十三人衆の対立
「バイバルスが動き出したようです」
ブラッディ・カテドラルに到着したばかりのスプリガンに、すかさず歩み寄ってきたひとりの少年が、耳打ちするように言った。非常に整った顔立ちをしており、正に絵に描いたような美少年だった。歳は十五歳くらいだろうか。スカートを履かせれば、女の子だと言っても誰も疑わないだろう。体型もスリムだった。逆に言えば、少年にしては華奢な体付きをしていた。
「フン。好きにさせておけばいい」
スプリガンは表情ひとつ変えない。立ち止まることもなく、スタスタと長い廊下を進んで行く。
「行動を起こしたポイントが問題なのです」
無表情のスプリガンに対し、報告をしている美少年は非常に険しい表情をしていた。スプリガンの歩く速度に付いて来れない美少年は、多少小走り気味に移動している。
「あの馬鹿が、どこで行動を起こしたと言うのだ?」
「セレス様のテリトリーです」
「ほっ! セレスのテリトリーとも知らずに、動いたというのか!? ハハハハハ………。あの阿呆め!!」
スプリガンは一笑した。ようやく立ち止まって、美少年の顔をまともに見た。
「メイムも一緒か?」
「ワルキューレ殿は、そう報告しておりましたが………」
「自分の尻は自分で拭かせろ。ワルキューレに引き上げろと伝えろ、ノーム」
「はっ!」
ノームと呼ばれた美少年は、深々と頭を下げる。物音も立てずに、その場から立ち去っていった。
スプリガンは再び大股で歩き出した。
しばらく歩くと、前方に人影が見えた。スプリガンは苦笑する。
「久しぶりだな、スプリガン」
スプリガンは答えない。代わりにニタリと笑っただけだ。
「随分と派手に動いているようだな」
「派手に動いているつもりはない。イズラエルに呼ばれてのこのこやってくるとは、貴様もよほど暇だと見えるな、セントルイス」
「暇なわけがあるか!」
セントルイスは、鋭い眼差しでスプリガンを睨むようにして見た。
「ならばとっととニューヨーク支部へ帰れ。命が惜しかったらな」
「この俺を、脅しているのか?」
「からかっているんだよ………」
スプリガンは鼻で笑うと、スタスタと歩き出してしまった。
「ちっ! イズラエルの気持ちが、分かるような気がするぜ………」
歩き去るスプリガンの背中を睨みながら、セントルイスは舌打ちをするしかなかった。
スプリガンは講堂に足を踏み入れた。
薄暗い講堂の中では、捕らえてきた女性たちが、何かに取り憑かれたように、不気味極まりない十字架に祈りを捧げていた。
大司教ホーゼンの姿は、珍しく講堂の中になかった。
「ふん………」
女性たちを一瞥し、スプリガンは鼻を鳴らした。この祈りが、形ばかりのものであることを知っているのだ。彼女たちは祈っているのではない。自分たちのエナジーを、あの十字架を抱えるようにしている魔なる者に、一心に捧げているのだ。精神を支配されている彼女たちに、自らの意志はない。全てのエナジーを放出して、やがて衰弱して死んでいくのである。
「哀れなものよ………」
講堂の女性たちは、既に大分衰弱している。そろそろ次の一団と交代させる時期に来ていた。人材は確保できている。その仕事は、組織の中では自分の役目だった。
「無駄なことを、させられたものだ」
間もなく組織は、ある計画のために大きく動き出す。そして、スプリガン自身の計画は、既にスタートしていた。
「聖地に眠る秘宝は、誰にも渡さない」
衰弱し、命果てていく女性たちを無表情で見つめていたスプリガンは、僅かに口元を歪めただけだった。
マザー・テレサの寝室に、大司教ホーゼンが訪れるのは珍しいことではなかった。そのときばかりは、マザー・テレサの身辺警護を任されている十三人衆のファティマも、別室にて待機しなければならなかった。寝室で何が行われているのか想像に難しくもないが、考えていると鳥肌が立つ思いである。
「あんな年寄りに体を許すなど、お母様の心が読めない」
ファティマの実感だった。たとえ目的のためだとはいえ、自分だったら、とてもできはしないだろうと思う。
「お前がここにいるということは、母上の寝室にあの男がいるということだな………」
突然の声に、ファティマは驚いて顔をあげた。声の主は、ソファーに腰掛けている自分の斜め後ろで、所在なげに立ち尽くしている。
「いくらお兄さまだとはいえ、部屋に入るときはノックくらいしていただきたいわ」
「ノックはした」
自分の不安げな心を兄に読まれまいと、わざと勝ち気に振る舞うファティマに、イズラエルは素っ気なく答えた。
「お前たちがどう思っているのか分からないが、俺はあの男を信用していない。突然我らの前に現れて、協力してブラッディ・クルセイダースを組織したが、あの男の多くは未だ謎のままだ。そんな男を信用しろと言う方がおかしい」
「愚痴を言いに、わざわざ来たのですか?」
ファティマは上目遣いで兄の顔を見た。
イズラエルはファテイマを見つめると、僅かばかり口元を緩めた。
「たまには愚痴も言いたくなる。母上はあの男を信用しすぎる。利用しようというのは分かるが、どうも逆に利用されている節がある。母上は何か言っていないか? 実の子のお前になら、何か言っている思うが?」
「知ってどうするのです?」
ファティマは真っ直ぐにイズラエルの目を見た。イズラエルも見つめ返す。
「それが間違っているのなら、正すまでだ」
「わたくしの前でそんなことを言っていいのですか? お母様に筒抜けになってしまいますわよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、ファティマはイズラエルの顔を見上げた。
「そうだったな………」
イズラエルは苦笑し、血の繋がりのない妹の顔を見つめる。
「最近のお兄さまは、少しばかり変ですわ。直接戦いに赴いたり、突然セントルイスを呼び寄せてみたり………。わたくしから言わせると、お兄さまの行動の方が不可解です」
ファティマは表情を曇らせる。再びイズラエルは苦笑した。
「焦っているのかもしれん………」
「焦っている? 何をですか?」
「分かるのだよ、自分の死が近いことが………」
「そんな………!」
予想だにしていなかった言葉に、ファティマは一瞬絶句してしまった。驚きに目を見開いて、兄の顔を見つめた。
「セーラー戦士どもとの戦いで命を落とすのか、それとも身内に殺されるのか、それは分からないが、どうやら俺はそう長くはないらしい………」
「どうして、そのようなことを………?」
ファティマのその質問には、イズラエルは答えなかった。無言で妹の顔を見つめた後、寂しげな笑みを浮かべただけだった。
「なぁ、ファティマよ………。俺たちはいったい何をしているのだ? 聖地に眠るものとは、いったい何なのだ? 本当にお前は、何も聞かされていないのか?」
「聖地に何があるのかは、わたくしも存じません。しかしながら、既にポイントは特定できていますから、間もなくそこへ向けて、カテドラルは動き出すでしょう」
ファティマはようやくソファーから立ち上がった。童話の世界に出てくる妖精のような、何とも神秘的なドレスを身に纏っていた。半透明のドレスは、光の加減によっては彼女の素肌をうっすらと浮き出たせる。
「あの男は、わたくしも好きにはなれません。お兄さまには、そのことだけは分かっていただきたいのです」
ファティマはそう言うと、真っ直ぐにイズラエルの顔を見つめた。
「俺をけしかけて、あの男を葬らせようという魂胆か?」
イズラエルは薄く笑う。
「そんなつもりはありません。ただ、組織内でもそう思っているのはわたくしだけではないはず………」
「確かにな………。分かった。心に留めておくことにしよう………」
イズラエルはくるりときびすを返す。
「血の繋がりのない妹の部屋に長居をしていては、母上に咎められてしまう。俺はこれで失礼する」
「そうした方がよろしいでしょう」
大股で部屋を出ていくイズラエルの背中を、ファティマは無言で見つめていた。
ファティマの部屋を出たイズラエルを、セントルイスが出迎えた。壁に寄り掛かるようにして、こちらを見ている。
「何だ、もう出てきてしまったのか………」
「俺は話をしに来ただけだ。変な詮索はするな」
いつになく険しい表情で、イズラエルはセントルイスを見た。
「ファティマに惚れているんだろう?」
「あいつは妹だ」
「そう思おうとしているだけじゃないか」
「貴様は何しに来たんだ!? 俺を笑いに来たのか?」
「いや………。失礼した」
恋いに不器用な友人の叱責を聞くと、セントルイスは苦笑した。本当はそんなことを言うために、ここで待っていたわけではなかった。
「スプリガンの手下が先走ったらしい」
「ん!?」
「セレスのテリトリーで、ひと騒ぎ起こしたようだ」
「セレスのテリトリーで?」
イズラエルは鼻先で笑う。
「スプリガンはどうするつもりだ?」
「取り敢えずは静観するようだ。状況に応じては、『学院』の方に顔を出すかもしれん。セーラー戦士とやらが、セレスのテリトリーに集中してくれれば、『学院』の方も、スムーズに事を運ばせられる」
「確かにな………」
イズラエルは頷くと、セントルイスの前を歩いて通り過ぎる。
「動かんのか? お前は………」
「俺が動く必要はない」
そう言うと、イズラエルはそのまま歩き去ってしまう。
「お前には、時間がないんだぞ」
呟くセントルイスは、イズラエルの死期が迫っていることを、感じ取っているようでもあった。