クレタ島の迷宮
アルテミスと昴がクレタ島に到着してから、丸二日が経過していた。
クンツァイトたちの動向が全く分からず、もし彼らが飛行機でロードス島に向かっていたとしたら、かなりの後れを取っていることになる。自分たちが無事でいることをクンツァイトたちは知らないはずなので、昴はひとり気を揉んでいるのだが、しかし、アルテミスは動かなかった。
ピレウスからの定期船でイラクリオに到着したふたりは、市内にあるホテルに宿を取った。資金不足のため、部屋はひとつしか取れない。今までもそうだった。ふたりはひとつの部屋で寝泊まりを続けていた。
旅の疲れを癒すため、昴が室内のシャワールームに入っている間に、アルテミスは外出してしまった。「外出する」というメモ書きが残されているだけで、行き先は書かれていなかった。クレタ島の地理に詳しくない昴としては、ホテルで大人しく待っているしかなかった。下手に外出して迷子になったのでは目も当てられない。
陽も暮れた頃、ようやくアルテミスは帰ってきた。問い質してみても、どこへ言っていたのか、とうとう話してくれなかった。
二日目も、昴が眠っている間に、メモ書きだけ残してアルテミスは消えてしまった。仕方なく、昴は市内を見物することにした。ホテルにじっとしていては、気が滅入るだけだったからだ。
ホテルのロビーで観光ガイドを入手した昴は、ひとりで市内に繰り出した。ひとりで行動しているアルテミスも気掛かりだったが、勝手な行動を取っている男を気にしていても始まらないと、割り切ることにした。
町の中心に位置するベニゼロウ広場にある噴水、通称モロニシの噴水を数分間眺めたのち、昴はアギオス・ミナス教会へと移動した。クレタ島で最大の教会であると言うアギオス・ミナス教会だったが、昴の興味を誘うようなものは、何ひとつとしてなかった。地球人ではない昴だったが、彼女の生まれた星とよく環境の似ている地球の景色は、懐かしさこそ感じるが、珍しくはなかった。
彼女の持っているパスポートは、もちろん偽造である。地球人ではない昴がパスポート(しかも日本国発行)を通常の手段で取得できるはずもなく、当然、彼女に偽造パスポートを渡し、「星集昴」という地球名を付けた陰の人物がいるわけだが、今は触れないでおく。
「全く、こんな美人をほっぽっといて、どこへ行ったのよ………。あの唐変木は………!」
唐変木とは説明するまでもないようだが、アルテミスのことである。昴は悪態を付きながら、1821年通りを北へと向かっていた。市内見物にも飽きてしまった彼女は、ホテルに戻って仮眠を取ろうと考えていた。
「帰ってきたら、とっちめてやる!」
邪な考えが、脳裏を過ぎった。あの純情奥手男を虐める一番の方法を、この数日アルテミスと行動を共にしている昴は、充分すぎるほど理解していた。
「今夜こそ、絶対にものにしてやる!」
右の拳を左の掌に打ち付けながら、鼻息荒く言う昴は、もはや虐めの域を通り越していた。半分、本気なのだ。自分でも、アルテミスに恋心を抱いている自分に気付いていた。
アルテミスもたぶん、その気持ちに気付いている。しかし、彼はその気持ちには応えてはくれない。アルテミスの心の中には、まだ見ぬ恋敵が大きく住み着いているのだ。
「美奈子さんかぁ………」
昴は、その恋敵の名を口にした。
その美奈子を一刻も早く救出しなくてはならないはずなのに、何故アルテミスはこのクレタ島に二日も滞在しているのか。早急に、敵の指定ポイントであるロードス島に向かわなければいけないはずではなかったのか。
「あんたのやっていることは、理解できないよ………」
大きくかぶりを振りながら、昴は呟いた。
その昴の視界に、突然アルテミスが飛び込んできた。距離にして十メートル。彼女の右目に飛び込んできたアルテミスは、何食わぬ顔をして、ホテルに向かって歩いている。彼の視界には、昴は入っていない。
アルテミスの間抜けな顔を目の当たりにしてしまった昴に、突然意味不明の怒りがこみ上げてきた。こみ上げてきたと思った瞬間、アルテミスに向かって猛ダッシュしていた。
「フライング・クロス・チョーップ!!」
全くの無防備なアルテミスの首筋目掛けて、フライング・クロス・チョップを浴びせた。
「ほげっ!!」
間抜けな悲鳴をあげて、アルテミスは五メートルほど吹っ飛んだ。鈍い音と共にアスファルトに顔面を打ち付け、しばし逆さまの状態で静止する。やがてスローモーションの映画のように、ゆっくりと崩れ落ちた。ピクリとも動かない。
「ア、アラ!? 死んじゃったかしら………」
ちょっと心配になった昴は、慌ててアルテミスに駆け寄る。
「突然、何をするんだ!?」
アルテミスを覗き込もうとしたとき、出し抜けに起きあがった。今度は昴が驚いて、尻餅を付いた。足をおっ広げ、他人にはとても見せられない格好である。ミニスカートを履いていたので、アルテミスからは下着が丸見えのはずだった。
「殺す気か!? 俺を………!」
露わになっている昴のスカートの中には、珍しく視線を向けなかった。気が付かなかったのである。それ程までアルテミスは激怒していたと言える。
アルテミス。一生の不覚―――のはずである。
「死んだらどうする気だったんだ!?」
アルテミスは昴に食ってかかる。しかし、昴も負けてはいなかった。
「あんたが自分勝手に行動してるのがいけないんでしょ! いったい、この二日間、何をやってるのよ! のんびりしてる時間はないんでしょう!?」
正に噛み付く勢いで反論した。足は閉じた。本人が気付いて閉じたわけではなく、反論する際にアルテミスにずいっと顔を尽きだしたので、体勢を変えたためだ。膝をコンクリートに付け、四つん這いのような格好になった。
「説明しただろっっ!? 忘れたのかっっ!?」
不満そうな表情の昴の顔に、アルテミスは唾を吐き散らしながら怒鳴った。
「へ!?」
その吐き散らされた唾を顔面に浴びながら、昴は唖然とした。
「いつ説明されたっけ?」
「クレタ島に上陸する、一時間くらい前のことだよ………。ああ! お前、もしかして酔っぱらってたな………!? 随分と酒を飲んでいたようだし………」
アルテミスにそう言われ、昴は記憶をまさぐった。確かに、ワインを口にした記憶はある。非常に美味しいワインだった。二‐三杯一気飲みしたところまでは覚えている。しかし、そのあとの記憶がない。思い出せない。そのあとの記憶といえば、既にホテルに入ってからのことだ。その間の記憶が抜けている。言われてみればベッドに横たわっていた気もするし、少々頭も痛かった。
「ろれつが回ってなかったから、どうもおかしいと思ってたんだけど………。そう言えば、夕べも問い質されたよなぁ………」
「そん時に言ってくれれば良かったじゃない!」
「疲れてたんだよ! それに忘れてるなんて、考えも付かなかった」
「ごめん!」
昴はただただ謝るしかなかった。
一夜明け、陽が昇ると同時にふたりはホテルを出た。目的地はディクティ山脈。そこに、アルテミスの探すものがあるはずだった。
アルテミスは武器を探していた。ジェラールとの一戦で、愛用の黄金の剣を破壊されてしまったアルテミスには、別の剣が必要だった。しかし、地球の剣では意味がない。アルテミスの放つ闘気に耐えられないのだ。アルテミスの闘気に耐えられるほどの剣ともなれば、かつてのシルバー・ミレニアムで製造された剣か、もしくはマゼラン・キャッスルで造られた剣でなくてはならないのだ。地球の伝説にあるところのオリハルコンで作られた剣でなくては、アルテミスには使えないのだ。
アルテミスの記憶では、シルバー・ミレニアムで製造された伝説の剣が、この地に封印されているはずなのである。材質は、合成のオリハルコン。天然ほどの強度はないが、それでも地球上で作られた剣よりかは遙かに強度がある。アルテミスの闘気に耐えられるはずだ。
かつてのゴールデン・キングダムは、現在のヨーロッパに存在していた。ヨーロッパに今も残っている謎の遺跡は、その名残である。アルテミスの記憶では、シルバー・ミレニアムの名工が製造した神秘の剣が、ゴールデン・キングダムに持ち込まれたのだが、その破壊力の凄まじさ故、南の孤島に封印されているはずであった。その南の孤島が、現在のクレタ島である。
「………だけどさ。そんな凄い剣を、何だってゴールデン・キングダムに譲渡したのよ。シルバー・ミレニアムになら、それを使いこなすだけの剣士がいたんじゃないの?」
ディクティ山脈に向かうレンタカーの中で、昴は不思議そうに尋ねた。かつてのシルバー・ミレニアムとゴールデン・キングダムの関係は、アルテミスから聞かされていた。だからこそ、昴には解せなかったのである。
「盗まれたんだよ」
アルテミスはあっさりと答えた。
それを聞けば、昴とて納得する。名高い名工が生んだ剣が、盗人に狙われると言うことは、よくある話である。
レンタカーで登れるだけ登ると、ふたりは車を捨てた。目的地までは自力で向かわなければならなかった。
自力で登り始めて四時間。ようやくアルテミスの言う目的地とやらに到着した。
「し、死ぬぅ………。か弱い女性に、こんな険しい山を登らせるなんて………」
「自分で行きたいって言ったくせに………」
息を切らしながら文句を言う昴に向かって、アルテミスは口を尖らせる。
「だ、だいたい、こんなところに剣なんて本当にあるの?」
周りを見回した昴は、疑わしげな視線をアルテミスに向けた。
当初昴が想像していた、巨大な建造物は見当たらなかった。伝説の剣が封印されているともなれば、それに相応しい建造物があるというのがお決まりのパターンだった。しかし、あるのはゴツゴツとした巨石群ばかり、それらしい場所は見当たらない。
「宝剣じゃないんだからな………」
昴の心を見透かしたように、アルテミスは言う。
「ここかな?」
幾つかある巨石群を丹念に調べると、そのひとつの前で立ち止まった。掌を当て、何事か呪文を唱える。
ズズズッ。
鈍重な音を響かせ、巨石が右横に移動した。巨石の後ろには、暗黒の空間が広がっていた。
「岩戸だったの? これ………」
「ああ」
アルテミスは短く答えると、戦闘態勢を取った。剣士の姿に、コスチュームチェンジする。
「付いて来るんだったら、変身しろ。罠が仕掛けてある」
「へ!? 罠!?」
昴には、アルテミスが言っている意味がよく理解できなかった。だが、アルテミスはと言えば、ひとりでスタスタと暗黒の空間に足を踏み入れてしまっていた。
「ま、待ちなさいってばぁ!」
素早くセーラープレアデスに変身すると、昴もアルテミスのあとを追った。暗黒の空間では、通常人の状態では視界が悪い。ましてや、明かりになるような物は何ひとつ持ってきていない。闇の中で通常通りに行動するには、変身する必要があったのだ。
正しく迷宮だった。
複雑に入り組んだ通路は、始めて通る者には混乱を与える。目印になるような物は全くなく、幾度と訪れたことがある者でも、正確な道筋を通るのは困難だと思えた。
黴臭く、ひんやりとした湿った空気が漂っている。もちろん、風などはない。
岩を切り崩し、山の内部を掘って造ったであろうこの迷宮は、巨大だった。
幾つかの枝分かれした通路を、アルテミスは何の迷いもなく選択していく。まるで、この迷宮を知っているかのようであった。
「随分、自信満々に進んでるけど、大丈夫なの?」
プレアデスが不安がるのも無理はなかった。アルテミスは、得てして何の脈絡もない自信を持っていたりするからだ。今回も、彼の勘だけを頼りに進んでいるのだとしたら、今の時点で既に迷っている可能性がある。
「この迷宮の地図は、頭の中に入っている」
アルテミスはあっさりと答えた。
「地図があったの!?」
「昔ね」
「昔?」
「シルバー・ミレニアムで造られたR・P・Gで、この迷宮を探索するやつがあった。面白かったんで、何度もやっているうちにルートを覚えてしまったんだ」
「え!? R・P・G?」
「ゲームだよ」
「ゲ、ケームぅ!?」
プレアデスは腰を抜かさんばかりに驚いた。そんな物を頼りに、今まで進んでいたのかと思うと、気が遠くなりそうだった。正しく、何の脈絡もない自信だった。
「ゲームと実際の迷宮が、同じだって証拠がどこにあるのよぉ!!」
「説明書にもそう書いてあったぜ」
「そんなの嘘に決まってるじゃない!!」
クラリときた。目眩である。プレアデスは力無く壁にもたれ掛かる。冷たい岩肌の壁だった。よく見ると、長方形の形に切り出した岩を巧みに組み合わせて壁を形成していた。
「何してる? 置いていくぞ」
ぐったりと壁にもたれ掛かるプレアデスを尻目に、アルテミスは奥へ向かってさっさと歩き出してしまう。
「はぁ………」
プレアデスは壁にもたれ掛かったまま、深い深い溜息を付いた。
その時、ぬるりとした感覚が、肩に触れた。
「ひえっ!」
短く悲鳴をあげて、プレアデスはその場を飛び退いた。
「スライムだ!」
アルテミスが叫ぶ。
「スライム?」
「キミの出番だよ」
アルテミスがプレアデスの横に並んだ。その視線を、プレアデスも追う。
壁に這うようにして、半透明のゼラチン質のような物体が蠢いている。その表面は、生物が呼吸しているかのように波打っていた。
「液体生物だよ。あのぶよぶよした体で相手を包み込んでから溶かし、自分の養分として吸収してしまう恐ろしいやつだ」
「あれ、生き物なの?」
とても生物とは思えなかった。恐らく、知能などは全く持たずに、本能だけで生きているのだろう。
「そう言えば、あたしの出番だとか言ってたわよね? あたしに、あの気持ち悪いのと戦えっていうわけ?」
「そうだよ」
「や、やぁよぉ! 普通、ああいう気持ち悪いのは、男が相手するモンよ!」
「俺の技じゃ、あいつにはダメージは与えられないんだ」
「? どういうこと?」
「あの通りの半液体生物だから、打撃は意味がない。ブヨブヨした体が、ショックを吸収してしまうんだ。つまり、キミの光線技じゃなきゃ、こいつは倒せないってことさ」
アルテミスは平然としていた。それもそのはず。当のスライムが襲ってこないのだ。
「ねぇ。あんなやつ、ほっときゃいいんじゃない? どうせ他の生物を襲おうなんて知能は持ってないんでしょ? あの通り壁伝いに移動しながら、その進行上にいる生物を取り込んで吸収するだけなんじゃないの?」
「ご名答!」
アルテミスは拍手する。
「だったら、余計なことしないで先に進もうよ!」
プレアデスの意見は最もだった。ふたりはスライムを無視して先に進むことにした。
「プレアデス!」
やや前方を歩いていたプレアデスの手首を、アルテミスは急に掴むと、自分の方に引き寄せた。
「もう! アルテミス! 何もこんなところで!」
「ば、馬鹿! 何、勘違いしてるんだよ!! 前をよく見ろ!!」
妙な勘違いをして頬を赤らめるプレアデスに、アルテミスは怒鳴った。
プレアデスはアルテミスに言われた通り、前方に視線を向ける。
半透明の物質が、通路を塞ぐようにしていた。先程のスライムと同様のゼラチン質の物体だったが、スライムよりは強度があるように感じられた。
「ゼラチネス・キューブだ。スライムと同族だが、こっちの方が質が悪い。さっきのキミみたいに、気付かないでやつの体内に自分から飛び込んじまうのさ。飛び込んだら最後、あっという間に消化されてしまう」
アルテミスがうんちくを披露する。
「今度はやっつけないと、先に進めそうにないわね………。どうせ、引き返す気はないんでしょ?」
「もちろん」
アルテミスの返事を待たずに、プレアデスはクラスター・シュートを放っていた。
ゼラチネス・キューブはゼラチン質の体を飛び散らせた。
「呆気ないものね………」
相手が攻撃してこないのだから、勝負は一瞬で決まってしまう。プレアデスにしてみれば、前方の障害物を破壊したようなものだ。
と、その時、鼻を突く異臭が背後から漂ってきた。妙な呻き声も聞こえる。
「ちっ! ゾンビだとぉ!」
何かを殴打した音が、背後で響いた。アルテミスが、そのゾンビとやらに攻撃を加えたのだろう。
「ったく! 次から次と………!!」
アルテミスの悪態が耳に届いた。
プレアデスとて、ゾンビくらいは知っている。動く死体のモンスターは、全宇宙共通である。
プレアデスは振り向きざまに、クラスター・シュートを放った。二体のボディを破壊した。
ゾンビは生命体ではない。だから痛みを全く感じない。もともとが死体なのだから、当たり前だ。死体だということはつまり、殺すことはできないのである。活動を停止させるには、両手両足を完全に破壊して動けないようにするか、ボディを完全に粉砕してしまうかしかない。
ゾンビは五体いた。その内の一体は、既にアルテミスが機能を停止させていた。
「逃げるぞ!」
アルテミスは言った。いちいち相手にしていたら、キリがないのである。
ゾンビは鈍重な動きしかできない。走って逃げてしまえば、追ってくることはできないのである。
「よく分かったわね」
ゾンビが見えなくなるまで走ってから、プレアデスは感心したように言った。
「相手は死体だからね。臭いで分かるよ。実際、ゾンビに不意打ちを食らうやつは、よっぽどの間抜けだよ。冒険者の資格はないね」
アルテミスが得意そうに答えた。そのアルテミスの耳に、今度はガチャガチャという乾いた物同士がぶつかり合うような音が飛び込んできた。
「一難去って、また一難だな………」
アルテミスがぼやく。深い溜息を付きながら、頭を抱えるような仕草をする。
「どうしたの?」
「スケルトンだよ………」
うんざりしたような仕草で、アルテミスはプレアデスの問い掛けに答えた。
ガチャガチャという音は、プレアデスの耳にも届いていた。背後から聞こえている。次第に近づいてくるのが分かる。
振り向いてみた。
ガイコツの集団が見えた。暗黒の迷宮の中にあって、白い骨はぼんやりと浮き出しているようにも見えた。武装している。右手には剣を持ち、左手には盾を装備している。
先頭のスケルトンに向かって、アルテミスは突進した。アンデッド・モンスターに共通して言えることだが、スケルトンも動きが鈍い。素早い動きには対処しきれないのである。
アルテミスの突進を確認したスケルトンだが、剣を持つ右手を振り上げた時には、強烈なショルダー・タックルを受けて吹っ飛んでいた。背後の三体のスケルトンと縺れるように倒れた。
アルテミスはすぐに戻ってきた。手には剣が握られている。
「うん。取り敢えずは使えそうだ」
手にした剣を調べながら、アルテミスは言った。この先、どんな敵が出現するか見当も付かない。彼には武器が必要だったのである。
「よし! 走るぞ!」
再び逃げの一手である。走り去ってしまえば、スケルトンは追っては来れない。アンデッド・モンスターと出会ったら、とにかく逃げるが勝ちである。もちろん、戦っても構わないが、体力を消耗したくないのならば、やはり逃げる方が最良の策である。
「いったい、どこまで行くのよぉ! とんでもなく強いモンスターが出てきたら、どうするつもりなのよぉ!?」
「もうすぐ到着するよ。ゲームではね………」
プレアデスの問いに、相変わらずアルテミスは呑気に答える。
「ドラゴンなんて、出ないでしょうね?」
「こんな狭い迷宮の中で、ドラゴンなんて出てくるわけないだろう? ダンジョンであんなのが出てくるのは、ゲームだからだよ」
答えるアルテミスの足が止まった。目の前に金属製の扉がある。
「ゴールだ」
アルテミスは短く言った。
堅く閉ざされた金属製の扉は、何人たりとも受け入れないような威圧感があった。その扉のほぼ中央の位置に、アルテミスは右の掌を当てる。呪文を唱える。岩戸を開けたときと同じ、開錠の呪文だった。
鈍重な音を響かせ、金属製の扉は左右に開いた。光が飛び込んできた。淡い光だ。
アルテミスはその光に向かって歩を進める。プレアデスも彼に続いた。
広い空間である。直径二十メートル程のドーム状の空間だった。淡い光は、壁にぎっしりと生えている苔が発生させている光だった。
中央に台座があった。その台座の上に、無造作にひとふりの剣が置かれていた。それは奉られていると言うより、放置されていると言った方がぴったりと当てはまるような光景だった。
「魔剣ヴァンホールだ」
アルテミスは言った。ゆっくりと足を踏み出したとき、空間の空気が変わった。何者かの荒い息づかいを感じた。
「気を付けろ! 来るぞ!!」
まるで予期していたかのように、アルテミスは身構えた。先程まで気が付かなかったが、自分たちが入っていた扉と対称の位置に、もうひとつの扉があった。重苦しい音と共に扉は開かれ、何かがそこから出現する。
「ミノタウロスだ」
アルテミスは説明する。地球人ではないプレアデスは知らないのも当然だが、地球上ではメジャーなモンスターである。迷宮には必ず言っていいほど出現する、怪力の牛頭モンスターだった。
背丈は三メートルはあると思えた。手には巨大な戦斧が握られている。自らの体重より重いのではないかと思われる戦斧を、軽々と振り回して見せた。恐らく威圧するためにやった行為だろう。涎を垂らし、血走った目でアルテミスを凝視している。知能は低そうだ。自分の縄張りに侵入してきた敵を、排除しようという本能だけが働いているようであった。
「せやっ!」
アルテミスが仕掛けた。台座を踏み台にジャンプすると、スケルトンから奪った剣を、ミノタウロスの脳天目掛けて振り下ろす。
「う゛もー!!」
ミノタウロスは雄叫びをあげた。そして何と、その雄叫びひとつでアルテミスを弾き飛ばしてしまう。
「アルテミス!」
弾き飛ばされたアルテミスは、床に背中を打ち付ける。
ミノタウロスの標的が変わった。戦斧を振り上げ、プレアデスに向かって突進する。
「!」
プレアデスが動いた。突進してきたミノタウロスに向かって、身を転じる。身の丈三メートルのモンスターの股間は盲点である。体をコンパクトにまとめて股間をすり抜ける。
ミノタウロスが戦斧を振り下ろした。誰もいない空間に。
戦斧は虚しく空を引き裂き、床に打ち落とされる。背中は無防備だ。
股間をすり抜けて後方に回っていたプレアデスにとって、これほどターゲットとしやすいものはない。クラスター・シュートを放った。直撃である。しかし、致命傷は与えられなかった。
「なんて、頑丈な背中なの!?」
手加減したつもりはなかった。だが、結果として一撃で仕留められなかった事実に変わりはない。
「う゛も゛も゛も゛も゛ぉぉぉ!!」
背中に走る痛みに、ミノタウロスは逆上した。が、そこまでだった。次の瞬間には、彼の頭は胴体から分離されていた。アルテミスの早業である。スケルトンの剣を一閃し、首を切り落としたのだ。
「確かに、頑丈なやつだ………」
衝撃で折れてしまった剣を呆れたように見ながら、アルテミスは言った。ミノタウロスの体が頑丈だったこともさることながら、やはりアルテミスの放つ闘気に半ば錆びてしまった剣が耐えられなかったようだ。
「さて、じゃあ、頂く剣( を頂いたら、とっとと帰るか」)
折れた剣を投げ捨てると、アルテミスは台座に向かって歩を進めた。台座に近づき、魔剣ヴァンホールを手にしたとき、最後の罠が作動した。
ゴゴゴゴゴ………。
地鳴りのような凄まじい響きが、半円の空間に轟いた。
「やべぇ! マジかよ!?」
さしものアルテミスは慌てた。ゲーム( にはなかった演出なのである。ミノタウロスの出現までは、ゲームと同じだった。ならば、剣の番人であるミノタウロスさえ倒してしまえば、それで終わりのはずだったのだ。)
彼らを足止めするかのように、金属製の扉の向こうからゾンビとスケルトンの混合部隊が侵入してきた。総勢十体。大した数ではないが、相手にしている時間はない。この地鳴りの意味は、恐らくこの迷宮が崩れることを意味している。だとしたら、一刻も早くこの迷宮を脱出しなければならない。しかし、ゾンビとスケルトンの混合部隊は、出口を完全に塞いでしまっている。何体かを倒さなければ、先に進めそうにない。
「迂闊だった」
アルテミスは舌打ちする。
「途中で出会ったあいつらを、全部倒しておくべきだったわね」
アンデッド・モンスターたちを倒すチャンスはあった。しかし、先を急ぐあまり、それを行わなかったツケが、土壇場のこの場面で回ってきたのだとプレアデスは思った。
「いや、そうじゃない」
だが、アルテミスは首を左右に振った。アルテミスの考えは違うのだ。
「ゾンビやスケルトンは、いわば人形にすぎない。………畜生! もっと早く気付けばよかった!」
「どう言うこと!?」
「この迷宮のどこかに、あいつらを操っている魔術師がいるはずだ。それも、かなり強力な魔術師だ………。プレアデス( 、こっちへ行くぞ!」)
アルテミスは百八十度方向転換をした。その方向には、ミノタウロスが出現した扉がある。そこへ向かって駆け出した。
金属製の扉は開けられたままだった。何の抵抗もなく通り抜けることができた。
案の定、迷宮には先があった。アルテミスとプレアデスは、更に奥に向かって駆け出す。
背後で轟音が響いた。魔剣ヴァンホールが放置されていた半円状の空間が、崩れたのだろう。 迷宮自体には影響がない。どうやら、あの空間にだけ仕掛けられた罠だったようだ。
奥に向かうにつれて、ゾンビやスケルトンの出現回数が増えてきた。ふたりは足を止めずに、次々と出現するアンデッド・モンスター群を蹴散らした。
魔剣を手にしたアルテミスは、まるで水を得た魚のように見違えた動きを見せた。わらわらと出現するアンデット・モンスター群は、アルテミスにとっては、もはや邪魔な障害物でしかなかった。
そのふたりの前に、再び金属製の頑丈そうな扉が現れた。今度の扉もアルテミスが開錠の呪文で開けた。
広い空間が開けた。魔剣が放置されていた空間の、優に三倍のスペースがある。
最深部に玉座があった。その玉座に、何者かが腰を下ろしていた。
「この迷宮の主か?」
アルテミスが問う。
(いかにも………)
言葉ではなく、テレパシーのようなものが返ってきた。距離があるので判然としないが、玉座に腰を下ろしている者は、フードを頭から被っているようにも見えた。
(ようこそ、来訪者よ)
玉座に座る者が立ち上がった。やはりテレパシーである。耳からではなく、直接脳に意志が送られてきている。
薄汚れたフードを被り、同じ色のマントを羽織っていた。瞳だけが異様に輝いているが、そのあまりの鋭さに、二秒以上見つめていることができない。冷気を伴った風が、玉座からこちらに向かって吹いてきている。鳥肌が立つ。
「なんて、妖気だ………」
アルテミスの呟きによって、この冷気の風が玉座に座していたいた者の妖気によって巻き起こっていることに、プレアデスは気付いた。
「こいつは、本当のバケモンだな………」
(小僧。儂を化け物とぬかしたか………。この迷宮を知っている小僧こそ、ただ者ではあるまい。ましてや、その魔剣を手にしているとは、にわかに信じがたい。それは使う者の命を吸い取る悪魔の剣じゃ。小僧、それを手にしていながら、何故平気でいる?)
「地球人にとっちゃ、悪魔の剣だろうさ………。だが、生憎と、俺は地球人じゃない」
アルテミスは、魔剣ヴァンホールを構えた。
(地球人ではないとぬかしたか? 小僧、月の王国の者か? しかし、月の王国はかの昔に滅んだはず………)
「いろいろと知っているようだな………。しかし、爺さんの昔話に付き合っている時間はないんだ。これ以上、俺たちの行動を妨害するようなら、この場で叩き斬るぞ」
(儂を脅すか………?)
玉座に座していた者は、鈍く瞳を輝かせた。冷気が一段と強まる。
(この儂を、エデ・イーのリッチと知って、そのような世迷い言をぬかしておるのか?)
「なるほど、やっぱりエデ・イーの爺さんだったのか………。悪いが、俺はバケモンに知り合いはいない。爺さんが誰なのかなんて、俺の知ったことじゃない。もう一度言うぞ」
アルテミスの全身に、パワーが漲る。
「俺の邪魔をするのなら、この場で叩き斬る!」
(面白い。儂に挑もうと言うのか? ならば、少し遊んでやろう。ちょうど、退屈していたところじゃ………)
ふたりの間に、緊張が走った。アルテミスのやや後方に待機していたプレアデスも、戦闘態勢で身構えた。恐らく、この敵はアルテミスひとりでは倒せない。
(むん!)
先に仕掛けたのは、リッチの方だった。
「ふん!」
リッチが手を振り上げた。冷気の塊がアルテミスを襲う。
アルテミスはするりと躱す。
(よい動きだ。ならば、これはどうじゃ?)
リッチは攻撃法を変えた。何やら怪しげなガスを発生させた。
「む!? まずい! プレアデス( 、少し俺たちから離れろ!!」)
「え!?」
「麻酔ガスだ! やつは、俺たちの動きを封じるつもりなんだ!」
敵の攻撃の意図を素早く察知したアルテミスは、大きく後方に飛び退いた。一瞬遅れて、プレアデスがアルテミスの横に並ぶ。
「せりぁ!」
アルテミスは魔剣ヴァンホールをひと振りした。凄まじい剣圧によって、麻酔ガスは霧散した。
「プレアデス( 、もう少しだけ離れていてくれ。俺たちの戦いの巻き添えを食うぞ」)
アルテミスは言うと、魔剣を構えて前方にダッシュする。狭いダンジョンの中では、確かに光線技を得意とするプレアデスは不利であった。リッチほどの相手ともなれば、全力で挑まなければならない。強力な光線技を連発していては、その衝撃でダンジョンが崩壊してしまう。
だからこそ、リッチもガス系の呪文でアルテミスに対抗しているのだ。爆裂系の強力な呪文が来ることは考えられなかった。
アルテミスもそれが分かっているからこそ、思い切った戦法が取れた。
素早い動きで攪乱し、一気に懐に潜り込んだ。
「いりぁ!」
気合い一閃。身を低くして懐に潜り込んだアルテミスは、下段に構えていた魔剣を振り上げた。
(!?)
リッチは大きく仰け反って、後方へ退いた。
「今だ! 逃げるぞ!!」
アルテミスはプレアデスに向かって怒鳴った。衝撃波を放って、ダンジョンの壁を破壊する。壁は崩れ、通路を塞いだ。
「逃げるって、どういうことよ!? アルテミスの方が優勢だったんじゃないの!?」
「やつが本気を出してくる前に退散するんだよ! ガス系の呪文を持っていやがるから、まともにぶつかり合ったら俺たちが不利だ!」
ガス系の呪文というのは殆ど衝撃を伴わない。しかし、化石化ガスなどに代表されるように、即死の効果を持つ呪文が多いのである。空気の流れのないダンジョンの中では、大量に発生させられると逃れる術はない。先の麻酔ガスだとて、霧散させて効力を低下させだけで消滅させたわけではないのだ。
「逃げるって言ったって、どうやって逃げるのよ!? はっきり言わせてもらうと、帰りのルートなんて、もう分からないんでしょ?」
「うん。戦っているうちに、迷ってしまったのは確かだ。こういう時は周囲を破壊して逃げればいい!」
言うや否や、アルテミスは凄まじい衝撃波を放った。爆音が炸裂し、粉塵が巻き起こる。
プレアデスは呆気に取られた。どう考えても、この辺一体の通路は崩壊してしまう。
浮遊感がプレアデスを包んだ。アルテミスが腰に手を回し、ジャンプしていたのだ。
空が見えた。
どうやら外に近いところで戦っていたようだ。
「戦っているときに、外のすぐ近くだって事が分かったんだ」
アルテミスが説明する。山の斜面が崩れている。はた目には、土砂崩れが起こってようにしか見えない。
リッチは追っては来なかった。
「あのお爺さんは追って来ないわね………」
「エデ・イーは自分の迷宮から外に出ることはないと言われている。別に怒らしちゃいないと思うから、追って来ることはないと思うよ」
アルテミスはウインクをして見せる。
「さぁて、ロードスに行くか」
プレアデスの腰を抱いたまま、アルテミスはひとり気を吐いていた。