光の船


「セーラーノア………?」
 カプセルから出てきた女性を見つめ、セーラームーンは呟くように聞き返していた。
 セーラーノアは柔らかい笑みを、セーラームーンに向けていた。
 歳は二十歳前後に見えた。エメラルドグリーンの神秘的な髪はストレートロングで、お尻の辺りまで伸ばされてはいたが、サラサラとした感じがするので、質量感をあまり感じなかった。瞳の色はピンクサファイア。不思議な印象を受ける。色白で、全体的に華奢な体型をしていた。
 体型が分かったのは、体にフィットしたセーラースーツを着用していたからだ。シンプルなイブニングドレスとでも言ったらいいのだろうか、戦闘には不向きなセーラースーツに思えた。スカートの裾は、完全に床に届いてしまっている。これでは戦うときに邪魔になりそうな気がした。
「わたしのこのスタイルが気になりますか?」
 セーラームーンの視線の意味を感じ取ったセーラーノアは、神秘的な瞳を向けてきた。
「セーラー戦士は、戦うための戦士だけではありません。与えられた場所を、守護する為の戦士なのです」
「守護の戦士………?」
 セーラームーンは呟いた。言われてみれば、確かにその通りなのである。自分を守る四守護神の戦士たちも、本来はそれぞれの星の守護者である。外部太陽系の三人にいたっても戦士もそうである。中でもセーラープルートは、自らの星を守護すると共に、「時空の扉」も守っている。新たに仲間に加わったセーラーカロンも、「冥界の門」の番人だった。
「わたしはこの船の守護者。いえ、この船そのものが、わたしなのです。船が傷つけば、わたしも傷つきます。わたしがこの場にいなければ、船は動くことすらできません。ですから、わたしはこの船から出ることはできないのです。わたしの意識を外に出すことくらいしか、叶わないのです」
「それが、乃亜ちゃんなのね………」
「はい。彼女はわたしの意識の分離体です。ですが、彼女を外に出している時は、やはりわたしの活動は制限されてしまいます。エネルギーも大量に消費しますので、カプセル内で休息を取らねばならないのです」
「ふ〜ん」
 セーラームーンは分かったような、分からないのような、曖昧な返事を返していた。実際、完全には理解できていないのである。
「ところで、セーラーノア。キミは、いったい誰を待っているんだ? プリンセスを捜していたようには見えなかったけど?」
 ゾイサイトが質問してきた。
 セーラーノアは、ピンクサファイアの瞳をゾイサイトに向けた。
「この地球には、わたしと同じ船たちが眠っているはずなのです。わたしは仲間たちが、わたしと同じように意識体を出して、外の様子を探っているでは………」
「違うな」
 ネフライトがセーラーノアの言葉を遮った。かなり強い口調だったので、セーラーノアは言葉を飲み込んでしまった。
「意識体同士なら、引き合うはずだ。あんな、手間の掛かるようなことをする必要はない。何を隠している?」
 鋭い視線をネフライトは向けた。セーラーノアの表情が、僅かに動揺の色を示した。
「キミはシルバー・ミレニアムの戦士ではない。だとすると、太陽系外のセーラー戦士だと言うことになる。プリンセスを知っていることから推測すると、過去に何らかの理由でシルバー・ミレニアムと交流があったことは分かるが、地球で眠っていた理由の説明は付かない。メタリアとの戦いの際も、キミらしき『船』の存在も確認できていない。俺たちの知らないところで、キミは、いや、キミたちか? は、何をやっていたんだ? 過去で、何があった?」
 ネフライトの口調は、詰問のように感じた。セーラームーンが、驚いたような視線をネフライトに向けた。何か言いたげなセーラームーンだったが、ゾイサイトがそれを制した。聞いておかなければならないことなのだ。
 セーラーノアは困惑した表情を見せていた。言葉に詰まっているとも感じられる。
「僕たちはまだ、キミを完全に味方だと認めているわけではないんだ。敵意は感じないが、それが作戦である可能性もある。曖昧な状態では、キミと行動を共にすることはできない」
 ゾイサイトの口調は柔らかであったが、視線は鋭かった。
「………今は、プリンセスをお守りする立場ですからね。そのお気持ちは理解できます。ですが、過去にあった出来事を、今は話す時ではないと感じています」
「ならば、申し訳ないが、我々はここを立ち去らせてもらう。我々には、やらねばならないことがある」
 ネフライトの言葉には、確固たる意志が感じられた。ふたりには、衛や四守護神に代わってセーラームーンを守護する義務がある。事態を把握できないまま、同行することはできない。
「ふたりとも、そんな言い方したら、セーラーノアが可愛そうじゃない! 説明できないのには、きっと理由があるのよ!」
 堪り兼ねてセーラームーンが割り込んできた。彼女にしてみれば、ふたりが頑なに拒否をする理由が分からないからだ。
「プリンセス。お心遣いありがとうございます。ですが、このおふたりの言われる通りです。敵か味方かもはっきりと分からない相手と、行動を共にすることはできないでしょう」
 セーラーノアは寂しげに言うと、ネフライトとゾイサイトに視線を移した。
「お手間を取らせて申し訳ありませんでした。わたしは本来探すべき相手を、再び待つことにします。外までは意識体がご案内致します」
 そう言うと踵を返し、カプセルに向かってゆっくりと歩みだした。再び眠りに付くのである。
 しかし、それはできなかった。
 セーラーノアは何かに弾かれたように振り返って、正面のスクリーンを見上げた。
 それはセーラームーンも同じだった。誰かが、自分を呼んだような気がしたのだ。
「なに!?」
 セーラームーンは口に出して、驚きを示した。
 セーラーノアはスクリーンを見上げたまま、瞼を閉じて精神を集中させていた。
「仲間がわたしを呼んでいます!」
 セーラーノアは瞼を開けた。同時にスクリーンに光が入る。床が小刻みに振動を始めた。
「ネフライト!」
「ああ、俺も感じた。『魂の叫』びとでも表現したらいいのか。いったい、誰の声だったんだ?」
 異常を感じ取っていたのは、セーラームーンとノアのふたりだけではなかった。ネフライトとゾイサイトも、確実に「何か」を感じ取っていた。
 ぐらりと揺れた。
 躍動とも言える動きだった。
 視界に入る全ての装置が、作動を開始した。
「セーラーノア!」
 咎めるような口調で、ネフライトはセーラーノアに声を掛けた。セーラーノアはスクリーンを見上げている。
「何故、作動させた!? 俺たちがまだいるんだぞ!」
 この場から移動をしたいのなら、自分たちが降りてからにしてほしかった。嫌な予感がした。
「待って、ネフライト!」
 それを制したのはセーラームーンだった。彼女はゆっくりと歩を進め、セーラーノアの横に並んだ。
「ふたりも感じたでしょう? 誰かがあたしたちを呼んでいるわ」
 はっきりと「声」として認識したわけではなかったが、明らかに何者かの意志を感じたのだ。
 “助けて”
 と、言う意志を感じたのである。
「ノア、誰があたしたちを呼んでいるの!? あなたの仲間なの!?」
「ヴィルジニテが………」
 セーラーノアは声を絞り出した。
「セーラーヴィルジニテがあたしを呼んでいます。助けを求めています」
 瞳はスクリーンに向けられていた。しかし、スクリーンには美しい夜空が映し出されているだけで、これといって変化があるわけではなかった。ただ、何かを探しているように、映像が流れるように移動する。まるで、人の目が何かを探っているようでもあった。
「この方向!?」
 スクリーンの映像が固定された。だが、相変わらずの星空だった。
「何も見えないわよ」
 星空しか映し出されていないスクリーンを見上げて、セーラームーンは言った。どんなに目を凝らしてみても、スクリーンには星空しか見えない。
「プリンセス」
 セーラーノアがセーラームーンに向き直った。真っ直ぐにセーラームーンの瞳を見据える。
「勝手なお願いであることは分かっています。しかし、わたしは救いを求めている仲間を助けたい。お力をお貸し願えないでしょうか?」
 セーラームーンは困惑した。何も変化が感じられないスクリーンから、セーラーノアは何を感じたと言うのか? 救いを求める声は、確かに自分にも聞こえた。しかし、その正体が掴めない。
「残念ながらわたしの“目”では、その姿を捉えることができません。ですが、方角は分かりました。わたしの仲間のセーラーヴィルジニテが危機に陥っています。そして、恐らくプリンセスのお仲間も………」
「あたしの仲間!?」
「ヴィルジニテと直接“会話”をしたわけではありませんので、断定はできませんが………」
 セーラーノアは自信なさそうに言った。
 そのセーラーノアに助け船を出したのは、以外にもネフライトだった。
「プリンセス。我々が感じたのは、恐らく我々の仲間の“声”だったように思う。セーラーノアの仲間の“声”だったとは考えにくい。同じ場所で危機に直面しているのかもしれない」
 ネフライトの言葉を受けて、ゾイサイトも肯いた。ふたりとも同じ考えのようだ。
「虎穴に入らずんば、虎子を得ずってね。何かを感じてしまって以上は、行動を起こさないとね」
 ゾイサイトは言った。
 セーラームーンはふたりの意思を確認するとゆっくりと肯き、セーラーノアに向き直った。
「セーラーノア。プリンセス・セレニティの名において、あなたに依頼します。わたしたちを、その場所まで運んでください」
「ありがとうございます、プリンセス」
 セーラーノアは深々と頭を下げた。
「お礼はまだ早いわ。とにかく、あなたの仲間を助けましょう。あたしの仲間も、そこにいる可能性が高いし………」
「はい」
 セーラーノアは肯くと、真っ直ぐに正面を見据えた。
「飛びます」
 ゆっくりとした口調で、三人に告げた。直後に浮遊感が三人を襲った。
 窓だと想像したパネルの外に見えた岩盤が、ゆっくりと下に流れていく。第一印象は間違いではなかったようだ。透明のパネルは、外を直視するための窓だったのだ。
 パネルの外の光景が変わった。星空になったのだ。
「メテオ・ホールと繋がっていたのか!?」
 ゾイサイトが驚きの声を上げた。
 メテオ・ホールとは、ドウバヤズットの町から三十五キロ程離れた、イランとの国境検問所近くにある。巨大な大穴のことである。直径は三十五メートル。深さは六十メートルもある。1920年に隕石が落ちた際に出来たクレーターであり、その大きさは世界最大級だと言われている。
「やはり、『船』だったのか………。箱船伝説と同じ人物の名。そして、同じ場所。これは偶然なのか………?」
 ネフライトは呟くように言った。
「彼女たちが関わった事件が、伝説として語り伝えられているって可能性もある」
 独り言のつもりだったのだが、ゾイサイトには聞こえたようだ。答えが返ってきたことが嬉しかったのか、それとも独り言を聞かれてしまったのが恥ずかしかったのか、ネフライトは曖昧な微苦笑を浮かべた。
「行きます!」
 セーラーノアの声が聞こえたので、ネフライトは視線を正面に戻した。
 スクリーンに映された映像とパネルの景色が、物凄いスピードで後方に移動していく。アララト山は、既に遙か後方だった。
「アララト山とメテオ・ホールは、地下で繋がっているのか? ………しかし、ドコに向かっているだろう?」
「方角的には南西に向かっているようだな。ギリシャへ逆戻りしている」
 今度はゾイサイトの独り言に、ネフライトが答えていた。
「よく分かるね」
 驚いたようにゾイサイトが聞き返すと、
「星を見れば分かる」
 ネフライトは素っ気なく答えた。

「うっ………。この感じ………?」
 移動し始めてから五分程経過していた。正面のスクリーンを見据えていたセーラームーンが、不意に何かを感じ取った。
 目を閉じ、右のこめかみに人差し指を当てる。
 キィィィィィン………。
 耳鳴りのような音が、直接脳に伝わってくる。
『我らの飛空艇は使うわけにはいかない。彼女たちの為にも………』
 何者かの声が、直接脳の中で響いたような気がした。誰の声かは分からない。聞いたこともない声だ。
『ちっ。イズラエルめ、自らの保身のためにサラディアに付くと言うわけか』
 また、同じ声が響いた。かなり苛立っているように感じた。
『我が騎士団が、こうもあっさりと破れるとはな………』
 別の声が響いた。悔しげな感情も伝わってくる。まるで、その場に自分がいるかのような感じさえした。
「何なの!?」
 セーラームーンは声に出して困惑した。全く知らないふたりの男性の声が、直接脳に伝わってきているのだ。この感覚は、テレパシーに近い。
「ぼ、僕にも聞こえた! セーラーノア、これはキミの仕業か!?」
 どうやらゾイサイトとネフライトにも、このテレパシーにも似た感覚を感じていたようだ。
 ただテレパシーと決定的に違うことは、こちらから意志を飛ばしても、相手に届いていないと言うことだ。
「いえ、わたしではありません。ヴィルジニテです。彼女が、心ある者たちの意志を周囲に投げているようです。わたしには、ヴィルジニテほど他の者の意志を飛ばすことができません。ですが、もう少し近付けば、わたしを通して、あなた方も意志を飛ばすことができます」
 セーラーノアは答えた。その間にも、何者かの声が脳裏に飛び込んでくる。
『まずいよ、アルテミス!! 大きいのが突っ込んでくる!!』
「アルテミスですってぇ!?」
 セーラームーンが驚きの声を上げた。突然、知っている名前が出てきたからである。しかし、アルテミスを呼んだらしい女性の声には聞き覚えがない。
『無理よ、ヴィクトール! 地下の飛空艇で一端ここを離れた方がいいわ! 戦力を立て直さないと!!』
「今の声、美奈P!?」
 今度は聞き覚えのある声だった。美奈子の声だ。何か緊迫している。
「とんでもない状況になっているようだな」
 断続的にではあるが、今まで聞こえてきた声の内容から、ネフライトが状況をある程度予測した。美奈子やアルテミスの身に、危険が迫っていることは明らかだった。
「ノア! まだ到着しないの!?」
 次第にセーラームーンは焦り始めていた。美奈子の声を聞いてしまったからだ。会話から推測すると、アルテミスも一緒にいるらしい。
『あたしは、ここで力尽きてしますの………?』
 何者かの絶望的な意志だった。先程アルテミスを呼んだ女性の声だと思えた。彼女が絶望する程の事態が、その場で起こっているのだ。
「ダメよ、ダメ! もう少しであたしたちが行くわ! それまで、がんばって!!」
 意志が飛ばせないと分かってはいても、セーラームーンは叫ばずにはいられなかった。
「あと少し、あと少しです!」
 セーラーノアが必死の形相で叫んだ。彼女は今、自分の持てる力の全てを使って、「箱船」を全速力で飛行させているのだ。
「………!!」
 強烈な意志が四人の脳裏を貫いた。
『や、やめろ、美奈ぁ!!』
『アルテミースッ!』
 ふたりの男性の悲痛な絶叫だった。
「今の声、クンツァイトか!?」
 ネフライトが驚きの声を上げた。探している最後の仲間が、もしかするとそこにいるかもしれない。
「美奈P、がんばって。あたしが行くまで、持ちこたえて………」
 震える体を自らの両腕で押さえ付け、セーラームーンは祈るように呟いていた。今すぐにでも飛んで行きたいのだが、彼女たちのいる場所が正確に分からない状態では、テレポートすることもできない。彼女たちの意志を辿って、闇雲にテレポートするなどという冒険ができる状態ではなかった。確実に彼女たちの元に行く必要があるのだ。
『死ねない! こんなところで死ねない!!』
 苦しげな美奈子の声が伝わってくる。
「お願い! 美奈Pがんばって!! ノア! 早く!!」
 しかし、セーラームーンの祈りは天に届かなかったのかもしれない。
『ごめん。みんな………』
 美奈子のその意志は、セーラームーンの元に届くと、まるでシャボン玉が弾けるように、はかなく消えていった。
 セーラームーンは声も出なかった。唇をワナワナと震わせ、前方を凝視することしかできない。
「間に合わなかった、のか………?」
 美奈子の意志を捉えたゾイサイトは、その場にガクリと膝を突いた。言ってはいけない言葉だと思いつつも、絶望のあまりつい口から零れてしまったのだ。
「ま、まだよ! そうと決まったわけじゃないわ!!」
 セーラームーンの全身が、淡い光を放ちだした。暖かい、銀水晶の光だった。
「プリンセスの言うとおりだ。まだ、諦めるのは早い」
 ネフライトは既に戦闘状態まで“気”を高めていた。到着次第、全力で戦うことができる。
 ゾイサイトは無言で肯くと、自らも“気”を高めていく。
「間もなく到着します。ここまで来れば、わたしを中継して意志を飛ばすことができます」
 セーラーノアは前面を見据えたまま言った。スクリーンの映像が切り替わる。
 まだ判然としないが、時折閃光が煌めいている。戦闘空域が近いのだ。
「見える!?」
 ゾイサイトが声を上げた。脳裏に映像が浮かんでくる。
 仲間たちの動きが、手に取るように伝わってきた。
 フリーズ・ブレイドを手に、全身にパワーを漲らせているクンツァイトの姿が、鮮明な映像となって脳裏に浮かんだ。
『許せん!』
 クンツァイトが身を躍らせようとする。
「待て、クンツァイト!!」
 ネフライトが叫んだ。同時に姿が消失する。テレポートしたのだ。僅かに遅れて、ゾイサイトが後を追った。
 セーラームーンは動かない。スクリーンを見つめたままだ。空中に浮かぶ、巨大な船が写っている。その近くに、小型の船も見える。
「! ヴィルジニテ! まさか!!」
 画面を見ていたセーラーノアが色をなした。
『これまでか………!!』
 絶望する女性の声。セーラームーンの脳裏には、戦闘艦らしい船と対峙している女性の姿が映っていた。
「諦めちゃ駄目!!」
「いけない、ヴィルジニテ!!」
 セーラームーンとセーラーノアが叫んだのは、ほぼ同時だった。
 セーラーノアは叫ぶと同時に、戦闘用として装備されている砲門を、前方に向けて掃射した。 セーラームーンは閃光を放ちながら、テレポートしていった。