七
外が騒がしい。
衝撃らしい震動が、時折壁を伝って届いてくる。何かが起こっていることに間違いはない。
ルナはドアにピタリと耳を付け、必死に外の様子を探ろうとする。足音は聞こえなかったが、何者かの気配をドアのすぐ向こう側から感じた。ルナは自分の気配を悟られぬように息を殺す。
「ルナか?」
知っている声が下の方から聞こえた。
「アルテミス!?」
「この部屋には鍵穴がない。出られないのか?」
「お母様が魔法で施錠して行ったの。解錠( を試みたんだけど、あたしの魔法では解除できないわ」)
「分かった。ドアから離れていろ。今、ぶち壊す」
急に声が大きくなったように聞こえた。恐らく、ネコの姿のままこの場までやって来て、ルナの存在を確認してから人間の姿に戻ったのだろう。だから、初めは声が下の方から聞こえたのだ。
ルナは言われるまま、ドアから距離を取った。
「離れたか?」
アルテミスが確認してくる。
「いいわ」
ルナは答えた。
閃光が斜めに走った。剣で周囲の壁ごと、ドアを切断したのだ。重量感のある音を響かせて、ドアが崩れ落ちた。
「今はのんびりと状況を説明している時間はない。なびきたちが四人の女戦士たちの注意を引き付けてくれている。今のうちに脱出するぞ」
剣を莢に納めながら、アルテミスは早口で言った。
「でも、お母様を残しては……」
「ディアナはここにはいない。“ボス”から緊急連絡が入った」
「まさか、うさぎちゃんを……!」
アルテミスが全てを説明する前に、ルナは状況を把握した。ディアナは自分のこの部屋に閉じ込めたあとすぐに、うさぎの元に向かったのだ。
「お母様を止めないと!」
「うん。急ごう」
アルテミスはルナの右手を取り、通路を走り出した。
五分ほど走っただろうか。前方から強烈なプレッシャーを感じたので、アルテミスは足を止めた。鞘から剣を抜き、ルナを自分の背後へと匿( う。)
「何かいる」
アルテミスは緊張した面持ちで、前方を凝視した。
「凄い力を感じるわ……」
ルナも強烈なプレッシャーを感じ取っていた。尋常ではない力だ。鳥肌が立ってしまっている。
「ナイル……。いや、違うな。まだ封印は解けていないはずだ」
前に出ようとするルナを、左腕を使って自分の背後に押し留め、アルテミスは右手で剣を構える。何としてでもルナを守り抜くという覚悟が感じ取れた。
「ふ〜ん。あたしの気配に気付いたんだ。お兄さんたち、なかなか鋭いね」
場違いなほど幼い声が聞こえた。少女の声だ。感じからすると、地球人の年齢で十歳にも満たないという印象を受けた。姿は見えなかった。
「何者だ!?」
得体の知れない相手に、アルテミスの声も緊張する。四人の女戦士たちは、ギャラクシアたちと交戦中のはずだ。この場に来れるはずがない。だとすれば、あとは魔女ナイル以外考えられないのだが、魔女ナイルが幼女だという記録は残っていない。それに、封印はまだ解けていないはずだ。
「あたし? あたしはねぇ……。誰だと思う?」
からかうような声が返ってくる。それがかえって不気味であり、アルテミスは剣を構え直した。柄を握る手に汗が滲( んだ。)
「へぇ〜。あなたたちふたりは結婚するんだね。ダイアナちゃんかぁ。可愛いね。お母さん似かな」
「なっ!?」
「未来を知ってるの!?」
アルテミスは絶句し、ルナは声を上げた。そんなふたりの反応を楽しんでいるかのように、幼女の声は流れてくる。
「幸せそうだね。……あれ? あららら? でも、お父さんの方は殺されちゃうんだね。可哀想に……。殺すのは……あれれ? この人って……」
「何を言ってるの!? 何でそんなことを言うの!?」
聞くに堪えない話だったので、ルナが遮った。まるでたった今見てきたみたいに、少女は話している。気味が悪かった。
「この未来を来なくするためには、やっぱりセレニティにいなくなってもらわないと駄目ね。そうしないと、不幸な未来が訪れるわよ」
「黙って聞いていれば!!」
アルテミスは剣を上段に構えると、鋭く振り下ろした。剣圧で通路に突風が発生した。
「ダメ、ダメ、ダメ。あたしはここにいないから、残念だけど斬ることはできないわよ」
コロコロとした楽しげな笑い声が続いた。
「ここにいないだと……?」
確かに、気配のようなものは感じるのだが、肝心の姿が見えなかった。何もない通路だから、身を隠す場所があるとも思えない。
「種明かしするね。あたしはね、あなたたちのいる五分後の世界にいるの。五分後のあたしはそこにいないから、いくらがんばったって、そこからじゃあたしを傷付けることはできないというわけ」
「五分後の世界だと? そうか! お前がディアナたちをこの時代に連れてきたんだな!?
「ピンポ〜ン♪ 正解です! でも、ざぁんねん。種明かしの後だから、プレゼントはあげられません」
幼女はあるで遊んでいるようだ。
「あたしはこれから、ナイルのオバサンの封印を解いてあげなくちゃいけないの。お兄さんたちと遊ぶのも、これでお終いね」
「そんなことはさせない! ナイルが封印されている場所は分かっている。幾らお前が五分後の世界にいようと、ここからなら三分でその場所に行ける。先に行って、お前が来るのを待ちかまえていてやる!」
「お兄さん。あんなり頭良くないね」
「な、なに!?」
「じゃ、競争しよっ。よ〜い、ドォン!」
「くそ! なんてやつだ……」
カリュア、シニス、イーダ、ラクジットの四人を相手に戦っているのは、なんとギャラクシアひとりだった。裏を返せば、彼女たちは四人で束になって掛かっても、未だにギャラクシアに傷ひとつ付けられないという有様だった。
「あんなやつ、シルバー・ミレニアムにいたの?」
セーラー戦士についてはシニスが一番詳しかったから、イーダは尋ねた。
「あたしたちの攻撃がまるで利いてない。あのバケモノは、本当にセーラー戦士か!?」
シルバー・ミレニアムの内情に詳しいカリュアも、あの黄金のセーラー戦士の存在を知らなかった。
「分からない。あいつが何者なのか……」
シニスは首を横に振るばかりだ。
「時間を掛けすぎた。速攻でやつを倒せないのなら、この場は退いた方がいい」
気ばかりが先に立っている三人とは違い、ラクジットは冷静だった。敵はこいつひとりだけではないはずだ。姿の見えない他の連中の方が気になる。
「なら二手に分かれよう。ここはラクジットとカリュアに任せる。イーダ、行くよ!」
さっさと役割を決めると、シニスはイーダを伴ってこの場から素早く退散する。
「こ、こら! 勝手に仕切るな!! ちっ!」
慌ててシニスたちの後を追おうとしたラクジットだったが、既に彼女たちの姿はこの場から消え失せていた。
「あたしをバケモノ呼ばわりしたのは、どっちだ?」
一瞬の隙だった。シニスとイーダに気を取られていたほんの僅かな間に、カリュアとラクジットのふたりはギャラクシアの接近を許してしまった。
「マズイ!」
「しまった!!」
自分たちの失態に気付いたときは既に遅かった。ギャラクシアの両手から、ギャラクティカ・マグナムが放たれた後だった。
「なんだ!? 手応えがなかったぞ?」
直撃をして四散したはずなのだが、それにしては妙に手応えがなかった。倒したという実感が湧かないのだ。むしろ、取り逃がしたという感覚の方が強かった。
「しかし、やつらにはテレポートする余裕はなかったはずだ」
ふたりが消滅したはずの空間を見詰めながら、ギャラクシアは釈然としない気持ちに陥っていた。
プルートとネフライトは、建物の深奥部に来ていた。
直径三メートルほどの水晶球が、床から二メートルの空間にあった。水晶球には合計八本の銀の鎖が巻き付けられていた。鎖は天井の四隅に四本、そして床の四隅に四本と、しっかりと固定されている。あの水晶球の中に、魔女ナイルが封印されているはずだった。
「封印は守られているようね」
水晶球を見上げ、プルートは言った。
「どうするつもりだ? この水晶を破壊すればいいのか?」
「いえ、それでは封印が解けてしまう可能性があるわ。このまま、亜空間に封じます」
プルートはガーネット・ロッドを出現させた。何者も近付くことの出来ない空間に、水晶球そのものを封じてしまおうというのだ。
「あれぇ? さっきの人たちとは違う人たちが来ちゃったの?」
場違いなほど幼い少女の声が、水晶球の裏の方から聞こえてきた。
「困るなぁ……。シナリオにないことしてくれちゃ。アドリブは禁止よ! っと言うわけで、やり直しね」
その声を最後に、気配は消失した。
「何だ、今のは……?」
「分からないわ。子供のようだったけど……」
全く予期していなかったことだったので、ふたりは首を捻るばかりだ。「やり直し」と言っていたが、いったい何をやり直す気なのだろう。
慌ただしい足音が背後から聞こえた。プルートとネフライトは同時に振り返る。ふたつの人影が見えた。アルテミスとルナだ。
「しまった! 遅かったか!!」
アルテミスは自分たちを見ていなかった。その視線は、自分たちの後方の水晶球に向けられている。
「遅かった?」
言葉の真意を測りかねて、ネフライトは訊いた。いったい何が「遅かった」と言うのか。
「女の子がいなかったか?」
「いた。と、言うより『来た』が正しいな。俺たちより僅かに遅れてこの場に来たようだが、俺たちがいたので驚いてどこかに行ってしまった。知り合いか?」
「くそっ! また( 、移動したのか……」)
「意味が分からんぞ。説明しろ」
「魔女ナイルの封印を解かれた」
「なに? 水晶球なら無事だぞ? 俺たちの後ろにあるだろう?」
「いいえ、ネフライト( ……」)
プルートの震える声が、真横から聞こえた。彼女は後ろに向き直っていた。その両目は、信じられないものを見ているかのように、驚きに見開かれていた。
「な、なんだと!?」
プルートの視線を追うように体を巡らし、ネフライトも驚愕した。なくなっていた。水晶球が。自分たちが目を離した僅かの間に、跡形もなく消失していた。いや、消え失せたのではない。床に無数の破片が散らばっている。破壊されたのだ。
「そんな馬鹿な! 破裂音は聞こえなかった! いや、それ以前に、破壊されたのなら分からないはずがない!」
あれだけの大きさの物体が背後で破壊されれば、例え音が響かなくても気配で分かるというものだ。驚きを隠すことが出来ないネフライトの背後でルナが、
「五分後ではなくて、五分前の世界に移動していたというの……?」
固い声で呟くのが聞こえた。
「五分後の世界?」
プルートはその呟きを聞き逃さなかった。
「正解でぇすっ!」
そのプルートの声を遮るように、少女の声が響いてきた。
「ルナちゃん、あったまいい! でも今はもう五分前の世界にはいないの。五分前の世界ではそのふたりに遭っちゃったから、更に五分前に移動しちゃった。てへっ」
「そう言うことか……!」
ネフライトは納得したようだ。少女の言った「やり直す」とは、そう言うことだったのだ。少女はネフライトたちと鉢合わせになったあと、更に五分前の世界に移動して、そこで魔女ナイルの封印を解いたのだ。彼女がそうしたことによって、水晶球が破壊される前に到達したはずが、破壊された後にすり替わってしまったのだ。
「競争はあたしの勝ちね、お兄さん。でもプレゼントはいらないわ」
「アルテミス。やつはどこにいる? この場にはいないのか?」
少女のおしゃべりには付き合っていられないネフライトは、アルテミスに顔を向けた。
「いない。別の次元から、こっちの次元を覗き込んでいやがるんだ。プルート( なら探れると思うが?」)
「可能だけど、そこへ移動したとしてもすぐに逃げられてしまうでしょうね」
相手も時間と空間を自由に移動できる能力を持っている。闇雲に追うだけでは、追いかけっこになるだけだ。
「彼女、ナイルの封印を解いたわよね」
ルナは慎重に周囲を探っている。水晶球が破壊されたということは、魔女ナイルの封印が解かれたということに他ならない。ルナのその声が聞こえたのか、少女の楽しげなコロコロした笑い声が、辺りに響いた。
「さぁ、約束通り、おばさんの封印を解いてあげたよ。今度は、おばさんに約束を守ってもらう番だからね!」
「分かっているわ。約束は守りましょう」
柔らかな声が響いた。湿り気を帯びた空気がどこからともなく流れてきて、体にまとわりついてきた。急に息苦しさを感じた。
ゆらゆらと影が揺らめく。影は次第に人の形へと整っていく。
始めに輪郭がはっきりとし、次に瞳が炯々と輝いた。優しげな笑みを浮かべた唇が現れ、ふくよかな胸元が浮き彫りになる。そして、だしぬけに細部までが一気にくっきりと現れた。
美しい女性が、そこに佇んでいる。煌びやかに装飾が施された、裾の長いローブを身に付けている。胸の前で大事そうに、直径十五センチほどの水晶を手で包み込むようにしていた。
虚無の魔女ナイルである。
「淀んだ空気ね……」
深く息を吸い込んでから、ナイルは嫌悪感を表情に浮かべた。
「転生したセレニティの抹殺なんて、わたしにはあまり意味のないことだけれど、あなたとの約束だから仕方がないわね。わたしの妹たちも随分と苛められたみたいだから、お返しをしなくちゃいけないのよね?」
「はい、お姉様」
いつの間にか四人の女戦士たちが、ナイルの背後に集っていた。カリュアとラクジットは、やはり逃げおおせていたようだ。
「……悪いが、五人ともここから出すわけにはいかないな」
ギャラクシアの声だ。四人の女戦士たちの背後で、腕組みをしたまま佇んでいる。
「このような狭い空間では、セーラー戦士( は充分に戦えないでしょう?」)
「壊さないように気を遣う必要があるのならば、確かに充分に戦うことはできない。だけど、ここがどうなろうともあたしには関係ない」
言い終わると同時に、ギャラクシアはギャラクティカ・パペットを放った。口ではああ言っているものの、やはりマグナムを放つような無謀な真似はしなかった。
ナイルは笑んだだけだった。しかし、その笑みによって、ギャラクティカ・パペットは掻き消されてしまう。
「へぇ……。あたしの技を無効にするとはね。魔女というのは、手品もできるのか?」
「自分の技を封じられたわりには、大した余裕ね」
「相手はギャラクシア( だけじゃないんだぞ?」)
アルテミスだった。音もなくナイルに迫ったアルテミスは、手にした剣を左から右へと一閃する。ナイルはするりと剣先を躱( したが、もとよりアルテミスはナイルを斬れるとは思っていなかった。その剣圧を浴びせ、バランスを崩させることにあったのだ。)
「自信過剰は身を滅ぼす」
その間に肉迫してきたネフライトのライトニング・ブレードが、ナイルの左肩を掠( めた。)
「お姉様!」
ナイルを守ろうと四人の女戦士たちが動いたが、ギャラクシアがそれを阻止した。ナイルは前後をアルテミスとネフライトに挟まれるような形になった。その時、戯けない少女の声が響いた。
「おばさん。こんなところで遊んでいる時間はないわよ。ちょっとだけ手を貸してあげるから、上手くやってね」
「助かるわ、お嬢ちゃん」
ナイルは笑った。その瞬間、ナイルの姿が揺らいだ。いや、揺らいだのは自分たちの方だった。
「しまった!?」
気付いた時には既に遅かった。何の抵抗も出来ずに、ギャラクシア、プルート、アルテミス。ネフライトの四人は結界の中に封じられてしまった。ただひとり、ルナを除いて。
「ん? ディアナの娘の姿がない」
カリュアが目を細めた。結界の中に、ルナの姿だけがなかったのだ。
「セーラープルート。あなたの仕業ですね?」
ナイルには分かっていた。プルートがルナだけを、あの一瞬にこの場から逃がしたということを。
「彼女には、ディアナを止めてもらわなくてはならないから」
「悪あがきね」
ナイルは、子供の悪戯に手を焼いている母親のような表情をした。