追跡


「え!? 追いかけるって、あいつを!?」
 自分の聞き違いではないかと思った奇抜なコスチュームを着た美人は、驚いたように目を見開いた。銀色の美しい瞳を、クンツァイトに向ける。
「奴の他にだれがいるんだ? そのために、わざと逃がしたんだ」
 冷ややかな目で、クンツァイトは銀色の瞳を見返した。
「下の連中はどうするの?」
 銀色の瞳を、足下のシャルル・ド・ゴール・エトワル広場に向けた。警官隊と報道局の連中が、右往左往している。
「ほおっておけ。俺たちの知ったことではない」
「報道関係者にインタビューされたって、困るだけだぞ」
 クンツァイトに続いて、アルテミスは言う。確かにその通りである。
「………分かった。じゃあ、追いかけましょう」
「キミも来る気か?」
 追跡に入ろうとした彼女を見て、アルテミスが意外そうに声をかけた。
「当たり前じゃない。あなた方が何の目的であいつらと戦っているのかは知らないけど、あたしはあたしの目的で、あいつらを追っているのよ。それに、凱旋門(ここ)まであいつらを追いつめたのは、あたしなんですからね。おいしいところだけ、どこの馬の骨とも分からないようなやつらに持って行かれるのはたまらないわ。あたしにも追う権利はあるわよ」
 女性は鼻息を荒げた。
「どこの馬の骨とは言ってくれるな………」
 アルテミスは苦笑する。
「一緒に追うのなら、自己紹介をしよう。この口の悪いワイルダーなやつはクンツァイト」
 自分の紹介のされ方に、クンツァイトが少々嫌な顔をして見せたが、アルテミスは無視して続けた。
「クンツァイトの隣にいる無口な彼が、マクスウェル。そして、キミの後ろにいる髪の長い方がヒメロスで、短い方がアンテロスだ」
 「キミの後ろにいる」と言う言葉を聞いて、奇抜なコスチュームを着た美人は「え!?」と小さく言ってから、背後に振り向いた。
 全く気が付かなかったが、自分の背後には女性ふたりの姿があった。気配に全く気が付かなかったので、彼女は驚いたのだ。
 アルテミスに紹介されたふたりは、にこりと微笑んで挨拶をしてきた。
「そして、俺がアルテミス」
 最後に自分の名を名乗って、アルテミスは握手を求めた。
「アルテミス? アルテミスって、女性の名前じゃなかったっけ? どう見ても、あなたは男よね………」
 彼女は銀色の瞳で、不思議そうにアルテミスを見る。
「頼むから、名前のことで突っ込まないでくれよ………」
 いかにも嫌そうに頬を引きつらせて、アルテミスは後頭部を掻いた。必死に笑いを堪えているヒメロスにじろりとした視線を向けると、慌ててヒメロスはそっぽを向いてアルテミスと視線を合わせないようにする。
「変わったヒトたちね………。それに不思議な能力(ちから)を持っている。先に自己紹介をしなくちゃね。あたしは、プレアデス。セーラープレアデスよ」
 奇抜なコスチュームの彼女は、自分の名を名乗ると、チャーミングな笑みを浮かべた。
「セーラー戦士だったのか………」
 アルテミスが驚いたような表情をすると、
「セーラー戦士を知っているの?」
 プレアデスと名乗ったその女性は、逆に驚いて聞き返してきた。
「詳しい話はあとだ。ボヤボヤしていると、本当にやつに逃げられてしまうぞ」
 クンツァイトは遠くを見つめながら言った。その瞳の先には、ブローニュの森がある。逃亡した騎士の姿は、既に肉眼では確認できなくなっていた。
「よし! 追いかけよう!」
 アルテミスは一同を見回した。

 逃亡する生き残りの騎士は、必死だった。
 追跡されないように気を配ってはいるようだが、焦りがあるために完璧ではない。追跡者が六人という大人数なのだが、逃亡者が追っ手の“気”を感知することはできない。もっとも、そんな簡単に“気”を察知されてしまうほど、追跡する彼らは素人ではなかった。
「あの女、信用できるんですか?」
 マクスウェルがすうっと音もなく忍び寄ってきて、アルテミスに耳打ちした。あの女とは、もちろんセーラープレアデスのことである。
 凱旋門でブラッディ・クルセイダースの騎士団と戦っていたというのは、深く考えるまでもなく、不自然であるのは誰の目にも明らかだった。偶然にしては、出来過ぎているような感じがする。しかもセーラー戦士を名乗っていることが、余計に不自然だった。敵の張った罠である可能性は、充分にある。しかし、罠なら罠で構わないとアルテミスは思っていた。敵のアジトに案内して貰えるのであれば、罠であろうがなかろうが、それは大した問題ではない。それにこの面子なら、少々の罠は怖くないという自信もあった。
「彼女の目的がはっきりしないうちは、百パーセントは信用できないな。ただし、今はそれを問題にする時じゃない」
 百メートル離れた街路樹の陰に、ヒメロスと組んで尾行しているセーラープレアデスの姿が見えた。どうでもいいが、目のやり場に困るコスチュームだと、アルテミスはちらりと思った。
「そう心配することはないよ、マクスウェル。彼女からは、スター・シードの輝きを感じる。間違いなく、セーラー戦士だよ」
「そうですか………」
 マクスウェルは安心したような顔をしたが、逆にアルテミスは気を引き締めなければならなかった。相手がセーラー戦士だからといって、味方であるという保証は何ひとつないのだ。
(お前は、どう思う? クンツァイト………)
 アルテミスはクンツァイトの考えが気になったが、生憎と彼の姿は確認できない。
 クンツァイトとアンテロスのふたりの姿が見えないが、同じく追跡していることは間違いない。クンツァイトが付いていれば、尾行などはおそらく初めての経験だろうアンテロスでも、それほど心配することはない。クンツァイトが上手くリードしてくれるだろう。
 凱旋門からフォッシュ大通りを抜けブローニュの森へ入ると、方向転換した騎士は、真っ直ぐにシャイヨ宮に向かう。そのまま通り過ぎると、セーヌ河を渡ってエッフェル塔へ。
「一応、尾行を警戒しているようだな………」
「アジトに戻る証拠ですね」
 アルテミスの呟きに、マクスウェルが応じた。逃亡者は尾行を警戒する為に、複雑な逃走経路を使っていた。
「気づかれているのでしょうか?」
「いや、その心配はないと思う。気づかれていたら、こんな複雑な逃走経路は使わないだろう。ましてや、アジトに逃げ帰るとも思えない」
 リュクサンブール庭園を左に見ながら、真っ直ぐと北へ向かう。間もなくシテ島だ。
「市内観光でもしようと言うのかしら………」
 アルテミスの背後に回り込んで、ヒメロスは呟いた。プレアデスもアルテミスの左斜め後ろに移動してきている。
 前屈みになって前方を観察しているプレアデスの胸の谷間を見てしまったアルテミスは、僅かに赤面して慌てて視線を外した。
(で、でかい………)
 一緒にいるヒメロスの胸とつい比べてしまい、アルテミスは心の中でそう感嘆の声を上げていた。サイズは知らないが、ボリューム的には太陽系セーラー戦士でトップクラスの放漫なバストを持つ、ジュピターの上をいっていそうなバストだった。アルテミスの視線の意味を敏感に感じ取ったヒメロスは、少々不満顔で睨み返した。アルテミスは冷や汗を掻きながら、後頭部をボリボリと掻いた。
 サン・ミシェル広場に差し掛かった。騎士は素早い動きで広場を抜けると、同時に騎士から普通の服装へと変化した。
「市民に紛れるつもりかしら」
「おそらく、そうだろう」
 プレアデスの独り言に答えたのは、クンツァイトだった。既に変身を解いている。清宮の姿に戻っていた。
「紛れ込まれたら、完全に分からなくなるわ」
「心配はいらないわ」
 望の姿に戻ったヒメロスが答える。
「アルテミス様が足下にピッタリ付いてくれています。見失うことはないわ」
「え!? そう言えば、姿が見えないわね………」
 プレアデスは周囲を見回す。いつの間にやら、アルテミスの姿は見えなくなっている。
「それにしても、足下ってどういうこと?」
 プレアデスが不思議に思うのは当然だろう。彼女は、アルテミスがネコの姿にもなれるということを知らないのだ。
「今は説明している暇はない。お前もその派手な格好をなんとかしろ。目立ちすぎる」
 清宮は言うと、地球人の姿に変身したアンテロスを連れ、人混みに紛れてしまった。
「ちょっ! ちょっとぉ! 置いてかれたら、困るわよ!!」
 プレアデスは慌てて変身を解く。G・ジャンにジーンズという、ラフなスタイルの女性の姿へと変わった。G・ジャンの下に着ているT・シャツはやけに短く、お臍がチラチラと顔を覗かせていた。
(………やっぱり、露出趣味なんじゃない………)
 その姿を見た望は、ひとり項垂れた。

 人混みに紛れるように移動している騎士の前に、ノートル・ダム大聖堂が現れた。騎士は真っ直ぐに大聖堂に向かっている。
「やつめ、大聖堂にでも潜り込むつもりか………?」
 騎士の不可解な行動を観察しながら、清宮は舌打ちをする。人類の文化遺産に紛れ込まれでもしたら、迂闊な行動はできなくなる。当然、大聖堂内部では戦闘は厳禁である。
 清宮の不安は的中した。
 一般人の格好をした騎士は、何食わぬ顔で大聖堂に入ってゆく。清宮たちは追うしかなかった。
 南塔見学の入り口から、ノートル・ダム大聖堂に入った。ふわりとした妙な違和感が体を包んだが、それほど気にならなかった。
 聖処女の入り口、最後の審判の入り口の前を通って、一般人の姿に戻った騎士は、ゆっくりとした足取りで身廊を通ると、翼廊の聖母子像の前で立ち止まった。
 予想に反して、見学者の数は少なかった。
 大聖堂内はしんと静まり返っていて、そしてひんやりと涼しげな空気が漂っていた。人気がないせいだろうか、妙に寒々とした印象が与えられる。
 聖母子像の前に、スーツを着込んだ紳士がひとり佇んでいるだけだった。騎士は、その紳士の横に並んで足を止めた。
 こんなにも見学者が少ないとは思ってもいなかったため、迂闊にも全員が大聖堂に入ってしまった清宮たちは、面食らってしまった。すぐに出ようとも思ったが、かえって不自然だと思えたので、そのまま中に入った。ここは観光客を装うしかない。
「まさか、こんなところにアジトがあるなんてことはないわよね………」
 望はちらと清宮を見やる。
「意外とこういうところの方が、隠れやすいのかもしれん」
 最後の審判の入り口の前に立つ清宮は、油断なく周りに気を配った。一般の見物人がいる間は、騎士も迂闊には行動を起こさないだろう。もし仮に大聖堂のどこかにアジトに抜ける入り口があるのだとしたら、それを知られるような真似はしないはずである。
 ルイ十四世像の陰にいるアルテミスが、ちらりと見えた。ネコの姿のまま、上手いぐあいに侵入できたようだ。
 騎士は依然として聖母子像の前から動こうとはしない。スーツを着た紳士も同様である。が、紳士は自分の左肩越しに僅かに後方に視線を送ると、再び前を向いた。
「愚か者め! 尾行()けられおって!!」
 カッ!
 閃光が煌めいた。次の瞬間には、騎士は灰になっていた。
 紳士はゆっくりと振り向いた。
「ようこそ、わたしの大聖堂へ。間抜けな部下のおかげて、とんでもない客人が来てしまったようですね」
 紳士は無表情だった。
 バタリと入り口が閉まる。
「しまった!」
 清宮は小さく叫んだが、もちろん洒落を言ったわけではない。すぐに気持ちを切り替えて、臨戦態勢を取った。
「せっかくいらしたのですから、わたしのもてなしを受けてください」
 紳士の抑揚のない声が、大聖堂に響いた。
「冗談じゃない。ノートル・ダムの中で、一戦交えようと言うのか!?」
 清宮は凄んで見せた。しかし、紳士は動揺するはずもない。相変わらずの無表情でこちらを見据えている。
「あなた方は、ここをノートル・ダム大聖堂だと思っているのですか………。こんなところまで追っていらっしゃるから、さぞかし腕の立つ方たちかと思っていましたが………。この程度のまやかしが分からないようでは、このわたしの相手は勤まりませんよ」
 がっかりしたと言うような口調で、紳士は言った。オーバーなゼスチャーで、首を大きく横に振った。
(まやかしだと………!?)
 アルテミスは周囲に気を配った。ネコの姿に戻っているために、紳士はアルテミスのことには気づいていない。いや、気づいてはいるかもしれないが、偶然紛れ込んでしまったただの猫だと思っているのかもしれない。どっちにしても、アルテミスにとっては都合のいいことだ。
 アルテミスは慎重に大聖堂の中を移動した。気づかれても不自然さがないように、猫らしい動きをしながら、大聖堂の内部を捜索し始めた。
「ここはノートル・ダム大聖堂ではないというのか!?」
 アルテミスの動きを察知した清宮が、時間稼ぎを始めた。相手にしゃべらせて、情報を得るという、もうひとつの理由もあった。
「わたしにとっては、ノートル・ダム大聖堂ではある。が、君たちにとっては違うかもしれない」
 紳士は勿体ぶった言い方をする。面白くてたまらないのだ。清宮たちの反応を見て、楽しんでいるのだ。
「あたしにとっては、ここがどこだろうと関係ないわ! 正体を現しなさい!! 訊きたいことがあるわ!」
 一歩前に出て、声を張り上げたのはプレアデスだった。大聖堂内に、声が響きわたる。
「勇ましいですな、お嬢さん(マドモアゼル)。それに、殺してしまうには、おしいくらいの美貌ですな」
「お世辞はいいわ!」
「わたしから何を知りたいのです?」
 勢い込んでいるプレアデスに対し、紳士はさらりと受け流すように答える。その余裕綽々とした態度が、余計に彼女の神経を逆撫でした。
「船よ!」
 プレアデスは怒鳴るように尋ねた。
「フネ?」
 その単語の意味が一瞬分からなかったらしく、紳士は首を傾げた。
「『箱船』のことを、どこまで知っているの!?」
「ああ、そのことですか………」
 紳士は納得したように頷いた。
「『船』のことを嗅ぎ回っているやからがいるという噂は聞きましたが………、なるほど、あなたのことでしたか………」
 思わぬ展開に、清宮も望も言葉も出ない。呆気にとられてプレアデスを見ているだけだ。彼女の言う「船」とは何を指すことなのか、当然のことながら、彼らには皆目見当も付かない。
「考えが変わりました。捕らえてジェラール様のもとへ差し出すことに致しましょう」
 紳士の体が光に包まれると、やがてひとりの騎士がそこから現れた。
「ジェラール様配下、テンプル・ナイツがひとり、ジェロー」
 自己紹介をし、大振りの剣を構える。光沢のある鎧が、あらぬ方向からの光を受けて、きらりと光った。胸元には深紅の十字架が、不気味に記されていた。シンプルなデザインではあるが、かなりの守備力を誇る鎧であることは、アルテミスの目には明らかだった。
(やつは、手強い!)
 アルテミスの第一印象だった。大聖堂内を慎重に調査しているアルテミスは、ちらりとジェローを見てそう感じた。ジェローの言う「からくり」を、早急に見つけださなければならない。ここが、ノートル・ダム大聖堂ではないとはっきりと確信できるまで、清宮たちはまともに動けないだろう。外へ出て戦うということを、ジェローが許すとも思えない。
 自分たち以外、一般客が紛れ込んでいなかったことが、せめてもの救いだった。
 宝物庫へと通じるはずの通路から、わらわらと鎧を身に纏った騎士たちが大聖堂内に雪崩れ込んできた。全員が手に剣を持ち、油断なく身構えている。
「我が配下の騎士団です。さっきも言ったとおり、ここはわたしの聖堂。ブラッディ・クルセイダース フランス支部の総本部です。兵の数はこんなものではありませんよ」
 ジェローは余裕の笑みを浮かべていた。大聖堂内に雪崩れ込んできた騎士団の数も、二十人は下らないと思える。ジェローの言うことが本当ならば、数の上では圧倒的に不利な状況であると言える。
「まずいな………」
 冷静な清宮も、さすがに焦りを感じていた。戦い方が定まらない。一気にここを突破するのは簡単だが、それでは大聖堂を破壊してしまうことになる。
「面白いわ! そっちが数で来るならば、あたしは遠慮はしない!」
 プレアデスは、ダッと走り出す。
「プレアデス・スター・クラスター・パワー! メイク・アーップ!!」
 走りながらの変身。完了と同時にジャンプした。
「クラスター・シュート!!」
 勢いよくジャンプしたセーラープレアデスは、胸の前でゴルフボール程度のエネルギーボールを数個形成すると、ジェロー目掛けて一気に打ち出した。
「ちっ!」
 身を翻して、ジェローはそれを避けた。
 ターゲットを失ったエネルギーボールたちは、フロアを直撃する。爆音とともにフロアが吹き飛ばされる。
「ちょ、ちょっとぉ!」
 破壊された床を見て、望は慌てた。そんな望を尻目に、プレアデスは第二撃を放とうとしていた。人類の文化遺産のなど、彼女の眼中には全くなかった。目の前の敵しか写っていない。地球人ではないらしいプレアデスにとっては、ノートルダム寺院の意味するところを知らないのも当然だろう。彼女にとっては、ただの建造物にすぎないのだ。
「お願いだから、それ以上は壊さないでよ!」
 慌てて望はセーラーヒメロスに変身する。
(ん!? 地下がある?)
 そんな中、アルテミスひとりはは冷静だった。大聖堂の変化に、いち早く気付いていた。
 破壊されたフロアから、地下が覗けている。ノートル・ダム大聖堂に、こんな地下室があるなどとは聞いたことがない。
(ここは大聖堂じゃないのか!?)
 しかし、そう結論を下すには、まだ材料が不足していた。