からくりお里の最期


 冷凍ガスの噴出は、一向に治まる気配がなかった。
 結界を張ってガスに耐えているタキシード仮面だったが、既に一時間近くも結界を持続させているために、体力が限界に近付いてきていた。
タキシード仮面(まもちゃん)、大丈夫………?」
 苦しげな呼吸のタキシード仮面の大きな体に包み込まれているうさぎは、不安そうにその表情を覗き見た。
「心配するな。お前は俺が守る」
 相変わらず、表情は優しかった。その深い吸い込まれそうな瞳は、以前と何ら変わりがない。自分を見つめてくれる瞳は、今までと全く変わりがなかった。
「ごめんね………。まもちゃんのことが信じられなくて………」
「うさが謝ることはない。俺がちゃんと話していれば、うさが不安がることはなかったんだ………。まさか、日本でも同じ様な事件が起こっているとは思っていなかった。俺とあいつのふたりで、解決しようと思っていたんだ」
「あいつって、あの女の子のこと………?」
 うさぎはまた、不安な表情になる。タキシード仮面は優しく微笑んだ。それはうさぎの不安を消し去ってくれるような、優しい笑顔だった。
「彼女はセーラー戦士だ。何故転生してきたのかは分からないが、あいつは前世では俺の妹だった。もちろん、前世ではセーラー戦士としての力は持っていなかった。転生してきた理由にも、その辺りに秘密があるのかもしれない………」
「あの娘()が、セーラー戦士………。まもちゃんの、前世での妹………」
「あいつは両親を失ったショックで、セーラー戦士に覚醒した。俺と出会ったのは、本当に偶然だった。いや、もしかしたら、定められていたことだったのかもしれないな………」
「ご両親を………?」
「ああ………。ブラッディ・クルセイダースに殺されたんだ。だから、あいつはやつらを激しく憎んでいる」
「そうだったの………」
 だから、衛が一緒に行動していたのかと、うさぎは理解した。彼女を守らなければいけないと、判断したからなのだろう。衛とは、そういう男だった。
ジュピター(まこ)と操がなんとかしてくれる。俺たちは、もう少し辛抱しよう………」
 タキシード仮面は、再び優しい笑みを浮かべた。その笑顔だけで、うさぎの心は満足していた。

「驚いたわ。お嬢ちゃんもセーラー戦士だったなんてね………」
 驚きとも、諦めともつかぬお里の声が、スピーカーから流れた。
 なるちゃんは呆気にとられて、セーラー戦士に変身した操を見ている。
 ジュピターはここで初めて、衛が操と行動していた理由を悟った。やはり、衛には衛なりの考えがあってのことだったのだ。帰国していることをうさぎに教えなかったことも、もちろん理由があってのことだろう。
 セーラーアースはジュピターをチラリと見て、にこりと笑った。ジュピターも全て理解したという風に、笑みを返した。
「なるほどお嬢ちゃんがセーラー戦士だったなんて驚きだけど、いったい何が出来るって言うの?」
 挑戦的なお里の声が流れてきた。確かに見た目だけでは、セーラーアースは今囚われの身となっているジュピターよりは、脆弱そうに見える。
「見かけだけで判断すると、痛い目に遭うわよ」
 セーラーアースは余裕の笑みを浮かべる。待機中の三人の十文字の前に、無防備な状態で立ちはだかる。
「もういいわ、坊やたち。お嬢ちゃんは死にたいらしいから、望み通り殺してあげなさい。もちろん、その前に死ぬほど恥ずかしい思いをさせてからね………」
 モンスターへと変貌している三人の十文字は、同時に頷くと、無数の触手を伸ばしながら、無防備なセーラーアースに向かって突進してきた。
「触手のウネウネって、あたし、嫌いなのよね………。見るに耐えない姿だわ。消えちゃいなさい!」
 右手に“気”を集中させると、凪払うように振り下ろした。
 勝負は一瞬だった。突進してきた三人の十文字は、瞬く間に肉片と化した。
「何だ!? 今の技は!?」
 ジュピターにも今の技は見えなかった。気が付いたときには、十文字は粉々になっていたのだ。
「なかなかやるじゃない。でも、このシールドは破れないわよ」
 自信たっぷりのお里の声だった。自分を守っているシールドに、よほどの自信があると見える。確かに、ジュピターには破ることはできなかった。だが、それはまわりへの影響を恐れていたがために、強力な技を使えなかったためである。そのことに、お里は気付いていない。
「セーラー戦士の力を、甘く見ない方がいいわよ。あたしには、こういうことが出来るんだから………」
 口元に笑みを称えながら、セーラーアースは水槽の中のお里の脳を、蔑むように見た。
 一瞬の静寂のあと、突如として、地鳴りとともに大激震が襲ってきた。その激しい横揺れのため、まともに立っていることもできなくなってしまったなるちゃんは、床に尻餅を付いた。
「地震………?」
 手足を拘束されているジュピターには、それほどの衝撃はないが、それでもかなりの揺れは感じた。
 セーラーアースだけは、何事もないように、平然とその場に立っている。
「な、なに!?」
 さすがにお里も驚いたようだ。狼狽しているのか、声が震えている。
 次の瞬間、どーんという衝撃とともに、床が突き上げられた。お里の脳が納められている水槽の装置の周辺が捲れ上がり、灼熱のマグマが噴出してきた。噴き出されたマグマは天井を焦がすと、再び下へと逆流する。お里自身が絶対の自信を持っているだけあって、マグマはシールドに遮られてセーラーアースたちの元までは流れ込んでこない。核爆発にも耐えるという天井も、僅かに焦げているだけで、傷ひとつ付いていない。この部屋の真上にいるであろうタキシード仮面とうさぎには、全く影響はないはずだ。
 全てはセーラーアースの計算通りである。
 灼熱のマグマは、すぐに消滅した。無惨にも破壊された装置類から、火花が飛び散っている。
「ぎゃー!!」
 お里が悲鳴をあげている。水槽は割れ、中にあった溶液は蒸発してしまっている。装置も原型を留めていないほど破壊されていた。バチバチと火花を散らしながら、尚も小さな爆発を繰り返している。
「どお? 地下から吹き上げられたマグマの味は………? これがあたしの能力よ。あたしは自在に地脈を操ることができるの」
 自慢げな笑みを浮かべ、セーラーアースは言った。
「床も核攻撃に耐えるようにしておくべきだったわね。もっとも、自然の力って、時には核を凌ぐ破壊力があることも知っておくべきね」
 腰に手を当て、余裕の態度でセーラーアースは言う。勝利を確信した自信溢れる表情で、お里の頭脳体を見つめている。
「た、助けて! 助けておくれ!! 予備の水槽に、あたしを移しておくれ!! の、脳が! あたしの大事な頭脳が乾燥してしまう!!」
 お里の声は、泣きべそをかいているように聞こえた。つい先程のまでの自信に満ちた声と同一人物だとは、とても思えないような情けない声だった。
「助けてあげてもいいけど………。まずはセーラージュピターを解放しなさい。それから、上のフロアのふたりに対する、冷凍ガスの攻撃もね」
「分かった、分かったわ! 言う通りにするから、早く助けておくれ!!」
 今にも泣き出しそうな声で、お里は哀願する。
 ジュピターが解放された。上の階のふたりに対する冷凍攻撃も、中止したに違いない。
「けっこう素直じゃないか………」
 手首を揉みほぐしながら、ジュピターはアースの横に並んだ。
「シールドを解除して、でないとそっちにいけないわ」
 セーラーアースの声に反応して、シュッという音とともにシールドは解除された。
「は、早くしておくれ! 脳が乾燥してしまうぅ! 早く溶液に浸しておくれぇ………」
 何とも情けない声で、お里は哀願している。少し前までの威勢は、もうどこにもない。
「溶液って、どこにあるの?」
「右の装置に、予備の水槽がある! は、早く!!」
「右の装置? そんなものないわよ」
 確かに、お里が言う右には、装置などは存在しなかった。あるのはドロドロに解けた鉄片だけである。
「残念ね、壊れちゃったみたい」
「そ、そんなぁ………!! じゃ、じゃあ奥の部屋に、べ、別の予備の水槽があるわ!」
「床が壊れててて向こうに行くのは無理ね。もう、諦めなさい………」
「い、いやよ! 死にたくない! 助けて! お願いだから!!」
「お別れね、お・ば・さ・ん!!」
 セーラーアースはトドメの一撃を放った。お里の脳はぐしゃりと潰れる。
「お前、やっぱり性格悪いよ………」
 もともとお里を助ける気などなかったアースに、ジュピターは嫌みを言った。

 夜もすっかり更けていた。涼しげな風が、肌に心地よい。
 まことは静寂を取り戻した、ホテル“クロスロード”を見上げた。頭脳体を失ったホテルは、もはや人を襲うことはない。隣の部屋にあった十文字の再生装置も、完全に破壊した。
「ごめんね。なるちゃんまで巻き込んじゃって………」
 うさぎはなるちゃんに詫びた。一歩間違えば、なるちゃんとて無事ではすまなかったのだ。
「あたしとうさぎの仲じゃじゃない。なに水臭いこと言ってんのよ!」
 なるちゃんの笑顔は、うさぎの心を和らげてくれる。
「なるちゃんがあたしのこと見つけてくれなかったら、あたしどうなってたか………」
 十文字とうさぎがホテルに入ったところを見つけたのは、他でもないなるちゃんだった。なるちゃんが、うさぎがホテルに入ったことを、まことたちに教えたのだ。だれにも見られずホテルに入っていたら、うさぎは今頃生きてはいなかったかもしれない。
「あたしのことは、もういいわよ。………それより、仲直りしたの?」
 なるちゃんは、うさぎの脇腹を肘で小突いた。
「え!? う、うん………」
「なぁに? はっきりしないわね!」
 曖昧な返事をするうさぎを、なるちゃんは横目で見やる。まことが近寄ってきて、なるちゃんにウインクした。
「邪魔者は消えた方がいいみたいだよ」
「そうね」
 なるちゃんは頷く。まことは衛の横から離れない、操を大声で呼んだ。
「邪魔者は帰るよ!」
「え!? 帰るって言ったって、あたしは“まーくん”のアパートに泊めてもらうから、まことさんたちは帰っていいですよ………」
 操はあっけらかんとして言う。
「駄目だよ! まもちゃんの部屋には、今日はうさぎが泊まるんだから………。あたしんちに泊まんなよ!」
 まことは操の腕を引っ張った。
「ええーっ!? なんでぇ!?」
「いいんだよ! ふたりっきりにさせてやろうよ、今晩ぐらい………」
 嫌がる操を、強引に引き留めた。
「で、でもまこちゃん。それってまずくない?」
 なるちゃんは少々慌てている。まことの言っていることの意味を理解して、僅かに頬を赤らめている。
「いいの、いいの! うさぎにひと夏の経験をさせてやろうよ」
「もの凄いことを、あっさりと言うわね………」
「だ、駄目よ! あたしは認めないわよ!」
 操がまことに食ってかかる。
「いいから、いいから………。じゃあね、うさぎ! まもちゃん! ほどほどにね………。うさぎ、明日感想を聞くからね。あたしたちの、今後の参考のために………」
 いひひと、嫌らしげな笑いをすると、まことは未だに抵抗を続ける操をずるずると力任せに引っ張っていく。なるちゃんも頬を赤らめながら、バイバイと手を振ってから、まことたちを追った。
 取り残された形になったうさぎと衛は、一瞬見つめ合うと、同時に頬を赤らめた。ようやくまことの言っている意味に気が付いたのだ。
「ま、まいったな………」
 衛は冷や汗を浮かべながら後頭部を掻いた。他人にこうも見透かされてしまうと、かえってやり辛くなってしまう。(って、何を?)
「ま、まもちゃん。あ、あのね………」
 うさぎが話を切り出そうとしたとき、無情にも通信機の呼び出し音が鳴り響いた。
 操を引きずって、大股で歩いていたまことの通信機も、同じように反応した。
「あちゃぁ………」
 まことは項垂れて、通信機のスイッチを入れた。
「ま、まこちゃん!? いったいどこにいるのよ!!」
 腕時計型の通信機から、ルナの慌てた声が流れてきた。
「ど、どこって………。十番にはいるけど………」
「今まで連絡が取れなかったじゃない!」
「あ、いや。ちょっと訳ありでね………。それより、どうしたんだ? そんなに慌ててさ………」
 うさぎと衛のふたりが近寄ってきた。うさぎも通信機のスイッチをオンにしている。せっかくのムードもぶち壊しだった。
「こっちはいいムードだったのに………」
 まことは小声で愚痴った。もちろん、ルナには聞こえないようにだ。
「ルナ、何かあったのね」
 ルナの尋常でない様子を、うさぎは敏感に感じ取っていた。
「うさぎちゃんもいるの!? 何かあったの?」
 ルナが聞き返してきた。ルナは勘のいい女性である。うさぎとまことの身に起こったことを、直感で感じ取ったようだ。
「大丈夫。こっちはすんだよ」
 まことが言う。
「どうしたんだ? 緊急事態なのか?」
「ほたるともなかが、行方不明なの!」
「え!? まさか………!?」
 嫌な予感が、うさぎの脳裏を横切る。
「まだ分からないわ。とにかく、司令室に来て!」

 フォボスとディモスはカラスの姿のまま、薄暗くなってきた十番街の上空を旋回していた。上空から地上を探るように、レイから指示を受けていたのだ。十番街に異常がないか、上空からチェックするために、三日ほど前から始めたパトロールである。今日に限っては、別の任務も受けていた。ほたるともなかのふたりの姿を捜すようにと、先程指示を受けていた。
 時には電柱に止まり、少しでも怪しげな場所は、納得がいくまで調査する。ふたりを捜すようにと指示を受けてから、十数分がが経過しているが、今のところふたりは発見できていなかった。十番街はさして広くはないので、確認するだけなら数分で終わる。建物の中を虱潰しに当たるわけにはいかないので、上空からの捜索には限界がある。
 本物の烏の一群が、西の空を過ぎる。
 それを横目でチラリと見ながら、フォボスとディモスは何度めかの旋回をした。
 ドーン!!
 いきなりだった。ふたりの真下に近い位置だった。瞬時にポイントを移動していなければ、巻き添えを食ったかもしれない。轟音が轟いたかと思うと、地上から強烈なエナジーが噴出してきた。空間が震動した。
 下は確か教会だった。今では全く使われていない、寂れた教会である。そこが爆発した。
(なに!?)
 あまりの出来事に、フォボスもディモスも茫然としてしまった。
 突然のエナジーの噴出。教会の地下で、何事かが起こっているのは明白だった。強烈なエナジーを持つ者同士が、激しくぶつかり合っている。そう感じた。
(フォボス!)
(分かっているわ! ディモス!!)
 二羽のカラスの体が、光に包まれる。フォボスとディモスは人間体へとチェンジする。カラスの姿でいる必要は、もうなくなった。もし相手が敵の場合は、当然戦闘になる。それにはカラスの姿のままでは戦闘能力に乏しい。
 地面から噴煙が上がっている。もの凄い量の土砂が巻き上げられていた。
 尋常ではない。何やら凄まじい妖気も感じる。妖気に混じって、知った“気”を感じ取ることができた。
「ディモス、この“気”は………!?」
「うん。間違いない」
 ふたりは頷き合う。
「レイ様!!」
 ふたりは同時にテレパシーを送った。