ACT2 闇と光の(はざま)で  (Part14)


 薄明かりの空間のなかに、石造りの玉座がぼんやりと浮かんでいた。
 人影がひとつ、そこに座していた。気配も、精気も感じさせることなく。
 不意に、空間に光が灯った。
 その玉座にまで続く道が、両脇を固める燭台の火で照らし出される。
 先ほどまで判然としなかった空間に、半透明で青白い煌きを反射させる水晶による石畳、柱という造りが姿を現す。不気味なまでに幻想的な神殿の内部。
 人影が揺れた。顎を上げ、ゆっくりと目を開ける。
 その所作がなければ、精緻なマネキン人形と言っても差し支えないような蒼白な肌で、余計な肉を取り除いた如く細い身体の持ち主であった。中性的な容姿も、幻想的な空間の雰囲気と相俟って、生者ではあらざる美しさを醸し出していた。
 シルクのように白く滑らかな前髪の合間から、ホリーグリーンの瞳が覗いた。
「メタルス……か……」
 鋭さを秘めた、よく通る硬質な声――男性であった。
 漆黒の髪と共に、身に纏う白いマントを靡かせ、メタルスは本来の姿で歩いて来る。
「女王は、まだおやすみかな」
「ご神託を欲するか」
「質問に、質問で返すかな。お前が我々に指図できるのは、ミネルヴァ様の大切な依憑(よりしろ)だからだ。勘違いするな」
 メタルスは半笑いの唇から剣呑な気を洩らす。
「ならば、お前たちが歯向かえないことを利用させてもらうまで」
 玉座に座る男は、メタルスの胸中など意に介さない素振りで、そう皮肉を返した。唇の笑みには、憂色が帯びていた。
「フォレスト……お前は安易に動くな。それを告げに来た」
 冷厳な視線と共に、そんな諫言を投げて、メタルスが背を向けようとしたときであった。場の空気が一変したのをメタルスは感知した。慌てて、玉座のほうに向き直り、跪く。
 そこにいるのは、紛れもなき王。
 フォレストは瞑目していた目を見開く。深緑から黄金に染め上がった双眸。
「地熱の残滓は()御子(みこ)に遺された……」
 放たれた声には、フォレストのものに女性の声が重複していた。不協和音故の、重苦しい響き。
 声は続けた。
「銀の光を血塗られた仮面で隠匿する小賢しい我が怨敵と共にある」
「ミネルヴァ様、ご心配召されるな。インフェルノのような失態は致しませぬ」
 首を垂れたまま言葉を唇に乗せるメタルスの態度は、恭順そのものであった。フォレストの身の内に降りた現在の主君に対するもの。
 ふと、荘厳なプレッシャーが玉座から感じられなくなった。
 メタルスが警戒するように、徐々に顔を上げると、フォレストが立って、こちらに歩いて来ていた。瞳の色は元のホリーグリーンに戻っている。
「女王は、私の浅慮などご存じだ……結局、私も、お前も、女王の掌中にあるのだよ……そう、彼女たちも」
 メタルスの横を通り過ぎる折、フォレストは告げる。嘲りを潜ませて。
 メタルスは警戒の色を一層濃くして、立ち上がりざまにフォレストの背中を見返す。表情を窺い知ることはできない。
「封印が解かれた暁には、女王(クイーン)の力は、あの月の女王に勝るとも劣らぬものとなろう……だからこそ、かつての悲劇を繰り返さぬためにも、“楔”が必要なのだ」
 フォレストはそのまま場を立ち去る。メタルスは思い詰めた表情で、立ち尽くしていた。
(まさか……な)
 フォレストの婉曲に、メタルスは戸惑っていた。フォレストの言うとおり、自分たちの生命はかりそめのもの、ミネルヴァの手に握られているに等しい。だというのに。
 おとなしく傀儡であればいいものを。
 不案材料が自分の身内から浮上して来たことに、メタルスは上唇を歪めた。しかし、女王に捧げるシナリオを中断することはない。

(凶兆の大星(たいせい)に会いたいか?)
 己の脳裏に響く女の声――女王ミネルヴァ。その言葉をフォレストは噛み締める。
(なるようにしかならない……この惑星(ほし)は闇に覆われ過ぎた……其方(そなた)の危惧は心に留めておく故……)
 語尾は既に掠れていた。ミネルヴァの意思が再び眠りについたのである。この世界に一刻も早く馴染むための調整期。
 フォレストは水晶の神殿を出る。
 淡い光を地肌そのものが放つ大規模な洞窟。清浄な空気が一面に立ち込めていた。
 この“聖地”であるからこそ、堕ち沈み溜まっていく闇の力を受け止めることができる。でなければ、“闇”にまみれながら自我を保つことは難しい。普通の人間のように、心も身体も化生するか、崩壊するか……。
 そのため、ここから産出する結晶を外界に持ち出すと、“闇”が浄化されることなく蓄えられたままで「闇水晶」となり、ピュアで清浄なエナジーを原動力として吸いながら、外界の闇を引き出す性質を発揮する。その性質をミネルヴァは利用した。
 彼等の魂に代わる「闇水晶」は、彼等の“守護者”たる肉体と相補して、かりそめの命としての機能を保っている。
 自らの肉体を顧みつつ、岩壁の一面にまでフォレストは歩を進める。
「こんな想いをするとは意外だ……」
 フォレストは自嘲気味に独白すると、岩壁を見上げた。
(貴方も、こんな想いをしたのだろう……?)
 命を投げ出してでも、会いたい人がいる。
(凶兆の大星……)
 心の中で呟いて、フォレストは哀切な表情を振り払うように、羽衣のように透き通って神秘的な反射光を照らすマントを強くはためかせて、痩身をくるりと反転させる。
 岩壁には、クリスタルの等身大結晶の中で死んだように眠るエンディミオンの姿があった。本来の、彼の肉体は、岩肌に半ば埋まった水晶内に、安置されていたのである。

「おや、今日は、紅堂さんと一緒じゃないんだ?」
 放課後、階段を降りていた兎和(とわ)に、上方から声がかかって来た。
 見上げると、手摺を境にした上の階段に、つかさがいた。改めて思うが、天才と言う割にはざっくばらんな口調で、イメージが違う。
 兎和が訝しげに思っていると、つかさが兎和の隣まで来ていた。
「今日は部活を休むそうです」
 同級生なのに、丁寧語が出てしまった。隣にいるのは、天才児なのである。
 実際、つかさが部活の勧誘を受け、バレーボール部に顔を出しているところを見物に行った兎和は、鍛えられたものであろう足腰のバネを見ている。
 勉強のほうでも、教師の英語の発音ミスを正したり、参考に出した難関私立高校の数学問題を解いたばかりか説明までこなしたなどの噂を伝え聞いている兎和は、ついつい畏まってしまう。
 そんな兎和がおかしかったのか、つかさに柔和な表情がよぎる。だが、すぐに頬を引き締めた。
「で、紅堂さんは、もう帰ったの?」
 詰問に近い言動であったので、兎和も少なからず動揺した面持ちで頷く。
 つかさは小さく舌を打った。
「また、火織ちゃんを連れ帰るとかいう件ですか?」
 つかさの落胆が思いの外大きかったので、兎和は思わず尋ねた。
「……まあね」
 兎和を連れる形で階段を降りながら、つかさは曖昧な表情で口を開いて肯定する。
「火織ちゃん、ホントに家出を……」
 あれ以来、火織に“家”のことを訊くのは尚更難しくなってしまった。ソルジャーマースとしての姿を持つ火織がどんな生活をしているのか、非常に興味があるけれど、“家”のことを話題にすると、途端に空気が刺々しくなるのである。これには、輝鈴も、兎和も参ってしまった。
 家のことで火織が、問題を抱えている証明とも言えようが……。
「友達に、輝鈴って()がいるんですけど、その娘にも協力してもらいましょうか?火織ちゃんも、きりんには心開いているみたいだし」
 兎和が話を切り出すと、つかさは瞠目した。
「心を開いている……あの()が、ね。その輝鈴って娘は、今どこ?」
「え、火織ちゃんと一緒に帰りましたけど」
 思案顔のつかさに、きょとんとしながら兎和は答える。
 すると、階段を降りていたつかさの足が止まった。半瞬後、やにわに軽捷な動作で手摺に身を乗せたつかさは、滑るようにして階下に降りていく。駆け下りるより早いが、伝え聞いた天才とまで謳われる優等生らしからぬ荒業に、兎和は舌を巻く。
 周囲の生徒も唖然としている。
「い、一体どうしたの?」
 手摺から身を乗り出し、階下を覗き込んだ兎和は一階に到着したつかさに叫んだ。
「急用!」
 つかさは一言叫び返すと、下駄箱のほうへ消えていった。
(まさか……)
 緊迫したつかさの声を聞き取った兎和も慌てて、階段を駆け下りる。
(響木さんは、火織ちゃんの正体を知っている?)
 彼女が火織に馴れ馴れしいのは、火織の本性を知っているという自負によるものか。
 「闇水晶」で、ピュアなエナジーを奪い、人を妖魔へと転じさせる『月闇』の民のひとり――ソルジャーマース。
 嫌な疑念が胸中に生じ、兎和は唾を飲み、踊り場を蹴るようにして、一階へと続く階段へと体勢を切り返して、つかさを追う。
(きりんと帰ったって言ったら、慌てて……)
 輝鈴の身が危ないということなのか。火織は『月闇』の一員なのだから。
(そんな考え過ぎだよ)
 兎和はかぶりを振る。
(だって、火織ちゃんは、きりんを助けてくれたんだよ)
 だが、どういう訳か「私の管轄内で、勝手な真似をして欲しくなかっただけ」という火織の言葉が脳裏によぎる。裏を返せば、自分が直に手を下すならば構わないということ!?
 兎和の心の叫びは自分へのものであった。火織を疑う自分がいることが嫌でたまらなかった。どうして、信じきれないのだろう。

 ふうっ、藍は新聞を鏡台の上に投げ出して、椅子の上で背を伸ばした。
「お疲れですか?やっぱり、水野さんは忙しいから。しょうがないですねえ」
 隣から、同じ事務所の後輩・生駒(いこま)いずみが声をかけて来た。関西人特有のアクセントも、もう聞き慣れた。
「そーゆーわけじゃないけどね」
 入念にネイルアートのチェックをしているいずみに、藍は虚空を睨みながら言葉を返した。
 妹分としてデビューが決まったいずみと一緒に、藍は音楽番組の収録に来ていた。同じ事務所、妹分としての売りこみもあり、同じ楽屋で出番待ちである。トークで共演することになっている。歌では、いずみは、まだまだ顔見せの立場であるが。
 藍は彼女に曲を提供している手前もあって、気にかけていないと言えば嘘になる。しかし、現在、一番彼女が気になっていることは別にある。
(偽者……か……)
 怪盗セーラーマーキュリーを騙る宝石泥棒の被害は、これまでのところ二件。しかし、これで収まるわけではないであろう。
 先ほど目を通した新聞に掲載された防犯カメラの映像を見る限り、格好はもとより、敏捷性まで比肩することが窺えた。単なる模倣犯、愉快犯というわけではないようである。
「ねえ、水野さん。トークって何話せばいいんですかあ?」
 心細そうに聞いて来るいずみを、さすがに無視することはできず、藍は椅子上で姿勢を正すと、安心させようと莞爾と笑う。営業スマイルの積み重ねで、笑顔は熟練の域である。
「スマイルが大事。あとは向こうから振ってくるから、真面目に考えて答えれば、いい印象が残るはず……あとは歌で勝負」
 藍は強い語調で言うと、拳を固めて、互いの面前に出す。
「よっしゃ、頑張りますっ」
 藍の力強さに引っ張られるようにして、いずみは元気良く答えると、促されるように藍の拳と己の拳をぶつけ合わせた。
 ドアがノックされる音が聞こえた。
 ふたりは相手のめどがついているので、間隙入れず応じる。
「どうぞ」
 案の定、開いたドアの隙間から波野マネージャーの顔を飛び出して来た。
「藍ちゃん、歌、出番だよっ」
「はい」
 藍は雑念を振り払うかのように勢い良く立ち上がると、はつらつとした表情で楽屋を出る。歌手活動に専念するように兎和に勧められたのだから。
 いずみは、物足りなさそうな顔でそんな藍を見送る。
 そんないずみの表情を汲み取った波野マネージャーは、気を利かせるつもりで言う。
「藍ちゃんの歌の収録、見に来るかい?」
「はいっ。是非っ」
 希望が叶って、いずみは嬉々として立ち上がる。レコーディング現場は何度か見学させてもらっているが、番組収録で歌う藍はまだ見たことがなかった。
 いい勉強になる。そのときまで、そう悠長に思っていたのである。

「負けられない」
 藍の歌う様を見たいずみが思わず洩らした第一声である。横の波野マネージャーに届かないくらい消え入りそうな声で。
 堂々と歌う藍の熱気に圧倒されていた。今までの藍から感じたことのなかった感情。
「今日の水野はいいね」
「ああ、自分の世界を広げようって精一杯さが伝わって来るよ。これまでは、ファッションリーダーって評価に自己満足してた感じがあったけど」
 現場の人間の声が、自我を声に乗せ始めた藍との差を否が応にも突きつける。
 隣でステージを見ている波野マネージャーも、藍には満足そうである。
 負けん気と、潜在していたに違いない藍へのコンプレックスが刺激されて、いずみは唇をきつく結ぶ。
「お疲れ様でした」
 歌の撮影を終えた藍は、スタッフに丁寧にお辞儀をしながら、波野といずみに歩み寄る。
「お、お疲れ様です」
 いずみは藍に抱いた敵愾心で、複雑な表情を隠すように、形式的に頭を下げて、労いの言葉をかける。
「いい見本になったかな、いずみちゃん、実力を発揮すれば、貴女にもこれぐらい――」
 気休めだ、そんな言葉。
「本番に備えて、精神統一して来ますぅ」
 藍の言葉を遮り、踵を返したいずみは、スタジオを足早に出て行く。いずみを追って来た湯浅マネージャーすら無視する勢いで。
 まだ若い湯浅は先端の茶色い髪をかきあげて、困惑した顔で波野に尋ねた。
「生駒、どうしたんスか?」
「う〜ん、裏目に出ちゃったか……藍ちゃんの歌いっぷり見て自信喪失しちゃったみたいだなあ」
 波野は困ったように頭の後ろを掻いて答える。
「え、そ、そんな」
 藍と湯浅は口を揃えた。藍は間接的に称えられた自分への謙遜も混じっているが、湯浅は本気で狼狽している。いずみの出来不出来が、彼の成績を左右するだけに、死活問題と言っても過言ではないから。
「歌唱力なら、いずみちゃん、最近急成長しているのに」
 藍は細い顎に拳を当て、思い返すようにしながら呟いた。社長に、曲の提供を依頼されたときはどうだと思ったが、この一週間のいずみのレベルアップを藍は高く評価していた。今や不満はなかったのだが。
「そーいや、新しいピアスにしたら、調子良くなったと言ってたしな。ベストの状態でも差が大きかったわけかあ」
 湯浅はそう言って、額に手を当て宙を仰いだ。
「ヘタに何も感じないほうが、見込み薄いよ。藍ちゃんに競争意識があるからショック受けるわけだから、ね。大丈夫、「精神統一」済ませて気を取り直したら戻って来るさ」
 マネージャーの責任に頭を痛めている湯浅と、思案顔の藍に、波野が明るい調子で声をかける。
 それはわかっている。“DEAD or ALIVE”の世界である以上、このまま逃げたらそれまでの人ということである。同情やら心配やら無用であると藍は達観している。
 ただ、ふと、いずみの急成長に疑問が芽生えただけである。
「ちょっと見てきましょうか?」
 藍は口実を設けて、いずみの様子を伺うことにした。
「えっ、そ、そんな滅相もない」
 まだまだキャリアの浅い湯浅は、年下でも事務所の“看板”である藍の申し出に恐縮して、手と首を横に振る。
「気にしないで下さい。あたしも、先輩として面倒見ないと」
 湯浅の拒否を言いくるめ、藍はスタジオを出た。湯浅も取り乱している、波野はそれを見越し、いずみ本人は藍に任せたと目配せする。波野が事務所サイドで物事を分析し、忠実に職務を遂行する人間ならではの判断である。藍も、そんな波野だから信頼している。
 おそらく楽屋であろう。
 藍は自分たちの楽屋のドアにノックしようと、片手を上げた。その時。楽屋の中から、覚えのある電子音が聞こえた。
 これは――。
「いずみちゃん、いる?入るよっ」
 藍は急いでドアを開ける。
 無表情で、いずみが立っていた。ほとんどいきなり入って来たに等しい藍に、いずみは特に反応を示さない。
 しかし、半瞬後には、愛想をふりまく、いつものいずみに戻っていた。――音が止んだ。
「今のって水野さんのケータイの音ですか?」
「ええ、びっくりさせてごめんなさい」
 藍のバッグを指差すいずみに、藍はおざなりの返答をして、バッグの中を確かめる。
 電子音の正体は、ケータイではない。「センサーアイ」の妖気探知アラームの音。万が一に備え、機能をONにしていた。
 バッグに手を入れたまま、藍はセンサーアイの記録を、ゴーグル部をディスプレイ代わりにして表示させる。
(この楽屋に、妖気……!?)
 思わず息を飲む。
「水野さん、負けませんよ、あたし。利用できるものは利用して、きっと……」
 センサーアイの表示もあって、そういずみに声をかけられた藍は即座に振り返る。
 いずみは思い詰めた表情でドアにもたれて、しゃがんでいた。その殺気に近い眼光に、藍は背筋が冷たくなった。知っている人間が、別人になってしまったような違和感から来る不安が、藍を一段と警戒させていた。そのため、敏感に、悪寒という形で異状を、藍の感覚に知らせたのである。
 警戒する藍の瞳に、ごく小さい黒い輝きが映った。いずみの両耳に、黒い結晶粒のようなピアスがあった。

 黒塗りのメルセデスベンツがゆっくりと、こちらの横を通り過ぎ、自分たちの歩く5メートルほど先で、待ち構えるように停車したとき、輝鈴は小さく首を傾げた。
(まさかね)
 まさか、あのベンツの待ち人が自分たちであるとは。
 一緒に下校していた隣の火織の表情を見るまでは、あり得ないことだと輝鈴は思っていた。
 火織は柳眉をしかめていた。
 ベンツからひとりの男性が降りたのを見て、怪訝に思う反面、嬉しそうな、複雑な表情が火織の顔に浮かぶ。
「火織ちゃんの知っている人?」
 火織の表情を読み取って、輝鈴は尋ねる。
「ええ」
 火織が首肯したので、輝鈴は遠慮がちに、こちらに歩いて来る男性を観察する。
 年齢は二十代後半といったところか。メタリックの細いフレームと、粛々とした姿勢の良い歩き方に、知性を感じた。どこかの代議士の秘書といったイメージを、輝鈴は抱いた。
「こんにちは」
 イメージどおりの落ち着き払った声で、男――鍛冶谷(かじたに)はにこやかに輝鈴と挨拶を交わす。
「火織さんがお世話になっています」
 大の男がそう言って頭を自分に下げたものだから、輝鈴は思わず畏縮して頭を下げ返す。
「い、いえ、こ、こちらこそ……」
 畏まるあまり、言葉が続かない。助けを求めるように、輝鈴は視線を火織に向けた。
「そうね、紹介するわ。こちらは鍛冶谷さん。何かと面倒を見てもらっているの。それで、彼女が黄野輝鈴さん」
 火織はお互いを紹介し、その場を取り持つ。
「ちょうど、下校されるときだと思いましてね」
 鍛冶谷はベンツを一瞥して、ここに来た理由を短く説明する。そこで、輝鈴は作為的なものを鍛冶谷から感じたが、火織の知り合いに対し失礼であると思い直し、そんな直観を振り切るように頭を横に振った。
 だが、火織もまた、鍛冶谷に同様のものを感じていたのである。輝鈴が左右に頭を振っているのを横目に、火織の眼差しは鍛冶谷に本当の理由を問い質す。
 鍛冶谷は肩を半分竦めながら、蠱惑(こわく)的な笑みをこぼす。彼の眼差しは、輝鈴に向けられていた。彼の手には、懐から取り出した黒水晶(・・・)を根元にする翼を模したブローチがある。
 火織はそれを確かめ、慄然とした。
「か、鍛冶谷さん……」
 火織の独白に近い小さい声をかき消すように、鍛冶谷は言う。
「これを、お近づきの印に」
 鍛冶谷が輝鈴に差し出したブローチの水晶が妖艶な光を放っていた。