シュトロンハイム城
マーキュリーはポケコンを実体化し、キーボードを操作し始めた。実際のキーボードよりキーの少ないポケコンは、複雑な組み合わせによって一語を入力する。通常のものより、かなり多めにキーを叩く必要があるわけだ。マーキュリーは目まぐるしく指を動かしながら、発信器追尾のためのレーダー画面を起動させた。
レーダー画面が起動し、赤い光点が映し出される。赤い光点は点滅しながら移動していた。
マーキュリーは体を巡らした。パデュリーとサマンサの逃走した方角へである。
「………ヴァンパイア城?」
マーキュリーは小さく声をあげた。ネプチューンが画面を覗く。
画面には周囲の地図が、簡略化して写し出されていた。レーダー画面に周囲の地図を重ね合わせたのである。その一カ所で、赤い光点は停止していた。目的地に到着したためだと判断できる。
「ここは………!?」
ネプチューンは驚きのために、目を見開いた。
「はるかが捕らわれた、シュトロンハイム城!?」
「全ての謎は、ヴァンパイア城にあるわけですね………」
マーキュリーは考え込むような仕草をした。
「でも、そんなはずないわ! あのあと、あたしはこの目で調べたのよ! その時は、既にだれもいなかったわ!!」
「ですけど、サマンサたちはあの城に向かいました。あの城には、まだ何かあるはずです。ネプチューンの目を誤魔化したのは、トリックかもしれません」
マーキュリーはネプチューンの目を見つめた。動揺を隠しきれないネプチューンに対し、意外にもマーキュリーは落ち着き払っていた。
「らしくなく、動揺しているわね。あたしは………」
ネプチューンは自嘲気味に笑った。
パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。事件を目撃した人の手によって、警察に知らされたのだろうか。
気を失ったまま倒れている友人のカーサに、マーキュリーは視線を向けた。
「ここの処理は、警察に任せましょう」
言いながら、マーキュリーはネプチューンを真っ直ぐに見つめた。
小鳥も虫さえもいない雑木林を抜け、マーキュリーとネプチューンのふたりは、目的地に辿り着いた。
シュトロンハイム城の周囲は、相変わらず薄暗かった。彷徨く野良猫も、飛び交う小鳥も確認できない。あたりは不気味に静まり返っていた。
「無闇に飛び込んでは、あたしたちの二の舞よ」
ネプチューンは悔しげに呻いた。罠だと感づいていたにも関わらず、結局は敵の思う壺にはまってしまったのだ。手痛いミスであった。その代償が、セーラーウラヌスだった。
何としてでも救い出さなければならない。
「複雑な作りになっていますけど、城そのものには異常な点はありませんね。何かあるとすれば地下でしょう」
マーキュリーには珍しく、曖昧な口調だった。ゴーグルで周囲を透視しているはずなのに、断定した言い方をしていない。
ネプチューンには、それが引っかかった。
「地下がシールドされているんです。わたしのゴーグルでも透視( ぞけないんです」)
ネプチューンの疑問を感じ取ったマーキュリーは、即座に答える。
「正面から乗り込むのは危険ね………」
ネプチューンは顎に手を当てる。強行突破はリスクが大きすぎる。はるかの身の安全も保障できないし、なによりも捕らわれているのがはるかだけとは限らない。先程城に入ったときは、さすがにそこまでは確認できなかったが、他の女の子たちも捕らわれている可能性は高い。サマンサはここから逃げ出した可能性が強いのである。彼女たちの安全を確認するまでは、迂闊な行動は控えなければならない。彼女たちを救い出すことが、第一条件なのである。敵を倒すことではない。
マーキュリーはゴーグルを装着したまま、周囲を再び見回す。最適な進入路を探しだそうというのである。
「センサーやカメラのような、近代的な監視システムは設置していないようです。どこからでも侵入するのは簡単でしょうけど、それからが問題ですね」
マーキュリーは、横に並ぶネプチューンに目を向けた。
「侵入してみましょう。強行するつもりはないけど、このままじっとしていても埒が開かないわ。行動を起こさなければ………」
ネプチューンは答えた。
城の内部は、先程紳士に案内されたときより陰湿な感じがした。明かり取りから差し込む陽の光は例によって殆どなく、蝋燭の明かりもなかったが、変身している彼女たちには進行を妨げるようなものではなかった。
紳士に一通り案内されていたために、城の内部で迷うようなことはなかった。ネプチューンが先に立って通路を歩いた。
変身している彼女たちは、変身前に比べて夜目が効く。でなければ、暗闇では戦闘はできない。もちろん、マーキュリーのゴーグルがあるために、普段異常に暗闇でも周囲の状況は把握できる。
通路を歩くネプチューンが、ふと足を止めた。
「鎧がないわ………」
先程案内されたときに、そこにあったはずの鎧がなかった。わざわざ動かす意味があるとは思えなかった。
「あの鎧の中に、蝙蝠人間が潜んでいた………?」
そう考えれば、ある程度の説明は付く。鎧に感じた人の温もりは、蝙蝠人間のものだったのかもしれない。ただ、あのときに中に何かが潜んでいることを見抜いていれば、その後の悲劇は免れられたかもしれないと思うと、ひどく悔やまれた。
階段を下りた。
マーキュリーのゴーグルを持ってしても覗けない、秘密の空間である。案の定、地下に降りると、マーキュリーのゴーグルは役に立たなくなった。強力なシールドが、縦横無尽に張り巡らされているのである。これでは地上からはおろか、地下に降りてみても透視することはできない。
マーキュリーは諦め顔で首を横に振ると、ゴーグルを閉じた。後はポケコンで、敵が潜んでいそうな地点を、計算で割り出させるしかない。もちろん、はるかたち女の子が捕らわれていそうな地点も、同時に計算する。
「あくまでも、確率でしかないわ」
そう言って、マーキュリーはポケコンの画面をネプチューンに見せた。
城の地下の概略図が写し出されている。ところどころのブロックに、色分けされた光点が示されていた。
「赤い光点が、敵だと思われるもの。青い光点が、それ以外の生命反応です」
「この広いブロックが、おそらく、あたしたちが戦ったブロックね。敵が集中しているわね。そして、青い光点がひとつだけ………」
ネプチューンの声は緊張していた。
「このブロックに、青い光点が集中してるわ。さらわれた女の子たちのようです」
画面を横にスクロールさせ、別の区画を写し出す。やや広いブロックに、青い光点が集中していた。さらわれた女の子たちに間違いはないと思う。だとすると、広いブロックにひとつだけ示されている青い光点は、はるかである可能性が非常に高い。はるかでないとしたら、サマンサであろう。
ふたりは無言で頷き合うと、青い光点が集中しているブロックに向けて、ゆっくりと移動を開始した。
いくら近くにはるかがいるとしても、はるかを先に救出することはできない。自分たちが侵入していることが知れれば、捕らわれている女の子たちの救出が困難になってしまう。脱出するのも難しい。
敵に発見されないよう、慎重に移動しながら、ふたりは女の子たちが捕らわれているであろうブロックに辿り着いた。
「脱出ルートは?」
「何度かシュミレーションしましたが、安全で最短だと思われるルートはひとつだけです。わたしが誘導しますから、ネプチューン( は後方を頼みます」)
「OK!」
ふたりはブロックに突入する。敵はいないはずである。脱出させることは、それほど難しくはない。
女の子たちは、全部で八人。突入してきたネプチューンたちに、一斉に視線を向けた。生気のない目だった。
ふたりを見ているにも関わらず、反応が全くなかった。
「サマンサがいない………」
パデュリーとともに、城に戻ったはずのサマンサの姿が見えなかった。青い光点は、このブロックの他には見当たらなかった。この城にはいないのか、それとも………。
ネプチューンの脳裏で、何かが弾けた。
「マーキュリー( ! 彼女たちから離れて!!」)
ネプチューンは叫ぶと同時に、シャボン・スプレーを発生させた。濃い霧のために、周囲が見えなくなる。よほど慌てて発生させたのだろう。霧の濃さのコントロールがされていない。これではマーキュリーにもネプチューンの位置が分からない。しかし、マーキュリーの耳には、先程のネプチューンの声が残っていた。それで、彼女のいた位置が分かる。
耳に残っている声を頼りに、マーキュリーは霧の中を移動した。
閃光が煌めいた。
ネプチューンが何らかの技を放ったのだろうが、濃い霧のためにどんな技を放ったのかは分からない。技の直撃を受けたのだろう。女の子のうめき声だけが耳に届いた。
霧が晴れてきた。次第に周囲の状況がはっきりしてくる。
ネプチューンは、自分の僅か前方に位置していた。更にその先には、女の子たちが倒れている。
「危ないところだったわ」
ネプチューンは言いながら振り向いた。
「彼女たちは、全員正気じゃないわ。見て………」
倒れている女の子のひとりに歩み寄ると、その女の子の首筋がマーキュリーに見えるように、女の子の髪を掻き分けた。
「牙の痕………?」
そういう印象だった。首筋に丸い傷が二カ所ある。映画で見たことのある、吸血鬼が噛み付いた痕によく似ていた。
「遅かったようね………」
呟くように、ネプチューンは言った。吸血鬼に血を吸われた者は、同じく吸血鬼になる。それは定説のようなものだ。実際に自分の目で見て、その定説が間違いでなかったことを確認した。さらわれた女の子たちは、全員血を吸われてしまっている。すなわち、吸血鬼になってしまったのだ。
「もとに戻す方法は………?」
映画と同じならば、彼女たちを元に戻す方法はない。血を吸った本人を倒せば元に戻るなどという安易な設定は、子供向けの特撮ものぐらいである。
「ネプチューン( 。広間の方に急ぎましょう。あの青い光点がはるかさんだったとしたら、手遅れにならないうちに助けなければ………!」)
もう遠慮している必要はなかった。広間の青い光点がはるかだとしたら、彼女以外は全て敵なのだ。
さらわれた女の子たちはネプチューンの攻撃で体が麻痺しているはずだから、しばらくの間は行動できない。敵に彼女たちを盾にされる心配は、これでないことになる。
合体技で扉を破壊した。あらかじめ破壊しておけば、閉じこめられる心配はない。脱出路を確保しておくのも、戦いの基本である。
セーラーウラヌスの姿のはるかが、真っ先に視界に飛び込んできた。
白いドレス姿の女性たちが数人見える。
豪華な椅子に、千年魔女メディアが腰を降ろしている。ウラヌスはその足下に倒れていた。メディアがウラヌスの頭を持ち上げ、自分の方に引き寄せていた。
千年魔女メディアがウラヌスの首筋に牙を立てようとしている、正にその瞬間だった。
轟音とともに広間に飛び込んできたふたりを一瞥すると、メディアは抱えていたウラヌスの頭を無造作に放し、ゆっくりと椅子から立ち上がった。薬か何かで眠らせれているのか、ウラヌスは床に頭を打ち付けたにも関わらず、ピクリとも動かなかった。
「仲間を連れてきてくれたとは、まさしくわたくしの狙い通りだったわね………」
「狙い通り?」
「そう、そのために、わたくしはあなたを逃がすように指示をした。その気になれば、あのときにあなたも捕らえることはできたのよ」
メディアは不敵な笑みを浮かべていた。自分の思い通りに事が運んだことへの、満足げな笑みであった。
「わたしが尾行( けられるのも、計算の内だったのよ」)
数人のドレス姿の女性の中から、声の主が一歩歩み出た。
「サマンサ!? じゃあ、さっきのは………!?」
マーキュリーは驚きの眼差しでサマンサを見つめた。サマンサはそんなマーキュリーを一瞥すると、ネプチューンに視線を向ける。
「そう。全てお芝居よ。なかなかの名演技だったでしょ? メディア様は、街でひと騒動起こせば、必ずあなたが現れるとお考えになったのよ。捉えられた仲間を救出するために、必ずわたしたちに接触してくるってね。そっちの彼女が現れるのは計算外だったから、パデュリー様がいらっしゃった。あなた方はまんまとメディア様の張られた罠に掛かったというわけよ」
得意げにサマンサは言った。
「仲間がいるかもしれないと思ったから、あなたを逃がすことにしたの。正解だったわね」
サマンサに続いて、メディアがいかにも楽しそうに言った。まわりに待機しているドレス姿の女性たちが、クスクスと笑いを漏らしている。
「なんてこと………」
ネプチューンは首を左右に振った。これでは自分はピエロだった。メディアに踊らされ、まんまとマーキュリーを連れて城に乗り込んでしまった。全ては自分のミスだ。
「ふたりとも、極上の処女( の血を持っているようです。神祖様も、さぞかしお喜びになられることでしょう」)
女性たちの間から、紳士バートリーが姿を現した。背後には蝙蝠人間たちを従えている。「脱出してみせるわ!!」
叫んだのはマーキュリーだった。強い意志ある声は、まるで生き物のように広間に響き渡った。手には既に、マーキュリー・ハープが握られている。
アクア・ラプソディーの聖なる音色が、美しいメロディーを奏でる。浄化のメロディーだ。
「な、なんだ!? 何をした!?」
ドレスの女性や蝙蝠人間たちが、苦しげに呻きだした。
「ネプチューン( !!」)
我を失っていたネプチューンは、その声で現実に戻った。茫然としている場合ではない。ウラヌスを連れて脱出しなければならないのだ。
ネプチューンは大きくジャンプする。シャンデリアに掴まり反動を付けると、勢いをつけてメディアに突進した。
「なっ!?」
メディアは一瞬狼狽えた。そこに隙が生じた。
深海堤潮流( を前面に照射する。)
「メディア様!!」
バートリーがメディアを庇って、深海堤潮流( の直撃を受けて消滅した。バートリーが消滅したことでコントロールを失った蝙蝠人間たちは、まわりにいるドレスの女性たちに正に獣のように襲いかかった。)
ドレスを引き裂き、ところ構わずかぶりつく。鮮血が飛び散り、悲鳴が耳を劈いた。
「メディア様! ここはお退きください!」
パデュリーが現れた。先程まで広間にはいなかったパデュリーだったが、この騒ぎで駆けつけてきたのだろう。
憮然とした態度で、ふたりのセーラー戦士を睨み付けていた千年魔女だったが、パデュリーの言葉で決断した。
ここは退くしかない。
足下に倒れているウラヌスを抱え上げると、ふわりと舞い上がった。
「その顔、その姿。決して忘れぬぞ!」
怒りに顔を歪めながら、メディアは吐き捨てるように言った。
「ウラヌス( !!」)
ネプチューンはメディアに挑もうと身を翻したが、それよりも先に、メディアの姿は一瞬陽炎のように揺らめいたかと思うと、すうっと消えてしまった。
「ウラヌス( !!」)
メディアとウラヌスが消滅した空間を、ネプチューンは悔しげに見つめるしかない。
ウラヌスは再び連れさらわれてしまった。救い出すことができなかった。
ネプチューンは唇をきつく噛み締める。
閃光が煌めいた。それは明らかに、威嚇のための閃光波だった。
城はもぬけの殻だった。
光が消滅し、周囲を見渡したときには、そこに人影は全くなかった。
狂ったように暴れていた蝙蝠人間も、悲鳴をあげて逃げ惑っていたドレス姿の女性たちも、忽然と姿を消してしまったのだ。とらわれたあげく、血を吸われ吸血鬼にされてしまった女の子たちの姿も、ネプチューンたちが部屋に行ったときには姿はなかった。
「なんて、こと………」
がっくりと膝を付き、ネプチューンは項垂れた。
ウラヌスを救い出すことができなかった。それだけではない。手掛かりがプッツリと切れてしまったのだ。
「どうしたらいいの………。はるか………」
「ネプチューン( ………」)
マーキュリーには、ネプチューンを慰める言葉も見つからなかった。
静寂を取り戻したシュトロンハイム城の薔薇の咲き乱れている中庭で、ふたりのセーラー戦士は、ただただ途方に暮れるしかなかった。