十番高校騒然


 都立十番高校はパニック状態と化していた。
 “毛むくじゃら”は我が物顔で徘徊し、次々と女生徒たちを拉致していた。それぞれが気を失った女生徒たちを小脇に抱え、“毛むくじゃら”たちは校庭のほぼ中央に穿たれている異次元空間を通じ、ブラッディ・クルセイダースの本拠地に向かっていた。
 勇敢な男子生徒が数名、“毛むくじゃら”に挑み掛かったが、誰もが例外なく悲惨な結果に終わってしまった。“毛むくじゃら”の鋭い爪に胸や肩を切り裂かれ、もんどり打って倒れる。致命傷に至らないだけ、彼らは幸運だと言えた。
 教室に立て籠もる生徒たちもいたが、強烈なパワーを有する“毛むくじゃら”は、いとも簡単に壁やドアをぶち破ってしまう。
「警察はまだ来ないのか!?」
 叫んでいるのは教頭だった。頭は完全に禿げ上がってはいるものの、まだ若い教頭は、“毛むくじゃら”の爪によって負傷した右腕を保険医に治療してもらいながら、唾を吐き散らしていた。
「全く電話が通じません!」
 報告する若い男性教員の声は上擦っていた。既に強力な結界のうちにある十番高校は、まわりから完全に遮断されていた。
 校庭に面している窓からは、女生徒を小脇に抱えている“毛むくじゃら”が、異次元に消えていく様子がはっきりと見える。
「なんてことだ………」
 教頭は頭を抱えるしかない。
「このままでは、女生徒たちが全員さらわれてしまいます!!」
 気が動転してしまっている田町右子は、窓から校庭を眺め見ながら、半狂乱になって叫んでいる。右子の他にも若い女性職員はいるのだが、職員室には彼女以外の同僚の若い女性職員の姿はなかった。
 現在、職員室に戻ってきている教職員は全部で八名。殆どが男性教員である。女性は右子と、保険医のふたりだけだった。他には誰ひとりとして戻っては来ない。
 何故か職員室には“毛むくじゃら”は現れない。素通りしてしまうのだ。職員室をあえて無視しているようでもあった。
「何で、職員室は襲われないのかしら………」
 教頭の手当を終えた若い保険医は、誰に問うともなしに呟いた。
「あいつらの狙いが、女子高生だからですよ………」
 その呟きに答えたのは、ボリュームある赤毛を、まるでバターロールのようにカールした美人の女生徒だった。
「どういうことだ、黒月?」
 彼女の担任らしい中年の男性教員が、訝しげな表情で彼女の美しい顔を見つめた。
「あいつらの行動を見ていれば分かるでしょう? さらっていくのは、女生徒ばかりですよ」
 赤毛の美人―――黒月晶は、当然のことを訊くなとばかりに、あからさまに不快な表情をし
てみせた。
「?」
 右子と教頭が、不思議そうな視線を彼女に向けた。この時間、生徒が職員室にいるはずがないのである。
「あ? あたし!? あたしはこのスケベな担任に呼び出されて、職員室でセクハラを受けてたんですよ。気付きませんでした?」
 ふたりの視線の意味を敏感に感じ取った晶は、すぐさま答えた。途端に、担任の表情が一変する。
「ば、馬鹿なことを言うな!! お、俺がいつセクハラをしたって言うんだ!? 教頭、こいつの言うことを真に受けてはいけませんぞ!!」
 唾を吐き散らしながら、担任は弁明をしたが、他人の耳には、それがかえって「苦しい言い訳」にしか聞こえなかった。
「でも、先生。さっき持ち物検査だとか言って、わたしの胸やお尻を触りましたよね? で、このあと、あたしを誰もいない生徒指導室に連れていって、何をする気だったんですか?」
 晶はここぞとばかりに、今までの不満をぶちまけた。胸やお尻を触られたのは事実だし、この後、生徒指導室に移動することも事実だった。
「ば、ば、ば、馬鹿なことを、い、言うな!!」
 耳まで真っ赤にして、担任は怒鳴った。晶が人差し指でわざとらしく耳を塞いで見せる。
「今はそんなことを話している時じゃない。君のセクハラ問題は後でゆっくりと調査するとして、今はこの状態を何とか乗り切らなくちゃならない」
 教頭の言うことはもっともである。晶にしてみれば、担任教師のセクハラは大問題なのだが、そのことを議論している場合ではないことも事実であった。
 間近で悲鳴が上がった。
 廊下からだと思われた。
 職員室のドアに咄嗟に飛びついた晶は、僅かに透き間を空けて廊下の様子を探ろうと試みた。
 いつの間にやら背後に迫ってきていた担任が、鼻息も荒く、隙間から廊下を覗き見ようとしている。
「この程度の隙間じゃ、全然様子が分からんな………」
「だったら、廊下に出てみればいいじゃないですか。大丈夫。あいつは男性をさらったりはしないようですから」
 自分の肩に手を掛けて廊下の様子を探っている担任に対し、晶は冷ややかに言ってやった。
 確かに緊急時ではあるが、女生徒に対しこれほどまでに体を密着させるのは問題である。このまま廊下の外に付きだしてやろうかとも考えたが、取り敢えずは止めておくことにした。
「! 校庭で何か起こっているわ!」
 右子の声だった。
 晶が振り向いたとほぼ同時に、閃光が煌めいた。
「なに!?」
 廊下側のドアから、素早く校庭側の窓に移動してきた晶は、閃光の正体を突き止めようと目を凝らした。
「セーラー戦士だわ!!」
 声を上げたのは右子だった。歓喜の表情で、窓の外を眺め見る。
 セーラー戦士たちが何者かと戦っている。彼女たちが戦っている相手は、この異常事態を招いた者たちに相違ない。
「セーラー戦士………」
 歓喜の表情の右子とは対照的には、晶の表情は曇っていた。唇を噛み締め、まるで親の仇でも見るように、憎悪の視線をセーラー戦士たちに向けていた。その視線の意味するところを、今は誰も知る由もなかった。

 タキシード仮面、マーズ、ギャラクシア、そしてアースの四人は、十番高校の校舎が見える位置まで近付いていた。結界の中の校舎は逆さまの状態で見える。
 先頭を走っていたタキシード仮面が、突如足を止めた。
「どうした?」
 怪訝そうにギャラクシアが問うた。今は一刻を争うときのはずだ。
「新手のお出ましだ」
 低い声でタキシード仮面は言った。
「なに!? あたしたち以外の気配は感じないが………」
「ええ、あたしにも感じられないわ」
 ギャラクシアに引き続き、マーズも言った。マーズはその優れた霊感によって、“気”を探る能力は誰よりも優れていた。
「いや、いる!」
 しかし、タキシード仮面は警戒を崩さなかった。確信しているのだ。近くに何者かが潜んでいる。
「ほぉ………。俺の“気”を探り当てるとは、なかなか大したやつだ」
 四人の前の空間が揺らいだ。そして、まるでジグソーパズルでも崩れるように、揺らいだ空間が剥がれ落ちていく。
 がっしりとした体格の屈強な青年が立っていた。子供向け番組に登場する宇宙刑事のような、派手なスーツを着込んでいる。ダークイエローの不気味な色のスーツだった。
「お前もブラッディ・クルセイダースか!?」
 油断なく身構えながら、タキシード仮面は尋ねた。尋ねていながらも、タキシード仮面は違うと感じていた。この威圧感は地球人類のものではないと本能的に感じたのだ。
「そう。貴様が感じている通り、俺はブラッディ・クルセイダースではない」
 タキシード仮面の心を見透かした青年は、僅かに口元を緩めた。数的には不利なはずなのにも関わらず、慌てた様子は感じられない。むしろ余裕すら持っている。
「俺の名はハスター」
 青年は名乗った。ただ直立しているだけなのだが、隙が全くない。
「こっちは四人いるのよ。こんな“カラシ男”とっとと倒して、先に行こうよ」
 変化のない状況に業を煮やしたのか、アースがタキシード仮面の背中に声を掛けた。“カラシ男”とはハスターのことに相違ない。彼の着ているダークイエローのスーツは、確かに“辛子色”に見えなくもない。
「死にたいのならかかってこい」
 ハスターは鋭い瞳でアースを見た。アースはそれだけで体が硬直してしまった。本能が感じ取ったのだ。戦ってはいけないと。
「外宇宙からの客人のようだが、地球に何のようだ? 何が目的で地球に来た?」
「貴様も外宇宙の人間ではないのか?」
 質問してきたギャラクシアに対し、ハスターは逆に尋ねた。アースを見たときと同じ視線をギャラクシアにも向ける。
「今のわたしは、半分は地球人だ」
 流石にギャラクシアは格が違う。アースを一瞬で黙らせたハスターの威圧の視線も、彼女には通じなかったようだ。
「なるほど、伊達に銀河を守護に持っているわけではないか………。お前と戦ったら、どっちが勝つかな? なぁ、ヒアデス」
 ハスターはアースのやや後ろ側に視線を送った。四人の最後方にいたアースは、慌てて背後を振り返る。
 女性が立っていた。光り輝く美しい長い髪は半透明で、風もないのにふわりと空間に広がって揺らいでいた。白くルージュが引かれた唇には、微笑が浮かべられていた。瞼は何故か閉じられたまま、開かれる気配を見せない。
「これはスター・シードの輝き!? お前はセーラー戦士なの!?」
 アースは息を飲んだ。その女性から発せられる“気”に、圧倒されてのことだ。
「ハスター様は、わたくしとそこの娘の戦いをご所望なさるか?」
 まるで歌うような口調で、ヒアデスと呼ばれた女性は言った。口元には相も変わらず微笑が浮かべられている。瞼は一向に閉じられたままだ。
 ギャラクシアは半身を開き、後方のヒアデスに視線だけ向けた。前方のハスターからも注意を逸らさない。
「マーズ。戦いが始まったら、お前だけでもセーラームーンのもとへ行け。お前のいるポジションなら、やつらが攻撃してきてもわたしがカバーできる」
 ギャラクシア小声でマーズに言った。
「タキシード仮面とアースは!?」
「タキシード仮面は自分で何とかするだろうさ。………残念だが、アースは見殺しにするしかない。ヒアデスとか言う女に近すぎる。恐らく一瞬で塵にされる」
 ギャラクシアは敵の力量を量っていた。アースとヒアデスでは、天と地ほど戦闘能力に差がある。
 ヒアデスは両手を大きく掲げた。掌に光が収束する。
「ヒアデス。よい」
 ハスターの鋭い声に、ヒアデスは上げていた手を降ろした。
「俺たちは忙しい身だ。お前たちと遊んでいる暇はない」
「地球に何の目的で来た? 答えによっては、今ここで決着を付ける」
 タキシード仮面は、鋭い眼光でハスターを睨み据えた。
 ハスターは薄く笑う。
「貴様は、まだ自分たちが数的優位に立っていると思っているのか?」
「なに!?」
 タキシード仮面は慌てて周囲の“気”を探り直した。神経を研ぎ澄まさなければ分からないが、僅かに“気”の波動を感じることができる。別の二種類の“気”を感じ取ることができた。ハスターとヒアデスと合わせると、この場に四人の敵がいることになる。数的には同数だ。
「分かったようだな」
 タキシード仮面の表情を読みとったハスターは、満足げに肯いた。
「そんなに死に急ぐこともあるまい。今はまだ貴様たちの敵のつもりはないからな。だが、いずれは敵として相見えることになろう」
 四つの“気”は瞬時に消滅した。一瞬のうちに立ち去ったと思える。
「何なのよ、あいつら………」
 マーズは額に浮かんだ汗を拭った。
「こ、怖かった………」
 アースはその場に、ペタンとへたり込んでしまった。
「敵は、ブラッディ・クルセイダースだけではないと言うことか………」
 ギャラクシアの頬は、僅かに強張っていた。
 タキシード仮面は無言のまま、ギリリと奥歯を噛み締めた。

 海野は廊下を走っていた。
 一緒に逃げていたはずの、なるちゃんの姿が見えなくなってしまったからだ。
 “毛むくじゃら”たちから必死になるちゃんを守っていた海野だったが、強烈なタックルを浴びてしばしの間昏倒してしまっていたのだ。
 意識を取り戻したときには、なるちゃんの姿はなかった。
「くそぉ! 僕が非力だから………」
 走りながら嘆いたが、今となってはどうすることもできなかった。恐らくなるちゃんは、あの“毛むくじゃら”たちに捕まってしまったに違いない。悔しさのあまり泣き出したいのを我慢しながら、海野は廊下を昇降口に向かって走った。
 前方に二体の“毛むくじゃら”を発見した。女子生徒を襲っている。下級生らしい。
 知らない顔の女生徒だったが、見てしまったからには逃げるわけにはいかなかった。
「うおぉぉぉ!!」
 奇声を発して、海野は“毛むくじゃら”に体当たりを敢行した。
 一体の背中に激突。よろめいた拍子に、もう一体の“毛むくじゃら”の足を払うような格好になった。
 二体の“毛むくじゃら”はバランスを崩し、縺れるようにして倒れると、抱えていた女生徒を放り投げるようにして手放した。
「早く逃げて!!」
 海野は叫ぶと、倒れている下級生らしい女生徒の手を引き、先頭を切って走り出した。数人の女生徒がそれに続く。
 突如現れたビン底眼鏡の救世主に、その場にいた女生徒は縋るしかなかった。
 海野としてはなるちゃんのことは心配だが、目の前にいる彼女たちを見捨てることはできなかった。彼女たちを先導し、やっとの思いで職員室の前まで辿り着いた。
 藁にも縋る気持ちでドアを開けると、数人の人影が見えた。
「よかった、先生がいる!」
 この状況で教師と出会えたことは幸運だと感じた。
 だが、残念ながらそれほど状況が良くなったわけではなかった。
 頼るべき教師たちも、この状況を打開できるだけの策を持っているわけではなかった。
「セーラー戦士!」
 窓から外を見やった女生徒たちは、歓喜の声を上げた。
(みんな、がんばって!!)
 海野も心の中で、セーラー戦士にエールを送る。もちろん、彼女たちの正体を知っているからに他ならない。
「そうね。今は彼女たちに頼る以外に方法はないわね………」
 低い声で呟いたのは、晶だった。