十番街の異変


 登校日である。
 心の安らぎである夏休みの中にあって、一番気の重い一日のひとつである。
 朝寝坊する癖が付いてしまっているため、遅刻しないように早起きするのは、学生たちにとってはひどく苦痛である。登校日などなければいいと思う。
 例によって、寝坊して遅刻をしたうさぎは、まだ寝たりないのか、それとも退屈なのか、教室でうつらうつらと居眠りをしていた。
 別に授業をするわけでもなく、担任の田町右子のおしゃべりや、クラスメイトとの雑談で半日が過ぎてしまう登校日は、非常に無駄な時間だと思っていた。学校へ来るくらいなら、遊んでいた方がいいと思う。
 うさぎだけでなく、クラスの何人かは居眠りをしていたが、普段は口喧しい右子も、今日ばかりは大目に見てくれているようだ。苦笑するだけで、特に咎めることはしない。
 チャイムが鳴り、授業時間が終われば、十分間の休憩時間である。職員室に戻っても特にすることがないのか、右子も教室から出ようとはしない。
 学校の先生たちは、授業のない夏休み中は、いったい何をしているのだろうかと不思議に思う。うさぎにとっては、大いなる謎である。
「おい、月野。いつまで寝てるつもりだよ!」
 休憩時間になり、うさぎの机の側に寄ってきた葵慎也が、丸くなっているうさぎの背中を突っついた。
「煩いわね………。起こさないでよ!」
「お前、学校に何しに来てんだよ………」
「寝に来てるのよ!」
 気持ちよく寝ていたところを起こされたうさぎは、やはり機嫌が悪い。ムッとした表情で、慎也の顔を睨む。気安く体に触られるのも気に入らない。許可なく体に触っていいのは、恋人の衛だけである。
「そ、そんなに怒るなよ………。だから、カレシもできないんだぜ!」
 戯けた仕草で話す慎也は、もちろん、地場衛の存在を知らない。
 何も知らないわりには、知ったかぶって話す慎也に呆れたうさぎは、深い溜息を付いてそっぽを向いた。
「可愛げがねぇなぁ。そんなんじゃモテないぜ」
 さも自分がカレシになってやろうと言わんばかりの慎也の口振りだったが、そんな必要のないうさぎはその言葉を無視した。眠いのである。戯れ言に付き合っている時間はない。
「あんた、なんにも知らないのね………」
 慎也の背後から、くりちゃんが声を掛ける。呆れたように慎也の顔を見る。
「何がだよ?」
 くりちゃんの言葉の意味が理解できなかった慎也は、口を尖らせた。
「深みに填らないうちに忠告しておいてあげるけど、うさぎにはすっごい素敵なカレシがいるのよ!」
「げげっ!?」
 衝撃の事実を聞かされた慎也は、動揺を隠せない。
「ほ、本当か!? 月野!?」
 ひどく慌てふためいて、うさぎに確認する。心なしか、表情は青ざめている。もちろん、うさぎが否定するはずもない。机に突っ伏したまま、再び無視した。
「超美形にして、秀才! ま、あんたと比べると、月とすっぽん。ダイアモンドと石ころぐらいの違いがあるわよ」
「会ったことあるのか、お前!?」
「もちろん!」
 くりちゃんは胸を張った。
「中学の頃から付き合ってたからね。仲間内じゃ知らないヤツはいないわよ」
「しょ、しょんなぁ………」
 がっくりと肩を落とす慎也。
「可哀想にねぇ………。なんにも知らなかったキミが悪いんだよ………。強く生きなさいね。女の子はうさぎだけじゃあないわよ」
 慎也の肩に手を置き、くりちゃんが慰める。恋に破れた慎也は、深い深い溜息を二‐三度付く。どうやら、マジで惚れていたらしい。
 中学校時代から付き合っているうさぎと衛の関係は、くりちゃんが言うように、うさぎの友人なら知らない者はいないほどの公認の仲である。
「………でも、けっこう月野さんが一方的に思っているだけなのかもしれないわよ」
 突然、横槍を入れた来たのは、自称「お嬢様」の真島雪乃である。雪乃は自分以外の女の子が、男にチヤホヤされるのをひどく嫌う。何も知らない雪乃は、うさぎの一方的な片思いだと思い込んでいる。聞くところによると、雪乃にはまだカレシがいないようなので、そう思うことで自分自身を納得させているのだろう。
「また、始まったわ………」
 くりちゃんは、小さくぼやく。クラスの男子でも人気の高いうさぎは、何かと雪乃から目の敵にされている。もちろん、そんな雪乃を、うさぎがまともに相手をするわけがない。雪乃にとっては、それが余計に腹立たしいのだ。自称「お嬢様」というだけあって、プライドだけは東京タワーのように高い。
「最近、ライバルが増えたものね………」
 くりちゃんは、雪乃の肩越しにチラリと見える帯野舞に視線を送った。舞は他の女生徒と一緒に、退任の右子とおしゃべりをしている。変にプライドの高い雪乃と比べると、男子生徒にとっては舞の方が話しやすいようなので、彼女のまわりには、常に何人かの男子生徒が互いに火花を散らしながら、何とか気を引こうと躍起になっている姿が見える。見ていて少々見苦しい争いなのだが、クラスメイトに気になる男性がいないくりちゃんは、冷ややか視線を向けるだけで、特に気にしている様子はなかった。
「キーッ! 悔しい!!」
 顔を真っ赤にして悔しがる雪乃を、優しく慰めてくれるような奇特な人物は、残念ながらこのクラスには存在しなかった。
「あら? なにかしら、あれ?」
 ふと窓の外に目をやった雪乃が、不思議そうな声をあげた。くりちゃんと慎也のふたりは、そろって窓の外に目を向けた。
「え!? な、なにこれ!?」
 クラスの生徒たちに混じって窓の外に目やった右子も、思わず声をあげていた。
「た、大変! 寝てる場合じゃないわよ、うさぎ!」
 くりちゃんのただならぬ声に、レム睡眠に入る途中だったうさぎは、寝ぼけた顔を上げた。
 くりちゃんに言われるまま窓の外に視線を向けたうさぎは、一瞬にして眠気が醒めた。
「!」
 とんでもない光景が、うさぎの視界に入り込んで来たのだ。

 T・A女学院の教室で、やはり休憩時間だったレイも、同じ光景を目の当たりにしていた。
 それは、いわゆる蜃気楼だった。
 十番の街並みが、全て反転して見えている。しかも、ひどくくっきりと見えるのだ。普通の蜃気楼にしては、はっきりと見えすぎるような気がした。
 腕時計型の通信機に、反応があった。授業中などにコール音が鳴ってしまうのは具合が悪いということで、現在の彼女たちの通信機には、バイブレータ機能が付けられていた。普段はそのバイブレータ機能に切り替えて、緊急時のコールに備えている。
 足早に教室を出たレイは、人気のない廊下で、通信機のスイッチを入れた。
「よかった! レイちゃんには繋がったわ!」
 ホッとしたようなルナの声が、通信機から流れてきた。
「どうしたの? 今見える蜃気楼と、何か関わりがあるの?」
「十番高校にいるみんなと、連絡が付かないのよ!」
「誰とも連絡が取れないの!?」
「ええ………」
 ルナの声は、ひどく緊張していた。焦っているのが分かる。
「分かった、ルナ。あたしが見てくる」
 レイとしては、そう言わざるを得なかった。自分に連絡を入れてきたということは、ルナはそれを望んでいるからだと推測できた。
 早々にルナとの通信を終えたレイは、昇降口から外へ出た。
「レイさん!」
 そのレイに、ほたるが声を掛ける。ほたるも十番に起こった異変を感じて、レイを捜しに高等部まで来たのようだ。
「うさぎたちのところに行って来るわ!」
 走り寄るほたるに、レイは早口で告げる。
「うさぎさんたちに、何かあったんですか!?」
「連絡が取れないらしいのよ。確認してくるわ!」
「それなら、あたしも!」
 レイとともに十番高校へ向かおうと意志表示をするほたるに対し、
「いいえ、ほたるはT・A女学院(ここ)に残っていて」
 レイはそう告げた。
「あなたも分かっているでしょう? 女学院の異変に………」
 レイは、声のトーンを急に下げた。真っ直ぐにほたるの瞳を見つめる。
 ほたるは無言で頷いた。
 T・A女学院に登校してきた学生が、異常なほど少ないのだ。確かに夏休みの期間中、避暑地で過ごす者や、海外の別荘で過ごす者も少なくはない。しかし、今年の夏休みは異常すぎる。過半数の生徒が登校して来ないのだ。中等部から数えて六年目のレイにとっても、これほどの事態は初めてだった。しかも、生徒が少ないにも関わらず、教師たちの態度が全く変わらない。まるで、こうなることを知っていたかのような態度なのである。
「フォボスとディモスを来させるわ。何か異常があったら、すぐにルナに連絡するのよ………。せつなさんは?」
「今日は仕事です。天文台に行ってますから、連絡をしたとしてもすぐには戻ってこられないでしょう」
「分かったわ。気を付けるのよ!」
「レイさんも気を付けて!」
 ほたるの声を背中に聞きながら、レイはT・A女学院の正門を潜った。

 十番高校に近付くにつれ、レイの肌が次第にビリビリと痺れ始めていた。肌が泡立ち、全身の毛が逆立っているような感覚に包まれ、レイは思わず足を止めた。
「なんて妖気なの………」
 今まで感じたことのない程の凄まじい妖気だった。レプラカーンがその命を投げ売って召還したデーモンの妖気を、遥かに凌いでいる。目眩すら感じるほどだ。
「くっ!」
 両目をぎゅっと瞑り、頭を強く左右に振ると、レイは再び走り出そうとした。その右手を何者かが掴んだ。
「だれ!?」
 驚いて振り向くレイの目の前に、自分と同じように髪の長い女性が、ややきつそうな瞳に鋭い輝きを携えながらこちらを見据えていた。見覚えのない女性である。レイが振り向くとすぐに、その女性は掴んでいたレイの右手首を放した。
「あなたは、だれ?」
 レイはもう一度尋ねた。
「銀河なびき………」
 女性は自分の名前を短く答えた。声に聞き覚えがあるような気がしたが、誰の声なのか思い出せない。
「あの結界は、おまえひとりの能力(ちから)では撃ち破れない………。火野レイ、いや、セーラーマーズ………」
「何故、そのことを!? あなた何者!?」
 レイの眉が跳ね上がった。素早く身構える。
「そんなに警戒することはない。一応は味方のつもりだ………。まだ、分からないのか? わたしはギャラクシアだよ………」
「ギャラクシア!?」
 驚きのあまり、レイの声は多少上擦っていた。目を見開いたまま、しばし言葉を失ってしまった。
 ギャラクシアはそんなレイの反応には興味がないのか、淡々とした口調で言った。
「おまえのプリンセスは、今、あの結界の中にいる。残念だが、わたしの能力(ちから)だけでは、あの結界を破ることはできない。無論、おまえひとりの能力(ちから)でも無理だ」
「あたしたちが協力すれば、破れるって言うの?」
 普段の落ち着きを取り戻したレイは、確認するように訊いた。
「おそらくな………」
 銀河なびきは、鋭い眼光で前方を見つめた。だが、次の瞬間、その表情が曇った。
「………そう簡単にはやらせて貰えないようだ。敵は随分とおまえたちのことに詳しいようだな………」
 やや皮肉めいた口調でなびきは言うと、前方を顎で指し示した。
 頑丈そうな鎧を身に纏った如何にも怪しげな大男が、巨大なハンマーを軽々と持ち上げながら、無表情でこちらを見ていた。

 十番中学校に登校していたもなかも、教室の窓からその異変を見ていた。
 異様な光景だった。天と地が逆様になっているのである。
「あの方向は、十番高校のある方だわ!」
 窓の外の光景を食い入るようにして見ているクラスメイトたちを背に、もなかは教室を飛び出した。同時に通信機のスイッチを入れる。
「アポロン! 聞こえる!?」
「もなかか!? ………ルナ! もなかから連絡が入った。こっちは大丈夫のようだ! レイの方は? そうか、分かった!」
 “クラウン”の地下の司令室も、かなり混乱しているようだった。普段は冷静なアポロンも、少しばかり声が上擦っていた。
「アポロン! これはいったいどういうこと!? 何が起こっているの!?」
「十番高校の付近に、強力な結界が張られた! 結界の力がかなり強力なため、空間が歪められてあんな光景が見えているんだ!」
「うさ姉たちは?」
「連絡が取れない! レイが十番高校に向かっている。途中で合流してくれ!」
「分かったわ!」
 通信が終わる頃には、もなかは昇降口に差し掛かっていた。靴を素早く履き替え、猛ダッシュで外に飛び出す。
 天と地が逆様になっている不思議な光景が、再び目の前に広がった。
「サン・ソーラー・パワー! メイク・アーップ!!」
 セーラーサンに変身した。この先何が起こるか分からない。変身はしておくべきだと考えた。
 十番中学から十番高校までは、走れば十分ほどで到着する。もちろん、変身して能力アップしているからであり、普通ならその倍の時間は掛かるだろう。
 近付くにつれ、その光景の異常さは、益々激しくなっていた。
 まともに見ていたら、気分が悪くなってしまう。平衡感覚が麻痺してしまっている。真っ直ぐ走っているつもりなのだが、フラフラと足下がおぼつかない。縺れて何度も転びそうになりながらも、セーラーサンは必死に十番高校へ向かった。
 すぐ目の前の景色が反転している。十番高校は、目と鼻の先である。空間がそっくり切り取られたように、そこの周辺だけ完全に反転していた。
「中へ入れるの!?」
 不安は感じたが、行くしかない心に決めていた。セーラーサンは走るスピードをアップさせた。
「!」
 セーラーサンが反転空間に突入した途端に、体が引き裂かれるようなもの凄い衝撃と共に後方に弾き飛ばされた。と、いうより、強引に引き戻されたような感じだ。
 文字通り吹っ飛ばされたセーラーサンは、宙を弧を描きながら舞い、アスファルトに背中から落下した。
「あうっ!」
 したたかに背中を打ち付け、一瞬呼吸が止まる。僅かの間、身動きが取れなかった。
「まったく、無茶するなぁ………」
 素っ頓狂な声が、セーラーサンの耳に届いた。緊迫した状況にあって、その声はひどく呑気なものに聞こえた。
 セーラーサンは痛みを堪えて立ち上がる。そして、声の主を捜す。
「こっちだよ、輪っか頭ちゃん………」
 背後で声が聞こえた。その声の聞こえた方に、セーラーサンは振り向いた。物陰から、ふたつの人影が現れた。
「オペラ座仮面………。それに、セーラーカロン………」
 オペラ座の怪人を思わせる白磁の仮面を付けたマントの男と、シルバー・ミレニアムのセーラーソルジャーのコスチュームを身に付けた女性が、その姿を現した。
「あたしはセーラーカロンじゃないと言ったろう?」
 カロンは途端に不機嫌になる。そのカロンをオペラ座仮面が宥める。
「言わせておけばいいじゃないか。輪っか頭ちゃんたちにも、呼び方は必要だろうよ………。俺がオペラ座仮面なんて、妙な名前が付けられたようにさ」
「………確かに、あんたの場合は、なかなかナイスなネーミングだよ」
 やや嫌みとも取れる口調で、カロンはオペラ座仮面に言った。
「ところで、今日はひとりなのかい? お仲間はどうした?」
 セーラーサンが単独行動していたことが、腑に落ちなかったのだろうか。オペラ座仮面は真っ先にその質問を投げかけてきた。
「こっちにだって、いろいろ事情があるのよ!」
「その様子じゃ、この変な空間の中に、仲間が閉じこめられているね」
 焦っているようなセーラーサンの態度から、直ぐさま事態を飲み込んだカロンは、クルリと振り向くと、天と地が逆様になった空間を見つめた。
「ねぇ、ここへは入れる?」
 カロンのその質問は、オペラ座仮面に向けられたものだ。オペラ座仮面は振り返ると、カロンの横に並んだ。
「ちょいとばかり強力な結界のようだ………。かなりのパワーを使うが、できなくはない」
「結界の中に入れるの!?」
 セーラーサンはオペラ座仮面の前方に回り込む。
「連れていってあげるのは構わないが………」
 オペラ座仮面は、言いながらチラリとカロンに目を向ける。
「中へ入ってからは、助けないよ。自分で仲間を捜すのね。あたしたちには、あたしたちの目的がある」
「ま、そういうことだ。どうする? 輪っか頭ちゃん」
 オペラ座仮面は、セーラーサンの顔を覗き込むようにして見た。仮面の奧の優しげな瞳が、一瞬だけ見えたような気がした。
「もちろん、連れていってもらうわ! でも、もう少しだけ待って。仲間が来るの………」
 セーラーサンのその言葉が、言い終わらないうちに、十番商店街の方向で、ドーンというもの凄い衝撃音とともに、巨大な火柱が上がった。
「お仲間は来そうにないな………」
 天を焦がすまでに吹き上がっている火柱を仰ぎ見ながら、オペラ座仮面は諦めたように呟いた。戦闘が行われているだろうということは容易に推測が付く。この場合、戦っていると考えられるのは、十番高校に向かっているはずのマーズだと考えられる。付き合いの浅いタキシード仮面のことは、セーラーサンは連想できなかった。
「仕方がないわ。あたしひとりでも行くわ!」
 あの火柱が上がった場所に、セーラーマーズがいることは確実だろう。マーズは何者かと戦っているのだ。もはや自分と合流することはできない。
 セーラーサンは、そう判断せざるを得なかった。
「よし! 行くぜ!」
 オペラ座仮面は、気合いを込めた口調で言った。

「これ以上ここで戦ったら、商店街が壊れてしまうわ!!」
 大男の巨大なハンマーのひと振りを、素早い動きで躱しながら、マーズはもうひとりの大男と戦っているギャラクシアに怒鳴った。
「そうは言っても、あたしもお前も疑似空間を作れない。破壊された街は、あとでセーラームーンに直させればいい! 今は諦めろ!!」
 既にギャラクシアは、大男に対して手加減をしていない。ビルごと吹き飛ばす覚悟で、強烈な技を連発していた。それほど、大男は手強かった。
 自分の体の倍はある巨大なハンマーを、片手で軽々と振り回すのだ。恐るべき怪力である。呻りを上げるハンマーをまともに食らったら、一溜まりもないだろう。彼女たちがするりと躱すことで空振りしたハンマーによって、見るも無惨に砕かれたアスファルトが、その破壊力を物語っていた。
「ガザ! ギザ! 何を手こずっている!?」
 唐突に女性の声が響いた。
 大男たちはセーラー戦士に対する攻撃の手を休め、ビクリとして声のした方に顔を向けた。 セルシアンブルーの美しいショートカットの髪の女性が、宙空にふわふわと浮いたまま、ふたりの大男を鋭い眼差しで見下ろしている。キロンである。
「まったく、力だけしか能のないマヌケなやつらだね! 少しは頭を使った攻撃をしなさいよ!」
 キロンは吐き捨てるように言う。確かに大男の攻撃は、ハンマーをブンブンと振り回しているだけで、特に作戦というものは感じられなかった。マーズもギャラクシアも、確かにパワーに押されて防戦一方ではあったが、手こずっているだけで苦戦しているわけではなかった。反撃の糸口を探っていただけなのだ。
「とっとと、片づけておしまい! モタモタしてると、お怒りを買うよ!」
 キロンの言葉にビクリと反応した大男のガザとギザは(ふたりとも同じ顔をしているので、どっちがガザで、どっちがギザなのかは全く判別がつかない)、捨て身の猛攻に出た。
 奇声を発して、ふたりのセーラー戦士に頭から突っ込んで行った。
「なっ!?」
 キロンは絶句してしまった。ふたりの大男の馬鹿さ加減に。ガザとギザにしてみれば、キロンに言われたことを、正にその言いつけ通り、素直に忠実に行動に移した訳なのだが、キロンの言う本筋を理解していなかったのである。キロンは頭を使えとは言ったが、頭で攻撃しろとは言ってはいない。
「ファイヤー・ソウル!」
「ギャラクティカ・クランチ!」
 大男のあまりにも無謀な攻撃に、一瞬茫然としてしまったふたりだったが、すぐに気を取り直して攻撃を加えた。
 全くの無防備の状態で突っ込んできたガザとギザのふたりは、その攻撃をまともに食らってもんどり打って倒れた。致命傷にならなかったのは、ただ単にふたりが頑丈だっただけにすぎない。
「直撃を食らって平気だとは………」
 大男のあまりにもの頑丈な頭に、舌を巻いたギャラクシアだったが、
「なかなか頭の切れる部下を持っているじゃないか!」
 キロンに向かって嫌みの言葉を放つ。
 キロンは頬をピクピクと痙攣させた。
「この役立たずの木偶の棒が!!」
 遂に堪忍袋の緒が切れたキロンは、凄まじい形相で吐き捨てるように叫ぶと、その全身を青白い光で包み込んだ。空間がビリビリと振動し始める。
「死ね!!」
 鋭い眼光でマーズとギャラクシアのふたりを捕らえたキロンは、ガザとギザがいるにも関わらず、無数の光弾を放った。
「なっ!?」
 マーズは絶句する。ギャラクシアは頭上を睨みあげた。
 高速で飛ぶ光弾は、マーズとギャラクシアの頭上から一気に襲いかかる。
「くっ!」
 ふたりはガードしたが、その破壊力を封じることはできなかった。ふたりの足下のアスファルトを砕き、土砂を巻き上がらせながら、無数の光弾は同時に炸裂した。
 辛うじてガードしたふたり目掛けて、更に追い打ちを掛けるように光弾が降り注ぐ。
 ふたりは激しい衝撃に弾き飛ばされる。
「なんて技だ………」
 不覚を取ったとばかりに、苦虫を噛み殺したような表情でギャラクシアは起きあがる。体に受けたダメージは、計り知れないものがあった。
 第一波はガードしたが、第二波めは殆ど直撃に近かったのだ。第一波をガードしたところで、安心してしまった結果が、第二波めの直撃を生んだのだ。
「う、迂闊だった………」
 ヨロヨロと立ち上がったギャラクシアは、歯軋りをする。
「ちっ………!」
 傍らのマーズに目をやり、舌打ちをした。深手を負ったマーズは、立ち上がることができない。意識は失っていないが、とても動ける状態ではなかった。
「あ、あたしが足手まといになるなんて………。あたしのことは、構わないでいいから………」
 力無いマーズの声がギャラクシアの耳に届いた。
「………もちろん、そうさせてもらう。悪いが、お前を守ってやる自信がない。あの世で会うことができたら、詫びを入れさせてもらうよ………」
 ギャラクシアは朦朧とする意識の中で、上空に浮かんでいるキロンを捕らえようとした。巻き上げられた土砂に遮られて、その姿を確認することは出来なかった。
「………まったく、失礼な話だ。このわたしが、まるでザコ扱いじゃないか………」
 ギャラクシアは悔しげに呟いた。足に力が入らない。立っているのもやっとだった。その精神力で立ち上がることはできたものの、ギャラクシアも既に戦える状態ではなかった。
「ギャ、ギャラクシア! 右!!」
 絞り出すような声で、マーズは叫んだ。
「!」
 耳に届いたその声に反応したギャラクシアだったが、僅かに顔を右に動かしただけだった。ハンマーを振り上げる大男の姿が瞳に移ったが、次のアクションを起こすことはできなかった。
「お前たちのタフさを、忘れていたよ………」
 キロンは仲間を犠牲にして攻撃を放ったわけではなかったのだ。ふたりの大男の体の頑丈さを、ちゃんと計算に入れていたのである。
 ギャラクシアは瞳を伏せた。動けない以上、覚悟を決めるしかなかった。
 巨大なハンマーが正に振り下ろされそうになる刹那、突如として地鳴りとともに足下が激しく揺らいだ。もともと足下がおぼつかなかったギャラクシアは、崩れるようにその場に膝を付
た。
 そのギャラクシアの横で、ハンマーを頭上に振り上げた格好の大男───どうやらガザらしい───が、バランスを崩した拍子にハンマーを握る手を離してしまい、そのままハンマーは
ガザの頭を直撃した。
 強固なる体を持つガザも、このハンマーの重さにだけは耐えきれなかった。柘榴のように割れた頭から噴水のように血を噴き出させながら、呆気なく絶命した。
「なんだ!? 今の揺れは!?」
 結果として自分を救ってくれた今の揺れは、ギャラクシアにとっても予想外の出来事だった。 地震が起こったにしては、あまりにも偶然すぎる。
 考え倦ねているギャラクシアは、再び予想外の展開を目の当たりにした。
 深手を負って、身動きが取れない状態のマーズに襲いかかろうとしていたギザの大きな体が、何かに弾き飛ばされたように宙を舞ったのだ。その大きな体に、強烈な衝撃波が直撃した。ギザは断末魔の悲鳴をあげる間もなく、消滅していった。
「とんだ邪魔が入ったようだ! 勝負は預けておく!!」
 粉塵が治まって、再び姿が確認できるようになっていたキロンは、捨て台詞を残すと、さっさと立ち去ってしまった。
「逃げられたわ!」
 悔しげな声が、ギャラクシアの耳を打った。
「構わない。ふたりの手当ての方が先決だ」
 マーズの耳元で、聞き覚えのある低い声がした。
タキシード仮面(まもるさん)………」
 自分の顔を覗き込む、深い瞳が見えた。
 マーズとギャラクシアの窮地を救ったのは、タキシード仮面とセーラーアースだったのである。
「大丈夫。その程度の傷なら、あたしにも治せるから………」
 まるで夢でも見ているかのような表情のギャラクシアに、アースは微笑みながら手を差し伸べた。
タキシード仮面(まもるさん)、うさぎたちが結界の中に………。助けに行かなきゃ………!」
 タキシード仮面のハンドヒーリングによって、傷を治療してもらっていたマーズが、思い出したように言った。強敵との遭遇で、すっかり忘れていた自分の本来の目的を思い出したのだ。
 タキシード仮面は、その深い瞳で真っ直ぐにマーズの目を見つめると、
「分かっている。そのためには、ふたりの能力(ちから)が必要だ」
 アースに治療を受けている、ギャラクシアに視線を動かした。
 真っ先に結界に向かうと思われたタキシード仮面が、アースを伴ってマーズたちのもとに現れたのには、もちろん、彼なりの深い考えがあってのことなのだ。