血の者たちの密談
聖母マリアの像に、淡い光が差し込められている。
陽の光だろうか。
暖かなその光は、一筋の光明のように聖母マリアに降り注いでいる。
ステンドグラスの美しい光は、聖母マリアの御前で祈りを捧げている少女の姿を写し出していた。
両手を胸の前でしっかりと組み合わせ、跪いているその少女は、美童陽子だった。
陽子はたったひとりで、聖母マリアに祈りを捧げていた。一心に………。
陽の光が陽子にも降り注いでいるのか、静寂な空間に彼女自身を淡く浮かび上がらせていた。
ふと、顔を上げてみた。
人の気配がしたからだ。
振り向いてみた。
神父が立っていた。見慣れない神父である。
T・A女学院には、教師以外の男性は殆どいない。いるのは用務員のおじさんと、正門にいる警備員さんくらいだろう。事務員も全て女性である。授業も殆どがシスターが教鞭を振るっていて、男性教師の顔を見ることは少ない。中等部と高等部を合わせても、男性教師は五人といないだろう。
神父がいるという話も聞いていない。
陽子は立ち上がると、不思議そうに、その神父に視線を向けた。若い神父である。二十代半ばくらいだろう。欧米系の目鼻立ちをしている。髪の毛も瞳も黒かったが、日本人ではないだろうと思えた。異国の雰囲気を漂わせている。
「これは失礼致しました。あなたのお祈りの邪魔をしてしまったようですね」
柔らかい口調で、その神父は言ってきた。流暢な日本語だった。
陽子は「いいえ」と首を振ってから、
「神父さんは、どちらの方ですか?」
と尋ねた。
「はい。先頃、パリにある小さな教会より、日本を視察に参りました者です。この学院には友人がおります関係で、立ち入りの許可を頂いております」
神父は穏やかに言った。暖かな笑みを浮かべている。小脇に抱えている古ぼけた聖書を、左から右に持ち替えた。
「そうですか、パリから………。日本語がお上手ですね」
「ありがとう。………あなたは、何か悩み事でもおありなのですか? 随分と長い間お祈りをしていたようですが………」
相変わらず、神父は暖かい笑みを浮かべていた。とても、安心できる笑顔だった。
陽子は少しの間考えてから、
「わたしの友達が、何人も行方知れずなんです。ですからわたしは、彼女たちの無事を、マリア様にお祈りしていたのです」
悲しげな瞳で、訴えるように答えた。陽子は心のどこかで、無理だと理解しつつも、この神父に何かを期待していたのだ。初対面にも関わらず、神父に心を許している自分に、心の中で苦笑する。
陽子の心の微妙な動きを敏感に感じ取った神父は、変わらず暖かい笑みを浮かべながら答えた。
「この学院に起こっていることは、わたしも存じております。彼女たちのことを思うと、心が痛みます」
神父は一瞬だけ悲しげな瞳を見せた後、陽子を真っ直ぐに見つめて、
「大丈夫。あなたの美しい心が、きっとお友達を救ってくれることでしょう。あなたの願いが、マリア様に届きますように………」
柔らかい口調で言うと、神父は十字を切った。
「ありがとうございます、神父様。わたしは美童陽子といいます。ぜひ、神父様のお名前をお聞かせください」
「わたしは神父ミッシェル。わたしはいつでもここにおります」
神父ミッシェルは柔らかに答えた。神秘的な響きだった。
朝から気が重かった。
頭痛がひどかったせいもある。
気が乗らなかった。
陽子とふたりで乗ったバスで、痴漢にあった。頭痛がひどかったために、“気”の乱れが謙虚に出た。暴走した“気”は、痴漢を一撃で退治した。
元麻布高校の学生だった。
秀才君である。
哀れ秀才君は、レイの強烈な不機嫌の“気”をまともに食らい、瞬時に失神した。すぐにバスを降りてしまったから、その後彼がどうなったかは知らない。痴漢の末路など、知ったことではない。
ただ、隣にいた陽子にも秀才君は触ったらしく、レイの“気”を浴びて失神する寸前、陽子にでかい声で「痴漢よ!」と叫ばれたので、彼はきっとその後悲惨な目にあったことだろう。
元麻布高校には浅沼一等が通っているので、それとなく訊いてみようかとも思う。もしも浅沼の友人だったら、きっちりと説教をしなくてはならない。
レイは食堂で昼食も取らずに、ずっと教室のベランダから校庭を眺めていた。
そう言えば、今朝はあの弥勒院玲子が現れなかった。きのうも丸一日見かけなかったような気がする。できれば会いたくない女なのだが、会わなければ会わないで、少々気になってしまう。後でそれとなく探りを入れて診ようとも思う。女学院生の行方不明者が続発しているので、考えたくはないが、彼女も失踪したと言う可能性も捨てきれない。嫌な女だが、さらわれたとなるとほっておくわけにはいかない。
そう言えば陽子が、先日弥勒院玲子から変な言い掛かりを付けられたと言っていた。取り巻きのひとりである白川祥子が行方不明になったことで、陽子が犯人扱いされたと言うものだった。自分も共犯と言うことにされているらしく、警察沙汰にされたくなければ、早く解放するように脅迫気味に言ってきたらしかった。
「ミイラ取りがミイラになったって、ことはないわよね………」
玲子は必ず証拠を掴んでやると言い残して去ったと聞いているので、単独で白川祥子の捜索をしている間に、敵に拉致されてしまった可能性も拭いきれない。
レイはベランダから校庭に視線を落とす。
レイの教室は四階建ての校舎の最上階にある。上からは校庭はよく見えるが、校庭にいる人間は四階のベランダにいる人間のことなど、さして気にもとめない。
見慣れない神父が、体育館に向かって校庭の隅を歩いていた。
(あんな神父さんいたかしら………)
学院に神父がいるという話は聞いてはいない。学院外の人間だろう。
神父は、これもまた見慣れないシスターと擦れ違うとき、二言三言会話をして、そのままゆっくりとした足取りで体育館に向かって歩いていく。
(最近、知らないシスターが増えたような気がするわ………)
嫌な予感がした。敵は思わぬところに潜んでいるかもしれない。
(学院内を調べてみる必要があるかもね………)
レイは頭痛のひどい頭で、あれこれと思案を巡らさなければならなかった。
黒い不気味なまでの十字架に、陽の光が射し込める。天井に近いステンドグラスがキラキラと美しい輝きを見せてはいるのだが、どことなく異様さを漂わせる模様だった。
十字架を抱えるようにしている悪魔に似た像が、ピクリと僅かに動いたような気配を見せた。
「我が主よ………」
低く、唸るようにして声を発したのは、大司教ホーゼンである。
その傍らには、マザー・テレサの姿も見える。
マザー・テレサは大司教ホーゼンより一歩さがった位置で十字架を見つめていたが、大司教が再び瞑想に入ると、しなやかな動きで、くるりときびすを返した。マザーの視界に、巨大な講堂が飛び込んでくる。
講堂の長椅子は、ぎっしりと人で埋め尽くされていた。全てが若い女性である。制服を着た学生が殆どだった。私服の女性は数えるほどしか見受けられない。
講堂の女性たちは何かに憑かれたように、一心に祈りを捧げている。その姿は異常とも思えた。
「汚れなき、乙女よ! 祈りを捧げよ。我が主に、その肉体の全てを捧げよ」
マザー・テレサは両手を大きく広げる。声が意志ある者のように、講堂の隅々まで響き渡った。
それに呼応し、女性たちの祈りに力がこもる。
「我らの血と肉を、大いなる主に………!」
講堂をびっしりと埋め尽くしている数百人の女性たちが、一斉に何事かを唱えだした。何かに取り憑かれたように、同じフレーズを何度も何度も詠唱している。
「我が主よ、受け取りたまえ! 乙女の聖なる力を! そして、目覚めたまえ!」
大司教ホーゼンの低い声が講堂に響いた。
が、それだけだった。
何の変化も起こらなかった。
「足りぬ………」
大司教ホーゼンは黒い法衣を翻すようにして、講堂に振り返った。
「聖体が不足している。もっと集めねばならん。もっと純度の高い聖体を集めよ。予言の時は迫ってきている。それまでに、聖地を見つけならればならん」
大司教ホーゼンは、短く嘆息した。マザー・テレサは肯くと、
「イズラエルよ、そこにおろう」
講堂を見つめながら、十三人衆の長の名を呼んだ。
「お呼びでしょうか? 母上………」
講堂の闇に紛れていたイズラエルが、畏まって答えた。その背後には、幾つかの人影が見え隠れする。
「ザンギーとタラントを倒した者どもの始末は、どうなっておるのか?」
「邪魔者の始末は、セレスに任せております。ご安心を………」
先日の戦いで、イズラエルはセーラー戦士たちの力量を把握したつもりだった。本気を出せば負ける相手ではないと言うのが、彼が受けた印象だった。
「生かして捕らえよ」
「は? 今、何と………?」
全く予期していなかった言葉だったため、イズラエルは思わず聞き返してしまった。
「生かして捕らえよと申しておる」
マザーの言葉には、二度も言わすなという語気が含まれていた。蔑んだ眼差しで、イズラエルを見下すようにする。とても母親が、自分の子供に向けるような視線ではなかった。
「あの者たちからは素晴らしいエナジーを感じる。極上の聖体となろう」
大司教ホーゼンが口を開いた。
マザー・テレサが言葉を続けた。
「よいな、イズラエル」
有無を言わさぬ力があった。イズラエルは頭を垂れる。
「マザー・テレサのお言葉のままに………」
まるでブレーカーでも落ちたように、イズラエルの気配は瞬時に掻き消えた。イズラエルの背後にいた者たちも、イズラエルとともに姿を消す。
「テレサよ、イズラエルたちに任せておいてもよいのか?」
音もなく、ホーゼンはテレサの横に移動してきた。テレサはそんなホーゼンには、視線を向けようとはしない。視線は、講堂で祈りを捧げている女性たちに注がれている。
「ご心配には及びません。駒はいくらでもあります。………それよりも私が気掛かりなのは、イズラエルに捕獲を命じたあの者たちの存在です。あの者たちはおそらく、予言にあった白き光に守られた者たち。野放しにすれば、のちのち災いの種となりましょう」
「白き光に守られた太古の王国の末裔か………。案ずるな、如何様にでも料理はできる」
「それに伝説の忌まわしき者たちも、かの聖地を探していると聞きます。あれこそ、油断できません」
「うむ………」
ホーゼンは何事かを模索するようにその瞼を閉じ、低く唸った。
「白き光に守られし者たちより、伝説の忌まわしき者共の方が厄介ではあるな。だが、それも我々の前では無力に等しい」
「随分と余裕がおありですね。確かに、いざとなれば、双方とも闇へ葬ればいいわけです。あなたには、それができますからね」
探るような視線を、テレサは大司教に向けた。
「わしとて今の状態ではエナジーが足りん。まだまだ真の力は発揮できんよ」
「欲しければ、そこにいくらでもあるではありませんか………」
テレサは講堂を指し示す。女性たちは、依然として祈りを捧げている。ふたりの会話など、全く耳に入っていない様子だった。
大司教はそれを一瞥し、
「純度の高い、乙女の聖体は少ないのだ」
低く、地に響くような声で言った。
漆黒の闇に、荒い息だけが響く。人の気配はするのだが、闇に紛れていて、その姿を確認することはできない。
不気味な息づかいだけが、どこからともなく伝わってくる。
「スプリガン様………」
不意に声が響いた。澄んだ女性の声だった。女性の声は、どことなく遠慮がちに聞こえた。
姿は見えない。やはり闇に紛れてしまっている。
「何事だ」
不機嫌そうな声が返ってくる。
声をかけた女性が、恐縮しているのが気配だけでも分かる。
「申し訳ありません………。イズラエル様が、召集をかけております」
「イズラエルが………? フン………。一端のリーダーを気取りおって、青二才が………」
スプリガンは吐き捨てるように言った。
「少しぐらい遅れてもよかろう。俺はもう少し楽しんでからゆく」
スプリガンの声が終わると、再び荒い息づかいが聞こえてくるようになる。やがてそれは、女性のよがり声へと変わっていった。
大理石で創られたテーブルに置かれているワイングラスを右手で取ると、イズラエルは不機嫌そうに真紅の液体を喉に流し込んだ。
室内は五十畳ぐらいの広さを持っており、天井、壁、床と一面が純白で塗られていた。天井には豪華なシャンデリアが備えられており、淡い光を降り注いでいた。
この広い室内には、円形の大理石のテーブル以外は他に何もなく、豪華な扉の横に、メイドらしき女性がふたり、じっと立っているだけだった。
テーブルには席が十三。そのうちの一際豪華な椅子に、イズラエルは腰を降ろしていた。
「遅い………」
ぽつりとイズラエルは言った。グラスの真紅の液体を、一気に飲み干す。
そんな苛立たしげなイズラエルを、黄金の仮面越しに、横目で冷ややかに盗み見すると、セレスはその視線を自分の前に置かれたままのワイングラスに戻す。グラスに半分ほど注がれている真紅の液体は、セレスはまだ口にしてはいない。
「セレスよ、いらぬのならもらうぞ」
右側から、皺だらけの手がヌッと伸びてくる。
だが、その皺だらけの手はグラスには触れず、真っ直ぐにセレスの胸へと近づいてきた。
セレスの瞳が、危険な色を放つ。
「冗談じゃ、冗談じゃよ………」
人を小馬鹿にしたような笑いを発しながら、彼女の胸を触ろうとした本人───レプラカー
ンは、その皺だらけの手を引っ込めた。
セレスは無表情で、自分のグラスをレプラカーンの前へずらす。
「せめて口を付けてからにしてほしかったのう………」
卑わいな笑みを浮かべながら、レプラカーンは礼も言わずにグラスの中身をちびちびと飲みだした。
レプラカーンは、相変わらず小汚いフードを頭からすっぽりと被っており、他人には直に素顔を見せようとはしない。
「老人よ、そなた、未だにあのいかがわしい研究を続けておるのか?」
レプラカーンの向かい側に位置する席に腰を降ろしている長身の青年が、慇懃な口調で訊いてきた。赤や青、黄色といった様々な色で、髪の毛を彩っている。その風貌からはとても想像できないような丁寧な口調だった。
グレーがかった眉をひそめ、金色の瞳でフードの小男を見つめる。
「いかがわしいとは聞き捨てならんな、ギルガメシュ。歴とした研究なのじゃぞ」
「これは失礼」
言葉とは裏腹に、小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべている。言葉ほどには礼儀正しい男ではないようだ。
馬鹿にされた当のレプラカーンはと言えば、別にギルガメシュの態度に怒るわけでもなく、視線を隣のセレスに向けていた。
老人の興味は、無礼な男には全くなく、若くて美しい娘の胸にあるようだった。服の上からでもふっくらとしたセレスの胸が、気になって仕方がないのである。弾力性のとんだというより、柔らかなマシュマロに似た膨らみを持つセレスの胸をジロジロ見ながら、フードの怪老人は涎を啜った。
「セレス、おじいさんはあなたの胸に興味がおありのようよ。見せてさしあげたら………? もしかしたら、興奮して、ショック死してくれるかもしれませんわよ」
悪戯な笑みを浮かべているのは、セレスの正面に近い席に付いている、端正な顔立ちの美
女───イシスだ。
顔の右半分を黄金の仮面で覆っているセレスとは違い、イシスは素顔のままである。美しく化粧されたその顔からは、大人の女の色気が漂っていた。
イシスは艶めかしい視線を、フードの小男に向けた。ゾクリとするような視線であったが、レプラカーンには通じなかったようだ。
老人はちびちびとワインを飲みながら、セレスの胸を視姦している。どうやらセレスの胸は、レプラカーンの酒の肴にされているようだ。
「このクソじじいをショック死させるという意見には賛成だけど、それならば自分の胸(もちもの)でやってほしいものだわ」
淡々とした口調で、セレスは言い、鋭い視線をイシスに向けた。
「人に見られるのが恥ずかしいの? 可愛いところもあるじゃない。それとも、自信がないのかしら? ………じゃ、仕方がないわね」
イシスは立ち上がる素振りを見せる。本気で胸を見せる気のようだ。
「残念じゃが、わしゃ、処女にしか興味がない」
フードの小男は、さらりと言ってのけた。
ギルガメシュが腹を抱えて大笑いをする。
「このエロじじい! 本当にぶっ殺すよ!!」
顔を真っ赤にし、頬をピクピク痙攣させながら、イシスは大理石のテーブルを叩きながら立ち上がって抗議をした。口調もがらりと変わり、乱暴な言葉使いになっていた。
「おお、怖い怖い………。年増女はヒステリックでいかん」
レプラカーンはわざとらしく肩を竦め、頭を左右に振る。
「あ、あたしはまだ、二十五だよ! 百歳過ぎた妖怪じじいに、年増女呼ばわりされる筋合いはないよ!!」
怒りが頂点に達したイシスは、頭から湯気を出さんばかりの勢いで、がなり立てた。
「こんなくだらないミーティングなら、あたしは帰るわよ」
冷たく言い放って席を立ったのは、セレスだった。うんざりしたような表情で、自分の右隣のフードの小男を見下す。
更に罵声を浴びせようとしていたイシスは、口をポカンと開けて、立ち上がったセレスを見ていた。
「まあ待て、セレス………。イシスもレプラカーンもいい加減にしないか」
イズラエルはセレスを宥め、イシスとレプラカーンを静かな口調で諫めた。
と、その時、ギイッという重苦しい音を響かせて、豪華に装飾された扉が開かれた。
扉の横に立つメイドが、慇懃にお辞儀をする。
しずしずとシスターが部屋の中に足を踏み入れ、深々と頭を下げた。
「スプリガン様がお見えになりました」
そう報告するシスターの背後から、スプリガンが大股で入室してくる。
「遅れて申し訳ない………」
スプリガンは言葉だけの詫びを入れる。口先だけの詫びだということは、彼の横柄な態度を見れば一目瞭然なのだが、イズラエルはさして気にもしていない様子だった。
スプリガンを部屋まで案内したシスターは、再び深々と頭を下げると、入ってきたときと同じようにゆっくりとした動作で退室していった。
「遅いぞスプリガン。皆、待ちくたびれている」
「申し訳ありません、イズラエル様。なにぶん、取り込んでいたゆえ………」
「大方、女でも抱いていたのであろう? 女の臭いがプンプンするわ。シャワーぐらい浴びてくるべきだったわね」
イシスは蔑んだ視線を、テーブルに歩み寄るスプリガンに向けた。図星だったために、僅かに顔を歪めたスプリガンは、小さく舌打ちをした。
「召集をかけたのは、この五人だけですかな?」
イシスをチラリと見ただけで、スプリガンは彼女の言葉を無視した。歩きながらイズラエルに尋ねる。
無視されたイシスは、鼻を鳴らしてそっぽを向くと、ワイングラスを傾けた。
スプリガンはそのイシスの背後を素通りすると、所定の自分の席に腰を降ろす。大理石の円卓では、十三人衆の席はあらかじめ決められているのである。
「緊急だったのでな。他の者は呼ばなかった。他の連中は、お前以上に時間にルーズだからな………」
イズラエルはスプリガンを見ながら言う。スプリガンは苦笑を浮かべた。
「ジェラールにも声をかけなかったと………?」
ジェラールという男は、まじめに「クソ」が付くくらいの男である。ミーティングの時間に遅れたという話は、今まで聞いたことがない。
「今回は遠慮すると言ってきた。自分のテリトリー内でザンギーが倒されたからな………。やつも忙しいのであろう。手柄を立てようと、躍起になっている。セントルイスも別の件で動いてもらっている。今回は声を掛けなかった」
イズラエルは静かな口調で答えた。
「ファティマの姿も見えませんな」
「ファティマはマザーの側を離れるわけにはいかぬ」
「なるほど」
スプリガンは自らの指定の席に着いた。上座のイズラエルの席から見て、すぐ左側の席である。
「………で、なんのミーティングなのです?」
メイドが運んできてくれたワイングラスを口に運びながら、スプリガンは尋ねた。
「例の邪魔者どものことだ」
「おお! あのピチピチしたねーちゃんたちのことじゃな」
「邪魔者の始末は、セレスに任せたのでは?」
茶々を入れてくるレプラカーンを無視して、スプリガンは聞き返す。
イズラエルもレプラカーンの言葉などには耳も貸さない。無視されたフードの老人は、ブツブツ言いながら真紅の液体を啜る。
「セレスの手には負えないということなのね」
喜々としてイシスは身を乗り出した。仲間の失敗が、よほど嬉しいようだ。
セレスは正面に近い位置に座すイシスを、じろりと睨んだ。だが、もちろん、イシスがその程度の事で臆するはずもない。
「残念だな、イシス。それは違うよ」
ギルガメシュが、イシスの方に視線を動かした。
イシスは怪訝そうに、二席離れているギルガメシュを見る。その表情は、なぜこんな小娘を庇う必要があるのかと言いたげだった。
「ギルガメシュとセレスは、わたしとともにマザー・テレサより、直にお言葉を頂いているので、既に知っているのだが………」
と、前置きを置いた後、
「作戦が変わったのだ」
イズラエルは本筋を、一言で説明した。
「作戦が変わった?」
今度はスプリガンが怪訝そうな顔をする。
「捕らえてこいとの、マザーよりのお言葉だ」
「捕らえろですって!?」
スプリガンの問いに対するイズラエルの返事を聞き、今度はイシスの眉が跳ね上がる。
「簡単に言ってくれるけど、生きたまま捕らえるのは、その場で殺すより難しいことよ。ましてや、ザンギーとタラントを倒したやつらなんだろう? 言葉ほど簡単にいくとは、思えないわ!」
「無茶は分かっている。………それより、できないと言うのか?」
冷ややかな視線を、イズラエルはイシスに向けた。
「そうは言ってないが………」
イシスは言葉を濁した。それ以上の言動は、仲間たちに自分を無能者呼ばわりさせる要因を作るだけだと考えたからだ。
「あの者たちは最高の聖体になる。我が主の復活のためには、最高の聖体が必要だ」
イズラエルは一同を見渡した。
「………なんだ、一度正味をしようと思ったのだが、捕らえたら献上しなければならんのか………。つまらんな」
いかにも不服そうに呟いたのは、スプリガンである。イシスが再び白い目を向ける。
「あんたの興味は、アレしかないのかい?」
「男は皆、そうだと思うがな………。なぁ、ギルガメシュ?」
「俺は貴様とは違う。あんな小娘には興味はない」
「ふん」
そっけないギルガメシュの返事に、スプリガンは鼻を鳴らす。
「………お前だとて、十三人衆に取り立ててもらうために、大司教のじじいと寝たのだろう? しっかり約束を守って、お前を十三人衆に指名するとは、大司教も可愛いところがあるじゃないか」
矛先をイシスに変えた。
「あ、あたしは実力で選ばれたんだ! 下手な詮索はよしとくれ! それに、それを言うなら、あたしじゃなくて、セレスの方だろう? ディールを蹴落として、十三人衆の座に収まったんだ。それくらいのことはしているだろう?」
イシスはセレスに視線を流す。セレスは睨むように、イシスを見ている。
「いいや、セレスは処女じゃて………。お前さんとは違うわい」
口を挟んだのは、レプラカーンだった。フードの中の瞳が、じろりとイシスに向けられる。
「どうして、そんなことがわかるんだよ!」
意外な人物からの反撃に、イシスは語気を荒げた。
「臭いで分かるわい」
フード被った老人は、胸を張って平然と言ってのけた。次いで、セレスの体臭を犬のようにクンクンと嗅ぐ仕草をしてみせる。
「どんな臭いがするって言うのよ!!」
「お前さんからは、感じられんいい香りじゃ」
「この、クソじじい!」
「いい加減にしないか!!」
イズラエルの叱責が飛ぶ。部屋全体が揺らいだような気がして、レプラカーンは思わず首を引っ込めた。イシスとスプリガンが、驚いたような表情でイズラエルを見る。居眠りをしていたらしいギルガメシュは寝惚けた顔を上げ、相変わらず無表情のセレスは、無言でイズラエルに目を向けた。
イズラエルが声を荒げるところを、彼らは初めて見たのだ。だから、驚いた。
一声放った後、イズラエルは深く息を吐いた。
「『指輪』の件はどうなっている? 貴様のテリトリーでも、ひとつ確認されたはずだが」
イズラエルは話題を変えた。セーラー戦士の一件もそうだが、彼らには他にやらなければならないことがあった。全世界レベルで支部を配置しているのも、半ばそれの任務の為でもあった。
「ご心配には及びません。『指輪』は間もなく手に入りましょう。配下のエンキドゥが、現在その任に当たっております」
「うむ」
イズラエルは満足そうに頷く。
「日本にも確か、あるはずでしたな………?」
確認するように訊いてきたのは、スプリガンだ。
「他人事のように言うのね。日本はあんたのテリトリーじゃないか」
イシスが鼻先で笑う。
「『指輪』の探索は俺の任務外だ。………老人、しっかりと探索しているのか?」
スプリガンはレプラカーンにジロリと視線を向けた。日本での「指輪」の探索は、どうやらレプラカーンの役目のようだった。
フードを被った老人は、メイドに新たに注いでもらったワインを、例によってちびちびと飲んでいるところだった。
「ん? 『指輪』か? おお! 探しとる! 探しとるよ………」
「その様子じゃ何もしてないね………」
イシスに図星を指されたが、レプラカーンは動じなかった。他人の振りをしてワインを啜っている。
イズラエルが頭を抱えている。チラリとセレスに視線を流した。セレスは頷く。視線の意味を理解したのだ。
その方が賢明だと言うように、ギルガメシュが苦笑を見せた。「指輪」の探索をレプラカーンに任せたのが、そもそもの間違いなのだ。
「もうよい。今日のところは解散しよう………」
うんざりとした顔で、イズラエルは低く言った。
「セレスよ………」
ミーティングが終わり、部屋を出てひとり通路を歩いていたセレスを、しわがれた声が呼び止めた。
振り向くと、フードを被った小男が、すぐ背後まで迫ってきていた。こんなに迫られるまで気が付かなかったとは、と、セレスは苦笑する。
セレスの苦笑の意味が分かったのか、老人はにたりと笑った。
セレスの腰の高さくらいまでしか背丈のないレプラカーンは、上目遣いで、顔半分を黄金の仮面で隠している彼女を見つめている。
「何か用か?」
抑揚のない声で、セレスは訊いた。蛍光灯の光を受け、仮面がキラリと反射する。
「何か用かとは、ご挨拶じゃな。せっかく助けてやったというのに………」
「助けてくれと頼んだ覚えはない。人のことを処女だの処女じゃないのと、でかい声でよくも言ってくれる………」
「処女だから処女じゃと言ったまでじゃが………。やはり、恥ずかしいのかの?」
レプラカーンはさらりと言うと、セレスのすらりと伸びた足に目を向ける。セレスも見られているのは分かっていたが、別に咎めるつもりはなかった。見られるのが嫌ならば、短いスカートなど穿かない。
セレスは女性にしては背が高い方である。百七十センチ前後といったところだろう。生地の薄いコスチュームを身に付けているために、ボディラインもよく分かる。抜群のスタイルをしていた。レプラカーンでなくても、男性ならば誰しも思わず見とれてしまうほどの美しいボディラインの持ち主だった。
足をじろじろ見ていたレプラカーンの視線が、上に移動してきた。鋭い視線で、片方だけ見えるセレスの宝石のような瞳を見つめる。その目は、つい今し方までのスケベじじいの目ではなかった。
「お前さん、何者じゃ………?」
レプラカーンの質問は唐突だった。嫌らしい目で自分の体を眺め回していた先程までとは、打って代わった別人のような、険しい表情でセレスを見つめている。
「どういう意味?」
突然の質問に驚きもせず、セレスは無表情で答えた。ある程度その反応を予期していたのか、レプラカーンは低く小さな笑いを漏らす。
「我らとは別の臭いを感じたから訊いたまでじゃ。お前さんは、どちらかと言えば、あのミニスカートのねーちゃんたちに近い臭いを持っておる」
「あたしが、あいつらの仲間だとでも言うつもり?」
「そうは言っておらん。全く同じ臭いではないのでな………。あやつらの仲間ではないじゃろうよ。………お前さんはわしらの組織に入り込んで、何を企んでおる?」
レプラカーンのその視線は、セレスの心の奥を探るかのような光を放っていた。スケベじじいの目ではなかった。これがこの老人の本当の目なのだろうと感じる。
全てを見透かすようなレプラカーンの視線を受けながらも、セレスは冷静だった。
「さぁ………。そのときが来たとき、あんたが生きていたら教えてあげるよ」
意味深な言葉だった。その言葉だけで、レプカラーンはある程度満足したようだった。
「そうかい………。じゃあ、せいぜい長生きするとしよう………」
レプラカーンはくるりと背を向けると、ひょこひょこと歩き去ってしまった。
「ただの助平だと思っていたが、なかなかどうして、鋭い老人だ。あたしの正体に感づき始めている。与えられた仕事もろくにできないような惚けじじいだと思っていたが、油断できないやつだ」
セレスはフッと小さく息を吐いた。