それぞれの思惑


 澄み切った青空が続いていた。
 東の空に巨大な入道雲が見える。夏を感じさせる空の景色である。
 ビルの屋上から遠くの空の景色を眺めていたスプリガンは、視線を下に落とした。十番街が見える。夏休み中のせいか、若い世代がやけに目に付く。
 無言で十番街の景色を眺めていたスプリガンだったが、ふと背後に気配を感じ、視線を街から離した。
「バイバルスか………。そして、メイム………」
 背後を振り返らずに、スプリガンは呟いた。気配だけで、それが誰なのかが分かる。十三人衆を名乗っている者であれば、“気”で相手を探ることなど造作もないことだった。
「こんなところにいらっしゃるとは、思いませんでした」
 影使いバイバルスが、意外だという風に口を開いた。
「俺だとて、こういう景色を見たいときもある」
 スプリガンは相変わらず振り向かない。雀が飛び交う姿を、目で追っている。
「イズラエルが北アメリカ支部より、セントルイスを呼び寄せるそうです」
 報告したのは、メイムだった。腰まである髪を三つ編みに束ね、束ねた髪を左肩側から体の前方に持ってきている。まるで水着のようなその衣装は、見ている方が恥ずかしくなるような申し訳程度の布きれでしかなかった。小さめの胸に、ちょこんと乗せられているような肩紐のないブラジャーは、水着と言うよりレースの下着に近い。セーラー戦士のものより短いと思われるのスカートは、僅かな風でも捲れ上がってしまうような軽い素材のようだった。
 あどけなさを残している顔立ちに、ふっくらとした唇。形のいいお臍に、すらりと伸びた足。まるでモデルのような女性である。
「あの青二才め………。俺を本気で左遷するつもりか………?」
 スプリガンはようやく振り向いた。視線は真っ先にメイムに向けられ、頭の上から足の先まで舐めるように視線を動かすと、満足げに口元を歪めた。彼女のコスチュームは、どうやらスプリガンの趣味のようだった。
「いかがいたしますか?」
 スプリガンの視線が全く気にならないのか、それともいつものことで慣れてしまっているのか、何事も起こっていないかのような自然な素振りで、メイムがそのふっくらとした唇を動かす。顔に似ずハスキーな声で、事務的に問うた。
「ほおっておけ。セントルイスが来たとて、イズラエルには何もできんし、だいいちやつには、そんな権限もない。セントルイスとて、十三人衆の一員ではあるが、所詮は諜報活動専門の頭脳派だ。戦闘能力はたかが知れている。もちろん、俺の敵などではない」
 スプリガンは意に介さない。メイムの報告に、表情ひとつ変えることはない。セントルイスは十三人衆の一員ではあるが、他の十二人のメンバーとは根本的に能力が違っていた。他の十二人のメンバーが何かしら戦うための能力を有しているのに対し、セントルイスは戦闘に必要な特殊能力を持っていない。諜報活動に最大限生かされるであろう能力しか持ち合わせていなかった。もちろん、その能力だけで充分に十三人衆を名乗れる資格があったればこそ、今の彼の地位があるのではあるが。
「ですが、イズラエルはマザー・テレサの血縁です」
 口を挟んだのはバイバルスだ。イズラエルがスプリガンのことをよく思っていないのは、組織の内部である者ならばよく知っていることである。そのイズラエルが諜報活動専門のセントルイスを呼び寄せたと言うことは、もちろん理由があってのことだと推測できる。
「イズラエルが我らのことを探っているとも聞きます。セントルイスを呼び寄せたのは、その為かと………。迂闊な行動は避けるべきかと存じますが………」
 バイバルスの忠告を、スプリガンが素直に聞くはずもなかった。
「………バイバルス。貴様はいつからそんなに偉くなったのだ?」
 じろりとスプリガンは、バイバルスを睨む。
「は?」
「俺に意見をするほど、いつからそんなに偉くなった?」
「も、申し訳ありません………」
 バイバルスは一歩下がって、深々と頭を垂れた。
 スプリガンは鼻で笑う。メイムに近づき抱き寄せると、唇を奪う。数分間の抱擁ののち唇を放すと、
「イズラエルが何と言おうと、マザー・テレサは動かんよ。所詮、イズラエルもマザーの駒にすぎん。我らと同じようにな………」
 何事もなかったかのように、あっさりとメイムから離れた。
 スプリガンはしばし考えを巡らしながら、青い空を見上げた。
「ふん。まあ、いい………」
 鼻を鳴らした後、苦笑した。
「サトの方はどうか?」
 次いで、メイムに尋ねた。
「サト殿の方は順調のようです。規定数以上の聖体(オスティー)を集めております」
 スプリガンの質問に答えるのは、メイムだった。バイバルスはふたりから少しばかり離れた離れた位置で、ふたりの会話を聞いている。この場は口出ししない方がよいと判断したのだろう。口を真一文字に結んだまま、足下のコンクリートを見つめている。
「そろそろ『学院』の方も問題が出てくるだろう。潮時かもしれん。『学院』からは一気に人材を確保する。ミッシェルにもそう伝えよ」
「はっ! かしこまりました」
 メイムとバイバルスのふたりは深々と頭を下げると、瞬時にその場から消え失せた。
 ふたりの気配が消えると、スプリガンは再び体を十番街に向け、街並みを見つめる。
「ワルキューレ、いるか?」
「はい。ここに………」
 スプリガンの呟くような声に、女性の声が答えた。
 音もなく、スプリガンの背後に忍び寄る。片膝を付いて、畏まった。
 メイムと同様に露出度の高いコスチュームだったが、今忍び寄ってきた女性のコスチュームの方が、鎧に近い印象がある。極薄の胸当てと、同じような材質のミニスカート、そしてブーツである。余計なものは身に付けていない。
「『指輪』の探索はどうなっている?」
「残りのひとつはポイントの特定に手間取っております。申し訳ありませんが、今しばらくお時間を頂きたいと思います」
「先日見つけたのは、『真実の指輪』をだったな?」
「はっ!」
 畏まったワルキューレは身じろぎもせず、スプリガンの次の言葉を待った。
「気取られぬ様、あのふたりの監視をしろ」
「はっ!?」
 一瞬、ワルキューレはスプリガンの言葉の意味が理解できなかった。「指輪」の話をしていたのではなかったのか。何の前触れもなく突然話題が変わったので、ワルキューレは一瞬戸惑った。
「聞こえなかったのか? あのふたりを監視しろと言ったんだ」
「はっ! 承知いたしました!」
 ワルキューレは短く答えると、現れたときと同じく、音もなく姿を消した。

 スプリガンとの話を終えたバイバルスとメイムのふたりは、路地裏に瞬間移動してした。
 ジメジメとした、妙な空気に包まれている狭い空間だった。ビルとビルの間にポッカリと開いているその空間は、まるで世間からは忘れられているようであった。人ひとりが、やっと通れるほどの細い隙間を通れば、十番の商店街に出れるが、好んでこの隙間に入ろうとする者は、おそらくはいないだろう。
「汚らわしい!」
 吐き捨てるようにメイムは言うと、二‐三度唾を吐き捨て、自分の唇を乱暴に拭った。
「いつまでスプリガン(あんなおとこ)の下にいる気?」
 鋭い視線をバイバルスに向けた。憤怒の色が、ありありと感じられる。
「やつはまだまだ利用できます。利用できるうちは、手下の振りをしておく方がいいでしょう。やつとて、十三人衆を名乗っている男です。油断できません」
 怒りを露にしているメイムとは対照的に、バイバルスは落ち着き払っていた。普段通りの丁寧な口調で、自分にも応対している。
「それまで、あたしにあいつのおもちゃになっていろと言うの!?」
「仕方ないでしょう………。わたしたちの計画のためです」
 口調を荒げているメイムに対し、相変わらずバイバルスの声は落ち着いていた。
「我慢にも、限度というものがある! だいたい、スプリガンは………!!」
「しっ!」
 バイバルスは自分の口元に人差し指を立てると、メイムに目で合図を送った。声を荒げていたメイムも、口を閉ざして油断なく身構えた。
「そこにいるのはワルキューレですか?」
「さすがね、バイバルス………」
 闇の中から、ワルキューレが姿を現した。ワルキューレはその独特の能力で、闇の中なら大きさに関係なく自分の体を潜ませることができる。
「気配を消していたのはさすがですが、わたしが影使いであることを忘れていたようですね」
 不敵な笑みを浮かべて、バイバルスはワルキューレの美しい顔を見つめた。メイムも確かに美人だが、ワルキューレの美しさは更にその上をいっていた。彼女にはメイムにない、妖艶さを持ち合わせていた。
「スプリガンに、あたしたちを監視するように言われたのね………。食えない奴ね、やっぱり。伊達に十三人衆を名乗っている訳じゃないようね」
 メイムは全身に“気”を漲らせる。既に臨戦態勢だ。バイバルスはそんなメイムを右手で制してから、
「さて、ワルキューレ。わたしたちをどうします?」
 バイバルスは微笑して、ワルキューレを見据える。ここはビルの影である。戦うにしても、影使いのバイバルスが圧倒的に有利だった。
「こんなところであなたと戦う気はないわ。あたしは監視をしろとは言われたけど、あなたたちの動向を報告をしろとは言われてないわ。それに、あなたの何を監視すればいいのかも、あたしは聞いてないわ………」
 ワルキューレは肩を竦めて見せる。途端にバイバルスは大笑いした。
「屁理屈納が好きな(ひと)ですね、あなたは………。いいでしょう、きょうのところは見逃してあげます」
 バイバルスは冷ややかにワルキューレを見つめた。その視線を受けると、ワルキューレは小さく息を吐いた。
「仲間にでもなれと、強要されるかと思ったけど………。いいの? あとで後悔するかもよ」
 ワルキューレは、妖艶な笑みを浮かべて見せた。
「あなたにはあなたの考えがあるのでしょう? わたしたちには、関係のないことです」
「そう、分かったわ。………ただし、監視は続けるわよ。スプリガン様からのご命令ですからね」
「どうぞ、ご自由に」
 バイバルスは意味ありげに微笑んだ。

「待ちわびたぞ」
 シスターに案内され、男が入室してくると、イズラエルは椅子から立ち上がって男を迎えた。
 豪華な部屋である。三十畳はあろうかという広さの部屋に、幾つものがっしりとした本棚が並べられ、分厚い本が隙間無く埋められていた。
 窓際のデスクも大型で、イズラエルはそのデスクで書類に目を通していたのだ。
「意味もなく広い部屋だな………」
 入室してきた男は部屋を一通り見渡すと、皮肉めいた口調で言った。
「俺の趣味じゃないさ」
 イズラエルは高い天井を一瞬だけ見上げると、肩を竦めてみせた。天井には豪華なシャンデリアが飾られている。
「合衆国から、わざわざ俺を呼んだ理由は?」
 男は腕組みをした。
「友人として、お前の力を借りたい」
 イズラエルは、真っ直ぐに男の瞳を見た。
「お前が俺の力を借りたいとは、どういう風の吹き回しだ? タラントやザンギーが倒されたことで、危機感を感じたのか?」
「まさか………」
 イズラエルは小さな微笑を浮かべた。
「スプリガンだよ………」
「スプリガン?」
「そうだよ、セントルイス」
 イズラエルは、遥々アメリカからやってきた友人のセントルイスに、意味ありげな視線を送った。皆まで言わせるなと、瞳は語っていた。
 男───セントルイスは、腕組みをしたままの姿勢で、小さく息を吐いた。
「動き出したのか?」
「ああ。傾向は以前からあったのだがな」
「うむ………」
「十三人衆のタンクレードも、やつの傘下に入った。ギルガメシュもイシスも何を考えているのやら、皆目分からんやつらだ。当てになぞできん。お前だけが頼りだ」
「ジェラールやファティマだっているだろう? それに新参者のセレスは、お前の傘下に入っていると聞いているぞ? そんなに心配することはないと思うがな………」
 セントルイスはポケットから煙草を取り出すと、豪華なライターで火を付けた。深く吸い込んだあと、ゆっくりと吐き出す。
「ファティマは駄目だ。母上の言いなりだからな、当てになぞできんよ」
「自分の妹が信用できんとはな………」
「肉親が一番信用できんよ。母上がわたしを単なる捨て駒としか、見ていないようにな………。それに、ファティマは………」
 イズラエルは何事かを付け加えようとしていたが、セントルイスの言葉の方が早かった。
「ジェラールとセレスは?」
「………ジェラールは食えん男だ。別の意味でスプリガンより警戒する必要がある。セレスも何を考えているのか分からん」
 イズラエルは諦めたように、ゆっくりと首を左右に振った。
「俺に何をしろと言うんだ?」
「スプリガンを抹殺して欲しい」
 イズラエルはさらりと言った。セントルイスの頬が、僅かにピクリと動いた。
「あの男を、何故それほどまでに恐れる………?」
「あの男を恐れているのではない。背後に潜む者を、表舞台に引きずり出したいだけだ。あの男が死ねば、手足を失った背後の者は、必ず表に出てくる」
 イズラエルはゆっくりとした足取りで、窓際に移動し、外に視線を向ける。広大な海が見える。
「恐ろしい男だよ、お前は………。俺が苦労して掴んだやつの背後に潜む者の存在に、とうに気付いていたというのか?」
 セントルイスは大袈裟に驚いてみせる。彼なりのパフォーマンスだったが、イズラエルは小さな笑いを一瞬だけ浮かべただけだった。
「スプリガンの背後にいる存在には、俺も興味がある。分かった。今回はお前に踊らされよう」
「すまない。お前にしか頼めないことだ」
「ああ………」
 セントルイスはくるりときびすを返した。大股で退室していく。
 頼れる友人の背中を、イズラエルは頼もしげに見送ったが、しかし、一瞬だけその瞳はあらぬ光を放った。

 ドアがノックされた。
 シャワーを浴び、濡れた髪を鏡の前で梳かしていたセレスは、外していた黄金の仮面を再び顔の右半分に填めた。バスタオルを体に巻いたままの格好で、ドアの元まで歩いていき、ゆっくりと開けた。
「………スプリガン?」
 セレスは眉間に皺を寄せた。
 開けられたドアの前に立っていたのは、セレスにとっては意外この上ない人物だった。この男が、何の目的もなく自分の部屋に訪れるはずはない。セレスはスプリガンに悟られぬ様、徐々に“気”を高めてゆく。
「お前がカテドラルに来るなど、珍しいことがあるものだわ」
 スプリガンが自分の部屋に訪れた理由を探るためには、相手にしゃべらせなければならないと考えたセレスは、バスタオルにくるまれている自分の胸を物色していたスプリガンに、皮肉めいた言葉を投げかけた。
「他人のことが言えるほど、お前も来てはおるまい」
 彼女の皮肉が分かったのだろう、皮肉めいた薄笑いを浮かべると、スプリガンは遠慮なく部屋に入ってきた。
「女の部屋にしては、殺風景だな」
 ぐるりと室内を見回すと、スプリガンは笑い混じりに言った。
「チャラチャラとした、現代風(いま)の女の子の部屋を想像していたのか? 生憎とあたしにはそんな趣味はない。それにお前が言うように、ブラッディ・カテドラル(ここ)にはあまり来ないしな」
 セレスは鋭い視線でスプリガンを見据える。言葉には出さないが、早く出ていけと目で合図を送る。
「………嫌われたものだな」
 スプリガンは肩を竦めた。
「好かれていると思っていたのか?」
「………いや」
 ほのかに湯気が残っているバスルームを覗いたあと、スプリガンはセレスの正面に移動してきた。
「いったい何の用だ? まさか、あたしを抱きに来たとか冗談を言うつもりじゃないでしょうね?」
「そのつもりだった」
 さらりと言うと、スプリガンはセレスの体に巻かれていたバスタオルを右手で払った。
 眩しいほどのセレスの裸体が、スプリガンの目に飛び込んできた。 スプリガンは右手を伸ばし、セレスの乳房に触れた。
 セレスは動じる風もなく、スプリガンの目を冷ややかに見つめた。
「!」
 殺気を感じた。背後からだった。思わず鳥肌が立ってしまうような、凄まじい殺気だった。さしものスプリガンも、思わずセレスの乳房を揉む手を止めてしまった。
「死にたくなければ、その手をどけた方がいい」
 セレスはスプリガンの目を見つめたまま、恐ろしいほどの冷たい声で言い放った。
「この手をどけなかったら、後ろのふたりが俺を殺すと言うのか?」
 スプリガンはにやりとした笑いを浮かべると、セレスの乳房を触る手に力を込めた。動じるほどの殺気ではないと判断したからだ。その程度の“気”を持つ相手ならば、自分から倒すまで五分と掛からないだろう。
 再び乱暴に、セレスの乳房を揉みしだく。
「いいえ、彼女たちはあたしが暴走するのを止めに来ただけ………」
「お前が暴走だと? どんな風に暴走すると言うのだ?」
 楽しげな口調だった。嫌らしい笑みを浮かべると、セレスの瞳を見つめた。スプリガンは乳房を揉んでいた手を、徐々に下に移動させる。
「!」
 閃光が迸った。咄嗟にシールドを張らなかったら、消し炭になっていたかもしれなかった。 スプリガンはセレスの部屋から弾き出され、宙を舞っていた。つい先ほどまでいたセレスの部屋は、跡形もなく吹き飛んでいた。部屋があったであろうと思われる空間には、裸体をさらけ出したままのセレスが、やはり宙に浮かんでいた。その背後に、セレスの部下のキロンとアイーダの姿が見えた。
 カテドラルの一角が突然吹き飛んだことで、驚いた教団員が野次馬のように集まってきた。
 セレスは鋭い眼光で、こちらを睨んでいる。
「な、何が起こった!?」
 左肩に激痛が走った。遥か足下の大海原に、血が滴り落ちている。シールドを張ったにも関わらず、傷を負わされていたのだ。
「恐ろしい女だな………」
 セレスの裸体を遠くに見ながら、スプリガンは唇を噛み締めた。
「何てパワーだ………。シールドをしていたにも関わらず、俺に傷を付けるとは………。それに、やつは今自分の力の十分の一も出しちゃいない」
 痛む左肩に、右手を当てる。キロンとアイーダがセレスの前に進み出ていた。これ以上ここに止まれば、間違いなくあのふたりは攻撃してくるだろう。
「退散するしかないか………」
 先程自分を弾き飛ばしたセレスの“気”は、間違いなく自分のパワーを上回っていた。キロンとアイーダを倒せたとしても、セレスとはよくて相打ちだと思えた。
「分の悪い賭けだ」
 ここは大人しく退散するしかない状況だった。

 スプリガンが立ち去った空間を見つめながら、キロンとアイーダが近寄ってきた。
「あの男、セレス様を傘下に招くつもりなのでしょうか?」
 強力な仲間を集めているとの情報を得ているキロンが、セレスにバスタオルを渡しながら訊いた。アイーダは集まってきた教団員を追い返している。
「さあね。案外、本当にあたしを抱きに来たのかもしれないよ」
 セレスは愉快そうに笑った。

 インドに向かう旅客機に、一般人として乗り込んでいたギルガメシュは、ブランデーをロックで飲みながらくつろいでいた。
 インドに戻れば、また口うるさいイシスと行動を共にしなければならない。ブラッディ・クルセイダースの東南アジア支部は、ふたりの管轄なのだ。
「退屈そうだな、ギルガメシュ………」
 突然教団名で声をかけられたギルガメシュは、ビクリとして顔を上げた。
 黒いスーツ姿にサングラスという、見るからに怪しい出で立ちの男が、通路側からこちらを覗き見ていた。
「貴様は?」
 ギルガメシュは短く訊いた。
「俺を忘れたとは言わさないぜ」
 男は僅かにサングラスをずらし、ギルガメシュに素顔を見せた。にやりと笑う。
「! ノスフェラート!!」
 ギルガメシュはその男の顔に見覚えがあった。かつてはブラッディ・クルセイダースの一員だった男だ。イズラエルや、ギルガメシュ、セントルイスなとど並び、結成当時からのメンバーで、十三人衆の候補にもなった優秀な男だった。だが、数人の仲間と共に、突如反旗を翻したノスフェラートは、ブラッディ・クルセイダースから永久追放の身になった。
「ひとりで行動しているとは珍しいな。エンキドゥは一緒じゃないのか?」
 ノスフェラートが口にしたエンキドゥという男は、ギルガメシュの片腕と呼ばれている男である。自分が戻るまで、東南アジア支部の管理を任せてきたのだ。
「俺に何の用だ? まさか、あの時の仕返しに来たなんて、子供の喧嘩のような台詞を言うつもりじゃないだろうな?」
「こんな機内で暴れるほど、俺も馬鹿ではない。懐かしい顔だったんでな。挨拶に来ただけだ」
 ノスフェラートは飄々としていた。
「何を企んでいる?」
「お前に教えると思うか?」
「いや………」
 ギルガメシュは苦笑してみせた。ノスフェラートも、にやりとした笑いを返す。
「お前も、いつまであんなちんけな組織にいるつもりだ? ブラッディ・クルセイダースに居続けて、お前に何のメリットがある?」
「俺をスカウトする気か?」
「冗談じゃない………」
 ノスフェラートは、笑い混じりに首を横に振った。
「お前のような訳の分からんやつを、俺の組織に招くわけにはいんよ………」
「そうか。それを聞いて安心した」
 ギルガメシュは飲みかけのブランデーを、ゆっくりと口に運んだ。
「じゃあな。お互い命があったら、また会うことにしよう」
 ノスフェラートは脅迫とも忠告ともつかぬ口調で言うと、通路を機首の方に向かって歩いていった。

 暗い陰湿な空間に、その棺はあった。
 イシスはしずしずとその棺に近付くと、棺を開け、手にしていた包みを大事そうに仕舞い込んだ。
「これで、あと五つ………」
 イシスは陶酔したような瞳で、棺の中を見つめる。
「ああ………。あたしの愛すべき兄上………。もうすぐよ、もう少しで兄上を現世に蘇らせることができる………。パーツはあと、五つ。それで全てが揃うわ。もう少し、もう少しだけ待っていてね………」
 何かに取り憑かれたようなイシスは、壊れたテープレコーダーのように、何度も何度も、棺に向かって同じことを呟いていた。