少女の導かれるままに


 うさぎたちはトルコのドウバヤズットにいた。到着したのは、きのうのことだった。
 ドウバヤズットはトルコの東側に位置している。アララト山の麓に位置する小さな街である。イランとの国境付近にあると言うこともあり、イラン風の建物も多い街である。
 三人は、一昨日まではギリシャのアテネにいたのだが、彼女たちの懸命の調査も虚しく、殆ど手掛かりらしい手掛かりは得られなかった。確かに「ラピュタ」と言う言葉だけで、それがいったい何を意味するのか調べようなどと言うことは、無茶も(はなは)だしいと言えた。ブラッディ・クルセイダース内部だけにしか通用しないのコード名であれば、一般の文献を調べたところで手掛かりが掴めるはずはない。
 実在の建造物だとしたら、その「ラピュタ」なるものは伝説上の浮かぶ都市を意味する。しかし、それとても「伝説上」の建造物である。本当に存在していたかどうかは疑わしい。とは言うものの結局彼女たちは、その「伝説上」の浮遊都市としての「ラピュタ」を求め、ノアの箱船で有名なアララト山麓の町ドウバヤズットにまではるばる来てしまったのである。

 「ラピュタ」に関する情報を求め、エジプトからギリシャに渡った彼女たちは、休む間もなく首都アテネにおいて博物館巡りをすることとなった。
 市内の国立歴史博物館に直行し、その後国立考古学博物館に向かった。何の収穫もないまま、市内で一泊し、次の日は開館と同時に国立図書館に赴いた。
「『ラピュタ』に関する文献て、どれも似たようなものね………」
 何冊めかの分厚い本を閉じ、美園はふうと溜息を付いた。妙に艶っぽい仕草なのだが、うさぎは特に突っ込まなかった。要は、美園の女性ぽい仕草に慣れてしまったのだ。
 「ラピュタ」イコール「浮遊する都市」と言う文献は多いのだが、どれも憶測にしか過ぎず、文体が違うだけで内容は殆ど同じだった。
「だけどさぁ。都市が飛ぶなんて、本当にありえるのかしら………。もしかしてさ、現代のあたしたちと一緒で、大昔の人たちが作った空想の物語なんじゃないの? いわゆるSF作家が大昔にいたっておかしくないじゃない。そういった人たちが書いた空想小説を、現代の人たちが本当にあったことじゃないかって、勝手に考えてるだけとか………」
 日本語で書かれていない文献をうさぎが読めるわけでもなく、いい加減退屈してきたが為に出た、ぼやきの一言だった。
「案外、的を得ているかもね。ノアの箱船の話だって、実際にあったことだと考えているのは、けっこう少ないしね。世界各地に同じような逸話があるわけだから、当然だと思いたいケド」
 美園が肩を竦めた。うさぎが当てずっぽうで言ったのは分かっていたが、案外それが現実なのかもしれないと思った。ノアの箱船を初めとする聖書の物語なども、事実を見た人物がいないのだから、空想の物語であるかも知れないと言う考えは捨てきれない。
「そんなこと言っていいのか? お前、クリスチャンじゃなかったのか?」
 三条院が訝しんだ。確か、美園は敬虔なクリスチャンだったはずだ。
「ま、そうなんだけどね………」
 そう言いながら、美園は銀の十字架をポケットから取り出した。
「綺麗ね。それ、純銀製?」
「そうだと思う。母親の形見なのよ」
 縦が五センチ、横が四センチくらいの十字架だった。気まずいことを聞いてしまったと表情を変えたうさぎに、美園は柔らかい笑みを向ける。気にすることはないという意志表示だった。美園は十字架をしばし見つめたのち、大事そうに再びポケットにしまい込んだ。
「さて、どうする? こんなにも手掛かりがないんじゃ、動きようがないけど」
 美園は三条院に目をやった。一応のリーダーは三条院である。最終的には彼の判断に委ねるしかない。
「ノアの箱船でも探しに行くか………」
 冗談とも本気とも取れる、三条院の言葉だった。

 アテネからイスタンブールを経由してアンカラに到着したのが、一昨日の昼のことである。アンカラからドウバヤズット(正確には付近の都市アール)までは、週三回だけだが航空便が出ているのだ。便の関係で丸一日アンカラで過ごさなければならなかったが、イスタンブールからバスで二十二時間あまりをかけるよりは、一日待っても空の便の方が楽ができる。
 アンカラで宿を取ることに決めた一行は、アテネから到着してから一時間ほど休憩した後、市内巡りをした。民族学博物館、アナトリア文明博物館と二カ所を回って「ラピュタ」に関する調査を行ったが、やはり手懸かりは得られなかった。退屈しのぎにビザンチン時代の城塞後とアウグストゥス神殿を見学し終わった頃には、陽もすっかり暮れてしまった。
「そろそろホテルを探すか」
 頃合いを見計らって、三条院は言った。
 三人は市内の高級ホテルに宿を取ることにした。ちなみに、宿泊費を含めた旅行費用は、全て三条院持ちである。
「うわぁ、ふかふかベッドだぁ!!」
 うさぎは大喜びでベッドに飛び込むと、そのまま眠ってしまった。
「警戒されてないと言うのか、信頼されてるって考えるべきか………」
「戯けない寝顔ね」
 二部屋取ったのだが、うさぎは三条院たちが泊まるはずの部屋で、爆睡体勢に入ってしまったのだ。
「この部屋はお姫様に譲って、俺たちは隣の部屋に行こう。食事はどうする?」
「お姫様をひとりにしてホテルを離れるわけにはいかないし、ルームサービスでも取りましょうか」
「ああ。そうだな」
 ふたりは電気を消すと、うさぎが泊まるはずだった隣の部屋へと移動していった。
 次の日はホテル内で時間を調整し、アール行きの飛行機へ乗った。アールからドウバヤズットまではタクシーを使った。
「………で、あたしたちはトルコくんだりまで来たってわけよ」
 うさぎが疲れたように肩を落とした。
「誰に向かって言ってるの?」
 あさって方向に向かって独り言を言っているうさぎに、美園が不思議そうに尋ねた。
「読者よ」
 うさぎは短く答えた。(って、オイオイ)
「ところで三条院」
 意味不明な回答をしたうさぎをそのままやりすごし、美園は三条院に話し相手を変えた。
「箱船を探すってトルコまで来たけど、まさか本当に探索するつもりじゃないでしょうね。だいたい、箱船があるって言われているアララト山には、トルコ側からは登れないって聞いたことがあるけど」
「必要があれば登るが、今はそのつもりはない。それにその気になれば、俺たちなら(・・・・・)どこからでも登れるだろ?」
 三条院は即座に答えた。変身しさえすれば、わざわざ足で登らなくても飛行してしまえば楽に頂上までは行けるし、空からの方が探索はしやすいはずだった。だが、取り敢えずは地道に図書館通いである。古い文献を調べて、ノアの箱船とラピュタに関する記述を探すのが目的なのである。
「そう言えばさ。ガリバー旅行記にもラピュタが出てくるけど、もしかしてこの次は、イギリスにでも行くつもり?」
「必要があればな」
「はぁ………。これじゃまるでヨーロッパ巡りだわね」
 美園が諦めたような表情で、肩を竦めた。最近は肩を竦める回数が非常に多くなった。気を付けようとは思っているが、ついやってしまう。美園は自嘲気味に僅かに笑った。
 美園がそう言うのも無理もなかった。ドウバヤズットに到着した三人がまず初めにしたのは、イサク・パシャ宮殿を見学することだった。観光名所だったので見てみたかった。ただそれだけの理由である。しかし、これでは本当に観光旅行だった。
「ねぇねぇ、ゾノ」
 ふたりの会話にうさぎが割り込んできた。ちなみに「ゾノ」とは美園のことである。
「なんでガリバー旅行記のことでイギリスに行くの?」
「ガリバー旅行記の作者のジョナサン・スウィフトが、イギリス人だからよ」
「へぇ、そうなんだ………」
 感心してみせるうさぎは、ガリバー旅行記に「ラピュタの巻」があることすら知らなかった。ガリバー旅行記はその第一編のリリパット(小人)の国への渡航記が有名だが、冒険家である彼は実に様々なところへ赴いている。「ラピュタ」なる地へ行ったと言う下りは、第三編に収められている。
 とその時、美園の説明を聞いていたうさぎの白いブラウスの袖を、小さく引っ張る存在があることに気付いた。
「?」
 美園と三条院は目の前にいる。とすると、自分の袖を引っ張っているのはふたりではない。だいいち、ふたりがそんなことをするはずもないし必要もない。うさぎは視線を自分の袖口に落とした。
「なぁに? どうしたの?」
 うさぎが視線を向けた先には、四‐五歳くらいの女の子がいた。うさぎの袖口を掴んで、彼女の顔を見上げている。少女の存在に、美園と三条院も気付いた。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
 うさぎは少女と目線を会わせるために腰を落とした。
 少女は無言でうさぎの顔を見つめている。
「迷子になったの?」
「うん」
 うさぎの質問に、少女はようやく答えた。しかも日本語である。うさぎは全く気付いていないが、美園と三条院のふたりは、その不自然さに気付いていた。ここは日本ではない。トルコである。同じ日本人の迷子に出会うとすれば、パチンコでその日初めての回転で確率変動が当たるくらいの低確率である。
「お家はどっち?」
「あっち」
 少女は指を差した。それを見て、うさぎはどうしようかという風に、三条院たちを見上げた。
 三条院は肯いてくれた。非常に不自然ではあったが、三条院はその少女の指差した方向に興味があった。
「敵の罠ってコトは?」
「ない、な。俺の勘だが」
 怪訝そうに囁いてきた美園に、三条院は僅かに考えた後、答えた。偶然にしては出来過ぎた状況ではあるのだが、不思議と嫌な予感がしなかったのだ。
「じゃあ、お姉ちゃんたちがお家まで送ってあげる。お嬢ちゃん、お名前は?」
「………のあ、貴船乃亜」
 この偶然には、さすがのうさぎも気が付いた。ここでやっとうさぎは、異国の地で初対面の少女と日本語で会話をしていたことに気付いたのだ。驚きの眼差しで、三条院を見た。三条院と美園は、揃って肩を竦めて見せる。
「箱船の持ち主と同じ名前だけど、これって偶然かしらね?」
 美園は苦笑混じりに、三条院に小声で言った。
「さぁな」
 考え事をしているのか、三条院は上の空で答えていた。

 三条院はレンタカーを借りた。
 少女にあっちこっちと連れ回され、うさぎが疲れてしまったからだ。
 レンタカーは少女の示す方向に向かって、滑るように走る。運転しているのは三条院だ。助手席に美園が座り、うさぎと少女は後部座席に腰を下ろしていた。既にドウバヤズットの町からは、かなり離れてしまっている。
 相変わらず、乃亜という少女の示す方向は、具体性に欠けていた。窓の外を指差し、「あっち」としか示さないのである。少女が指示を出す度に、三条院がハンドルを切るという作業をする。
 レンタカーを借りるまでは、方向転換はうさぎの役目だった。それと言うのも、少女をうさぎが背負うことになってしまったからだ。少女はうさぎの背中から、「あっち」とか「こっち」と言う指示を出し、うさぎがそれに従って町中を移動していたのである。だから、ついにはうさぎの方が疲れてしまったのである。少女はうさぎ以外の背中には乗ろうとはしなかったので、三条院も美園も、交替してやりたくてもそれができなかったのだ。
 喫茶店で小一時間ほど休憩を取っていた時、美園が窓の外にレンタカー屋を発見し、借りることにしたのである。少女の目指すものが町の中にはないと、三条院が判断したためだった。
 漠然とした方向しか示していない少女だったが、確実に一定の方角には進んでいるようだった。それは、運転している三条院にしか分からないことだった。
(いったい、どこに行きたいんだ!?)
 三条院は、ルームミラーに映る謎の少女に目を向ける。今はうさぎとおしゃべりをしている。その無邪気な笑顔からは、妖気の類は全く感じられなかった。
「アララト山が常に見えているね」
 美園が小声で言ってきた。進行方向こそ微妙な変化があるが、常に視界にはアララト山が捉えられている。美園も気付いていたようだった。
「まだ着かないの?」
 後部座席のうさぎは会話が途切れた合間を見て、少女に質問してみた。
「もうすぐよ」
 少女はにっこりと笑ってから答えた。既に何度めかの同じやりとりである。いくら訊いても、少女からは「もうすぐ」と言う答えしか返って来ない。
 レンタカーで移動し始めてから、既に二時間が経過している。そろそろ陽が沈む頃である。
 移動し始めの頃は取り留めのないおしゃべりに花を咲かせていたが、すっかりネタが尽きてしまった。無言で移りゆく景色を眺めている時間の方が、長くなってしまった。
「はぁ………」
 退屈そうにうさぎが嘆息を漏らした。その時、
「ねぇ、お姉ちゃんたちはお空を飛べないの? 飛んでいった方が早いのに………」
 不意に少女が言ってきた。
「飛ぶ!?」
 うさぎが眉を顰める。普通の人間は当然、空を飛ぶ能力などは持ち合わせていない。日常の会話で、移動手段について少女が口にしたような疑問が、出てくること自体ないことである。
「飛ぶって、空を!?」
 うさぎは聞き返していた。もしかしたら、自分の聞き間違いではなかったかと思ったからだ。
「うん」
 しかし、少女は否定しなかった。窓の外に見える、やや赤みがかってきた空を眺めている。
「お嬢ちゃんは飛べるのかな?」
 質問してきたのは美園だった。助手席から体を捻り、後部座席の少女に顔を向けている。三条院はルームミラーで少女の反応を確認していた。
「飛べるよ!」
 当然だという風に、少女は答えてきた。「みんなは飛べないの?」と、再び質問をしてきた。
「飛ぶって………?」
 うさぎはまだ「飛ぶ」の意味を理解しかねているようだ。額に大きな?マークが浮かんでいる。
「三条院、訊いての通りよ」
 うさぎにの疑問には答えず、美園は正面を向いた。三条院は肯いてから、レンタカーを停止させた。人気がまったくない道だった。道路は舗装もされていない。ドウバヤズットの町からは、大分離れてしまった。
 美園はレンタカーを降りると、少女側の後部座席のドアを開けた。
「じゃあ、飛んで行きましょうか」
 中を覗き込むようにして、美園は言った。
「うん!」
 嬉しそうな笑顔を見せて、少女はレンタカーから飛び跳ねるようにして出てくる。
 エンジンを停止させ、三条院もレンタカーから降りた。
「飛ぶ………」
 ひとり車内に取り残されたうさぎは、未だに合点がいかないように、顎に手を当てて考え込んでいた。

 美園に促されたうさぎがレンタカーから降りるのを確認すると、少女は元気いっぱいに体を宙に浮かせた。
「うそぉ!?」
 うさぎは目の前で起こっている光景が信じられなかった。口をあんぐりと開けたまま、宙に浮かぶ少女を見つめている。
「ねぇ、早く行こうよ!」
 宙に浮いたままの体勢で、少女は催促をしてきた。
「行こうって、ドコに!?」
 うさぎが少女に尋ねるた時、美園が彼女の肩に手を置いた。
「変身しましょう」
 言うが早いか、美園はゾイサイトの姿にチェンジした。三条院は無言のままネフライトの姿にチェンジする。
「さあ、うさぎ」
 未だに納得がいかないうさぎに対し、ゾイサイトは変身を促した。半ばやけくそになって、うさぎはセーラームーンへと変身を遂げた。そのうさぎの変身した姿を見た少女が、驚いたような声を上げる。
「お姉ちゃん、月の王女様だったんだ! なぁんだ、早く言ってよね」
「プリンセスを知っている!?」
 今度ばかりはゾイサイトも驚きを隠せなかった。セーラームーンの姿を見て、即座に月の王女だと分かる人物は少ない。前世のプリンセス・セレニティは、戦士ではなかったからだ。だとすると、セーラームーンの姿を見て判断したとは言い難い。
「お嬢ちゃん。何で、彼女が月のプリンセスだと分かったんだ?」
 ゾイサイトは訊いた。その部分をはっきりさせなければ、今後この少女とは行動を共にできない。
「お顔を拝見すれば分かります。違いましたか?」
 少女は丁寧な口調で答えた。つい今し方までの無邪気な少女の口調とは、全く違っていた。一瞬だけ、少女に別の人物の影がダブって見えた。
「間違ってはいないよ。乃亜と言ったな? そろそろ陽も暮れる。目的地へ行こう」
 柔らかい笑みを浮かべて、ネフライトは言った。一瞬たりとも少女からは敵意は感じない。むしろ懐かしい感じがした。罠であるにしろ、そうではないにしろ、目的地まで行ってみたくなったのだ。
「では、参りましょう。プリンセス。そして、地球の剣士のお二方」
 少女はすうっと上昇していく。
「ボクたちの正体もお見通しってわけだね」
 ゾイサイトは諦めたような表情で、ネフライトを見た。ふたりはまだ、自分の素性を少女に説明してはいなかった。それなのに、自分たちのことを地球の剣士だと少女は言ったのである。彼女は明らかに、過去の自分たちを知っていると言うことになる。
「出会ったのは偶然だったかもしれないけど、なんか運命的なものを感じるわね」
 驚き疲れて感覚が麻痺してしまったのか、セーラームーンはやけに落ち着いた口調で言った。ここぞと言うところで度胸が据わるのも、数々の修羅場を潜り抜けてきた彼女ならではだった。
「流石は銀河を救った戦士だけのことはある」
 ネフライトは小声で呟きながら、セーラームーンの背中を感心した眼差しで見つめる。非常に華奢な背中をしているのだが、彼女こそ銀河系最強のセーラー戦士なのである。
「あたしがあまりにも魅力的だからって、そんなに熱い視線で見ないように!」
 感受性豊かな年頃のセーラームーンは、ネフライトの視線に気付いたようだった。くるりと振り向いて、ネフライトにどアップで迫る。
「い、いや。変な意味で見ていたんじゃないんだが………」
「ま、そう言うことにしておきましょう」
 セーラームーンは腰に手を当てると、愛くるしい笑顔を見せた。
「おーい! 早く来いよぉ」
 上空からゾイサイトの声がする。ふたりを置いて、とっとと浮上していたらしい。以外と冷たい男である。
 取り残された形となったふたりは、苦笑いしながら少女とゾイサイトの後を追った。

「危険! 危険、危険、危険! 警戒を!! 警戒を!!」
 表情を強張らせて、少女が声を限りに叫んだ。
「危険って、何が?」
 突然そんなことを言われても、何が危険なのかが分からない。セーラームーンは上昇を止め、キョロキョロと周囲を見回す。
「!? ゾイサイト!!」
 横に並んでいたネフライトが、上を見上げて叫んだ。
 爆音と閃光が同時にして、少女を抱えたゾイサイトが物凄い勢いで目の前を落下していった。
「なに!?」
 セーラームーンは上を見上げた。下の方で何かが激突した音が響いた。恐らく、ゾイサイトが地面に叩き付けられた音なのだろう。しかし、気に掛けている余裕はなかった。強烈な気配が、頭上から降下してきたからだ。あまりの強烈な気配に、セーラームーンは息苦しささえ感じた。
「こんなところにいたとはな………。しかも、噂のセーラー戦士と一緒だと言うのが驚きだ。このまま見過ごしたら、姐さんにどやされちまう」
 スラリとした長身の若い男だった。髪はブロンドで、何かで固めたようにキッチリと形作られ、風には靡かない。肩胛骨まで伸びている後ろ髪は、首の辺りから細く固められており、前髪はまるで角を思わせるように突き出した形で固められていた。ゆったりとした作りの一風変わったコスチュームを身に纏っている。
 右手の指をパチンと鳴らすと、体にジャストフィットしたボディスーツを着込んだ六人の女性が、彼の周囲に集った。
「やつら、砂漠で戦った連中の比じゃないな。すまんが、プリンセスを守っている余裕はなさしそうだ」
 ネフライトは静かに言い放ちながら、右手にライトニング・ブレイドを出現させた。
「うん。自分の身は自分で守るわ」
「頼もしいお姫様だ」
 ネフライトはニッと笑う。セーラームーンも同じように笑い返す。
「俺の名はサン・プール」
 長身の男は名乗った。
 先に仕掛けたのはネフライトだった。肩口から相手に詰め寄り、ライトニング・ブレードを振り上げる。
 キン!
 甲高い音が響いて、サン・プールが後方に退く。その左手には一降りの剣が握られていた。
「お前も剣士か………」
 剣を構え直し、サン・プールは言った。サン・プールの剣はかなりの長剣だった。ネフライトのライトニング・ブレードも長剣の類なのだが、サン・プールの剣の刀身は、その倍はある。
「ネフライト! シールドを!!」
 セーラームーンが叫んだ。と同時に凄まじい衝撃波が、唸りを上げて迫ってくる。
「!?」
 ネフライトは慌てて衝撃波をシールドした。短期決戦を目論んだセーラームーンが、フルパワーでシルバー・ムーン・クリスタル・パワー・キッスを放ったのだ。
 六人の女性戦士陣は、何も出来ずに一瞬にして消滅した。
「なっ!?」
 サン・プールも衝撃波に吹き飛ばされる。
「こ、これがセーラー戦士の力!? くっ!!」
 形勢不利と判断したサン・プールの逃げ足は素早かった。ネフライトが詰め寄るより先に、テレポートで離脱していった。
「脅かすな」
「あたしが本気出せば、こんなものよ? ………ゾイサイトが心配だわ」
 セーラームーンはそう言うと、地面に向かって降下する。ネフライトはその後を追った。
「生きてる? ゾイサイト(ゾノ)
「ど、どうにかね………」
 派手にアスファルトを破壊し、地面に埋もれていたゾイサイトが、少女を抱えたまま這い上がってきた。
「じっとしてて」
 セーラームーンはヒーリング・エスカレーションで、ゾイサイトの受けたダメージを回復させてやる。
「大丈夫?」
 セーラームーンは少女に顔を近付けた。
「はい」
 短く答えて、少女はゾイサイトから離れた。
「ありがとうございます、剣士殿」
 少女はゾイサイトに対して、深々と頭を下げた。
「やつらの正体は分かるか? キミを狙っていたようにも思えたが」
 質問したのはネフライトだった。
「いいえ」
 少女はネフライトを見上げると、小さく頭を振った。
「とんだ邪魔が入りました。では、参りましょう」
 言いながら、ふわりと舞い上がった。

 三人が上昇してくると、待ってましたとばかりに、少女は移動を開始した。今度は今までのような曖昧な移動ではなかった。一直線に移動している。
「あっちこっちに連れ回したのは、どうやらカモフラージュだったようだな」
 先導する少女を遠目に見ながら、ネフライトは唸るように言った。少女のすぐ横にはセーラームーンが付き添っている。ゾイサイトとネフライトのふたりは、やや下がった位置でふたりを追っていた。
「………タイミングを見計らって、飛べるのかと質問して、相手の反応を見ていたわけだ」
 納得したようにゾイサイトは言う。視線は前方やや下を飛行するセーラームーたちに向けられている。彼らが僅かに高度を上げて飛行しているのには、もちろん理由がある。そうしなければ、彼女たちの後方を飛ぶネフライトたちは、目のやり場に困ってしまうからだった。
「彼女は何度もそうやって、本来探すべき相手が来るのを待っていたってわけか………」
「俺たちが待ち人とは限らないさ。俺たちのことを知っていたんだ。プリンセス本人を捜したいのなら、別の方法が取れたんじゃないか?」
「どういうことだ、ネフライト?」
 ゾイサイトは眉を顰めた。
「確信があるわけじゃない。ただの勘だよ」
 ネフライトはそう言ったが、何やら自信ありげな表情だった。答えは持っているらしい。
「昔から、お前とクンツァイトは秘密主義だったからな………」
 ゾイサイトは嘆息するしかなかった。
「それにしても、さっきの敵どう見る?」
「彼女は知らないと言っていたが、間違いなく彼女の方を狙っていたな」
「どちらにしても、あの子の正体が分かれば、敵の目的も分かるかもしれないね」
 ゾイサイトは前方の少女を見やった。

 少女はアララト山に向かっていた。目的地はネフライトたちの推測通りだったことになる。
 アララト山の上空に差し掛かったところで、少女は高度を下げた。下方に広がる樹海を見ながら、何度か旋回をする。どうやら目標物を探しているようだ。
「こちらへ!」
 少女は更に降下をした。三人ともそれに習う。ネフライトとゾイサイトのふたりは、念のために警戒態勢を取った。もし仮に、これが敵の罠だったことを考えての行動だった。念には念を入れる。戦場で生き延びるには、大事なことだ。しかし、今のところ邪悪な気配は感じられなかった。
 樹海の深部に着地した。山の中腹付近だった。少女はキョロキョロと辺りを探る。
「プリンセス、こちらです」
 突然少女は駆け出した。樹海を抜け、ゴツゴツした岩肌が剥き出した場所へと移る。眼前に壮大な光景が広がっていた。足下は崖である。これ以上は進めない。
 しかし、少女は歩を止めなかった。空中を至極当然のように歩いている。体は完全に宙に浮いていた。しかし、飛んでいるのではない。彼女は空中を歩いているのだ。
「大丈夫。下には落ちません。そのまま歩いてきてください」
 少女は振り返って、呆然としている三人に言った。
「ホログラフィか」
 断定的な口調でネフライトは言った。
「ホログラフィ?」
 殆ど鸚鵡(おうむ)返しにセーラームーンは聞き返していた。ネフライトは肯く。
「あの先にある何かを隠すためのカモフラージュだな。崖に見える以上、普通の登山家ならこの先には行こうとは思わないだろう。上空からは恐らく、ここと同じ岩肌を剥き出しにした地形にしか見えないはずだ。そうすることによって、上空からも分からないようにカモフラージュしているのだろう」
 説明しながら、ネフライトは何もない空間(そう見えるだけらしいが)に、足を踏み出す。
「行くぞ!」
 そう言って、スタスタと大股で空中を歩いていく。
「マンガでも見ているようだね」
 楽しそうな笑みを浮かべると、ゾイサイトが続いた。
「ほ、ホントに大丈夫なの?」
 セーラームーンは恐る恐る足を踏み出す。飛行能力があるのだから、そんなに怖がることはないのだが、単に「飛ぶ」のと空中を「歩く」のでは勝手が違う。だが、いつまでもここでモタモタしているわけにはいかなかった。少女を先頭に、三人は随分と先を歩いている。
「ああん! ちょっと、待ってよぉ!」
 セーラームーンも思い切って足を踏み出した。何もない空間に見えるのだが、硬質な床を踏みしめるような感覚がブーツ越しに伝わってきた。
 しかし、よくできたホログラフィである。下は断崖絶壁。目も眩む高さである。ご丁寧に、下からは風も吹き上げてくる。
「下さえ見なきゃいいのよね」
 セーラームーンはひとりごち、三人に付いて歩き出した。

 空中を十分ほど歩くと、再び土の大地の上を歩けるようになった。地に足が付いているという感覚は、やはり気分を楽にさせてくれる。
 前方に巨大な岩が見えてきた。少女はその中に吸い込まれていく。
「こいつもホログラフィか」
 ネフライトは呟くと、少女の後を追って岩の中に消えていく。ゾイサイトも続いた。
 セーラームーンはここでも侵入を躊躇ったが、意を決して岩の中に身を委ねた。
 何の抵抗もなく岩を素通りすると、周囲が一変した。床も壁も、そして天井までもが金属のような物質で作られていた。明らかに人工のものであった。
「通路、よね?」
 セーラームーンの率直な感想だった。幅は約三メートル。天井までの高さも同じくらいか。四方は全て、同じ素材で作られている。人工的な暖かみのない光が、天井から降り注いでいた。
「宇宙船の中だったりしてね………」
 前方を歩くゾイサイトが、振り返って好奇心旺盛な笑みを浮かべた。ネフライトは相変わらず無言で、先頭を飛び跳ねるようにして移動している少女の後を追っていた。
 だしぬけに周囲が開けた。薄暗い空間のため、何があるのかさっぱり分からない。
「ただいま!」
 少女が言うのと同時だった。少女の声がまるで合図だったかのように、淡い光が天井から放たれる。殆ど反射的に、ネフライトとゾイサイトはセーラームーンの両脇に陣取って、戦闘態勢を整えた。罠だった場合に備えてのことだったが、すぐにその必要はないと分かった。
 相も変わらず、無邪気な笑みを浮かべた少女しか、そこにはいなかったからである。
 ここは、何かを行うための部屋のようであった。名前も分からないような装置が、周囲に配置されている。ただ、配置されていると言うだけで、作動している様子はなかった。セーラームーンたちの正面には、映画館のようなスクリーンが見えた。しかし、配置されている装置と同じで、スクリーンのような画面は、その本来の役目を果たしてはいなかった。ブラックアウトしたままなのである。そこには何も映し出されてはいない。
 スクリーンの下には、窓と思える長方形の透明のパネルが、三枚程横に並んで配置されていた。透明だと感じたのは、パネルの向こう側に岩盤のような物が見えたからだ。ここがアララト山の内部だとしたら、当然周囲は岩盤や土で覆われているはずである。
 装置の一部がが稼働し始める。全てではない。メインスクリーンらしき画面を正面とすると、その左側の装置が作動した。
「ようこそ、プリンセス・セレニティ」
 どこからともなく声が聞こえた。少女のものではない。落ち着いた女性の声である。もちろん、敵意は感じない。
「だれ!?」
 セーラームーンは思わず問い質すような口調になっていた。自分をセレニティと呼ぶ人物は、決して多くはない。
「ノアだよ」
 少女の声だった。声のした方に顔を向けると、少女は何かのカプセルのようなものの前に立っていた。カプセルの大きさは、約二メートルくらいだった。壁に埋め込まれている。作動したらしい装置は、どうやらこのカプセルだったようだ。
「乃亜って………?」
 セーラームーンは少女の言った意味が分からなかった。乃亜と言うのは、少女の名のはずではなかったのか。
「あたしは引っ込むね。あとをよろしくね」
 少女がそう言うのと同時だった。少女の体が、淡い光に包まれる。
「え!?」
 少女は光の粒子となり、カプセルの中に吸い込まれていった。
 と、同時にカプセルの蓋がゆっくりと開いた。人の形をしたものが中に入っていた。女性である。
 カプセルの中に入っていた女性は、ゆっくりと瞼を開けた。
「初めまして、プリンセス・セレニティ。わたくしはセーラーノア。この船を守護し、導く者です」



※(注)
 アララト山登山禁止に関して
 1999年秋に、アララト山への登山は解禁となっておりますが、この物語はそれ以前の時代設定となっておりますので、本文中では一般登山家の登山が禁止されていることになっております。
 21世紀仕様に書き直さないといけませんね(^^ゞ