イズラエル

 イズラエルと名乗る男の背後に、新たに別の人影が出現した。どこからか、テレポーテーションで移動してきたのだろう。体格的にはイズラエルと大差はないが、身長はイズラエルよりやや高めだった。どちらかと言えば神々しいと表現できるイズラエルに対し、新たに現れた人物は、より邪悪な印象があった。
「スプリガンか………」
 イズラエルは気配を読みとっただけで、その者が何者なのかを見極めていた。
「イズラエル様、何故このようなところへ………」
 スプリガンという新たに現れた男は、畏まって質問してきた。が、畏まっているのは言葉だ
けで、瞳は別の光を放っていた。自分の隣にいる腕組みをしている女性───セレスには、ちらりとも目を向けない。
「スプリガン………。お前はいささか派手に動きすぎる。あまり目立っては、今後の我らの動きに支障をきたすことになる。以後慎め………」
 抑揚のない声で、イズラエルは答える。瞳はセーラー戦士に向けられたままである。背後のスプリガンに、視線を向けることはしない。
「申し訳ありません。私の監督不行届でした………」
 スプリガンは恐縮してみせたが、心ではそうは思っていないことは、その目が物語っていた。セレスはもちろん、そのことには気づいていたが、あえてイズラエルに報告するほど、彼女は忠誠を誓っているわけではなかった。イズラエルに対する忠誠心という面では。スプリガンもセレスもそれほど差があるわけではなかった。
 十三人衆などと語ってはいるが、実際のところ、互いに足を引っ張り合っているだけの無意味な集団であった。手柄の横取りなどは、日常茶飯事なのである。仲間意識などというものは、彼らには存在しない。激しいライバル意識だけが存在する。だから当然、共闘などということはしない。それぞれが、それぞれの部下たちを巧みに使い、与えられた使命を果たそうとしている。与えられた使命を確実に上げ、手柄を立てれば組織の上級幹部への道が開ける。そのために、躍起になっているのである。上級幹部の椅子の数は少ない。仲間を蹴落とさなくては、自分が這いあがれないのである。
 イズラエルは十三人衆の長という肩書きは持ってはいるが、それは組織の中ではあまり意味のない肩書きだった。他のメンバーたちは、従っているふりをしているだけなのだ。もちろん、そんな芝居をしているのには、それなりにメリットがあるからに他ならない。イズラエルは組織の長、マザー・テレサの息子なのだ。自分の出世のために、利用しない手はない。イズラエルが形ばかりの十三人衆の長を名乗っていられるのも、彼が部下だと信じている者たちの、出世欲があるからでしかないのだ。
「さて、わたしは少し運動をしてくる。お前たちはここで見ていろ。手出しは無用だ」
 イズラエルはすうっと体を移動させる。
「わざわざ言われなくても、助けになぞ行かんよ………」
 スプリガンの呟きは、セレスにしか聞こえなかった。セレスは僅かに口元を歪めただけだった。
 後ろに残されている者たちが、たとえ自分が殺されることになっても、決して助けになど入らないことを、イズラエル自身は少しも考えてはいなかった。彼らにとっては、イズラエルは利用価値のある男ではあるが、真っ先に蹴落とそうと考えている相手なのだ。死んでくれれば、それにこしたことはない。

沈黙鎌奇襲(サイレンスグレイブ・サプライズ)!!」
 先手必勝とばかりに、空中からサターンが仕掛けた。が、気付いたときには、イズラエルの姿はそこにはなかった。残っていたのはセレスとスプリガンのふたりだけである。
 そのふたりも無表情のままそれぞれバリアを張って、サターンの攻撃を防いだ。
「威力が弱い!? 手加減をしたの!?」
 炸裂した沈黙鎌奇襲(サイレンスグレイブ・サプライズ)が、自分の知っているものより威力が低く感じたことに、プルートは少しばかり驚いた。“気”を感じる限り、手加減ができる相手ではないはずなのだ。
「いない!? どこ!?」
 自分が狙った相手が、既にそこにいないことにサターンは動揺した。それは即ち、自分の奇襲攻撃を相手に読まれていたことに等しい。
サターン(ほたるちゃん)、後ろ!!」
 セーラームーンの声が聞こえたのと同時だった。サターンは強烈な衝撃を、背中に感じていた。目から火花が出たような気がした。
 次なる衝撃は、間髪を入れずに襲ってきた。理解不能のまま、意識が薄らいでいく。
サターン(ほたるちゃん)!!」
 イズラエルの衝撃波をモロに背中に受け、地面に激突したサターンに、セーラームーンは駆け寄ろうとした。しかし、できなかった。その前に、イズラエルが倒れたままのサターンの横に、瞬時に移動していたからだ。
 イズラエルはサターンの頭を右手で鷲掴みにすると、軽々と片手一本で持ち上げた。
 サターンの顔を無表情で見、気を失っているのを確認すると、そのまま無造作にほおり投げた。
 そして次はお前だとばかりに、セーラームーンを見据える。
「や、やばいぞ!」
 さしもの自衛隊の隊長も、いささかびびっていた。声が上擦っている。
 プルートが動いた。ガーネッド・ロッドを高々と掲げ、叫ぶ。
時空封鎖(ディメンション・クロウズ)!!」
 時空の壁が、瞬時にイズラエルを囲む。しかし、動じた様子はない。相変わらずの無表情である。
「デス・スペース・イヴァポレイション!!」
 仕止めた! プルートはそう思った。時空の壁の内側では、ヒロシマ型原爆と同クラスの爆発が起きているのだ。人間であるならば、倒せないはずがない。そこに油断があった。
 時空の壁を消滅させたと同時に襲ってきた衝撃波を、回避できなかったのである。
 直撃を受けて吹っ飛んだ。五十メートルほど後方に位置していた、セーラームーンとセーラーサンのふたりのところにまで、弾き飛ばされる。
プルート(せつなさん)、しっかりして!!」
 セーラームーンとセーラーサンが、ふたりがかりでプルートを抱き起こす。隊長も駆け寄ってきた。
「………!!」
 プルートが気を失わないですんだのは、それでも、攻撃をすんでのところでガードしていたからだ。だから、ふたりに抱き起こされているとき、イズラエルが更なる攻撃を仕掛けてきているところを見ることができた。
「ガ、ガーネット・ボール………!」
 ガーネット・オーブの力で、球状のバリアを張る。
 バシーン!!
 バリアはイズラエルの強烈な衝撃波を弾いた。あまりの威力に、バリアが一瞬歪む。
「あの技を受けて、平気だなんて………」
 プルートはバリア越しにイズラエルを見ると、信じられないという風にかぶりを振った。あれを防がれては、打つ手がない。あれ以上強力な技を使うのは、ここでは危険すぎる。
「逃げよう! このままでは俺たちに勝ち目はない」
 アポロンがプルートの顔を見上げた。
「おい! この猫、しゃべらなかったか?」
 隊長は信じられないものでも見るように、アポロンを凝視している。
「いちいち驚かないで! 死にたくなかったら、大人しくしていて!!」
 ルナがぴしゃりと言った。
 隊長は目を見開いたまま、口をパクパクさせるだけである。もう、声もない。
サターン(ほたるちゃん)を助けないと………」
 セーラームーンはイズラエルの後方で倒れたままのサターンに目を向けた。サターンはピクリとも動かない。当然、自力では逃げられないだろう。
「無理だ! どうやって助けるんだ!? 今のままでは、近づくことすらできないぞ!」
 アポロンは大きくかぶりを振る。
「見捨てるなんてできないよ! それに、マーズ(レイちゃん)ジュピター(まこちゃん)もどうなったか分からないんだよ!!」
 セーラームーンはアポロンを見ずに、ルナの方に視線を向けて、涙ながらに説く。ルナなら、分かってくれると思ったからだ。
「でも、セーラームーン(うさお姉)。相手は強すぎるよ………。あたしたちだけじゃ勝てない………」
 セーラーサンは弱音を吐いていた。確かにプルートの技が通じないとなると、攻撃力の高くないセーラームーンとセーラーサン(じぶんたち)には、どうすることもできない。
「何を言ってるの!! 仲間を見捨てる気!?」
 セーラームーンは一喝した。今は弱音を吐いているときではない。
 セーラーサンも頭では分かっているのだ。だが、今がどういう状況なのかということも分かっている。だから、困惑しているのだ。
 ドーン! ズズズ………。
 イズラエルの放つ衝撃波が威力を高めた。ガーネット・ボールの歪みが大きくなる。
「お、おい。大丈夫なのか? このバリア………」
「だ、駄目! 持ちこたえられない!!」
 プルートが悲鳴に近い声を発した。絶対防御のガーネット・ボールが、破られようとしているのだ。
セーラーサン(もなか)、宝珠だ! 太陽の宝珠の力を使うんだ! この状況を打開するにはそれしかない!!」
 アポロンが叫ぶように言う。
「太陽の宝珠?」
 聞き慣れない単語に、セーラームーンは首を傾げた。
「セーラーサンの新アイテムよ。セーラームーンの銀水晶と、同等のパワーを持っているの」
 ルナが説明してくれた。
「なんだか分からないが、早くしてくれ! バリアがもたんぞ!!」
 隊長が、半ばヒステリックに叫ぶ。見ると、ガーネット・ボールにひびが入ってきている。破壊されるのは、時間の問題だ。
「分かった!」
 セーラーサンは意を決し、太陽の宝珠の填められた、太陽の独鈷杵を手に取った。
「念じるんだ! 強く!!」
「教えられた通りにやればいいのよ!」
 アポロンとルナが、足下で励ます。
 セーラーサンは目を閉じて、気を集中させた。太陽の独鈷杵を握る手に、力が込められる。
 隊長が興奮し、歯ぎしりをしている。
 セーラーサンは、カッと目を見開いた。太陽の独鈷杵を、前方に掲げた。
「太陽の宝珠よ、我に力を! ソーラー・ブリリアント・モジュレーション!!」
 気合いを込めて叫んだ。しかし………。
「!?」
「なにも起こらないぞ………」
 何をやっているんだという風に、隊長はセーラーサンの顔を覗き込んだ。
 セーラーサンも困惑した表情でアポロンを見た。
「馬鹿な! そんなはずはない! セーラーサン(もなか)、もう一度やってみるんだ!」
 セーラーサンはアポロンに言われるがまま、もう一度太陽の独鈷杵を掲げ、技を唱えた。
 が、結果は同じだった。何も起こらない。太陽の宝珠が作動しないのだ。
「あり得ないことだ!」
 アポロンは大きくかぶりを振る。理解しがたいと言った様子で、項垂れてしまう。
 ドドーン!
 新たな衝撃がきた。イズラエルがパワーを上げたのだ。
 プルートが必死に堪えるが、ガーネット・ボールは限界点に差し掛かろうとしていた。
「バトンタッチよプルート(せつなさん)。あたしが銀水晶でシールドを張るわ。その隙に逃げて………」
 セーラームーンは胸の前で手を合わせ、既に銀水晶を出現させようとしていた。
「無茶よ、セーラームーン(うさぎちゃん)!!」
 ルナは止めようとしたが、セーラームーンが言い出したらきかない性格だということも、彼女は一番分かっていた。そして、仲間を助けるためだったら、尚更自分の身を犠牲にしてしまうということも………。
「誰でもいい、早く何とかしないと全滅しちまうぞ!」
 隊長が喚いた。こんな少女たちに頼らなければならない自分に腹立たしかったが、自分には何の力もないことも痛いほど分かっていた。
「お願い! 太陽の宝珠よ! あたしに力を貸して!!」
 セーラーサンは三度気を集中させた。一心に祈った。
 宝珠が輝く。
 成功した。誰もがそう思った。しかし………。
 光は弾け、太陽の宝珠と独鈷杵は、まるで反発し合うかのように分裂した。宝珠があらぬ方向に弾き飛ばされてしまう。セーラーサンの手元には、機能を失った独鈷杵だけが、虚しく残される。
「な………」
 アポロンは絶句した。
「そんな………」
 セーラーサンも同様に言葉を失う。思ってもいない結果になったのだ。
「どういうことなんだ………」
 アポロンは信じられないという風に、大きくかぶりを振った。セーラーサンがキング・プロメティスの娘の転生した姿であれば、太陽の宝珠が彼女を拒絶することなどありえないのだ。現に、独鈷杵は彼女に力を貸した。宝珠だけが力を発揮しないということはありえない。
「ごめん! ()たない!!」
 プルートの悲鳴に似た声があがった。ガーネット・オーブに発生した亀裂が増加していく。
 バッ! バババッ!
 閃光が走った。セーラームーンとセーラーサンは、思わず目を閉じる。隊長は頭を押さえてしゃがみ込んだ。
 不意に衝撃波が失せた。
 何が起こったのかと、うっすらと目を開けてみた。イズラエルが右の方向を見て、歯噛みしているのが見えた。
 プルートもガーネット・ボールを解いて、イズラエルが見ている方向に、自分も目を向ける。
「まったく、見ちゃいらんないね………」
 女性の半ば呆れたような声が響いた。
 セーラームーンとセーラーサンも声の聞こえた方に、視線を移した。
 四つの人影が見えた。四人のうちの三人はセーラー戦士だ。シルエットで分かる。
 ひとりは顎をやや上に持ち上げ、見下すような姿勢でこちらを見ている。おそらく彼女が、今の声の主だろう。そのセーラー戦士から少し後方に位置するような形で、三つの人影が固まっていた。中央の男性らしき人物が、ふたりのセーラー戦士を両脇に抱えている。抱えられているセーラー戦士は、今まで姿の確認できなかった、マーズとジュピターのふたりだ。ふたりは気を失っているのか、ぐったりとしていて微動だにしない。
 抱えている男性が、だれなのかは分からない。黒いマントがひらひらと閃いているのだけが確認できる。
「助けるのは一度だけにして、あとは見物しているつもりだったんだけど、あんたらがあまりにも情けないんで、もう一度だけ助けてやるよ………」
 非常に横柄な口調だった。馬鹿にしているといっても言い過ぎではない。完全に見下した言い方だった。
「お前もセーラー戦士か………?」
 イズラエルの低い声が響く。口調は冷静だった。動揺は一瞬だけだったようだ。不意打ちを食らったにも関わらず、相変わらずダメージは受けていないようだった。
「セーラー戦士を名乗ったことなぞない。あたしのことをセーラー戦士と呼んだ娘もいたけど、あたしにはそんな自覚はないよ」
「お前の能書きを聞いているほど、わたしは暇ではない。名を名乗らぬのならそれでもいいが、わたしはお前の顔は忘れんぞ」
「悪いけど、あんたはあたしのシュミじゃない。忘れてくれていいよ」
「ふん!」
 イズラエルは鼻を鳴らすと、セーラームーンたちの方に視線を戻した。
「とんだ邪魔が入ったが、今日は楽しかった。今度会うときには、もう少し楽しませて欲しいものだな」
 イズラエルは言うと、その姿を煙のように消した。後方で成り行きを見ていたセレスとスプリガンのふたりも、イズラエルと追うようにして姿を煙に巻いた。
「逃げられた………。と、言うより、見逃してくれたのか………?」
 アポロンがイズラエルのいた場所を見つめたまま、小さく呟いた。
 隊長は、額に浮いた冷や汗を拭った。
 助けに入ってくれたセーラー戦士と黒いマントの男が、ゆっくりと近づいてくる。
マーズ(レイちゃん)! ジュピター(まこちゃん)!」
 セーラームーンは、黒いマントの男に走り寄る。
 遠目では気づかなかったが、男はオペラ座の怪人を思わせる、白い奇怪なマスクで顔を隠していた。
 男は走り寄ってきたセーラームーンには目もくれず、抱えていたふたりのセーラー戦士を地面に丁寧に寝かせた。
 男はセーラームーンを見てにっこりと微笑むと、
「素敵な髪型だね」
 囁くように言った。
「こらこら、なにやってんの? 帰るわよ!」
 セーラー服の戦士が、無遠慮にオペラ座の仮面のマスクをした男の襟首を引っ張る。
「わぁった! 分かりましたよ!」
 オペラ座の怪人は渋々言うと、セーラームーンを名残惜しそうに見た。
「またね、おだんごちゃん!」
 おそらく仮面の下では、ウインクでもしているのだろう。投げキッスをすると、くるりときびすを返した。
「待って! セーラーカロン!」
 プルートが慌てたように、セーラー服の戦士を呼び止める。初めて聞く名前に、セーラームーンもセーラーサンも、びっくりしたような顔で、プルートを見た。
 呼び止められたセーラー服の戦士は足を止め、ゆっくりと振り向いた。
「あなたはセーラーカロンでしょう?」
 自信家のプルートにしては、やや遠慮がちに尋ねていた。
 プルートにセーラーカロンと呼ばれた戦士は、一瞬困惑したような瞳を見せた。が、すぐに気の強そうな、勝ち気な瞳に戻る。
「セーラーカロン? あたしが、かい?」
「ええ」
「人違いだね」
「え!?」
「さっき、あの男に言ったとおりさ。あたしはセーラー戦士などと名乗った覚えはないし、そんな自覚もない。あたしはあたしだ」
「そんなはずないわ。あなたはセーラーカロンよ!」
 プルートにしては、珍しく口調を荒げていた。間違いないと考えていたからこそ、あっさりと否定されたことに不満を持ったのだ。
 セーラー服の戦士は、鋭い視線でプルートを睨む。
「気に入らないね、その決めつけた言い方。いかにもわたしは正しいんだと言うその言い方………。わたしは何でも知っているという風な、その目も気にくわない。あんた、あたしの一番嫌いなタイプのやつだよ」
 いかにも不機嫌そうな目で、プルートを睨み付けた。だが、プルートもただでは引かない。反対に鋭い視線をセーラー服の戦士に向けた。
「まさか、ありえないことだけど。あなた、覚醒していないの?」
「ああ? 覚醒だって? なにを言ってるんだあんたは………。あたしはあたしだって言ったろう? この能力(ちから)も生まれながらに持っているものだ。だけど、あたしはセーラーカロンなんて名前じゃない。………ああ、そう言えば、埠頭で助けた女の子も、なんか勘違いをしていたけど、そんときは便宜上セーラー戦士を名乗ったような気もするな………」
「美童さんを助けたのは、あなただったの………」
 いつの間にか意識を取り戻していたマーズが、セーラーサンに支えながら、やや苦しげに言った。
 サターンも隊長に抱きかかえられて、こちらに戻ってきていた。彼女の意識も回復している。ジュピターには、ルナとアポロンが付いていた。ジュピターも苦しげな表情で、セーラー服の戦士を見ている。
 セーラー服の戦士はちらりとマーズに目をやっただけで、彼女の問いかけには答えなかった。
「あたしは忙しいんだ。そろそろ帰らせてみらうよ」
 そう言うともさっさと立ち去ってしまった。

「あり得ないことだわ………」
 せつなは大きくかぶりを振った。
 全ての後始末を自衛隊の隊長に押しつけ、半壊状態のT・A女学院から逃げるように離れた彼女たちは、ゲームセンター“クラウン”の地下司令室で、先の戦闘においての反省会を開いていた。
 だれもが極度の疲労と強いダメージのため、しばらくは一言も口をきかなかったが、ようやくせつなが重い口を開いた。
「セーラーカロンのこと?」
「ええ」
 ルナの問いかけに答えながら、せつなは髪を掻き上げる。
「記憶が封印されたまま、先に戦士としての能力が目覚めてしまうなんてことは、ありえないのよ」
「でも、せつなさん。あたしたちもそうでしたよ。記憶が完全に戻る前に、戦士として戦っていたわ」
 デスクに俯せになって、眠っているのかと思われたうさぎが、不意に顔を上げた。
「うさぎちゃんたちのときとは、事情が違うのよ」
 説明を始めたのは、ルナだった。
「あのときは、うさぎちゃんの体に封印されていた幻の銀水晶を、ダーク・キングダムの魔の手から守るために、うさぎちゃんのプリンセスとしての記憶を封印したまま、戦士として成長させたのよ。もちろん、あたしの記憶も、プリンセスと銀水晶の部分だけ封印されていたし、あたしが目覚めさせた亜美ちゃんや、レイちゃん、まこちゃんも、うさぎちゃんがプリンセスであるという記憶は、封印されたままだったでしょ? 知っていたのは、アルテミスと美奈子ちゃんだけだったのよ。それも全部、崩壊したシルバー・ミレニアムに残されていたクイーン・セレニティの意志だったのは、うさぎちゃんも知っているでしょう?」
「だから、おかしいって言うの?」
 ダメージの抜け切れていないレイは、非常に辛そうだった。うさぎ程あからさまに気怠そうにはしていないが、体調が思わしくないようだった。顔色も優れない。
 まこともぐったりとしている。体調が悪いと言うことで(事実そうなのだが)、アルバイトも休んでしまった。今頃は、宇奈月がひとりで、てんてこ舞いしていることだろう。
「うさぎたちにはサポートのできるルナがいたから、それでも戦士として目覚めさせることができたのよ。だけど、カロンにはルナのような側近はいないわ」
 せつながルナに代わり、答えた。
「あの一緒にいた男の人の影響でしょうか?」
 質問してきたのはもなかだった。となりにいるほたるも、同じ質問をしたかったという風に、せつなに目をやる。
「可能性は全くないとはいえないけど、確率は低いわね。彼は転生戦士ではないと思うわ」
「ああ。あいつからは微弱だが、邪悪な妖気を感じた」
 アポロンは深刻な顔をしていた。無理もない。あのイズラエルという男に、セーラームーンたちは、全く歯が立たなかったのである。それでは最終目的である、セーラーヴァルカンと戦う以前の問題である。彼女たちだけでは、ブラッディ・クルセイダースにさえ勝つことができないと思われた。
 それに、問題はもうひとつある。太陽の宝珠の行方である。独鈷杵から弾き飛ばされた宝珠を、あの場所ではとうとう発見することはできなかった。敵の手に渡ったとしても、悪用されることはないのだが、問題はそれだけではない。なぜ、作動しなかったのか確かめる必要がある。もなかの力不足だったのなら、彼女のレベルアップで問題は解消されるのだが、ほかの要因があるのだとしから、徹底的に調べなければならない。太陽の宝珠の力を借りなければ、セーラーヴァルカンを再び封印することはできないのだ。
「あの男の人は、敵でしょうか?」
 アポロンの心配をよそに、もなかたちは依然として、謎の二人組のことを話していた。
「なんとも言えないわね………。微弱な妖気は感じたけれど、悪意はないようだったわ。敵ではないような気はするわね………」
 ルナは呟くように言った。顎に前足を付けて、考えるような仕草をする。ネコの姿はしているものの、その動作は人間そのものである。
「でも、ブラッディ・クルセイダースと戦っていれば、そのうちまた会えるような気がするわね」
「あたしたちも、今度はマジにならないとやばいな………」
 気怠そうに体を起こして、まことは言った。
「そうね。今日みたいに、まわりへの被害を考えて戦っていては、反対に敵にやられてしまうわね………。パワーをセーブして、戦っている場合じゃないわ」
 まことの言葉を受けるようにして、レイは口を開いた。まこととせつなはレイを見て頷き合う。
「パワーをセーブしていた?」
 アポロンが怪訝そうな表情をしてみせた。納得がいかない様子で、レイに視線を向ける。
「あたしたちが本気を出したら、あの辺一帯がめちゃめちゃになっていたわ。あたしたちは既に、転生前のパワーを越えてしまっているのよ。地球上で、本気を出して戦うわけにはいかないの」
「本気を出していたら、あのイズラエルというやつに勝てたと言いたいのか?」
 驚いたような表情で、アポロンは訊いてきた。レイの言葉を信じていない風だった。
「それは分からないわ。せつなさんの話では、相手も本気を出してなかったみたいだし………。それに、せつなさんのあの技を受けても平気だったとすると、少なくとも今のあたしたちの技では、地球上では倒せないでしょうね」
 レイのこの言葉は、暗に地球への影響を考えなければ、自分たちの究極奥義で倒せると言っていた。もちろん、レイは地球上でその技を使うつもりはない。よしんば相手を倒しても、守るべき地球がなくなってしまっては、元も子もないのだ。
「レイの言うことは認めるわ。手を抜いて戦った覚えはないから。あの技は、まわりには被害が出ないから、あの場では最も効果的な技だと思ったんだけど、まさか通用しないとは思わなかったわ。もうワンランク上の技を出さないと勝てないわね」
 せつなは淡々と言った。まだ上のランクの技があることを、言葉の中に織り込んでいる。
 アポロンは生唾を飲み込まざるを得なかった。自分が考えている以上に、彼女たちのパワーは強力であると分かったからだ。
 彼女たちのパワーは、既にフルパワーで戦えば地球環境に影響を及ぼすほどに成長している。彼女たちのフルパワーを見たわけではないが、彼女たちの言っていることがハッタリでなければ、セーラーヴァルカンと充分に戦えると感じられた。あとは、もなかをもっとレベルアップさせればいいだけである。もちろん、太陽の宝珠は探さなければならない。
「何ひとりで黄昏てんの?」
 もなかがこそりと訊いてきた。
「呑気でいいなお前は………」
「宝珠のことよね………」
 もなかの表情に翳りがあった。事の重大さを、彼女も分かってはいるのだ。
「もなかちゃんがセーラーサンに変身できるのは、キングの娘である何よりの証じゃない。あまり悩まない方がいいわ」
 ふたりの話を聞いていたルナが、慰めるようにもなかに言う。
「宝珠の捜索はレイちゃんとほたるちゃんに任せるといいわ。学院内に落ちたように見えたから、まずは学院内を捜索しましょう」
 ルナの言葉を受けて、レイとほたるは頷く。ルナはこの場を締めくくろうとして言葉を続けた。
「ブラッディ・クルセイダースの今後の動きに合わせて、セーラーカロンの動きも調査しておく必要があるわね。あたしたちは、まだ彼女の戦う理由を聞かされていないわ」
 彼女がセーラーカロンであるなら、転生してきた理由が必ずあるはずなのだ。

「大丈夫、きっと見つかるわ………」
 帰り道、レイはもなかの肩に手を置くと、優しく語りかけた。元気なく歩いているもなかが気になったために、レイは声を掛けたのだ。
「はい………。でもあたし、最近よく思うんです。あたしはアポロンの言うように、本当にキング・プロメティスの娘だったのかって………」
 もなかは憂いを帯びた瞳を、レイに向けた。太陽の宝珠を失ったことよりも、まともに扱うことができなかったことの方が、どうやら気になっていたようだった。
「セーラー戦士になれることが、何よりの証拠よ。そんなに思い詰めていては、勝てる戦いにも勝てないわよ」
 レイの慰めの言葉は、気休めにしかならないということを、言った本人のレイが一番分かっているつもりだった。セーラー戦士に変身できるからと言って、キング・プロメティスの娘であると言う証拠にはならない。
「あたし、自信なくなってきちゃいました………」
 もなかはレイを見上げるようにして見つめると、切ない笑みを浮かべるだけだった。