レイの危機
昇降口を出た陽子の目の前に、さあっと人が集まってきた。ぐるりを囲まれ、先に進むことができない。
「何の用?」
陽子は鋭い視線を四方に飛ばす。包囲される理由が分からない。
前方の人垣が左右に割れ、腕組みをしたまま、ズカズカと弥勒院玲子が大股で近付いてくる。
「祥子さんをどこへおやりになったの!?」
厳しく咎めるように、玲子は訊いてきた。
陽子の顔に、?マークが浮かぶ。突然そんなことを言われても、何のことだかさっぱり分からない。
「祥子って、後鳥羽祥子さん?」
麗子の取り巻きのひとりに、そんな名があったことを思い出した。麗子同様、嫌味な女だったと記憶している。
「そうよ! どこへお隠くになったの!?」
玲子はずいっと、詰め寄る。それにあわせるように、陽子は一歩後退した。
「隠したって………。どういうことよ!!」
「お惚けになる気?」
玲子の眉が吊り上がった。
「とぼけるもなにも、あたしは知らないわよ! 後鳥羽さんがどうしたっていうの?」
もちろん、身に覚えなど全くない。言い掛かりも甚だしい。陽子にとってはいい迷惑だった。
「白々しいですわね!」
玲子は吐き捨てるように言う。
まわりの取り巻きが、さっと一歩だけ囲いを縮めてきた。殺気立っているのが分かる。恐らく、玲子が指示を出したら、一斉に陽子に襲ってくるだろうとさえ思われた。
「ちゃんと説明してよ!」
だが、これしきの脅しで、陽子は怯むはずもない。前方の玲子を睨み付ける。これではまるで犯人扱いである。何があったか知らないが、納得できるものではない。
「あたくしに対する腹いせのために、火野さんとあなたで、祥子さんを監禁してるのではなくて!?」
「な………!?」
陽子は返す言葉もない。濡れ衣もいいところである。全く身に覚えがない。だいいち、そんなことをする必要もない。
「どうしてあたしたちが、あなたに腹を立てなくちゃいけないの!?」
もちろん、心の中では充分に不愉快な思いをしている。その点では、自分よりレイの方が、玲子に対しては腹を立てているだろうとも思う。が、レイは端から玲子のことなど眼中にない。嫌ってはいるだろうが、腹は立てていないかもしれなかった。レイにとって麗子は、耳元で騒いで鬱陶しいだけの、蚊のような存在でしかないのを、陽子は知っていた。
「あたくしに学院の女王の座を奪われたから、あたくしに対して復讐しようとしているんでしょうけど、そうはいきませんわ! あたくしは当学院の女王の座は死んでも守りますわよ! だから、祥子さんをお返しなさい! 祥子さんのご両親も心配していらっしゃるわ。今ならまだ、警察沙汰にはならなくよ」
誤解もここまでくると、甚だ迷惑である。どうしたら、そんな発想が出てくるのか、一度頭の中を見せてもらいたい衝動に駆られる。
「いい加減にしてよ! あたしたちは知らないわ!!」
終いには、陽子も怒鳴っていた。このままでは、本当に誘拐犯にされてしまう。
「そう………。あくまで惚ける気なのね。でしたら、あたくしたちにも考えがありましてよ。見てらっしゃい! 今に、動かぬ証拠を掴んでさしあげますわ!!」
玲子は鼻息荒く吐き捨てるように言うと、くるりときびすを返した。取り巻き連中も、ぞろぞろと玲子の後を付いていく。
「いつの間に、あんなに取り巻きが増えたのかしら………。だいたい、この学院に、彼女を支持する人たちなんて、そんなにいないはずだわ………」
陽子は首を傾げていた。そういえば、あの取り巻き連中は、女学院の制服は着ていたが、知らない顔が殆どだった。
「あら?」
玲子の立っていた場所に、何かが光った。
陽子は気になって、その場にしゃがんでみた。
「何かしら? これ………」
それは赤い色をした、三センチくらいの十字架だった。赤と言っても、色鮮やかな美しい赤ではない。どこか暗い感じの、強いて言えば血の色を連想させる赤であった。
玲子が敬虔なクリスチャンであることは知っているが、彼女は普段は銀の十字架のペンダントを身に着けている。こんな気持ちの悪い十字架をしているところは、見たことがない。
「火野さんにも、話しておいた方がいいわね」
後鳥羽祥子が本当に行方不明ならば、これは事件である。
陽子は腕時計を見た。五時を少し回ったところだった。弓道部の部活に参加しているはずのレイは、まだ学院内にいるはずだ。
陽子は弓道部の部室に行ってみることにした。だが、陽子は弓道部の部室に行くことはできなかった。大音響が響いたかと思うと、弓道部の部室のある方向から噴煙が上がったのだ。
「なに?」
衝撃波はここまで伝わってきた。近くにいた学院生が悲鳴を上げる。
地響きが地面を揺らす。とてもまともに立っていることはできなかった。
陽子は緊急事態を察知したシスターたちに連れられて、学院の外に数人の生徒たちと避難することになった。
自動ドアを潜り、もなかはゲームセンター“クラウン”の中に入った。入り口の近くで立ち止まり、中をキョロキョロと見回す。
知っている顔が見あたらない。
「やぁ! キミはえーと、もなかちゃんだったかな?」
奥の方から、元気のいい声が聞こえてきた。
「あ! お兄さん!!」
もなかの顔が明るくなる。ようやく知ってる顔を見つけることができた。
お兄さん───古幡元基は、にこにこしながら歩み寄ってくる。そのすぐ後ろで、まことから軟派男と教えられた北本勇二が、超美人のお姉さんと楽しそうに会話をしている。
「まだ、うさぎちゃんたちは来てないよ!」
元基はそう言ったあと、更に小声で、「ルナなら地下にいるよ」教えてくれた。
もなかはうさぎたちから、元基は協力者であることを聞かされていたから、にっこりと笑って頷いて返事をした。
「うさぎちゃんや美奈子ちゃんといい、その子といい、古旗君て、やっぱり年下好みなのね」
超美人のお姉さんが、北本の絡み付く視線をすり抜けるようにしてやってきた。頬を幾分膨らませ、不満そうに元基に詰め寄る。もなかに声をかけたことを怒っているのか、はたまた、北本のところに置いて行かれたのを怒っているのかは、もなかには判断できるわけもないが、その両方のような気はした。
「うーん。年下もいいんだけどね………」
そう言いながら、元基は超美人のお姉さん───西村レイカに視線を向ける。その視線の意味するところは、わざわざ言うまでもない。もちろん、レイカにはそれで通じたようである。
レイカは満足したように微笑む。機嫌が直ったようだ。もなかには、まだちょっと理解できないかもしれないが、大人のアイ・コンタクトである。
「もうすぐ、みんなも来ると思うから、奥で待ってたら?」
「いえ、ルナのところにいますから」
元基にはそれで通じるはずである。
もなかは“クラウン”を出ると、外の秘密の入り口から司令室に降りることにした。
司令室に降りると、ルナとアポロンが待っていた。元基が言う通り、まだだれも来ていない。部活にでも出ているのだろうか。
「もう少しで、みんなも来ると思うわ」
ルナが言う。次いでアポロンに目を向ける。
「そろそろ、いいんじゃない?」
「そうだな」
ルナに何事か促されると、アポロンがもなかの横にぴょんと移動してきた。
「太陽の金剛杵を出してくれ」
アポロンに言われるままに、もなかは太陽の金剛杵を実体化させる。そのくらいのことは、変身しなくても可能だ。
「どうするの?」
金剛杵を実体化させたものの、アポロンの意図が分からず、もなかは訊いていた。
アポロンは小さく気を吐くと、精神を集中させ始めたようだった。額の日輪のマークが輝き出す。やがて光は収束し、直径二センチほどの球状になる。
「太陽の宝珠だ」
柔らかな光を放つ球状の物体を示して、アポロンは言った。
「金剛杵の窪みに宝珠をはめ込むんだ。この宝珠はキングの後継者である証だ。キングの後継者ならば、この宝珠の力を自在に扱うことができる。もなかなら、使いこなせるはずだ」
「使うって、どう使えばいいの?」
「基本的には今までとは変わらない。要は宝珠のパワーを、もなかが制御するんだ。もなかの心ひとつで、宝珠は銀水晶にも匹敵するパワーを出せるはずだ」
銀水晶のパワーと言われても、まだそのパワーを目の当たりにしていないもなかには、いまいちピンとこない。
もなかは躊躇いながらも宝珠を受け取ると、金剛独鈷杵の窪みに、オレンジ色の輝きを放つ石をはめ込んだ。
「頼むわね、もなか。今は経験が浅いけど、そのうちうさぎちゃんに匹敵する凄い戦士になると思うわ」
「うん。何だかまだピンと来ないけど、とにかく一生懸命がんばります!」
「がんばってね」
希望に満ちたもなかの顔を眩しそうに見つめるルナだったが、そのスター・シードの輝きがあまり感じられないことに、一抹の不安を感じていた。
弓道部の部活動を終えたレイは、制服に着替える前に、汗ばんだ体にシャワーを浴びたいと思い、部室のシャワールームへと向かった。
夏休みも間近に迫り、最近はめっきり暑くなった。未だ梅雨明け宣言は出されていないものの、この二日間は雨が降っていない。カラリと晴れた快晴である。もしかすると、今日あたり気象庁から梅雨明け宣言が出されたかもしれない。
シャワームルームは、弓道場に備え付けられていた。約ニメートル四方の個室のユニットに別れており、けっこうゆったりと使用できる。女学院内には、こういったスポーツ部のためのシャワールームが幾つか点在しており、部活動でかいた汗を、帰宅前に流すことができる。最近になってようやく作られた設備だったが、これがなかなか生徒の間で評判だった。汗の臭いが気になる年頃なのである。生徒の中には、礼拝堂のマリア様に感謝の祈りを捧げる者もいたくらいだった。
弓道場は校舎から幾分離れているせいか、備え付けのシャワールームには他の部活動の生徒は滅多にシャワーを浴びにこない。六つあるシャワーユニットは、弓道部員専用と言っても過言ではなかった。
指導する顧問は敬虔なクリスチャンであり、厳しい面は持つのだが、男性であるにも関わらず、部員を好色な目で見たりはしない。もちろん、シャワールームを覗くなどという破廉恥なことはしない。シャワールームができたてのころ、中年の男性教師が覗いたという事件があったが、彼の弁解も空しく、容赦なく解雇されてしまった。
「珍しいこともあるものね………」
脱衣場からシャワールームを覗いた下着姿のレイは、小さく溜息をついた。
弓道部の部員はあまり多い方ではないため、六つのシャワーユニットが同時に全部使用されていることは、希なことだった。道具の片づけやらなになら、細々としたことを済ませなくてはならないので、部員たちが一度にシャワールームへ向かうということはまずない。
レイとて今日は、自分の弓を調整していたがために、ひとり遅くなってしまった。
「今日はついてないわね………」
殆ど待たずに使える日が多いが、たまにタイミングが悪いときもある。こういう日は諦めるしかなかった。確かめもせず、下着姿になったのは失敗だった。しかし、今更汗で濡れた運動着を着るのも嫌だった。
レイは順番待ちの人のために備え付けられている木製の丸椅子に腰掛けると、タオルを膝の上に置いた。
五分たった。だれか終わってもいい頃だろう。なのに、だれもシャワールームから出てこようとはしない。
シャワーの音だけが、うるさいくらいに響く。
「ヘンね………」
レイは訝しんだ。話し声が聞こえないのである。いつもなら、わいわいと楽しそうにおしゃべりをしている声が聞こえてくるのに、今日にかぎってはシャワーの音以外話し声が全く聞こえてこない。
レイはここで、重大なことを思い出していた。今日の弓道部の部活に参加していたのは、自分を含めて五人だけだった。なのに、六つあるシャワールームは全部埋まっている。自分はまだ使用していないので、計算上では二つ余っていなくてはいけない。他のスポーツ部の部室からは少し離れているため、弓道部以外の生徒がここを使用することは殆どない。六つとも使われているのは、やはりおかしいと思う。今まで気が付かなかったが、脱衣場に自分の着るもの以外は何もない。少なくともシャワーを浴びているはずの弓道部員の着ていた物が、脱衣場の籠の中になくてはならないのだが、籠は全て空だった。
「おかしいわ………」
訝しんだレイは、脱衣場のガラス戸を開け、シャワールームを覗いてみた。白い暖かい湯気が、一瞬レイの体にまとわりつくように、脱衣場に漂う。
シャワールームへ入った。
「………!?」
猛烈な違和感が体を包む。レイの第六感が危機を知らせている。
(………!! 後ろ!?)
気配を感じて振り向こうとしたが、一瞬遅かった。背後から伸びてきた手が、レイの下着をを鷲掴みにする。
個室からのそりと出てきた部員たちが、次々にレイに襲いかかった。手を伸ばし、下着を無理矢理引きちぎろうとする。その目には、精気がない。
「くっ!」
レイは手を振りほどいて、脱衣場へと戻ろうとする。
ビリッ!
ブラジャーが引き千切れたが、気にしている場合ではなかった。
「なによ、いったい………」
辛うじてスキャンティだけ身に付けている状態のレイは、シャワールームを振り返った。
シャワールームから、七人の全裸の学院生がふらついた足どりで、レイの後を追ってくる。五人は弓道部の部員だった。残りの二人は知らない。
「どういうの………!?」
レイはするりと身構える。
七人の女の子たちは、鈍重な足どりで近付いてくる。目の焦点が合っていない。やはり、普通の状態ではない。
とにかくこの場は逃げるしかないと思い、レイは脱衣場の扉に手をかけた。
「あ、開かない!?」
扉には、いつの間にか鍵が掛けられていた。
背中を見せていたレイに、七人の女の子たちが群がるように襲いかかった。
レイは反射的に胸を隠したが、すぐにその必要がないことに気付き、瞬時に身構えた。女の子しかいないのだから、別に恥ずかしがって胸を隠す必要はない。
だが、だれに見られているか分からないから、迂闊に変身はできない。女の子たちが正気でない以上、彼女たちを操っている者がいるはずだった。ここで、自分の正体を知られるのはまずい。
レイは襲い来る女の子たちを巧みに躱し、籠の中に揃えておいた自分の制服から、悪霊封じの札を取り出した。
「持ってきて、正解だったわ………」
レイは苦笑いすると、札に念を込める。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前!」
九字の真言を唱え、素早く印を作る。
「悪霊退散!!」
目にも留まらぬ早さで、レイは七人の女の子たちに札を貼り付けた。だが、動きを封じられ、床に崩れ落ちるはずの女の子たちは、なおもレイに掴み掛かった。
「あたしの封じがきかない!?」
レイは焦った。今までこんなことはなかった。自分の法力が通用しない相手は、初めてだった。それは女の子たちを操っている術者が、明らかに自分より格上の相手であることを意味している。
レイの焦りが、更なる危機を招いた。
レイは女の子たちに気を取られすぎていたがために、周囲を全く気にしていなかったのだ。
「ぐ………!!」
突然背後から伸びてきた野太い腕に、レイは首を締め上げられた。左手を背中に回され、押さえ付けられてしまった。
「ククク………。苦しいかい? お嬢さん………。でも、すぐに楽にしてあげるよ………」
掠れたひどく耳障りな声が、レイの耳元で聞こえた。男の声だった。
「あう!」
男はレイの喉を締め付けている腕に、力を入れた。
たまらず、レイは呻く。苦し紛れに足をバタつかせ、自由な右腕を振り回した。
「あまり暴れると、かえって苦しくなるよ。大丈夫、今はまだ殺しませんよ」
男は太い足を、レイの足に絡めてきた。
「心配しなくても、いいですよ。大変残念なことですが、あなたをレイプをするためにここにいるわけではありませんので、そのことについてはご安心を。大事な貢ぎ物ですからね。生娘でなければ、怒られてしまいます」
掠れて耳障りな声ではあったかが、口調は意外にも丁寧だった。
(貢ぎ物ですって!?)
レイは声を出したつもりだったが、残念ながらそれは声にはならなかった。レイの意識は、次第に薄れていった。