“クラウン”の前


「あれ? うさぎちゃん。今日は帰り?」
 下駄箱で靴を履き変えていたうさぎの耳に、元気のいい声が届いてきた。
「ああ! ひかるちゃん!」
 うさぎは顔を上げて、自分に声をかけてくれた友人の姿を確認した。美奈子の小学校からの親友の、空野ひかるちゃんだった。体操着を着ているから、彼女はこれから部活動なのだろう。体操着といっても、もちろん下はジャージである。盛りのついた雄猫のような男子生徒を、わざわざ刺激するようなブルマ姿ではない。彼氏募集中のひかるちゃんではあっても、野獣のような男は御免被りたい。ひかるちゃんは、バレー部である。バレー部内ではアイドル的な人気を誇る彼女は、異性から告白されることもしばしばあるようだったが、ビビッと来るような相手は、今のところいないと言うことだった。
 去年の夏の大会では、美奈子とふたり、二年生でありながらレギュラーの座を獲得し、インターハイ優勝に大きく貢献した。だからこそ、余計に男子生徒の注目を浴びることとなっていた。セッターのひかるちゃんとアタッカーの美奈子のコンビは、彼女たちの年代では日本最強のコンビとまで唱われた。美奈子は名実ともに、学生界のアイドルとなったのだ。ふたりが日本代表選手に選ばれる日も、そう遠くないだろうと思えた。
「部活には顔出さないの?」
「うちの部は、部室でマンガを読んでるだけだから。マンガなら、家でも読めるし………」
 うさぎはマンガ研究部だった。大好きなマンガを好きなだけ読めるからという理由で、部活に参加しているのである。そんな漫画大好き娘のうさぎを知っているから、ひかるちゃんは不思議に思ったのだ。
 もちろんうさぎは、今自分で言ったような理由で、部活をサボるわけではないのだが、こう言った方がひかるちゃんに対しては、無難だと思ったからにすぎない。部活を休む本当の理由など、言えるはずもない。
「へぇ………。そうなんだ………」
 案の定ひかるちゃんは、うさぎに対してそれ以上のことを質問してこなかった。
「じゃあ、ひかるちゃん。部活がんばってね!」
「うん。バイバイ、うさぎちゃん!」
 うさぎは明るく手を振る、ひかるちゃんのいる下駄箱を後にした。
 真っ直ぐに、正門に向かった。
 そこで、なるちゃんと待ち合わせをしているのだった。
 高校に入ってからうさぎは、なるちゃんと待ち合わせをして、一緒に帰るようにしていた。わざわざ待ち合わせをしなければならないのは、うさぎとなるちゃんでは校舎が違うからだった。うさぎは十番高校の商業科に通い、なるちゃんは普通科に通っている。だから、わざわざ待ち合わせをしているのである。うさぎの学力では、残念ながらレベルの高い普通科で合格するのは、いくら亜美に勉強を教わっているとはいえ、困難なことだったのだ。結局、仲間内では亜美となるちゃん、海野が普通科を受験し、うさぎ、美奈子、まことの三人は商業科を選んだ。
 うさぎがなるちゃんと一緒に帰るのには、理由があった。
 うさぎは戦士セーラームーンではあったが、普通の女の子でもあるのだ。小学校からの親友であるなるちゃんとは、いつまでも仲良くしていたいと思っていた。なのに、セーラームーンとして目覚めてしまってからは、戦いに追われる日々のために、なるちゃんと遊んでいる時間が極端に減ってしまった。同じセーラー戦士である、亜美や美奈子たちと一緒にいる時間の方が、多くなってしまったのである。
 初めはいきなり付き合いの悪くなってしまったうさぎに、少々むくれていた時期もあったなるちゃんだったが、勘のいい彼女は、うさぎがセーラームーンであるということに、薄々気付き始めていた。
 ある日、窮地を助けにきてくれたセーラームーンに対し、なるちゃんは「うさぎ」と呼んでみた。セーラームーンは、自分が「うさぎ」と呼ばれたことに気付かなかった。なるちゃんはそのときに、うさぎがセーラームーンであるということを確信した。そして、セーラームーンを守っている四人の戦士たちが、それぞれだれであるかも知ってしまった。
 だが、なるちゃんは、自分の口からはそのことを話そうとはしない。時がくれば、うさぎが自身の口から話してくれるだろうと考えていた。いや、例え話してくれなくても、なるちゃんはかまわないと思っている。なるちゃんにとっては、うさぎがセーラームーンであっても、そうではなくても、親友のうさぎには変わりはないのである。
 だから、なるちゃんは放課後、うさぎがゲームセンター“クラウン”の地下にある司令室に行くことも知っている。
 うさぎも、なるちゃんが自分の正体を知ってしまったことに、気付いていた。が、あえて言おうとは思わない。言ったからといって、今更何が変わるというわけでもなかった。かえってなるちゃんの身を、危険にさらしてしまうことにもなりかねない。
 うさぎは、なるちゃんと一緒にいるときだけは、戦いから解放されたような気になる。昔の自分に戻れるのだ。自分の正体を知りながらも、あえてそのことを話そうとはしないなるちゃんに感謝すると同時に、やはりかけがえのない友人だとも思う。
 約束の時間に少しばかり遅れてきたうさぎに対して、なるちゃんは笑顔で手を振ってくれた。うさぎが遅刻の常習犯であるということは、だれよりもなるちゃんが一番よく知っているのだ。

 うさぎとなるちゃんが、いつものように十番街を歩いていると、突然、
「やぁ! また逢ったね」
 と、声をかけられた。
 だれだろうと、一緒に振り向いたふたりの前に、美青年が立っていた。亜美を空港に見送りに行って来た帰り、十番商店街で出会った十文字拓也だった。
「キミには、また逢えるような気がしていたよ」
 十文字は、爽やかな笑顔をうさぎに向けた。
「このあいだのヒトじゃない?」
 小声でなるちゃんが、うさぎに耳打ちした。うさぎは小さく頷く。
「どう? 一緒にお茶でも飲まないか?」
 いまどき流行らないナンパの仕方である。こんなありふれた誘いにのってしまうのは、茶パツのコギャルぐらいなものかもしれない。当然、うさぎはその類には属さない。
「いま、友だちと一緒ですから………」
 断ったつもりだった。
「じゃあ、彼女も一緒でもかまわないよ」
 十文字は、サラリと言ってのけた。
「いえ、けっこうです!」
 今度は強い口調で言うと、うさぎはなるちゃんの手を引いて、さっさと歩き出してしまう。
「じゃあ、この次に………」
 うさぎの耳に届いた十文字のその声は、あくまでも爽やかだった。
「うさぎ、海野も言ってたけど、あの手のタイプは気を付けた方がいいよ」
 なるちゃんは、後ろをちらりと振り返ってから言った。既に、十文字の姿はなかった。
「うん。分かってるって………」
 心配いらないよという風に、うさぎは微笑んでみせた。
 と、そのとき、うさぎは道路を挟んで反対側の歩道を歩く人波の中に、地場衛の姿を見たような気がして、立ち止まった。
 だが、再度確認しようとしたうさぎの努力も虚しく、衛らしき姿は、もう確認できなかった。
(見間違いよね、きっと………。夏休みまでは、まだ一ヶ月近くあるのに、まもちゃんがこんなトコ歩いてるわけないよね………)
 うさぎは衛からの手紙の、「夏休みになったら帰る」という、追伸の部分を思い返していた。追伸の部分だけ何度も読み返して、心待ちにしているのである。カレンダーを塗りつぶしてもいる。帰ってきているのならば、うさぎに必ず連絡があるはずである。
 さっき一瞬見えたのは、きっと他人のそら似だったのだろう。うさぎはそう思うことにした。
「どうしたの?」
 なるちゃんが、立ち止まったままのうさぎに気付いた。振り返って、声を掛けてきた。
「なんでもない。なんでもないよ!」
 うさぎは小走りに、なるちゃんのもとへと駆け寄った。

 なるちゃんとは、彼女の家の宝石店“ジュエルOSA・P”の前で別れ、うさぎはひとりゲームセンター“クラウン”へ向かっていた。
「こんちには、うさぎさん」
 “クラウン”の少し手前で、ほたるがうさぎの姿を見つけて声をかけてきた。彼女も今から、“クラウン”に向かうところのようだった。T・A女学院の制服が、相変わらずよく似合っていた。
「夕べは、せつなさん帰ってきたの?」
 せつながここのところ、仕事先の東京湾天文台に泊まり込んでいると聞いていたので、一緒に暮らしているほたるに尋ねてみた。
 当初、転生したほたるは、はるか、みちる、せつなの三人が面倒を見ていた。地球を破滅から守るために散ったセーラーサターンが、セーラームーンの力で三度めの転生を果たした時、彼女たちは今後のサターンの成長を見届けることを誓った。そして、デッド・ムーンとの戦いの際、ほたるが急激な成長を遂げた後は、せつなが母親として引き取ることになった。はるかとみちるが、学生に戻ったからである。みちるの強い希望で、十番高校に中途入学した為であった。
 ほたるは仲の良かったちびうさと同じ小学校に通いたかった為、彼女の成長に合わせて身体の成長を操作していたのだが、ちびうさが未来に戻ってしまってからは、その必要がなくなった。ほたるは本来の姿にまで成長を果たし、せつなの薦めでT・A女学院に入学した。現在2年生のほたるは、世間的には、せつなと姉妹ということになっている。
「いえ、夕べも戻りませんでした。何か、すごい発見があったようなんですが、あたしにもまだ話してくれません」
 ほたるは心なしか、心配そうだった。せつなの身を案じてのことだった。
「無理しなきゃいいけど………」
 うさぎはほたると、同じことを心配していた。

 “クラウン”は、いつになく小学生が多かった。三人が一チームで戦うアクションゲームの新作が入ったからだろう。土曜日の午後だということも関係しているのかもしれなかった。小学生たちは真剣な顔つきで、スティックとボタンを目まぐるしく操作している。夕方になると、こんどは中学生から上の年齢層のゲーム好きが、友達と連れだって遊びに来る。
「うさぎさんは、やらないんですか?」
 ほたるはうさぎがゲーム好きなのを知っている。この格闘ゲームが出るのも楽しみにしていたのだ。
「あそこでルナがこっちを睨んでるから、ちょっと無理かも………」
 小学生たちのプレイぶりを、横目で覗き見ながら、うさぎは囁くように言った。
「あれ? 早かったな、ふたりとも………」
 少し遅れて、レイとまことが“クラウン”に入ってきた。
 まことの姿を見て、うさぎは一瞬不思議そうな顔をする。
「土曜日は、バイト休みだっけ?」
「ああ、そうだよ」
 まことは笑みを浮かべながら答える。
 ルナが足早に駆け寄ってきた。今はネコの姿をしている。
「レイちゃん。美童陽子さん(かのじょ)どうしてる?」
 レイの足下で、ルナは早口で訊いてきた。彼女の遭遇した事件のことは、(おおむ)ねレイから聞いてはいた。それだけに、ルナは陽子のことが気懸かりだった。
「きょうは学校を休んで、火川神社(うち)にいるわよ。気分がすぐれないらしいの」
 レイは答える。
「………でも、もう一週間経つものね………。ちょっと、心配だわ………」
「両親へは連絡したのか?」
 訊いてきたのはまことだった。
「部活の合宿ってことになってるわ。………でも、あまり心配されてないみたい。彼女言ってたけど、今一緒に暮らしているご両親て、本当のご両親じゃないんですって」
「そうなんだ………」
 まことは同情的に言った。本当の両親を亡くしている寂しさは、まことでないと分からない。もっとも、レイも幼い頃母親と死別し、政治家である父親とも一緒に暮らしてはいない。
 雰囲気が、いささかしんみりしてしまった。そんな中、ルナだけは違っていた。
「みんな、司令室には、裏からまわるわよ」
 ルナは、全員に外へ出るように促す。早口で言った。
「どうしたの? ルナ………」
 やけに慌てているような感があるルナに、うさぎは不思議そうに訊いた。が、ルナが話すまでるなく、その理由はすぐに分かった。
「やあ、キミたち。きょうは店長、来てないよ!」
 笑顔で声をかけながら、つかつかと歩み寄ってくる者がいた。“クラウン”のアルバイトとして、最近入ったKO大学の三年生である。名前は、北本勇二というらしい。元基と直接面識があったというわけではなく、店の入り口に張っておいた、アルバイト募集の貼り紙を見て、入ってきた口だった。女の子にもてそうな顔をしているのだが、生憎とうさぎやレイ、まことの好きなタイプではなかった。ほたるは、はっきりと嫌いだと言っている。顔だけ見ている分には、かっこいい“お兄さん”なのだが、彼の性格に難がありすぎた。
 女好きなのである。
 仕事の最中にも関わらず、通りを歩いている女子高生をナンパしたり、店内で遊んでいる女子学生や女子大生に声をかけたり、元基もほとほと手を焼いていた。
 元基に会いに来た、宇奈月やレイカまでもナンパしようとした。あまりのしつこさに、宇奈月からはビンタを、レイカからは蹴りをくらった。しかし、それでも彼はめげなかった。そういう面では、素晴らしい根性の持ち主だった。
 当然、うさぎたちも声をかけられた。しつこく、デートにも誘われた。が、適当なことを言って、断っていた。デートに誘われた際、ほたるはお尻を触られたらしく、そのことが、彼を嫌悪する原因にもなった。
 いいかげん、自分が嫌われていることに気が付いてもいいはずなのだが、相変わらず馴れ馴れしくしてくる。要するに、自分が嫌われていることに気付いていない、おめでたいやつなのである。
 きのうに続いて、きょうも元基が店を休んでいるとは知らなかったうさぎたちは、“クラウン”の正面から入ってきてしまったことを、今更ながらに後悔した。
 彼に付きまとわれては、“クラウン”の内部にある入り口から司令室には降りられない。ルナの言うとおり、外の秘密の入り口からまわるしかないだろう。“クラウン”の外部に別の入り口を設けたのは、そういった理由からでもあった。
「店長も隅に置けないよなぁ………。カノジョの他に、こんな可愛い子たちと知り合いだなんてさ」
 北本の言う、「店長」とは元基のことである。今年、KO大学を無事卒業した元基は、かねてからの父親の意向通り、ゲームセンターの店長の座に落ち着いた。ゆくゆくはこのビルのオーナーになるのだろう。そういった面では、ここの地下に司令室があるうさぎたちにとっては、元基は重要なサポーターのひとりだった。
 うさぎたちが、どうやって司令室へ行こうかと思案を巡らせていると、商店街の方から悲鳴が聞こえてきた。
 ひとりの声ではない。複数の女性の声だ。悲鳴に混じって、男性の怒声も聞こえてくる。
 反射的に、うさぎたちは外へ飛び出した。尋常ならざる悲鳴だったからだ。だから、身体が勝手に判断して、外へ飛び出す行動をとってしまったのだ。
 外へ出て、油断なく身構えながら首を巡らす。
 “クラウン”の中にいるにも関わらず、耳に届いたほどの悲鳴である。すぐ近くであがったのに違いない。この近くで、悲鳴をあげるほどの「何か」があったのに間違いはない。
「うさぎ!!」
 まことの叫び声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、うさぎはそのまことに押し倒されるような形で、歩道の上に倒れた。
「あう!」
 まことの身体がのしかかってきたので、その衝撃のために、うさぎは低く呻いた。
 呻くと同時に、まことの頭越しに「そいつ」の姿を確認した。こちらに突進してきているのが見える。
 自分の上に倒れ込んだばかりのまことは、まだ次の行動に移れない。
 咄嗟にうさぎは、まことを力一杯左の方へ突き放すと、その反動を利用して、自分は右へ転がった。
 ズガーン!!
 ものすごい音響とともに、歩道のアスファルトが砕け飛んだ。「そいつ」の強烈なパンチが直撃したのだ。歩道のアスファルトは無惨にも破壊され、破片が周囲に飛び散っている。あんなのをまともに食らったら、普通の人間はひとたまりもない。
 オオーン!!
 まるで月夜の晩に、満月に向かって吠える狼のように、「そいつ」は地面にめり込んだ自分の腕を強引に引き抜くと、大空に向かって一声した。
 うさぎにはレイ、まことにはほたるがそれぞれ駆け寄り、ふたりが起き上がるのを素早くフォローした。
 四人は「そいつ」の左右で、同時に身構えた。
 街行く人々は、遠巻きに「そいつ」を見ている。
 “クラウン”の中からは、北本がビクビクしながら覗き見している。「この男、けっこう臆病かもしれない」と、自動ドアの前のルナは思った。
 四人は「そいつ」を改めて凝視する。全身が、黒い体毛で覆われていた。ひと昔前にテレビの特番で見た、「野人」によく似ているように思える。あくまでも「野人」の方に似ているのであって、決してどこかのチームのサッカー選手に似ているということではない。
「“毛むくじゃら”!!」
 レイは身構えたまま、断定的に叫んでいた。美童陽子が言っていたモンスターに、容姿が酷似していた。
「フランスの美奈子ちゃんを襲ったのも、こいつなの!?」
 うさぎが“毛むくじゃら”から目を離さずに言った。
 レイの頭の中で、何かが弾けた。こいつが陽子を襲ったモンスターだとすると、一体だけではないはずだ。陽子はモンスターが徒党を組んでいたと言っていた。なのに、この場には一体しかいない。もしかしたら、こいつは群からはぐれたのではないのか? 本隊は別のところにあって、別のものを狙っているのではないのか?
「いけない!!」
 レイは短く叫んでいた。“毛むくじゃら”の狙いは、陽子かもしれない。自分たちのアジトから脱走した陽子を、秘密保持のために、抹殺しにきたのではないのか?
 しかし、このままでは身動きが取れない。変身して一気にケリを付けたいのだが、こうギャラリーが多くては、変身することができない。一時的に身を隠すスペースがあれば変身できるのだが、“クラウン”の自動ドアの前では、それは望めなかった。ましてや、あの怪力ぶりを見せられては、生身のままでは近付くことすらできない。
 “毛むくじゃら”は今、レイとうさぎ、まこととほたるのどちらのペアに襲いかかろうか、考えている最中だった。今、どちらかが逃げるようなことがあれば、“毛むくじゃら”は間違いなく、残されたペアを攻撃するだろう。動くわけにはいかなくなってしまったのだ。しかし、このままじっとしていても、数分後にはどちらかが間違いなく攻撃される。
 遠巻きに見ているギャラリーは、まさか彼女たちがセーラー戦士だとは夢にも考えておらず、逃げ遅れてしまった形になっている女の子たちの運命を、固唾を飲んで見ている。あの怪力を見せられては、いくら勇気のある者でも助けに行こうとは思わない。彼女たちを助ける前に、自分が命を落としてしまう。
 パトカーのサイレンが響いてきた。ギャラリーの中のだれかが、警察に通報したのだろう。
 うさぎは、“クラウン”の自動ドアの前のルナを、ちらりと見た。この状況を打開できるのは、もうルナ以外にないと考えていた。ルナが人間の姿に戻ってくれればいいのである。ルナには、この状況を打開できるだけの能力(ちから)がある。
 ギャラリーたちは、気の毒な女の子たちに集中しているので、自動ドアの前の猫が突然人間にチェンジしても、だれひとりとして気が付かないだろう。“クラウン”から、出てきたとしか見えないに違いない。
 ルナもそのことに気付いているらしく、うさぎの視線を受けて、こくりと頷いてみせた。
 だが、ルナのその決意に水を差すような声が響いた。
「お待ちなさい!!」
 ルナに対して待てと言ったのではないのだろうが、結果的にルナは人の姿にチェンジするタイミングを失ってしまった。
 四人の女の子たちは、同時に声の主を捜した。
 ギャラリーたちも一斉に、キョロキョロと辺りを見回す。
「安らかな土曜日の午後に、街の人々を脅かす不届きなやつ!!」
 謎の声は叫ぶ。
「この声は!?」
 四人はこの声に、聞き覚えがあった。このあいだ亜美を見送りに行った成田空港で聞いた声だ。まだ、耳に残っている。間違いはない。あの戦士が、今度は十番街に現れたのだ。
「夢と希望のセーラー服“超絶”美少女戦士セーラーサンは、とってもご機嫌、ナナメだわ!!」
 このあいだに比べると、“絶”という単語が余計だった。しかも、台詞を間違えている。この台詞は、ウェ○ングピ○チの台詞である。
「おお!! ウェ○ングピ○チだ!!」
「いや、セーラー戦士って言ってたぞ!」
 ギャラリーの中にも混乱が感じられる。
 もちろん、このギャラリーたちは、セーラーサンの足下で、茶褐色のネコが頭を抱えていることなど知る由もない。
「こほん! も、もとい! 夢と希望のセーラー服“超絶ウルトラ”美少女戦士、セーラーサンDX! 日輪の名の下に成敗するわ!!」
 セーラーサンは台詞を言い直した。先程よりも、形容が派手になっている。
「おお! あそこだ!!」
 ギャラリーの中のおたくっぽい青年が、セーラーサンを発見した。彼が大宅宅浪なる人物で、かつてセーラーVのスカートをめくったことのある経歴の持ち主であることを知る者は、このギャラリーの中にはいなかった。
 “クラウン”の向かいのビルの屋上に、セーラーサンはいた。
 ギャラリーの中から歓声が上がった。拍手も沸き起こる。
 ひらりと身を踊らせ、セーラーサンは“毛むくじゃら”の前に着地した。
「早くお逃げなさい!」
 セーラーサンは、うさぎたち四人に向かって叫ぶ。セーラーサンにしてみれば、この四人とは、空港でも会っているということなど、知る由もないだろう。ましてや、彼女たちがセーラー戦士であるなとどということは、夢にも思わないだろう。
 四人は逃げるように、ギャラリーの一角に向かって走った。
「うさぎ、ゴメン! あたしは神社に戻るわ! 美童さんが気になるの!!」
 走りながらレイは言う。レイがそう言うからには、うさぎには止める理由はない。無言で頷く。
「ふたりとも、うさぎを頼むわね!!」
 レイは、まこととほたるのふたりに言うと、ギャラリーの一群を駆け抜けてゆく。レイは風のように素早く、その場から遠ざかっていった。
 残されたうさぎたちは、ギャラリーの中に紛れ込むと、セーラーサンの方を振り返った。
 うさぎの足下に、ルナも駆け寄ってきた。
「おお!」
 ギャラリーは夢中になって、セーラーサンと“毛むくじゃら”の戦いに見入っている。
 素早い動きで、セーラーサンは“毛むくじゃら”の攻撃をかわす。彼女には余裕すら感じられる。
 だが、彼女の余裕も、そう長くは続かなかった。