月野家の朝はいつも騒々しい。
 その原因を作っているのは、いつも決まった人物である。
 バタバタという慌ただしい足音と共に二階から転がるように降りてきたその騒動の元凶―――うさぎは、既に食卓に用意されている朝食用のトーストを口に(くわ)えると、並べて置いてある弁当箱を素早く鞄にしまい込む。
「行ってきま〜すっ!」
 右手で摘んでトーストを口から一端放すと、間延びした声でうさぎは両親にそう告げる。
「はい、行っといで」
 謙之の声を背中で聞きながら、うさぎは文字通り脱兎の如く玄関を飛び出していく。ベッドで目覚めてから玄関を出るまでジャスト五分。毎日一秒の狂いもないから驚きである。
「あの素早さは、誰に似たんだろうねぇ」
 食後のホットコーヒーを飲みながら、経済新聞に目を通している謙之は、毎朝決まってそう呟く。
「あれでしっかり身支度が出来てるんですから、神業よですねぇ」
 育子は決まってそう答える。娘の寝坊癖も、もうここまで来てしまうと怒る気にもなれない。それでも中学の頃はうるさく小言を言ったものだが、高校に進学してからも一向に治る気配がないので、とうとう根負けしてしまった。遅刻が続けばそれでも怒れるのだが、いつもギリギリで間に合ってしまうのだ。「遅刻常習犯」という不名誉な肩書きは、今のうさぎにはない。その代わり、「八時二十九分の女」とクラスメイトにあだ名されているらしい。
「あの足の速さは、誰に似たんだろうねぇ」
「日々の積み重ねですよ。きっと、勉強もあれくらい必死になってやってくれれば、もう少し成績も上がるんでしょうけどねぇ」
 食器を洗いながら、育子はぼやく。
 最近のうさぎの脚力は、ちょっと馬鹿に出来ない。毎朝十番高校まで全力疾走していれば、嫌でも脚力が付くというものだ。
「あ、でも美奈子ちゃんには(かな)わないって言ってたかしら……」
「どっちのことだい?」
「もちろん、足の速さの方ですよ」
 いつもと変わらない月野家の会話をBGMに、ルナはキッチンの隅っこで黙々と朝食を取るのが最近の日課となっていた。いつもならこの後、謙之が仕事に出掛け、育子はリビングで一息付いてから掃除や洗濯を始めるのである。
 しかし、この日はいつもと違っていた。

 うさぎはその連絡を、一時限目開始直前の教室で聞いた。
 職員室に戻ったはずの田町右子先生が、大慌てで教室に駆け戻ってきたのだ。
 うさぎは取るものも取り敢えず、右子先生の運転する軽自動車で十番病院へと向かった。
 真っ青になって病室に駆け込んだうさぎを待っていたのは、ベッドの上でテレビを見ながら大笑いをしている育子の姿だった。
「あらうさぎ。早かったのねぇ」
 娘の顔を見るなり、育子はあっけらかんとそう言ってきた。
「早かったのねぇ、じゃなくってママ……。ぜんぜん元気そうじゃん」
「パパが大袈裟すぎるのよぉ。ちょっと貧血で倒れたくらいで、真っ青になって救急車呼ぶんだもの」
「ひ、貧血ぅ……!?」
 こっちの方が貧血を起こしそうだと、うさぎは思った。その場に、へなへなとへたり込む。
「ママっ! ……って、アレ?」
 少し遅れて病室に駆け込んできた進悟は、一歩入ったところで棒立ちになってしまった。
「えっと……。倒れたのって、馬鹿うさぎの方だったっけ?」
 どう見てもうさぎの方が具合が悪そうに見えたから、進悟は思わずそう尋ねていた。

「育子ママはどうだった?」
 学校に戻るべく、病院の玄関を出てきたうさぎの足下に、ルナが走り寄ってきた。どうやらルナも、心配で病院まで付いてきたらしい。育子が倒れたその場に居合わせたのだから、ルナとしても容態が心配なのだ。
「ただの貧血だって。寿命が百年縮まったわよ……」
 うさぎは嘆息しながら、下に顔を向けてきた。
「でも、貧血だって馬鹿にできないのよ。この際だから、きちんと検査を受けた方がいいわ」
「ママはそんなつもりないみたいよ。すぐ家に帰るって」
「そうは問屋が卸さないわ。さっき看護婦に変装して謙之パパに忠告したから、きっと今ごろは検査入院の手続きをしているはずよ」
「お〜お。手際がよろしいことで」
 ルナが言うには、ルナが月野家に来てからというもの、育子ママは一度も検査らしい検査をしていないと言うのだ。
「パパは定期的に人間ドックに行ってるけど、そう言われてみれば、ママはお腹痛いときくらいしか病院に行かないもんなぁ……。寝てれば治るって言って、風邪くらいじゃ行かないし。虫歯もないくらいだから」
「でしょ? 風邪は万病の元なんだから。素人判断はよくないのよ」
 虫歯はこの際関係ないと思うのだが、それくらい育子ママは病院に縁のない人なのだ。
「だよね。家のことしっかり出来る人がいれば、ママも安心して病院に行けるんだけどね〜」
「う、うさぎちゃん、しみじみ言わないの……。それ、あなたがやるべきなのよ?」
「あ、そっか!」
「おいおい……」
 これでは育子ママは、おちおち病気にもなれない。
「……あたしにとっても、育子ママはお母さんだから、健康でいてほしいもの」
 うさぎの足下にくっついて歩きながら、ルナはポツリと言った。
「そう言えばさぁ……」
 うさぎは立ち止まる。
「ルナにもお母さんいるんだよね」
「うん……」
「会いたい?」
「無理よ」
「どうして? マウ星に帰れば……あっ」
 そこまで言って、うさぎは気付く。ルナは気の遠くなるような昔に、クイーン・セレニティによってコールドスリープ状態で地球に送り込まれ、そしてこの時代で目覚めたのだった。本来彼女が生きていた時代とは、全く違う時代にいるのだ。故郷のマウ星は存在しているだろうが、彼女の肉親や親しかった人々は、この時代にはいないのである。
「ゴメン。全然気にしたことなかった……」
「いいのよ。あたしもアルも、もう割り切ってるから。それに、今のあたしの家族は、うさぎちゃんたち月野家の人たちだもの」
 ルナのその言葉で、うさぎは救われたような気持ちになった。

 せつなが司令室に降りていくと、居眠りをしていたらしいアルテミスが、寝ぼけた顔で出迎えてくれた。
 薄暗かった司令室に明かりが灯った。機器類も、思い出したように動き出す。どうやら、“ボス”も居眠りをしていたらしい。平和なときだからこそ、こんなにものんびりできるのだ。
「退屈だから遊びに来た……って顔じゃないな」
 アルテミスは、鋭くせつなの表情を読み取った。その通り、せつなは司令室に遊びに来たわけではない。
「何者かが、あたしの守る“時空の扉”を通らずに、この時代にやってきたわ」
 せつなは回りくどい言い方をしなかった。
 カタカタと機器類が音を放ち始めた。“ボス”が計測を始めたようだ。
「どっちからだ?」
 アルテミスは問い返す。未来からの侵入(ダイブ)か、それとも過去からの跳躍(ジャンプ)なのかという意味だ。
跳躍(ジャンプ)よ」
 きっぱりと言い切る感じで、せつなは答えた。アルテミスは面白くなさそうに表情を歪めた。
「人数は分かるか?」
「たぶん四〜五人ってとこね」
「あの時代からか?」
「ええ」
 アルテミスの言う「あの時代」とは、シルバー・ミレニアムが存在していた時代のことだ。
「狙いはうさぎか? いや、うさぎの持つ銀水晶か……」
 アルテミスは髭をピンと張った。
「そうとは言い切れないわ」
 何か含みを持たせる言い方だった。アルテミスは敏感にそれを感じ取る。
「何か気になることでも?」
「実は、何度か同じゲートが開いているの」
「ん? 言ってる意味が、よく分からないが……」
「この時代と、向こうの時代のある一定の時期に、既に往来できる“道”が出来ているの」
「何度か行き来した連中がいるってことか? せつなの知らない間に」
「いいえ、あたしは知っているわ。あたしも通ってるのよ、実はね」
「分かるように説明してくれないかな?」
 せつなの言葉の意味が理解できないアルテミスは、困ったように顔を掻いた。

「分かった。じゃ」
 はるかはそう言って受話器を置くと、そのままの姿勢で少し待った。予想通り、受話器を置いた直後にベルが鳴る。ワンベルで受話器を取った。
「お待ちしておりました、みちるサマ」
 相手が誰かを確かめる前に、はるかはそう言った。このタイミングで掛かってくるとしたら、彼女以外考えられなかったからだ。
「掛けてくれればよかったのに」
 これまた予想通りの反応を、みちるは示した。少し不満そうだ。はるかは笑みを浮かべると、
「たった今、ほたるとの電話を終えたところよ」
 言い訳がましくならないような口調で、そう答えた。受話器を通して、みちるの小さな吐息が流れてくる。
「じゃあ、いいタイミングだったわけね?」
 みちるの声は、先程より弾んで聞こえた。
「まるで見ていたんじゃないかって思うくらいのタイミングだったよ」
「以心伝心かしら」
 受話器の向こうで、みちるが楽しげにクスリと笑ったのが分かった。はるかは、こうしたみちるの「七色の反応」を楽しむのも好きだった。
「どこで落ち合う?」
 ほたるからの電話の内容を吟味する必要はなかった。わざわざ、自分たち(・・・・)に連絡が来たということは、それ程の事態と考えるべきなのだ。
「パリでいいんじゃないかしら。シャルル・ド・ゴール空港のロビーって言うのは?」
「ん? 公共機関を使うのか? 変身して飛んで行った方が早いよ?」
「力は蓄えておく必要があると思うけど? それに、慌てて行ったって、何もできないわよ。ほたるの話じゃ、今はまだ、情報が不足している段階らしいし……。飛行機を使って、少しゆっくり行けば、あたしたちが成田に着く頃には、ちょうどいいくらいに情報が集まってると思うわよ」
 なるほど、みちるはよく考えている。はるかは納得した。とは言え、何となく、楽をしようとしているだけではないかという考えも、脳裏を掠めた。情報収集活動に自分たちも加わった方がいいような気もするのだが……。
「細かいこと考えないの、はるか」
 はるかの考えを見透かしているかのように、みちるが鋭く言ってくる。アレコレと考えていた、はるかの思考が中断する。
「図星?」
 ひと言だけで訊いてみた。意味は、みちるの方がよく分かるはずだ。
「何が?」
 空惚けたような、みちるの返答が返ってくる。その通りだったらしい。はるかは苦笑いする。
「OK、そうしましょ。あたしの方が先に空港に着くと思うから、チケットは揃えておく」
「ありがとう、助かるわ」
「立て替えておくだけだ……」
 最後の「よ」を言う前に、電話は切れてしまった。はるかは受話器を耳から放し、ジロリと睨む。
「みちるのやつ。飛行機代、払わない気だな……」
 最近のみちるさんは、とてもしたたかである。

 ドイツはまだ深夜だった。
 遠慮がちにドアがノックされる音を耳にして、衛は目を覚ました。枕元の電子時計に目を向けると、「2:17」とグリーンの数字が闇に浮かび上がって見える。
 ドアの向こうの人物は、衛が目を覚ましたらしいことを気配で感じ取った。
「衛さん」
 聞き覚えのある声が、小さく聞こえた。
 衛はベッドから身を起こすと電灯のスイッチを入れ、玄関に向かうとドアを開けた。
「すみません、こんな時間に」
 申し訳なさそうな亜美の顔が、そこにあった。その後ろに、もうひとつ人影が揺らめく。来訪者は亜美ひとりだけではなかった。
「夜這いに来たわ」
 亜美の後ろで、忍が怪しく微笑んだ。

「そう言われれば、四人ともそんな話をしていたな」
 せつなの説明を聞き終えたアルテミスは、合点がいったように三度顎を引いた。
「それじゃあ、うさぎももなかたちも、向こうの似たような時期に飛ばされていたということになるのか?」
「似たような時期じゃないわ。全く同じ日よ。うさぎが飛ばされた同じ日に、もなかたちも飛ばされているの。場所は随分と離れていたみたいだけどね」
「ふむ……」
「こっちの時代では一年くらいの開きがあったから、あたしもすぐにはふたつの事件の関連性に気が付かなかったの。うさぎを迎えに行ったのがスモール・レディじゃなくてあたしだったら、もう少し早く気付いたんでしょうけど」
「全く関連性がないとないと思われていたふたつの事件は、実は根は同じだったということになるのか……」
 アルテミスは唸った。約一年程前、うさぎが突如として過去にタイムスリップしてしまったという事件が起こった。最終的にはちびうさが三十世紀から救出に向かって事なきを得たが、うさぎはその時に、プリンセス・セレニティ抹殺を目論む相手と遭遇したと言っていた。その仮定で、ちびうさは別の事件を解決していた。自称地球国の王女とやらを悪漢の手から救ったというのだ。地球国の王女と言えば、すなわちプリンセス・アーシェ―――今の操だ。そして先日、もなかたちも過去へと飛ばされ、結果的に過去の自分―――フレイヤを救う活躍をした。
「プリンセス・セレニティ、プリンセス・アーシェ、そしてフレイヤ。何か引っ掛かるな」
 アルテミスは喉に小骨でも刺さったかのように、不機嫌そうな顔をした。
「今のところ、二十世紀(こっち)では何も起こっていないようだけど、用心に超したことはないわ」
「何を用心するって?」
 そのぶっきらぼうに投げ掛けられた言葉に、アルテミスとせつなは思わず声を上げて驚いてしまった。
「そんなに驚かないでよ……」
 声を掛けたなびきの方が困ってしまった。

 衛の部屋に入った亜美と忍は、衛が入れてくれたホットコーヒーを飲んで、一息付いたところだった。
「しかし、よくブレンダの部屋の前を、無事に通過してきたな」
 衛はちょっと肩を(すく)めて笑った。ブレンダとは、自称「衛の恋人」の女子大生である。衛の部屋を訪問しようとする女性に対しては、犬の嗅覚並みに敏感で、昼夜を問わず妨害を企てるのである。亜美も初めて衛のアパートを訪問した際に被害に遭っている。
 衛の借りている部屋は二階にある。階段がひとつしかないので、衛の部屋に行くためには、どうしもブレンダの部屋の前を通過しなければいけないのだ。
「今日は忍さんが一緒ですから」
 亜美は意味深げに笑い、チロリと舌を出した。
「おいおい、手荒なことはしてないだろうな?」
 衛が忍に顔を向けると、忍はソッポを向き、
「妖術でぐっすり眠ってもらったわ。明日の昼頃までは目が覚めないはずよ」
 うそぶくように言った。
「永遠に起きないなんてことはないんだろうな?」
 衛としてはヒヤヒヤものである。忍の行動は、時として過激すぎる。
「地場クンにちょっかい出してるって亜美に聞いたから、本当はそうしようかとも思ったんだけどね。今回はやめといた」
「今回は、かよ……」
 衛は項垂れる。忍の横に座っている亜美も、困ったように微苦笑した。
「それで、こんな時間にわざわざ来ると言うことは、俺たちが動かなければいけないような事件が発生したのか? しかも、とても意外な組み合わせで来るほど……」
 亜美と忍という組み合わせも珍しい。どちらかと言えば、亜美たち四守護神と忍は犬猿の仲だと思っていたからだ。
「あたしひとりで来るつもりだったんだけどね。あたしひとりじゃ危ないってさ」
 忍は肩を竦めた。
「おいおい。信用ないんだな」
「あたしにね」
「?」
「あたしが地場クンを襲うかもしれないから」
「……」
 何だかあり得そうな気がして、腕に鳥肌が立った。
「あたしの妖術で眠らせて、じっくり、たっぷり、ねっとり……」
「し、忍さん。目がマジですけどぉ……」
「あ、あのね、キミたち。俺んトコに漫才しに来たわけ? しかも、わざわざ夜中に」
 衛としては、早く本題に入ってもらいたいのだ。

 結局、育子ママは一日だけ検査入院することになった。
「で、やっぱりあたしがお夕飯作るのよね?」
「もちろん!」
 うさぎはニコニコしながら肯き、人間体となったルナにエプロンを手渡した。
「あたしが作ってもいいんなら作るけどね。全員分」
 うさぎはニコーッと嫌な笑いを作る。ルナは項垂れ、
「いいわよ、分かったわよ、あたしが作るわよ」
 諦めたように力なく答えた。うさぎの殺人的な料理を、謙之パパや進悟に食べさせるわけにはいかない。もちろん、自分も食べたくない。
「ところでさぁ。アルテミスも帰って来てるのよね?」
 トボトボとキッチンに向かうルナの背中に、リビングのソファで優雅に煎餅を頬張りながらうさぎは訊いた。
「美奈子ちゃんと一緒に帰ってきてるはずよ。美奈子ちゃんは知っての通り、タッくんと温泉に行っちゃってるけど、アルは司令室で留守番してるわ。置いてけぼり食らって、ふて腐れてるんじゃないかしら」
 父親の仕事の都合で、現在フランスのパリに在住の美奈子だったが、清宮(カレシ)とデートをするために日本に帰って来ているのだ。司令室でふて腐れているアルテミスの姿を想像したのだろう、ルナは小さく笑った。
「美奈Pたち、どこの温泉に行ったんだっけ?」
「中伊豆の方じゃなかったかしらね。天城越えがどうとか言ってたから。この季節、紅葉も綺麗よ」
「いいわよねぇ、ふたりっきりで旅行なんて。まぁもちゃんは、ちっともあたしを旅行に誘ってくれないのにぃ」
「まもちゃんは、意外と出不精なところがあるわよね。あ、そうそう、美奈子ちゃん、ふたりっきりじゃないわよ」
「え?」
「美園クンのお目付役付き」
「あらまぁ。ご愁傷様、美奈P」
 うさぎは窓の外に向かって手を合わせた。

「ふむ……」
 忍の話を聞き終えた衛は、顎を撫でて低く唸った。
「あたしの水晶は、嘘を付かない」
 衛が半信半疑のようだったので、忍は念を押すように言った。衛はチラリと亜美を見た。亜美の考えも聞きたかった。
「衛さんの言いたいことも分かります。正直、あたしも最初は信じてませんでしたから……。でも、せつなさんに確認を取りました」
 亜美は言った。忍の水晶が示したのは、時空の歪みだった。何者かが、過去から現代に侵入してきたと、忍は断言した。
「せつなさんが知っているとなると、過去のいつの時代からの侵入者なのか、もう特定はできているっていうことなのだな? ふたりが俺のところに来たのは、その為か……」
 せつなの名前が出た時点で、衛は全てを納得した。時空の守護者であるせつな―――セーラープルートなら、侵入者の軌跡を辿って出発点を特定することは容易だろう。その出発点が問題なのだと、衛はすぐに理解した。
あの時代(・・・・)から、何者かがこの時代にやって来た。しかも、真っ直ぐに麻布十番を目指してね」
 少し俯き加減だった忍は、そう言いながら目だけを衛に向けた。あの時代から、ここを目指して跳躍(ジャンプ)して来たとなると、狙いは(おの)ずと絞れてくる。
「分かった。すぐに日本に帰るとしよう」
 衛は立ち上がった。決断は早かった。
「どうやら、事の重大さを分かってくれたようね」
 小さく微笑んでから、忍も立ち上がる。
「行くわよ、亜美」
 忍は腰を据えたままの亜美を見下ろした。
「今からですか!?」
 亜美が驚いて顔を上げた。亜美としては、ひとまず衛に知らせに来ただけで、すぐに出立するとは思っていなかった。そんな準備などしていないし、それにこの時間ではまだ飛行機も飛ばない。
「もちろん、今からよ」
 しかし忍は、平然とした顔で答えてきた。衛もそのつもりらしい。
「だ、だけどこの時間じゃ飛行機がありませんよ!? それに、あたし旅費も工面しなきゃいけないし……」
「亜美ぃ。なに現実的なこと行ってるのよ!? あたしたちは、何者かしら?」
 忍は首を僅かに右に傾けた。蠱惑的な笑みを浮かべる。
「え!? ま、まさか……」
「そのまさかよ」
 忍は右手の人差し指を立てた。どうやら、変身して自力で日本まで飛んで行こうと言うことらしい。