血の島の崩壊
「マザー・テレサ。ファティマ様から通信がありました。学生たちの処置は全て完了したようです」
まるで宇宙戦艦のブリッジを思わせるような広い空間に、大司教ホーゼンとマザー・テレサはいた。いや、そこは実際、操舵室なのだろう。操舵技術を持つらしい二十代半ばのシスターが、材質不明の舵を握っていた。
ブリッジにはフロアがふたつあった。
操舵手をはじめとした制御を司るスタッフが、下のフロアにぎっしりと並んだ装置の前を、慌ただしく動いていた。全てがシスターだった。
大司教ホーゼンとマザー・テレサのいるフロアは、ブリッジ全体を見渡せるように高い位置に配置されていた。通信係らしいシスターがふたり、最前列の装置の前に腰を下ろしていた。
ファティマはそのマザー・テレサたちのいるフロアに報告に現れたのだ。移動させてきた女学生は、全員魔力によって眠らせていた。その作業を終えた報告を、わざわざブリッジまで上がってきてしたのである。
「ご苦労でした」
労いの言葉がマザーから返ってきた。正面のメインスクリーンを見つめたまま、報告に来た娘を振り向こうともしなかった。
(母上は変わってしまった………)
あらためてファティマはそう感じた。以前は心優しい母だった。その母の思想に共感して、数人の同志たちで構成された組織が、現在のブラッディ・クルセイダースの母体となっていたはずだった。だが、当時からのメンバーは、大司教ホーゼンが加わった頃から減り始めていた。自ら離反した者や、中には突然姿を消した者もいた。
「大司教に消されたのさ」
以前、イズラエルが言っていたことを、ふと思い出した。
ファティマは様々な思いを巡らせながら、マザー・テレサの次の言葉を待っていた。
「この島を捨てるのかね………?」
次に発せされた言葉は、期待していたマザー・テレサからの言葉ではなく、嗄れた耳障りな声だった。生臭い臭いが鼻を突いた。その臭いだけで、ファティマは声を発した人物が何者であるのかを知った。
(イワノフか………)
ファティマは心の中で、吐き捨てるように言った。
いつの間にやら、プロフェッサー・イワノフがブリッジに入ってきていた。離れているにも関わらず、吐き気を催す口臭の臭いが鼻を突いた。相変わらずの薄汚れた白衣を身につけたまま、薄気味悪い笑みを浮かべていた。
大司教がちらりとプロフェッサー・イワノフに目を向けたが、言葉を交わすことはなかった。大司教の興味は別のところにあったからだ。
「この島はもう我らには必要のないもの………」
マザー・テレサの言葉には感情が隠っていなかった。この言葉を聞いたプロフェッサー・イワノフは、ニタニタと卑猥な笑いを浮かべた。
「島を爆破しろ」
大司教ホーゼンは、短く言った。
「は? しかし、まだ兄上たちが乗船しておりませんが………」
わざとらしく、ファティマは聞き返した。大司教がその判断を下すであろうことは、始めから予想できた。冷酷な男なのである。味方を味方と思っていない。そんなことは、ブラッディ・クルセイダースの教団員なら、誰でも知っていることだった。
「セーラー戦士を取り逃がした責任は、取ってもらわなければならんからな………。それに、爆発に巻き込まれるような者は、十三人衆としては失格だ。そのような間抜けな者は、我がブラッディ・クルセイダースには必要ない」
大司教は上目遣いでファティマにそう言うと、正面のメインスクリーンに向き直った。
(兄上たちは、お前の失態の尻拭いをしているのだぞ………)
この島を放棄しなければならない事態を招いたのは、そもそも大司教ホーゼン本人である。ホーゼンさえT・A女学院にしゃしゃり出なければ、こういった事態は起こらなかった。セーラー戦士を捕らえることは捕らえたのだが、転送の際ポイントがズレてしまったのは致命的だった。
「アトキンスも戻っておらぬが?」
プロフェッサー・イワノフが少しばかり驚いた表情で、ホーゼンに訊いた。
「逃げ遅れた者なぞ、知らんな」
「アトキンスは、まだ使えると思いましたがな………」
意外だと言う風にイワノフは言ったが、ホーゼンにはそれには答えなかった。無言で正面のメインスクリーンを見つめている。メインスクリーンには、島の全景が映し出されていた。
「我が組織のために、海の藻屑となってもらおう」
ホーゼンは言いながら、クククと肩を小刻みに揺らして笑っていた。
(フラッディ・クルセイダースは、お前の組織ではない!)
ファティマは心の中で毒突いていた。
マシンが吼えた。
異様なマシンだった。戦車を思わせるキャタピラの上に、四足歩行生物の胴体がくっついているのだ。恐竜を連想させるそのは虫類のような生物は、作り物などではなく、正真正銘の生物のようだった。砲台のない戦車の上に、恐竜のような四足歩行生物の胴体があると言うわけだ。その恐竜のような四足歩行生物の背中から、三門の巨大な砲身が突き出ていた。
「うっわぁ〜。恐竜戦車だよ、これじゃぁ………。あたしたちじゃなくて、ウルトラセブンに来てもらった方がいいかも………」
マシンを一目見て、セーラームーンは言った。(ネタバレはよせって………)
「こんな子供騙し!!」
ギャラクシアは吐き捨てるように言うと、数発のエネルギー弾を前方に放った。だが、見えない壁によって、全てのエネルギー弾が弾かれてしまう。
「バリアーを張っているのかっ!」
自分の攻撃を全て無効にされていく様子を見せつけられたギャラクシアは、少々頭に血が上っていた。
「うっひょひょひょひょ………」
窮屈なコックピットの中で、プロフェッサー・アトキンスは小躍りしていた。自分の作ったマシンに手も足も出ないセーラー戦士たちの様子が、愉快で堪らないのだ。
「そりゃそりゃそりぁ!!」
まるでゲームでも楽しんでいるかのように、アトキンスは楽しげにレバーやボタンを操作する。
セーラームーンは必死に月光障壁を張って、背後のなるちゃんたちを守っていた。直撃を受けたら、生身のなるちゃんたちはひとたまりもない。
「バリアーがあるんなら!!」
ギャラクシアは全身にパワーを漲らせると、恐竜戦車に向かって突進した。フォボスとディモスが、そのギャラクシアを援護する。
マシンは小回りがきかない。ギャラクシアの接近を容易く許してしまった。四足歩行生物の胴体に、右の掌を押し当てる。
「あたしたちを倒すなら、もう少しマシな兵器を作りな」
ギャラクシアは不敵に微笑むと、右の掌にエネルギーを集中させた。
「じゃあね」
一気にパワーを解放した。凄まじいエネルギーは、一瞬にして恐竜戦車を蒸発させた。
「さぁ、脱出するぞ。セーラームーン」
ギャラクシアは振り返ると、何事もなかったかのような平然とした表情で、セーラームーンに言った。
「すごぉ………」
セーラーサンはぽかぁんと口を開けて、ギャラクシアを見つめる。あまりの凄さに、唖然としてしまったのだ。自分とはレベルが違いすぎる。
「お前にも、このくらいの力は………」
ギャラクシアが言いかけたとき、再び大地が揺らいだ。今度の震動はかなり大きい。
「避難するわ!」
セーラームーンの決断は素早かった。
「!? いけない!!」
叫んだのは、アースだった。地脈を操ることのできる彼女は、いち早く島の異常を察知していた。
「あの島に、異常が起こっている!」
「何だって!?」
ジェダイトが血相を変えて島に目を向けた。タキシード仮面は無言のまま表情を堅くした。アースが直感的にそう叫んだと言うことは、只ならぬ事があの島で起きようとしているということなのだ。
「ん?」
そのタキシード仮面の目に、こちらに向かって幾つかの影が移動しているのが映った。
「セーラームーン( !」)
なるちゃんたちを連れ、島を脱出してきたセーラームーンたちだった。セーラームーン、セーラーサン、そしてギャラクシアが、それぞれなるちゃん、くりちゃん、ひかるちゃんの三人を抱きかかえていた。
「みんなはどうした!?」
ジェダイトが叫ぶように訊いた。
「まだ島にいるわ。ジュピターをまだ発見してないの! それに、他にどうしても助け出さなくてはいけない人がいるのよ」
答えたのはセーラームーンだった。囚われているジュピターを発見できないばかりではなく、香織を救出に向かったサターンたちも戻ってきてはいなかった。
「ちっ!」
舌打ちすると、ジェダイトは猛スピードで島へと向かった。タキシード仮面はジェダイトの行動の意図が分かっているから、目で追うだけで制止するようなことはしなかった。
「どうした!?」
血相を変えて島に向かったジェダイトの背中を見送りながら、ギャラクシアが訊いてきた。
「島に異常が起こっているのよ」
意外にも冷静なアースの声が返ってきた。
「あ、あれを見て!!」
セーラーサンとなるちゃんが、同時に叫んだ。島の一画から噴煙が上がり、何かがせり出してくる。海岸線に程近い場所である。
「今度は何なの!?」
くりちゃんが怯えた声を上げる。彼女の精神は、ギリギリのところで正常を保っているにすぎない。意識を保ってられるだけでも不思議だった。一介の女子高生が経験するには、異常な程の出来事の連続なのだ。
「船だと!?」
信じられないといった風に、ギャラクシアは叫んでいた。地表を突き破り、姿を現したそれは、正しく船だと思えた。
全長は千メートル程。円盤のようなほぼ円に近い形状をした平べったい船体の中央に、大聖堂を思わせるブリッジが突き出ていた。闇よりも深い黒でカラーリングされているその船体に、彼らの象徴である血色の十字架が所々記されていた。
船と言うより、戦艦と呼ぶ方が相応しい巨大な船であった。
「な、何よあれ………!?」
なるちゃんが頬を強張らせた。
「まずい! 発見( かった!!」)
叫ぶやいなや、タキシード仮面はひとり前方に出てシールドを発生させた。
戦艦はどうやらセーラームーンたちをレーダーに捉えたようだった。円盤状の船体に配置されている幾つかの砲塔が、彼女たちに向けられる。
「む!? いけない!! おい、彼女を頼む!」
アースにひかるちゃんを託すと、ギャラクシアはタキシード仮面の前に躍り出た。
「銀河障壁( !!」)
凄まじい波動による壁を前方に出現させる。そこへ、戦艦からの砲撃が加えられた。
「ビーム兵器だとぉ!?」
ギャラクシアは舌を巻いた。戦艦から発射された砲弾は鉛の弾ではなく、ビームの弾だったのである。
「シールドは俺が張る! ギャラクシアは攻撃しろ!!」
「お前のシールドでは、この攻撃は受け止められない!」
一端、タキシード仮面が張ったシールドの前方へ出て、ギャラクシアが新たに銀河障壁( を発生させたのには、そういう理由があったのだ。タキシード仮面の防御シールドでは、この攻撃は受け止められないと判断したのだ。)
「ん!? 砲撃が止んだ!?」
何の前触れもなく、突然砲撃は止んだ。戦艦の艦首がこちら側の向けられる。
艦首にはやや前方に突出した筒状の部分があり、その先端が淡い光を放っていた。夜の闇の中にあって、その円筒形の部分は鮮やかに映し出されていた。
「げっ!!」
はしたない悲鳴を上げたのは、セーラームーンだった。戦艦の先端部分の光の意味を理解したのである。アニメ好きの彼女ならではの勘であった。巨大戦艦の先端部にあって、眩い光を放っている装備がどんな代物かは大抵決まっている。
「みんな逃げてぇ!!」
しかし、彼女の悲鳴にも似た叫びは、強烈な光の渦に飲み込まれてしまった。
「くそっ! 何だ、この揺れは!?」
コロシアムに向かう断崖の上で、ジュピターは足を止めた。尋常ではない揺れだった。この島に、何かが起ころうとしていた。
物凄い地響きがジュピターを襲う。立っているのがやっとだった。両足を踏ん張って、バランスを保っていなければ、倒れてしまいそうだった。
「ジュピター( !!」)
突然名を呼ばれ、ジュピターはビクリとした。声が聞こえてきた方向に視線を向ける。一瞬緊張が途切れ、激しい揺れにバランスを崩して、地面に膝を付いた。
プルートとマーズの姿が見えた。
「どうしたんだ!? この揺れはマーズ( たちが原因か!?」)
再会を喜んでいる時間はなかった。彼女の直感は、残された時間が僅かだと言うことを告げていた。だから、問い掛けと言うより、詰問に近い口調になった。
島が崩壊する。
彼女の直感だった。
「違うわ! たぶん、やつらこの島を捨てる気なのよ!」
マーズの言葉は、ジュピターの直感が正しいことを告げているようでもあった。
「コロシアムに戻るわ! フォボスとディモスが残っているのよ! カロンたちも戻っていないし………」
「はっ!?」
プルートの言葉を、轟音が消し去った。彼女たちの真下が、突然粉塵を巻き上げる。
「きゃあ!!」
足下から突き上げてくる衝撃に、三人は上空へと弾き飛ばされた。
地面から、何か巨大なものがせり上がってくる。
「何だ!? いったい何が起こってるんだ!?」
訳が分からず、ジュピターは喚いていた。
「下よ! 何かが下からやってくる( !!」)
巻き上げられた粉塵や土砂に混じって、きりもみ状態で宙を舞うマーズが、それでも方向感覚を失わずに、下を凝視しながら叫んだ。
闇よりも黒い、不気味な金属質の物体が、砕かれた地面から轟音を上げて突き出てきた。
あまりにも間近で見ていたがために、三人は始め、それが何であるのか全く分からなかった。
彼女たちが、それが円盤状の戦闘艦であることに気付くのに、更に数分が必要だった。
主砲らしき巨大な砲台が回転する。何かに向けて、照準を合わせているようでもあった。
「撃つ!?」
主砲が轟音を放った。ビームの粒子が周囲に飛び散る。プルートは砲弾を目で追った。
「何だ!? 何に向かって攻撃しているんだ!?」
ジュピターが喚いた。
「あっ!? あの方角は、タキシード仮面( たちのいる方角よ! 発見) ( かったのよ!!」)
マーズが金切り声をあげた。
「!?」
何かが前方から急接近してくる。それが人だと分かるのには、時間は掛からなかった。
「D・J !?」
ジェダイトが何事か叫びながら、猛スピードで近づいてくる。だが、砲撃のための轟音に掻き消され、彼が何を言おうとしているのか、プルートには分からなかった。
香織を救出したサターンと土萌教授も、島の異常を察知していた。
「いかん! ただの地震ではない」
香織を支えるようにして移動する土萌教授は、先を歩くサターンに聞こえるように言った。
香織の意識ははっきりとしていたが、ろくな食事を与えられていなかったことと精神的ショックで、極度に疲労していた。細胞を活性化させて傷の治りを急加速させることができるサターンであっても、肉体的疲労までは回復させることはできない。土萌教授が支えていなくては、まともに立っていることさえできない状態だった。
「もと来た通路を戻っていたのでは、間に合わないかも………」
父親の声を聞いたサターンは、立ち止まって振り返った。少々乱暴な脱出を計らなくてはいけないことを、彼女も敏感に感じ取っていた。既にセーラームーンたちと分かれてから、かなりの時間が経過していた。そう言う意味でも、のんびりとしているわけにはいかない状況だった。恐らく、セーラームーンたちは、フォボスの救出に成功したのだろう。そして、きっと仲間たちもこの島に駆けつけてくれたに違いない。この揺れは、そのためだと感じた。
「あ、あたしが足手まといなら、お、置いていって………」
途切れがちに、香織が口を開いた。
「そんなことをしたら、何のために香織さんを助けに来たのか、分からなくなります」
「そうだ、ほたるの言うとおりだ。気をしっかり持つんだ」
サターンの言葉を受けて、土萌教授が香織を励ます。
「ありがとうございます。教授、ほたるさん………」
香織は弱々しく微笑んだ。
サターンも笑みを返す。自分の母親( になるかもしれない人物を、ここで見捨てるわけにはいかなかった。)
「!?」
前方に殺気を孕んだ気配を感じ、サターンは緊張した。ゆっくりと前方に向き直る。
「セレス………!」
この状況に置いては最悪の相手だった。できれば、こんなところで会いたくない相手であった。父親と香織を守りつつ、この狭い通路内で戦うことは、格闘戦が苦手なサターンには、少々無理がある。
それでもサターンは、ふたりを守るために戦わなければならなかった。サイレンス・グレイブを実体化させると、戦闘態勢を取った。
「生憎と、あたしは戦う気はないよ。セーラーサターン」
意外な言葉が、セレスから返ってくる。しかし、サターンは気を緩めなかった。こちらを油断させるための、作戦であるかもしれなかったからだ。
「後ろのふたりを連れて、早く脱出しろ。間もなく、この島は海に沈む」
「この揺れはその為か!?」
土萌教授がセレスの言葉に反応した。セレスの目が、土萌教授に向けられる。
「ここにいる科学者のひとりだな。セーラーサターン( の知り合いだったとは、知らなかった」)
土萌教授の質問に肯定を示すかのような微笑を浮かべた後、セレスにサターンに視線を戻した。
「! お仲間が来たようだ。あたしは退散するよ」
セレスはその言葉を残し、瞬く間に立ち去っていった。
足音が響いてくる。そして、怒鳴り声。
「本当にこっちでいいの!?」
「俺の勘を信用しろ!」
「あんたの勘なんか、信用できるわけないじゃないの!!」
知っている声だった。
十字に分かれている通路の右側から、ふたつの人影が現れた。
「サターン( !?」)
こちらを発見するなり、セーラーカロンが驚きの声を上げた。予期せぬ相手に出会ったのだから、無理もない。
「セーラームーン( たちは一緒じゃないのか?」)
オペラ座仮面が訊いてきた。まずは彼らに、自分たちの状況を説明する必要があった。
サターンは手短に成り行きを説明した。
「なるほど。のんびりと脱出している暇はないわけだな」
全てを理解したオペラ座仮面は、天井を見上げた。次の瞬間、衝撃波を放って、天井を粉砕してしまった。
「あんたねぇ………」
呆れたように、カロンは言う。
「発見されることを恐れて、逃げ回る必要はないさ。今の話から推測すると、やつらもこの島を捨てるつもりらしいしな」
破壊された天井から見上げることのできる星空を見つめたまま、オペラ座仮面は落ち着いた声で言った。
「よし、こっから外へ出よう。教授は俺が連れて行くから、お前は美人の姉さんの方を頼む」
オペラ座仮面は、素早く指示をした。
崩れ落ちる瓦礫を巧みに避けながら、セントルイスは移動していた。もちろん、「戦艦」に乗り移るためである。十三人衆クラスともなれば、長距離テレポートは可能なのだが、今はイズラエルと合流をしなければいけない状況だった。
完全にスプリガンと敵対したセントルイスには、「味方」が必要だったのである。スプリガンが「戦艦」に移動することは、まずあり得ないと予想できたから、セントルイスとしては、「戦艦」に乗り移ることの方が身の安全を確保できると考えていたのだ。組織の中で孤立した存在のスプリガンが、大司教ホーゼンやマザー・テレサと行動を共にするはずがない。自らのアジトに戻るはずである。ましてや、スプリガンは深手を負っている。それならば、尚更「戦艦」に戻るとは考えられなかった。
イズラエルが「戦艦」に戻っているという確信もなかったが、可能性が全くないわけでもなかった。
「!」
気配を感じた。よく知っている“気”だった。
「イズラエル!?」
こうもあっさりと合流できると考えていなかったセントルイスは、いささか拍子抜けしたように、突如現れたイズラエルの顔を見つめた。
「どうした? 『カテドラル』には戻らないのか?」
「カテドラル」とは、浮遊戦艦の名称だった。科学の粋を集めて作られた浮かぶ戦艦こそが、彼らの本拠地でもあり、象徴であった。
「俺たちは、結果的にはセーラー戦士を逃がしてしまったからな。大司教がまた、無理難題を言ってくる可能性がある。手土産がないと、戻れんな」
イズラエルは肩を竦める。
「もともと、大司教の尻拭いだったのだろう?」
「まあな。だが、あの老いぼれは結果にしか興味がない。それに至る過程なぞはどうでもいいこたなのだよ。マザーもそうだがな………」
そんなことは初めから分かっていたことだった。それをイズラエルが行ったのには、もちろん理由がある。失敗することも、セーラー戦士を取り逃がすことも、全て彼の計算通りだった。いや、意図的に失敗してみせたのだ。
「貴様はどうする? どこへ行くつもりだ?」
セントルイスが訊いてきた。このような失敗をすれば、イズラエルの居場所はなくなるはずだった。
「ジェラールのところへ行く。そろそろ『計画』を実行に移さねばならなからな」
「『計画』?」
セントルイスは訝しんだ。イズラエルの『計画』など、自分は聞かされていないからだ。そのことをイズラエルに聞こうとしたセントルイスだったが、「声」が喉から出てこなかった。激痛が、胸の辺りに走っていた。
「イ、イズラエル………!?」
何が起こったのか、自分では全く理解できなかった。気付いたときには、イズラエルの手刀が自分の心臓を貫いていたのである。
「組織の内部を、お前に嗅ぎ回られては迷惑なのだよ」
低く、まるで感情の籠もっていない声だった。
「な、何だって………!?」
セントルイスは自分の耳を疑った。そして、今起こっている現実を、にわかに信じることができなかった。
「スプリガンも情けない………。貴様の抹殺を、やつに期待したのが間違いだった。と、言うより、お前の能力を過小評価しすぎていたようだな」
イズラエルは自嘲気味に笑った。
「な、何だと………! お、お前はいったい、何を考えているんだ………!? 俺に、やつを消してくれと言ったのは………」
「俺の書いた筋書きでは、お前がやつに返り討ちにあわねばならなかったのだよ………。もっとも、俺もお前の能力を見くびっていたようだ。スプリガンと互角に戦えるとは、考えていなかった」
イズラエルは、見る見るうちに血の気の失せていくセントルイスの顔を、無表情で見つめている。
「! そ、そうか………!? 謀反を企てているのは、スプリガンではなく、お、お前だったのか………!」
「気付くのが、遅かったな………」
イズラエルは力を込めた。セントルイスの胸から、血飛沫が飛び散る。
「スプリガンも深手を負って、しばらくは動けまい………。俺にとっては好都合だ。結果的に、お前に助けられたことになるな………」
息絶えたセントルイスの亡骸を、ゴミでも投げ捨てるかのようにほおり投げると、イズラエルは返り血で真っ赤に染まった顔に笑みを浮かべた。
「さてと。あとは、あのジェラール( をどう言いくるめるかだな………」)
イズラエルの瞳が、残忍な光を放った。
「十三人衆、誰ひとりとして戻りませんな………」
どす黒い噴煙を上げながら、海の藻屑と消えていく島を映し出すスクリーンを見つめたまま、プロフェッサー・イワノフは喉の奥で笑いを発した。
「気に病むことではない」
大司教ホーゼンは、感情を込めずに言った。マザー・テレサにチラリと視線を向ける。彼女は無表情だった。それを見て、ホーゼンは僅かに口元に笑みを浮かべた。
「ほおっておいても、時が来れば『聖地』へ現れるだろうよ。セーラー戦士どもを引き連れてな………。そこで一網打尽にすればよい」
既にホーゼンの頭の中には、ひとつの筋書きができあがっているようだった。
その言葉を聞き終えると、ファティマはブリッジを後にした。ここに居続ける理由がなくなったからだ。この状況では、本当に十三人衆は誰ひとりとして戻ってこないだろう。
「進路をポイントに向けよ。我らの聖地に『カテドラル』を向かわせるのじゃ」
大司教ホーゼンの号令がブリッジに轟くと、浮遊戦艦カテドラルは、艦首を西に向けた。
東の空が僅かな赤みを帯びている。間もなく夜明けだった。
「あんなものを相手に、どうやって戦う………!?」
司令室のモニター画面で一部始終を見ていたアポロンは、頭を大きく左右に振った。あんな巨大な戦闘艦を相手に、とてもまともにセーラー戦士が戦えるとは思えなかった。茫然とモニター画面を見つめる。
破壊するだけなら簡単だろう。彼女たちにはそれだけの能力がある。しかし、それは地球そのものを無視すればという条件付きだ。あれほどの巨大な人工の物体を破壊するともなれば、かなりのエネルギーを放出しなければならない。地球自体に影響が出てしまうはずである。
「あれほどの戦闘艦を持っているなんて………」
ルナも茫然とモニターの画面を見つめている。既に妨害電波が出ているために、司令室のレーダーでは「カテドラル」を追うことはできなかった。西に進路を取ったらしいことが分かっただけである。
「どうやって戦えばいい………?」
アポロンは自問している。ルナはその答えを持っていない。黙ってアポロンを見つめることしかできない。
「ルナ!」
プルートからの通信だった。
「みんなと合流できたわ。………結局、救い出せたのは五人だけよ。あたしたちの力では、女子学生たち全員を救い出すことはできなかった」
プルートの声は重かった。結局、自分たちの仲間しか助け出すことができなかったのである。これでは、何のために敵の本拠地に向かったのか分からない。
「ギャラクシアの状態がひどいの。すぐに帰還するわ」
マーズだった。高い治癒能力を持つタキシード仮面たちがいるにも関わらず、そう言っていることから推測すると、彼女はかなりの深手を負っていると思えた。原因は今訊く必要はない。戻ってきてから報告を受ければいいことだった。
「司令室で、対策を練り直しましょう」
ルナはそう言うのがやっとだった。