そして、新たなる戦いへ
間もなくバベルの塔の上空に差し掛かると、セーラータンプリエがどこからか告げてきた。相変わらず姿は見えないが、きっちり仕事はこなしてくれるので安心はできる。
はるかもみちるも亜美も、そして新月も深く息を吸い込んで呼吸を整えた。
「戦いに行くわけじゃないんだ。そんなに気合い入れて、どうするんだよ。肩凝らねぇか?」
ノスフェラートが大きく肩を竦めた。
「い、いえ。た、た、戦う準備をしていて、く、ください!」
「なにぃ!?」
ノスフェラートは頬をピクリとさせた。
「バ、バベルの塔があるはずの、ち、地点で、せ、せ、戦闘を確認、しましたっ。て、敵がいます」
セーラータンプリエは、はっきりと「敵」と言った。
「行く先々で戦いに巻き込まれるなんて………」
ついてない。みちるは口にこそ出さなかったが、そんな表情をしていた。
「ギルガメシュって人は、大丈夫なの?」
「バベルの塔が、そう簡単に潰されるとは思えない。心配はいらないと思うぜ、水巫女」
「あなたはいつも、楽観的ね」
亜美は呆れたように息を吐いた。
「歌」が聞こえたような気がした。どこかから風に乗って、流れて来たような感じだった。美しい歌声だった。流れるような旋律。
「この『歌』は………」
新月の表情が凍り付いた。この「歌」に聞き覚えがだったからだ。美しさに惑わされてはいけない。これは、「戦慄」の「歌」なのだ。全てを破壊する恐怖の「歌」なのである。
「ああ、間違いないな。やつがいるのか………」
はるかは、レイノールの居城で出会ったセーラー戦士のことを思い出していた。「歌」を武器にして、レイノールの村を全滅させた謎のセーラー戦士とその一味。それが、バベルの塔を襲撃しているのだと感じた。
「油断するなよ。まともな敵じゃない」
そうとしか、説明できなかった。
「せつなさん。お客さんらしいよ」
その宇宙翔の声に、せつなは振り向いた。休息室でコーヒーを飲んで、リラックスしていたところだった。
「お客さん………ですか?」
せつなは怪訝そうに眉根を寄せた。こんなところに、自分を訪ねてくる知り合いはいないはずだ。
「僕も又聞きなんだけどね。待合室にいるらしいよ。日本人だって言ってたけど………」
「日本人………?」
益々おかしいと思った。仲間ならわざわざ呼び出さなくとも、通信機を使って連絡をしてくるはずである。それに、先程ルナから通信があった。ブラッディ・クルセイダースとの戦いに、仲間たちが勝利したとの喜びの連絡だった。ルナはせつなに、兵藤の死は伝えなかった。
「誰かしら、いったい………」
NASAまで遙々会いに来てくれるような親しい知り合いも、思い当たる中にはいなかった。
「男性ですか?」
もしかすると大道寺かとも思ったが、
「女の子だって。ほたるちゃんかな?」
「そんなはずはないです………」
せつなは首を捻るしかない。取り敢えずお客を待たせるわけにはいかない。せつなは待合室に向かった。
待合室には、ひとりしか客がいなかった。だから、その少女が自分のお客なのだろうと、せつなは思った。
待合室に入ってきたせつなの姿を見たその少女は、優雅な動作で椅子から立ち上がった。プラチナ・エメラルドの美しい髪を持つ少女だった。意志の強そうなマゼンダの瞳が、自分に向けられている。
「お待たせ致しました。冥王せつなです」
不信に思いながらも、せつなは挨拶をする。その少女は、見た目は高校生くらいだった。うさぎたちと同世代だろう。記憶をフル回転させても、目の前の少女の顔は浮かばなかった。
「突然お邪魔して申し訳ありません。炎野ジュンと言います」
口元に微笑を称えながら、その少女は軽く会釈をした。
「炎野ジュンさん………?」
名前にも記憶がなかった。
「あたしに、何のご用でしょうか?」
「あなたの調べていることに興味がありまして」
「あたしの調べていること?」
「ええ、惑星ニビルについて」
「えっ!?」
せつなは頬を強張らせた。謎の天体ニビルについては、まだどこにも発表していないはずだ。日本の高校生らしい女の子が、知っている話題ではないのだ。
「あなた、何者?」
せつなの表情は急に険しくなった。警戒心を強め、少しずつ少女から距離を取って自分の間合いに近付けていく。
油断していた。この少女からは、とても強い力を感じる。自分たちと同じ、星の輝きを感じる。
少女は無言のまま、柔らかい笑みを浮かべていた。
背後に気配を感じた。せつなは首を巡らせる。背の高い少女が、そこに佇んでいた。その顔には見覚えがあった。
「帯野舞………」
そこにいたのは、帯野舞だった。せつなの記憶の中では、「セレス」と言う名で刻まれている顔だった。
敵である。
「こんにちは、冥王せつなさん」
舞は会釈をしてきた。敵意は感じないが、隙がない。
「あなたたち、どういうご関係かしら?」
「そんなに警戒をしなくていいわ、セーラープルート。今は、戦うつもりはないから」
炎野ジュンは、柔らかい口調でそう言ってきた。
“ラピュタ”にノアの「方舟」が戻ってきた。
十番病院のあった位置で、セーラームーンたちはノアの「方舟」の到着を待っていた。残念ながら十番病院の建物は、二度に渡る天地爆裂の余波によって、見るも無惨な姿になってしまっている。
人々の歓喜の声が響き渡る。勇気あるセーラー戦士たちに、皆が賞賛を送っている。
日暮を先頭に、アルテミス、土萠教授、香織、忍、そして謙之が戦士たちに歩み寄ってきた。その後ろには、ひょっこりと乃亜の姿も見えた。セーラーノアも船外に出て、戦士たちを労いたいのだろう。
「お疲れさん」
全員の顔を見渡してから、日暮が労いの言葉を掛けてきた。日暮たちを救出したのは、どうやらセーラーヴィルジニテらしい。彼女がセーラーノアの元に、日暮たちを運んでくれたとのことだった。
「でもまだ、終わったわけじゃない」
日暮の無精髭面を見ながら、ジュピターは口をへの字に曲げた。
「ああ、ヴァルカンだよな?」
日暮は肯く。激闘の果てに倒したのは、ブラッディ・クルセイダースを影で操っていた(と、うさぎたちは思っている)古の大魔導士アビスだった。まだ、全ての戦いが終わったわけではないのだ。
「どちらにしても、一度日本に帰らないといけないでしょう。救出した人々を連れたまま、このまま行動をするわけにはいかないですし」
タキシード仮面は言った。日暮と土萠教授は視線を交わすと、「そうだな」と肯いた。ひとまずは、この数百人の人々を無事に日本に送り届けなければならない。
「しかし、どうすっかなぁ、報告書………。上層部は頭の固い連中ばかりだからなぁ。絶対、信じてくれんぞ」
日暮が渋い顔をした。帰ってからの仕事の方が、どうやら一番の難問らしい。
「こんなに証人がいるじゃないですか」
土萠教授は言ったが、言葉尻に笑いが含まれていた。十番病院の消失事件は、日本では大きな事件となって取り上げられている。全員の記憶を操作して、「なかったこと」にするのは不可能だ。
「来るときに見てきたが、あの巨大なクレーターといい、この病院の有様といい、とんでもない戦いだったようだな」
「うん。勝てたのが不思議なくらい」
土萠教授が娘のサターンに尋ねると、サターンは潤んだ瞳で答えた。彼女の言う通り、本当に勝てたのが不思議なくらいの敵だった。
「勝てた………と、思いたいな」
ギャラクシアとしては、セーラーアビスの最後の言葉が心に引っ掛かっていた。
「今日のところは負けておいてやる」
セーラーアビスはそう言ったのだ。負け惜しみであってくれれば良いのだが、最後の最後で、セーラーアビスはまた余裕の笑みを浮かべていた。あれは、敗者の笑みではなかった。
「確かに、あの余裕は気味が悪いな」
ギャラクシアの呟きが聞こえていたらしい。クンツァイトが応じてきた。ギャラクシアは肯き返した。
「あたしは、みんなとは日本で別れることにするよ」
夏恋だった。彼女には、もうセーラー戦士としての力はなくなっていた。同行すれば何かの役には立てるかもしれないが、身重の状態ではかえって迷惑を掛けるだけだ。日本に残っても、皆のサポートはできる。何よりも、ルナにはパートナーが必要だ。夏恋は日本に残って、ルナのサポートをするつもりだと言った。
「そうですね。ルナひとりじゃ大変ですし、助かります。それと、今までありがとうございました、夏恋さん」
「そう改まって言われると、照れるじゃないか。うさ………セーラームーン」
ついうっかり「うさぎ」と言いそうになり、夏恋は慌てて言い直した。この場にはうさぎの父親の謙之もいるのだ。正体が分かるような言動をしてはいけない。
「セーラーサン。あんたも、しっかりね」
「はい! ありがとうございます! 夏恋さん、丈夫な赤ちゃんを産んでくださいね!」
「気が早いよ。まだ生まれないって」
「あ、そっか」
セーラーサンはチロリと舌を出した。夏恋のお腹は殆ど目立ってない。まだ2ヶ月目か3ヶ月目くらいだろう。
「あたしは付いていきたいんだけど、いいかしら?」
忍がタキシード仮面を見た。その背後にいた四人の親衛隊が、僅かに動揺したのが背中越しに伝わってくる。忍の顔を見たセーラームーンとマーズ、ジュピター、ヴィーナス、アースも、思わず息を飲んでしまった。
「どうしたの? あたしの顔に何か付いてる?」
「いえ、ごめんなさい。タキシード仮面、この人は………?」
セーラームーンが顔を向けると、タキシード仮面はその通りだという風に肯いてみせた。
「何なの? 意味深ね」
「おいおい話してやるよ」
成り行きがよく分からないプレアデスに、アルテミスは耳打ちするように言ってやった。
「決まりだな。日本で身軽になったあと、どこに向かう? ヴァルカンを捜すか? それとも、もうひとつの気になる方を当たるか?」
ギャラクシアは言いながら、セーラームーンの方に首を捻った。リーダーはセーラームーンである。行動方針はセーラームーンが立てるべきだと、ギャラクシアは暗に告げているのだ。
「ヴィーナスが言っていた『追放されし者』ね」
セーラームーンは顎を引いた。
「エロスとヒメロスが、少し情報を持っているわ。ひとまず、彼女たちと合流しまょう」
ヴィーナスは答えた。
マーズとジュピターが、ジェラールとヴィクトールの元に歩み寄る。
「ギルガメシュという人を、知ってる?」
「ん? 何故その名を知っている」
「兵藤さん………ディールが言っていたのよ。接触してきたら、協力しろって」
「やつがいるのはバベルの塔だ。確かに、行ってみる価値はあるだろうな」
ジェラールは肯きながら、セーラームーンをチラリと見た。乃亜が話しに加わってきた。
「あたしに近しい力を、“ラピュタ”から離れた時に感じました。方向的に、バベルの方に向かっていたように感じました」
「乃亜ちゃんと同じ力って言うと、飛空艇?」
「恐らく。ですが、あたしが交信を試みても反応がありませんでした。セーラーヴィルジニテのような存在だとは考えたくないですけど………」
「そういう可能性もあるってことを、頭に入れておいた方がいいってわけね」
ヴィーナスが肯いた。
「わたしと香織くんも同行することにしたよ。わたしの知識が役に立つことがあるかもしれないからね」
土萠教授は、どうやら香織とサターンとで話し合って決めたようだ。サターンも納得しているという顔をしていた。ならば、拒否する理由はない。
「心強いです」
セーラームーンは肯いた。
謙之が歩み寄ってきた。セーラームーンはドキリとする。視線を合わすことができない。
少しの間があった。先に口を開いたのは、謙之の方だった。真っ直ぐにセーラームーンの顔を見つめる。
「助けに来てくれて、ありがとう。うさぎ」
「え!?」
驚きに目を見開いたまま、セーラームーンは謙之の顔を見つめた。
「どんな姿をしていようが、親が娘のことを分からないと思うか?」
「パ、パパ………」
「随分と前から気付いていたよ。パパも、ママもね」
謙之は優しい微笑を、セーラームーンに送った。そして、タキシード仮面に顔を向ける。
「衛くん。うさぎを頼むよ」
「はい。お義父さん」
タキシード仮面が力強く肯いてくれるのを確認すると、謙之も力強く肯き返した。セーラームーンの左肩をポンと一回叩くと、くるりと背を向けて、ノアの「方舟」に向かって歩み出していった。
「親子ってのは、そんなものなのか?」
親の存在を知らないギャラクシアは、傍らのマーズ、ジュピター、ヴィーナスに尋ねた。
「あたしの両親は、とっくに死んじゃったから………」
「どうかしら、あたしもよく分からないわ。父親はあまり好きじゃないなのよ」
「げっ! 黙ってこんなに家を空けたら、しばき倒される………」
三人は三様の反応を示した。
「う〜〜〜! 悔しいよぉ〜。ジェラシィよぉ〜」
「まぁ、まぁ」
仲睦まじいセーラームーンとタキシード仮面の姿を見ているアースは、不機嫌と言うよりも、泣きそうな顔をしていた。そんなアースを、サターンが慰めている。
「よし、日本に帰ろう!」
日暮は無精髭の伸びている顎を撫でながら、皆に言った。そして、セーラーサンの横に並ぶと、
「がんばれよ」
囁くように言ってから、小さく右手でガッツポーズをしてみせた。
「はい! お父さん!」
セーラーサンは照れながらそう答える。日暮もまた、照れたように笑った。
戦いは今、新たな局面を迎えようとしていた―――。