魂の悲鳴
「セーラームーン、あれ!!」
セーラーサンが「封印の神殿」の上空を指差した。まだ距離があるので、はっきりとは分からなかいはずなのだが、何故かそこに存在するものが人型をしたものだとイメージで捉えることができた。だから、実際には「見えた」わけではない。識別できる距離ではないはずなのだ。なのに、そこに何かがいる( のをセーラーサンは感じた。いや、やはり「見た」と言うべきか。)
セーラームーンたち一行は既に下山し、湖を囲うように生い茂っている森の中を湖畔に沿って進行していた。飛行して移動すれば数分の距離なのだが、あまり迂闊に接近するわけにもいかず、結果彼女たちは森の中を慎重にかつスピーディに移動していたところだった。すぐ右手には、海のように広がる巨大な湖がある。森の中と言っても、すぐに抜けられる場所だった。万が一敵の襲撃を受けても、広い湖畔へと即座に展開できるようにとのジェラールの意見を取り入れての行動だ。常に右手に見える湖に浮かぶ、浮遊戦艦カテドラルを見ての進行だった。そして〈カテドラル〉が見えるということは、丘の上に聳( え立つ巨大な「封印の神殿」も見えるということだ。)
圧倒されるような凄まじい“気”を感じた直後、セーラーサンがそこに何かを発見した。
「あれが、敵?」
ヴィーナスは緊張のあまり、頬を強張らせた。全員が足を止め、右前方に見える「封印の神殿」の上空に目を向けた。
「肌がビリビリする………」
ギャラクシアは頬を顰( めた。)
「親玉か!?」
ジュピターがすうっと目を細めた。「封印の神殿」までは、直線距離にしてもまだ二キロほどはある。二キロも先にいる人物をはっきりと特定することは不可能なはずなのだが、全員の目に「それ」は見えていた。
「何故、こんなにもはっきりと『見える』!? いや、『見える』ような気がするんだ!?」
その不可解さに初めに気が付いたのは、クンツァイトだった。そこで初めて全員が、実際に「目」で「見える」はずのないものを、自分たちの「目」が「見ている」ことに気付いた。
「やつの力か………」
そのジェダイトの考えは、当たっていると感じられた。
「なんだ? 誰だあれは!?」
ジェラールとヴィクトールは、驚きに目を見開いて、「封印の神殿」の上空に浮かんでいる見えるはずのない人影を見つめている。
「どうした? ブラッディ・クルセイダースの一員ではないのか!?」
「違う………。初めて見る顔だ………」
クンツァイトの問い掛けに、ジェラールは首を左右に振った。ヴィクトールも同じである。
「じゃあ、あれがセーラーヴァルカンか!?」
あの人影がブラッディ・クルセイダースの一員でないのだとしたら、考えられるのはセーラーヴァルカンである。目の前の神殿に、セーラーヴァルカンは封印されていた。封印されていた聖櫃( ごとこの地から一端は放されたものの、再び舞い戻ってきてもおかしくはない。ここには、彼女の「敵」となるはずのセーラームーンとセーラーサンがいるからだ。)
「あれが!?」
セーラームーンは、セーラーヴァルカンかもしれない相手をキッと睨んだ。
「違うと思う」
ポツリとセーラーサンは言う。
「何故かは分からないけど、違う気がする………」
セーラーサンは首を左右に振った。確信はない。しかし、セーラーヴァルカンではないような気がするのだ。自分の中の何者かの記憶が、あの人影はセーラーヴァルカンではないと知らせているような気がした。
「じゃあ、何者なの!?」
マーズは困惑したように、唇を震わせた。
「誰だって構わないさ。敵ならば倒すまでだ」
「同感だな」
ギャラクシアは既に戦闘態勢を整えている。ジュピターはそのギャラクシアに並ぶと、左の掌に右の拳を打ち付けた。「封印の神殿」上空の人影からは、邪悪な気配がビリビリと伝わってくる。
「待って! 今、セーラーカロンが!」
カロンは叫び、皆の注目を自分に向けさせる。カロンは目を閉じている。
『あれは古( の大魔導士』)
カロンの唇が動いた。だがそれは、夏恋( の声ではない。夏恋と同化したセーラーカロンの声だった。)
『奈落に封じられていた太古の魔導士です』
「え!? あいつが!?」
セーラームーン、マーズ、ジュピター、セーラーサンの四人が、揃って顔を上げた。ギャラクシアはすうっと目を細めた。セーラーカロンが夏恋と同化した経緯を知らないヴィーナス、クンツァイト、ジェラール、ヴィクトールは、何のことを言っているのか分かっていない。しかし、只ならぬ事態だということは察していた。
『ついに、この世界で目覚めてしまったようです』
セーラーカロンの声は、悔しげだった。
「迂闊だったわ………。セーラーヴァルカンのことばかりに気を取られていて、そいつの存在を忘れてた………」
セーラームーンは唇を噛んだ。セーラーカロンの無念を忘れていたわけではないが、自分たちの真の敵はセーラーヴァルカンだと思っていたのだ。
『見付けたぞ。白き月の者ども………』
声が聞こえた。掠れたような囁くような、ひどく耳障りな声だった。
『わらわが昔年の恨み、今こそ晴らしてくれようぞ』
実際には声が聞こえる距離ではない。しかし、その声は、自分たちの耳から「声」として認識されて伝わってきている。テレパシーなどではないのだ。
『現世に甦ったのですね………』
『ん? その声はゲートの番人か? 生きながらの死を与えたはずなのだが、何故そこにいる?』
『自分の仇を討つために、わたしはここにいます』
『愚かな………。返り討ちにしてくれる』
シャーッという蛇が喉を鳴らすような音が響く。セーラーアビスの笑い声だ。
セーラーアビスのふたつの目が、その場にいる者を舐めるように見回した。その目が、セーラームーンを捉えた時、ピタリと停止する。………ような気がした。肉眼で表情が見える距離ではない。だが、セーラーアビスの一挙手一投足が、イメージとなって伝わってくる。脳に伝わるテレパシーなどではなく、「声」と同じように、実際に自分たちの「目」で見ているような感覚があった。
『そこにいるのは、月の王国のプリンセスだな? お初にお目に掛かる。わらわの名はセーラーアビス』
「セーラーアビス!?」
『セーラー戦士の名を名乗るなんて………』
夏恋の中のセーラーカロンが、言葉を失っている。
『わらわが復讐を果たすため、わらわは最も忌み嫌う者たちの名を名乗ることにした。かつてわらわを奈落の底に封じ込めし、クイーン・セレニティの娘よ! その命、わらわが喰ろうてくれるわ』
今度は猫が威嚇をする時のような、フーッという音が響く。セーラーアビスは、無表情の顔をセーラームーンに向けた。蛇に睨まれた蛙の如く、セーラームーンの体は硬直する。まるで、金縛りにあったかのようだ。
『始めよう、戦いの宴を! 魂よ集え! わらわの力となれぃ!!』
セーラーアビスの突き出された左手の前方に、まるで吸い寄せられるかのように「脳髄の杖」が移動してくる。セーラーアビスはそれを握ることもなく、不可思議な力で振るってみせた。
小さな光の珠が、周囲からセーラーアビスの周りに集まってくる。野球ボールくらいの大きさの珠だった。数十、いや数百という数の珠だった。それがセーラーアビスの周囲で、ふわふわと漂う。
差し出されたセーラーアビスの左手の掌の上にも、ひとつの珠が握られていた。
「あれは何だ!?」
その光の珠の正体を突き止めようと、全員が目を凝らす。実際には見えないと分かっていても、イメージとして捉えることができる。
「!?」
光の珠の正体が分かった瞬間、全員の表情が凍り付いた。
「う、うそっ………」
「なんてやつだ………」
セーラームーンが息を飲み、ジェラールは言葉を失った。
その光の珠の中には、なんと人が封じ込まれていたのだ。光の珠の中にはそれぞれひとりずつ、意識のある状態で封じ込められている。だから彼らは、自分たちの身に何が起こったのか分かっていた。分かっているから、ある者は恐怖し、ある者は狼狽し、ある者は泣き叫んで救いを求めていた。
「T・A女学院の学生たちが!!」
マーズの表情が青ざめる。何百という光の珠の一群に、T・A女学院の学生たちが混じっているのを見付けてしまったからだ。
「あれは、十番高校の制服だ………」
ジュピターの体は、怒りのために震えていた。光の珠の中にいる十番高校の生徒は、見える範囲ではその全てが女生徒だった。誰もが泣き叫び、救いを求めていた。校内で見掛けたことのある女生徒も、その中には混じっていた。
「みんなを助けないと!」
叫んではみたものの、セーラーサンにはその術が思い付かない。それは、他の面々も同じだった。
「許せない!」
セーラームーンは怒りを滾( らせ、上空のセーラーアビスを睨み付けた。)
「マザー・テレサ………」
ジェラールは光の珠の中に、マザー・テレサの姿を見付けていた。セーラーアビスの掌の上に、マザー・テレサはいた。内壁を叩き、外に向かって叫んでいる。自分たちに向かって、何かを必死に訴えようとしている。
頼む! こやつを倒してくれ!
マザー・テレサは、そう叫んでいるような気がした。
セーラーアビスは「封印の神殿」の内部にいた者の殆ど全てを、光の珠の中に封じ込めていた。生ある者の全てを、セーラーアビスは集めたのだ。ただ、イズラエルだけはその難を逃れていた。死したファティマと一体となっていたことで、イズラエルは死者だと判断されたのだ。
「まさか、まもちゃんやパパもあの中に………!」
セーラームーンは息を飲む。衛や謙之の姿を見付けてしまったら、冷静でいられる自信がなかった。衛と謙之は、「封印の神殿」にいたと思えた。だとすると、あの珠に囚われてしまっている可能性は充分にある。
「あれでは、攻撃ができないぞ」
クンツァイトが呻いた。人が封じ込められている数百という光の珠は、セーラーアビスの周囲を漂うように浮遊している。迂闊に攻撃を加えれば、その光の珠までも巻き込んでしまう。
「やつの狙いは、それか!?」
ジェダイトは舌を打つ。この状態ではこちらは攻撃ができない。敵はこちらからの反撃を封じておいて、攻撃を仕掛けるつもりなのではないかと思った。
『………ハァッ………!』
喉の奥で発したような、掠れた耳障りな笑いが響く。
『どうした? 攻撃して来ぬのか?』
セーラーアビスは猟奇的な笑みを浮かべた。マザー・テレサのいる光の珠を、掌の上でコロコロと転がして楽しんでいた。
『では、こちらからゆくぞ。………爆雷!』
セーラームーンたちの上空で、轟音が鳴り響いた。
「いかずち!?」
自分たちの頭上に迫っている閃光が何なのか、いち早く察知にしたマーズは、パワーを放出して頭上に炎のシールドを張った。いかずちは、炎によって相殺される。
『氷結』
続いて襲ってきたのは、超低温の衝撃波だった。湖畔に近い湖の表面が、一瞬にして凍り付く。
「こ、この程度の冷気!!」
今度も防御したのはマーズだった。両手を突き出し、凄まじい炎を放出して冷気を防ぐ。しかし、その全てを防ぎきることはできなかった。突き出されたマーズの両手が、放出している炎ごと凍り付いてしまう。
「!?」
「マーズ( !!」)
ヴィーナスが光の波動を放って、マーズを援護する。
「ヴィクトール! 冷気を断ち切るぞ!!」
鞘から剣を引き抜き、ジェラールは叫んだ。ジェラールとの意図を察したヴィクトールも、腰の鞘から大剣を引き抜く。
「寸断破!!」
「空切断!!」
ふたりの放った剣圧は、超低温の衝撃波を文字通り断ち切った。
凍り付いたマーズの両腕は、セーラームーンのヒーリング・エスカレーションによって治療される。
「上等じゃねえか! ライトニング………!!」
「ギャラクティカ・スーパー………!!」
「駄目よ、ふたりとも!!」
反撃に移ろうとしたジュピターとギャラクシアのふたりを、ヴィーナスが制した。
「何故止める!?」
「落ち着いてギャラクシア! 今、攻撃をしては駄目よ!」
マーズの治療を終えたセーラームーンが、ヴィーナスと共に制止に入った。セーラーアビスの周囲には、人が封じ込まれている珠があるのだ。今攻撃をすれば、間違いなく巻き込んでしまう。
『思い留まったか、面白くもない』
不機嫌そうなセーラーアビスの声が、耳に届いた。
セーラームーンは上空のセーラーアビスを睨む。
「その人たちをどうする気!?」
セーラームーンは怒鳴るように問う。怒りのために、小刻みに体が震えていた。
『教えて欲しいか?』
セーラーアビスは相変わらず口を開かない。掠れたような、囁くような、ひどく耳障りな声だけが、どこからともなく耳に伝わってくる。セーラーアビスはセーラームーンを見つめると、ニイッと笑う。
『こやつらは、わらわの“弾”じゃ。そのために、あの男に集めさせた』
「“たま”って!?」
“弾”の意味が、セーラームーンには分からなかった。だが、そのセーラームーンの疑問には、セーラーアビスは答えなかった。返事の代わりにセーラーアビスは、マザー・テレサのいる光の珠を乗せた左手を、僅かに前方に突き出した。そのまま光の珠を鷲掴みにする。
「?」
誰もがその意図を、一瞬計りかねた。しかし、誰もが次の瞬間には、何をしようとしているのかを理解した。セーラーアビスは、光の珠を握る左手に力を込めている。珠の外側に罅( が入る。)
「握り潰す!?」
ジェダイトは呆然とその様子を見つめている。
光の珠の中にいるマザー・テレサも、セーラーアビスが何をしようとしているのか察知していていた。恐怖に顔面を蒼白にし、頬を引きつらせている。必死に何かを叫んでいるが、声は外には届いていない。
セーラーアビスはおもむろに口を開けた。言葉を話す時や、笑いを発する時でさえ開けられることのなかった口が開く。喉が大きく波打った。下から上へ、喉を通って何かが上がってくる。
「!?」
それは「目」だった。ギョロリとした大きな目玉が、喉からぬるりと出現する。だらりと垂らされた舌の上で、目玉は左右に動く。その動きは、まるで何かを探しているかのようでもあった。
「目」の下にダラリとだらしなく垂れ下がった舌からは、涎( が滴り落ちている。)
目玉の動きが止まる。ギョロリとした「目」は、真っ直ぐに自分たちを見据えている。口の中に現れた「目」は、自分たちがどこにいるのかを捜していたのだ。そして、見付けた。
セーラーアビスは、まるで遊んでいるかのように光の珠を握る左手を、流れるような動きで左から右へ、そしてまた右から左へと動かすと、自分の左胸の辺りで停止させる。
光の珠を握る左手に力が込められた。口の中の「目」が、笑ったように見えた。
「やめてーーーっ!!」
耐えきれず、セーラーサンが叫んだ。その刹那、左手に握られていた光の珠が、中にいるマザー・テレサとともに握り潰される。口の中の「目」が、青白い光を放った。
「何だ!?」
身を引き裂かれるような悲鳴が聞こえたような気がして、新月は顔を上げた。尊い命が無造作に捻り潰されたような、そんな感じを受けた。
「今のは、何だ!?」
同じ感覚を、はるかも味わっていた。いや、はるかだけではない。みちるも亜美も、同様の「悲鳴」を聞いたような気がした。
「タンプリエ。今のが何だか分かる?」
みちるは姿の見えないセーラータンプリエに尋ねた。
「わ、分かりません………」
即座にセーラータンプリエから答えが返ってくる。姿は見えないが、ちゃんと近くにはいるようだ。
「ひ、人の『悲鳴』のように感じました。で、で、ですが、解析不能です」
セーラータンプリエの声は震えていた。
「近くに味方………もしくは敵は?」
今度は亜美だ。
「どちらも感じません。ご、ごめんなさい。分かりません………」
セーラータンプリエの言葉は、語尾が小さく消えていく。本当に、彼女にも今の「悲鳴」が何だったのか、分からないのだ。
「どこかで、何かが起こっているのは間違いないだろうがな」
ノスフェラートは呟いた。
「悲鳴」はせつなも感じていた。ベッドで仮眠を取っていたせつなは、その「悲鳴」を耳にして飛び起きた。
「今のは、何!?」
せつなは両耳に手を当てた。目を閉じて、周囲の“気”を感じようと務めた。近くで響いた「悲鳴」ではないことは分かっていた。直接的に響いてきた「悲鳴」とは違うからだ。
「どこかで、みんなが戦っている………?」
せつなは騒ぐ胸を沈めようと、大きく息を吸い込んだ。
日暮は密林を移動中に、その「悲鳴」を感じていた。弾かれるように後方を振り向く。高く聳える山の向こうに、セーラー戦士たちはいるはずだ。
「今のは、何でしょう?」
隊員たちも「悲鳴」を感じたらしい。動揺が広がっている。
「なんだか、嫌な予感がしやがる………」
日暮は唇を噛む。
「お嬢ちゃんたちの身に、何かが起こったのかもしれん」
だが、今から引き返したとしても、もう間に合うわけもない。それに、自分たちが引き返したとしても、いったい何の手助けになる。
「祈ろう。お嬢ちゃんたちの無事を」
日暮がその場に膝を突いた瞬間、浮遊感が襲ってきた。何かに優しく包まれるような感覚を覚えた。
「これは!?」
自分たちの身に何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
バベルの塔に向かっていたヴァルカンも、その「悲鳴」を感じて停止した。「悲鳴」を感じた方向に体を向ける。
「今のはまさか、『魂の悲鳴』?」
何もない空間を真っ直ぐに見つめた。その方向に“ラピュタ”があるはずだった。
「“ラピュタ”のある方角です」
その方向に何があるのか、フェイトンには分かっていた。自分たちがいた場所くらい記憶している。
「なんなの? 今の………。魂を引き裂かれるような、とても嫌な感じがしたわ」
アンドロメダは右のこめかみの辺りを抑えて、眉根に溝を作った。
「古( の大魔導士が、復活したと言うの?」)
ヴァルカンはその方向を見つめたまま、しばらくの間動くことができなかった。
「!?」
何が起こったのか、誰もが理解できなかった。何か波動のようなものが、体をすり抜けていったような感覚が残っていた。閃光に貫かれたと言うより、体の中を生き物がすり抜けていったような、何とも形容しがたい嫌悪感を伴う感覚だった。
恐怖・後悔・疑念・猜疑………ありとあらゆる感情が入り交じって、一度に心の中に飛び込んできたような錯覚を覚えた。飛び込んできた感情は心の中を無遠慮に引っかき回し、そのまま飛び出していった。
「な、なに!?」
「なんだ、これは………」
「き、気持ち悪い………」
セーラームーンは膝を付き、ジェラールは唇をワナワナと震わせる。セーラーサンは両手で自分の体を抱き締めるようにして、顔を歪めた。
「今のは、人の悲鳴………?」
カロンは表情を強張らせる。血の気が引いていくのが、自分でも分かった。
「ば、馬鹿な………。このあたしが、恐怖に震えているだと!?」
ギャラクシアは、自分の体に起こった変化に戸惑っていた。こんなことは初めてだった。自分の体が恐怖に震えるなど、今までなかったことだ。カオスと出会った時でさえ、そんな感情は沸き起こらなかった。
マーズとジュピターとヴィーナスは、お互いがお互いを支え合うようにしていた。そうしなければ、まともに立っていることさえできなかったからだ。
誰しも、肉体的なダメージは皆無と言って良いほどだった。だが、精神的なダメージは計り知れない。これがセーラーアビスの究極の必殺技「魂の悲鳴砲( 」だった。生物の断末魔の恐怖をエネルギーに変換して放つ、脅威の「魔法」だった。セーラームーンたちは、その直撃を受けてしまったのだ。物理的な攻撃なら防ぎようがある。しかし、今の攻撃は精神を狙った攻撃だ。結界を張るにしても、精神波の類) ( を完全にシャットアウトできるような結界を張ることは、今の彼女たちには不可能だった。)
「何をやりやがったんだ、やつは………!?」
ヴィクトールは焦点の合わぬ目を、セーラーアビスに向けた。
『どうした、もう終わりか? まだ一撃しか放っておらぬぞ?』
セーラーアビスの口は、再び閉じられていた。耳障りな声だけが、耳に届いてくる。
「冗談じゃない。こんなの何発も食らっていたら、気が狂ってしまうぞ」
ジェダイトは歯を食いしばって、セーラーアビスの顔を睨む。虚勢でしかなかったが、そうそうするしかなかったのだ。
全員、体の震えが止まらなかった。立っていることもままならない。
「くそっ! 化け物か、やつは………」
クンツァイトは苦しげに表情を歪めた。
今の一撃だけで、全員の戦意が失われていた。全員の心を支配しているのは、限りない「恐怖」だった。「魂の悲鳴砲( 」は、精神的にダメージを与えるだけでなく、心に「恐怖」を植え付けるようだ。)
「な、何故すぐにもう一撃を撃たないの………?」
そんな中でも、マーズは必死に状況把握に努めた。精神面で人一倍強い彼女は、他の戦士たちと比べると、比較的受けたダメージも少なかったようだ。
「遊んでやがるのか?」
忌々しげに、ジュピターは言った。
「いや、もしかすると、連続して撃てないんじゃないのか?」
「あり得るわね」
クンツァイトの考えに、ヴィーナスは肯いた。
『そう思うか?』
楽しげなセーラーアビスの声だった。
セーラーアビスの左手に、「脳髄の杖」が流れるように移動してくる。だが、握るわけではなかった。セーラーアビスは杖を握らずに、大きく震ってみせる。
『さて、そろそろ第二撃といこう』
まるで焦らすかのように、ゆっくりとした口調でセーラーアビスは言った。掠れたような囁くような彼女の声が、神経を逆撫でする。
ジェラールとヴィクトールが、剣を支えにしてカロンの前方に立ちはだかった。
「あんたたち!?」
「キミとキミの子は、我らが守る。死なせてしまったら、ディールのやつに合わす顔がない。やつが次に何をしてくるかは分からないが、我らが盾となって防ぐ。キミは何としてでもこの場から逃げろ」
「馬鹿なことを言わないで!」
苦しげなジェラールの背中に、カロンは怒鳴った。仲間を置いて、自分だけ逃げれるわけがない。それにセーラーアビスは、自分が戦わなければならない相手なのだ。
「カロン( 、逃げてください。赤ちゃんを守って!」)
セーラーサンが這うようにして、自分の前にやって来た。歯を食いしばって立ち上がり、カロンの前で四肢を広げた。
「セーラーサン( ………」)
セーラーサンの背中が、涙で霞んだ。小柄なはずの彼女の背中が、とても大きく力強く感じた。
『何人が躱( せるかな?』)
猟奇的な笑みを浮かべた。本来の目の方が、セーラームーンたちを捉える。視線を流して標的を探す。
「銀水晶お願い!」
かくなる上は、銀水晶が頼みだった。銀水晶の超パワーを解放して、状況を打開しようと考えた。だが銀水晶は発動しない。
「銀水晶!!」
セーラームーンは精神の全てを、銀水晶の発動に注ぎ込む。しかし、銀水晶は無反応だった。
『失せろ、雑魚』
閃光が放たれた。
無数の矢が放たれる。スプリガンを攻撃した光の矢―――デッド・アイ・アローだ。
セーラームーンたちは、思うように体を動かすことができない。避けることもできなければ、防御することもできない状態だった。心に住み着いた「恐怖」が、全ての行動を抑制してしまっていたのだ。
セーラーアビスの標的は、どうやらカロンだったようだ。一度に全員を狙わず、数人ずつ攻撃をするつもりらしい。その第一のターゲットが、自分を封印していた門の番人であるカロンだった。
「逃げなさい、セーラーサン( !」)
セーラーアビスの標的が自分であることを悟ったカロンが絶叫する。自分の前には、セーラーサン、ジェラール、ヴィクトールの三人がいる。三人は自分を守る盾となっている。
「!」
セーラーサンは四肢を広げたまま目を閉じた。
何も出来ない彼女たちは、絶好の標的だった。セーラーアビスの余裕の現れは、これだったのである。「魂の悲鳴砲( 」は一撃で充分だったのだ。あとは、じっくりとなぶり殺しにすればいい。彼女の目的は「復讐」だ。一瞬でカタが付いてしまっては、腹の虫が治まらないのだろう。じわりじわりと、死の恐怖を与えて順番に殺すつもりなのだ。)
『メインディッシュは最後と決まっておる』
そのセーラーアビスの言葉から、セーラームーンを一番最後に仕留める気でいることが伺い知れた。仲間の死を見せ付けてから殺す気でいるようだ。セーラームーンに仲間の死を見せ付けて、絶望の淵に追い込む。存分に苦しめてから、トドメを刺す気でいるのだろうと思えた。
「くっ! これまでかっ」
さしものギャラクシアも、観念するしかなかった。助けに行きたくとも、体が動かない。
「どうして体が動いてくれないの!?」
セーラームーンは全身で悔しさを表した。不甲斐ない自分が情けなかった。肝心な時に、自分は何もできない。
目の前で、仲間が死ぬ―――。
「あたしが憎いのなら、あたしを先に殺せばいいでしょ!?」
セーラームーンはただ喚くことしかできなかった。
「ジェラール! ヴィクトール!」
ヴィーナスは顔を背けた。
植え付けられた恐怖のため、体が動かない。誰もが絶望したその時、斜め下方から放たれた強力な衝撃波が、デッド・アイ・アローの全てを破壊した。
「あの技は………!?」
セーラームーンは目を見張った。見覚えのある技だった。次いで懐かしい声が響く。
「しっかりしろ! うさ!! しっかりしろ! みんな!!」
自分たちを叱咤するその声は―――。