召喚師レプラカーン


 レプラカーンは嫌がるほたるのことなど気にもとめず、T・A女学院の制服の襟元に手を掛けると、無理矢理に引き裂いた。
「いやぁ!!」
 ほたるの悲鳴が響く。半身を床に飲み込まれてしまっているほたるは、レプラカーンの行為に対しては、されるがままになるしかない。
 抵抗すべく身を藻掻いているほたるの決死の表情を横目に見て、フードの小男は口元に笑み
を浮かべた。続いて、剥き出しにされた純白の下着に手を掛ける。その瞬間───。
 ドーン!!
 大音響がホールに響いた。追い打ちをかけるように、地響きが轟く。
 グレムリンたちが、にわかに騒がしくなった。右往左往するグレムリンたちに向かって、炎と光の筋が走る。
「何事じゃ!?」
 さしものレプラカーンも、やや狼狽えたように顔を上げた。その顔に、強烈な蹴りが叩き込まれた。
 同時にプルートを拘束していたベッドが、爆音とともに四散した。プルートが自ら、戒めをベッドごと破壊したのだ。プルートはその気になれば、いつでも戒めを破壊することが出来たのだ。今まで破壊しなかったのは、ただ、行うチャンスを待っていたにすぎない。そのチャンスが到来したのだ。
 気を集中させ、ベッドごと拘束具を吹き飛ばした。
「プルート(せつなさん)!」
「セーラーサン(もなか)!?」
「みんなも来ています! 早く脱出しましょう!!」
 セーラーサンがプルートの横に並ぶ。
 一方オペラ座仮面は、レプカラーンを蹴り飛ばしたあと、床を破壊してほたるとシスターを救出していた。今の今まで気を失っていたシスター絵里子は、自分の身に何が起こっているのか理解できていない。ここはドコ? わたしはダレ? 状態である。オペラ座仮面に抱きかかえられたまま、惚けた顔をしている。
「申し訳ないが、もう一度気を失ってくれ」
 オペラ座仮面は先に詫びると、シスター絵里子の下腹部に当て身を入れた。小さく呻いてシスター絵里子は昏倒する。
「悪く思わないでくれ、シスター。これもあんたのためだ」
 状況を把握して半狂乱になられるよりは、気を失っていた方が運びやすかったのだ。

「怪我はない?」
 グレムリンをあらかた片付けたセーラームーンとマーズが、ほたるの前にふわりと舞い降りる。
「意外とあっさりと片付いたな………」
 あちらこちらを派手にぶち壊したジュピターは、まだ物足りなさそうに言った。
「何を呑気なことを言ってるんだ。まだ終わっちゃいないぞ。むしろ、これからが本番だ」
 シスター絵里子を抱えてきたオペラ座仮面が、低く鋭い声で窘める。その視線の先には、床に転がったままのフードの小男がいた。オペラ座仮面に顔面を蹴り飛ばされ、ぴくりとも身を動かさずに、床に仰向けに横たわっていた。
「死んじゃったの?」
 囁くような小声で、セーラーサンがオペラ座仮面に訊いた。
「馬鹿言うな。よく見てみろ」
 オペラ座仮面は顎をしゃくって、前方を指し示した。
 ぴくりとも動かなかったレプラカーンに、変化が訪れた。転がったままの仰向けの姿勢のまま浮かび上がると、すうっと音もなく体を直立させた。重力を全く無視した動きだ。
 カッと目を見開いた。
 ブオーン!!
 もの凄い衝撃波が、一同を襲った。
 オペラ座仮面は抱きかかえていたシスター絵里子を、自分のマントで包んで庇った。マーズは素早く結界を張り、変身していないほたるとセーラームーンを衝撃波から守る。虚を突かれて吹き飛ばされたセーラーサンを、ジュピターは宙を舞いながらキャッチし、床に危なげなく着地した。プルートは右手を翳してシールドを作ると、難なく衝撃波をガートする。
「おい! だれか、このシスターと奥にいる女の子たちを通常空間に戻せ! 戦いの邪魔になる!!」
「奥の女の子たち?」
 プルートが怪訝そうな顔をした。
「セーラーサン(もなか)! プルート(せつなさん)に場所を教えてあげて!! 覚えてるわね!?」
 マーズが指示を出す。戦闘能力の一番低いセーラーサンをプルートに同行させるのが、一番の策と言えた。太陽の宝珠を持っていないセーラーサンは、今のところ戦闘の足手まといでしかない。
「運べるか?」
「なんとか………」
 気を失っているシスター絵里子を、オペラ座仮面はプルートに託した。プルートはシスター絵里子を背に負ぶさる。
 マーズの指示にセーラーサンは力強く頷くと、
「プルート(せつなさん)、こっちへ!!」
 セーラーサンはプルートを連れ、奥の通路へと走る。
「逃がしはせん!!」
 節くれ立った腕を、通路を奥へと向かうふたりの背中に向けた。
 ブオン!
 強大な妖気が、空間を揺るがした。レプラカーンをまがまがしいオーラが包み込む。
「させるかぁ!」
 フラワーハリケーンで撹乱したあと、身を翻したジュピターは、空中から鉄拳をレプラカーンに向けて突き降ろす。
 ガシッ!!
 節くれ立った腕でジュピターの強烈な一撃を受け止めると、そのままいとも容易く弾き返した。
 弾かれたジュピターは宙でトンボを切ると、オペラ座仮面の右横に着地した。
「あいつ、ただのじじいじゃないだろ?」
「ああ、言わなかったか?」
 ジュピターの問いかけに、オペラ座仮面はさらりと答えた。
「よくも、儂の楽しみを邪魔してくたな………」
 凄みのある声で、レプラカーンは言った。低く、地の底から響いてくるような不気味な声であった。
 印を結び、呪文を唱えだした。
「来たれ! 魔なる者よ!!」
 空間が振動し、亀裂が走った。空間が裂けた。
「なに!? うそ!!」
 セーラームーンは我が目を疑う。いや、セーラームーンだけではない。マーズもジュピターも、そしてほたるも、裂けた空間を信じられないといった風に凝視している。
「やっぱりあのくそじじいは、召喚師か………」
 オペラ座仮面は舌打ちする。
「召喚師って、あのR・P・Gとかで幻獣を呼び出す?」
 召喚師と言う言葉に、いち早く反応したのはセーラームーンだった。ゲーム大好き少女の彼女は、R・P・Gに登場する職業には詳しい。
「ああ! だが、やつはただの召喚師じゃない。悪魔専門の召喚師のようだ」
「悪魔召喚師(デビルサマナー)………」
 マーズが頬を強張らせた。
 オペラ座仮面は全員に警戒するように言うと、自らも身構えた。
 マーズとジュピターは、技を放つべくパワーを集中させた。
「遠慮するな! でかいのをぶちかませ!!」
 叫ぶや否や、オペラ座仮面はいきなり特大の衝撃波を放った。空間の裂け目に激突する。
「ぐぎゃあ!!」
 悲鳴が迸った。何者の悲鳴なのかは全く分からない。正体を確かめる前に、消滅してしまったのだ。しかし、敵は一体だけではなかった。空間から衝撃波のお返しがくる。
「月光障壁(ムーンライト・ウォール)!!」
 セーラームーンは輝く光の壁を出現させ、その衝撃波を防いだ。次いで、マーズとジュピターが仕掛けた。
 バーニング・マンダラーとココナッツ・サイクロンが唸る。再び悲鳴が轟いた。この世のものとは、とても思えない悲鳴だった。
「ちっ! 何体召喚しやかったんだ?」
 舌打ちして、オペラ座仮面は前方を睨む。
 三体の巨大な影が揺らめいている。その背後で、レプラカーンはケタケタと薄気味の悪い笑い声を発していた。
 裂けた空間は、どうやら閉じてしまったようだ。と、いうことは、目の前にいる三体で、とりあえずは全てのようだ。
「下級の悪魔(デビル)のようだ。どうりで、あの程度で倒せたはずだ」
 苦々しげに、オペラ座仮面は呟く。
「輪っか頭のカノジョたちは、奥の女の子たちを助けたと思うか?」
「おそらくね」
「よし! じゃあ、一気に行くぞ!!」
 オペラ座仮面は、マントを翻してジャンプした。右手の爪が、すうっと伸ばされる。
 シャッ!!
 爪は鋭利な刃物のように空を切り、一体の肩口をざっくりと切断する。
「!!」
 傷口から緑色の体液を噴出させながら、一体は激痛に呻く。その一体目掛けて、ファイヤー・ソウルが炸裂する。勝負はこれでついた。
 ファイヤー・ソウルの退魔の炎に焼かれる一体を踏み台にして、オペラ座仮面は次の標的に斬りつける。自分目掛けて飛び込んできたオペラ座仮面に気を取られ、ノーガードの土手っ腹に、ジュピターのワイド・プレッシャーが直撃した。
「ぎぎゃあ!」
 悲鳴をあげると、二体は重なり合うように倒れ、絶命した。
 最後の一体は、マーズのスネーク・ファイヤーを食らって四散した。みごとな連係攻撃だった。
「あたしの出番はなしか………」
 エターナル・ティアルを手にしたまま、セーラームーンは肩を竦めた。
 少し後方で、ほたるがクスクスと笑っている。
「………やはり、低級のデビルでは歯が立たぬか………」
 抑揚のない声で、レプラカーンは呟いた。劣性であるにも関わらず、少しも動じていないようだった。むしろ楽しんでいるようにも感じられる。
「しかし、あの男の技、どこかで見たような気がするが………。思い出せんのう………」
 レプラカーンの視線は、オペラ座仮面に向けられていた。何かを思い出しそうなのだが、きっかけがなければ無理なようだ。
「男を見るのが趣味なのか?」
 先ほどからずっと自分に視線を向けているレプラカーンに、オペラ座仮面には言った。
「ふん! そっちの趣味はないわい!」
 吐き捨てるようにレプラカーンは答えた。
「なかなかやるようじゃな。ザンギーとタラントが歯が立たぬわけじゃ。だが、これはどうかの?」
 言うや否や、再び空間に裂け目ができた。禍々しい妖気が空間に充満する。
「ぐおぉぉぉ………!!」
 猛獣の咆吼だった。
 裂けた空間から、複数の影が躍り出る。
「獣………? 漆黒の狼?」
 新たに召喚されたそれの姿を確認したマーズが、呟くように言う。
「ヘルハウンドだとぉ!?」
 オペラ座仮面が、舌を巻いている。
「くくく………。こいつらは、先程のデビルのようなわけにはゆかぬぞ」
 レプラカーンが楽しげに笑った。
 召喚された魔界の猛獣は、雄叫びを上げながら襲い掛かってきた。尋常ならざるスピードである。目で追うことができない。
「月光障壁(ムーンライト・ウォール)!!」
 セーラームーンが咄嗟に前方にシールドを張る。二頭のヘルハウンドが弾き飛ばされた。
「早い!?」
 辛うじて攻撃を躱すことができたジュピターは、自分を襲った相手を目で追う。
「ジュピター(まこ)後ろ!!」
 マーズの声が耳朶を打った。反射的に前方に転がって、緊急回避をする。青白い炎が、先程までジュピターがいた空間を焼いた。
「フラワーハリケーン!」
 マーズの一声で難を逃れたジュピターは、直ちに反撃に転じた。広範囲にフラワーハリケーンを発生させ、ヘルハウンドたちの視界を遮ると、その一団に向かってライトニング・ストライクで突っ込んでいった。
 二頭のヘルハウンドを仕留めた。ジュピターはその場には留まらず、瞬時に後方に退く。攻撃の第二波はマーズだ。蛇火炎で三頭のヘルハウンドを灰にした。
「やるじゃねぇか!」
 自らの魔爪で一頭を絶命させたオペラ座仮面が、感心したような声を上げた。
 瞬く間に六頭の仲間を失ったヘルハウンドたちは、浮き足だった。残る四頭を倒すのには、二分と時間が掛からなかった。
「あなたに勝ち目はないわ!!」
 ヘルハウンドの全滅を確認し、ぴしゃりとマーズが言い放つと、
「ククククク………」
 フードの小男は、肩を振るわせて笑い出した。
「お嬢さん。儂を馬鹿にしてもらっては困るぞ」
 言うや否や、大音響とともにホールが崩れた。いや、ホールだけではない。城全体が崩れ落ちているのだ。
「何をしやがった!? レプラカーン!!」
「儂の名を知っているだと!? やはりお前さんは、ただのネズミではないな!?」
「さあな!」
 オペラ座仮面が魔の爪を伸ばして、レプラカーンに襲い掛かる。しかし、強烈なシールドが、オペラ座仮面を弾き飛ばしていた。
 弾き飛ばされ、床に背中を打ち付けたオペラ座仮面目掛けて、天井から瓦礫が降り注ぐ。
 セーラームーンがプリンセス・ハレーションで瓦礫を粉砕した。
「大丈夫?」
「す、すまない」
 セーラームーンに助け起こされたオペラ座仮面は、僅かに頬を強張らせてレプラカーンを凝視した。
「蛇火炎(マーズ・スネーク・ファイヤー)!!」
 幾筋もの大蛇にも似た炎の筋が、瓦礫を吹き飛ばしながらレプラカーンを襲う。
 セーラームーンはほたるを庇いながら、崩れた壁の間から外へと飛び出した。このまま中にいては、瓦礫の下敷きになってしまう。
 崩壊する城に追い打ちを掛けるように、ジュピターの超弩級のシュープリーム・サンダーが空間を揺るがす。
 セーラームーンとともに外へと飛び出したオペラ座仮面は、ほたるを抱えたまま、ひとまず安全と思われる場所まで後退していた。
 大音響が轟き、闇の城は煙を上げて崩壊する。
「危険だわ。ほたるちゃん、変身して!」
「は、はい。すみません!」
 今まで変身のタイミングを掴みきれなかったほたるだったが、城から離れたおかげで、少しばかり余裕ができた。
 ほたるは、セーラーサターンへと変身をとげた。

 粉塵が治まると、城があったであろうと思われる瓦礫の上に、ぽつんとレプラカーンは立っていた。フードを頭からすっぽりと被っているので、相変わらずその表情は読み取れない。
 体全体から、怪しげなオーラがユラユラと立ち上っていた。
 外は依然として闇に覆われたままだったが、周囲を認識できるとこうことは変わっていなかった。おかげでかなり距離が離れていても、お互いの様子は確認できた。
 戦士たちは、仲間が無事であることを感覚として認識できた。
「最終ラウンドじゃ………」
 レプラカーンは低い声で言った。体がふわりと宙に浮く。
 城が崩壊する直前に避難していたマーズ、ジュピター、オペラ座仮面の三人は、レプラカーンを包囲するような陣形を取って身構えた。
 だしぬけに、レプラカーンを包んでいた怪しげなオーラが爆発した。四散したオーラがミサイルのように三人を襲う。
 オペラ座仮面はシールドを張ってそれを防ぎ、マーズとジュピターは巧みに躱して漆黒の空間に舞い上がる。
「ムーン・ゴージャス・メディテイション!!」
 最初に仕掛けたのは、意外にもセーラームーンだった。彼女が技を放つと同時に、サターンが不動障壁をセーラームーンの前に出現させる。レプラカーンのオーラミサイルを防ぐためだ。
 同じことを、レプラカーンはひとりでやった。オーラの壁を自分の前に形成して、セーラームーンの攻撃を弾いたのだ。
 セーラームーンの攻撃の間にジャンプしていたマーズは、上空から蛇火炎を放つ。幾筋もの炎が、不規則に襲い来るが、レプラカーンはものともしない。が、彼女たちとて、そうそう無駄な攻撃はしない。蛇火炎が躱されるのは、計算のうちだった。つまり、蛇火炎は囮だったのだ。
 うねる炎に紛れて、ジュピターが突っ込んでいたのだ。ライトニング・ストライクを、レプラカーンの土手っ腹にめり込ませる。
「ぐわっ!!」
 予期せぬ攻撃をノーガードの土手っ腹に受け、レプラカーンは吹っ飛んだ。そこへとどめとばかりに、オペラ座仮面の超特大の衝撃波が直撃する。更に追い打ちを掛けるように、サイレンス・バスターとプリンセス・ハレーションが襲い掛かる。
 フードが吹き飛び、小柄なレプラカーンの体が現れた。
 せむし男のように異様に曲がった背中。皺だらけの醜い顔。百歳を優に越えているだろうその老人は、一言で表現してしまえば、正に妖怪そのものだった。
「小娘がぁ!!」
 干涸らびた妖怪のような老人は、呪いの言葉を吐きながら灼熱の火炎を放出した。
「不動障壁(サイレンス・ウォール)!!」
 サターンの発生させた負の力の壁が、灼熱の火炎を完全に防御する。
「お前の負けだぁ!!」
 ジュピターのココナッツ・サイクロンとマーズの蛇火炎が同時に放たれた。
 直撃は避けられたものの、受けたダメージはかなりのものだった。致命的でないにしろ、これ以上の戦闘の続行は不可能だと思えた。
「おのれぇ! おのれぇ………!!」
 醜い顔を更に歪め、せむし男の妖怪は、セーラー戦士たちを凝視する。力の差は歴然だった。これ以上戦っても、レプラカーンに勝ち目はないように思えた。
「セーラー戦士………。これほどまでとは………」
 甘く見ていた自分を呪ってみても、今更どうなるとわけでもなかった。
 レプラカーンは、再び怪しげなオーラをたぎらせる。
「まだやる気か? あの妖怪じじい………」
 オペラ座仮面は悪態を付く。これ以上、まだ何か手があるというのだろうか?
 レプラカーンは、何やらブツブツと呪文を唱えだした。それに呼応するかのように、怪しげなオーラが膨れ上がる。
「何をする気なの?」
 セーラームーンは攻撃の手を休めた。固唾を飲んで、レプラカーンを見つめる。
「!!」
「ぐ………! ぐおぉぉぉ………!!」
 突然、レプラカーンが苦しみだした。天を仰ぎ絶叫する。と、だしぬけにレプラカーンの体が四散した。血と肉片が周囲に飛び散る。
 あまりの出来事に、セーラームーンとサターンは顔を背けた。見るに耐えない光景だった。戦いでの緊張した状態の中でなければ、間違いなく失神していたに違いない。
 四散し、粉々に飛び散った肉片と真っ赤な鮮血が、渦を巻くように集合し始めた。
「何だ!? いったい何が起ころうとしているんだ!?」
「もの凄い妖気だわ………! 今までとは比べものにならない! これほどの相手は初めてだわ………!!」
 マーズの腕には鳥肌が立っていた。唇を小刻みに震わせ、頬を強張らせている。
 飛び散ったはずのレプラカーンの血と肉片は、渦を巻きながら何かの形を形成しようとしていた。空間が激しく振動し、妖気が益々巨大になる。
「これは、さっきの相手の妖気じゃないわ! もっと邪悪で、もっと強大な妖気だわ!」
「何か来ます! 別の空間から、何かが無理矢理、こっちの空間に侵入してこようとしています!」
 サターンはサイレンス・グレイブを出現させ、臨戦態勢で待ち構える。
 オオオン………。
 精神波のような波が押し寄せたかと思うと、空間を引き裂いて、“そいつ”が姿を現した。
「な、なんてモンを召喚しやがったんだ………」
 オペラ座仮面は、喉の奥の方から声を絞り出すようにして言った。
 なんとも形容しがたい姿のバケモノであった。少しばかり前屈みの体型。恐竜を思わせる二本の足。屈強な体格に不釣り合いな、節榑立った四本の細い腕を持ち、背中からは蝙蝠を連想させる羽根を、二対生やしていた。は虫類に似た頭部はぬめぬめと濡れ輝き、四つの目は死んだ魚のようだった。鋭い牙と手足の爪は、黒々と不気味に輝いている。そして、鼻を突く異臭は、おそらくこのバケモノの体臭なのだろう。身長は、優に二十メートルはあると思われた。
「なんなの? あれは………」
 今までいろいろなバケモノを見てきたセーラームーンも、さすがに怯えたような声を出した。
「あのクソじじいめ、自分が俺たちにかなわないと思うや、自分の命と引き替えに、魔界からデーモンを召喚しやがったんだ。しかも、さっきのような下っ端の雑魚じゃない。魔王クラスのデーモンだ」
「魔王クラス………」
「通常空間に召喚されなかっただけ、運がよかったかもしれん。おい! 逃げるぞ! あんなやつに、勝てっこない」
「逃げるって、どこへ?」
「寝ぼけてんのか? おだんごちゃん! 通常空間に決まってるだろ!」
「プルートがまだ戻ってきてないから、あたしたちには移動できないわ」
「な、なんだとぉ………!?」
 オペラ座仮面は、拍子抜けしたような声を出した。
「お前ら、空間を移動できないのか?」
「そうよ!」
「威張るなよっ!!」
「あなたは、できるの?」
「当たり前だ! できけりゃ、俺はここにいない」
「おお! なるほど………!」
「ふたりとも、漫才してる場合じゃないだろ!」
 ジュピターがふたりを窘めた。
「みんな! 来たわ!!」
 悲鳴のようなサターンの声が響いた。同時に巨大な精神波の塊が襲ってくる。
「ちっ!」
 舌打ちして、オペラ座仮面は素早くセーラームーンを抱えて回避した。同じく攻撃を回避したマーズとジュピターが、反撃に転じる。
「マーズ・フレイム・スナイパー!!」
「ジュピター・オーク・エボリューション!!」
 ふたりの超必殺技が炸裂する。やや遅れて、サターンの沈黙鎌奇襲(サイレンス・グレイブ・サプライズ)もデーモンを襲う。
 直撃。だが、ビクともしない。
「馬鹿野郎! 魔王相手に勝てるわけがない! 逃げろ!!」
 セーラームーンを抱きかかえたまま、オペラ座仮面は絶叫した。
“小僧! 我を魔王と言ったか。嬉しいやつよ”
 直接、脳に響いた。テレパシーの一種だろう。
“我が名はジャハン。悪しき心に呼ばれしもの”
 口を大きく開けたジャハンは、巨大な“気”の塊を幾つも吐き出す。
 “気”の塊は、セーラームーンたち戦士の人数分きっちり吐き出されていた。ホーミングミサイルのような動きを見せながら、それぞれ個々に戦士たちに襲いかかった。
「追ってくる!?」
 ひらりと身を翻したセーラームーンは舌を巻いた。目標を失ったはずの“気”の塊が反転して戻ってきたのだ。
「ムーン・スパイラル・ハート・アタック!!」
 再び見に迫ってきた“気”の塊を、辛うじて粉砕した。他の戦士たちも、同様に必殺技で“気”の塊を破壊したようだ。
 いち早く“気”の塊を破壊したいたマーズが、ジャハンに向けてバーニング・マンダラーを放っている。ココナッツ・サイクロンとサイレンス・バスターで、ジュピターとサターンが追撃する。しかし、炎の輪も雷撃球もそして負の力を伴った衝撃波も、ジャハンの体に傷を付けることはなかった。
「あたしたちの攻撃に、かすり傷ひとつつかないなんて………」
 マーズは信じられないという風に、かぶりを振った。
「言ったろう? 人間が魔王に勝てるわきゃない!」
「やってみなければ分からないだろう?」
「二度に渡るお前たちの攻撃に、ビクともしなかったやつだぞ。他に何か手はあるのか?」
 オペラ座仮面の問いかけに、ジュピターは言葉を言い返せない。
「でも、セーラープルートが戻って来なければ、あたしたちは通常空間には戻れない。それとも、あんたがあたしたちを通常空間まで連れてってくれるというのなら、話は別だ」
「すまんな。俺は、俺ひとりしか移動させられない」
「だったら、あんただけでも逃げな。あたしたちは、プルートが戻るまで持ちこたえるさ」
 精神波の攻撃を避けながら、ジュピターは言う。オペラ座仮面は威嚇の衝撃波を放ってから、
「ちっ! しょうがねえなぁ………」
 顰めっ面を作りながら、舌打ちした。
 レプラカーンによって召喚されたジャハンは、精神波を四方に放ちながら、じりじりと戦士たちを追い詰める。
“どうした? 反撃してこぬのか?”
 ジャハンの声が、脳に響く。ひどく単調な口調だった。
「行くわよ、みんな!! セーラー・フル・パワー!!」
 セーラームーンの号令で、戦士全員がパワーをフルチャージした。
「ライトニング・スコール!!」
「マーダー・フレイム・ブラスター!!」
「デス・リボーン・レボリューション!!」
「スター・ライト・ハネムーン・セラピー・キッス!!」
 フルパワーの四人の攻撃が、同時にヒットした。空間が裂けんばかりの爆発が起こり、さしものジャハンも後方に吹き飛ばされた。
「おお!!」
 オペラ座仮面が、感嘆の声をあげた。四人同時の攻撃が、ジャハンに少なからずダメージを与えたからだ。
 畳みかけるように、ジュピターは最大級のシュープリーム・サンダーを放った。マーズのバーニング・マンダラーとサターンの沈黙鎌奇襲が続く。とどめとばかりに、セーラームーンはスパイラル・ハート・アタックを照射した。
「ど、どうだ? やったか?」
 肩で大きく呼吸をしながら、ジュピターは誰ともなしに尋ねた。
「だ、だめ、だわ! 妖気は、衰えて、ないわ!」
 マーズは悲痛に叫ぶ。彼女も息が荒い。
 ジャハンはゆっくりとその巨体を起こした。ところどころに傷を負い、ダメージを受けているようなのだが、どれも致命傷ではないようだった。
「まずいな………。マーズ(レイ)、あとどのくらい攻撃できる?」
「中、程度の技が、一‐二回っ、てところね。大きいのは、体が、もたないわ………」
 肩で大きく呼吸をしながら、マーズはとぎれとぎれに言った。しゃべることさえ、つらそうだった。
「あたしも同じだ。どうするよ………?」
 自らの精神力と体力を消耗する必殺技は、無限に放つことはできない。強力な技になればなるほど、消耗の度合いは激しくなる。既に幾つもの強力な技を放っている彼女たちは、体力の限界にきていた。殆ど技を放つパワーが残されていないのだ。
 ジャハンは四枚の翼を広げ、上空に舞い上がった。翼が起こす衝撃波が、戦士たちを襲う。
 バランスを崩し、吹き飛ばされそうになるサターンを、セーラームーンが左手一本で支えた。そのセーラームーンを、オペラ座仮面がフォローする。
 上空を旋回する巨大な影から、精神波が放たれる。セーラームーンたち、三人は無防備だ。体力の限界にきているマーズとジュピターには、三人を助けるだけの余力はない。
「サ、不動城壁(サイレンス・ウォール)!!」
 辛うじてサターンが、防御の技を唱える。しかし、パワーの集中が不充分だった。
 ジャハンの強烈な精神波を食い止めるほどの、シールドが形成できなかった。
 不動城壁に亀裂が入る。
「くうぅぅ!!」
 サターンがパワーを振り絞る。だが、パワー負けしていた。
「サターン(ほたるちゃん)!!」
 セーラームーンが、その残されたパワーをサターンに注ぎ込む。
「だ、だめ! 破られる!!」
 サターンの声は、殆ど悲鳴だった。
「これまでか………!?」
 オペラ座仮面は目を閉じた。
 ブオオオッ!!
 不動城壁の更に外側に、もうひとつシールドが形成された。
「ガーネット・ボール!? プルート(姉さん)!?」
「プルート(せつなさん)!?」
「来たのか!?」
 三人は同時に叫んでいた。
 危機一髪の三人を救ったプルートは、上空のジャハンに時空嵐を叩き付ける。
「大丈夫ですか!?」
 セーラーサンが三人に走り寄った。パワーを使いすぎたセーラームーンとサターンは、その場にがっくりと膝を付いた。まともに立っているだけの力も残されてはいなかった。
「ありがたい! マーズ(レイ)、行くぞ!!」
 ジュピターは横に並んでいるマーズに声をかけた。マーズはすぐに、ジュピターが考えていることを察した。
 ふたりは呼吸を合わせた。パワーをシンクロさせる。
「!」
 上空を高速で移動しながらジャハンの相手をしていたプルートも、ふたりの姿を確認した。もちろん、ふたりがやろうとしていることも瞬時に理解した。
「はあぁぁぁ!!」
 ガーネット・オーブを振り翳して、プルートはジャハンに突撃する。巨大な翼を羽ばたかせ、ジャハンは更に上空に回避した。
「時空封鎖(ディメンション・クロウズ)!」
 時空の壁で、ジャハンの動きを止める。続いて放つのは、デス・スペース・イヴァポレイションだ。致命傷を負わすことはできなくても、多少のダメージは与えられるはずだ。
 パワー配分を考えて戦っていたプルートだったが、マーズとジュピターがリンク技を使おうとしているのならば話は別だ。ふたりのリンク技の威力は、デス・スペース・イヴァポレイションの比ではない。
 爆煙をあげながら、ジャハンが落下してきた。ダメージを受けての落下ではない。明らかに、何かを狙っている。ジャハンの四つの目の先にあるものは、マーズとジュピターのふたりだ。今の彼女たちは、リンク技を放つためにシンクロしていて、全くの無防備だ。リンク技は確かに威力は通常技の比ではないが、放つ前後に大きな隙ができる。いわば、諸刃の剣だった。
「いけない!」
 サターンとプルートが同時に気づいた。だが、サターンには残されたパワーは少なく、プルートからでは援護が間に合わない。
 セーラームーンが残り少ないパワーで、ふたりを援護しようと試みた。しかし、それよりも一瞬早く、セーラーサンが飛び出していた。
「無茶よ、セーラーサン(もなか)! 戻って!!」
 セーラームーンが懸命にセーラーサンを呼び戻す。だが、セーラーサンの耳には届かない。
 セーラーサンは大きく飛び上がると、突進するジャハンの眼前に躍り出た。ジャハンは彼女に気付いたが、意に介さず突入してくる。
「サンシャイン・フラッシュ!!」
 眩い光が、周囲に散った。セーラーサンも、フルパワーで光を放ったのだ。致命傷を与える攻撃はできなくとも、相手の動きを止めることができる。
 ジャハンの動きが止まった。両目を押さえて、悲鳴をあげる。
 グオオオッ!!
 下方から呻りをあげて、炎を纏ったトルネードが突き上がってくる。マーズとジャピターのリンク技───トルネード・ブラスターだ。
 炎の竜巻は怒れる竜のごとく、巨大なジャハンをひと飲みにした。
“我の結界を撃ち破るとは………!!”
 ジャハンの最後の精神波が、脳に伝わってきた。
 周囲に熱風を撒き散らしながら立ち上っていった炎の竜巻は、ジャハンを飲み込んだまま、やがて消滅していった。
「もの凄ぇ技だな………」
 生唾をごくりと飲み込んだオペラ座仮面は、ジャハンの消滅した薄闇の上空を見上げた。
 ガーネット・ボールに包まれたセーラーサンが、ふわふわと漂っていた。

 ジャハンを倒した戦士たちは、プルートの能力で、一の橋公園へと戻ってきた。
 陽が沈み、闇に染まった公園には、人の姿はなかった。上の高速を走る車の音だけが、やけにうるさく聞こえていた。
「じゃあな、お嬢ちゃんたち! 機会があったら、また会おうぜ」
 オペラ座仮面はウインクした。
「ところで、なんであんたはあそこにいたんだい?」
 立ち去ろうとするオペラ座仮面の背中に、ジュピターは訊いた。
「企業秘密だよ!」
 振り向いてそう答えると、オペラ座仮面は夜の闇に溶け込んでいった。
「それにしても、ハードな相手だったわね」
「ああ。異空間だったから、フルパワーで戦えたけど、こっちの世界にあんなのが来られたら大変だぞ。あの技は、こっちでは危険すぎるしな」
 ジュピターは肩を竦めた。
「ところで、救出したシスターや女の子たちはどうしたの?」
 セーラームーンが思い出したように訊いてきた。
「シスターが引率して、警察に行きました。さらわれてから何日もたっている女の子もいるらしく、記憶を操作することは不可能だって、ルナが言ってました。それに、シスターやほたるちゃんがいなくなった件では、警察も動いてましたし………」
 セーラーサンが説明した。警察に行かせるということも、ルナが判断したことだろう。事件がおおやけになってきているために、記憶の操作だけで誤魔化せるようなものではなかった。ましてや、警察まで動いているのは尚更だった。
「ほたるがいなかったことは、救出し忘れたってことで誤魔化しておいたわ。あなたもあとで、警察に行きなさい。シスターが待っているかもしれないわ」
 ほたるを一緒に連れていかなかったことで、多少のトラブルがあったようだったが、プルートがうまく処理したらしい。
「すみませんでした。あたしが迂闊だったばっかりに………」
 今回の事件の発端となったサターンは、涙声で項垂れる。
「気にすることなんてないよ。あたしたちだって、いつ同じめに合うか分からないし………」
 セーラームーンが優しく声をかけた。皆、同じ意見だった。今回は、たまたまほたるが狙われただけにすぎない。明日は別の仲間が狙われる可能性だってあるのだ。自分が同じ目に遭う可能性だって否定できない。
「みんな、それぞれに気を付けないとね」
 レイが言った。
「さあて、みんなお腹すいてるでしょ? 今日は御馳走するわよ!」
 プルートの申し出に歓声をあげたのは、もちろんセーラームーンだった。