闇の城


 プルートは石造りの長方形のベッドに寝かされていた。ベッドと言っても、ただそのような形をしているだけで、とても安眠できるようなベッドではない。どういう原理か分からないが、手首と足首はずぼりとベッドに飲み込まれるようにして、しっかりと固定されている。もちろん、身動きはできない。
 部屋にはグレムリンたちが十体ほど蠢いていて、何がおかしいのかケラケラと笑い、時折奇声を発している。
 ほたるとシスター絵里子は、依然として半身を床に飲み込まれたままだった。シスターの意識は、まだ戻っていない。
「では、儀式を始めようぞ………」
 レプラカーンは言うと、フワリとその身を浮遊させる。すうっと音もなく宙を移動すると、プルートの真横で停止した。
 石造りのベッドはそれほど高くないのだが、背の低いレプラカーンにとっては、普通に立っているだけでは顔の高さにあった。だから宙に浮いたのだろう。ベッドの高さは、自分では調節できないようである。
 プルートは身を捩ってベッドから脱出を試みるが、ベッドに完全に埋まってしまっている手首足首は、抜ける気配を見せない。
「無駄じゃ。逃げられやせんよ」
 レプラカーンの瞳は、異様な光を放っていた。危険な光だ。背筋がぞっとする。
「観念するんじゃな」
 フードを被った小男はそう言うと、その骨張った手でプルートの襟元を掴むと、一気に引きちぎろうと試みた。
「ぬ!?」
 だが、一向に引きちぎることができない。どんなに力をいれても、僅かばかりも切れない。
「なんじゃ、この布は………!?」
 確かに布だと思えた。手触りはシルクに近く、非常に柔らかい。胸元に手を伸ばせば、プルートの弾力のある乳房の感触を感じることはもできたし、心臓の鼓動さえも感じ取ることができる。なのに、頑丈極まりない。力任せに引きちぎろうにも、全く切れる気配がない。
 レプラカーンは策を変えた。合金も紙のように切り裂く自らの鋭い爪で、スーツを裂く作戦に切り替えた。が、結果は同じである。合金を切り裂く魔の爪が、シルクのような布に傷を付けることさえできない。
「なぜ、切れん!?」
 レプカラーンは困惑していた。せっかくの御馳走が目の前にあるのに、おあずけを食らっているのである。
「無駄よ。そんな簡単に、このスーツは切れないわよ」
 プルートの声は、ひどく落ち着いていた。それがかえって、レプラカーンを苛つかせる。
 切れるものなら切ってみろという目で、プルートはレプラカーンを見据えた。
 このセーラースーツは、普通の衣服ではない。彼女たちの戦闘服なのである。それが、普通の布と同じように簡単に破れたりしてしまったのでは、戦闘服としての意味をなさない。このセーラースーツは、かなりの衝撃も吸収してくれるし、耐熱防弾にも優れている万能スーツなのである。動き安さを重視した軽素材ではあるが、驚くほど守備力に優れた素材でできているのだ。もちろん、地球上には存在しない繊維で作られている。彼女たちのセーラースーツは、かつてシルバー・ミレニアムにいた科学者の生み出した傑作なのである。
 一見、素肌を晒しているように見える部分も、実は透明の極薄のポリマーで覆われているのだ。透明であるがために、素肌を晒しているように見えるだけなのである。この極薄ポリマーも強固で、衝撃吸収率はスーツほどではないが、耐熱性に優れている。素肌のように見えるだけであって、決して素肌ではなかった。
 余談だが、このようなデザインの戦闘スーツになったのは、単なるデザイナーの趣味であったらしく、かなりの実力者であったらしい彼は、女性たちの猛反対を押し切って、制式採用してしまったらしい。その戦闘スーツの名前がセーラースーツと言ったところから、このスーツを着た戦士をセーラー戦士と呼ぶようになったと、古い文献に記されている。(らしい)

「ぐう………。なんと、いうことじぁ………!!」
 レプラカーンは、頭を抱えて蹲ってしまった。何もそこまでショックを受けなくてもいいのでは、と思うほど、がっくりと肩を落としている。プルートに何もできないことが、彼にはよほどショックだったのだろう。気持ちは分かるけどね………。
 だが、レプラカーンは立ち直りも早かった。プルートが駄目なら、もうひとりいるということを思い出したのだ。
 フードの小男は、すいーと、ほたるの方へ移動した。変身が解けてしまっているほたるなら、簡単に衣服を裂くことができる。
「お前さんにしよう………」
 あっさりとプルートを諦め、ほたるに乗り換えた。要するに、だれでもよかったのだ。
「待ちなさい! その娘には手を出さないで!!」
 プルートは血相を変えた。ほたるは変身が解けてしまっている。今はT・A女学院の制服を着ているのである。セーラースーツではない。
「嫌じゃ、儂ゃこっちがいい」
 まるでだだっ子のように、フードの小男は言った。干からびた手で、ほたるの頬を撫でる。 ほたるは口を真一文字に結び、キッとレプラカーンを睨み据えている。
「う〜む。自害されても困るのう………」
 フードの小男は、腕を組んで首を捻った。自分の身に危害を及ぼすなら、自害も辞さないという瞳で、ほたるは老人を睨み据えた。
「ふむ」
 フードの老人は、小さく溜息を付いた。
「仕方ない。催眠術をかけよう………」
 諦めるのかと思いきや、やはりこのじじいはただ者ではなかった。筋金入りのすけべじじいのようだ。が、
 ズズズーン!!!
 もの凄い振動が、床全体を激震させた。
「なんじゃ!?」
 さしものすけべじじいも、これには血相を変えた。狼狽えて、周囲に視線を配った。グレムリンたちが、右往左往していた。
(来た!)
 プルートは心の中でひとり、ほくそ笑んでいた。

「何よ、ここ! 真っ暗じゃない!!」
 到着したとたん、文句を言ったのはセーラームーンだ。だいたい、こういうケースでの第一声というのは、セーラームーンと決まっている。「お約束」のようなものである。
「プルートはどこだろう?」
 薄暗いながらも、まわりを確認するように眺めたのは、ジュピターだった。
「待って、探ってみる」
 マーズは印を結び、目を閉じて気を集中させた。しばしの沈黙ののち目を開ける。
「近くにはいないわね………。少し離れたところで幾つかの気を感じるけど、プルートかどうかは特定できないわ」
「珍しいこともあるもんだ」
「妖気がもの凄いのよ。まるで妖気による妨害電波ね。普通の人の気を探すのは、けっこう集中力がいるわ………。でも、集中しさえすれば、かえって見つけられやすいけどね。………それよりも、気づいた?」
「ああ。妙なところだな」
 ジュピターは再び周囲を眺める。セーラームーンとセーラーサンが、そのジュピターの視線を追う。
「こんなに暗いっていうのに、まわりの景色がよく分かる」
「見えるっていうか、感じるっていうか………」
「そう、曖昧だけど認識できるっていう、妙な感覚ね」
 セーラームーンの言葉を受けて、マーズがその場をまとめた。
 確かに妙な感覚だった。目で見えるわけでもないのに、まわりに何があるのか認識できるのだ。
「あれ………、お城ですよね………」
 セーラーサンが前方を自信なさそうに指差す。セーラームーン、ジュピター、マーズの三人は、そろってその指の先に視線を走らせた。
「あ、ほんとだ………」
 少し遠目の位置に、荘厳な城が聳えている。ヨーロッパ風の城である。しかし、見た目の荘厳さとは裏腹に、異様な雰囲気を持っていた。マーズもあの城から、尋常でない妖気を感じると言う。
「どうしてこう………、悪役ってのは、ああいう不気味なモンを好むんだろうね………」
「あれじゃ、ここにいますよって、言ってるようなものですよね………」
 呆れるジュピターに続けて、セーラーサンは変に感心したような口調で頷いた。
「あそこから、僅かにプルートの気を感じるわ。………もの凄い妖気も感じるけど………」
「あそこに行くっきゃないってわけか………」
 四人は不気味に聳える城に向かって、ゆっくりと足を踏み出した。

「入り口、ないねぇ………」
 手近な岩に腰を降ろし、揃えた足の上に乗せた腕で顎を支えるようにしているセーラームーンが、ウンザリしたように言う。入り口を探して、ちょうど城を一周したところだった。
「マーキュリー(亜美)がいたら、楽だったのにな………」
 ジュピターがぼやく。どうにもならないことだけに、言うだけ余計に虚しかったが、つい口から出てしまったのである。マーキュリーがこの場にいれば、彼女のポケコンで、瞬時に入り口を断定できたに違いないのは、ジュピターでなくても分かっていることだった。ついつい、この場にいない仲間を頼ってしまうのが、以前からの彼女たちの悪い癖であった。
「どうしましょう、このままじゃ………」
 セーラーサンは何か知恵はないものかと、ちらりとマーズを見た。が、マーズは肩を竦めるだけだ。
 彼女たちがこの空間に来てから、既にかなりの時間が経っている。連絡の取れないプルートも心配だが、彼女よりも、さらわれたという、ほたるの方がもっと心配だった。
「ぶっ壊すか?」
 イライラしてきたジュピターは、やっぱり彼女らしい強行突破の意見を口にした。
「危険すぎるわ」
 熱くなったジュピターを宥めるのは、マーズの仕事だ。
「プルート(せつなさん)やほたるちゃんの姿を確認するまでは、強行するのは危険よ」
「でも、どこに行っちゃったんだろうね、プルート(せつなさん)………。この空間にあたしたちが来れたのは、プルートに引き寄せられてのことだから、ここにプルートがいるのは間違いないはずよね?」
 セーラームーンはマーズに同意を求める。もちろん、マーズは否定しない。彼女たちはプルートから預かった時空の鍵に引き寄せられて、この不気味な空間にやってきたのだ。決して彼女たちが望んで来たわけではなし、彼女たちが目標を定めて来たわけではない。
「先走りするような人じゃないと思うけどな………、あたしと違って………」
 いかなるときも冷静沈着なプルートが、迂闊な行動を取るとは考えられなかった。それとも、彼女を動かすだけの、何かが起こったのか。例えばほたるの身に危険が及んでいたら、プルートは行動を起こさざるを得ない。
「お困りのようだね、おだんごちゃんたち………」
 頭上から突然声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、彼女たちの目の前にひらりと影が踊った。
 男だった。目から鼻に掛けての部分を、白磁の仮面で覆っていた。黒いマントを翻しているその姿は、「オペラ座の怪人」に登場する「怪人」と酷似していた。
「オペラ座仮面!?」
 セーラームーンとセーラーサンのふたりは、そろって目をパチクリさせる。そのやや後ろにいたマーズとジュピターは、前方のふたりとは反応が違っていた。警戒し僅かに身構える。
「オ、オペラ座仮面だぁ!?」
 男は素っ頓狂な声をあげた。
「そ、それって、俺のことかぁ?」
「他にだれがいるのよ………」
「それもそうだ………」
 オペラ座の怪人そのまんまの白い仮面を付けた男は、仮面のない後頭部をボリボリと掻いた。
「名前があるんだったら、教えてよ」
「え!? ああ、そうだな………。う〜ん。しゃーない、オペラ座仮面で我慢すっか………」
「呆れた! 名前もないの?」
 セーラームーンは大袈裟に肩を竦めてみせた。既に、マーズとジュピターは警戒を解いていた。オペラ座仮面からは殺気は感じられない。
「別に正義の味方でもないからな………。敵に名乗るための名前なんて、あるわけがない。あいつもそうだが………」
「彼女も来ているの?」
 セーラームーンが口にしたのは、もちろんセーラーカロンのことだ。
「いいや、今回はわけありでね。俺ひとりだよ………」
 オペラ座仮面と命名されてしまった男は、城壁に手を付けると上を見上げた。
「あなたのやろうとすることを詮索する気はないけど、ひとつ教えて欲しいことがあるわ」
「なんだい? 美人のお嬢さん」
 オペラ座仮面は、僅かに警戒しながら質問してきたマーズに顔を向けた。深い神秘的なマーズの瞳が、白磁の仮面に向けられている。
「彼女はセーラーカロンなの? いえ、セーラーカロンと言う名の戦士でないのだとしても、彼女はセーラー戦士なの?」
 マーズの質問を聞いたオペラ座仮面は、困ったような苦笑をしてみせた。
「………だったらどうする気だい? 仲間だと言って、一緒に戦隊ゴッコでもしようってのかい? もし仮にあいつがセーラーカロンだったとしても、あいつにはそのつもりはないと思うな。あいつは群れるのがキライだからな………」
「それでは答えになってないわ!」
 マーズは声を荒げた。
「どうしても知りたきゃ、本人に確かめな。俺に訊かれたって、知らんものは答えられない。ただ、俺と出会ったときには、既にあいつはあの能力を持っていた。今、言えることはそれだけだ」
 オペラ座仮面は、オーバーに肩を竦めてみせた。
「あんたは何者なんだい?」
 今度はジュピターが、睨むようにしてオペラ座仮面を見る。
「質問はひとつじゃなかったのか?」
「マーズの質問は終わったよ。今度はあたしが訊いてるんだ」
「わがままなお嬢ちゃんたちだ………」
「命を助けてもらってこういう言い方はしたくないが、あたしたちはあんたを百パーセント信用しているわけじゃない。あたしは回りくどいことはキライなんだ。いずれ戦わなきゃならないなら、今決着を付けたい」
 T・A女学院では助けてもらったが、彼らが敵でないと言い切れるものではない。こちらを油断させるために仕組んだことである可能性も、否定はできないのだ。
「物騒なねーちゃんだな………。あんたらの敵じゃないと言い切る自信はないが、少なくともやつらの仲間ではない。俺はね………」
「………俺は?」
「あいつがどう考えてるのかは、俺は知らんよ。たまたま今は一緒に行動しているが、もともと仲間だったわけじゃない。あいつとは偶然出会ったんだ」
「だからセーラーカロンのことも、よくは知らないと言うのか?」
「御名答」
 仮面の下の目が、ウインクしたようだった。そいて、再び上を見上げる。
「上が気になるの?」
 すかさずセーラーサンが質問した。
「入り口が上にあるんでね。そろそろ城の中に入ろうかと思っていたのさ」
「入り口は、上にあるの?」
「呆れたな………。敵のアジトに乗り込むんだったら、あらかじめ下調べぐらいはしておいた方がいいぞ。じゃあ、………アデュー!!」
 投げキッスをすると、オペラ座仮面はふわりとジャンプした。
「ちょっ、ちょっとぉ! アデューって、まだ話があるのに………!!」
 四人は同時に上を見上げたが、オペラ座仮面の姿は、もう見えなくなっていた。

「上にある入り口って、この窓のことかしらね………」
 オペラ座仮面を追ってジャンプした四人のセーラー戦士は、宙に浮いたまま困惑していた。
 入り口らしきものが見当たらないのである。あるのは幾つか並んでいる丸窓ぐらいだった。
それもさして大きいわけではない。大人の肩幅ぐらいの大きさである。オペラ座仮面が、もしこの窓から侵入したとすると、かなり苦労したはずである。
「どうする?」
 溜息混じりに、マーズはジュピターに目を向ける。
「ここしか入れるところがないんだったら、ここから入るしかないんじゃないか?」
 ジュピターは肩を竦めた。入り口が他に発見できないのでは、窓から侵入するしかない。まるで「空き巣狙い」のようだが、他に方法が見当たらないのでは仕方がない。丸窓にガラスがはめ込まれていないのが、せめてもの救いだった。
「行くよ、セーラームーン(うさぎ)」
 まずはジュピターが、その丸窓から侵入を試みる。四人の中で一番体の大きいジュピターが入れれば、他の女の子たちは問題なく通れるはずである。
 ジュピターはするりと窓に戻り込む。と、
「う、うわわわわわぁ!!」
 慌てふためく、ジュピターの声が城の中から響いた。続いてドンと言う、何かがぶつかる音が聞こえてきた。
「どうしたの? ジュピター!(まこ)」
 マーズが窓に頭を突っ込み、中の様子を確認する。僅かに遅れて、セーラームーンとセーラーサンも窓に頭を突っ込む。
 床は見える位置にあった。距離にして、一メートルくらいだ。窓にしては、随分低い位置にあることになる。
 床の上には、ジュピターの姿が見えない。たった今入ったばかりだというのに、ジュピターの姿は煙のように消えてしまった。
「ジュピター(まこちゃん)! どこよ!?」
 セーラームーンは、ジュピターの姿をキョロキョロと捜す。
「こっちだ、こっち………! あいててて………」
「え!? こっちって?」
 三人は、そろって首を巡らす。しかし、やはりジュピターの姿は見えない。声は聞こえてくるのだが、姿がどこにも見えないのだ。
「下………じゃない、上だ、上!!」
「上ぇ!?」
 そう言われて見れば、声は頭上から聞こえてくる。三人は上を見上げようと、少しばかり上半身を窓から中に入れる。が、あまりよく見えない。更に体を中に入れる。
「わっ! バカっ! そんなに身を乗り出したら、落っこちる!」
「落っこちる!?」
 三人はくるりと首を巡らし、上を見上げて仰天した。
 ジュピターが天井に尻餅を付いて、しかも悠長に腰までさすっていたのだ。
「ジュピター(まこ)、なに器用なことやってんの………って………、きゃあ!!」
 三人の中で一番体を中に入れていたマーズが、ジタバタともがきながら天井に引き寄せられていく。
 ビターンとばかりに、いかにも痛そうな音を響かせて、マーズは天井に張り付いた。
「いったーい!! ちょっとぉ! どーなってんのよ、これ!?」
 顔から激突した形になったマーズは、半べそをかきながら嘆いた。
「大丈夫ですかぁ?」
 セーラーサンが呑気に声をかける。
「ふたりとも、いい加減気付けよ!」
 ジュピターは立ち上がって喚いた。足を天井に張り付かせ、逆さまに立っている。
「すっごーい! ジュピター(まこちゃん)! それって、手品!?」
 奇怪なことをしているジュピターを見て、セーラームーンは目を真ん丸にして驚いている。首を上に向けたまましゃべっているので、異様に疲れる。そろそろ首が痛くなってきた。
「どうせ、口で説明してもあの子たちには分からないんだから、中に入ってもらった方が簡単でいいわよ」
 うんざりしたような口調で、マーズは言った。もちろん、わざとセーラームーンに聞こえるように言った。
「ちょっぉと、それどういう意味よ!」
「マーズ(レイさん)、ひどいですぅ!」
 ふたりは頬を膨らませて、窓から中に無造作に身を入れた。
「わっ! ふたりとも、ちょっとは考えて入れよぉ!!」
 ジュピターが慌てたが、既に遅かった。
「ぎゃあ! うそぉっっっ!!」
「ええっ!? なに〜〜〜!?」
 手足をバタつかせながら、ふたりは無様な格好で天井に激突した。
「あちゃあ………」
 ジュピターは、ひとり項垂れた。
「な゛、な゛に゛よ゛、ここ………」
 セーラームーンは潰れたような声を出した。
 激突してみて、初めて理解した。こっちが、床なのだ。窓に近い、つい先程まで床だと思っていた方が、天井だったのである。
「空間が歪められてるんだかなんだか知らないけど、まったくふざけた城だぜ………」
 ジュピターは言いながら、お尻をさする。
「もう! 信じらんなーい!!」
 やはりお尻を床に打ち付けたセーラーサンは、泣きべそをかいていた。しかし、ジュピターもセーラーサンもお尻から落下するとは、よっぽどお尻が重いのだろうか? ………などと余計な詮索をしていると、彼女たちに殺されてしまいそうなので、やめることにしよう。
 立ち直りの早い彼女たちは、筆者の心配をよそに、既に発見した通路を勝手に奥へと進んでしまっている。
 薄暗い通路だった。明かりは約三メートル間隔で均等に配置されている、蝋燭だけがたよりだった。周囲のことを感覚的に認識できる、外の方がまだましだった。城の中では、外のようにはいかないようである。完全に、目だけが頼りだった。
 意外と広い通路で、四人が横一列に並んで歩いても、まだ幅に余裕があった。
 石造りのせいか、空気は冷たく肌寒い。やけに黴臭かった。
「………!? 何か聞こえませんでしたか?」
 不意にセーラーサンが立ち止まった。
「え!? 何も聞こえないよ………」
 セーラームーンも立ち止まり、耳を澄ませてみた。マーズとジュピターも立ち止まった。
「あたしも、気が付かなかったけど………」
「………いえ、聞こえるわ。人の“気”を感じる………」
 マーズは目を閉じる。精神を集中させているのだ。
「こっちよ!」
 場所を特定したマーズは、慎重に足を運んだ。人の“気”を感じたというだけで、まだその“気”を放つ者が何者なのかも分からない。敵か味方かさえも分からないのだ。ここは敵地である。人の“気”を感じたというのであれば、敵である可能性の方が高い。
 息を殺して、四人は通路を更に奥へと進んだ。
「ここだわ………」
 マーズは鉄製の頑丈そうな扉の前で立ち止まった。
 格子窓があった。雰囲気的に、牢屋のような作りだ。ジュピターが格子窓を油断なく覗く。
「女の子だ。学生ばかり………。三、四、五………、少なくても七人はいるな。全体が見えないから、断定はできないが………。全員、気を失っているようだ。“気”は感じるんだろう?」
「ええ、もちろん」
 ジュピターは格子窓から視線を移さなかったが、マーズに尋ねているのは明らかだった。だから、マーズも答えた。“気”を感じるということは、生きているという何よりの証だった。
「さらわれた学生かしら?」
 背後でセーラームーンが疑問符を投げかける。
「可能性大だな。T・A女学院の制服もいる。確認してくれ」
 ジュピターはマーズに格子窓を譲った。マーズはやや背伸びをして格子窓を覗いた。格子窓の位置は、ジュピターには調度よい高さだったが、マーズが普通に覗くのには少々無理があった。
「知らない顔だけど………。TA女学院の制服に間違いないわ」
「助けようよ!」
 セーラームーンが言う。
「まだ、早いわ」
 マーズが反対した。
「逃げ道も確保してないのに、今彼女たちを助けるのはかえって危険だわ。見たところ、眠らされているだけのようだから、しばらくはこのままでも大丈夫だと思う。先にプルートを捜さなきゃ。彼女がいなければ、あたしたちだって、もとの世界に戻れないわ」
「時空の鍵は使えないんですか?」
 セーラーサンにしてみれば、来たときと同じように、時空の鍵を使えば元の世界に戻れると思っていたのだ。
「無理ね。座標が分からないわ。こっちへ来る分にはプルートのガーネット・オーブに引き寄せられるだけだったから、何の問題もなかったけど、帰るとなると別よ。プルートがいなければ、どうにもならないわ」
「それにしても、プルートはどうしたのかしら………。マーズ、プルートがどこにいるか、まだ分からない?」
 不安げにセーラームーンは問う。マーズは首を横に振った。
「ずっと、捜してるんだけど………」
「もう少し、城の中を捜してみよう。幸い敵は出てこないから、移動するのには苦労しないしな」
 そう言ったのは、ジュピターだった。

「驚いたな………。もう、こんなところまで来たのか………」
 通路をあてもなく歩いていたセーラームーンたち四人は、ビクリとして足を止めた。
 音もなく、影が目の前に移動してくる。
「あんたは………!」
「オペラ座仮面!」
「意外と早かったな。少し見直したぞ」
 オペラ座仮面は、戯けてみせた。
「ちょっとぉ! この城は、いったいどういう構造になってるんだよ!」
 ジュピターが食ってかかる。この城の奇天烈な構造のせいで、自分はお尻を床に打ち付けてしまったのだ。がまんしているが、実は今でも痛いのだ。きっと大きな青痣ができてしまうことだろう。とても他人には見せられない。もっとも、見せる気もないが………。
「訳分かなんいぞ、この城は!」
「………要するに、迷ったのか?」
「迷ってなんかないわよ!」
 これにはマーズが反発した。今にも噛み付きそうな勢いで、オペラ座仮面に食ってかかる。図星だっただけに、余計に腹が立ったのだ。
「だいだい、どういう理由で城の中の空間が歪んでるのよ! あなた、初めから知ってたんでしょ? なんで、教えてくれなかったのよ!!」
「言わなかったか? 下調べぐらいはしておくもんだって。教えなかったのは、別に命に関わる事じゃなかったからさ」
 オペラ座仮面は平然と言ってのけた。つかみ所のない男である。
「あなたねぇ!」
「ちょい待ち!」
 なおも食い下がろうとするマーズを、オペラ座仮面は左手を挙げて制する。
「お嬢さんたちと言い争いをしている時間はない。それは、お嬢さんたちにだって言えることじゃないのか?」
「そ、そう言われればそうだけど………。でもね!」
「奥を見てみなよ!」
 オペラ座仮面は親指を突き立て、後方を指し示す。四人のセーラー戦士は、オペラ座仮面の後方に移動した。
 通路の先はホールになっていた。薄暗いが、全く見えないわけではない。周囲の壁に均等に配置されている蝋燭のためか、ひどく幻想的な空間だった。
 ホールの中央に、ベッドらしきものがううっすらと見える。その脇に、フードを頭から被った小男がいた。小男は、ベッドに横たえられている女性らしき人物に覆い被さるようにしていたが、やがて離れると、数メートル奥に滑るように移動した。その足下に、床にめり込むようにして、女の子がいるのが確認できた。
「プルート! ほたるちゃん!?」
 ベッドに横たえられている方がプルートで、床にめり込んでいるのがほたるだと分かった。プルートが変身しているのに対して、ほたるはどういう理由からか、変身をしていなかった。
「あいつ、ほたるちゃんに何かする気だわ」
 緊張した声で、セーラームーンは呟いた。仲間たちに、早くほたるたちを助けに行こうと、暗に伝えているのである。
「あたし、行きます!」
 今にも飛び出そうかというセーラーサンの腕を、マーズが掴んだ。
「慌てないで! 今、行ってもふたりを盾にされるだけだわ。それに、奥にはシスターもいるわ。………おかしいわね、さらってきた人数が合わないわ………」
 マーズは冷静だった。しっかりと周囲を観察している。ほたるのはかに、もうひとり生徒がさらわれたはずなのだ。
「さっきの部屋にいるんじゃない?」
 途中の部屋に捕らわれている女生徒の中に、ほたると一緒にさらわれた生徒(緑川さやかのことだ)もいるかもしれなかった。
「まずい! ほたるが!!」
 小声でジュピターが叫ぶ。
 ほたるを包んでいた床が盛り上がり、ベッドのような物を形作った。手足をがっちりと固定されているようで、ほたるは必死にもがいているのだが、思うように動けないようだった。
「こりゃあ、思ったよりも厄介だな………」
 背後から、ヌッとオペラ座仮面が顔を突き出す。が、言葉ほど厄介に思っている様子ではなかった。余裕を感じるのだ。
 見ている間にも、ほたるはセーラー服を引き裂かれ、悲鳴をあげている。
「早く助けないと………!」
 オロオロしながら、セーラーサンは言う。このままでは、ほたるが慰み者にされてしまう。自分たちの目の前で、そんなことをさせるわけにはいかない。それに、これ以上のことを書くと、この小説は十八歳未満禁止のレッテルを張られてしまう。
「仕方ない。おい、ポニーちゃん」
 オペラ座仮面は、ジュピターを見る。
「セーラージュピターだ!」
「………セーラージュピター、あんたは取りあえず、この辺を派手にぶち壊しな!」
「陽動かい?」
「そういうことだ」
「なら、あたしも!」
「陽動はひとりで充分だ。ストレートロングのお姉ちゃんは、おダンゴちゃんとふたりで、グレムリンの始末だ」
「グレムリン?」
「あのすけべじじい、レプラカーンの手下どもさ。今はホールのあちこちに隠れている。ポニーちゃ………セーラージュピターが花火を放ったら出てくるはずだ」
 オペラ座仮面は、三人の肩を連続してポンポンと叩く。
「あ、あたしは?」
「輪っか頭ちゃんは、俺に付いてきな」
「オーケー!」
 セーラーサンは嬉しそうに返事をした。自分に仕事を与てもらえるのが、よほど嬉しいと見える。
「じゃあ、セーラージュピター。一発派手なやつをぶちかましてくれ。心配しなくても、この城はそう簡単には壊れないやしない。できるだけ、でかい花火を頼む」
「了解!」
 ジュピターは親指を立て答えると、ウインクをしてみせた。