぶらずに言えよ。こいつには、何が欠けているんだ? その欠けている部分があるから、目覚めないんだろう?」
煙草を吸えないためなのか、それとも一向に話が進展しないからなのか、兵藤は苛立たしげに言った。
「ええ。彼女には、セーラー戦士としての最も重要なものが欠けているわ」
せつなは重々しく頷いた。
ここまで聞けば、勘の鋭いレイとなびきには、せつなが言わんとしていることが想像できる。
「セーラー・クリスタルか………」
なびきが呟いた。かつて、セーラーギャラクシアとしてセーラー・クリスタルを集めていた彼女は、セーラー戦士の内に秘められているスター・シードに敏感だった。フォボスとディモスのセーラー戦士へのランク・アップも、彼女の助言があったればこそである。
せつなは頷いた。
「そう。彼女からは、セーラー・クリスタルの輝きを感じないのよ」
「なんだい? そのセーラーなんとかって?」
「あたしたち、セーラー戦士としての心臓部よ。これがなくては、セーラー戦士として生きていくことができないのよ。膨大なパワーに負けて、肉体を維持することができないの」
「?」
額にクエスチョンマークを浮かべ、兵藤は首を傾げた。せつなの言っていることが、理解できていないらしい。
「あなたには、分からない話かもね………」
「何か、馬鹿にされているような気がするぞ」
「ごめんなさい。そう言うつもりじゃないのよ」
せつなは、どうしようかという風に、ルナに視線を向けた。これ以上説明を続けても、何の解決にもならないのだ。
「説明はもういいわね」
ルナが助け船を出した。
「今は、彼女を助けるのが先決よ」
簡易ベッドに横たわったまま、微動だにしない夏恋をちらりと見やる。
「助けるって言ったって、どうやって? その欠如しているセーラーなんとかってのを、補充してやるのか?」
兵藤は身を乗り出す。
「違う。セーラー・クリスタルを補充してやることはできない。例え、マスター・クリスタルを持っている者でもね。セーラー・クリスタルはそのセーラー戦士固有のものだ。第三者が与えることはできない」
なびきは言った。
「じゃあ………」
「セーラー・クリスタルが欠如している原因を探るのだろう?」
兵藤の言葉を制して、なびきはせつなに視線を送る。せつなはこくりと頷いた。
「彼女は本来、この世と霊界の境目で、『魂の門』の番人をしていなければならないはずなのよ。あたしが以前、『時空の扉』の前を動くことを許されなかったのと同様に、彼女も『魂の門』の前を動けないはずなのよ。それが、こうしてこちら側に現れていたのだとすると、何か緊急事態があったとしか考えられないわ」
「緊急事態………」
うさぎは頬を強張らせる。不吉な予感が脳裏を過ぎる。
「だとしても、それをどうやって確かめるんだ?」
それでも兵藤の頭の中は、恋人を助けることしか考えていない。
「もちろん、『魂の門』に行って確かめるのよ」
「できるのか!?」
「あたしには、そういう能力( があるのよ」)
せつなは言いながら、夏恋が寝かされている簡易ベッドに歩み寄った。ただ眠っているだけのような夏恋の顔を覗き込むと、一瞬だけ寂しげな表情をした。
意を決したように小さく息を吐くと、せつなは皆の方に振り返った。
「あたしが『魂の門』に行って、確かめてくるわ」
せつなの瞳には、確固たる意志が感じられた。せつな、いや、セーラープルートには、確かにその能力がある。時間と空間を操ることのできる彼女なら、「魂の門」へ行くことも可能だろう。
「ひとりで行くのは、危険じゃない? 向こうで何が起こっているのか分からないし………。もし、緊急事態によってカロンがこちらの世界に来ているのだとしたら、尚更だわ」
「魂の門」で、何事かが起きている可能性は非常に高い。ひとりで行動するのは危険だ。レイは既に、自分が同行する覚悟でいた。
「駄目よ、レイ。あなたを連れていくわけにはいかないわ。あなたには、こちらの世界でやって欲しいことがあるのよ。………あなたにしか、できないことなの」
しかし、せつなは、小さく首を横に振った。
「あたしにしか、できないこと?」
「ええ。レイには、こちらの世界で、あたしとコンタクトを取ってほしいのよ。夏恋に、異変が起こったら、あたしに対して念を送って欲しいのよ。あなたの霊力なら、あたしと同調できるはずだわ。それに、もし向こうで何かが起こっているとしたら、座標がズレてしまっている可能性があるわ。レイには道標になってほしいのよ。あたしが、こっちの世界に帰ってくるためのね」
「分かったわ。じゃあ、だれを連れていきますか?」
せつなにそこまで言われては、レイとしても強引に同行することはできない。別の使命があるというのなら、その使命を全うするまでだ。
「ぞろぞろ行っても意味がないわ。あたしの他はひとりでいいわ」
せつなは一同を見渡した。戦力として同行を願うなら、この場にいるメンバーで選択するなら、まことしかいないように思われた。なびきも申し分のない戦闘能力を有しているが、せつなとしても、まだ以前のわだかまりが抜け切れていない。なびきとふたりだけで行動するのは気が引ける。
なびきもそのことは分かっているらしく、あえて自分が同行しようなどとは申し出ない。
操が行きたそうな表情をしたが、衛に止められてしまった。操は不満そうに頬を膨らませている。
「あたしが行くわ!」
名乗りを上げたのは、以外にもうさぎだった。まことを制し、一歩前に歩み出る。
「戦力としてなら、ここはまこちゃんが行くべきだとは思うけど、お願い、せつなさん。あたしを連れていって!」
うさぎは真っ直ぐにせつなの瞳を見つめた。
「うさ!?」
これには衛が慌てた。戦闘ともなれば、セーラームーンでは役不足なのだ。確かに総合能力で見れば、セーラー戦士の中では最高の能力を持つセーラームーンなのだが、如何せん( 彼女は戦闘向きではない。戦うための能力は低めなのだ。)
「大丈夫よ、まもちゃん。心配しないで」
うさぎは衛に笑顔を向ける。
せつなは一瞬だけ瞼を閉じ、
「分かったわ。何か感じるものがあるのね………」
同じようにうさぎを見つめ返した。
自分が行かなければならない。うさぎはそう感じたのだ。
「よし、今は、そのうさの勘を信じよう」
衛はうさぎの左肩に手を置いた。フッと体が軽くなるのを感じた。
うさぎは驚いて衛の顔を見上げた。衛は無言で肯く。
うさぎは愛らしく微笑んで見せた。それが衛に対するお礼だった。衛はサイコメトリーの能力を使って、十番高校での戦闘で疲労しているうさぎの体力を回復させてくれたのだ。
「ちょっと、待て! 俺も留守番か?」
当然、自分も行けるものだと考えていた兵藤は、非常に不服そうだった。
「あなたが来ても、意味がないのよ」
ぴしゃりと言い放つせつなに、抗議の視線を送る兵藤だったが、そんなことで考えを変えるようなせつなではない。
兵藤はふてくされたように、手近のシートに腰を下ろした。
「ふたりだけで、大丈夫なのか?」
やはりアポロンも心配なのだろう。確認するように、せつなに尋ねる。
「心配はいらないだろう。セーラームーンは銀河系最強の戦士だ。シルバー・クリスタルが、彼女を守ってくれるわ」
せつなの代わりに、なびきが答えた。実際に戦ったことのあるなびきは、セーラームーンの強さを痛いほど思い知らされている。誰よりも強く、誰よりも逞しく( 、そして誰よりも慈愛に満ちた、正しく最強の戦士なのだ。)
「本当なら、あんたにも同じような力があるはずだ」
うさぎを眩しそうに見つめているもなかに、なびきは視線を移した。
「突然、現れたあいつが本物か偽物かなんて、悩む必要はない。お前には、こうして支えてくれる多くの仲間がいる。それで充分だとは思わないか?」
なびきの意外な言葉に、少々戸惑いの表情を浮かべながらも、
「はい。そうですよね」
もなかは笑顔で答える。その笑顔からは、微塵の不安も感じられなかった。
「仲間を信じてさえいれば、誰よりも強くなれる。そうだろう? セーラームーン」
「ええ、もちろん」
うさぎとて、支えてくれる仲間がいなければ、その本来の能力を発揮することはできない。仲間を信じ、その仲間のために戦うことで、真の能力が発揮されるのだ。今までも、そうやって強大な敵に勝ってきたのだ。
「あんたの口からそんな言葉が出るなんて、意外だよ」
精一杯の皮肉を込めたまことの言葉に、なびきは僅かに苦笑して見せた。自分でも、意外だったのだろう。
「さあ、そろそろ行くわよ、うさぎ。変身して」
既にプルートに変身を完了していたせつなが、うさぎを促した。次いでプルートは、レイに向き直る。
「レイ、しっかりトレースを頼むわ。でないと、あたしたちはこちらの世界に帰って来れなくなる」
「ええ。任せてください」
レイは言いながら、自らの能力を高めるために、マーズへと変身する。セーラームーンへと変身を遂げたうさぎが、マーズの横に並んだ。
「でも、プルート( 。どうやって、その『魂の門』へ行くの?」)
セーラームーンにしてみれば、素朴な疑問である。プルートの能力を持ってすれば、行くことは簡単なのだろうが、問題はその方法にある。
なんとなく、嫌な予感がしたのだ。
「このままでは行くことはできないわ」
プルートは悪戯をした直後の子供のような表情をして、セーラームーンを見た。
「あたしたちは、一時的に仮死状態になるわ。精神体だけ抜け出して、『魂の門』に行くのよ」
「あんたには、幽体離脱って言った方が分かるかもね」
プルートの言葉を、マーズが補足した。セーラームーンの顔色が、見る見るうちに青ざめてくる。
「や、やめようかな、やっぱ………」
そう弱気になるのも、無理はないように思えた。
「マーズ( でなきゃ、できないなんて言うから、もしかしたらと思ったんだけど………。やっぱしね………」)
セーラームーンは肩を落とした。幽体を離脱させると言われると、少々尻込みしたくもなる。
「何言ってんのよ、今更………。さあ、プルート( が待ってるわよ!」)
こういうときのセーラームーンの背中を押す役目は、ルナと決まっていた。セーラームーンは気乗りしないような表情で、小さく頷いた。
「じゃあ、行くわよ!」
ガーネット・ロッドを翳し、プルートはパワーをガーネット・オーブに集中させる。オーブは眩い光を放ち、そのパワーを発動させた。
光はセーラームーンとプルートを包み込み、ふたりを別の次元転移させるエネルギーとなった。
光となって空間を転移するその寸前、セーラームーンは衛を見つめていた。衛は無言のまま、励ますように頷いてくれた。
光とともに、ふたりは一瞬のうちに空間を転移していった。
「しっかりね、うさぎちゃん」
セーラームーンが立っていた場所を見つめて、ルナが呟いた。
だが、このとき、ほたるがこの場にいないことに気づいていた者は、誰ひとりとしていなかった。あまりの突然の出来事であったが為に、細かいことに気づいていなかったのである。
ほたるにT・A女学院に残るように指示したレイでさえ、そのことをすっかり忘れていたのだ。
彼女に魔の手が忍び寄っていることなど、もちろん誰も知る由もなかったのである。