連れて来られた場所が果たしてどこなのか、ルナには分からなかった。
 石造りの古い建物だった。建造されてから、かなりの年月が経過している。生活感を全く感じないことから、放置されてからもかなりの年数が経っているようだ。風化してボロボロになっている壁面が、その年月の長さを自ずと物語っていた。ジメジメとしたねちっこい空気が漂い、(かび)の臭いがキツイ。時折、何かが朽ち果てたような異臭も漂ってくる有様だ。
 四角く区切られた部屋だった。テーブルもなければ椅子もなく、明かり取りの窓さえもなかった。回りを石の壁に囲まれた、ただの空間としか言えないような場所だった。こんなところにひとりでいると、まるで監禁されているかのようだ。砂なのか埃なのか区別ができなかったが、床はひどくザラついていて、とても腰を下ろす気にはなれなかった。
 天井が高いので息苦しくはないが、長時間居続けるとストレスが溜まる。天井が淡い光を放っているのは、恐らく魔法によるものだろう。電灯の(たぐい)は見えないので、電気的に光らせているわけではないと感じた。まさか、天井だけが超近代的な発光パネルになっているわけではあるまい。
 何か、得体の知れないものの恐ろしい気配を、この場所に連れて来られてからずっと感じていた。それが何の気配であるのか確かめる術は今のルナにはないが、放っておいていいとは思えなかった。のちのちの災いの種になるような気がしてならない。
 ここで待っているようにと、母親のディアナから言い置かれてから、小一時間は経過していると思えた。ただ突っ立っているというのにも疲れてきた。汚れるのを覚悟で、ネコの姿にでもなって部屋の隅っこで寝ていようかと考えていたところで、この空間のたったひとつの出入り口である扉が、軋んだ音を響かせて、外側に開いた。ディアナの姿が見えた。
「ごめんね。こんなところに置き去りにしてしまって……」
 ディアナは本当に申し訳なさそうに詫びてきた。
 ルナは、ディアナに顔を向けただけだった。母親の顔を見てホッとした反面、自分がこの場に連れて来られた経緯をあらためて認識したからだ。今は母親との再会を素直に喜べる心境ではなかった。
「恐い顔をしているのね……」
 知らず知らずのうちに表情が硬くなってしまっていたのだろう。ディアナは悲しそうに目を伏せた。
「お母さん。説明してほしいの」
 ルナはまず、母親から情報を取ることにした。ディアナは大変な思い違いをしている。その思い違いを解く必要があるのだが、ディアナがその思い違いをすることになった要因が分からなければ、何を言っても無駄だと思ったからだ。下手なことを言ってしまうと、かえって逆効果になってしまう場合もあり得る。
「あたしが、この時代に来たことが不思議?」
「ええ……。あたしがこの時代にいるということを、お母さんがどうやって知ったのか、そして、どういう方法を使って、この時代にやって来ることができたのか」
「それはわたしも聞きたいわ。ルナが何故この時代にいるのか。セレニティたちは転生しているというのに、何故あなただけ以前のままなのか……。理由があるんでしょう?」
 どうやら、自分の状況を先にディアナに説明する必要があるようだ。ルナは深呼吸してから、シルバー・ミレニアムが滅亡してから現在に至るまでを、順を追って説明することにした。

「あの母娘(おやこ)はどうしている?」
 石柱にもたれ掛かっていたシニスが、思い出したように身近にいたイーダに問うた。
 過去から戻ってきたシニスたち四人は、石柱が立ち並ぶ壮大なホールの片隅に集っていた。セーラー戦士をこの手で仕留めることはできなかったが、ラクジットとイーダは、マーズが「名無しのセーラーチーム」によって消去されたと考えていた。「名無しのセーラーチーム」と遭遇したことはカリュアとシニスに話したし、連中にマーズが包囲されたことも話した。状況からすれば、マーズはまず助からない。彼女たちの任務のひとつは、達成されたことになる。
「感動のご対面の最中じゃないの?」
 まるで感心がないといった風に、イーダは答えてきた。イーダの隣にいたカリュアも、皮肉ったように薄く笑った。
「大丈夫だろうかしらね、あの人。自分の娘と再会をしたことで命が惜しくなって、作戦に支障をきたすようなことになりはしないかしら」
 ラクジットは慎重だ。
「直接本人に訊いてみれば?」
 これまた感心がなさそうにイーダが言ってきたので、ラクジットは口をへの字に曲げた。もう少し、面白みのある返答が欲しかったのだ。
「しかし、この時代のセレニティを始末する必要なんてあるのかね。どうせなら、あたしたちの時代のセレニティを殺した方が、あたしたちにとっては都合がいいんじゃないのかい?」
「シニスの言うとおりだけどね。色々と『お約束』があるみたいだから、仕方ないんじゃない?」
 カリュアが答える。
「それに、あたしたちが過去に戻って何かをすれば、四守護神以外のセーラー戦士が黙っちゃいない。四守護神は恐くないが、ウラヌス、ネプチューン、プルートの三人は厄介だよ」
「それは、こっちの時代でもおんなじなんじゃない? なんか、あたしたちの知らないセーラー戦士がゴロゴロといるし」
 気のない返事ばかりしていたイーダが、まともな意見を言っていた。
「それに、あたしたちをセーラーサターンの消去から救ってくれた“あのお嬢ちゃん”に、多少なりともお礼をしなくちゃいけないしね。“あのお嬢ちゃん”は、この時代のセレニティの抹殺がお望みなのだろう?」
「“あのお嬢ちゃん”か……。ナイル姉様の友人だと言っていたけれど、信用できるやつなの?」
 イーダは慎重だ。
「口を(つつし)んでイーダ。どこで聞かれているか分からないのよ?」
 間髪を入れずにラクジットが(とが)めてきた。イーダは肩を(すく)めた。
「しかし、あいつは何者なんだ? ナイル姉様の友人だと言っていたから、魔女のひとりなのだろうが……」
「うん。シニスの言うとおり、確かに訝しげな相手ではあるわよね」
 カリュアがシニスの言葉に同意する。
「クイーン・セレニティが恐れた魔女は、三人だと聞いている。奈落のアビス、暗黒のネヘレニア、そして虚無のナイル姉様。だけど、あいつはアビスでもネヘレニアでもない」
「自分は四人目の魔女だと言っていたわ。ナイル姉様の手助けをしたいなんて言っているけど、胡散臭い話よね。ナイル姉様のご友人なら、あたしたちが知らないはずないもの」
 ラクジットはもう止めるのはやめた。今更隠していても無駄だろうと感じたからだ。“あのお嬢ちゃん”は、全てを見通す能力(ちから)を持っているのだ。自分たちの疑念など、既にお見通しだろう。
「いいじゃない。利用できるうちは、利用させてもらおうよ」
 シニスは楽観的だったが、
「あたしたちの方が利用されているんだと思うけどね」
 イーダは冷めた口調で言い放った。シニスは口を尖らせる。イーダの意見は最もだったからだ。
「どちらにしても、セレニティはディアナが始末してくれるわ。あたしたちは高見の見物をしていればいい。そうでしょ?」
 この場を取りまとめたのは、ラクジットだった。

 ルナの話に黙って耳を傾けていたディアナだったが、ルナが全てを語り終えないうちに力なく首を左右に振り、
「それで、あなたは何が言いたいの?」
 全てを否定するような目をルナに向けた。
「え……? だから……」
 ルナは話を繰り返そうとした。だが、
「セレニティが……」
 ディアナはルナの言葉を(さえぎ)る。
「破滅のきっかけを作ったという事実は変わらないし、彼女の罪は消えない」
「だからお母さんがうさぎちゃんを殺すの? うさぎちゃんを殺したところで、それこそ何も変わらないわ。それに、うさぎちゃんはプリンセス・セレニティ本人じゃないわ」
「でも、セレニティの生まれ変わりなのでしょう? ましてや、その記憶も持ち合わせているとなれば、本人でなくてもセレニティであることに変わりがない。だから、あなたが側にいるのでしょう?」
「う……。だけど……」
 反論する言葉を見付けることができないルナに、ディアナは畳み掛ける。
「それにね、月野うさぎは何れ、セレニティと同じ過ちを犯すわ」
「そんなことないわ!」
「あたしはこの目で見てきたの。未来を。月野うさぎが女王として君臨する世界を。白き輝かしい光の世界だったわ。だけどね、強すぎる光の中では人は生きていくことはできないの。漆黒の闇の中で生活することができないのと同じにね。そしてその輝かしい光の世界は、女王である月野うさぎのたったひとつの過ちによって、脆くも崩壊する」
「そんな未来なんて来ないわ! お母さんは、誰かに騙されているのよ!!」
「騙されているのは、あなたの方なのよ、ルナ」
 ディアナは叱りつけるというよりかは、優しく(なだ)めるような口調で語りかける。
「あなたの役目は何? セーラーマウスに何と言われてシルバー・ミレニアムに行ったのか、忘れてしまったの?」
「そ、それは……」
「あなたは四守護神のひとりになるはずじゃなかったの? 四守護神としてセレニティを守るはずじゃなかったの? もしあなたが四守護神だったなら、セレニティの過ちに気付いて時点で、それを正すことができたんじゃない?」
「事情があったのよ! ヴィーナスを……アフロディアを四守護神としてシルバー・ミレニアムに迎え入れなければならない理由が。それに、あたしの本当の役目は……」
「これ以上話をしても、時間の無駄のようね」
 これ以上議論をする気はないといったように、ディアナはぴしゃりと言い放った。
「お母さん!」
「クイーン・セレニティと、そしてプリンセス・セレニティの罪は永遠に消えることはないわ」
「待ってお母さん! もう一度、あたしの話を聞いて!」
「再び過ちを犯す前に、わたしがセレニティを……月野うさぎをこの世から抹殺する。ルナ、あなたを守るために」
「お母さん! どうして分かってくれないの!?」
「月野うさぎさえいなくなれば、あなたを(しば)る者はいなくなるわ。わたしと一緒に、あの頃のマウ星に帰りましょう」
「お母さん!!」
 最早ルナの声は、ディアナには届いていなかった。ディアナはくるりと背を向けると、扉を開けて部屋の外へと出て行ってしまった。
「お母さん!」
 ルナは慌てて後を追った。しかし、
「ドアが!?」
 ディアナの強力な魔法によって施錠されたドアは、ルナの力では開けることができなかった。

「揃ったようだな」
 アルテミスは全員の顔が見えるように、モニターの上にピョンと飛び乗った。
 せつな、レイ、大道寺の三人が戻ってきた時には夜も明け、うっすらと朝日が差し込み始めていた。長い長い夜が明けたのだ。うさぎたちは一睡もせずに、三人が戻ってくることを待っていたらしい。彼女たちが調査してきた結果を皆に伝える必要があったので、早朝ではあったが、アルテミスはうさぎとまことも司令室に呼び寄せた。
 戻ってきた三人の顔を見た瞬間、緊張が緩んだのか、司令室に入ってくるなり、まことが大きな欠伸をした。釣られてうさぎとアルテミスも欠伸をする。気持ちを(ほぐ)すために、まことはわざと欠伸をしてみせたのだ。
「話をまとめよう」
 アルテミスは集まったメンバーを確認する。調査をして戻ってきた、せつな、レイ、大道寺の三人。司令室に待機していた、なびきと新月。もなかの様子を見に行っていて、戻って来たほたる。自宅で休んでいたうさぎと、そのうさぎをガードしていたまこと。集めることの出来うるメンバーは、取り敢えず揃ったことになる。
 さすがにこの人数では司令室は窮屈だったが、“ボス”の意見も取り入れたかったので、それを覚悟で司令室で打ち合わせを行うことにしたのだ。
 ひとまずせつなが、過去で調査してきたことの報告を、掻い摘んで行った。
「魔女ナイルか……。確かに、そんなやつがいたかもしれない」
 腕組みをしたまま、新月は肯いた。アビスやネヘレニアほど厄介な相手ではなかったと思うと、付け加えた。
「その封印されていたナイルって魔女がこの時代で復活をして、セレニティの生まれ変わりであるうさぎに復讐をしようっていうわけか? くだらない」
 吐き捨てるようになびきは言った。
「違うな。わたしはナイルの目的は別のところにあると思う」
“ボス”だった。
「じゃあなんだ?」
 まことが聞き返した。考えを否定された形になったなびきも、ピクリと眉を跳ね上げて、“ボス”の意見に注目した。
「過去のプリンセス・セレニティと区別するために、現在のプリンセスを『うさぎ』と呼ばせてもらう」
“ボス”はまず、そう前置きをした。“ボス”は常々、うさぎのことを「プリンセス」と呼んでいるからだ。
「今のナイルは、アビスやネヘレニアと状況が違う。封印された魔女たちの本来の復讐すべき相手は、自分を封印した者―――(すなわ)ちクイーン・セレニティだ。しかし、彼女はこの時代にはもういない。だから、アビスもネヘレニアも、復讐の矛先をプリンセスの転生したうさぎに向けた。言ってしまえば、うさぎはとばっちり(・・・・・)を受けたわけだ。しかし、今回は違う。どんな方法を使っているのか分からないが、ナイルの手下たちは時間を移動することができる。ナイルがこの時代で復活した場合、やつはどうすると思う?」
「そうか……。時間を飛び越えられるなら、過去へと戻って直接クイーン・セレニティに報復をするか」
 大道寺は納得したように、三度首を縦に振った。
「確かにそうだ。やつが、うさぎを標的にする理由は何もない。と言うより、うさぎを標的にしても意味がない」
 新月も肯いた。
「とは言え、過去に行かせるわけにはいかないわ。歴史が変わってしまうもの」
 時間の守護者であるせつなとしては、至極当然の意見である。
「警戒すべきは、ディアナの方だと思う」
 アルテミスはうさぎを見ていた。
「ディアナは大変な誤解をしている。その誤解を解かない限り、ディアナはうさぎを狙うだろう」
「説得できるとすれば、それはルナだけね」
 レイは言った。しかし、そのルナはこの場にはいない。
「ルナは大丈夫かな」
 うさぎがポツリと言った。こんな時でも、うさぎは自分の身ではなくルナの身の方を心配していた。
「ルナは無事だよ。ただ、どこかに軟禁されている可能性が高い。俺に心当たりがある。任せてくれ。ルナは俺が責任を持って救出してくる」
 この時ばかりは、普段は頼りないアルテミスが、とても頼もしく見えた。
「彼女は利用されているだけだ。我々の目をディアナに向けさせておいて、手下たちはナイルの封印を解くことに全力を注ぐつもりなのだろう」
“ボス”は言った。