日暮の決断


「この吊り橋。えらく古そうだが、大丈夫なのか………?」
 目の前から真っ直ぐ伸びている細い吊り橋を見て、日暮は泣きそうな顔をした。
 敵と遭遇することなく、中腹までは順調に来ることが出来た。途中からやけにゴツゴツとした岩が目立つと感じていたら、だしぬけに視界が開けた。
 目の前に広がるは渓谷。しかも谷底が全く見えない。谷底はかなり深いらしく、もしかすると昇ってきた以上の深さがあるかもしれなかった。試しにジェダイトが足下に転がっていた拳ほどの石を投げ落としてみたが、底に辿り着いた音は響いて来なかった。落ちたら最後、待っているのは確実な「死」だ。
「ここって本当に空の上なのか?」
 日暮がそう思うのも無理はない。平地があれば密林もある。川も流れていれば湖もある。おまけに標高二千メートル級の山が三峰、ほぼ正三角形に並んでいて、その山のひとつを越えようと思ったら、この渓谷である。スケールが大きすぎて、空に浮かんでいるということが未だに信じられない。
 谷の反対側までは目測で約五百メートル。飛行できる戦士たちならともかく、自衛隊の面々は、ここまで来て引き返さなくてはならないのかと落胆していたところに、セーラーサンが古びた吊り橋を発見したというわけだ。
 木組みの吊り橋だった。時折、谷底から吹き上げてくる風に煽られて大きく触れ動き、今にも壊れそうな嫌な音を響かせている。できることならば、この吊り橋を使いたくない。日暮を始め自衛隊の面々の顔には、太字ではっきりとそう書いてある。
「それぞれ二往復すりゃあ、全員を運べるかもしれんが………」
 誰が何のために架けた吊り橋なのかは分からないが、橋があるということは、以前はこの“ラピュタ”に人が暮らしていたという証拠でもある。様々な移動手段を持っているブラッディ・クルセイダースが、わざわざこのような橋を架けるとは思えないし、最近作られたものだとも思えない。
「渡れそうですよ?」
 第一発見者のセーラーサンが、吊り橋の上を三メートル程歩いてみる。足下はしっかりしていて、思っていたよりがんじょうそうだ。
「まぁ、歩いて渡れなくはないんだろうけど、途中で崩れないともかぎらないよ? この橋、とっても古そうだから」
 ジュピターは吊り橋を揺すってみる。空恐ろしい軋み音と共に、セーラーサンの盛大に泣き叫ぶ声が轟く。
「ぎゃぁぁぁぁ〜〜〜っ!!」
「あ、悪い………」
 ジュピターは、セーラーサンが渡っていることをすっかり忘れていたらしい。セーラーサンはと言うと、その場に完全に腰を抜かしてフリーズしてしまっている。
「この人数で一度に渡ったら、絶対に崩れると思う………」
 ギャラクシアが、まるで猫の子でも摘むようにセーラーサンの襟を摘んで吊り橋から戻ってくる。セーラーサンは縮こまった状態で固まってしまっていた。
「お払いしてくれよ。得意だろ?」
 ジュピターがマーズに冗談めかして訊くと、
「お払いしてあげてもいいけど、あたしは歩いて渡らないわよ」
 マーズはあからさまに嫌そうな顔をした。
「時間は掛かるけど、安全策でいこう」
 仕方ないなという顔で、カロンは戦士たちを見渡した。
 戦士たちは全部で六人いる。自衛隊のメンバーは日暮を含めて十人なので、確かに二往復すれば全員を運ぶことができる。
「くじ引きで決めるか。ジェダイト(D・J)が外れな」
 意地悪そうな顔をして、ジュピターは言った。
「なんで俺が外れなんだよ?」
「だって、誰も男なんかに、抱き抱えられて運ばれたくないだろ?」
 言いながら自衛隊の面々の方に顔を向けると、さも当然とばかりに全員が雁首揃えて何度も肯いた。とても正直な連中である。
「まぁ、一番ガタイのデカい隊長は、俺が大事に運んでって………なんで、そんな嫌そうな顔をすんだよ!?」
「全員平等にくじ引きだ」
「はいはい。分かりましたよ。どうせ俺は外れですよ。機嫌が悪いから、俺に当たったやつは覚悟しろよ」
 戯けたようにそこまで言ったジェダイトだったが、その表情は急激に硬くなる。
「………吊り橋を歩いて渡ってもらわなきゃならないようだぜ」
 声音を変えて、一方を顎で示した。地響きにも似た震動が、足下から伝わってくる。モーターが作動しているような甲高い音に混じって、圧力ブレーキのようなプシューという音が聞こえてくる。
「なに? この音………」
 いつまでもフリーズしている場合ではない。気持ちをリセットし、セーラーサンは立ち上がって耳を澄ました。
「今度はモビルスーツでも出てくるのか?」
 日暮がゴクリと唾を飲み込む。冗談のひとつでも言いたくなるような心境だった。接近してくるのが味方であるとは考えにくい。敵であるとするならば、状況は自分たちにとって極めて不利だ。自分たちの背後は深い渓谷なのだ。
「誰か谷の向こう側に行って、安全を確保してくれ。こんなところで挟み撃ちにあったら、たまったもんじゃないぞ」
 日暮は戦士たちに向かって言った。最早、悠長に運んでもらえるような状況ではない。
「分かった。俺とギャラクシア(なびき)で見て来よう」
「勝手に人選をするな」
「文句言うなよ! 行くぞ」
「偉そうに………」
 ジェダイトはギャラクシアを連れ、谷の向こう側へと移っていった。
「接近してくるのは、重武装の部隊です。かなりの数です」
 偵察に行っていた自衛隊員のひとり―――確か伸二と呼ばれていた―――が、戻ってきた。報告を受けた日暮は、渋い顔をして唸った。
「唯一の救いは、道幅が狭いってことだな」
 周囲は巨大な巨石郡で囲まれている。人工的に切り開かれたのであろう、自分たちが通ってきた道幅は、大人五人が並んで歩けるほどの広さしかない。
「一度に相手にしなければならない数は、少なくてすむってことね」
 とは言え、マーズの表情は険しかった。
 谷の向こう側から、ジェダイトの「○」のサインが返ってきた。向こう側に、敵の姿はないらしい。
「よし。女先生ともなか嬢ちゃん。行ってくれ」
 サインを確認すると、日暮はふたりに向かって言った。だが、日暮のその顔を見た時、僅かにセーラーサンは躊躇した。
「日暮のおじさん?」
「なんだ?」
「ううん。なんでもない。向こうで待ってるね」
「じゃあ、先に行く」
 セーラーサンとカロンは、吊り橋の上を飛行して、渓谷の向こう側へと渡った。

 渓谷に迫っているのは、サンザヴォワールの一団だった。しかし、日暮たちが発見した部隊には、サンザヴォワール本人は含まれていない。彼は既に、部隊をふたつに分けていたのだ。渓谷を挟んで、自分のいる別働隊と本隊を配置していた。日暮たちに向かっているのは本隊の方だ。サンザヴォワール本人は別働隊を指揮し、本隊とは反対側で待機していた。
「狙い通りだぜ」
 セーラー戦士たちの動きを見て、サンザヴォワールは満足げに笑う。彼としては、セーラー戦士が相手にできればいいのだ。重火器を持っている自衛隊と戦う気はなかった。
 窮鼠猫を噛む。
 追い詰められた自衛隊の連中が、予期せぬ行動を取ることも考えられる。そんな厄介な相手とは、あまりまともに戦いたくはない。それよりも、セーラー戦士たちと戦った方が楽しめそうだった。ロードス島ではそこそこ楽しませてくれた。相手が違うが、今度も楽しませてもらえそうだ。
「セーラー戦士と出会えるとは、ラッキーだった」
 サンザヴォワールは、山道を移動するセーラー戦士たちを発見した時、歓喜した。戦える嬉しさで、身が震えるほどだった。ルートはひとつしかない。サンザヴォワールは、挟撃するには最適なこの渓谷で、彼女たちを待ち伏せていたのだ。
「『方舟』なんか襲うより、こっちの方が楽しそうだ」
 サンザヴォワールはサラディアの命令を無視した。その結果、彼がアルテミスたちと戦う事態が避けられたわけだが、当の本人はそんな僅か未来のことなど全く予測していない。彼が命令通りに「方舟」に向かっていたとしたら、アルテミスとプレアデスは、サラディアを倒せなかったかもしれない。
「あとふたりだ。早く来い………」
 わくわくするような思いで待機している時、爆音が響いた。どうやら潜んでいたことに気付かれたらしい。
「ドジが! 見つかりやがって!!」
 発見された部下たちと、セーラー戦士たちが戦闘を開始した。本隊は谷の向こう側なので、こちらに残している部隊はそれ程多くはない。
「まぁいい。その方がやつらも油断するだろう」
 サンザヴォワールは、部下たちを見捨てることにした。全滅してくれた方が都合が良いからだ。

「次はあんたたちの番だ」
 セーラーサンとカロンが渡りきったのを確認すると、日暮はマーズとジュピターに顔を向けた。
「あたしたちは殿(しんがり)でいいよ。先に渡ってくれ」
 ジュピターが何を言っているんだ、と言う顔で答えてきた。自衛隊の面々は、吊り橋を渡らなければならない。自衛隊員全員が渡り切るには時間が掛かる。それまで、自分とマーズはここに残り、彼らを援護をするつもりだった。残されたのが自分たちふたりだったので、当然日暮もそのつもりなのだろうと思っていた。
「吊り橋に仕掛けをして行く。もう少し、時間が掛かりそうなんだ」
「吊り橋に仕掛け………?」
 マーズが目を向けると、いつの間に指示を受けたのか、ふたりの自衛隊員が橋のたもとで何やらゴソゴソと作業をしている。
「来ます!! 先行部隊は三名! 後続部隊の規模は不明です!」
 突然のその報告は、爆音に掻き消された。敵部隊は、問答無用で攻撃を加えてきたのだ。続いて谷の向こう側からも爆煙が上がる。
「向こうにもいたのか!?」
 ジュピターは顔色を変えた。渓谷を挟んで、挟み撃ちに遭ってしまったのだ。
「待ち伏せされていたのか………。確かに、ここは攻める側にとっては都合の良い場所なのかもしれない」
 日暮は歯軋りした。道幅が狭いので攻めづらいという欠点もあるが、どのみち敵の背後は渓谷なのだ。後退をすることができない。時間は掛かるかもしれないが、物量を持ってすれば、攻めるのは守るより容易だった。
「こっちはいい。早く向こうに行け!」
「行けって言ったって………」
「こうなってしまった以上、どっちにしろ俺たちに吊り橋を渡っている余裕はない。この場所で俺たちが壁になる。こっちの敵はここで俺たちが食い止める。だから、お前たちは、とっとと向こうの敵を殲滅して、敵さんの本陣へ一直線に突っ込め」
「無茶よ! いくらなんでも………」
 とてもじゃないが、納得できるものではない。マーズは縋るような視線を日暮に向けたが、日暮は口を真一文字に結んだまま首を横に振った。
「無茶は分かっている。だが、このままじゃ俺たちは足手まといになる。兵藤の言った通りだ。俺の考えは甘かった」
「だけど、だけどさ! 兵藤との約束はどうすんだよ!? 無事に日本に帰るんじゃなかったのか?」
「誰が日本に帰らないと言った?」
 日暮は憮然とした態度を取る。
「帰るに決まってんじゃねぇか! 余計な心配してねぇで、早く向こうの加勢に行ってやれ」
 ジュピターもマーズも、日暮の顔を見つめたまま動けなかった。そんなふたりに、日暮はニッと笑いを送る。
「日本に帰ったら、全員で大宴会をしようぜ。もちろん、俺のオゴリだ。なぁ、みんな?」
 日暮は背後で奮戦している部下たちに首を巡らす。
「大丈夫っすかぁ? 安月給でしょ。破産しても知らないっすよ?」
「料亭でやってもらえるンすか?」
「ホテルもいいっすね」
「ばぁか、日暮さんだぞ? 十番会館に決まってるだろ!」
「マジ!? ってことは、ツマミはコンビニのメニューかよぉ」
 揶揄するような隊員たちの声が返ってくる。日暮は豪快に笑いながら、それに答えた。
「更科の蕎麦くらいは出前で取ってやる」

 ジュピターとマーズを迎えた仲間たちは、怪訝そうな顔をする。
「日暮のおじさんは………?」
 聞いてはいけないことでも尋ねるように、セーラーサンは尋ねた。谷のこちら側の敵は、ギャラクシアとジェダイトの活躍で、今さっき全滅させたところだ。何ヶ所かで煙が燻っているだけで、もう敵の姿はどこにも見えない。
 ジュピターとマーズは沈黙を守っていた。
「ねぇ。日暮のおじさんや、自衛隊のお兄さんたちは?」
 セーラーサンはもう一度尋ねた。その瞬間、渓谷を揺るがす大音響が響き渡った。
「まさか!?」
 顔面を蒼白にして、カロンは吸い込まれるように谷の向こう側に顔を向けた。

 実際、無謀なことは分かっている。相手は超科学の力で武装した戦闘集団だ。殺戮を生業とする兵士である。自分たちは銃を撃つ訓練こそ受けてはいるが、戦争をするための兵士ではない。人の命を奪うために、引き金を引く訓練を受けているわけではないのだ。だからどうしても、躊躇いが出てしまう。そこに生身の人間がいると分かっていて、躊躇なく引き金が引けるほど、彼らは非道になれなかった。自分たちは人間であり、機械ではない。感情を押し殺してまで、引き金を引く力はなかった。
 敵が迫ってくる。容赦ない攻撃を受ける。
 死にたくないから反撃する。そう、彼らは「死にたくない」その一心で、引き金を引いていた。
 爆風に吹き飛ばされる部下たちの姿が見えた。
「岡野ぉ!」
「福田さん!!」
 絶叫が聞こえる。
 しかし、日暮は動けなかった。自分は最後の砦なのだ。自分の背後には、未だ作業に没頭しているふたりの部下がいる。彼らは全くの無防備だ。自分が守らねばならない。
 怒号と悲鳴が響く。部下たちが次々と倒れていく。
 敵の数は減っていない。超科学の力で武装した彼らに、通常兵器は無力だった。全く歯が立たない。
「セット完了!!」
 背後から、キリリとした声が投げ掛けられた。
「よし! 爆破!!」
「爆破!!」
 日暮の号令を復唱し、ふたりの自衛隊隊員は手元のスイッチを押した。大音響とともに吊り橋がたもとから崩れる。これで目の前の部隊は、谷の向こう側へ渡ることはできない。修復するのは困難だ。だとすると迂回するしかない。先行したセーラー戦士たちに、この敵が追い付くことはない。
「よくやった、永井、田中。俺を援護しろ!」
 次は自分の番だ。日暮は敵部隊に向かって、無反動バズーカを構えたまま走り出した。ジャケットのホックには、無数の手榴弾をぶら下げてある。日暮はそのまま、敵陣に突っ込むつもりだった。手榴弾のピンを抜く必要はない。突っ込んでくる自分に向かって、必ず敵は発砲してくる。どれかひとつに命中してくれれば、残りは誘爆してくれる。持っている手榴弾は全部で二十。二十個が一度に爆発すれば、かなりの数の敵を道連れにすることができる。
「悪いな。約束、破っちまって………」
 走りながら、ポツリと呟いた。
 ふたりの自衛隊隊員が、日暮を守るように前方を走る。
「俺たちが盾になります。日暮さんはできるだけ敵の深くまで………!」
 言葉の続きを、彼は口にすることができなかった。銃弾を浴び、もんどり打って倒れる。
 自分の身代わりとなって撃たれた部下を、日暮は無視した。ここで立ち止まったら、彼の行為を無駄にすることになる。
「うおぉぉぉ!!」
 残りひとりとなった隊員は、叫びながら機関銃を放つ。伸二だった。
 最前列にいた敵が、大きくジャンプするのが見えた。背部に装着しているバーニアを吹かしたのだ。虚を突かれ、その敵を目で追ってしまった伸二に、前方から銃弾が叩き込まれる。伸二は崩れるようにその場に倒れた。
「くっ!!」
 日暮は手にしていた無反動バズーカを、前方に向けて放った。だが敵は次々とバーニアを吹かして上昇し、日暮の攻撃をことごとく回避した。
 彼らはその気になれば、いつでも飛翔することができたのだ。そうしなかったのは、彼らは彼らで、何かの事情で時間を稼ぐ必要があったからなのかもしれない。
 吊り橋を破壊しても無意味だったという事実を目の当たりにして、日暮は愕然とする。敵部隊はそんな日暮をあざ笑うかのように、彼を無視して頭上を飛び越えていく。
 無力なお前たちに、構っている時間はない。
 そんな声が聞こえたような気がした。
「冗談じゃねぇ!! 俺たちがなんのためにここに残ったと思ってるんだぁ!! この先には、絶対に行かせねぇ!!」
 日暮は天に向かって吼え、手榴弾のピンに指を掛けた。

―――ダメ! パパ!!

 陽子の声が、閃光の如く脳裏を貫いた。
「陽子!?」
 ピンに掛けていた指を、日暮は思わず放した。
「ムーン・ヒーリング・エスカレーション!!」
 聞き覚えのある声が響くと同時に、自分の回りに光の壁が出現する。
 自分を飛び越えようとしていた敵たちが、次々と打ち落とされていくのが見えた。