清宮という青年
夏休みまであと一日。明日さえ学校に行けば、明後日から待望の夏休みに突入する。授業も今日、明日は午前中で終わりということもあって、まことはパーラー“クラウン”に、三時からバイトに出ていた。
常にふたりのウエイトレスをフロアに置いているパーラーの今日のパートナーは、気心も知れている宇奈月だった。気心の知れている相手とペア組むということは、精神的にも楽である。余計な気を使わなくてもすむし、気分的に楽ができるのだ。宇奈月とペアの時は、仕事の疲れも半減する。
間もなく、時間は五時に差し掛かろうとしていた。先程まで、わいわいがやがやと騒いでいた“お得意さん”のうさぎたちは、少し前に帰っていった。店には数人の客しか残っていない。 今日は珍しく、浅沼も来なかった。十月の初旬に行われる文化祭の準備で、部活の方が忙しいのだろう。浅沼は写真部とSF研究部を掛け持ちしている。写真部の方で展示する写真の撮影の為に、今頃は被写体を求めて走り回っているのだろう。SF研究部の展示のための取材や調査は、夏休みに入ってから行うらしい。
写真家としての浅沼は、風景専門である。プライベート以外では、人物は撮影しない。人物を撮影するのは苦手だと言うのが本人の弁であるが、何がどう苦手なのかは教えようとはしなかった。純情少年の浅沼をからかって、まことがヌードのモデルをしてあげようかと提案したときは、湯気が出るほど顔を真っ赤にしながら断られたのを覚えている。
またひとり、お客が帰るようだ。宇奈月がレジで精算をしている。
残っている客は三組ほど。まことは、その残っている客のひとりが、ひどく気にかかっていた。
最近、よく来るようになった客だった。始めてきたときは、プリンス・エンディミオンの親衛隊のひとりだったクンツァイトに見間違えたほど、彼に非常によく似た青年だった。しかしながら、彼は自分のことを知らないようだったし、また、嘘を付いているようには見えなかったから、他人のそら似なのだろうと思うのだが、まことにはどうも心の隅に引っかかるものがあってしかたがなかった。
“星”の輝きを持っているように感じるのだ。しかも、かなり強い。
普通の人からは、これ程のスター・シードの力は感じない。やはり彼は、何か特別な能力を持っているように思えてならない。
パーラーに滅多に来ることのないレイは、まだ彼には会ったことはない。レイが会えば、何か分かるかもしれないと思う。
昼過ぎにやってくる彼は、いつも窓際の同じ席に座ると、決まってアメリカンと野菜サンドを注文した。十番商店街の風景をじっと見つめながら、別に何をするでもなく、二‐三時間過ごすと、来たときと同じように、ふらりと帰ってしまう。窓の外をじっと眺めているその青年は、もしかすると人を捜しているのかもしれないと、浅沼一等が推理していた。
見た目のかっこいい彼に、新しく入ったアルバイトの短大生が声をかけていたが、まったく相手にしてもらえなかったと、宇奈月が言っていたのを、まことはふと思い出していた。
カラン。
入り口のドアに付けられている、鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
元気のいい宇奈月の声がホールに響く。考え事をしていたまことは、宇奈月に一瞬遅れて入ってきたお客に声をかけた。
「あれぇ!?」
いっらっしゃいませと言うつもりだったが、驚いた拍子に素っ頓狂な声をあげてしまった。
「あら!」
ふたり組のお客のひとりが、まことに気付いた。二十代後半の、女性ふたりのお客だった。そのひとりと、まことは面識があった。
そのひとりというのは、桜田春菜先生だった。中学生時代のうさぎの担任の先生である。まことのクラスの英語の授業も担当していたので、できの悪い生徒ということで、春菜先生もまことのことを覚えていた。もちろん、まことがうさぎと仲がいいのは知っている。
「久しぶりですね」
運んできたお冷やをテーブルに置きながら、まことは言った。
「元気そうねぇ。そうか、ここでアルバイトしてるんだ」
春菜先生は、笑顔で答えてくれた。その笑顔には、妙な懐かしさがあった。ヒステリックな先生ではあったが、嫌いな先生ではなかった。怒り方が嫌みではないのだ。彼女のさっぱとした性格も、好感が持てるひとつの要因だった。よく叱られていたようだが、うさぎも春菜先生のことは好きだった。
「ついさっきまで、うさぎもいたんですよ。彼女は、お客としてですけど」
「あら、そう。残念だわ………」
春菜先生からしても、会いたい卒業生のひとりだったのだろう。うさぎが今までいたことを聞かされると、少しばかり残念そうな表情をした。
「でも、あいつはよくここに来てますから………」
「じゃあ、ちょくちょく来れば、そのうち会えるわね」
思わぬところで教え子に会えたせいか、春菜先生はニコニコととても嬉しそうだった。アイスレモンティーを注文すると、一緒にいるもうひとりの可愛らしい女性を紹介した。
「今年の四月に十番中学に転任してらした、岡本先生よ。わたしより一歳年上なんだけど、わたしより若く見えるでしょ? 以前は芝公園中学にいらしたのよ」
「岡本涼子です。よろしく」
岡本先生は、愛らしい笑顔を浮かべた。とても、春菜先生より年上には見えない。二十歳だと言っても通じるだろうと、まとこは思った。
「木野まことと言います。そうですか、先生は芝公園中学にいたんですか………。あたしの友達が、芝公園中学に通ってましたよ。けっこう有名人だって、本人が言ってましたから、先生も知ってらっしゃいますかね。愛野美奈子っていうんですけど」
「ええっ!? 愛野さんのお友達なの!? 驚いたわ………」
岡本先生は、目を真ん丸にして驚きを示した。とても二十代後半とは思えない愛らしい表情に、まことは少しばかり驚いていた。
美奈子は本人が言うとおり、芝公園中学時代は有名人だったらい。
「愛野さんかぁ。懐かしいわね」
岡本先生は、美奈子のことはよく覚えてるという。何という偶然だろう。
春菜先生も、
「世間は狭いわね」
と言って、驚きの声をあげた。が、次には、それ以上の驚きが待ち構えていた。
窓際に座っていたクンツァイトに似た青年が、つかつかと歩み寄ってきたのだ。
「おかっピー!」
青年は、岡本先生をそう呼んだ。岡本先生の目が、驚きで見開かれる。
「うそぉ! 斉藤君!?」
僅かに頬を赤らめ、まるで初恋の人物と再会したかのような表情で、岡本先生はその青年を見上げた。
「高校を卒業してから、両親が離婚したんです。俺は母親の方に引き取られ、今では母親の旧姓の清宮を名乗っています」
清宮と名乗った青年は、眩しそうに岡本先生を見ていた。
「おかっピー。結婚したんじゃなかったんですか? どうして、岡本なんですか?」
清宮は、人懐っこそうな笑顔を浮かべて訊いた。窓際の席でただ外を眺めていた今までからは、とても想像できないような笑顔だった。
「前に会ったときに言わなかったかしら? あたしね、直前になってカレシにフラれちゃったのよ。おかげで未だに独身なの」
岡本先生は肩を竦めて、愛らしい唇からちろりと舌を出した。
「今では、けっこう開き直ってるのよ。ねぇ、桜田先生?」
「ど、どうしてあたしにフルんですか、岡本先生!」
話題をいきなり振られた春菜先生は、ドギマギしていた。口にこそ出さないが、結婚していないことをかなり気にしているようだ。美人なのでモテないわけはないのだろうが、その辺が大人の事情というやつなのであろう。
「ところで、お前。美奈子の知り合いなのか?」
清宮は、突然まことに視線を向けた。
「あ、ああ。そうだけど………」
清宮の勢いに圧倒され、まとこは数歩後退していた。清宮は構わず、ズイっとまことに歩み寄る。
「美奈子はどこにいる?」
ひどく真剣な眼差しを、まことに向けてきた。
「ど、どこにいるって………」
「もしかにて、この辺りにはいないのか?」
「え!? あ、あいつは、親父さんの仕事の都合で、今は、パ、パリにいるよ」
突然歩み寄られたまことは、らしくなく、しどろもどろになって答えていた。言動から察するに、清宮は美奈子のことをよく知っているようだった。どこかで聞いた名だと思いながらも、なかなか思い出せない。
まことは知らないが、清宮、いや当時斉藤と名乗っていた彼は、美奈子のファースト・キスの相手なのだ。残念なのは、美奈子本人の姿ではなく、岡本先生に変身していたときにキスをされたことだろう。清宮自身は、美奈子とキスをしたとは思っていない。
「そうか。美奈子はパリに行ったのか………」
呟くように言うと、清宮は窓の外に視線を向ける。
「パリか………」
もう一度呟いた。
「追いかけるには遠いわよ。斉、清宮君」
岡本先生は、意味ありげな視線で見上げた。清宮と美奈子の関係は深くは知らないが、お互いに顔見知りであるということは、美奈子から聞いて知っている。
「何か誤解してますよ、おかっピー」
「あら、そうかしら………?」
岡本先生は、ふんわりとした笑顔を見せた。
「あ!『斉藤』って、思い出したぞ!! 美奈の初恋の『カレ』だ! げっ! 言ってしまったっっっ!!」
本人の前だということを言ってしまってから思い出したまことは、慌てて両手で口を押さえた。しかし、もちろん後の祭りだ。美奈子がこの場にいなかっただけ、不幸中の幸い(?)であった。キスの話は伏せられているが、美奈子から清宮の話は聞いたことがあるのを、まことはようやく思い出したのだ。もっとも、初めに口を滑らせたのはアルテミスであるが………。
清宮は、ふっとクールな笑いを浮かべた。困ったような笑いでなかったことが、まことの気持ちを楽にした。この反応は、清宮も美奈子のことを満更ではないと思っていると判断できる。そして何よりも、彼は美奈子に会いたがっているようだ。
「もしかして、清宮さんは美奈を捜してたんですか?」
まことは思わず訊いてしまった。心に浮かんだことが、そのまま口から出てしまったのだ。
清宮は再び小さく笑っただけで、まことの質問には答えなかった。
ゲームセンター“クラウン”の地下司令室には、ルナとせつなのふたりがいた。なにやら、深刻な顔をしている。ふたりが見つめているモニターディスプレイには、アルテミスの丸い顔があった。
「それじゃあアルテミスは、今回の事件は世界的レベルで起こっていると言うの?」
「少なくとも、ヨーロッパでは各地でおかしな事件が起こっている。偶然にしてはできすぎているし、規模も大きすぎる。背後に世界的な巨大組織があるとしか考えられない」
「ヴェルサイユ宮殿に出現したというその“毛むくじゃら”のバケモノは、おそらく日本と同じやつだと思う。だとすると、同じ組織ということになるわね。ルーブル美術館で、はるかとみちるを襲ったのも同じ相手なんでしょう?」
ルナとアルテミスの会話に、せつなが割って入った。アルテミスは頷く。
「ただ、はるかが変なことを言っていたんだ」
「変なこと?」
「ヴァンパイアが出たって言うんだ」
「ヴァンパイアって、あの吸血鬼の?」
「ウィーンにみちるを訪ねたときに、空港で出会ったらしいんだが………」
アルテミスは、どうもはっきりとしない。奥歯に物が挟まったような言い方をする。
「何が気に入らないの?」
アルテミスの言葉を感じ取ったルナが訊いた。アルテミスは何か納得がいかないようだ。だから言葉を濁すような言い方をしているのだ。
「はるかの言っていることが本当だとしたら、別の組織も動いていることになる」
「ヴァンパイアは、ブラッディ・クルセイダースとは別だと言うの?」
「ああ………。あくまで俺の勘なんだけどな」
今度はルナが唸った。アルテミスの勘が正しいとすると、敵は二者ということになる。
「はるかとみちるは、ドイツに行ったのね?」
せつなが確かめるような口調で、アルテミス訊いた。
「ああ。最近、ドイツでも同じような失踪事件が多く起こっている。衛と合流して、それを調査すると言っていたが………。何か気になることでも?」
「ドイツに亜美が行ってるのよ。留学でね。彼女たちと合流してればいいんだけど………」
せつなは不安げに言った。ドイツで事件が起こっているともなると、亜美のことだから単独で調査を始めるに違いない。
「はるかたちの宿泊先は知っている。俺が連絡を取ってみよう」
「頼むわ」
アルテミスとせつなの会話が一段落した時点で、今度はルナが口を開いた。
「エロスとヒメロスのことは聞いたけど、美奈子ちゃんは大丈夫なの?」
ルナは美奈子が変身できないことを心配しているのだ。アルテミスの話では、マゼラン・キャッスルのセーラーエロスとセーラーヒメロスが来てくれているらしいが、如何せん、彼女たちは四守護神ほどのパワーを持ってはいない。美奈子を守るだけで精一杯のはずである。とても事件を解決できる余裕があるとは思えなかった。
「大丈夫。エロスとヒメロスは当てにできる。それに、俺だっているんだ。心配ない。それよりも、ルナの話からすると、どうやら敵の本拠地は日本にある可能性が高いから、そっちこそ気を付けてくれ」
アルテミスはルナに心配をさせまいと、自分もパワー・ダウンしていることは教えなかった。
「こっちは大丈夫よ。なんたって、新戦力がいるから」
「新戦力?」
「ええ。セーラー………。え!?」
突然映像が乱れた。音声が途絶え、画面に激しいノイズが現れる。
「どうしたの? アルテミス!?」
ルナとせつなは慌てた。急いで計器類をチェックする。
「…っちは、…上な…い。気を…ろ! この通信は……されてる。……害電…だ……ろ」
途切れ途切れにアルテミスの声が聞こえてきたが、やがて殆ど聞き取れなくなってしまった。映像は回復しないまま、ノイズだけがスピーカーから流れている。
「どういうこと!?」
ルナは不安顔になる。
「妨害電波ね。それも、かなり強いわ………」
せつなが唸るように言った。
「どうした?」
アポロンが司令室に入ってきた。もなかは一緒ではない。どうやら、アポロンひとりのようだ。深刻な顔をしているルナとせつなの顔を、交互に見つめる。
「アルと連絡を取っていたら、突然画面が乱れたのよ」
「妨害電波か!?」
ディスプレイの乱れた映像を見つめる。
「だれかが、通信を傍受いて、こっちに聞かれたくない情報だったために、邪魔をしたのかもしれないな」
「だれかって?」
「味方じゃないことは、確かだな………」
アポロンは髭をピンと立てた。通信を妨害したということは、もちろん、妨害した相手が敵である可能性は高い。
「用心しよう。敵は案外近くにいるかもしれない」
アポロンの声はひどく低く、冷たい響きを持っていた。
「なるちゃん、何か心配事?」
パーラー“クラウン”を出て、家路に付いていたうさぎは、パティオ十番まで差し掛かったときに、思い切ってなるちゃんに聞いてみた。
なるちゃんの様子がどことなくいつもと違うことを、うさぎは敏感に感じ取っていた。パーラーにいるときも、なるちゃんは時折考え込んでいた。付き合いの長いうさぎが、なるちゃんの様子に気が付かない訳がない。
「え? 何でもないよ」
なるちゃんは笑顔を作って見せた。
なるちゃんが気掛かりだったのは、先日、自分が見た人影がある人物に似ていたと言うことだった。自分を救ってくれたあの人物の背中は、確かに見覚えのあるものだった。
「ねぇ、うさぎ。衛さんから連絡あった?」
「え? まもちゃん? う〜ん、連絡ないのよねぇ。あっちの大学は、もう夏休みに入っているはずなんだけど………」
答えるうさぎは元気がない。
(はっきりとは分からないのに、言えないわよね………)
衛が帰ってきているのなら、うさぎが知らないはずはない。なのに、目の前のうさぎは、今でも衛からの連絡を待っている状態なのだ。憶測だけで言ってしまったら、うさぎが傷付いてしまうかもしれない。
「どうしたのかしらね、衛さん。心配だね」
「うん。今度逢ったら、お仕置きしないとねって、なるちゃん! 話をはぐらかさないでよ!」
「ごめん、ごめん。でも、あたしは別に何でもないわよ!」
肩すかしを食らって怒るうさぎを宥めながら、なるちゃんはコロコロと笑った。その笑顔からは、微塵の不安も感じられない。
(あたしの思い過ごしかな………)
なるちゃんの様子を見て、うさぎは自分が早とちりをしたのではないかと感じずにはいられなかった。
斉藤、いや清宮は青山のイチョウ並木に立っていた。
イチョウの葉はまだ青々としている。色づくのはまだ数ヶ月先のことだ。
道路を挟んで反対側の通りには、喫茶店が見える。美奈子がよく利用していた喫茶店だった。
このイチョウ並木で、清宮は美奈子と出逢った。イチョウの葉が黄色く色付いた、秋のことだった。不良に絡まれている美奈子を、自分が助けたのだった。
当時の自分は、青山に斉藤有りと言われるほどの不良だった。父親の暴力のため、家庭内が崩壊状態だったことが、斉藤がグレるきっかけだった。父親は無抵抗の妻に、事あるごとに暴力を振るっていた。斉藤はそんな母を、父の暴力から守るために、強くなる必要があったのだ。
メキメキと実力を付けていった斉藤は、あっという間に青山一帯を取り仕切るほどの不良グループのリーダーとなっていた。
学校内外で問題を起こす度、母親が高校へと呼ばれた。母は自分を叱らなかった。自分に対しては、常に笑顔を向けていた。
斉藤にはそれが心苦しかった。
ある日、担任の教師に呼ばれ、あと一回問題を起こしたら退学にすると通達された。
そんな時に、美奈子に逢ったのだ。
美奈子に出逢ったことで、昔の斉藤は自分を思い出した。若くて可愛らしい、当時の担任教師に恋心を抱いていた自分。言いたくても言えなかった一言。
「何故、急にあいつに逢いたくなったんだ………?」
先程の喫茶店で、自分の初恋の相手である恩師の岡本先生に再会しても、懐かしいという感情が沸いただけで、それ以上の気持ちの高ぶりはなかった。あんなにも好きだった女性なのに………。
しかし、美奈子の話になった途端、気持ちが揺らいだ。心臓の鼓動が早くなったのが、自分でも分かったのだ。
「逢ってみればはっきりするか………」
自分はパリに行って、美奈子に逢わねばならない── 。
この心のモヤモヤを消すためには、やはり美奈子に逢う必要があると、清宮は決断をした。
「お袋に、断っていかなきゃな」
清宮は言うと、足を青山霊園へと向けた。