十三人衆のセレス


 ルナから連絡を受けたうさぎたちは、タワーランドに集結した。と、言っても全員ではない。せつながいないのだ。仕事で東京湾天文台にいる彼女は、そう簡単には戻っては来れない。仕方のないことだった。
「ルナ、もなかから連絡は?」
 腕時計型通信機で、うさぎは司令室のルナを呼び出した。
「音沙汰なしよ。そっちから連絡はできないの?」
「駄目。通じないのよ………」
「中の様子も分からないわ」
 ほたるが通話に割り込んできた。タワーランドの入り口には、係員がひとりいるだけである。彼は何事もないように、平常に勤務している。タワーランド内で異変が起こっているなど、彼は夢にも思っていないだろう。
「中に入るしかないな」
 まことが言う。
「水着を持ってないのに、入れてくれるかしら」
 うさぎが変な心配をした。彼女にしてみれば、大まじめである。レイが項垂れている。
「お金さえ払えば入れてくれるんじゃない? それに、水着を持ってるかどうかなんて、入り口で調べないよ」
 頭を抱えるだけのレイとは対照的に、いつもながらまことはきちんと答えてくれる。
「今月のお小遣い。もうないんだけど………」
 財布の中を覗き込んで、うさぎがか細い声で言うと、
「あ、あたしも生活費がやばいな………」
 思い出したようにまことも言った。うさぎとまことは真剣に悩んでしまっている。些細なことのようだが、彼女たちにとっては大問題である。特にまことの場合は生活がかかっている。
 ほたるも財布の中を覗いて、悲しそうな表情になった。彼女も中身が乏しいと見える。
 タワーランドの入場料は、中学生以上は千五百円取られる。アルバイトをしていないうさぎとほたるにとっては、千五百円は大金だった。
「い、いいわよ、あたしが貸してあげるから………」
 貸してあげるというところを、やけに強調して、レイは言った。もちろん、深い溜息を付きながら言ったのは、わざわざ説明するまでもない。
 こんな呑気に財布の中身を気にしているような状態でないことを、彼女たちは気付いていなかった。
 正義の味方という商売も、実はけっこう資金がいるのである。

 青瞳(あおめ)の道化師はセーラーサンの首を締め上げていた。戦局は極めてセーラーサンに不利である。絶体絶命の局面だった。
「大丈夫、殺さないから。気を失う程度にしておいてあげるよ。スプリガン様からのご命令だからね………」
 真っ赤にメイクした口を複雑に歪めて、セーラーサンの耳元で囁いた。
「サ、サンシャイン・フラーッシュ!!」
 ピカッと、セーラーサンのティアラが輝きを放った。
「ぐえぇぇぇ!!」
 まともに光を見てしまった青瞳の道化師は、両目を押さえてのたうちまわった。
「ごほっごほっ!」
 やっと解放されたセーラーサンだったが、膝を付いて咳き込んでしまった。肩で大きく息をする。
「よ、よくもやったなぁ!」
 怒りに顔を歪め、青瞳の道化師は三つの球体を放った。球体は激しく咳き込むセーラーサン目掛けて突進する。セーラーサンは気付いていない。
「くっ!」
 その時、一陣の風とともに進悟が突進してきた。セーラーサンを抱えて、真横にジャンプする。寸でのところで、球体の攻撃を躱した。
「逃げるぞ!!」
 進悟はセーラーサンに肩を貸し、そのまま走り出す。
 球体は上空で反転すると、再びふたりを目掛けて突進してきた。
「!」
 咄嗟に進悟はセーラーサンを庇った。三つの球体を背中で受けた。
 メキッという音が聞こえたような気がした。ショックで一瞬呼吸が止まる。
「! 月野君! しっかりして!!」
 セーラーサンは思わず進悟の名を呼んでしまったが、進悟はそのことには気が付かなかった。
 激痛のために、思考が混乱していた。
 進悟を直撃した球体は上空で旋回すると、セーラーサン目掛けて急降下してきた。
「ファイヤー・ソウル!!」
「シュープリーム・サンダー!!」
「サイレンス・バスター!!」
 三つの必殺技が、三つの球体をそれぞれ破壊した。
「そこまでよ!!」
 セーラームーンの声が響きわたった。
「ヌヌヌ!?」
 青瞳の道化師は、声のした方を睨む。四人のセーラー戦士が立っていた。セーラームーンが前面に立ち、数歩下がった位置に三人の戦士が並んでいた。
「公共のプールでおいたをする子は、このあたし、セーラームーンが許さない! 月に代わって、お・し・お・き・よ!!」
「こりゃ困った。分が悪い」
 数の上で圧倒的に不利になった青瞳の道化師は、逃げの体勢に入った。球体を五つ飛ばすと、上空にジャンプした。
「こんな子供騙し!!」
 マーズがスネーク・ファイアで五つとも破壊した。
 球体が破壊されたことを、上空で見ていた青瞳の道化師は、舌打ちした。自分が脱出するまでの時間も稼げないとは情けない。
「なんだい、逃げるのかい?」
 頭のすぐ上で声がして、ドキリとして顔を上げた。
「セ、セレス! 様………」
 顔半分を黄金の仮面で覆ったセレスが、自分のことを見下していた。シルクのような滑らかなミニスカート裾が、ひらひらと揺らめいている。下から見上げている青瞳の道化師からは、中身が丸見えであるが、彼にはそれをじっくりと堪能するだけの余裕はなかった。セレスももちろん、そんなことは気にも止めない。
 セレスはすうっと降下してくると、青瞳の道化師と並んだ。
「ひとりも捕まえられないとは、情けないね」
 冷たい声で、セレスは言い放つ。
「み、見ていらしたんですか………?」
「退屈凌ぎに見物していた。逃げるんだったら止めないよ。エナジーは集めたんだ。それだけあれば、逃げ帰ったってお咎めはないだろうさ。後はあたしが遊ばせてもらう。戦うのも構わないけど、あたしの邪魔はしないでよ」
 セレスは淡々と言う。
 青瞳の道化師は逃げるわけにはいかなくなってしまった。ここでセレスが手柄を立ててしまうと、自分の立場がない。スプリガンの怒りを買うことは当然ながら、命の保証もない。ここは不本意だが、セレスに協力するしかないと感じた。セレスの能力は全く分からないが、十三人衆を名乗るくらいだから、そうとう強力な技を持っているに違いない。それにいざとなれば、セレスを盾に逃げることだってできる。
 青瞳の道化師は覚悟を決め、戦闘態勢を整えた。

「あいつは………!」
 サターンが上空に待機するセレスを発見した。セーラームーンも頷く。
「こんにちは、セーラー戦士のみなさん。初対面のヒトもいるようだから、自己紹介をしましょう。あたしはブラッディ・クルセイダース十三人衆セレス………」
「セレス!?」
 セーラームーンの表情が驚きの色を示した。セレスという名は知っている。だが………。
「あたしのことをセーラーセレスだと思っているのなら、人違いよ。セーラームーン………」
「な、なぜそのことを!? あなたはいったい………」
「あたしに勝てたら教えてあげる」
 セレスは意味深に微笑む。
「きえぇぇぇ!!」
 奇声を発しながら、青瞳の道化師が急降下してきた。文字通り特攻である。体の周囲に、幾つもの球体を出現させている。それをぐるぐると回転させながら、突っ込んで来たのだ。
「! いけない!!」
 セーラームーンが青瞳の道化師のターゲットにいち早く気づいた。形振り構わずダッシュする。遅れてマーズが動いた。
 ジュピターとサターンは、上空のセレスからの攻撃に備える。
「セーラームーンは進悟君を!!」
 背後のマーズが叫ぶ。
 ドカドカドカッ!!
 球体がプールサイドのコンクリートを打ち砕いた。破片が飛び散り、粉塵が舞う。
 一瞬早く、セーラームーンは蹲ったままの進悟を抱えて飛び退いた。マーズもセーラーサンを連れて回避する。
「大丈夫?」
「セーラームーン!?」
 進悟は自分を助けてくれた人物の顔を見上げた。新聞などでは見たことはあるが、実際に会ったのは初めてである。しかもこんなに間近で………。セーラームーンのその顔は、どことなく、誰かに似ている。
「………っ!」
 セーラームーンが顔を歪めた。右の掌で、左腕を押さえている。
「! セーラームーン、怪我を!」
 セーラームーンの左腕から、血が滴り落ちている。球体によって破壊されたコンクリートが、彼女の腕を掠めたために傷を負ったようだ。
「ピ、ピエロが!」
 進悟が怯える。自分たちに向かって突進してくる青瞳の道化師が、セーラームーンの肩越しに見えたのだ。
「あたしの後ろに!」
 セーラームーンは進悟を庇うように、自分の背後へと押しやった。
「でも、怪我を!」
「いいから下がってなさい、進悟!!」
 ぴしゃりと言うセーラームーンの口調が、姉のうさぎの声とダブって聞こえた。まるで、うさぎに叱られているようだった。
(………何で、俺の名前を!?)
 進悟はセーラームーンの華奢な背中を見つめた。見覚えのある背中だ。もちろん、セーラームーンは、進悟を名指しで呼んでしまったことに気付いていない。
「ムーン・プリンセス・ハレーション!!」
 エターナル・ティアルから、三日月のハレーションが起こる。公共の場で、それほど大きな技は使えない。エナジーを奪われた人々も、依然として倒れたままだ。強力な技を使ったら、その人々まで巻き添えにしてしまう。
「キーッ!!」
 奇声を発して、青瞳の道化師はジャンプした。ハレーションが空振りする。
 道化師はジャンプした地点から、無数の球体を打ち出した。
「ファイヤー・ウォール!!」
 マーズが援護に来てくれた。炎の壁を出現させ、球体を破壊する。
「アステロイド・ディストラクティブ!!」
 上空からセレスの声が響いた。無数のエネルギーの球体が降り注ぐ。
 コンクリートの破片が舞い、プールの水が水蒸気を上げる。
 エネルギー球のひとつが、青瞳の道化師を直撃した。青瞳の道化師は悲鳴を上げる間もなく、絶命した。
「なっ!」
 あまりのことに、セーラー戦士たちは一瞬言葉を失った。セレスは下に味方がいることを承知で、今の技を放ったのだ。
「なんてことを………!!」
 セーラーサンは慌てて周囲を見回した。エナジーを奪われて気を失っている人々が倒れているのだ。犠牲になった人がいるかもしれない。だが、不思議なことにエネルギー球は、気を失っている人々を器用に避けていた。
「彼らからは聖体を貰うからね。殺したりはしないよ」
 セーラーサンの心を見透かしたように、セレスは言った。余裕の笑みを浮かべている。味方を殺してしまったというのに、平気な顔をしている。あたかも、初めからそのつもりであったかのように………。
 バリバリバリ!
 下から雷撃球が飛んでくる。ジュピターのスパークリング・ワイド・プレッシャーだ。
 セレスは左手で受け止める。そのまま握り潰した。
「上等だぁ!!」
 セレスの余裕過ぎる行動が、ジュピターの怒りに火を付けた。セレス目掛けてジャンプすると同時に、ココナッツ・サイクロンを放つ。今度の雷撃球は一発ではない。掴んで握り潰すなどということはできない。
「アステロイド・ディストラクティブ!」
 セレスは雷撃球をエネルギー球で相殺した。
 双方のエネルギーが激しくスパークする間を縫って、ジュピターがセレスの懐深く潜り込んだ。フラワー・ハリケーンでカモフラージュしたのち、ライトニング・ストライクで突撃する。だが、躱されるのは計算のうちだった。ジュピターはセレスの着地地点を予測して、更なる攻撃を加える。
「ジュピター・サンダーボルトぉ!!」
「この程度の電撃………!!」
 強烈な電撃を、セレスは片手で弾き飛ばした。
「くっ!」
 セレスはそれをガードした。カードしながら後方に飛び退き、ライトニング・ストライクの威力を殺す。
「お返しだよ………! アースクロッシング・サイクロン!!」
「うっ!」
 ジュピターは肝を冷やした。巨大なエネルギーの塊が、幾つも打ち出されたのだ。辛うじてガードした。ガードしていなければ、危うかった。
「なんて技だ………!」
 ジュピターは舌を巻く。
 セレスは手強い。
 ジュピターの実感だった。これだけの技を放っていながら、息が全く乱れていない。まだ余裕があるように感じられる。いや、実際余裕があるのだ。下で気を失っている人々に技が当たらないように、気を配って戦っている。はっきり言って、強すぎる。フルパワーで戦わなければ勝てない相手だと感じていた。
 しかし、下には多くの気を失った人々が倒れたままになっている。フルパワーで戦うわけにはいかない。
「この状態では、お互い戦い辛いわね。きょうのところは素直に引き上げるわ。下で寝てる人たちは諦めてあげる」
 セレスは言うと、上空に張られた青瞳の道化師の結界を解いた。
「また会いましょう。セーラー戦士たち………」
 セレスは霧のように消えた。
 ジュピターは大きく深呼吸する。
「強い………」
 実感だった。一対一でまともにやりあって、勝てる確率は五分五分だと思う。自分も全力で戦ったわけではないが、おそらくそれはセレスとて同じだろう。お互いに実力を発揮できなかったのである。
 ジュピターはサターンの横に着地した。
「援護を頼めばよかったよ………」
 ぽつりと愚痴をこぼした。自分で援護はいらないと言った手前、サターンを責めるわけにはいかなかった。
「これだけ人が倒れているのでは、まともに戦えません」
 サターンは肩を竦めてみせた。
 腕の傷を自らのハンド・ヒーリングで癒しながら、セーラームーンが歩み寄ってきた。マーズとセーラーサンが続いている。
「とんでもない敵ね………」
 ジュピターとセレスの戦いを見て、セレスの実力を知ったのだろう、マーズは深刻な顔をしていた。お互い本気ではなかったとはいえ、結果的には互角の戦いを演じたのである。いや、僅かにセレスの方が押していたようにも見えた。
 マーズの考えが分かったのだろう。歩み寄ってきたジュピターは、僅かに下を向きながら苦笑してみせた。

 やっとの思いで家に辿り着いたうさぎは、リビングのソファーにドッカと腰を降ろした。二階の自分の部屋に行く気力もなかった。
 セレスが去ったあと、エナジーを奪われて気を失っていた人々を回復するのは、セーラームーンの仕事だった。ヒーリング・エスカレーションである。銀水晶の力で、体力を回復させてやったのである。もちろん、同様の技を持つセーラーサンも手伝った。今頃もなかも、プールサイドでぐったりしているに違いない。
 左腕の傷が痛んだ。ハンド・ヒーリングで外傷は消えたが、完全には回復していなかった。自分自身がエナジーを使いすぎて疲労してしまったために、傷の回復も遅れてしまっているのである。
「あら、うさぎ帰ってたの?」
 母親の育子が、エプロン姿で現れた。夕食の支度でもしていたのだろう。そう言えば、キッチンからいい匂いが漂ってくる。
「随分疲れてるみたいだけど、大丈夫? 体の具合でも悪いの?」
 育子ママは娘の顔色を見ただけで、体調が不充分なのを悟ったようだ。さすがだと思う。
「体育でハリキリすぎちゃったの………。大丈夫よ」
 もちろん、嘘である。敵と戦っていたなどと言えるわけがない。
 うさぎはふと、ちびうさのことを思い出した。ちびうさが未来へ帰ってから、もう二年あまりになる。ちびうさのいない生活にも、ようやく慣れてきたところだ。ちびうさがいないと、どうもこの家は広く感じる。ちびうさがいた頃の方が、自然だったような気さえした。
(どうしてるかなぁ、ちびうさ………)
 妙に会いたくなった。あとで、押入の奥にしまってある秘密のアルバムを見てみようと思う。
 ちびうさとの思い出が一杯詰まったアルバムだった。
「あれ? いたの?」
 進悟がひょっこり顔を出した。いつの間にか帰ってきたらしい。
「うん。今帰ってきたとこ………」
 うさぎは答えた。なんだか視線を合わせづらい。咄嗟のことだったので、進悟を名指しで呼んでしまったことに気付いてはいないのだが、目の前に出てしまったと言うことが、うさぎの心に重くのし掛かっていた。変身しているので印象は違うとはいえ、全くの別人になっているわけではないのだ。迂闊だったとも反省したが、あの場合は仕方がなかった。
「ふ〜ん」
 進悟は、ソファーに深々と腰掛けているうさぎを見つめていた。どうしても、セーラームーンとダブって見えてしまう。つい、うさぎの左腕を見てしまった。セーラームーンが自分を庇って、怪我をしたところだ。しかし、半袖のブラウスから覗けるうさぎの左腕には、それらしい傷のようなものはない。
「なによ?」
 怪訝そうに、うさぎが訊いてきた。
「あ、あのさ。今日、タワーランドに行ったんだ」
 進悟が突然話を切り出した。タワーランドと言われて、うさぎはどきりとする。
「ふ、ふ〜ん。面白かった?」
 うさぎはさも興味なさそうに受け答えた。進悟の言いたいことは、もちろん推測できる。
「あ、ああ」
 進悟は視線を合わせずに答えた。あらぬ方向を向いたまま、後頭部をボリボリと掻いている。
 どうも会話がきごちない。気まずい雰囲気だった。
「なによ、あたしの顔に、なにか付いてるの?」
 自分の顔をじっと見つめている進悟に、うさぎはつっけんどんに言った。理由は分かっている。しかし、そんなことを言えるはずもない。進悟も質問を控えているのだ。姉弟の間には、見えない壁が生じていた。
「いや、なんでもないよ………」
 進悟は短く答えると、二階の自分の部屋へと上がっていった。弟の後ろ姿を見つめるうさぎの心は、とても複雑だった。
 進悟は自分の姉がセーラームーンであることに、気付き始めているのかもしれなかった。