からくりのお里


 お里と名乗った声は、甲高い笑いを発した。
 何とも古めかしい、純日本風の名前だろうとなるちゃんは思った。操も同様の感想を持ったようで、なるちゃんと目が合うと、僅かに口元を緩めた。
「人は名前で判断しちゃいけないのよ、お嬢ちゃんたち………。もちろん、顔だけで判断してもね………」
「カメラがあるの!?」
 今の自分たちの僅かな行動を見られたと判断した操は、廊下のそこかしこに視線を走らせた。だが、カメラらしきものは発見できなかった。先程の部屋でも同様だった。カメラの「カ」の字も見つけられない。
「いったい、どこであたしたちを見ているんだ!?」
 お里はおそらく、どこかの一室で自分たちの行動をモニターテレビで見ているのに違いない。姿の見えない敵に対し、ジュピターの怒りは頂点に達しようとしていた。
「どこにいる!? 姿を見せろ!!」
 タキシード仮面が、声を荒げた。
「あら、あたしはあなたたちの目の前にいるわよ」
 悪戯っぽいお里の声が返ってきた。甲高い笑いが、タキシード仮面の神経を逆なでする。タキシード仮面は唇を噛む。
「目の前って………。あたしたち以外、他には誰もいないわよ………」
 なるちゃんは不思議そうに周囲を見回し、最後にうさぎに視線を向けた。うさぎはジュピターに隠れるようにして、下を向いたままでじっとしていた。おそらく、タキシード仮面のいる位置からでは、まともにうさぎは見えないはずである。うさぎは意図的に、タキシード仮面からは見えない位置に立っているとしか思えなかった。うさぎの心にできた傷は、かなり深いものだと想像できる。
「ふざけないで!! あなたは透明人間だとでも言うの!?」
 うさぎことを心配しているなるちゃんをよそに、事態は更に展開していた。操が怒鳴るような声で、姿の見えないお里に対し怒りをぶつけていた。
「威勢のいいお嬢ちゃんね………。生憎とあたしは、透明人間でも、ましてや幽霊でもないわよ」
「どういうこと………?」
 操は合点がいかないように、首を傾げる。
「………お馬鹿さん。まだ分からないのかしら………」
「いったい、どこにいるって言うのよ!? あたしたちの中に、紛れ込んでいるとでも言う気!?」
 操は声を荒げる。
「いや、やっぱりどこかの部屋で、モニターを見ているに違いない。偉そうなことを言ってはいるど、こいつは臆病者さ」
 ジュピターは舌打ちする。
「オホホホホ………。本当にお馬鹿さんね。だから、お嬢ちゃんだと言うのよ………。そんなことで、よく今まで無事でいられたわね。相手がよっぽど間抜けだったのね」
「うるさい!! いいかげん、姿を見せたらどうだ!? 出てこないというなら、このホテルの部屋を、ひとつひとつぶっ壊すよ!」
 ついに堪忍袋の緒が切れたジュピターは、全身にパワーを集中させた。まず第一の目標は、目の前にある部屋だ。
「いや、待てジュピター(まこ)! もしかすると、この………」
 タキシード仮面の表情が、僅かに強張っていた。緊張したように、周囲に視線を走らせる。 そのタキシード仮面に答えるかのように、甲高い笑い声が響いた。
「まあ、お利口さん。さすがはドイツで、あたしたちの邪魔をしてくれただけのことはあるわね。そうよ。このホテルがあたし、あたしがからくりのお里………」
「何だって!? じゃあ、あたしたちは敵の腹ん中にいるってのか!?」
「そう。だから逃げられないって、言ったでしょう?」
 お里の嘲るような笑いが響いた。
「………だったら、壁をぶち壊して逃げるまでだ!」
 先の十文字との戦いで、それほど大きな技を使わなくても壁が破壊できるのは実証済みだ。ならば強引に壁を破壊して、外に出ればいいだけのことである。
「これ以上、部屋を破壊されてはたまらないわ。営業に差し支えるものね」
「今日限り、営業はできないよ」
「さあ、どうかしらね………。では、ショータイムといきましょうか」
 お里の言葉が途切れたと同時に、だしぬけに浮遊感が襲ってきた。そして、落下。床が彼女たちのまわりだけ消滅したのだ。しかも、それは五階のフロアに限ってのことではない。四階も、三階も、全てのフロアの床が消滅していた。しかも真っ直ぐな落下ではなかった。右に左にくねりながら、かなりの時間落下した。
 更に三‐四階層分のフロアを落下すると、ようやく底が見えた。
 ジュピターはなるちゃんを抱え、タキシード仮面はうさぎと操のふたりを落下中にキャッチすると、危なげなく着地した。
「ジェットコースターだな、まるで………」
 タキシード仮面は舌打ちする。
「くそぉ! どの辺だ? ここは………」
 ジュピターは誰に問うともなしに訊いた。五人が落とされた先は、コンクリート製の通路のただ中だった。先程までいた廊下より、少し広めだった。
 空気がひんやりと冷たい。
「八階分落とされたわ。つまり、あたしたちは地下三階にいる計算になるわね」
 ひどく断定的な言い方をしたのは、操だった。よほどの自信がなければそう言う言い方はできない。しかも、このような状況下に置かれているにも関わらず、ひどく落ち着いていた。ジュピターには、それが腑に落ちなかった。
「随分と落ち着いてるじゃないか。気に入らないね、その態度」
「どんなときでも、冷静さを失ってはだめよ」
「生意気な口を叩くね」
 不満げに操を睨んだ。自分が馬鹿にされているようで、ジュピターとしては面白くない。「まもちゃんの連れだからと思って遠慮していたけど、あたしはお前を信用しているわけじゃないからね」
「あたしがスパイだって言うの? 面白い冗談を言うのね、先輩………」
「お前に先輩呼ばわりされる覚えはないよ!」
「ふたりとも、いい加減にしないか! 仲間同士で言い争っている場合じゃない!」
 熱くなり始めたふたりを、タキシード仮面が窘めた。
「ごめんなさい」
 甘えた声で、操はタキシード仮面に対して謝る。ジュピターは頬を膨らませ、プイと横を向いてしまった。その視線の先に、うさぎがいた。うさぎは俯いたまま、今の言い争いを聞いていたようだ。ジュピターの視線に気付くと、「あたしなら大丈夫」とでもいう風に、笑みを浮かべて見せた。作り笑いだと、はっきり分かる笑顔だった。
「さあ! とっとと天井をぶち壊して脱出しよう。こんなところに、長居は無用だよ。あたしは早く確かめたいことがあるんだ」
 そう言いながら、ジュピターはタキシード仮面を睨む。衛と操の関係を、まだはっきりと説明してもらっていない。
「………そう簡単には、逃げられないわよ」
 通路に、お里のからかうような声が響いた。
「どういう意味だ!?」
「少し歩いてもらえば分かると思うけど、この地下はけっこう広いのよ。しかも、あなたたちは真っ直ぐにそこに落ちたのではなく、落とされるときに、内部でかなり移動していたのはご存じ? そこまで言えば、もうお分かりよね?」
「それが何だって言うんだ!?」
「闇雲に天井を突き破ろうものなら、このホテルとは何の関係のない建物にまで被害が及ぶと言うことだ。考えたな………」
 お里の言っている意味を理解できていないジュピターに、説明するような口調でタキシード仮面は言うと、悔しげに唇を噛んだ。
 タキシード仮面の言葉を受けて、ジュピターは天井を見上げた。もし、この地下フロアが崩れることになれば、当然この上の地面も崩れる。地下フロアの広さが、いったいどれほどのものなのかは判断できないが、お里の自信ありげな口調からすると、かなりの広さがあると思われる。下手に崩せば、上の十番街にも被害が出てしまうことになる。
「どうすればいいんだ………」
 考えあぐねた末、ジュピターはタキシード仮面に目を向けた。ここはやはり、タキシード仮面の考えに頼るしかない。察するところ、タキシード仮面は既に対策を考えていると感じられた。
「お里の頭脳体を捜すんだ」
「は!? ずのうたい?」
 聞き慣れない言葉に、ジュピターは首を傾げた。言葉の意味を、すぐには理解できない。
「ああ、そうか!」
 なるちゃんが、ポンと手を叩いて頷く。タキシード仮面が言わんとしていることを、いち早く理解したようだった。
「このホテルが生命体である以上、どこかに指令を出している頭脳体があると言うことなんですね」
 なるちゃんの言葉を聞き、ジュピターも納得する。生命体だとはかぎらないんだけど、と操が小さい声で言ったのだが、誰の耳にも届かなかった。
「なるほど。そいつを破壊すればいいんだな! ………聞こえたかい? そう言うことだ!」
 ジュピターは自分たちの会話を聞いているであろう、お里に聞こえるかのように、声を大にして言った。
「残念だけど、お嬢ちゃんたちにそんな時間はないのよ………!」
 お里の高笑いに混じって、モーターの駆動音が響いた。
「まずい!」
 タキシード仮面の反応は早かった。咄嗟に手から弱い衝撃波を放ち、近くにいたジュピターとなるちゃん、操の三人を弾き飛ばす。
 ガシャーン!
 シャッターが閉まった。取り残された形となったタキシード仮面とうさぎは、シャッターを挟んでジュピターたちと離れ離れになってしまった。
 ガシャーン!
 タキシード仮面の背後でも、シャッターが閉まる音が聞こえた。うさぎとタキシード仮面のふたりは、シャッターで封鎖された空間に閉じこめられてしまったのだ。
「うさぎ! タキシード仮面(まもちゃん)!」
 ジュピターがスパークリング・ワイド・プレッシャーを放ち、シャッターを破壊しようと試みた。
「なんだって!?」
 シャッターを直撃したはずの雷撃球は、シャッターを破壊することなく四散した。
「オホホホホ………。無駄よ! そのシャッターは核爆発の衝撃にだって耐えるわよ。お嬢ちゃんの電撃程度じゃ、傷も付かないわよ」
 お里の嘲るような声が響く。
「全員閉じこめるつもりだったのに、残念ね。でも、かえって都合がよかったわ。邪魔者の坊やを閉じこめることはできたし、あたしの可愛い坊やを誑かしたお嬢ちゃんも一緒だしね。ふたりには死んでもらうことにするわ」
「お前! ふたりに何をする気だ!?」
「すぐには殺さないわ。じわじわといたぶって殺してあげる………」
「うさぎ! タキシード仮面(まもちゃん)! 大丈夫か!? そっちで何が起こっている!?」
 ジュピターはシャッターに張り付くようにして怒鳴った。
「冷凍ガスだ。どうやら、俺たちを凍死させる気らしい」
 タキシード仮面の声が小さく聞こえてきた。
「俺が結界を張って冷気は防ぐ。ジュピター(まこ)は頭脳体を捜してくれ」
「分かった! 少しの間、辛抱していてください。うさぎを頼みます!」
 シャッター越しのタキシード仮面に言うと、ジュピターは振り向いた。不安そうななるちゃんと、無表情の操の、対照的なふたりの顔が見えた。
「頭脳体を捜してくる! ふたりはここに残っていてくれ!」
「ひとりで行っては危険よ。それではやつの思う壺だわ。戦力は分散させない方がいい」
 操が反論する。そのひどく冷静な言い方が、ジュピターのかんに障った。
「お前の指示は受けない! 黙っていてくれ!」
「冷静さを失っては駄目よ」
 吠えるジュピターに臆することなく、操は尚も反発してみせる。
「ジュピター! あたしにも手伝わせて!!」
 更に言い合いをしかねない雰囲気のふたりの間に、なるちゃんの哀願するような声が割って入ってきた。
「しかし………」
 なるちゃんの声で、僅かに平静さを取り戻しつつも、困惑するジュピターの背後から、タキシード仮面の声が聞こえてきた。
「大丈夫。ふたりを連れていってくれ」
「しかし、危険じゃないですか?」
 ジュピターとしては、戦えないふたりを巻き込むのが不安なのだ。余計な危険が付きまとってしまう。
「ここに残していく方が危険だ」
 しかし、タキシード仮面から返って来た答えは、ジュピターの考えとは異なるものだった。
「………分かりました。あたしにふたりを守りながら戦えと言うんですね」
「それもある。だが、必ずキミの役に立つはずだ。………操を呼んでくれ」
 程なく、操はシャッターのところへやってきた。
「操、ジュピター(まこ)を助けてやってくれ」
「分かったわ! あたしはジョーカーだもんね」
 操はシャッターの向こうのタキシード仮面に、見えないことを承知でウインクをした。

 シャッターの向こうで、遠ざかっていく足音が、やがて聞こえなくなると、タキシード仮面はゆっくりと振り向いた。
 冷凍ガスが天井から降り注いでいた。シャッターに閉ざされた空間の気温が、急激に低くなっている。
 生身のうさぎが、蹲って震えていた。変身しさえすれば多少の気温の変化なら、セーラースーツの耐熱効果の働きで緩和されるのだろうが、今のうさぎには変身するだけの気持ちの整理ができていないのだろう。変身することを忘れ、寒さに凍えている。
「うさ………」
 タキシード仮面には、うさぎに変身を強要することはできなかった。変身しないというのなら、自分で守ってやればいいのだ。
 うさぎのもとに歩み寄ると、腰を落としてマントで彼女を包み込んだ。そして結界を張る。これで体力が続く限り、ふたりが凍えるようなことはない。
「まもちゃん………」
 うさぎは本当に久しぶりに、タキシード仮面の顔をまともに見た。深い、吸い込まれそうな瞳が、いつもの変わらない暖かい眼差しが自分に向けられた。
「まもちゃん、あのね………」
「この戦いが終わったら、ふたりでゆっくりと話をしよう」
 タキシード仮面の低く優しい声は、うさぎの耳に心地よかった。

 まるで迷路だった。
 頭上からは、相変わらずあのカンに触る笑い声が響いていた。通路を右に左に走り、行き止まりに差し掛かる度に、嘲るような笑いが響く。もともと気の長い方ではないジュピターは、すっかり頭に血が上っていた。
「そっちへはさっき行ったわ、ジュピター!」
 なるちゃんの制止の声で、ジュピターは我に返った。
「ちっ!」
 苛立たしげに舌打ちする。迷路の類は苦手だった。
 随分と距離を移動したように感じてはいるが、実際のところは何度も同じところを通っていたに違いない。十番街の地下にあるからと言っても、だいいち、そんなに広いはずはない。  こんな時、亜美がいてくれたらと思う。亜美さえいれば、もうとっくに頭脳体のところに辿り着いていたはずである。
「いないヒトのことを、当てにしていても仕方がない」
 以前、美奈子がそんなことを言っていたことがあるなと、ふと、思い出したりもしてみた。だが、いない人物のことを頼りたくなってしまうのも、今のジュピターの心境だった。時間がないのである。
「どのくらい経ったかな………」
 立ち止まり、すぐ脇にいたなるちゃんに声を掛けた。
「三十分くらいだと思う」
「やばいな………」
 閉じこめられているうさぎたちが気掛かりだった。タキシード仮面が付いているから大丈夫だとは思うが、これ以上待たせるわけにはいかなかった。
「ねぇ………。この壁ってさ、普通の壁じゃない?」
 コンコンと拳で壁を叩きながら、操は言ってきた。
「ホントだ………。今まで気が付かなかったけど、普通の壁に見えるわね………」
 なるちゃんも壁に触れる。
 ジュピターは壁際に移動し、丹念に調べてみた。なるほど、何の変哲もない普通のコンクリートの壁である。特別な処理が施されているようには見えない。
「迂闊だったな………」
 ジュピターは苦笑した。お里が言った、核爆発にも耐えるという言葉を、鵜呑みにしてしまっていたのだ。
「うさぎたちが閉じこめられている、あのブロックだけ核に耐える構造になっているんじゃないかしら………」
「年増ババアに、一杯食わされたってことか………」
 なるちゃんの言葉を受けて、ジュピターは憎々しげに言った。
「あのブロックだけってことは………」
「そう! こっちへ行けばいいってことだ!!」
 バゴーン!
 ジュピターのいかずちを纏った拳が、足下の床を打ち砕いた。破壊され、穴の開いた床の下に、別のフロアが見える。ジュピターの予想通り、まだ下があったのだ。自分たちが落とされた場所が、最下層だと思い込んでいたにすぎなかったというわけだ。上に登る階段がきちんと設置されていたことも、落とされた場所が最下層と思わせるための心理的な作戦だったのである。
「そおら、大当たりだ………」
 穴を通って下の階に降りてきたジュピターたちの前に、何体ものからくり人形のようなものが出現した。ぎこちない動きで、それでも確実にジュピターたちの方に向かってくる。
「あんたたちと遊んでいる暇はないんだよ!」
 通路の前後にからくり人形は出現していたが、ジュピターは迷うことなく前方の一群にスパークリング・ワイド・プレッシャーを放った。
「行くよ!」
 他のふたりを促して、ジュピターはからくり人形を蹴散らした方向に向かって走り出した。目指すは、うさぎたちが閉じこめられている真下のブロックだ。あのブロックだけ核兵器に耐えられるようになっているということは、一番重要な部分だからということになる。一番重要な部分、すなわち、あのブロックの真下に頭脳体があるということだ。
 通路を右に折れた。その先にもからくり人形は待ちかまえていたが、ジュピターの敵ではなかった。ただ数に物を言わせているだけでは、今のジュピターを止めることなどできない。
 更に二度、からくり人形の一団をがらくたに変えると、ひときわ巨大な蜘蛛型のからくり人形が行く手を阻んだ。その背後に、扉らしきものが見える。
「自分から白状してくれるなんて、手間が省けるよ」
 既に形勢は逆転していた。からくりのお里には、もう先程までのような余裕はない。このフロアに侵入された時点で、お里は自分の頭脳体を守ることに必死になりすぎて、かえってジュピターに頭脳体の場所を教える結果になってしまったのだ。
 蜘蛛型のからくりロボットは、口から糸を吐いて攻撃してきた。強酸性の糸のようだ。糸が接触した床が、しゅうしゅうと音を立てて溶けている。
「もっと、まともなやつはいないのかい?」
 雷撃球が蜘蛛型のからくりロボットを直撃する。ロボットは爆発四散した。

 ジュピター、なるちゃん、操の三人が奥の扉の前に差し掛かったとき、狙い澄ましたかのように背後にシャッターが降りた。タキシード仮面とうさぎを閉じこめているシャッターと同じ材質のようだった。だとすると、核兵器にも耐えるということになる。
「罠だったってことも、考えられるわね」
 操はちらりとジュピターを見た。
 最下層に降りてから、この扉の前に到着するまで、あまりにも順調すぎた。ジュピターの読みが正しかったのか、それとも逆にお里に誘導されてしまったのか、思わず疑いたくなるような状況だった。
 背後は核兵器にも耐える超合金のシャッター。となれば、前進するしかない。
「ここまで来ちまったんだから、先に進むしかないだろう? もっとも、後ろのシャッターを破壊しろって言うんなら、やってもいいけど………」
 ジュピターにしてみれば、核爆発に相当する攻撃技を強引に発動させることはできる。ただし、まわりへの影響を考えて自粛しているにすぎない。その気になれば、惑星ひとつ破壊できるほどの能力を、各セーラー戦士たちは持ち合わせているのだ。
「ま、このまま前進する方が妥当かもね」
 操は分かった風な言い方をした。
 扉を蹴破って、中へ入った。中は広い空間になっていた。名前も機能も分からない機械が、そこかしこに並べられて、中にはチカチカとランプが点滅している装置もあった。
 部屋の中央に、ひときわ大型の装置が置かれていた。その装置のてっぺんに、水槽のような容器に入った、人間らしきものの脳があった。
「はじめましてと言うべきかしら? そう、あたしがからくりのお里………」
 脳のすぐ下に設置されているスピーカーから、声が流れてきた。水槽の中の脳は、透明の溶液に浸けられており、ところどころコードで電気的に接続されていた。
「あたしたちの勝ちだ! 観念しな!!」
 ドスの利いた声で、ジュピターは言った。が、もちろん、そんな言葉でお里が怯むわけはなかった。逆に、あのかんに障る高笑いを発した。
「お馬鹿さんね………。勝ったつもりでいるなんて………」
「なんだと!?」
 ジュピターは険しい表情になる。
「お嬢ちゃんの攻撃は、あたしには届かないわよ………」
「負け惜しみを………!!」
「試してごらんなさいよ」
「そうさせてもらう!」
 ジュピターは得意のスパークリング・ワイド・プレッシャーを放った。
 バシーン! バリバリバリ………。
 電撃球は水槽まで届くことはなく、途中で四散すると消滅してしまった。
「シールドが張ってあるわ! しかも、かなり強力な………!」
 電撃球の四散を見た操が、声をあげた。
「残念だったわねぇ………」
 勝ち誇ったようなお里の声に、ジュピターは項垂れるしかない。攻撃が届かないのでは、破壊することはできない。もっと強力な攻撃技を放てば破壊できるかもしれないが、生憎と雷電のエネルギーが不足してきている。屋内であるため、思い切った補給ができないのだ。空気中の静電気だけでは、補充しきれない。電気エネルギーの補給が難しい屋内では、攻撃力が著しく低下してしまうのが、ジュピター最大の欠点だった。体内のエネルギーを電気エネルギーに変換することもできるが、それはいざというときのための奥の手である。当然体内エネルギーなので限界がある。乱用はできない。
「万策尽きたってとこかしらね」
 お里は言う。
 するすると伸びてきたコードが、素早くジュピターの体にまとわりつく。
「しまった! 油断した!!」
 気が付いたときには、既に身動きが取れなくなっていた。カラフルなコードで、雁字搦めにされてしまった。
「そちらのお嬢ちゃんたちも、無駄なことはしない方がいいわよ。怪我をしたくなかったらね………」
 操となるちゃんのことだ。お里はその気になれば、操もなるちゃんもコードで縛り付けることはできたはずなのだが、あえてそうしなかったのである。もちろん、考えがあってのことだろう。
「あたしの勝ちね。………ご覧なさい」
 お里の左側、ジュピターたちから見れば右側にスクリーンが出現し、映像が映し出される。封鎖空間に閉じこめられている、うさぎとタキシード仮面の映像だった。強力な冷凍ガスの攻撃を、タキシード仮面がシールドを張って必死に凌いでいる。うさぎはセーラームーンには変身していなかった。
「あの坊やも、そろそろ体力の限界のはずよ。さぞかし美しい、氷のオブジェが完成するでしょうね。楽しみだわ………」
 例によって、お里は甲高い笑い声を発した。勝ち誇った笑いである。
「あたしたちをどうする気だ!?」
 コードに縛られたままのジュピターが喚いた。
「安心して。殺すつもりはないわ。捕らえろとの命令だからね」
「ちくしょう! 冗談じゃない!!」
 ジュピターはありったけのパワーを解放した。しかし、その行為はエネルギーの無駄遣いでしかなかった。コードは絶縁されているのだ。ジュピターの電撃を、全て無効にしてしまう。得意のパワーで引きちぎろうにも、いったいどんな材質でできているのか、全く歯が立たなかった。
「無駄よ。お嬢ちゃんの得意技はモニターで見せてもらって、既に研究済みよ。電撃の使えないお嬢ちゃんは、赤ん坊も同然よね………」
 いかにも楽しそうに、お里は言う。
「さて、大事なあたしの体の中を壊したお仕置きをしないとね………。さあ、坊や、出ていらっしゃい………」
 お里の右側の壁がスライドし、奥から人影が出現した。
「じゅ、十文字!?」
 ジュピターは目を見張った。現れたのは、倒したはずの十文字その人だった。
「そんな………」
 なるちゃんも絶句する。操だけは冷ややかな瞳で、十文字を見つめていた。
「坊やの代わりは幾らでもいるのよ」
 お里のその言葉を受け、十文字はニタリと冷徹な笑いを浮かべた。
「さあ、坊や。このお嬢さんを懲らしめてあげなさい」
 お里の声に耳を傾け、こくりと頷くと、十文字は無言でジュピターの前に移動した。絶縁のコードで雁字搦めにされているジュピターがいる。
 ジュピターを縛り付けていたコードに変化が起こった。体に巻き付いていたコードがするすると解け、腕と足に移動した。ジュピターは両手両足を四方に引っ張られ、無防備な大の字の形で十文字の眼前に曝された。
「くそぉ!」
 身を捩ってコードを解こうとするジュピターだったが、無駄な抵抗だった。かえってコードに手足を引っ張られ、苦痛に呻く形になった。
 十文字は冷ややかにジュピターを見つめると、無表情のまま、ジュピターの腹部に拳を叩き込んだ。
「げぇ!」
 胃の中のものが逆流した。目から火花が飛び散った。
「あら、痛そう………。駄目よ、坊や。乱暴しちぁ………」
 笑い混じりのお里の声が響く。十文字は更に二発、ジュピターの腹部に強烈なパンチを叩き込んだ。
 胃液を吐き散らしながら、ジュピターは痙攣する。
「お嬢さんは男性経験がおあり?」
 からかうようなお里の声が、朦朧としたジュピターの意識を現実に引き戻した。やっとの思いで顔を上げると、口元に薄笑いを浮かべた十文字が、ヌッと腕を伸ばしてきた。
「!」
 十文字の右手が、ジュピターの右の乳房を鷲掴みにする。同時に左手がスカートの中に侵入してきた。
「や、やめろぉ!」
 不気味な感覚が肌を泡立たせ、ジュピターは身を捩って抵抗しようと試みる。しかし、固定されてしまった体は、どうにも言うことを聞いてくれない。
「今のあなたは赤子も同然、大人しく観念なさい」
 十文字の両腕が、ジュピターの襟元に掛かった。
「やめてぇ!」
 なるちゃんが十文字の背中にボディアタックを仕掛けた。友達の危機を黙って見過ごすことのできなかったなるちゃんは、無謀とも思える行動に出た。しかし、予期せぬ事態だったのか、十文字はなるちゃんのボディアタックをまともに食らってしまった。
 僅かに前のめりになった十文字が、首だけ巡らして体当たりしてきたなるちゃんを睨んだ。 殺意が込められた視線に、なるちゃんは身震いをする。
「どんなにがんばったって、お嬢ちゃんたちには坊やは倒せないわよ………。ちょろちょろとうるさいから、そろそろお嬢ちゃんたちの相手もしてあげないとね………。坊やたち、お嬢ちゃんたちの相手をしてあげなさい」
 先程十文字が出てきた壁が再びスライドし、新たにふたつの人影が出現した。
「え!? うそ………」
 なるちゃんは目を見開いた。そこに立っていたのは、十文字だったからである。新たに出現したふたつの人影は、両方とも十文字であった。
「あたしの坊やは、スペアがたくさんあるのよ………」
 お里がわざわざ説明してくれた。
「アンドロイド? いえ、クローン?」
 操は鋭い眼差しで、新たに現れたふたりの十文字を睨んだ。
「さあ、坊やたち。思う存分お楽しみなさい」
 三人の十文字は同時に頷くと、一斉に異形の化け物へと変貌した。
 新たに現れた方の十文字が、無数の触手を伸ばしてきた。操は素早い動きで触手を躱したが、なるちゃんは逃げ切れなかった。触手に捕らわれ、身動きができないまま引き寄せられてしまう。
「い、いやぁ! 放してぇ!」
 なるちゃんは激しく抵抗するが、触手に絡め取られてしまった今ではどうすることもできない。
「オホホホホ………。あらあら、捕まっちゃったのね、可哀想に………。あとは、その小生意気なお嬢ちゃんだけね」
「ふん。あたしがそう簡単に捕まるとでも思っているの?」
 操はあくまでも強気な態度を崩さない。お里の頭脳体に向かって、アカンベーをする。
「さあ、坊や。とっとと捕まえちゃいなさい!」
「人数を増やせば捕まえられるかもよ。それとも、そのグロテスクなお兄さんのコピーは、もう打ち止め?」
「口の減らない小娘だね!」
「そう………。あんたの持ち駒は、これで終わりなんだ、おばさん!」
 二度目の触手を躱した操が、鋭い視線を水槽の中のお里の脳に向けた。
「あたしをおばさん呼ばわりするなんて、あなた死にたいの?」
「あばさんが嫌だったら、ババアにしようか?」
「そ、そう………。死にたいのね………」
 もし仮に、お里に顔というものがあったなら、きっと頬をピクピクと痙攣させているに違いない。
「少しばかり身軽だからって、いい気にならないことね………。さあ、坊やたち、先にその小生意気なお嬢ちゃんを殺しちゃんなさい。目一杯、辱めてからね………」
 なるちゃんを捕らえていた十文字が、なるちゃんを手放した。ジュピターの前にいた十文字も、操の方に移動してくる。
「に、逃げろ!」
 苦しい息の中、絞り出すようにジュピターは叫んだ。
「大丈夫。心配いらないわ。先輩………」
「あら、随分な自信だこと………。まるで、あたしに勝てるようじゃない」
「勝つわよ、あたしたちは」
「その自信、気に入らないわね。いったい、何があるというのよ」
「あたしたちには、まだ切り札があるもの」
 目の前に迫ってきた、化け物に変身した三人の十文字に臆することもなく、操は威風堂々としていた。
「そんな、切り札がどこにあるっていうのよ!」
「ここにあるわよ」
「なんですって!?」
「あたしが、その切り札だもの………」
 操は言うと、不敵な笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃんが切り札ですって!? 笑わせないでよ」
「そう………。ならば、見て驚きなさい!」
 流れるような動作で、操は身構えた。
「アース・クライシス・メイクアーップ!!」
 操が光に包まれた。そして、その姿をセーラー戦士へと変化させる。
「なにぃ!?」
「セーラー戦士………!?」
「うそ!」
 お里、ジュピター、なるちゃんが、三人三様の驚きを示した。
 そんな三人の反応を喜んでいるかのように、セーラー戦士に変身した操は、にっこりと微笑んだ。
「命を育む慈愛の戦士、セーラーアース見参!!」
 セーラーアースは声高々に名乗りをあげた。