生ける死者(モール・ヴィヴァン)の城


 ウェーザー川を背に、ベッチャー通りを進んできたはるかとみちるは、マルクト広場に到達すると、一休みすることにした。
 正面には「ブレーメンの音楽隊」の銅像で有名な、市庁舎がその華麗な姿を見せている。
 広場のほぼ中央に位置している英雄ローラントの巨大な立像を見上げ、はるかは深い溜息をついた。
「なあに、はるか………。退屈そうね………」
 自分と一緒じゃ退屈なのかという皮肉を込めて、みちるは横目を流した。はるかとみちるのつき合いは長い。みちるが皮肉を込めて言っているのは、はるかも分かっていた。まるで自分たちがデートをしているような言い方をするのは、みちるの癖のようなものだった。
 はるかはみちるをチラリと見やると、小さく笑った。
「せっかくドイツまで来たっていうのに、何の手掛かりもないんじゃね」
 はるかは肩を竦める。
 確かに事件は起きている。若い女性が行方不明になっているのだ。自分たちが、ドイツに来てからも、行方不明者は出ている。もちろん、マスコミも取り上げている。なのに、全く手掛かりがない。
 フランスでは“毛むくじゃら”が出現して大騒ぎになったが、ドイツではその“毛むくじゃら”自体現れない。騒ぎを起こしてくれなければ、自分たちは敵にも接触できないのだ。
「あたしたちは、何か勘違いをしているんだろうか?」
 自分たちの推測が、間違っている可能性もあるのだ。今まで自分たちの第六感を信じて戦ってきた彼女たちは、その第六感に対して絶対の自信を持っていた。しかし、今回に限り、その第六感は外れようとしている。はるかが納得できないのも無理はない。
「このあいだ、アルテミスも電話で変なことを話してたって、言ってたかしら?」
 自分たちが宿泊しているホテルに、二‐三日前にアルテミスから国際電話が掛かってきた。その電話で、アルテミスは今回は敵が二者いる可能性を匂わしていた。直接その電話で受け答えしていたはるかは、確かにその可能性は捨てきれないと感じていた。
「そう。あいつは組織がふたつあるんじゃないかって言ってたのよね」
 はるかはアルテミスからの電話の内容を思い出していた。アルテミスは、“毛むくじゃら”の今までの行動と、はるかの出会ったヴァンパイアの行動が大きく異なることから、全く別の組織に属しているのではないかと推測していた。
「ドイツとフランスで事件が微妙に食い違うのも、そのせいなのかしら………」
 みちるは、顎に手を当てた。
 ドイツとフランスで起こっている事件を比べてみると、微妙な食い違いがある。確かに両方とも行方不明事件ではあるのだけれど、フランスでは男性も同様に失踪しているのに対し、ドイツではその全てが女性なのだ。しかも、未婚者に限られている。その点、フランスでは殆ど統一性がない。若い女性が多く狙われているようだが、限定されているわけではないのだ。そして、大きな違いは、フランスでは“毛むくじゃら”が度々出現しているのに対し、ドイツで“毛むくじゃら”が出現したのは、事件が起こり始めた初期の頃だけである。最近では全く現れていない。
「若い女性ばかり狙われているわけだから、こうして町中を歩いて入れば、そのうちあたしたちも敵さんに出会えるとは思うけどね………」
 自分たちを標的にしてくれれば、一石二鳥なのである。だからこそ、はるかも女性の姿のまま出歩いているのである。
 はるかは「攻め」のタイプの戦士である。だからこのような受け身にまわると、思い切り退屈してしまう。逆にみちるは、「守り」のタイプの戦士である。相手の出方をじっくりと伺ってから、反撃に出る。こんなふたりだから、上手い具合にバランスが取れているのだろう。
 自由都市のシンボル、英雄ローラントの像を見上げていたはるかは、視線を右に移動させた。聖ペトリ大聖堂の二本の尖塔が見える。真っ直ぐに天を突き刺すように聳えている、二本の尖塔が特徴の大聖堂である。
 こういう光景ばかりを見ていると、本当に観光旅行にでも来ているような気分になる。
「亜美はどうしてる?」
 はるかは亜美のことを思い出した。合流はしているものの、行動をともにしているわけではない。亜美のホームステイ先のブレーメンの郊外に、はるかたちもホテルを取っているが、ハンブルグの衛のアパートの近くで再会して以来、まともに話をしていない。
 亜美が忙しかったせいもある。もちろん、はるかたちが遠慮していたためでもあった。
 医者になるために、わざわざドイツに留学してきている亜美を、できれば戦いに巻き込みたくはないのだ。できることならば、亜美の手を煩わせたくはない。亜美には勉強に専念して欲しかった。だからこうして、亜美を誘わずに、ふたりだけで調査しているのである。
「亜美の大学でも、行方不明者は出ているらしいわ。もっとも、亜美の大学では、吸血鬼の仕業じゃないかって、言われているらしいけど………」
「吸血鬼か………」
 はるかは考え込んだ。自分もウィーンで本物のヴァンパイアに遭遇している。ヴァンパイアは想像上のモンスターでないことは、自らが遭遇しているのだから明白である。
「亜美の大学の近くに、古いお城があるのよ。地元では、ヴァンパイア城って、呼ばれてるんですって。所有者もいないらしく、最近では放置されたままになっているそうよ」
 みちるは亜美から聞いた話を、はるかに聞かせた。はるかはそのみちるの話を、興味深げに聞いていた。
「探りを入れてみようか………」
 話を聞き終えたはるかは、足下を見つめたまま低く呟いた。
「単なる噂かも………」
「火のないところに、煙は立たないよ。もっとも、日本のマスコミは、火のないところにも煙を立てるけど………。ここは、日本じゃないしね。偶然すぎるってのも、気になるわ」
 はるかは冗談まじりに言う。
「それじゃあ、すぐに行きましょうか?」
 わざわざ確かめることもないようなことを、みちるははるかに訊いていた。

 ヴァンパイア城────ドイツの旧家シュトロンハイム家の城だというのが、亜美から聞い
た情報だった。一族は既に死に絶え、数年前までは、一族に使えていた執事の血筋の者が城を守っていたらしいが、いつの間にやら城は放置されてしまっていた。
 古ぼけてしまった城は近づく者を拒み続け、雑木林に囲まれているせいもあって、昼間でも薄暗く、正に吸血鬼の住む城そのもののようであった。だからこそ、ヴァンパイア城などという、不名誉な俗称が付けられてしまったのだろう。
「ひどいものね………」
 荒れ放題の庭に足を踏み入れた、みちるの第一声だった。
 雑草が生え放題生え、好き勝手に成長した薔薇の群が所狭しと生い茂っている。薔薇の花が好きなみちるでも、これでは幻滅してしまう。手入れをされていない薔薇ほど、見苦しいものはない。
 生い茂った雑木のせいで、昼間だというのに異様に薄暗かった。
 ひんやりとした黴臭い風が、どこからともなく吹いてくる。
「ヴァンパイア城とは、よく言ったものだわ………」
 やはり噂はただの噂だったようだ。全く人のいる気配がない。生き物の気配が全くしない。城の周囲には静寂しかない。
「おかしいとは思わない?」
 はるかの声は重かった。
「何のこと?」
 はるかの真意を測りかねて、みちるは聞き返した。
「ここだけ、生き物の気配が全くない。ふつう、野良犬か野良猫ぐらいはいるものよ。鳥さえもいない」
「そう言われてみればそうね………」
 確かに、これだけの雑木があるのだから、小鳥たちのさえずりが聞こえている方が自然だった。なのに、全く聞こえない。まるで、小鳥たちがこの城のまわりを意識して避けているようだった。野良犬や、野良猫の姿も見かけない。
「ここにはやはり、何かあるわ………」
「何かって………?」
「みちる! あれを見て!!」
 はるかは左斜め前方を指し示した。みちるは視線を流した。
「………? 人が通ったあとかしら………」
 荒れ放題の雑草が、確かにそこだけ不自然だった。一見しただけでは分からないが、確かに手を加えた痕跡がある。薔薇の枝も、その一帯だけを微妙に避けている。はるかたちでなければ、見過ごしてしまいそうな僅かな痕跡だった。
「人の通り道ね。しかも、他人には分からないように、微妙に細工をしているわ」
 はるかは、不自然な箇所を探りながら言った。はるかの背後から覗き込むようにして見ていたみちるも、はるかの考えを肯定するかのように頷いた。
「城の中には入れないかしら………」
「少し危険かもしれないけど、行ってみよう。何か手掛かりがあるかもしれない」
 ふたりは細工された雑草の通路を、城に向かって歩き出した。確かに、他の部分と比べると、こちらの方が遥かに歩きやすい。薔薇の棘を気にせず歩けるし、地面も僅かに踏み固められていた。
 城の外壁はかなり痛んでいた。風化して、穴の開いているところもある。外壁に手を加えた形跡はない。
「懐中電灯がいるわね」
 隙間から、城の内部を覗き込んだみちるが言った。放置された城に、蝋燭などあるわけがない。誰かしらが現在使用しているとしても、庭に細工をするくらいの相手である、そんな痕跡を残しているとは思えない。
「出直すしかないわね………」
 残念そうに、はるかも言った。明かりがないのでは、城の内部は調べられない。明かり取りの窓はあるのだが、まわりの雑木林のせいもあって、申し訳程度の窓では、城の内部を明るく照らすだけの光は入らない。それとも、わざわざ光があまり差し込まないように設計したのだろうか。
 ひやりとした空気は、城の中から流れ出ているようだった。
「本当にヴァンパイアが出ても、おかしくはないところね………」
 第一印象と同じことを、みちるは呟いていた。
「昼間でよかったわね」
 にこりと微笑みながら、はるかは言った。はるかの言葉には、幽霊でもでそうだという意味が含まれている。
「はるかはお化け屋敷は、あまり得意じゃないものね」
「そうは見えないって、言いたいんでしょ?」
「うさぎが聞いたら、目を真ん丸にして驚くわよ」
「そうかもね………」
 はるかは苦笑した。はるかがお化け屋敷が苦手なことは、仲間内ではみちるしか知らないことだった。
「観光の方ですかな………?」
 不意に、背後で声がした。ふたりはドキリとして、背後を振り向いた。
 紳士がいた。こんな場所には不釣り合いな、ダンディーな紳士だった。声をかけられる直前まで、気配を感じなかった。タキシードを身に着け、暖かな笑みを浮かべて佇んでいた。
「荒れ放題ですが、ここはわたしの城なのですよ」
 紳士は痛みの激しい外壁を、労るような目で見つめていた。
「空き城になっていると聞きましたが………」
 極めて自然な口調で、はるかは質問した。だが、油断はしていない。気配を感じさせずに近づいてきたということは、やはりただ者ではない。気の抜けない相手だと感じていた。
「世間的には、放置されたことになっています。近年まではわたしの執事だった男の家系が城を守ってくれていたのですが、家系が途絶えてしまいましてね。それからずっと、放置されていることになっているのですよ。中をご覧になりますか?」
 紳士は音もなく移動した。雑草を踏んでいるはずなのだが、カサリとも音がしない。
「見せていただけるんですか?」
 はるかは好奇心旺盛な、日本人観光客を装うことにした。特に女性であれば、相手も油断するだろう。
 みちるもはるかの考えは分かったらしく、彼女の計画に乗ることにした。どちらかと言えば、みちるの方が好奇心旺盛に見える。
「中世の貴族の居城って、興味があったんです。宜しくお願いします!」
 みちるが嬉しそうに申し出れば、
「ではこちらへ………」
 紳士は目を細めて笑い、ふたりを城へと招いた。
 はるかとみちるは肯き合い、紳士の後を追った。しばらくは、この胡散臭い紳士を観察しようと考えたのだ。
 裏口らしき扉から、城の中に入った。
 紳士が城の中に足を踏み入れると、どういう仕掛けなのか、一斉に壁の蝋燭に火が付いた。紳士は何もしていない。ただ、足を踏み入れただけである。
 はるかとみちるは、口では感激して見せたが、益々気を引き締めた。まんまと敵の罠にはまってしまったような、そんな胸騒ぎがした。
「隠し通路なのですよ。この城には、いたるところに隠し通路があります。わたしは、敵が多かったものですから………」
 観光客の喜ぶつぼを心得ているようだった。特に日本人は、このような秘密めいた話は好きである。この紳士も、はるかたちを物好きな日本人観光客だと思っているのだろう。
「隠し通路にしては、綺麗ですね」
「観光でいらした方に見ていただくためには、このくらい綺麗にしておきませんと………。」
 苦笑混じりに紳士は答えた。
 紳士の言う隠し通路をしばらく歩くと、だだっ広い部屋に出た。三十畳ほどの広さの部屋で、がらんとしていて調度らしきものは何もない。天井に豪華なシャンデリアが飾られているだけである。そのシャンデリアも飾りの役割でしかなく、明かりは全て壁に設置されている蝋燭の火だった。無数の蝋燭が均等に配置され、このただ広いだけの部屋を隅々まで照らしていた。地下に降りたつもりはなかったから、この部屋は地上にあるはずなのだが、何故か窓がなかった。
「もとは書斎だったのですが、今は全て片付けてあります。隠し通路の入り口も、以前は本棚の裏に隠されていました。こちらへどうぞ………」
 紳士は部屋のことを簡単に説明すると、ふたりを奥に招いた。
 開け放しになっている頑丈そうな扉を横目に、ふたりは紳士に招かれるがまま廊下に出た。
 広い廊下だった。大人が六人くらいは並んで歩ける。
 床には真っ赤な絨毯が敷き詰められ、綺麗に掃除されている。
 廊下の明かりも、蝋燭の火だった。例によって、窓はない。ただ、天井に近い壁の部分に、ところどころオペラグラスが張られていた。陽の光が僅かに差し込んで、キラキラと美しかった。普通の観光客なら、この光景を見ただけで、うっとりとしていたかもしれなかった。
 廊下のところどころに、騎士の鎧が飾られていた。常に掃除をしているのだろう、まるで新品同様の輝きを持っていた。
「見事な鎧ですね………」
 みちるは鎧に手を触れる。
「!?」
 その時、みちるは感じた。鎧の不自然さに。
 金属特有のひやりとした冷たさを持ってはいるものの、長い間放置されたままの鎧ではないように感じたのだ。人の温もりを感じたのである。最近、人が使ったような、いや、ついさっきまで人が身に付けていたような、不思議な感じがした。
「ただの飾りですよ。この城には、もともと兵士はおりませんでしたから………」
 紳士に変化はなかった。出会ったときと同じように、暖かな笑みを浮かべ、丁寧に説明してくれる。まるで、本当にこの城の主のように、城の内部を知り尽くしていた。ただの物好きな紳士ではないようだった。
「どう思う? はるか………」
 みちるは小声ではるかに尋ねてみた。
「今更あとには引けないわ。あいつの目的を確かめるまでは、このまま観光客を装っていた方が都合がいいわ」
 はるかは答える。このまましばらくは、紳士の案内されるがままに、城の内部を見学するつもりなのだ。
 一向に胸騒ぎが治まらないみちるだったが、はるかがそのつもりならば行動をともにするしかない。
 ふたりは紳士に案内されるがまま、しばらく城の内部を見学した。と、言うより歩かされたと言っても言い過ぎではないだろう。
 紳士の目的がはっきりしないのである。どこに連れていきたいのか、どこを案内したいのか、はっきりと分からないのである。それでも普通の観光客なら満足するようなルートなのだが、ふたりはもちろん観光が目的ではない。紳士の行動の不可解さが、やけに目に付く。
 だが、もちろん、彼女たちはそんなことは口に出さない。城の装飾品に感激し、紳士の説明に感心してみせる。表向きは、あくまでも観光客を装った。
 つごう一時間ほど見物したであろうか。普通の観光客でも、そろそろ疲れてくる時間である。
 紳士は「休憩しましょう」と言って、地下に降りる階段を、先に立って降りだした。
 食堂が地下にあると言うのだ。
 はるかとみちるとしては、紳士に付いて行くほかはない。
 紳士をあとに付いて、階段を下へと降りた。
「こちらです」
 丁寧に、紳士は案内をする。
 ふたりは指示されるがまま、豪華な扉を潜った。
 中央に豪華なテーブルが置かれ、二脚の椅子が横に並んで用意されていた。横長のテーブルは、十人ほどが楽に食事できるような大きさであったが、椅子はふたり分しか用意されていなかった。
 部屋の奥には祭壇があった。
 祭壇の前には、ドレスを身に纏った美しい女性が立っていた。女性は妖艶な笑みを浮かべながらこちらを見ている。若い女性だった。おそらく、二十代前半だろう。
「ご苦労でした………」
 可愛らしい、まるで少女のような声だった。妖艶なその姿には、不釣り合いな声だった。
「はるか………」
 みちるは耳打ちするような小さな声で、はるかを呼んだ。はるかは無言で頷く。
 ドレスの女性からは、何やら怪しげな“気”を感じる。ただ者ではないと判断できた。
「可愛らしい方ですね」
「ええ。わたしの親戚筋に当たります。この部屋で、お客様のお相手をしてもらっております」
 あくまで平静を装ったはるかの質問に、紳士は丁寧に答えた。その間、はるかは警戒を強めていた。それはみちるも同様である。
「では、わたくしはこれにて失礼致します………」
 深々と頭を下げた紳士は、そのままの姿勢で後ろへ下がっていった。
「さあ、お掛け下さい。すぐに飲み物を用意致します」
 ドレスの美しい女性は、優雅に手を翳してふたりに椅子を勧めた。
「ありがとう」
 はるかは短く答えて、勧められた豪華な椅子に腰を下ろした。椅子は二脚しか用意されていない。みちるもはるかに続いて、椅子に腰掛けた。
「寂しいお城ですね。観光客があまり来ているとは思えないわ」
 みちるは言った。
「そうでもありませんわ。珍しい城ですからね。………お客様は、けっこうお見えになりますよ」
 ドレスの女性から、少女の響きを持つ声が返ってくる。どこに腰を下ろすわけでもなく、先ほどから立ったままである。
 メイドらしい女性が、赤ワインを運んできた。はるかとみちるの前に用意されているグラスに、ゆっくりと注ぎ込む。独特の赤みのあるワインだった。
 ふたりの心に、警報が鳴った。
 飲んではいけない。
 直感はそう伝えていた。
「どうぞ、お飲みになってください」
 優雅な仕草で、ドレスの女性は赤ワインを勧めた。
「けっこうよ」
 みちるの険の含まれた声。
「そうですか………」
 柔らかな笑みを浮かべ、ドレスの女性は言った。特に驚いた様子はなかった。
「シュトロンハイム城へようこそ、美しいお嬢さん方………」
 柔らかい口調で言うと、慇懃に頭を下げた。
「あなたのような人に、お嬢さん呼ばわりされる覚えはないわ!」
 少女のような声で、お嬢さんと言われたことが癇に触ったのだろう。みちるは再び険のある声で叫ぶように言うと、ドレスの女性に鋭い視線を向けた。
「気に触りましたか? でも、わたくしに比べれば、あなた方は赤子同然………」
 女性は僅かに口元を緩めた。
「私の城に来ているのですから、この城の仕来りを守っていただきたいですわね。美しいお嬢さん方」
「どうも、挑戦的ね………」
 みちるが身構えた。
「あら、ごめんなさい………。ですけど、初めに挑戦的な態度を取られたのは、あなた方の方ですよ。せっかくのわたくしの持てなしを、無駄にしていただきたくないですわ」
 ドレスを纏った女性は、クスクスと笑った。あどけない笑顔だった。
「“赤”がお嫌いでしたら、“白”をお持ちいたしましょうか?」
「いや、遠慮しておくわ。“赤”は血の臭いがした。“白”の中身を想像すると、吐き気がする」
 はるかが大袈裟に肩を竦めて見せた。
 バタン!
 だしぬけに扉が閉まった。
 みちるが素早く席を立ち、扉の前に駆け寄ると、扉を動かそうと試みた。だが、無駄だったようである。
 はるかを見、首を小さく左右に振った。
 扉の前に立ち、みちるは素早く部屋の周囲に視線を走らせる。先ほどワインを運んできたメイドは、既にこの部屋にはいなかった。
「あら、意外と落ち着いているのね。普通の人ならば、決まってここで狼狽えるのだけれど………。つまらないわ………」
 ドレスを纏った女性は、さも不機嫌そうに言った。頬を僅かに膨らませ、扉の前のはるかとみちるを見据えている。
「生憎と、あたしたちは普通の人じゃないのよ………」
 はるかは不敵な笑みを浮かべた。ゆっくりと椅子から立ち上がる。
 それを聞いたドレスの女性は、ムッとした表情ではるかを睨んだ。
「強がっていられるのも、今のうちだけですよ………」
 引き釣った顔で、はるかを見据えた。明らかに不快感を表している。
「いでよ、我がしもべ! 生ける死者(モール・ヴィヴァン)よ!!」
 女性は両手を頭上に翳した。部屋に声が響き渡る。
「!!」
 異様な気配がした。
 はるかとみちるは同時に身構える。
 視線を部屋の隅に走らせた。何か蠢いている。
 人だ。少なく見ても、十人。のそりのそりと、こちらに向かって歩いてくる。
 姿が確認できた。ボロボロの服を、申し訳程度に身に纏った人々だった。男もいれば、女もいる。年齢も統一性がない。子供もいれば、老人の姿も見える。
 目が虚ろだった。焦点が合っていない。
 白目を剥いている者もいる。
 顔に生気がなかった。
「あたしの生ける死者(モール・ヴィヴァン)よ、お嬢さん方………。お気に召しましたかしら?」
 余裕の笑みを浮かべ、ドレスの女性は言った。
「あたしの趣味には合わないわ」
 はるかは答える。はるかとて、まだ余裕があった。相手の方が数の上では上回っているが、負ける相手ではないと思った。
 生ける死者(モール・ヴィヴァン)は鈍重な動きで、はるかとみちるに掴みかかってきた。おもちゃのロボットのような鈍い動きだ。こんな動きでは、ふたりを捕まえられるはずもない。
 若い男の生ける死者(モール・ヴィヴァン)の腕を軽く受け流したはるかは、脇腹に蹴りを叩き込んだ。
 はるかの蹴りを食らった生ける死者(モール・ヴィヴァン)は、もんどり打って倒れる。更に老婆の生ける死者(モール・ヴィヴァン)を他の数体の生ける死者(モール・ヴィヴァン)目掛けて、背負い投げで投げ飛ばした。
 みちるも負けてはいない。素早い動きで、数体の生ける死者の腹部に必殺の肘を叩き込んでいた。
「………!?」
 周囲の生ける死者(モール・ヴィヴァン)を一掃したと思っていたみちるだったが、背後から首を締め上げられ、愕然とした。
 腹部に肘をめり込まされた生ける死者(モール・ヴィヴァン)が、平気な顔をしてノソリノソリと動き回っているのである。
「そんな………!?」
 野太い腕に喉を締め付けられ、苦しさに呻きながらも、みちるはその腕を振り解こうとする。しかし、腕は緩むばかりか、更に強く締め付けてきた。
「みちる!! ………!?」
 はるかも愕然とした。自分が打ち倒したはずの生ける死者(モール・ヴィヴァン)が、何事もなかったかのように再び自分に襲いかかってきたのだ。
「腕に自信がおありのようだけど、それだけではわたくしの生ける死者(モール・ヴィヴァン)には勝てなくってよ」
 自信たっぷりの笑みを浮かべ、ドレスの美女は言う。
「あなた方は、とても面白い方たちですね。わたくしの生ける死者(モール・ヴィヴァン)を見ても、全く驚きもしないし、怯えもしない。そればかりか、勇敢に立ち向かうとは………。それに、ワインの“赤”にも気付くなんてね。あなた方に、興味が沸いてきたわ」
「ちっ!」
 生ける死者(モール・ヴィヴァン)の腕を振り払いながら、はるかはみちるに近づこうと身を動かす。だが、あとからあとから湧いてくる生ける死者に阻まれて、なかなか接近できない。呼吸さえまともにできないみちるは、失神寸前だった。
「………モール・ヴィヴァン………生ける死者か………。そう言えば聞いたことがある。いわゆるゾンビってやつね………」
 数体の生ける死者(モール・ヴィヴァン)と対峙しながら、はるかは呟くように言った。
「そんな品のない呼び方はしてほしくありませんわ」
「呼び方なんて、どうでもいいわ。あなた、死人使いなの?」
 質問しながらも、はるかは次の行動に向けて、考えを模索する。とにかく、みちるを助けなくてはならない。精神力で気を失うことを必死に耐えてはいるものの、既に限界点を越えているはずである。窒息するか、意識を失うか、もはや時間の問題だった。
「わたくしは、千年魔女メディア。安心なさい。殺すつもりはありません」
 ドレスの女性は、ようやく名乗った。殺すつもりはないと言うわりには、みちるの対しては強引な行動に出ている。
「相手が普通の人間じゃないんなら、あたしたちも本気を出させてもらうわ!」
 はるかが風のように動いた。一瞬の出来事で、目で追うことができない。
 閃光が走り、みちるの首を締め付けていた生ける死者(モール・ヴィヴァン)が、一瞬のうちに消滅した。
「むっ!?」
 千年魔女メディアは、風のように動くはるかを、ようやく目で捕らえることができた。はるかはコスチュームチェンジをしていた。動きやすいミニのスカート。胸のリボン。そして、腰のリボンをなびかせている。
 セーラーウラヌスに変身していたのだ。一瞬のうちに………。
「みちる、大丈夫?」
「お、遅いわよ! おしゃべりしている間に、助けられるじゃない! あたしを殺す気!?」 激しく咳き込みながら、みちるは感謝の言葉ではなく、悪態を付いていた。
 ウラヌスは「ごめん」と言いながら苦笑すると、千年魔女ミディアに鋭い視線を向けた。
「女性の失踪事件。あなたが裏で糸を引いていたの!?」
「おもしろい人たちがいるものね………。普通の人にはない能力(ちから)を持っている………。さぞかし質のいい血を持っているのでしょうね………」
「あたしの質問に答えて!!」
「答えてどうするの? あなた方は、じきにわたくしたちの食料になるのよ………」
 メディアは悪戯っぽく微笑む。全く動じていない。むしろ、喜んでいるようにも見える。
「困ったものね。勝った気でいるわ」
 ネプチューンに瞬間変身したみちるが、チロリとウラヌスを見る。
「全くね。舐められたものだわ………」
 ウラヌスはメディアを睨む。
 そのメディアは、相変わらず余裕の笑みを浮かべていた。
「さあ、生ける死者(モール・ヴィヴァン)よ。お嬢さん方と遊んでおあげ」
 メディアは右手を振り上げた。
 今まで電池の切れたおもちゃのロボットのように止まっていた生ける死者(モール・ヴィヴァン)が、一斉に動き始めた。しかし、相変わらず動きは鈍重だった。
「はあっ!」
 ウラヌスの蹴り技が炸裂した。一体を吹き飛ばす。続いて一体を投げ飛ばした。
「キリがないわ!!」
 ネプチューンが、ウラヌスの背中に自分の背中をくっつけた。
「逃げ出すことを考えた方がよさそうね」
 背中合わせのウラヌスは言った。状況は不利だった。建物の中では大きな技が使えない。生ける死者(モール・ヴィヴァン)はもともとが死んでいるために、体を完全に破壊しなければ動くことができる。もちろん、痛みなどは感じないから、足が折れていようが、首がもげていようが動くことができる。意志を持っていない分、たちが悪い。
「おやおや、騒がしいと思って来てみれば………。困りますね、お嬢さん方。わたしの城で暴れられては………」
 城を案内してくれた紳士が、部屋の入り口に立っていた。無数の蝙蝠を引き連れている。「バートリー。お前も手伝いなさい」
「はい。メディア様」
 紳士は深々と頭を垂れた。
「さあ、ゆけ! 我がしもべよ!!」
 紳士の声が響く。
「ギーッ!」
 どこからともなく不気味な声が聞こえたかと思うと、一陣の風とともに奇妙な物体が出現した。
 よく見ると、それは巨大な蝙蝠だった。身長は百八十センチくらいだろうか。二本の足で、直立している。蝙蝠ではあるのだが、人間のような印象も受ける。
 正しく、蝙蝠人間である。
「まるで仮面ライダーね」
 蝙蝠人間を見たみちるは、溜息混じりに言った。
「驚いたわ。みちるが仮面ライダーを知ってるなんて………」
「兄が好きだったのよ」
「お兄さんがいるなんて、初耳だけど?」
「そりゃあ、そうよ。黙ってたもの」
 蝙蝠人間は全部で五体。それに無数の生ける死者(モール・ヴィヴァン)が混じっている。生ける死者(モール・ヴィヴァン)の正確な数は分からない。少なく見ても、二十体はいるだろう。
 状況は不利だ。
「シャボン・スプレー!」
 ネプチューンが霧の目眩ましをする。マーキュリーの得意技だが、同系列の技を得意とするネプチューンなら、当然使える技である。
「今のうちよ、ウラヌス(はるか)!」
 ここは一時撤退するしかない。作戦を練り直す必要がある。
天界震(ワールド・シェイキング)!!」
 突破口を開くべく、ウラヌスは天界震(ワールド・シェイキング)を放った。建物の中ということも考慮して、威力は押さえてある。建物まで破壊して、自分たちが瓦礫の下敷きになってしまっては洒落にならない。
 壁をぶち破り、通路に出た。ネプチューンが再びシャボン・スプレーを打った。
 天界震(ワールド・シェイキング)で、天井を破壊した。
 開いた穴から、上の階へと飛び移る。これで地上に出たはずだ。
 更に壁をひとつ破壊した。太陽の光が見える。外だ。
 シャッ!
 何かが目の前を横切った。
 ウラヌスの悲鳴。
 ネプチューンは破壊された壁の前で立ち止まった。
ウラヌス(はるか)!!」
 ウラヌスは蝙蝠人間たちに捕らえられていた。
「………ネプチューン(みちる)。迂闊だったわ。こいつらは、蝙蝠なのよ………」
 苦しげなウラヌスの声が聞こえた。瞬時に言葉の意味を理解した。蝙蝠に目眩ましなど、通用しないのだ。レーダーを標準装備している蝙蝠には、視界を遮るような目眩ましなど、全くの無意味なのだ。
「サブマリン………!!」
 ネプチューンは構えたが、蝙蝠人間たちを見失ってしまった。気配を完全に消されてしまったのだ。蝙蝠人間たちは、ウラヌスを抱えたまま一瞬のうちに視界から消えてしまっていた。
ウラヌス(はるか)! どこ!? 返事をして!!」
 声を張り上げ、ネプチューンはウラヌスを捜した。危険を承知で地下へ舞い戻り、先程までいた「食堂」へ戻った。
 しかし、だれもいない。千年魔女メディアも、紳士バートリーの姿もそこにはなかった。蝙蝠人間も生ける死者もいない。もぬけの殻だった。
「そんな………!」
 ネプチューンは言葉を失った。ウラヌスを連れさらわれてしまったのだ。
 城の中を走り回った。しかし、一向に見つからない。生物の気配すらしない。
「はるか………」
 ネプチューンはがっくりと膝を付いた。

 ネプチューンの話を聞き終えたマーキューリーは、信じられないという風に首を横に振った。あれほどの戦闘力を持っているウラヌスが、いとも簡単に敵の手に墜ちたなどとは、にわかには信じられない。
「手掛かりは………?」
 マーキュリーの問いに、ネプチューンは力無く首を振った。ネプチューンの体が、ひどく小さく見えた。これ程まで意気消沈したネプチューンを、マーキュリーは初めて見た。
「今、マーキュリー(あみ)を襲った連中と同じだということだけは分かるわ………。もし、相手がはるかの考えていた通り、ヴァンパイアだとしたら、はるかは………」
 ネプチューンの手は、小刻みに震えていた。仲間を助けられなかったという事実が、ネプチューンから「自信」を奪っていた。
 ここは自分がしっかりしなければならない。マーキュリーはそう感じた。今まで彼女に勇気づけてもらった分、今度は自分が彼女を助ける番だ。そう思った。
ネプチューン(みちるさん)、魔女パデュリーを追いましょう。サマンサの服に発信器を付けました。それを追っていけば、敵のアジトに行き着くはずです。はるかさんも、きっとそこにいます」
 マーキュリーの言葉を受け、ネプチューンは力強く頷いてみせた。ネプチューンは、やはり芯の強い戦士だった。仲間を助けられなかったショックを、いつまでも引きずるようなことはしない。
 マーキュリーはホッとするのと同時に、戦士ネプチューンの力強さを、改めて思い知らされるのだった。