なるちゃんが見た人影
「黒月さぁん!」
To be continued...
「きゃあ! 晶さぁん!!」
放課後、十番高校の校内では、黄色い声が飛び交っていた。
黒月晶が下校するときに、この騒ぎは決まって起きる。本人は迷惑らしく、黄色い声を無視するかのように、急ぎ足で校内を去る。その姿がたまらなく可愛いと、一部のオタッキーなファンの間で囁かれているらしい。その表情をスクープした生写真は、校内外で数万円の価格で取り引きされているらしいと、謎の情報網を持つ海野は言う。実際、晶の人気は男女を問わない。国民的美少女クラスの人気ぶりだった。数万円は大袈裟だろうが、数千円ぐらいなら取り引きされていても不思議はない。
「相変わらず、すごい人気よねぇ………」
昇降口から晶の後ろ姿を見送っていたうさぎは、ため息混じりに言った。
「でも、本人は迷惑そうよね」
鞄を両手で持ちながら、なるちゃんは気の毒そうに晶の背中を見つめている。なるちゃんはうさぎとは違って、人気のある晶を羨むような気持ちは持たない。他人を妬むような行為は、なるちゃんの性格が許さなかった。
美人で気立てのいいなるちゃんは、密かに男子生徒の間では校内ベストテンに入る人気があるのだが、本人はそんなことは知らないようである。
「あたしの方がいい女だと思うけどな………」
背後で舌打ちしているのは舞だった。隣りにいるくりちゃんが、まあまあとばかりに宥めている。ゆみこはあからさまに不快な表情をした。
舞は人一倍気位が高い。転校初日の行動を見れば、誰だってそう思う。一時は女生徒に嫌われかけた舞だったが、今ではそれほど嫌う者は多くはない。舞が嫌われずにすんでいるのは、ひとえに晶のおかげなのである。晶がいるおかげで、男子生徒の人気が舞ひとりに集中しなかったためである。
舞にとっては、実に面白くないことなのだが、結果的に嫌われ者にならずにすんだわけである。自然に行動しているだけで男子の目を引きつけてしまう晶とは違い、舞が男子生徒の目を引こうとする様は強引すぎるのだ。だから、女生徒の反感を買ってしまうのである。
「じゃあ、みんな、あたしは海野と約束があるから」
海野と図書館で待ち合わせているというなるちゃんは、早々にうさぎたちから離脱していった。
「なるちゃんも女の友情より、男を取るようになったか………」
変に感心したように、腕組みをしてうさぎは言う。
「あんたが言うか、あんたが………」
オイオイとばかりに、ゆみこが言う。
「そうよ! 何言ってんだか、うさぎ………。男に目覚めたのは、あたしたちの中では、あんたが一番早いのよ!」
くりちゃんが言っているのは、もちろん衛のことである。
「や、やだなぁ! 別に目覚めたってわけじゃ、ないんだけどね………」
うさぎは締まりのない顔で、照れたように笑う。
「え!? 月野さん、カレシがいるの………!?」
目を大きく見開いて、意外そうにうさぎを見たのは、もちろん舞である。彼女にとっては、うさぎが一番カレシがいなさそうに見えたのだろうが、失礼極まりないことだ。
うさぎは舞の失礼極まりない言葉が聞こえなかったのか、すたすたと歩き出してしまった。
「いるの? 本当に?」
本当に意外だったのだろう。すたすたと歩き出してしまったうさぎの背中を見た後、舞はくりちゃんに視線を向けた。
「本当の事よ。しっかも、すっごい秀才で、めちゃくちゃかっこいいカレシが………」
「へぇ………」
そこで、「学園七不思議のひとつだわ」とでも言おうものなら、ふたりの反感を買うところだったが、辛うじてその言葉は飲み込むことができた。敢えて敵を作る必要はないと、最近の舞は思い始めていたからだ。
「みんな、何してるの? 早く帰ろうよ」
他の三人が付いてきていないことに気付いたうさぎが、立ち止まって声を掛けてきた。三人は小走りにうさぎに駆け寄った。
正門を出ると、知っている顔に出会った。知っている顔は、意外そうにうさぎを見つめた。
「キミ、ここの高校に通っていたんだ………」
十文字拓也だった。へぇという顔つきで、十番高校の校舎を見上げている。偶然なのか、それとも必然なのか、十文字はうさぎを見つめると、にこりと白い歯を見せた。
「友達とお茶かい?」
「そうですけど」
返すうさぎの言葉は、ひどくつっけんどんだ。はっきり言ってしまえば、付きまとわられるのは迷惑なのだ。
「友達と約束があるんじゃ、きょうはデートには誘えないな………」
十文字は、うさぎの後方にいるくりちゃんたちに目を向けた。今日はいつになく素直である。この間など、一緒にいたなるちゃんもお茶に誘ったほどなのだ。
「これはまた、美人揃いで」
物色する十文字の視線が、舞を捉えたとき、おやという表情を見せた。
「知り合いでもいるんですか?」
「いや、人違いだ」
十文字は怪訝な顔のうさぎに、笑顔を向ける。
「じゃあ、きょうのところは退散するよ」
意外にあっさりと、十文字は引き下がった。その立ち去る姿は、まるで逃げるようにも見えた。
「かっこいい! 今のヒト、知り合い!?」
瞳を輝かせたのはくりちゃんだ。両手を胸の前で軽く組むと、立ち去る十文字の後ろ姿を目で追っている。
「知り合いってほどじゃないけど………」
「浮気はいけないわよ、うさぎ」
ゆみこが忠告するように言ったものだ。
「ひどいものね………」
ひとり、崩壊した弓道部跡を見に来た陽子は、呆れたように呟くしかなかった。
既に業者が来て後始末をしているのだが、この分ではまだ数日は掛かるだろう。幸いもうすぐ夏休みなので、部室は休み中に建て替えられるだろうが、部活動は他のところでやる以外にはないだろう。
わざわざ見に来たのは、陽子が人一倍好奇心旺盛だからである。現場に近付くことは今朝の朝礼で禁止されていたが、駄目だと言われれば言われるほど、見たいという心理が働くのは、人が人としての悲しいサガである。
陽子は進入禁止のために張られていたロープを潜って、昨日爆発があったという場所を観察にきたのである。
ダンプが砕石を運んできた。クレーターのようになっている部分を埋めるためであろう。 陽子は舞い上がった砂埃を避けるために、庭木の後ろに身を隠した。
キラリ。
庭木の陰に入った陽子の目に、反射光のような光が飛び込んできた。
「何かしら………」
陽子は光を発したであろう地点を見極め、近付いて行った。
しゃがみ込んで雑草を掻き分ける。それはすぐに見つかった。オレンジ色をした、美しい宝珠だった。
「綺麗………」
陽子がうっとりと宝珠を眺めていると、まるで誉められたことを喜んでいるかのように、宝珠は淡い光を放った。光は陽子を守護するかのように、陽子の体を包み込み、やがて彼女の体に吸い込まれていった。
「なんだか、気分が落ち着くわ」
陽子自身は、今自分の体に起こったことに気付いていない。何かに取り憑かれたように宝珠を見つめているだけだった。
陽が西に傾き始めていた。
電柱に留まってしきりに鳴いている、アブラゼミの声がやけにうるさい。
なるちゃんはひとり、十番商店街のジュエル・OSA・Pに帰るべく、道を急いでいた。
図書館で海野とふたりで勉強したあと、送っていくという海野を断って、ひとり家路についた。慣れた道であったし、陽が沈むにはまだ少しばかり時間があったので、わざわざ送ってもらう必要もないと判断したのだ。住宅街を通るのだから、そんなに心配しなくてもいいと、海野には言った。
小学生が、元気よく走り回っている。
腕時計を見てみた。六時半ちょうどだった。
陽が沈むまでには、充分家へ帰ることができる。心配性の海野のことだから、家に着いた頃を見計らって電話をしてくるに違いない。彼に余計な心配をさせないためにも、真っ直ぐに家に帰らなければならない。
なるちゃんは、足を早めた。
「あれ?」
不意に耳鳴りがしたかと思ったら、突然音が消えた。ありとあらゆる音が、なるちゃんの周囲から消失した。
蝉の鳴き声も、子供のはしゃぐ声も聞こえない。自動車の音さえも聞こえてこない。
そんなはずはないと、なるちゃんは耳を澄ませた。だが、聞こえてくるのは、自分の心臓の鼓動だけであった。心臓の鼓動は聞こえてくるのだから、耳が聞こえなくなったというわけではないらしい。それが、かえって不気味だった。
音が消えてしまうなどということはありえない。
汗ばんでいたはずの肌に、寒気が伝わってきた。悪寒が走ったのとは違う。明らかに冷気が流れてきているのだ。
なるちゃんは、周囲を見回してみた。人の姿はない。それどころか、気配すら感じない。住宅街のはずなのだが、全く人の気配を感じなかった。先程までほのかに香っていた、どこぞの家庭の夕食のカレーの臭いも、今は全くしなくなった。音ばかりではなく、香りも消えてしまったらしい。
「どうして………」
不安が募る。泣き出したい衝動を、必死に堪える。
送ってくれると言った海野を断ったことを、今更ながらに後悔した。
カツン………。
アスファルトを何かで叩いたような音が響いた。
「?」
しばらくぶりで聞こえてきた音の方に、なるちゃんは首を巡らした。
二百メートルほど離れた電柱の横に、人影が見えた。相手はひとりだった。ゆっくりと近付いてくる。
夕陽を背中に受け、影が異様なほど長い。
人影は男性のように見えた。
ゆらりゆらりと、酔っぱらいのような千鳥足で歩み寄ってくる。
不意に立ち止まって、顔を上げた。
サングラスを外して眩しそうにこちらを見ると、にたりと笑った。
逃げなくちゃ!
直感だった。目の前にいる人物は、危険だと第六感が知らせてきた。
が、少しばかり判断するのが遅かった。
男の影が、もの凄い勢いで伸びてくる。伸びてきた影はなるちゃんの足下までくると、彼女の足を掴んだ。
「!」
なるちゃんは我が目を疑った。影が自分の足を掴んでいる。
足を動かそうとするのだが、びくとも動かない。
「こんばんわ、お嬢さん」
丁寧な口調だった。
なるちゃんは顔を上げた。
漆黒のスーツで身を包んだ。ハンサムな実業家風の青年が、いつの間にか目の前まで来ていた。スーツより少し明るめの黒いシャツに、真っ赤なネクタイを締めていた。銀色の髪が、夕陽を受けてきらきらと輝いていた。
「影使いのバイバルスと申します。お嬢さんをさらわせていただくため、わたくしの作り出した影の空間に来ていただきました」
あまりにも馬鹿丁寧な言い方だったので、なるちゃんは恐怖も忘れてキョトンとしてしまった。
「お嬢さんは上物ですので、キズを付けるわけには参りません。ですから手荒な真似はしたくありません。大人しく、わたくしに従っていただきたいのです」
「あなた、いったい………」
「ブラッディ・クルセイダース 十三人衆 スプリガン様の配下の者です。………と言っても、お分かりにはなりますまい………」
「あたしをどうしようというの?」
「血をいただきます」
「血?」
「と言っても、わたくしたちは吸血鬼ではありませんから、ご心配なく。あるお方の病を治すためには、汚れなき乙女の新鮮な生き血が必要なのです」
バイバルスという漆黒のスーツの男は、なるちゃんの足下に跪くと、彼女の左手を取って、手の甲に口づけをした。
「わたくしの目に狂いはない。お嬢さんは、素晴らしい血をお持ちだ………」
跪いたまま、バイバルスは上目遣いでなるちゃんを見上げる。
なるちゃんは顔を恐怖に引き釣らせ、体を小刻みに震えさせた。泣き叫びたくとも、恐怖のために声もでない。
「そんなに怯えることはありませんよ。取って食べようというわけではありませんから」
バイバルスはあくまでも丁寧な口調を保ってはいるが、言葉だけではその残忍な瞳は隠しきれない。
バイバルスは満足そうになるちゃんの体を上から下まで視姦すると、すうっと立ち上がった。怯えた表情のなるちゃんを一瞥して、もう一度満足そうな笑みを浮かべた。
「さあ、参りましょうか………」
なるちゃんの肩を抱くべく、ゆっくりとした動作で右側から背後へとまわる。
「ん!?」
何か気配のようなものを感じて、バイバルスは顔を上げた。と、同時だった。
強烈な衝撃を受け、大きく仰け反ったまま、十メートルほど弾き飛ばされた。
衝撃を受けたのは、バイバルスだけだったようだ。なるちゃんは先程と変わらぬ位置で、茫然としている。何が起こったのか、彼女はまだ理解していない。
「わたくしの影の空間に、侵入者がいるようですね………」
バイバルスは不機嫌そうに唇を噛む。
ズン! ズズズズズ…………。ドドドドド………!
唐突に地面が激しく揺らぐ。巨大な地震が襲ってきたような感じた。
まともに立っていることさえできない。なるちゃんは、思わず地面に這い蹲った。
震源地はバイバルスの足下だった。周囲に亀裂が走り、裂け目からマグマが吹き出す。
「なっ!」
狼狽えたバイバルスは、上空にジャンプした。この場合、上しか逃げ道はない。
ジャンプしたバイバルスに、狙い澄ましたかのような衝撃波が襲いかかる。
「ちっ!」
舌打ちして避ける。バイバルスもかなり戦い慣れをしていた。不意の衝撃波を避けることができるのだ。並の相手なら、直撃は免れない。
「少なくても、ふたりはいるか………。分が悪いですね………」
苦々しく言うと、瞬間移動で瞬時に退散していった。
バイバルスが去ったと同時に、なるちゃんの耳に音が戻ってきた。どうやら通常空間に戻ってきたようだ。
なるちゃんは放心したように、その場に座り込んでしまう。
「助かったの………?」
自問してみた。
「どうしたの、お嬢さん?」」
買い物かごを持ったおばさんが、心配そうに話しかけてくれた。手を引っ張って、立ち上がらせてくれた。ついでに、スカートについた汚れも叩いてくれた。
なるちゃんがお礼を言うと、おばさんは買い物かごをぶら下げて悠々と歩き去っていった。
美味しそうなカレーの臭いが鼻を擽る。
腕時計を見た。六時三十五分。
先程見たときから、五分しかたっていない。
なるちゃんは、夢でも見ていたような気分になってきた。狸に化かされたというか、狐に摘まれたというか、何ともおかしな気分だった。
遠くに人影が見えた。男性と、女性。
男性はすらりと背が高く、女性の方はセーラー服を着ていた。どこかの中学校の制服だったように記憶しているのだが、どこのものだったかは思い出せなかった。
男性がちらりと自分の方を見た。
「あ!」
思わず声を上げてしまった。男性の横顔に、見覚えがあったからだ。が、そんなはずはない。戻ってきているという話は、うさぎからは聞いてはいない。
男性はなるちゃんをちらりと見ただけで、セーラー服の女の子と歩き去ってゆく。そのすらりとした背中は、やはり見覚えがあるとなるちゃんは思っていた。
血色の十字軍 Vol.1 完