猫の神様は云いました
 遠い、遠い、太陽よりももっと遠い
 はるか彼方の青い星を見つめてる
 白い小さな星の国に
 可愛い、可愛いお姫様が生まれました
 そのお姫様はまだ小さく、とても弱い存在だから、
 あなたが側で守ってあげなければいけないの

 幼い猫は訊きました
 どうしてわたしが行かなければいけないの?
 わたしも小さく弱いから、とてもお姫様を御守りすることはできません

 猫の神様は云いました
 ならば御守りとして、あなたにこの星の欠片を授けましょう
 大切に育んでいれば、きっとあなたの役に立つわ
 四つの力を束ねなさい
 悪い悪い魔女の手から
 束ねた力で、お姫様を守るのです












「どういうことでしょうか?」
 ルナは大きな瞳に不安げな色を浮かべて、玉座のクイーン・セレニティを見上げた。
「四守護神を束ねるのは、わたしの役目ではなかったのですか? そのために、わたしははるかマウ星から、シルバー・ミレニアムに遣わされたはずですが……?」
「申し訳なく思います。ですが、火急の事態なのです。アフロディアをこの宮殿に迎え入れるためには、相応の理由が必要なのです」
 クイーン・セレニティとしても苦渋の選択だったのだろう。思い悩んだ末の結論であることが、その表情から読み取ることができる。
「マゼラン・キャッスルの事情は理解しているつもりです。ですが……!」
「セーラーマウには、ご理解を頂きました」
「!?」
 理解は出来る。しかし、納得は出来ない。ルナは言葉を失いながらも、恐れ多くもクイーン・セレニティの顔をジッと睨むようにして見つめてしまった。しかし、そのことについて、クイーン・セレニティは(とが)めることはなかった。ルナもすぐに自分の行為に気付き、慌てて顔を下に向けた。
「……分かりました」
 ルナは落胆したように、ゆるゆると頭を左右に振った。セーラーマウが承知したというのならば、自分が強硬に拒否できるわけもない。ルナは半ば失望したように、自分では気付かぬうちに小さな溜息を付いた。
「わたしはどうすればよろしいのでしょうか? マウ星に戻れと?」
「あなたの気持ち次第です。……同じマウ星からお預かりしているアルテミスも、アフロディアとともにこの宮殿に来ることになっています。あなたにはアルテミスとともに、わたしの側に仕えてもらおうと思っています」
「クイーンのお側に!?」
「ですが、その為には今のその姿のままではいられません。マウ星における神獣の姿で仕えてもらわねばなりません。あなたには辛い選択になるでしょうから、充分に考えてから答えを聞かせてください。結果的にシルバー・ミレニアムを去ることになっても、それは不名誉なことではありませんよ。あなたの心を尊重します」

「マウ! セーラーマウ!! どういうこと!? 何故あの子が四守護神ではないの!?」
 宮殿の中庭で星空を眺めていたセーラーマウの背中に、突き刺さるような声が浴びせられた。セーラーマウはひとつ深呼吸をしてから、その不躾(ぶしつけ)な来訪者に向かって体を巡らした。
 とても険しい表情をした顔が、自分を睨んでいた。
そういう約束(・・・・・・)だったから、あたしはあの子をシルバー・ミレニアムなんかに行かせたのよ。どういうことなの? 説明して頂戴」
「ディアナ……」
「神獣の姿になって、女王の側で仕えるですって!? そんな惨めな扱いを、あなたは認めたの!? あの子が可哀想だわ!」
「惨めではありません」
 努めて柔らかい声で、セーラーマウは答えた。自分まで感情的になってはいけない。それではディアナの神経を逆撫でするだけだ。セーラーマウは自分の本当の心を押し殺す。
女王(クイーン)の側に仕えるということは、王女(プリンセス)に仕えるより名誉なことよ」
「でも、何故神獣の姿なの? このままの姿(・・・・・・)では、何故いけないの?」
 ディアナは執拗に食い下がった。その勢いに気圧されそうになりながらも、セーラーマウは冷静に応対する。
「シルバー・ミレニアムには、シルバー・ミレニアムのしきたりがあるわ」
「あの子を呼び戻すわ!」
「ルナが自分で決断したことよ」
「認めさせられたに決まっているわ! あの一族はいつもそう。あたしたちを使い捨ての奴隷としか考えていない」
「誤解よ、ディアナ」
「アポロンやアルテミスだって、人質に取られたようなものじゃない! あなたは平気なの!? (キング)に仕えたアポロンはどうなったの? (キング)の盾となって、戦死したじゃない!」
 ディアナの言葉は、セーラーマウの心に重くのし掛かる。沈痛な表情をディアナには見られまいと、セーラーマウは顔を下に向けた。
「あなたは平気なの!?」
 ディアナは再び問う。平気なわけはない。だが、その思いを今この場で口にするわけにはいかない。ディアナの鋭い声が畳み掛ける。
「あなたの子供たちでしょう!?」
「……」
 セーラーマウは唇の震えを抑えるように、きつく噛み締めた。涙を飲み込むようにゴクリと喉を小さく鳴らすと、ゆっくりと顔を上げた。
「わたしは、そんな風に考えたことはないわ。落ち着きなさい」
 全ての感情を押し殺して、セーラーマウは諭すように言った。僅かな間、ディアナとは睨み合いになった。ややあって、ディアナはくるりと体を巡らすと、
「シルバー・ミレニアムに行くわ」
 うわごとのような口調でそう言った。
「行って、ルナ(あのこ)に直接確かめて来るわ」
セーラーマウは止めなかった。唇を真一文字に結んだまま、遠ざかっていくディアナの背中をただ黙って見つめていた。

 シルバー・ミレニアムに到着したディアナを出迎えたのは、愛娘のルナでも憎きクイーン・セレニティでもなかった。
 見渡す限りの石の世界が、目の前には広がっていた。そこには、美しいシルバー・ミレニアムの宮殿もなければ、幸せそうに暮らす人々の姿もない。生命を感じることのない無機質な空間が、ただただのっぺりと広がっているだけだった。
 見上げれば、青く輝く美しい星が、最も近くて最も遠い、その隣国で起こった出来事など知らぬかのように素っ気なく、それでいて圧倒的な存在感を見せ付けるように浮かんでいた。
「ここは、どこ……?」
 ディアナは、思わずそう呟かざるにいられなかった。自分はシルバー・ミレニアムに来たはずだ。娘の暮らす、「銀の輝きに守られた王国」に来たはずだ。しかし、そんなものはどこにも見当たらない。
「シルバー・ミレニアムはどこ?」
 ふらふらとした足取りで、ディアナは灰色の巨石の世界を歩く。よく見ると、巨石だと思われたそれは、崩壊した建物の一部だということが分かった。深呼吸をしてから、ゆっくりと辺りを見回してみた。
 今自分が立っている場所は、宮殿前広場だと思えた。この造りには見覚えがある。
 右手に見えるのは、噴水の跡だろう。そうすると、左手に見える段の付いている巨石は、宮殿へと向かう階段の一部ということになる。
 あったのだ。ここに。シルバー・ミレニアムが。しかし、
「シルバー・ミレニアムが滅んだ?」
 その考えを口にして初めて、ディアナは実感と共にそれを感じた。知らず知らずのうちに、体が震えていた。
 繁栄を誇っていたシルバー・ミレニアムが、僅か数日のうちに滅んでしまっている。それも、見るも無惨な状態で。
 単純に、ひとつの国家が滅んだとは言えない状態だった。自分がマウ星を出発してからここに到着するまでの間に、何かが起こったのだ。
「ルナは? ルナはどこ……?」
 ディアナはルナの姿を求めて歩き出した。
「ルナ……! あたしの娘はどこ!?」
 足下に散らばっている石に何度も足を取られそうになりながらも、ディアナは必死にルナの姿を捜した。しかし、この声は虚しく響くだけだった。
「セレニティ! クイーン・セレニティ!! 説明なさい! これはどういうこと!? シルバー・ミレニアムは、どこに消えてしまったのよ!? ルナはどこに行ってしまったのよ!?」
 ディアナは半狂乱になって叫んだ。しかしこの声は、虚空に虚しく響くだけだった。
 崩れるように、その場に膝を突いた。
「ルナはどこよ……」
 力なくそう呟いたときに、遙か前方に青白い光が瞬いたのが見えた。初めは錯覚だと思った。だがそのまま見続けていると、不規則に何度も点滅を繰り返しているらしいことが分かった。
 ディアナは勇気を振り絞って立ち上がり、その方向に向かって歩き始めた。
 歩調は次第に早くなり、自覚した頃には小走りになっていた。
 その輝きが何なのか想像すらできなかったが、虚無の世界にあって、この輝きが文字通りの光明のような気がして、ディアナはひたすら走った。確かめなければならない。その光が何であるのか。そして、ディアナは辿り着いた。
 それは直径が十センチほどの水晶玉だった。地面の上に、ポツンと転がっていた。ゴツゴツとした醜い地面に不釣り合いなほど、その水晶玉は美しかった。
 ディアナが近付くと、しぼんでいくように青い光が弱まっていく。
「お願い、消えないで!」
 (すが)るように叫んで、ディアナは水晶玉に向かって右手を伸ばした。まるでその声が分かったかのように、水晶玉から凄まじい閃光が放たれた。
「!」
 ディアナは伸ばしていた右手を引っ込め、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。
「……可哀想に」
 そんな声が、左耳から侵入して右耳から飛び出していった。ディアナはハッとなって顔を覆っていた手を放し、顔を正面に向けた。
 強い光をまともに見てしまったせいだろう。そこにあったはずの水晶玉が見えないほど、目が闇を受け入れられないでいた。
 ディアナは何度も瞬きをする。少しずつ、目が闇に慣れてくる。
 水晶はあった。しかし、初めて見たときと同じ位置にはなかった。
 いつの間にか水晶玉は浮かび上がり、自分の目の高さの位置に漂っていた。淡く、青い光を放ちながら。
「可哀想に」
 今度ははっきりと聞こえた。女性の声だ。ディアナは弾かれたように振り返った。声が背後から聞こえたからだ。
「あなたの悲しみはよく分かる」
 今度は別の方向から声が聞こえた。先程と同じ声だ。ディアナはその声を追うように体を巡らせる。三度目の「可哀想に」は、水晶玉から聞こえてきた。まさかとは思いながらも、ディアナは水晶玉を見据えた。
「わたしを見付けてくれてありがとう」
 はっきりと、水晶玉から声が響いた。ディアナが驚いて目を見開くと、水晶玉から白い(もや)のようなものが湧き出てきて、水晶玉を包み込みながら人の形を形成していった。くびれたウエストと丸みを帯びた腰のライン、ふくよかな胸は大人の女性のシルエットだ。安定さをやや欠いてはいるが、白い靄は完全に人の形になった。
「初めまして異国の方」
 人型の靄は、お辞儀をするように腰を前に折った。
「これは……」
 事態がまだ飲み込めていないディアナは、狼狽えたように小刻みに瞬きを繰り返した。
「わたしは虚無の女王ナイル」
「虚無の女王……」
「わたしの実体は、あるところに封印されているわ。この水晶には、わたしの魂の一部が宿っているの」
「封印……。魂の一部?」
「わたしはクイーン・セレニティによって実体を封印されてしまった」
「クイーン・セレニティ!?」
「あなたも憎いでしょう? クイーン・セレニティが」
「あたしは……!?」
「あなたの心の声を聞いたわ。わたしはそれに共鳴して目覚めた……。あなたは知りたいのでしょう? シルバー・ミレニアムが何故滅んだのか」
「あなたは知ってると言うの!?」
「もちろんよ。わたしはこの水晶の中から全てを見ていたわ。愚かなプリンセスの愚かな恋から生まれた愚かな物語の一部始終をね」
「プリンセスが……」
「聴かせてあげるわ、わたしの話を。さぁ、もっと近くにいらっしゃい。ゆっくりと話して聴かせてあげるから……」