暗転
「な、なによこれ!?」
「なに、これ!?」
「なんだよ、こりゃあ!?」
雪乃の驚きの声を聞いて、そろって窓の外に目を向けたうさぎ、くりちゃん、慎也の三人は、ほぼ同時に、三人三様の驚きの声をあげた。
窓の外に見える光景は、異様だった。天と地が逆様に見える。まるで、幻想の世界にでもいるような錯覚を受ける。
蜃気楼とは全く違うものだと感じられた。景色がはっきりしすぎているのである。現実の光景としか思えなかった。
十番高校の敷地以外は、全てが逆さまの状態で見える。
「結界を張られたわ! それも、かなり強力な………!」
窓の外の光景を見るなり、舞は言った。言ってしまってから、「しまった」という表情をして目を伏せた。結界を張られたかどうかなど、普通の人間には、分からないことなのだ。
つまり今の一言は、自分が普通の人間には持っていない能力があると言うことを、自ら公表してしまったようなものなのだ。
「結界って、どういうことなの!? いい加減なことを言わないでよ、帯野さん!!」
白鳥麗子様ばりに腰に手を当てた雪乃は、やや胸を反らしながら舞を見下すようにした。
「煩いわね! 貧弱な胸を突きだして、なに威張ってるのよ!」
舞は取り合おうとはしない、窓の外に身を乗り出すようにして外の光景を見ている。表情が硬い。
「キーッ! もう悔しい!!」
雪乃はその場で地団駄を踏んだ。その横で、慎也が笑いを押し殺している。「貧弱な胸」という、舞のその意見には、慎也も同感だったからだ。もちろん、直後に雪乃の肘の一発が慎也の腹部に炸裂し、「ぐぇっ!」と呻いた慎也はその場に蹲ってしまった。
校内アナウンスが響く。
教職員は職員室に集まるようにとの教頭の声に、右子はざわめくクラスに響きわたるような大きな声で、教室に待機しているようにと告げると、足早に職員室に向かった。
右子と入れ違いに、まことが教室に走り込んできた。表情が険しい。
「うさぎ! 校庭を見ろ!!」
教室に入ってくるなり、まことは叫んだ。うさぎは弾かれたように、まことに言われるまま校庭に目を向けた。
校庭に男が立っている。たったひとりで。校舎を見上げたまま、微動だにしない。逆様になっている異様な景色にばかり目が行っていたために、校庭に佇む人影に今まで気が付かなかったのだ。
「あいつ!?」
うさぎにもその男の妖気は感じ取れた。普通の人間ではない。
次の瞬間、激震が校舎を揺さぶった。まともに立っていることができない。壁に亀裂が走った。
揺れはすぐに治まった。しかし、次いで絹を切り裂くような悲鳴が、廊下に響きわたった。
「なに!?」
うさぎとまことの反応は早かった。すぐさま廊下に飛び出した。途端に目を見開いた。
「“毛むくじゃら”!!」
廊下には無数の“毛むくじゃら”が徘徊していた。数が多すぎて、完全に把握することができない。
「多すぎる!」
狭い廊下にこれだけの数の“毛むくじゃら”がひしめき合っていては、対応が難しい。変身して戦うにも、ここでは技を放つわけにはいかないのだ。生徒たちを巻き添えにしてしまう可能性が強い。もちろん、クラスメイトたちの目があるから、この場で変身することもできない。
“毛むくじゃら”は、逃げ惑う女生徒たちに襲いかかり、次々と捕らえていた。女生徒たちを助けようとする男子生徒は、ことごとく“毛むくじゃら”の鋭い爪の餌食となっていた。
男子生徒たちの鮮血が、至る所に飛び散っている。
「きゃあ! 助けてぇ!!」
うさぎとまことの背後で悲鳴が響いた。振り向くと、“毛むくじゃら”の大きな腕に捕らえられている雪乃とくりちゃんの姿が見えた。
「くそぉ!」
風のように身を翻し、果敢にまことが挑み掛かった。クンフーの技を駆使し、雪乃を捕らえている“毛むくじゃら”のボディに、強烈な一撃を叩き込んだ。
“毛むくじゃら”は溜まらず雪乃を手放した。恐ろしさのあまり腰を抜かしてしまっている雪乃は、廊下を這うようにして教室に逃げ込んだ。
「ド、ドアを閉めるのよ! 早く!!」
教室の中から、雪乃のヒステリックな声が響いた。雪乃の取り巻きの女の子たちだろうか、瞬時に教室のドアは閉められ、中から鍵が掛けられた。廊下側の窓も同様にして、中から鍵を掛けられてしまった。
うさぎとまことを初め、廊下には数人取り残された形となった。
「マジかよ!?」
まことは吐き捨てるように言った。雪乃は自分たちを見殺しにするつもりなのだ。恩を徒で返すとは、正にこのことだ。
雪乃は自分の身の安全しか考えていない。
うさぎたちのクラスに習ってか、各教室も一斉にドアと窓を閉め、中から鍵を掛けてしまった。
“毛むくじゃら”はそのドアを破るべく、体当たりを慣行している。破られるのは、時間の問題だろうと思われた。教室に立てこもったとしても、逃げ場はないのである。彼女たちの教室は、地上三階にあるのだから。
“毛むくじゃら”がドアに体当たりするたびに、教室の中にいる女生徒たちから悲鳴があがる。
「こんな狭いところにいては、逃げ場がないわ! 移動しましょう!」
うさぎたち同様、廊下に取り残された舞が、“毛むくじゃら”の一体を蹴り飛ばしながら叫んだ。さすがスポーツ万能の舞である。俊敏な動きで、巧みに“毛むくじゃら”の相手をしている。
「あいつの言う通りだ! うさぎ、外へ出よう!」
確かにこのままでは変身もできない。早くどこかに身を隠して、セーラー戦士に変身をしなければならない。
「くりちゃんは!?」
“毛むくじゃら”に捕らわれていた、くりちゃんの姿が見えない。
雪乃は助けたまことだったが、くりちゃんまでは助けられなかったようだ。
すがるようなうさぎの視線に、まことは小さく首を振るだけだった。恐らくくりちゃんは、“毛むくじゃら”に連れて行かれてしまったのだろう。
「なにをしているの!? 早く、こっちへ!!」
舞がふたりを促す。
舞とまことが先頭を切って走り出す。うさぎを初め、数人の女生徒たちがそれに続いた。
その間、うさぎは通信機のスイッチを入れた。司令室にいるはずのルナと連絡を取るためだったのだが、いくら呼び出してもルナからの返事はない。
校庭に出た。
教室の窓から見えた男の周囲に、女生徒たちを抱えた“毛むくじゃら”が集結していた。
男は満足げな笑みを浮かべていた。
「なるちゃん!!」
“毛むくじゃら”が抱えている女生徒の中に、なるちゃんの姿が見えた。気を失っているのか、なるちゃんからの反応はなかった。
チラリと校舎を見上げた。教室の窓から、何人かの生徒たちがこちらを様子を見ている。
しかし、もうこれ以上放っておくわけにはいかない。うさぎは覚悟を決めた。
「ムーン・エターナル………!!」
変身するしかないと判断した。このままでは、みんなを助けることができない。セーラームーンであることがバレてしまうが、やむを得ないと判断した。
「いい加減にしろ!! バイバルス!! ここはあたしの領域だ!!」
突然、舞が叫んだ。うさぎは変身を途中でストップし、驚いて舞を見つめた。
男の周囲の“毛むくじゃら”が、すうっとまわりに散った。男は怪訝な表情で、舞を睨んだ。
「このわたしの名前を知っているとは、あなた何者です?」
バイバルスは煙たいものでも見るように、舞を見る目を細めた。
「バイバルス。ここをあたしの領域( だと知っていて、こんな茶番を演じているのか?」)
「何者だと訊いているのです! わたしの質問に答えなさい!!」
静かに言い放つ舞に対し、バイバルスは声を荒げた。
「舞ちゃん、あなた………」
うさぎも何が何だか訳が分からない。茫然とその場に立ち尽くすのみだ。一緒にここまで逃げてきた生徒たちは、既にこの場にはいなかった。より安全な場所を求めて、どこかに行ってしまったのだろう。
この場にいるのは、うさぎとまことと舞の三人だけだ。
「もう少し、ここの生徒をしている予定だったんだけど、仕方ないわね………。この馬鹿のせいで、計画が台無しだわ………」
舞は憎々しげに言うと、くるりと体を一回転させた。
「あっ………!」
うさぎもまことも、絶句するしかなかった。そこには、顔の右半分を黄金の仮面で覆った女性が立っていたのだ。
「セレスだと………!?」
うさぎたちの代わりに、バイバルスがその女性の名を口にした。驚いたのは、うさぎたちばかりではなかったのだ。
「さてと、あたしはあの身の程知らずに制裁を加えなければならないわ。あなたたちも、早く変身しないと、友達を連れて行かれてしまうわよ」
セレスは何もかも知っているという目で、うさぎとまことを見た。
「あたしたちの正体を、初めから知っていたのか?」
絞り出すような声で、まことが訊いた。セレスは口元を僅かに歪めた。
「もちろんよ………。なかなか楽しかったわよ、あなたたちとのお友達ごっこ………。友達としては、あなたたちは最高だったわ」
「陽子をさらったのは何故だ!?」
「直に分かるわよ………」
セレスは短く答えると、うさぎたちにくるりと背を向けた。
「わたしの領域( を侵した罪は重い。覚悟はできているだろうな!」)
鋭い眼光で、バイバルスを捕らえる。
「ふん。丁度いい機会です………。いずれはあなたも殺すつもりでした。今ここで殺してあげましょう………」
バイバルスは不敵な笑みを浮かべる。自分の能力に、かなりの自信を持っている証拠だった。負けることなど全く考えていない。
「お前ごときに、あたしが倒せるとでも思っているのか?」
セレスは冷ややかな視線をバイバルスに向ける。
「何事もやってみなければ分からないでしょう。影使い( バイバルスの能力) ( 、思い知らせてあげましょう!!」)
バイバルスは全身にオーラを漲らせた。
「さて、じゃあ行くぜ!」
オペラ座仮面は、両腕にパワーを集中させた。
「俺が道を作る。付いてこい」
セーラーサンに向かって言った。
天と地が逆転している空間の正にその接点に、オペラ座仮面は両手を突き出すようにした。オペラ座仮面の手が何かに触れ、激しくスパークする。
「なんて強力な結界だ!」
額に汗を浮かべながら、オペラ座仮面は罵り叫んだ。なおもパワーを集中させ、結界を破らんと必死になる。
固唾を飲んで成り行きを見つめているセーラーサンだったが、それとは正反対にカロンは落ち着き払っていた。余程、オペラ座仮面のことを信用しているのだろう。
「よし、行けそうだ!」
天と地が逆転している狭間に、オペラ座仮面は半身を埋めた。結界を破ることに成功したらしい。
「OK! じゃ、行くわよ」
カロンに促され、セーラーサンは半分だけしか姿の見えないオペラ座仮面の後に続いた。
セレスと対峙するバイバルスの横に、メイムが音もなく姿を現した。
「あたしの結界を破って進入してきた者がいる」
「何!? それは厄介ですね………」
バイバルスは唇を噛んだ。自分たち以外は、全て敵だと判断できた。結界を破ってきた者がいるのだとしたら、それは疑うまでもなく敵である。十三人衆のセレスの怒りを買ってしまった今、このまま後に引くわけにはいかないし、だからと言ってこの状態で戦っては数的に不利である。
「仕方ありません。一気にカタを付けますよ!」
バイバルスはメイムに目配せをすると、何やら呪文を唱えだした。
「ふんっ!!」
気合いとともに、細い針を投げ付けた。針はセレスに当たることなく、地面に突き刺さった。
変身のタイミングを逸していたうさぎとまことにも、針は襲いかかる。しかし、わざわざ避けることもなく、針はふたりの手前で失速し、地面に突き刺さった。
「あ!」
バイバルスの背後に、巨大な暗黒の空間が出現した。円形のその空間に、女生徒たちを抱えた“毛むくじゃら”が吸い込まれていく。
「させるか!」
まことは叫び、変身の呪文を唱える。が、体が動かなかった。金縛りにでも合っているかのように、幾ら力を入れても、動くことができなかった。まことばかりではない。うさぎも同様である。指さえも動かすことができなかった。
それは前方にいるセレスも同じようだった。口を真一文字に結んだまま、真っ直ぐに睨むようにバイバルスに目を向けている。
「どうです。わたしの『影縫い』は………。動くことができないでしょう………。動けぬまま、なぶり殺しにしてさしあげましょう。うしろのふたりのお嬢さんも、しばらくそこでじっとしていて頂きますよ。じきに捕らえてさしあげます」
勝ち誇ったように、バイバルスは高笑いした。メイムも妖艶な笑みを浮かべながら、動くことの出来ないセレスを嘲るように見ていた。
セレスは自分の足下に視線を落とした。幾つかの針が自分の影に突き刺さっている。
「まるで、忍者だな………」
セレスは苦笑して呟く。うさぎとまことも針の存在に気付いた。だが、気付いたとて動けないのだから対処のしようがない。
「さて、どう料理してさしあげましょうか? セレス、あなたのお好みはなんです?」
バイバルスは如何にも楽しそうだ。瞳は異様にギラ付いている。
「動けぬくらいが、ハンデになるとでも思っているのか? 見くびられたものだな………」
セレスは動じていない。動けない状態でありながら、決して焦ってはいなかった。むしろ動けぬ状態を楽しんでいるかのようでさえあった。
「強がるのも、いい加減になさい」
バイバルスはゆっくりと近付いてきた。
「不用意にあたしの体に触れると、痛い目を見るぞ」
セレスは蔑むような目で、バイバルスを睨んだ。男の考えていることなど、手に取るように分かる。女の動きを封じたともなれば、することは限られてくる。
「強がりも今のうちだけです」
瞳に残忍な輝きを浮かべ、バイバルスはセレスの目前で立ち止まった。メイムが呆れたような顔で、背後に感じた気配の方へ視線を走らせる。
「おまえたちかい? あたしの結界を破って侵入してきたのは?」
「なかなか強力な結界だった。通り抜けるのに、随分苦労させられたぞ」
メイムは視線だけでなく、体を侵入者たちの方へ向けた。メイムに答えたのはオペラ座仮面である。その後ろに、セーラーサンとカロンの姿も見える。
「あたしの結界を破って来るなんて、ただ者じゃないわね」
「お褒め頂けて光栄です」
オペラ座仮面は芝居がかった礼をした。その間に周囲に視線を走らせて、状況を確認することも怠らない。
「わたしはお前たちなど招いた覚えはない。お楽しみの邪魔はしないで頂きたい!」
不機嫌な表情になったバイバルスが、先程と同じように無数の針を投げ付けた。
「逃げて! 動けなくなるわ!!」
声を張り上げたのは、うさぎだった。うさぎの言葉に敏感に反応したオペラ座仮面とカロンは、すぐさまその場を飛び退いた。僅かに遅れてセーラーサンも動いたが、影を動かすことはできなかった。
「え!?」
セーラーサンの影に刺さった針は、彼女の動きを封じた。
「邪魔者のセーラー戦士とやらも捕らえることができるとは、きょうはとても素晴らしい日です」
カロンとオペラ座仮面のふたりを取り逃がしたにも関わらず、バイバルスには余裕があった。自らの勝利を確信しているかのようであった。
メイムが素早くセーラーサンの背後にまわり、背後から腕をまわしてその首を締め付けた。
「このお嬢ちゃんの命が惜しかったら、動かないでもらおうか!」
物陰に潜んだカロンとオペラ座仮面のふたりに聞こえるように、メイムは声を張り上げた。
「どうするよ………? 輪っか頭ちゃんは俺がどうにかするとしても、向こうのポニーちゃんと、お団子頭ちゃんはやばいぜ」
オペラ座仮面は物陰から様子を伺う。メイムはまだ自分たちがどこに潜んでいるのか特定しかねているようだ。セーラーサンの首を締め上げながら、視線を周囲に油断なく走らせている。
「下手に動けないぞ。ポニーちゃんとは知らない仲じゃないだろう………」
オペラ座仮面はチラリとカロンを見る。カロンは無言で木の陰から校庭を見つめている。その視線の先には、うさぎとまことがいた。
「さてと、セレス。あなたには死んで頂きます。目障りですからね………。無様ですね、十三人衆ともあろうお人が………」
カロンとオペラ座仮面が動いてこないのを確認すると、バイバルスはセレスの体を舐めるように見た。
「もう一度だけ言う。あたしの体に触れるな」
セレスは真っ直ぐにバイバルスの目を見つめた。その射るような視線に圧倒され、バイバルスは一瞬たじろいでしまった。
「強がりを言うな!!」
自らを奮い立たせるように口調を荒げたバイバルスは、セレスの胸に右手を伸ばした。その刹那。
シュッ! と風を切り裂く音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には、セレスの胸に伸ばしたバイバルスの右手は、手首から先が消失していた。
「!?」
バイバルスは突然の出来事に狼狽えて後ずさった。セレスの足下に、自分の右手首が転がっている。
「その方に手を触れることは許さない!」
上空から声が響いた。セルシアンブルーの髪を靡かせたアイーダが、自分の主に触れようとした不届き者を見下している。
「アイーダ! くっ! 迂闊でしたね!!」
唾を吐き捨てたバイバルスは、悔しげに呻いた。手首のない右腕を目の前に伸ばし、パワーを集中させた。
ニョキニョキと音を立てて、傷口から新たな手首が生えてくる。
「ほう………。再生能力を持っているのかい。さすがはスプリガンの手の者………。いや、もとと言った方がいいかしらね………」
感心したようなセレスの声が耳を打った。
「いったい、どこまで知っているんです?」
「さあ………。どこまでかしらね………」
セレスは不敵な笑みを浮かべた。いったい、どこまで底知れぬ女なのだ………。バイバルスは心の中で呟きを漏らした。
「バイバルス! アイーダはひとりよ! 恐れることはないわ!!」
セーラーサンの首を締め付けながら、メイムは叫んだ。絶妙の力の入れ具合で、窒息死しない程度に首を締め上げている。
「言われなくても分かっています! 一対一なら、お前ごときわたしの敵ではありませんよ!!」
バイバルスは猛スピードで上昇した。いや、それはバイバルス自身ではなかった。彼の影が急激に伸びたのだ。
「お前の目は節穴か?」
自分に向かって迫ってくるバイバルスの影を、アイーダは無表情で迎える。その口元に、僅かに微笑をたたえながら………。
「ぐっ!!」
アイーダを捉えたと思った次の瞬間、バイバルスは背中から胸に掛けて、激痛を覚えていた。鮮血が噴き出している。それが自分のものであると気付くには、僅かばかりの時間を要した。
「な………」
噴き出す血を両手で押さえるようにして、バイバルスはゆっくりと振り向いた。手刀を構えた見知らぬ女性が、直立の姿勢でこちらを見つめていた。その手刀は真っ赤な染められていた。自分の血であることは、すぐに分かった。
「お、おまえ、は………」
やっとのことで声を絞り出した。常人なら即死の傷である。たが、そこはブラッディ・クルセイダースの一員である。倒れそうになる体を、必死に踏み留めた。恐るべき精神力である。
「この一撃で死なないとは、さすがね………」
「お、おま、え、は、何も、の………」
「あたしはセーラーサン。太陽を守護に持つ、始まりの戦士………」
呟くようにそう言うと、手刀を振り下ろした。頸動脈を切断され、さしものバイバルスも鮮血を吹き出しながら絶息した。
「セーラーサンですって!?」
苦しい息の中、幻聴を効いたのかと思い、セーラーサンは自分と同じ名前を名乗った戦士の背中を、霞んだ目で見つめた。
「久しぶりね、うさぎちゃん。そして、まこちゃん」
セーラーサンと名乗った戦士は、暖かな笑みを浮かべながら、ふたりに視線を送った。
「え!?」
「嘘だろ………」
ふたりとも言葉を失ってしまった。セーラーサンと名乗った戦士は、セレスに連れさらわれたはずの美童陽子その人だったのである。
「血色の十字軍 Vol.3」 完