ふたりの転校生

 始業ベルが鳴り終わると、待ってましたとばかりに、担任の田町右子が教室に入ってきた。教師になりたての彼女は、生徒たちと歳が近いせいもあって、親しみやすい面がある。教育に対する情熱も、人一倍強い。しかし、羽目を外す時は、とことん羽目を外してくれる。美人で優しい右子は、男女を問わず、生徒たちの人気は高い。彼女のあっけらかんとした性格も、好感が持てるひとつの要因なのだろう。
 月曜日の一時限めは、ホームルームのあと、右子の世界史の授業だった。新米教師であるが、右子の授業はけっこう分かり易く、また、しばしば雑談だけで授業が終了してしまうことも多かったので、うさぎは世界史の時間は好きだった。いや、うさぎだけではなく、クラス全員が楽しみにしている時間だった。
 美人と言うより、可愛らしいといった表現の方が似合う右子は、男子生徒から絶大の指示を得ている。謎の情報網を持つ海野によれば、ファンクラブまで存在するという。また、女子生徒の相談にもよく応じてくれたから、女子生徒にも人気が高かった。
 うさぎはそんな右子のあとから、見知らぬ女生徒が入ってきたのを、目敏く見つけていた。
「転校生かなぁ………?」
 一学期も残すところ、あと僅かだった。来週からは、恐怖の期末テストである。こういう時期に転校生が来るというのは、学園もののドラマの中に多い話で、得てしてその転校生には謎めいた部分が多いものである。
「くりちゃん、聞いてる?」
 うさぎはすぐ前の席に座っている、中学時代からの友だち、くりちゃんに訊いてみた。情報通のくりちゃんなら、何か知っているかもしれないと思ったからだ。
「さぁ………。そんな話、聞いてないけどなぁ………」
 校内に関しては、たいがいのことを知っているくりちゃんも、今回ばかりは首を傾げる。
「くりちゃんも知らない、謎の転校生かぁ………」
 うさぎは頬杖を付きながら、その転校生の顔を見つめる。
 教室内がざわついてきた。だれもが、その見知らぬ女生徒に注目していた。
「転校生を紹介するわね」
 右子はにこやかな笑みを浮かべて言うと、その転校生の名を黒板に書いた。
 「帯野舞」
 黒板には、そう書かれた。
「おびの まいって素直に読めばいいのかな? それとも、たいの まいかな? まさか、おび のまいさんてことはないわよね………」
 うさぎはくりちゃんとふたりで、あれこれと思案する。
 転校生の名は、「おびの まい」だった。
「帯野さんは転校してくる前までは、アメリカに住んでいらしたんですって。だから、英語はぺらぺらだそうよ」
 右子は簡単に、転校生のプロフィールを紹介する。
 最後に転校生が、自己紹介を兼ねた挨拶をした。
「どうぞ、よろしく」
 帯野舞は、ペコリとお辞儀をした。
 舞は、クラスの女生徒が嫉妬してしまいそうなほど、美人だった。最近の人気アイドルのだれよりも、可愛いかもしれないと、うさぎは思った。男子生徒全員が、盛りの付いた雄猫のように瞳をギラ付かせて、その美人の転校生を食い入るように見つめている。
 身長は同じ年頃の女の子と比べると、けっこう高い方だった。まことと同じか、やや低いくらいだろうか。まことに比べるとややスリムな印象を受けたが、着痩せするタイプなのかもしれなかった。髪は長く、腰まであり、うなじのあたりから腰のやや上までの三カ所を、小さなグリーンのリボンで止めている。パーマをあてているのか、全体的にふわりとした印象のある髪型は、まるで綿菓子を連想させる。小悪魔という表現がぴったりと合いそうな微笑みを、クラスの男子たちに向けている。自分が美人であることに、自身を持っている笑みであった。当然、クラスの男子全員の目が、自分に釘付けになっていることを知っている。男性に見られることで、快感を覚えるタイプらしい。男子生徒の視線が、自分の整った顔、豊かな胸、短いスカートから覗けるスラリとした長い足に目まぐるしく動いているのを確認すると、満足げな微笑を浮かべた。
 舞は、空いている窓際の一番後ろの席に座ることになった。うさぎと同じ列だ。うさぎのふたり後ろの席だった。
 うさぎの横を通って与えられた席に向かう舞は、自分を見つめるようにしていたうさぎに対し、にこりと微笑みを送った。
「おい、月野。転校生の顔をぼうっと見ているなんて、お前、レズっけあるのか?」
 意地悪そうに言う葵慎也は、うさぎの横の席に座っている。ガキ大将タイプの葵は、うさぎに気があるらしく、なにかにつけ、うさぎに絡んでくる。ガキ大将タイプにありがちな、好きな女の子は、つい、いじめてしまうというやつだった。残念ながら、うさぎはそんな葵の気持ちに気付くほど、勘のいい女の子ではない。うさぎの頭の中は、ドイツへ留学している衛のことでいっぱいなのだ。
「そんなわけ、ないっしょ!」
 うさぎはプイと横を向いてしまう。
「月野さんて、男の子にあまり興味なさそうですものね」
 後ろの席でぼそりと言う真島雪乃は、クラス委員だった。どこかのお嬢様学校の受験に失敗し、すべり止めに受けていたらしい十番高校の商業科に、仕方なく通っているのである。とは、本人の弁。いくらなんでも、お嬢様学校のすべり止めに、商業科はないだろうと思うのだが、落ちるはずがないと思っていたので、冗談で受けてみたというのが、本人の言い分であった。もちろん、そんなことを信じるのは、彼女の親衛隊と称する血気盛んな男子生徒の一群だけである。雪乃は確かに美人で成績も学年(商業科に限ってのことだが)でダントツなのだが、他人を見下した態度をしばしば取るため、人気度は本人が思っているほど高くはない。
 うさぎはその言葉は聞こえないふりをして、窓の外を見ていた。雪乃は、八方美人のうさぎにしては、珍しく苦手のタイプの人間だったのである。そして雪乃は、ひとつだけ勘違いをしている。

「帯野さんて、アメリカにいたんですって?」
 と、さっそく転校生に訊いていたのは、くりちゃんである。
 一時間目の授業が終わると、転校生・帯野舞は、当然のように、新しいクラスメイトに囲まれることとなった。
「英語は、ぺらぺらなんでしょ?」
「日常会話ができる程度よ。ぺらぺらなんて、大袈裟だわ」
 舞は謙遜してみせたが、そのニュアンスから、その言葉は嘘だと感じられた。やはり、英語はぺらぺらなのである。
「スポーツも得意そうだね」
 うさぎがそう訊いたのは、舞のスタイルが女性から見ても、抜群だと感じられたからである。あるべきところには、みごとな膨らみがあり、締まるべきところは、きゅっとしまっている。無駄な脂肪が付いていないのである。ただ、のほほんと生活していたのでは、これほどみごとなプロポーションはつくれない。絶対に何かスポーツをやっているはずだと、うさぎは考えていた。
 例えセーラー服であっても、彼女の抜群のスタイルを隠すことはできなかった。黒板の前で自己紹介をしている彼女を見たとき、思わず嫉妬してしまったのは、うさぎだけではないはずだった。
「特に、何かをやっていたということはないんだけど、スポーツは好きよ」
 さらりと舞は答えた。
「スタイル、いいよね」
「そうでもないわ」
 舞は欧米人特有の大袈裟なゼスチャーで、肩を竦めて見せた。
 彼女がスポーツ万能で、しかもナイス・バディの持ち主であるということは、三時間目の体育の時間でみごとに証明されることとなった。
 本日の体育の授業は、バスケットボールだった。
「すっごーい!!」
 男子顔負けの運動神経の良さを見せつけられれば、感心せざるを得ない。
 体操着姿の舞は輝いて見えて、そのスタイルの良さは、体育のすけべ教師には鼻を伸ばさせる原因となった。
 舞は体育の教師のいやらしい視線を浴びながらも、平然としていた。見られて当然という顔をしていたのである。少しばかりサービスをしてみせれば、体育の教師はますますつけあがっていった。
 体育の教師から見れば、なんとも嬉しいかぎりなのだが、クラスメイトから見れば、点数稼ぎの嫌な奴としか写らなかった。体育館での授業だったため、グラウンドで授業を受けているはずの男子生徒の視線がなかったことが、他の女生徒からすれば唯一の救いだった。

「きゃっ!」
 昼休みになり、普通科にいる親友のなるちゃんと一緒にお弁当を食べたあと、廊下を雑談しながら歩いていたうさぎは、階段を駆け下りてきた学生とぶつかって、跳ね飛ばされてしまった。
 勢いよく飛ばされてしまったので、床にしたたかにお尻を打ちつけてしまった。
「あいたたた………」
「大丈夫!? うさぎぃ………」
 一瞬の出来事で、しばし自分の目の前で起こったことが理解できなかったなるちゃんだったが、お尻をさすって痛がっているうさぎを見て、我に返った。
 よく見ると、ぶつかってきた方の学生も、うさぎとは逆の方向に跳ね飛ばされ、やはり尻餅をついていた。
「いてててて………」
 ぶつかってきた方の学生はヨロヨロと立ち上がると、自分のスカートについた埃を両手で払った。
「ゴメンね。大丈夫?」
 お尻をさすりながら歩み寄ってきたその女子学生は、未だ尻餅をついたままのうさぎに手を差し伸べた。
 うさぎは思わず、その手を差し伸べてきた女子学生に見とれてしまった。
 一言で言ってしまえば、「美人」だったのである。それも、女性の目から見ても、思わず見とれてしまうほどの………。
 身長は、うさぎより少し高い程度。なるちゃんと、同じくらいだろうか。短めのスカートから、すらりと長い足が伸びている。健康的な足が、とても眩しい。無駄な肉付きが全くない。流行のルーズソックスは履いてはいなかった。その代わりと言っては何だが、十番高校では禁止されている柄物の短いソックスを履いていた。
 均整のとれた顔立ちは、まるでファンタジーの世界のプリンセスを思わせる気品が感じられる。ルビーのような真っ赤な瞳は憂いを帯びていて、心配そうに自分を見ていた。
 セミロングの髪は鮮やかな赤毛で、とてもボリュームがある。特に肩のまわりはパーマをかけているのか、まるでミンクのマフラーを巻いているかのような印象を受ける。バターロールという表現も、近からず遠からずといったところのような感じもする。遠目から見ると、獅子の鬣に見えないこともなかった。長いもみあげは、渦巻き状にカールされていて、胸のあたりまで伸ばされていた。
 サクランボのような唇が動き、もう一度「大丈夫?」と訊いてきた。
「はい………」
 うさぎは差し出された手を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。暖かい手だった。
「………!?」
 幻影(ヴィジョン)だった。一瞬だけ、絡み付くようなイメージが、うさぎを包んだ。
(あれは、クリスタル・パレス!?)
 ほんの一瞬だけ絡み付いてきた幻影(ヴィジョン)は、そう思えた。だが、
(そんなはず、ないよね………)
 そう思う心の方が強かったので、やはり錯覚だとも感じる。
「ゴメンね………」
 赤い瞳の彼女が、うさぎのスカートについた埃を払ってくれたことで、うさぎの意識は現実に向けられることになった。
「す、すいません。もう、大丈夫です」
 あまりにも一生懸命に埃を払ってくれているので、ぶつかったことなどすっかり忘れてしまった。お尻の痛さも、どこかへ行ってしまった。
「あたし、そそっかしいから………」
 赤い瞳の彼女は、本当に申し訳なさそうに言う。
「あ、あのう………。商業科の、黒月晶(くろづきあきら)さんですよね………」
 なるちゃんは、彼女のことを知っているようだった。
「あら、普通科のあなたも知ってるの? このあいだは、普通科の男の子にも声をかれけられたけど………」
 黒月晶という彼女は、困ったような顔をする。そうとう、あちらこちらで声をかけられているようだった。
「美人だって、有名ですよ! 学校全体で、評判になってるんですよ。知らないんですか? 商業科の転校生、黒月晶さんは、ものすごい美人だって………!」
 なるちゃんは、少々興奮気味だった。まるで、芸能人にでも会ったように、緊張して話をしている。
「ま、悪い気はしないけど………。ちやほやされるのって、好きじゃないのよね………」
 晶は肩を窄ませると、うさぎに視線を移す。
「それに、あたしダブってるから、あんまし大きな顔できないしね」
 晶は小さく溜息を付く。実は高校四年生(・・・・・)だと言う晶は、情けなさそうな表情をして、チロリと舌を出した。なるちゃんが、同級生のはずの晶に敬語を使ったのは、そう言った理由を知っているからだと思われた。
「本当にゴメンなさいね。ケガしなかった?」
「は、はい。なんともないですから………」
「よかったぁ………。じゃあ、あたし職員室に呼び出し食らってるから、行かないとまずいんだ。じゃあね。え…と」
「月野うさぎです。彼女は、大阪なるちゃん」
「うさぎちゃんと、なるちゃんね。じゃ、そのうちケーキでも御馳走するから………」
 晶は軽く手を振ると、そのまま廊下を走り出していく。ふたりは、その流れるような動きに、しばし目を奪われてしまった。
 少し行ったところで、晶は廊下を歩いていた先生に、走るなと注意をされている。ゴメンナサイと頭を下げ、足早に職員室に向かう晶が見える。
 うさぎとなるちゃんは、そんな晶を見て、思わず笑みをこぼしていた。
「あの人が、黒月さんだったんだ………。キレイなヒトだね………」
「美人なのに、嫌味じゃないのよね。親しみやすいから、余計に人気があるのかもよ」
 晶は男子生徒はもとより、女子生徒からも人気を集めていた。分け隔てのない性格と、美人であることを鼻にかけない様子が、女生徒からも人気を集めている理由なのだろうと思う。
 キーン、コーン………。
 午後の予鈴が鳴った。
「あ、いけない! つぎ、体育だったっっっ!! じゃね、うさぎ!」
 なるちゃんは、慌てて普通科の校舎へと走っていった。

 放課後はいつものように、うさぎはなるちゃんとの待ち合わせの正門前へと向かう。
 今日はいつになく、団体になった。まこととひかるちゃんに加え、くりちゃんとゆみこも一緒になった。
「ケーキでも、食べに行こうよ!」
 人数がある程度集まると、うさぎは決まってこう言うのだが、残念ながら、今回は賛成してくれる者がいなかった。まことはアルバイトがあると言うし、ダイエット中のひかるちゃんは間食をしない。なるちゃんが、もうすぐ期末テストだと言い出せば、ゆみこもくりちゃんも深刻な顔をしてしまって、とても遊んでいる余裕などないといった風だった。
「うさぎ、中間テスト悪かったんでしょ? 大丈夫なの? こんどのは………」
 なるちゃんの言葉は、いつもながらグサリと胸に突き刺さる。
「大丈夫、大丈夫! なんとかなるわよぉ!」
 と、うさぎは相変わらず、脳天気である。開き直っているというか、はなっから諦めているというか、うさぎからはテストがあるという緊張感が全く感じられない。よくこれで、それなりにレベルの高い十番高校に合格したと思う。
「まこちゃんもバイトなんかしてて、大丈夫なの?」
 心配げにまことを見たのは、ひかるちゃんである。
「明日から、休みをもらってるんだ。大丈夫だよ」
 亜美と同じような髪型をしているせいか、ひかるちゃんと話をしているのに亜美と話しているような気にさせられるのは、自分の中で、勉強に関しては亜美に頼っていたことが多かったからだと思った。学校の授業より分かり易く、自分たちに勉強を教えてくれた亜美がいなくなってしまったことに打撃を受けているのは、うさぎを見れば自分だけではないと思う。
「休みが貰えたんだ」
 へぇーという風に、うさぎが言う。
「新しい女子大生のバイトが何人か入ったからね。だいぶ楽になったよ。宇奈月ちゃんなんて、今まで貯めたお金で、夏休みにカリブ海に行くとか言ってたなぁ………」
「カ、カリブ海!? 宇奈月ちゃんてば、リッチ!!」
「カレシの先輩が、旅行代理店に勤めてるんだって。随分安くして貰えたって、すっごい喜んでたよ」
「へぇ………。じゃあ、カレシと行くんだ」
 と、言ったのは、なるちゃんである。
「親にはナイショらしいけどね」
 まことは声を小さくする。
 ふんふんと、ゆみことくりちゃんが頷いている。
「やるなぁ、宇奈月ちゃん」
 うさぎが羨ましそうに言い、天を見上げる。
「あたしもまもちゃんに会いに、ドイツへ行こうかなぁ………」
「なに言ってんだい。まもちゃん、夏休みに帰って来るんだろう?」
「そうよ! だいたいバイトもしてないで、ドコにそんなお金があるのよ!」
 いつもながら、なるちゃんの突っ込みは手厳しい。うさぎは頬を膨らませる。
「………じゃ、シングルのあたしたちは、夏休みは泊まりで、海にでも行きましょうかね………」
 ひかるちゃんは、横を歩いているくりちゃんに視線を流す。ひかるちゃんも、親友の美奈子がフランスへ行ってしまったことで、かなり寂しくなったはずである。二‐三日前に、フランスのヴェルサイユ宮殿に行ったときの写真が、美奈子から送られてきたと、嬉しそうに話していたのを、うさぎもまことも思い出していた。
「あれ?」
 不意にうさぎは、前方を歩く見覚えのある顔を見つけた。
「帯野さん」
 声をかけてみた。見覚えのある顔は、今日転校してきたばかりの帯野舞だった。
「ああ………」
 舞は振り向くと、笑顔になった。うさぎは舞に、ゆみこやなるちゃん、ひかるちゃん、そしてまことを順々に紹介した。くりちゃんとは同じクラスなので、わざわざ紹介する必要はない。
「よろしく」
 舞は手を差し伸べる。その差出された手に、まことが手を伸ばす。が、
 バチッ!!
 火花が飛び散ったような気がして、ふたりは手を引っ込めた。
「静電気かしら………」
 その現象は、まわりにいた者たちにも確認できた。
 ひかるちゃんが、興味深げに見ている。
「ごめん。きっとあたしのせいだ。あたしって、帯電体質だから………」
 まことは申し訳なさそうに、後頭部を掻いた。
「そうなんだ………。ちょっとびっくりしたけど、あたしはなんともないから、気にしないで」
 舞は笑顔で答えていたが、その瞳はとても笑っているようには見えなかった。