火川神社


 全力疾走だった。
 あとで思い起こしてから、よくもこんなにも長い距離を全力で走れたものだと感心してしまったが、このときのレイには、そんなことなど考えている余裕はなかった。
 必死だったのだ。
 火川神社へと続く石段を、半分ほど上登ったときに、悲鳴が聞こえた。女の子の悲鳴だった。
「美童さん!?」
 だれの悲鳴なのか、わざわざ考える必要はなかった。陽子のものだという確信があった。
 レイは、石段を登るスピードを早めた。普段は殆ど気にしたことのない、神社へと続く長い石段が、ひどくうざったいものに感じた。
 登り切った。
 “毛むくじゃら”が見えた。“クラウン”の前で襲ってきたのと、同じやつだ。
 竹ぼうきをがむしゃらに振り回している、男の姿が目に入ってきた。最近になって、火川神社に住み込みで働いてもらっている、熊田優一郎という青年だった。
 竹ぼうきを武器に、必死の形相で“毛むくじゃら”と対峙している。レイが戻ってきていることに、気付いていないようである。そんな余裕など、彼にはないだろう。彼は神社を守るために、必死に異形のモンスターと戦っているのだ。
 陽子と祖父の姿が見えない。
“レイ様!”
 頭の中に、直接声が響いた。テレパシーだ。
 レイは上空を見上げた。二羽のカラスが旋回している。フォボスとディモスだ。彼女たちも、もともとは火の国の王女であったレイの側近であった。彼女たちは、レイにやや遅れて、現代に転生してきた。ただし、クイーン・セレニティの力によって転生してきたわけではないので、カラスの姿として現代に甦ってしまったのだ。しかし、彼女たちもルナやアルテミス同様、僅かの間だが、人間に戻ることができるようになった。普段でも、テレパシーによって、レイ以外の者とも意志の疎通ができるようになった。
「美童さんと、おじいちゃんは!?」
 レイは声を出して訊いた。まだ上手く、テレパシーを飛ばすことができないのだ。だが、フォボスとディモスは、カラスの姿であっても、人の言葉を理解できる。
“おふたりとも本堂の中です。おじいさまが結界を張って、美童様を守っておいでです”
 フォボスとディモスのふたり意志が、同時に伝わってくる。
 “毛むくじゃら”が、レイの姿を発見した。優一郎を襲っていた四体のうち、半分の二体がレイの方に向かってくる。
 優一郎はがむしゃらに竹ぼうきを振り回しているので、レイに全く気付いていない。幸いにして、境内にも他に人影はない。
 変身するチャンスだ。
「マーズ・クリスタル・パワー! メイク・アッープ!!」
 胸の前で形成されたマーズ・クリスタルが、強烈に輝き、レイの体を包む。セーラー・クリスタルのパワーを得たセーラーマーズが、炎を(まと)って出現する。
 セーラーマーズの出現に、一瞬戸惑いを見せた“毛むくじゃら”だったが、すぐに気を取り直して突進してきた。
 マーズは、ひらりとそれをかわした。何の策もない突進など、戦いの戦士であるセーラーマーズには何の効果もない。マーズにとっては、ただうざったいだけだ。
「ふたりは優一郎さんを助けて!」
 マーズは、上空のフォボスとディモスに向かって叫ぶ。
“承知致しました”
 フォボスとディモスは、直ちに急降下してくる。優一郎を襲っていた“毛むくじゃら”に、嘴で攻撃を加える。
 ふたりの連携攻撃は完璧である。数の上では二対二だが、“毛むくじゃら”は連携するということを知らない。お互いに協力し合うということを知らないのか、個々に攻撃を加えてくる。それではフォボスとディモスの敵ではない。
 フォボスとディモスの洗練された連係攻撃の前に、“毛むくじゃら”は防戦一方である。
 “毛むくじゃら”の攻撃から逃れることができた優一郎は、一目散に本堂へと遁走していく。
 優一郎が無事逃げられたのを確認すると、マーズは体を巡らした。先程渾身の突撃をマーズに躱された二体の“毛むくじゃら”が、体勢を立て直して再度突撃してくる。
 跳び箱を飛ぶ要領で、一体を飛び越える。
 着地と同時に振り向く。気を練った。指先に炎が集中する。
「ファイヤー………!」
 突然、脳裏に電撃のようなものが走った。一種の閃きである。閃きは、眉間にスパークとして現れる。
(この“毛むくじゃら”を傷つけてはいけない!?)
 直感だった。
 ふわりと舞い上がり、浮遊した状態で気を集中させた。
 マーズの研ぎ澄まされた神経が、レーダーのように周囲を探査する。邪悪な念波をキャッチした。近い。神社の境内の中だ。本堂の裏手。
「フォボス! ディモス! 結界を張るわ、手伝って!!」
 言うが早いか、マーズは既に印を結んでいる。
 フォボスとディモスが上空に来た。フォボスとディモスの体が光に包まれる。光は膨れ上がり、フォボスとディモスの体を別の形へと変貌させる。
 人の姿へと戻ったのだ。強力な結界を張るには、カラスの体のままではパワー不足であるが故に、ふたりは本来あるべき姿にへとチェンジしたのである。
 神社を囲む正三角形になるように、三人はそれぞれポイントを取った。
「はっ!」
 三人は同時に気合いを込める。火川神社を強力な結界が包み込む。
 マーズは本堂の裏手を凝視する。そこに、邪悪な念波を送る者がいるはずだった。邪悪なものは、この結界から外へは出られない。もう、袋の鼠だ。
 邪悪な念波を送る者も、それに気付いた。弾丸の如く出現すると、表情を引き釣らせてマーズに襲いかかる。
 マーズは余裕で躱す。
「そんな腕では、あたしには勝てないわ」
「この『赤髭の呪術師』を愚弄するか!?」
 頭は禿げているが、髭だけは伸ばし放題伸ばしている。まるでサンタクロースのようなその髭は、その男が言うとおり、赤毛の髭である。かなりの高齢者であると思われるが、動きはしなやかな獣のような動きだった。
「死ね!」
 「赤髭の呪術師」は、しわがれた声で叫んだ。キッと、マーズを睨み付ける。
「むん!」
 念を込めると、「赤髭の呪術師」のまわりに、幾つもの赤い球体が出現する。大きさはまちまちで、小さいものは五センチくらい、大きいものでは一メートルはあろうかというものもある。その球体はシャボン玉のように、空中をふわふわと漂っている。
「むん!」
 再び念を込めると、それぞれが弾丸となって、マーズに襲いかかる。
蛇火炎(マーズ・スネイク・ファイヤー)!!」
 マーズは動じない。蛇火炎で応戦すると、次の瞬間にはバーニング・マンダラーを放っていた。
「なに!?」
 「赤髭の呪術師」は、躱すのが精いっぱいだった。体勢を整えるどころではない。
「マーズ・フレイム・スナイパー!!」
 とどめの一撃が炸裂した。見事な連続技である。
 「赤髭の呪術師」は、炎の矢の直撃を食らって爆発四散した。
「ムーン・ヒーリング・エスカレーション!!」
 だしぬけに声がした。
 結界の中に飛び込んできたセーラームーンが、ヒーリング・エスカレーションを放ったのだ。
 聖なる銀水晶の強烈な光が、火川神社全体を包み込む。
 光が収まると、“毛むくじゃら”だったものは、全裸の女の子へと変化していた。
 外が静かになったことで、本堂から恐る恐る顔を出した優一郎が、庭に倒れている全裸の女の子たちを発見して、目を丸くしている。
 次いで祖父と陽子がおそるおそる顔を出した。上空に浮遊しているセーラー戦士たちに、優一郎たちは気付いていなかった。
セーラームーン(うさぎ)、これはどういうこと!?」
 驚きの眼差しで、マーズはセーラームーンを見る。“毛むくじゃら”が邪悪な念波によって操られていたのは気付いていたが、まさか人間の女の子が魔物にされているとは思わなかった。“毛むくじゃら”を傷つけてはいけないという直感は、こういうことだったのかと、今更ながらに納得させられた。
 祖父に何事か言われた優一郎が、社務所の方へと走っていくのが見えた。
「これから説明するわ」
 セーラームーンは、神社の鳥居に視線を落とした。
 マーズもその視線の先を追った。
 変身を解いている、まこととほたるの姿が見えた。その足下に、ルナも見える。
「………?」
 三人の後ろに、女の子の姿が見える。彼女の足下にも、ネコが寄り添っている。
 知らない顔なのだが、不思議と知っているような感じがした。
 女の子は上空のマーズを見上げると、ぺこりとお辞儀をしてみせた。