セーラーサン


「せっかく空港に来たんだから、もう少し遊んで行こうよぉ」
 うさぎの遊びの虫が騒ぎ出した。つい先程までは、亜美がいなくなってしまったことで、ひどく寂しげだったうさぎであったが、いつもの元気を取り戻したのは、驚くべくほど早かった。この変わり身の素早さは、さすがうさぎである。
 亜美の母親は、丸縁眼鏡の男性と話があると言うことで、あのあとすぐにうさぎたちと別れた。
 うさぎが例によってわがままを言いだしたのは、まわりに仲間たちだけしかいなくなったせいもある。
「遊ぶって、何をする気なのよ………」
 間髪を入れずに突っ込みを入れるのは、さすがは付き合いの長いなるちゃんである。国際空港は、遊園地ではない。
「いろいろ、見学したいところもあるしぃ………」
「見学って………。あんたねぇ………」
「そんなに空港が、珍しいんですかぁ!?」
 頭を抱えるなるちゃんの横で、海野がズレた瓶底眼鏡を、人差し指で直す。
「まったく、“お上りさん”みたいなこと言ってないで、とっとと帰るわよ!」
 レイは神社に残してきた、美童陽子のことが気掛かりだったので、なるべくなら早く帰りたかった。それに、陽子が遭遇した「事件」のことを、詳しく仲間たちに話す必要がある。事件のことは、まだ仲間たちには話していなかった。
「じゃ、レイちゃんは先に帰れば! あたしはもう少し遊んでいくから………。みんなも遊んで行くよね?」
 プイとそっぽを向くと、うさぎは他の仲間たちに同意を求めた。
「え!? あたし、帰るわよ」
 真っ先に答えたのは、なるちゃんである。こういう時のなるちゃんは、ひどく冷たい。
「僕も帰りますよ」
 海野はさらりと答える。なるちゃんが帰ると言っているのだから、当然のことである。もちろん、うさぎは海野などには端から期待などしていない。
「ごめん、うさぎちゃん。あたしも宇奈月ちゃんも、夕方から、パーラーでバイトなんだ」
 うさぎの視線がまことを捉えたとき、まことが先手を打ってきた。まことは、すまなそうに言いながら、後頭部を掻いた。別に嘘を言っているわけではない。アルバイトというのは、本当のことだ。
 まことに続き、宇奈月が「ごめんね」と謝ると、浅沼は、まことが帰るならという理由で、自分もこのまま家に帰ると言い出した。当然のことながら、うさぎは浅沼も計算には入れてない。可愛い年下の男の子ではあるが、うさぎのタイプではない。うさぎはどちらかと言えば、年上好みなのだ。要するに、甘えん坊なのである。思い切り甘えさせてくれるような男性でなければ、うさぎの心は動かない。
「………ふるちゃん兄さぁん!!」
 ことごとく仲間たちに裏切られたうさぎは、猫撫で声で、元基に救いを求める。ごますりは、うさぎの専売特許だ。この“キラキラ、うるうる”攻撃には、衛も随分と苦労をしていた。
「困ったなぁ………」
 帰りたいと言えなくなってしまった元基は、困り果てた顔で、頭をボリボリと掻いた。そこが元基の甘いところである。
「どうする? ルナ………」
 ほたるはしゃがみ込んで、ルナにひそひそ声で訊いた。ほたるも強引には帰ると言えない性格である。一応、ルナにお伺いを立てる。
「ほっといていいわよ。みんなが帰れば、ちゃんとくっ付いてくるから………」
 ルナは、大あくびをしながら答えた。ルナが一番、うさぎの性格を熟知しているようだった。

 悲鳴があがった。
 唐突だった。
 空港内に、緊張が走った。
「なに!?」
「どうしたの!?」
 なるちゃんと宇奈月が、同時に悲鳴のあがった方向に顔を向けた。
 数人の人々が、逃げまどう姿が見えた。
 血相を変えたガードマンが走っていくのが確認できる。
「どうしたっていうのよ………!?」
 うさぎが不安そうに、足下のルナを見た。
 ルナの横のほたるも、不安げにルナの顔を覗き込む。
「見てくる! みんなは、ここを動くな!!」
 言うが早いか、元基は走り出す。その元基を、レイが制した。元基は立ち止まり、振り向く。
「どうした? レイちゃん………」
「妖気を感じるわ………」
 レイは目を閉じ、精神を集中させている。そのレイの様子を見れば、元基とて無理はしない。表情を堅くして、人が逃げ出してくる方向に視線を向けるだけだった。
 なるちゃんが、緊張したした顔で悲鳴のあがった方を見つめた。何か、よからぬことが起きている。彼女は、そう感じていた。
「人が、こっちに来るわ!」
 宇奈月が兄に、人がこちらに走ってきていることを教えた。
 元基は背後を振り返る。数人の人々が、血相を変えて、逃げるように走ってくるのが見える。
「どうした!? 向こうで何が起こってるんだ!?」
 元基は、逃げてくる学生風の優男を捕まえて、訊いた。
「バケモンだ! バケモンが出た!!」
 真っ青な顔で、その優男は答えると、元基の手を振り払って逃げていく。
「バケモンだって………!?」
 元基は頬を強ばらせて、人々が逃げてくる方向を見つめた。
「僕たちも、逃げた方がいいですよ………」
 海野は既に、逃げ腰だった。彼の意見は正しい。
「そうだな。みんなは空港の外に出た方がいい」
 まことは元基を見ながら言った。元基は頷くと、妹たちに空港の外に出るように指示をする。
「待ってよ、もとくん! まこちゃんたちは………!?」
 うさぎたちがセーラー戦士であることを知らない宇奈月は、なぜうさぎたちが一緒に逃げないのか、理解できない。
「うさぎたちなら、大丈夫よ!」
 答えに困っている元基の横から、なるちゃんが口を挟んだ。
「でも………」
「あたしたちがいては、邪魔になるのよ………」
 なるちゃんのその言葉は、新たに近くで起こった悲鳴にかき消されていた。
「………!?」
 元基は緊張する。逃げた方向が、間違っていたのか?
 だが、それは思い過ごしだった。今の悲鳴は、逃げまどう人々が(もつ)れるようにして倒れたために、あがった悲鳴だった。
「よし! こっちだ!」
 元基は人の少ない方へと、皆を誘導した。

「行きましょう、みんな! 何が起こっているのか確かめなくちゃ!」
 元基たちの背中が、逃げる人々の中にに紛れていくのを確認すると、ルナは言った。
「分かったわ!」
 四人は頷いた。
 ルナに先導されて、四人は逃げる人々の中を逆流していく。
 不意に視界が開けた。人がいなくなったのだ。と、いうことは、バケモノとやらが近くにいるということだ。
 いた。
 うさぎたちから見て、十時の方向。カウンターの前だ。
 まるで、イソギンチャクを思わせるような、不気味な姿の生物だった。人間とイソギンチャクを合成させたら、こんな感じになるだろうか。見境を無くしたように、暴れ回っている。
 パーン! パーン!
 拳銃の音だ。
 空港のガードマンの中に混じっていた、警官が発砲したのだ。
 しかし、イソギンチャクのバケモノは、びくともしない。弾は命中しているのだが、ダメージを受けている様子はない。
「何よあれ………。気持ち悪〜い」
 毎度のことながら、うさぎが気持ち悪がった。
「………!」
 イソギンチャクのバケモノが、うさぎたちに気づいた。
 ノソリノソリと近づいてくる。動きは鈍い。
 レイとまことが、うさぎとほたるを守るように、すうっと前に出た。
 イソギンチャクのバケモノは、頭の触手をうねうねと動かす。
 物陰に隠れ、逃げるタイミングを伺っていた幼稚園生ぐらいの子供が、このときとばかりに、物陰から飛び出した。
 もちろん、イソギンチャクのバケモノは、そんな子供には気が付かない。今のバケモノの目(あればの話だが)には、うさぎたちしか写っていない。
 しかし、不幸にも、その子供は転んだ。慌てて走ったために、足が(もつ)れたのだ。よせばいいのに、お約束とはがりに、大声を張り上げて泣いた。彼は更なる不幸を、自分で招いてしまったことに気づいていない。
 バケモノの頭の触手の何本かが、子供の方を探るような仕草をした。
 ノソリと体を巡らし、子供の方に向き直った。
「いけない!」
 ほたるの行動は素早かった。イソギンチャクのバケモノの脇をすり抜け、子供の方へと走った。
「うわぁ〜ん」
 このときとばかりに、大声をあげて泣いていた子供が、助けに来たほたるにしがみついた。しがみついて泣きじゃくった。これでは、ほたるも動けない。不幸を自ら招いてしまった少年は、他人をも不幸に巻き込んだ。恩を徒で返すとは、正にこのことだ。
「あのクソガキ!」
 まことがほたるを助けようと、一歩足を踏み出したそのときだった。
「お待ちなさい!!」
 澄んだよく通る声が、騒然としたロビーに響いた。
 セーラー戦士になるための、変身の呪文を叫ぼうとしていたレイとまことは、そろって声の主を捜した。
 ルナとうさぎは顔を見合わせる。だれか仲間が助けに来たのか? だとすると、セーラープルートしか考えられないが、声が違う。プルートの低く響く声とは明らかに違う。声質が高い。しかも、少女の声だ。
 イソギンチャクのモンスターが、動きを止めた。頭の触手をウネウネとくねらせる。あたかも、それが辺りを探っているようにも伺える。いや、実際探っているのだ。
「世を乱す、邪悪の者よ! 公共の場所で悪さを働くなんて、例え政治家のおじさんたちが許しても、このあたしは許さない!」
 あまりにものまぬけな例えだったので、レイもまことも、思わずコケてしまった。こんなまぬけな大見得を、公衆の面前で堂々と切るのは、彼女たちの知っているかぎりでは、うさぎしか考えられない。だが、そのうさぎは、自分たちの後ろにいる。
「あ! あそこ!!」
 うさぎが一点を示した。
 太陽の光をいっぱいに浴びて、そのおまぬけなタンカを切ったであろう人物が、そこに立っていた。逆光のため、シルエットでしか確認できないのだが、その全体的な印象は、自分たちのよく知っているコスチュームのように見える。胸元と腰の大きなリボンと、ミニスカートがシルエットでもはっきりと分かる。頭の左右に、大きなふたつの輪が付いている。髪飾りなのか、それとも自分の髪をそう編み上げているのかは、シルエットだけでは判断できない。
 イソギンチャクのバケモノも、声の主の居場所を特定したようだ。彼女の方に身体を向け、頭の触手をうねらせている。
「国際空港のロビーで騒ぎを起こすとは、不届き戦犯………。もとい、不届き千万! 言語道断、横断歩道!!」
 彼女は何やらど派手なキメポーズを取った。
「ねぇ、テレビ番組の撮影に、紛れ込んじゃったんじゃないの?」
 うさぎが、前のレイとまことに囁くように言った。
「そうだったら、あたしたちとっくにスタッフに怒られてるわよ………。そんな様子はないじゃない。それに、イソギンチャクのバケモノからは、邪悪な妖気を感じるわ。本物のバケモノよ」
 レイは答える。
 そんなうさぎたちのことは、いっさいお構いなしに、逆光を浴びた珍入者は言を続けた。
「夢と希望のセーラー服“超”美少女戦士、セーラーサン! 日輪の名の下に、成敗よ!!」
 大見見得を切って、突然の珍入者は自らの名を名乗った。
「セーラーサンですって!?」
 ルナが、声を張り上げて驚く。
「知ってるの!? ルナ………!」
 うさぎ、レイ、まことの三人が、声を揃えた。見事なハーモニーになった。
 三人はルナを見つめている。
「………知らないわ。あんな戦士………」
 そう言ったものの、やはり何か気になるところがあるのか、ルナはそのセーラ戦士から目を離そうとはしなかった。
「とう!」
 短い、気合いを込めた声が響いた。
 三人は声のした方に顔を向ける。
 “自称”セーラーサンが、ひらりとその身を宙に躍らせるのが、視界に入ってきた。
「すみません!」
 間近でほたるの声が聞こえた。ようやく、うさぎたちのところへ戻ってくることができたようだ。
 クソガキはといえば、未だしっかりと、ほたるにしがみついている。手足に吸盤でも付いているかのように、ぴったりとほたるに密着していた。もしかすると、このクソガキは、そうとうの助平なのかもしれなかった。なんとも羨ましい。
 “自称”セーラーサンは、宙を舞うように移動する。重力を全く無視した移動だった。
 その“自称”セーラーサンに続いて、もうひとつ、小さな影が跳躍するのが見えた。
「ネコ………?」
 うさぎはその小さな影の動きが、ルナやアルテミスの動きに似ていたために、そう思った。
 そのうさぎの考えが間違いでなかったことは、すぐに証明された。
 フロアに降り立った、“自称”セーラーサンをフォローするかのように動く、茶褐色のネコが見えたのである。
 茶褐色のネコは、“自称”セーラーサンより先に、イソギンキャクのバケモノに飛びかかった。初めはふわりとジャンプした、ネコの姿をしたものは、宙でその身を炎の塊に変えた。変えたと同時に、一直線にバケモノに向かって突っ込んでいった。そのまま、炎の弾丸となって、体当たりをぶちかました。
(あの技は………!?)
 ルナはあの技に、見覚えがあった。ルナの記憶の中で、あの技が使えるのは、ただひとりしかいない。しかし、彼は死んだはずだ。
(あの技は、あの人しか使えないはず………。でも、仕えている人物が違う………)
 炎の弾丸と化した褐色のネコの体当たりを、モロに受けたイソギンチャクのバケモノが、大きく仰け反った。
 “自称”セーラーサンが動いた。左手にはいつの間にか、密教法具の金剛独鈷杵(こんごうどっこしょ)のようなものが握られている。
「サンシャイン・リフレッシュ!!」
 頭上に高々と金剛独鈷杵を振りかざすと、金剛独鈷杵は、眩い光を放つ。暖かな太陽にも似た、強烈な光だ。
 光は、イソギンチャクのバケモノを包んだ。
 光は弾け、霧散した。
 イソギンチャクのバケモノの姿は消え、変わりにひとりの男性が倒れていた。外国人男性だった。気を失っているようだ。
「この人は、邪悪なものに操られていただけです。この人に、罪はありません」
 “自称”セーラーサンは警官たちにそう言うと、素早くその場を立ち去った。
(うさぎのヒーリング・エスカレーションに似ている………)
 そう感じたのは、レイだけではないようだった。まことも同じ印象を持ったらしく、何か言いたげにレイを見ていた。
「ルナ、今の戦士はいったい………」
 クソガキにしがみつかれたままの、ほたるが緊張した顔で訊いてきた。
「………分からないわ。あたしの知らない戦士よ。少なくとも、ミレニアムの戦士じゃないわね………」
 ルナは硬い表情のまま答えた。
(さっきのあの技は、やっぱり………)
 ルナは、どうもあの褐色のネコの使った技が気になってしようがなかった。
(………やっぱり、アポロンなの………?)
 ルナの記憶の片隅から、あの技を使う人物の姿が、大きくクローズアップされていった。
「ルナ………?」
 その何か思い詰めたようなルナの表情に、レイだけがひとり気付いていた。