「真実」の指輪


 胸騒ぎがして、もなかは目を覚ました。
 時計は深夜の一時を差していた。
 外は不気味なまでに静まり返っていた。虫の鳴き声すら聞こえない。
 異常だと感じた。
 静かすぎる。
 もなかがベッドから起きあがると、床に置かれているクッションの上で眠っていたアポロンが、気配を感じて目を開けた。
「ねぇ、アポロン。外の様子、おかしいと思わない?」
 もなかは閉めていたカーテンを開け、外の様子を眺めた。クーラーをタイマーにして眠りに付いたから、窓は閉め切っていた。タイマーの残り時間はまだ三十分程ある。
「外の様子?」
 アポロンは髭をピンと立て、気配を探るべく“気”を集中した。
「虫たちが何かに怯えている!?」
 アポロンの直感だった。虫の鳴き声が全く聞こえないと言うのは異常だった。つかの間、偶然静まったにしては長すぎる時間だった。
「外に出て見ようよ」
 もなかは既にパジャマから外出着に着替えていた。

 母の若葉を起こさないように、もなかとアポロンは慎重に外に出た。
 父が遺してくれた4LDKの一軒家は、ふたりで住むには大きすぎた。築五年が経過してはいるものの、まだまだ新築と変わらないほどの初々しさを残す父親の遺産は、売りに出せばかなりの額になるだろうと親戚筋から言われたのだが、母親の若葉は手放す気はないようだった。実際、ふたりだけで暮らすのなら、2K程度のアパートで充分なのだが、思い出の詰まった我が家を離れることは、若葉にはなかなか下せない決断のようだった。
 一階と二階にそれぞれ分かれて寝ている夜間は、非常に心細いときもあるのだが、慣れてしまったのか、殆ど気にならなくなっていた。
 もなかとアポロンは玄関から外に出た。
 深夜の独特の雰囲気が体を包み込んだ。
「なにをどう調べる?」
 外には出たものの、どう行動したらいいのか、もなかは迷っていた。ドアの鍵をしっかりと掛け、足下のアポロンに視線を落とした。
「そんなこと俺に聞かれたって………」
 自分の直感を信じて外に出てみたものの、アポロンも考えあぐねていた。ふたりが感じた「異常」の原因が全く分からないのだ。
「思い過ごしだったのかなぁ………」
 緊張が次第に解けるにつれ、再び眠気が襲ってきた。もなかは大きな欠伸をする。
 今夜は久しぶりに熱帯夜ではなかった。寝苦しくてクーラーをタイマーにして眠ったものの、この分だと時間延長はいらないようだ。
「帰って寝直そうか、アポロン………」
 もう一度欠伸をしながら、もなかは言った。昼間は今年何度目かのプールへ行き、目一杯遊んだので疲れていた。今夜はぐっすり眠る予定で、十時にはベッドに潜り込んでいた。
「気のせいだったんだよ。帰ろうよ」
 もなかはアポロンを促すように言った。
「………いや、原因が分かったよ」
 アポロンが真顔で見上げてきた。
「分かったって?」
「周囲に結界が張られているんだ。それも邪悪な結界が………。だから、虫たちが怯えている」
 アポロンの表情は、緊張のために引きつっていた。
 白い月の光が照らし出している町並みに、鋭い視線を投げ掛ける。相変わらず虫の鳴き声は聞こえない。
「こっちだ!」
 気配を察知したのか、アポロンが走り出した。
「え!? ちょっと、待ってよぉ!!」
 慌ててもなかもあとに続く。
 児童公園が見えてきた。滑り台とジャングルジム、そしてブランコの三種類しかない小さな公園だった。もなかも幼い頃、よく遊んだ公園だ。昔は砂場もあったのだが、近年の食中毒問題のあおりを食らってか、今はなくなってしまったようだ。
「誰かいるわね………」
 電柱の陰に身を潜ませ、公園をちらりと覗き見ながら、もなかは呟いた。
 人影はふたつだった。一目見て、何やら妖しげな儀式を行っているのが分かる。
「魔法円だ」
 アポロンが言った。
 ふたつの人影は公園のほぼ中央の位置に、直径二メートルほどの円を描いていた。その中心に、全身を緑色の衣で包んだ人物が、直立不動姿勢で佇んでいる。円の外側に、白髪の長髪の女性が、手に何やら棒のようなものを持って、一心に祈りを捧げていた。薄暗いので断定はできないが、ふたりともかなりの高齢者のような印象を受けた。
「何か、不気味………。どこぞの信教集団のいかがわしい儀式なんじゃないの?」
 もなかは膝小僧を抱えるようにして、屈み込んだ。
「………だと、いいんだがな」
 アポロンはもうしばらく様子を見てみよう言う。
 白髪の女性が手にしているのは、玉串だと思えた。レイが祈祷の時、手にしているのを見たことがある。
 ふたりの祈りが頂点に達した。
 魔法円が閃光を放ち、光の柱が天に向かって上っていく。
「な、なに!?」
 もなかは思わず、大きなこえを上げてしまった。その声がふたりの耳に届いてしまった。
「誰じゃ!?」
「誰じゃ!?」
 ふたりは鋭い眼光で、声が聞こえてきた方向を睨んだ。もなかは慌てて電柱に身を隠した。
自分がスリムであることに、この時ほど感謝したことはなかった。
「乙女のにほいがするぞ」
「乙女のにほいがするぞ」
 ふたりは犬のように、鼻をくんくんとする。電柱の陰で、もなかはどきりとする。
「そこからにほうぞ」
「そこからにほうぞ」
 ふたりが近づいてきているのが、気配で分かった。もなかの心臓は、はち切れんばかりに高鳴っていた。ごくりと唾を飲み込んだ。
「こんな時間に外にいるとは、どこぞの不良娘かのう?」
「きつーいお灸を据えてやらなければ、いかんかのう………」
 間近に迫ってきているようだった。もなかは視線だけを、後方に向けようとする。背後を探るときの、人特有の癖のような仕草である。
「見つけたぞ」
「見つけたぞ」
 前方から声がしたので、もなかは慌てて顔を正面に向けた。
「ひっ!?」
 目と鼻の先に、皺だらけの老婆の顔がふたつ、縦に並んでいた。ひとつは逆さまの状態だった。
 もなかは腰を抜かさんばかりに驚いた。悲鳴を上げる余裕すらなかった。
「ニ゛ャー!!」
 アポロンが飛び掛かった。ふたりの老婆は、瞬時に後方に飛び退く。恐るべき身の軽さである。
「わしらを見たからには、無事には帰さんぞえ〜」
「切り刻んで、スープにしてくれようぞ」
 空中にふわりと浮きながら、ふたりの老婆は皺だらけの顔に、不気味な笑みを浮かべた。
「ちょっと、どうしようアポロン………」
「変身しろ、もなか! やつらは敵だ!」
「へ、変身しろって言ったってぇぇぇ………」
 もなかは泣きべそをかいている。
「俺がやつらを引きつける! その隙に変身するんだ!」
「で、でもぉ………」
「でもも、へったくれもない!」
「い、いやぁ、あのね。今ので腰が抜けちゃってさ………」
「へ!?」
 前方を凝視し、油断なく身構えていたアポロンだったが、もなかの情けない声に後方を振り向いた。
 電柱を背もたれ代わりにして、もなかが尻餅を付いていた。
「ちょ、ちょっぴり、ちびっちゃったっっっ………」
 地面にペタンと尻餅を付いているもなかが、極楽とんぼを従えて、乾いた笑いを放っていた。アポロンとしては、項垂れるしかない。絶体絶命の大ピンチである。この時間なら睡眠を取っているだろう仲間に救いを求めたとしても、五分程度はひとりで持ちこたえなければならない。
「きえぇぇぇ!」
「きえぇぇぇ!」
 老婆はふたり同時に突進してきた。
 シャァァ!!
 一陣の風がふたりの老婆の眼前を通過した。思わず怯んで、空中に静止することとなった。
「なにやつじゃ!?」
「なにやつじゃ!?」
 怒りの視線を左方向に向けた。風が吹き込んできた方向だ。
「こんな夜中に妖しい“気”を放っていたのは、婆さんたちかい?」
 一戸建ての住宅の屋根に、月明かりを浴びて颯爽と登場したのは、黒いマントを纏った白磁の仮面の怪人だった。
「オペラ座仮面………!」
 もなかは小さく叫んだ。この距離では、もなかの声は彼には届いていないだろう。オペラ座仮面と言う名を知っているのは、セーラー戦士だけであって、一般の女子中学生が知っているはずはない。オペラ座仮面に聞こえていたら、正体がバレてしまうところだった。
「なんじゃ、お前は!?」
「なんじゃ、お前は!?」
 老婆たちは鋭い眼光で睨みながら、問い質すように訊いてきた。
「お前ら雑魚に名乗る名はないね。なぁ、相棒?」
「そう言う言い方はやめてくれって、言ってるだろう?」
 オペラ座仮面の背後から、セーラーカロンが姿を現した。オペラ座仮面の「相棒」呼ばわりされたことが不服だったらしく、少々ご機嫌斜めの様子だった。
「この『白髪の祈祷師』を愚弄するか!?」
 白髪の老婆が、玉串を振り翳しながら言った。
「この『緑衣の錬金術師』を雑魚扱いするのか!?」
 全身を緑色の衣で纏った老婆が、大袈裟に両手を広げながら言った。
「………別に名前なんて聞いてないって言うのに………」
 オペラ座仮面はぼやいてみせると、次にもなかに視線を向けた。
「さぁ、お嬢ちゃん。あとは俺たちに任せて家に帰んな! こんな夜中に出歩いているから、恐い思いをするんだよ。これに懲りて、明日からは夜中の外出を控えるんだね!」
「は、はい! しっつれいしましたぁ!!」
 ドピューンという風の如く、もなかはその場から逃げ去った。もちろん、本当に逃げ去ったのではなく、そうしたふりを見せただけである。彼らから見えない位置で、変身をしようというのが本当の狙いだった。
「さぁて、ここで何をしていたのかなぁ? 婆さんたちは………」
 言葉とは裏腹に、オペラ座仮面は鋭く射るような視線を、ふたりの奇怪な老婆に向けた。
「お前たちが知る必要はない」
「ここで死ぬのだからなぁ」
 ふたりの老婆は言うと、お歯黒をべったりとした歯を見せた。
「ちっ! こんな婆はさっさとやっつけて、家帰って寝ようや………」
 オペラ座仮面は、自分より半歩後ろに下がっているセーラーカロンを、ちらりと振り返った。セーラーカロンは苦笑する。
「さぁて、おっ始めようか!」
 オペラ座仮面が指の関節をボキボキと鳴らしたとき、突如昼間のような光が辺りを照らし出した。
「な、なんだぁ!?」
 オペラ座仮面も一瞬びっくりしたように、その光が発せられた場所に視線を向けた。
 光はすぐに消滅し、そこにセーラー服の戦士が出現する。
「こんな夜中にへんな祈祷をするお婆ちゃん! 周囲に張っている結界を解きなさい! 虫たちが怯えているじゃない! 夢と希望のセーラー服美少女戦士セーラーサン! 日輪の名の下に成敗するわ!!」
 青い瓦屋根の上で、セーラーサンは颯爽と見得を切った。
「セーラー戦士と名乗ったか!?」
「セーラー戦士と名乗ったか!?」
 ふたりの老婆の視線がセーラーサンに移動した。ギロリとした目が、妖しい光を放った。
「捕らえて帰れば、褒美が貰えるぞ」
「何としてでも捕らえようぞ」
 同時に飛び掛かってきた。歯を剥き出しにして、覆い被さるように飛び込んでくる。
「ひえぇぇっ!」
 セーラーサンは逃げるように、その場から飛び退った。隣の家の屋根に飛び移る。
 獲物を取り逃がした老婆たちだったが、その鋭い眼光はセーラーサンを捕らえていた。瞬時に次の行動に移る。
「婆は消えな!」
 魔爪を伸ばしたオペラ座仮面が割り込んできた。魔爪を伸ばした右手を、横に一閃する。白髪の祈祷師と名乗った方の老婆の首が、胴体から切り離されて闇夜に舞った。
「ぬうっ!?」
 怯んだ緑衣の錬金術師に、セーラーカロンの放った光線技が直撃する。呪いの言葉を残して、緑衣の錬金術師は消滅していった。
「他愛もない」
 セーラーカロンは肩を竦めた。
「あ、あたしのやることがない………」
 ふたりのあまりにもの手際の良さに、セーラーサンは目を丸くするしかなかった。呆然とその場に立ち竦むのみである。もっとも、現在戦闘能力が皆無に等しいセーラーサンが、ふたりの老婆を相手に戦うことは不可能に近かった。オペラ座仮面とセーラーカロンが現れてくれたことは、彼女にとっては幸運だったのだ。
「馬鹿面してないで、さっさと付いて来な! 公園に行くぞ」
 正に間抜け面してぼうっとしていたセーラーサンに、オペラ座仮面は声を掛けると、自分はさっさと児童公園の方に移動してしまった。既にセーラーカロンは、児童公園の魔法円の前で、オペラ座仮面のことを待っていた。
 セーラーサンも慌てて公園に向かおうとした。その目の前に、
「恨めしやぁ………!」
 白髪の老婆の顔があった。オペラ座仮面によって、胴体から切断されてしまった、白髪の祈祷師の頭だった。
「!」
 セーラーサンは声も出ない。そのセーラーサンの眼前で、彼女に噛み付こうと、白髪の祈祷師は口をガバリと開ける。
「くっ!」
 アポロンが牽制に入った。全身に炎を纏い、寸でのところで白髪の祈祷師の頭に体当たりが成功した。
「助けてやれば?」
 魔法円の前で、白髪の祈祷師の頭に襲われているセーラーサンの姿が視界に飛び込んできたセーラーカロンは、傍らのオペラ座仮面に訊いてみた。
「そうそうサービスはしてあげられない。それに、あの程度が倒せないんじゃ、この先が思いやられるよ。だからあいつも助けないのさ」
「あいつ?」
「ああ………」
 オペラ座仮面は顎をしゃくる。セーラーカロンがその先に視線を向けると、ブロック塀の陰にチラリと人影が見えた。
「何者? あんたと似たような格好をしているけど………」
「さあな………。俺の知り合いじゃぁないぜ」
 オペラ座仮面は肩を竦めた。ブロック塀の陰の人影は、こちらを一瞬ちらりと見たようだった。
 オペラ座仮面は小さく笑みを浮かべただけで、その後はブロック塀には視線を向けることはなかった。
「これね、やつらが探していたものは」
 セーラーカロンは魔法円の中心にぷかりと浮いている、小さな物体を手に取った。指輪だった。
「『真実の指輪』だよ………」
「ふうん。けっこう詳しいのね。………あたしに隠し事してるでしょ?」
「なんでそう思う?」
「なんとなくよ」
 セーラーカロンは笑って見せた。
 凄まじい衝撃が起こった。
「なに!?」
「なんだ!?」
 ふたりは同時に叫んでいた。
 セーラーサンが吹っ飛んでくる。
「どうした!? ぬ!?」
 セーラーサンを助け起こしながら、彼女が飛んできた方向に目を向けたオペラ座仮面は、再び驚きの声をあげた。
 頭だけとなった白髪の老婆が巨大化していたのだ。優に五メートルはある。
「うらめしやぁ………!」
 呪いの雄叫びをあげて、白髪の老婆の頭は突進してきた。
「まったくしぶといね!」
 セーラーカロンが衝撃波を放つが、全くの無意味だった。衝撃波を物ともせず、白髪の老婆の頭は急激に迫ってきた。僅かに反応が遅れたカロンは、白髪の老婆の頭にモロに激突して吹っ飛んだ。
「輪っか頭ちゃん! なんかぶったまげるようなとっておきの必殺技はないのか!?」
 まるでラグビーボールのようにセーラーサンを抱えて走るオペラ座仮面は、突進してくる白髪の老婆の頭を巧みに躱しながら訊いてきた。
「それがそのぉ………。残念ながら………」
「な、なにぃ………。お前、一応セーラー戦士なんだろう?」
「ええ、まぁ、一応………」
 セーラーサンは顔を真っ赤にしながら俯いた。戦士として何も技を持っていないことを指摘されて俯いたのではなく、オペラ座仮面の腕が自分の胸に触れていることに気付いたからである。もちろん、必死に逃げているオペラ座仮面はそのことに気付いているはずもない。
「も、もういいわ降ろして」
 さすがに恥ずかしくなったセーラーサンは、このままラグビーボールの役を続けているわけにはいかなくなった。
「戦えるのか?」
「援護ぐらいはできるわよ」
 右手を胸に当て、大きく深呼吸をすると、セーラーサンは答えた。白髪の老婆の巨大な顔が、鬼の形相で突進してくるのが、オペラ座仮面の肩越しに見えた。
「早い!?」
 接近してくるスピードが、思っていたより速かった。反撃の体勢を取ろうとするが、間に合わない。
 シュッ。
 その時、白髪の老婆の鼻先を何かが掠めて通過した。老婆の巨大な顔が、一瞬動きを止めた。
「オペラ座仮面!!」
「分かってる!」
 オペラ座仮面は背面飛びで老婆の頭を飛び越すと、地面に着地する僅かの間に魔爪を伸ばした。
「サンシャイン・フラーシュ!!」
 自分に向かって真っ直ぐに突進してくる白髪の老婆の頭目掛けて、セーラーサンは凄まじい閃光を放った。カメラのフラッシュのような強烈な閃光を直視した白髪の祈祷師の頭は、身の毛もよだつ悲鳴を上げて、苦しげに地面を転がり回った。
「ようし! ここだ!!」
 オペラ座仮面の合図を受け、体勢を整えていたカロンが衝撃波を炸裂させる。それに呼応するかのように、オペラ座仮面もエネルギー波を放つ。
「ぎあぁぁぁ!!」
 地面を転がり回っていた老婆の頭は、断末魔の叫び声をあげながら消滅していった。
「そういう技があるんだったら、最初から使えよ」
 悪態を付きながら歩み寄ってきたオペラ座仮面だったが、口元には笑みを浮かべていた。
「さあて、こいつをどうすっかなぁ………」
 ポケットにしまっていたらしい指輪を取り出すと、掌の上で転がしてみせる。
「何よ、それ!? 指輪………?」
 物珍しげにセーラーサンが覗き込む。
「こんなところに封印されていたとは気付かなかったが………」
 更に何事か言おうとしていたオペラ座仮面だったが、次の言葉を言うことはできなかった。
 掌の上で転がしていた指輪が、どこからともなく出現した鞭によって、絡め取られてしまったのだ。
「なにしやがる!?」
 鞭が飛んできた方向に、オペラ座仮面は視線を向ける。
「『指輪』の存在を知っている貴様は、いったい何者だ!?」
 澄んだ女性の声が闇に響いた。ジャングルジムの上に、ひとりの美しい女性が立っていた。
「お前こそ何者だ!?」
「わたしはワルキューレ。この『指輪』は貰ってゆくぞ」
 恐ろしく冷たい声で言い放つと、ワルキューレは宙に浮かび上がった。「指輪」を取り返そうと肉迫してきたセーラーカロンを吐息だけで吹き飛ばすと、上空の闇の中に消えていった。
「ちっ!」
 オペラ座仮面としては、舌打ちするしかなかった。
「何なの? あの指輪………」
「時期が来たら教えてやるよ………」
 オペラ座仮面は言うと、くるりときびすを返した。やがて、その背中は夜の闇の中に溶け込んでゆく。いつの間にか、セーラーカロンの姿も見えなくなっていた。
 アポロンが足下に寄ってきた。
「結界は解けたようだ」
 アポロンの声が聞こえたのと同時に、静寂だった空間に「音」が戻ってきた。
 気付かなかったが、今夜は虫のうるさい晩だったようだ。
「何だろう、これ………」
 セーラーサンは、アスファルトに突き刺さっている一輪の赤いバラを見付けた。アスファルトから引き抜き、物珍しそうに観察する。
 セーラーサンは赤いバラの意味を、まだ知らなかった。